「日蓮」創作ノート7

2007年4月

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04/01
日曜日。エイプリルフール。子供もいないし嘘をつく相手もいない。小説というのは嘘ばかり書いているようなもので今日も嘘を書く。しかしいまわたしが書いている日蓮の生涯は真実としかいいようのないものだ。一人の人間の人生がここにある。書き始めた段階ではどんな人物なのかよくわからなかったが、もう人生の終わり近くまで来たので、この人物のことはよく知っている。たぶんわたし自身についてよりもよく知っているし、この人物が好きだ。自分もこんなふうに生きたいと思う。まあ、わたし自身もそれなりにがんばってはいると思うのだが。
日蓮は佐渡から帰る。その途上でぽつぽつと日朗に語りかける。ここは重要な部分だ。話の中身ではなく船の中でぽつぽつ語るというイメージが浮かんだ。こういうふうにイメージだけが浮かんだ時は、何をしゃべるのか考えないといけない。こうやって無理に考えたセリフが意外に重要な場合がある。言いたいことを言うのではなく、このタイミングでとても効果的なセリフを印象づけるか、またはまとめのようなものを置く。とくに日蓮の場合は内面描写はほとんどやっていないので、主人公が何を考えているかはわからない。側近の弟子と二年ぶりで会ったというこのチャンスに日蓮の内面を吐露しておくことは重要なのだ。
妻と近所の北沢川緑道を散歩。ここも桜の名所。夏のような湿った暑さ。わずかな風に花びらが散っていく。桜ももう終わりだ。昔の人もこの眺めにはかなさを覚えたのだろう。しかしすごい人間の数。人工の小川の左右は敷物で埋まっている。大学時代の友人が最近、この緑道に面したところに引っ越してきたのだが、この人込みに驚いていることだろう。

04/02
月曜。今週は大きな公用はない。本日はフリー編集者のE氏来訪。来年の仕事の打ち合わせ。あとは短めの散歩。今日も北沢川緑道に行ってみた。桜はまだ満開だが、昨日の日曜とはうってかわって人はほとんどいない。無駄に満開、という感じ。はらはらと散っていく桜の下を歩くのはいい気分だ。「日蓮」はいちおう「終章」というところに突入している。が、平頼綱との対話のあと、北条時宗とも対決させたい。話を面白くするために当時の同時代人とはなるべく直接出会うようにしてきた。となると時宗は欠かせないキャラクターである。話が長くなれば、この章は第八章として別に終章を付けることになるが、なるべくコンパクトに語ってここでおしまいにしたい。

04/03
某有名作家の伝記を書く仕事で打ち合わせと取材。去年の夏前に一度、顔合わせをやったきり、取材の調整ができなかった。で、本日ようやく二回目の取材。これでもう書き始めないといけない。「日蓮」はあとわずかで完了するので、次の仕事ということになるが、日蓮は昔の人なのでいくらでも嘘が書ける。主人公が生きているという状況で書くのは初めてなので、どうなるかよくわからない。明け方、時宗との対話完了。これですべての対話が終わった。あとは手紙をいくつか書くだけだ。いよいよゴールが見えてきた。

04/04
みぞれが降ってきた。今日は散歩は休み。日蓮、いよいよエピローグの感じになってきた。蒙古襲来についての客観的な記録を挿入。あとは身延山における著作を羅列するだけでいいが、一件、池上兄弟への手紙だけは詳しく紹介しておきたい。最後に池上で没することになるので、この兄弟の印象を強化しておく必要がある。あと数日で草稿が完成するのは間違いない。
蒙古襲来は2回あるのだが、これは続けて記述したい。1回目は日蓮が身延に入った直後で、2回目の翌年には日蓮は没してしまう。すると話が終わってしまって、身延での生活が描けないことになる。結論として、どこかで時間を前後させなければならない。少し考えてみたが、鎌倉を出て身延に入るとそのまま生活を描くのが流れとしてもスムーズだろう。ということで、すでに書いた蒙古襲来の話の前に挿入していくことになる。

04/05
祥伝社の人々と飲み会。「ダ・ヴィンチの謎」は再版が出た。で、次の仕事についてはまだ考える状態ではない。こういう時点での飲み会は最高に楽しい。再版が出てよかったね、ということでのんびり飲む。場所が渋谷だったので、往復徒歩。本日は点字図書館から身分証明書がほしいといってきたので、三軒茶屋まで散歩した。身分証明書って何? と知らない人も多いだろう。公益法人とか福祉法人の役員をすると必要になるものである。区役所の出張所などにもらいに行くのだが、身分証明書をとるためには、身分証明書(運転免許証など)が必要である。どうなってるのという感じで、結局のところ、身分証明書とは何かがわからない。「日蓮」はあと2日あれば草稿完了になる。嬉しいのだが、読み返すのが怖い。しばらく放っておこうと思う。その間、何をするか。のんびりできればいいのだが、とりあえず、いちばんやりたいことをやろうと思う。

04/06
本日は公用なし。散歩に出ただけ。まだ花は咲いている。宴会をやっているヒマな人々がいる。「日蓮」まだゴールに迫れず。明け方、松坂の試合を見ていたので眠い。

04/07
土曜日。下北沢まで散歩。もう葉桜になっているが、宴会をしている人々がいる。楽しそうだ。夜中、井川の先発の試合。少し見ていたが、見ていると仕事ができない。それとこの試合はハイビジョンしかやっていないので、いつもの仕事の定位置ではなく、リビングの大きなテレビの前に移動したので、集中力がない。昼間はここでやり、妻と話をしたりいっしょにテレビを見ながら仕事もするのだが、夜中は自分の部屋の定位置へ行く。このルーティンと違うことをすると調子が出ない。ゴール寸前なのだが、なかなかたどりつけない。結局、この章の他に、もう一つ終章を追加することになった。

04/08
日曜日。妻と都知事の選挙に行ったあと三軒茶屋まで散歩。「日蓮」いよいよゴール寸前まで。だが、まだ終わらない。ややセンチメンタルになっているかもしれない。プリントして流れの中で読んでみて、過剰にセンチメンタルになっていれば抑え気味にしないといけない。空海は即身成仏であって意図的に死に向かっていくのだが、日蓮の場合は体調不良で温泉に向かう途中で動けなくなってしまうので、死は不本意なものであったろう。だからややセンチメンタルになるのもやむなしとすべきだ。

04/09
集英社から、文庫の増刷見本を送ってきた。「いちご同盟」40刷、「春のソナタ」6刷、「永遠の放課後」4刷。ありがたい増刷である。読者のおかげなので感謝したい。さて、「日蓮」はついに草稿完成。終わりの部分はほんとにただのエピローグになったが、最後の一行で引き締めることにした。これは前から考えてあった終わり方。うまくいっていると思うし、これ以外に思いつかない。のんびりしてもいられないので、プリントして読み返すことにしたい。
プリント完了。通常なら頭を空っぽにするための冷却期間として一週間くらい間を置いて、読者の立場から読み返すということをするのだが、大長編なのでもう冒頭部分に何を書いたか忘れてしまっているので読者と同じ状態になっていると判断して、ただちにプリントを読み返すことにした。とはいえわたしと読者は同じ条件ではない。わたしは仏教についての知識をもっているが、読者の中には「衆生」とか「涅槃」とか「久遠仏」とか、文字の読み方さえわからない人もいるだろう。そのあたりは想像力を働かせて勘案するしかない。この作品は8つの章に序章と終章がついているので、全体が10章と考えることができる。そのうち、序章と、第1章の半分を読んだ。わかりやすく展開できている。序章ではいきなり親鸞と日蓮が論争することになっている(史実ではない)が、このことによって、青年日蓮が何を求め、何をしようとしているかがわかる。よい導入部だと思う。ただ観念的ではあるのだが。しかしただの歴史小説ではなく、宗教がらみの作品だからある程度の観念性は避けて通れない。とにかくここまでの感触はいい感じだと思う。

04/10
昨日は1章の半ばまで調子よく読めたのだが、今日は雑用は何もなかったのに1章がようやく終わっただけ。出だしのところで、セリフで状況を説明しようとしているのでテンポが遅い。しかし状況は説明しなければならないので、難しいところだ。この作品は日蓮が30歳のところから出発している。子供の頃から始めればいいのだが、それでは長くなる。いきなり親鸞と論争するところからスタートしていて、その部分はいいのだが、そこから故郷に帰ってきたところで、コンパクトに生い立ちを語らないといけない。それから、問題なのは法華経をどう語るかということだ。日蓮は本人も法華経の行者だと宣言しているので、法華経から離れることはできない。すると読者にも法華経とはどんな内容の経典なのかを知ってもらう必要がある。そこで法華経をコンパクトに語る必要があるのだが、これが難しい。一口で説明できるものではないからだ。説明しないとわからないし、説明しすぎるとテンポが遅くなる。とくにまだ始まったばかりなのでテンポを落としたくない。父親、母親のキャラクターはやや図式的だがコンパクトに書けている。とにかく1章が終わった。ここから先は理屈と動きとが交錯しながら展開していくところだ。テンポが維持されているかということに気を配って読んでいきたい。

04/11
本日は公用あり。ジャスラックで著作権を考える協議会の幹部会。実に中身の濃い話し合いであった。中身が濃かったので参加者がどんどん勝手にしゃべってくれるので、議長としては楽であった。夕立のような雨。妻に車で迎えに来てもらう。往路は徒歩。歩いても30分で行ける距離だが、車でもけっこう時間がかかる。電車で行こうとするとたぶんもっと時間がかかる。歩くのが一番早い気もする。
2章の半ばまで。ピッチが上がらない。法華経の説明、うまく展開できているのだが、確認すべきことが多く時間がかかる。ここまで、プリント用紙が真っ赤になるくらい訂正が入っている。入力作業のことを考えると気が重くなる。これは出だしだけの問題だろうか。確かに書き始めたばかりの頃は手探りで進んでいた。日蓮のキャラクターも定まっていない。一人称についても揺れがあるので油断できない。日蓮は一箇所だけ「おれ」と言っている。それ以外はなるべく一人称は使わず、必要ならば「日蓮」と言う。最近の若い人も一人称に自分の苗字を言ったりするが、昔はそんな人はいなかった。角川書店の(昔の)社長がレストランなどで「角川は」と大声で言っていたのはたぶん会社の宣伝を兼ねていたのだろう。

04/12
「毎日が発見」誌のインタビュー。テーマは「謎の空海」なので、この本の面白さを宣伝。ありがたいことである。わたしが理事長をしている「NPO日本文藝著作権センター」の機関誌のチェック。これは長い対談を先方に短くしてもらったもので、大変な作業だったと思う。それに合わせてこちらも可能な限り短くする。夕方までかかった。「日蓮」はようやく2章が終わった。全体の4分の1が過ぎただけだが、プリント用紙が真っ赤になるくらい訂正が入っているので打ち込みが大変だ。しかしとにかく、ここまではスムーズに読めるようになっていると思う。法華経についても、久遠仏についても、わかるようになっている。

04/13
まだウィークデーだが、本日は何も用はない。ひたすら「日蓮」。何とか連休前に完成できるか。しかし連休前に仕上げておかない小さな仕事がたくさんあるので、そろそろそっちも片付けていかないといけない。下北沢まで散歩。プリンター用のインクを買う。最近はプリントもせずに原稿をメールで送ることが多いけれども久々に「日蓮」をプリントしたら、黒インクが大幅に減った。3章までチェックできた。この章で謎の禅僧が現れて日蓮と対話するシーンはぞくぞくするくらい面白い。

04/14
土曜日。4章の終わりまで。ちょうど半分だ。昨日、今日と、順調に1日1章のペースになっている。草稿の流れがよくなっている。出だしは状況説明があり、登場人物のキャラクターも揺れていて修正が大変だったが、ここまで来ると、流れができている。後半のチェックはピッチが上がるだろう。ただし明日は雑文を書く日にあてる。

04/15
日曜日。三軒茶屋まで散歩すると区議会議員の候補者が歩行者天国で頭を下げていた。わたしの自宅は奥まったところにあるのだが、そんなところにも選挙カーが来ることがある。わたしは午前中は寝ているので迷惑である。本日は雑文に徹した。夜中、5章に突入したが、とにかく半分を超したので安心感がある。といっても、打ち込みにも時間がかかるので、連休前に完成するかは何ともいえない。できれば連休は次の仕事の準備にあてたいのだが。ところで5章の冒頭、小松原法難で弟子2名が死んだことを、重症を負った日蓮が聞かされる場面で、不覚にも涙を流した。目の前のテレビでロッキー1をやっていたせいか。

04/16
文藝家協会理事会。しゃべることが多くて疲れた。あとはひたすら日蓮。今週は明日からは公用がないので、集中して一気に仕上げたい。

04/17
昨日は疲れが出て、半分残っていた5章が終わらなかった。本日は5章を終えて6章の半ばまで来た。いよいよゴールが見えてきたが、まだ数日かかるし、打ち込みにも時間を要する。しかしここまで来ると、作品が完成することは間違いない。草稿の最後まで到達した段階である種の安堵感はあったが、読み返してみないと、初めの方のことは忘れているし、使い物にならないかもしれないと恐れていたのだが、ここまで読めば大丈夫だ。ここまで来ると、最近書いた部分だから記憶も残っているので、この先、大きな難所はないと断定できる。あとは細かいチェックが残っているだけだ。

04/18
寒い。真冬の寒さだ。公用はないのでひたすら「日蓮」を読む。プリントの山がずいぶん減った。あと4分の1くらいだ。嬉しい。まだ入力作業が残っているけれども、ゴールが目に見えるような感じがする。明け方まで頑張って7章終わる。7章の終わりのところの日蓮の長いモノローグがいい。8章も少し進む。8章の次は終章で、これは少し短めの章だから、あと1日で終わるかもしれない。

04/19
妻の案内で銀行へ行く。銀行のことは何もわからない。妻の言うとおりにしないといけない。頭の中が日蓮になっているので、日蓮が銀行へ行っているような気分だ。草稿チェック完了。ただちに入力作業に入る。とくに前半部はプリントが真っ赤になっているので、拷問のような作業が続くことになる。序章と1章が終わった。手間はかかるが、入力作業というのはほとんど何も考えない機械的作業なので、とにかくやっていれば先に進んでいく。入力さえすればいいので、作品が完成することは間違いない。作品の中に法華経第七の「化城」のイメージが出てくるけれども、小説を書くというのは、幻の蜃気楼の城を求めて砂漠をさまよい歩くようなものだ。草稿完成まではまさに蜃気楼を求めるようなものだが、草稿に赤字が入ったこの段階は、もはや蜃気楼ではなく、城の門の前に立っている。あとは数歩踏み出すだけでいい。

04/20
今日も銀行へ行く。A銀行を解約してB銀行に口座を開設するという手続きなのだが、昨日は開設に時間がかかって解約の方に回れなかったのだ。で、本日、すべて完了。こちらもえらい時間がかかった。わたしは何もわからずただその場に存在しているだけなのだが、存在することに意義があるらしい。夜はメンデルスゾーン協会の理事会。何だかよくわからないうちに理事長になってしまった協会で、これは存在することに意義があるような状況である。これは必然的に飲み会に移行するような組織らしく、仕事進まず。

04/21
合唱団の練習。こちらは必ず飲み会になる。控えめに飲んで仕事をする余力を残す。赤字を入れた部分を打ち込むだけの作業だが、大変である。打ち込みだけならアルバイトを雇えばいいようなものだが、自分の字は自分でしか判別できない。とにかく自分でやるしかない。

04/22
日曜日。昨日も今日も真夏のような暑さ。選挙の投票をしたあと、昭和女子大のホールで世田谷フィルの演奏会を聴く。弦の響きが美しい。金管はよく頑張っているが、とくに最初の音に緊張感がみなぎっている。三軒茶屋の歩行者天国を通って帰る。

04/23
月曜日。講談社の担当者と自宅で打ち合わせ。「日蓮」の次の仕事は、某有名作家の伝記なのだが、その次の仕事について相談。結論として予定していた仕事は年末に回して、緊急の企画を先にやることにした。「日蓮」が半年かかったので、ここからピッチを上げていきたい。夜中、入力作業終わる。勢いで短い原稿2つ仕上げる。まだあと2つ残っている。

04/24
「日蓮」最終原稿をプリント。ユーパックでポストに投函。データはメールで送ったので、読もうと思えば今夜から読めるが、大長編なので担当者は連休に読むだろう。プリントをチェックすると、ふつうは書き込みで増えるのだが、今回は15枚ぶん削った。説明しすぎているところをカットした。歴史小説はどうしても説明したくなるのだが、読者は歴史よりもストーリーの流れに引っぱられるので、必要以上の説明があるとわずらわしくなる。ポストに入れたあと三軒茶屋を散歩。半年もかかった仕事なので脱力感が広がっていく。この疲労感と快感を、今後何度体験できるか。年に一度というのも少しきつい。体調を調えて次の機会に挑戦したい。
集英社から増刷のお知らせ届く。3月に増刷したばかりなのだが、夏休み前にも定例の増刷がある。「いちご同盟」41刷、「永遠の放課後」5刷。「いちご同盟」は累計45万部を超えた。去年40万部を超えたばかりだから、1年で5万部ということだが、これは久々に新刊の「永遠の放課後」が出た効果だろう。しかしまあ、今年は「日蓮」である。「空海」はけっこう売れたので、「日蓮」も売れてほしいが、出す前は、いったい誰が読むのだろうと心配になる。まあ、「日蓮」にもファンがいるはずだが。

04/25
雨が上がったので三軒茶屋まで散歩。のんびりとした気分。まだ雑文が少し残っているのだが、本日中には片付くだろう。連休の仕事を何にするか決めていなかったのだが、某有名作家との対談の速記が届いたので、これをもとに伝記を書き始めることになるだろう。それと昨日話を決めた「熟年夫婦の掟」(仮題)を並行して進めようと思う。後者は8年前に講談社から出した「夫婦の掟」の熟年版である。というか、新書サイズにするのでエッセンスだけを取り出す。書いたのが昔だから、中年夫婦の危機、といった想定で書いたのだが、こちらも熟年になっているから、「団塊老人」で書いたことも加味して、ユーモラスな警告の書としたい。ということで、このノートのタイトルも来月からは変えないといけない。大長編に取り組むわけではないので、「07年の夏の仕事」といったタイトルを考えている。

04/26
すべての雑文を完了して、メールで送った。明日から三ヶ日の仕事場へ行く。それまでにやらなければならない仕事が山ほどあったがすべて終了した。連休中に何をやるか決めていなかったのだが、某有名作家の伝記の資料が届いたので、これをやるしかない。今日一日はあいているので試しに冒頭部を書いてみたが、問題なくすらすら書ける。しかし必要に応じて資料にあたらなければならないので、そのつど立ち止まることになるだろうが、しばらくはこういう作業をすることになるのだろう。しかし他にもやらなければならない作業がいろいろあるので、連休期間中はじっくり考える時間をとりたい。

04/27
午前9時半からの会議。妻に送ってもらう。今回はさまざまな業界からの人々が意見を述べる会。ただ聞いているだけというのも疲れるが人数が多いので議論をしているひまはない。国会図書館の人に一回質問しただけであとは黙っている。地下鉄で帰って池尻大橋駅前まで迎えに来た妻の車に乗る。三ヶ日へ向かう。「日蓮」の草稿完成の後、細かい雑文が山ほどあったがすべて片付けた。疲労の極みにある感じ。寝不足もある。連休前で道路も混んでいる。ようやく三ヶ日着。
一つ重要な懸案事項があった。三ヶ日では昔次男が使っていた古いパソコンを電話線につないでメールのやりとりをしていたのだが、ジャンクメールが多く、メールをとりこむだけで時間がかかるし、ネットはほとんど見られない状況であった。これではいけないので、ADSLを申し込んであった。これの設定をしないといけない。ルーターは買ってあったので、取り付けて設定をした。三宿でもルーターを使っているのだが、これは下宿している甥が自分の必要上から勝手に取り付けたものなので、便利にはなったが設定を自分でやったわけではない。老人にはつらい作業だが、何とか成功した。これでネットは見られる。メールも取り込めたのだが、返信をしようとするとうまくいかない。送信サーバーにつながらないようだ。そこでストップ。明日は講演なので早めに寝る。

04/28
三重県津で講演。豊橋まで車で送ってもらう。名鉄、近鉄を乗り継いで津へ。四日市を通る時、ここに次男がいる、と思ったのだが、あと聞くとすでに旅行に出ていたとのこと。講演は何度もしゃべった老人問題なので、ちょうどいい時間で追われた。来た時と同じコースを逆にたどる。豊橋から東海道線で鷲津。ここで妻と合流して、よく行くイタメシ屋へ。生ビールを飲む。「日蓮」のあとの雑用のしめくくりが昨日の会議と本日の講演だった。この二つは自分の体を運ばなければならないので体調を調えることと、時間に遅れないことが何よりも重要なので、ふだんとは別の神経を使う。これですべてが終わった。のんびりと連休を楽しみたい。
と思ったが昨日うまくいかなかったメールの送信を何とかしないといけない。仕事で使っているパソコンに、三宿で使っているデスクトップと同じ設定をしてきたはずなのだが、こちらはNTT西日本なので、何か不都合があるのかもしれない。しかしNTT西日本用の新たなアドレスがあるので、それで設定すると、まったく問題ない。これでメールは送信できるのだが、届いたメールに返信を出すとうまくいかない。いちいち新規のメールで相手のアドレスを打ち込む必要がある。これは不便だが、まあ、こちらからメールを送ることはほとんどないので、とりあえずはこれでよしとするしかない。

04/29
日曜日。というか、もう連休である。湖岸を散歩。真夏のように暑い。湖岸を歩くと犬のことを思い出す。遠い昔のような気もする。遠い昔といえば子供たちが幼かった頃のことも思い出す。人間は思い出で生きている気もする。強い陽射しの中をTシャツだけで歩いていると、空気のぬくもりで体がほぐされる。「日蓮」に半年間取り組んでいた緊張が、チーズが融けるようにとろけていく。このぬくもりが癒しになる。湖岸の陽光が体を包んでいる。いつもの大工さんが来る。雑談は妻に任せて、こちらは仕事。岳真也氏との対談を本にするという企画があって、ずいぶん昔に飲みながら雑談したことがあったが、突然、ゲラが出てきた。これを見ないといけない。夕方、カインズホーム都田店で買い物。ここは都田テクノという工業団地を作る計画だったのだが、途中でバブルがはじけて一部はただの住宅地になっているが、それなりににぎわいを見せている。

04/30
斜面の松を切る。仕事場は丘の上にあって浜名湖が見える。が、松が伸びると見えなくなる。時々切らないといけない。妻が外階段のペンキ塗りの下準備として浮いたペンキを剥がしている。手伝わないとあとが怖い。本日は仕事はせず。のんびりとした休暇だが、疲れた。


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