「夏休みの孫たち06年」創作ノート3

2006年09月

9月 8月に戻る 7月 6月 10月に進む
09/01
体調が少しずつよくなっている。仕事もピッチが上がってきた。あとはゴールまで一直線だ。

09/02
土曜日。散歩のみ。この「謎の空海」で最も重要な、仏教とは何か、というテーマを書いた部分が終わった。これをどこに入れるかで最初から悩んでいた。最初に説明しておきたかったのだが、すると空海が登場するまでに前置きが長くなる感じがする。それでとりあえず空海の生涯をたどってきたのだが、長安の青龍寺で恵果から秘伝を授かって帰国する段階で、仏教とは何かという話に移動した。ここまでくれば話が横道に逸れても読者はついてくるだろうし、ここに書いておかないと、空海の呪術のパワーについて、合理的な説明ができなくなる。ということで、山を一つ越えた。あとは流しながら歴史的事実に沿ってゴールに向かうことになる。

09/03
日曜日だが、メンデルスゾーン協会の緊急理事会があって、武蔵小杉まで出かけていく。かなり難しい問題があって、ただ話を聞いているだけではすまなくなったのだが、まあ、できる限りのことはやりたいということで、話は何となくまとまった。ただ未解決の問題もあるので、今後に尾を引くことになりそうだ。
パソコンの接続が突然、できなくなった。妻が起動した時に、接続ソフトの更新をせよという指示が出たらしい。それからどうなったのかよくわからないが、結果として接続の設定が消えていた。書き込んだのだがつながらない。何度も試行錯誤したがどうにもつながらないので、ポイントを戻すことにした。最近、ポイントを設定していなかったのだが、10日ほど前に自動的にポイントが設定されていたので、そこに戻した。数日前に、デスクトップのアイコンが多すぎで壁紙のリュウノスケの顔が見えなくなっていたので、整理してリュウちゃんの顔が見えるようにしたのだが、それが見事に復元されて、またリュウちゃん(4年前に死んだ犬)の顔が見えなくなった。しかし接続はできるようになった。やれやれ。

09/04
スケジュール表の本日の欄は、午前中「日図協」、午後も「日図協」だ。日本図書館協会は公立図書館の協会。日本図書教材協会は教材出版社の協会。何だか疲れた。いつものことだが、午前の会議に出ると一日が長い。

09/05
教育NPOと打ち合わせ。神楽坂。9月になっても、ぬるい日が続く。ところでこのページのタイトル、「夏休みの孫」のままになっているが、いまやっている仕事は細かいものなので、タイトルに立てるほどでもない。このまま続行する。「謎の空海」は全体が15章のうち、13章までできている。あと一週間というところか。続いて「ダ・ヴィンチの謎」に進む。それと某作家の伝記。資料を読み込む作業からスタートする。これは並行してやっていく。もう一つ、名作の書き出しの部分だけを引用して、解説するという仕事がある。他にも岳真也氏との対談で本一冊という企画もある。こういう仕事をどっとこなしつつ、「日蓮」の資料も読まないといけない。大学はまだ夏休みだが、著作権関連の公用はぎっしりあって、多忙だ。うーん、頭の中が混乱しそうだ。
今日、床屋に行こうと思って(行ってみたら休みだった)二階の廊下の窓を閉めにいったら、孫たちが寝ていた和室がチラッと目に入った。あの幻想のような一ヶ月間が遠い昔のように感じられる。喪失感のようなものを感じた。いまでも死んだ犬のことを思い出すと胸が痛むが、孫たちはスペインにいる。しかし、四歳の長女、十ヶ月の次女は、もうかえってこない。今度会う時は、別の子供になっているだろう。とくに四歳の長女は、来た時には「じいちゃん、あそぼ」としか言えなかったのに、帰る時は日本語がペラペラになっていた。しゃぶしゃぶを食べている時、「お肉ちょうだい、ハッパは入れないでね」などと日本語で言うので驚いた。渋谷のこどもの城の幼稚園にビジターで通っていたので、しゃべれるようになったのだろう。やっぱり、言葉がわかるというのはすごいことだ。わたしもスペイン語をもう少し勉強したいと思った。

09/06
三ヶ日の仕事場に出発。孫たちが帰ってから急に忙しい日々が続いたが、まだ大学は始まっていないし、ここから数日、アポが入っていない空白ができたので、三ヶ日に行くことにした。三ヶ日といっても、三ヶ日町はもうない。浜松市に吸収合併されたので浜松市の一部ということになる。運転はすべて妻。途中、ものすごい豪雨になった。海老名の牧ノ原で休んだが、とても涼しかった。秋になったかと思ったのだが、三ヶ日に着いてみるとものすごく暑い。え? という感じで、暑さと湿気の中で寝ることになった。どうにも寝つかれないので夜中に起きて、「ダ・ヴィンチの謎」の出だしを書いてみる。すらすら書けた。これはもしかしたら、ずっと前から書きたかったテーマではないかと思った。

09/07
新所原に祖父母を迎えに行く。夏や年末はいつも妻の両親とすごすことにしているが、今年の夏は孫たちが来たので、三ヶ日に行けなかった。妻が連絡したようで、青春18切符で鈍行ばっかりで来た。いつも鷲津まで迎えに行くのだが、大阪から来ると跨線橋を渡らないといけない。一つ手前の新所原なら跨線橋を渡らなくてもいいのではないか、と思ったのだが、行ってみると、駅は新しくなっていて、やっぱり跨線橋を渡らないと改札口に出られなくなっていた。車で行く距離はほとんど変わらない。迎えに行く前に鷲津のイオンへ行き、妻は枕を買う。義父母用の枕にダニがついていたため。こちらは靴屋に行って靴を買う。下北沢には安い靴屋があるのだが、若者たちがたむろしていて、のんびり選べない。ここの靴屋はいつ行っても客はいないので、必ずここで買うことにしている。5000円の靴が3000円だった。義父母は元気。夕方、散歩。猪ノ鼻湖沿いに歩く。1時間と少しひたすら歩き続ける。仕事もかなり進んだ。

09/08
昼は西気賀の駅の構内にある八雲というレストラン。ここのオーナーは昔、別荘地のレストランを仕切っていた。仕事場を開いた当初は周囲には何もなかったので、そのレストランのお世話になっていた。そのシェフが独立して、二俣又線が第三セクターになった西気賀駅の駅舎を改装してレストランを開いた。ということで、仕事場に行く度に一回は通っている。ここの売り物はビーフシチュー。いつもこれを食べる。以前、孫の長女が生後半年の時に来たことがある。その時は大サービスで、メニューにない天然ウナギの白焼きをサービスで出してくれたことがあった。シェフは体調を崩していて、いまは昼のランチタイムしか営業していない。しかし病気は回復して、まったく元気になっている。わたしよりも少し年上なので、これからも昼だけの営業を続けるようだ。

09/09
土曜日。この家を立ててくれたカーペンターのT氏が来る。浜松にいい店があるというので昼食を食べにいく。まあ、いい店だった。昼のランチは、豊富なメニューの中から二品選べるというもので、選べるという状況になると、わたしは困惑する。A、B、Cの中から一つを選べ、というのが、わたしの選択の限界である。そんなことで頭を使いたくないということもある。「謎の空海」は完成寸前なのだ。で、T氏は、貝ご飯と天ぷら、妻は貝ご飯とカニコロッケ、義父はさしみとウナギご飯ということで、わたしも何か選ばないといけないことになった。選ぶだけで疲れた。何を選んだかはここには書かない。帰りにリサイクルショップに寄った。思わず地球儀を買ってしまった。2300円。ちゃんとソ連が分割されていることを確認した。夜、突然、四日市にいる次男夫婦が来た。義父母が来ることは伝えてあった。長男夫婦とスペインの孫は、夏に大阪に行って義父母に会っているのだが、次男夫婦はしばらく義父母と会っていない。孫たちは四日市の次男宅に数日逗留したし、東京に戻ってから次男夫婦が来たので、ずっと会っているような気分でいたのだが、次男夫婦と義父母の組み合わせは、長く会っていなかったのだ。で、本日会えてよかった。ところで、この仕事場には、客用の部屋が二つあるのだが、次男夫婦の寝るはずの部屋のエアコンのリモコンが壊れていることが判明した。本日は驚異的に暑い。もう四日市に帰ろうか(1時間で帰れる)という話になったが、わたしが思いついて、書斎に布団をひいて寝ることにした。わたしの書斎のエアコンは、わたしが毎日使っているので稼働している。次男が荷物を置いて半分は物置状になっているのだが、その荷物は机の上に載せて、何とか二人が寝られるようになった。ということで、次男ともゆっくり話ができた。ところで夕方、「謎の空海」の草稿が完成した。やったぜ。三ヶ日に来ると、仕事がはかどる。スペインの孫が到来した時期に書いていた本だが、最後の数日をこの三ヶ日の仕事場で書けたことで、結びが充実した作品になったと思う。こういうのも、一種のめぐりあわせだろう。

09/10
豊橋駅まで義父母を送っていく。帰りにリサイクルショップに寄る。700円でベストを買う。いつもいく福増屋という店で昼食。この店にはよく行くのだが、寿司とうどんをセットで食べないといけないという変な店で、食べきるのに苦労していた。それでいままでまったく気づかなかったのだが、うどんの替え玉はおかわりしていいと書いてある。次男が2回おかわりしたのには驚いた。夕方、次男と嫁さんが帰っていった。ようやく妻と二人きりになった。明日は三宿に帰る。三ヶ日に来るといつも仕事がはかどる。朝型で仕事をするので、夜中のテレビを見ないせいだ。三宿でも朝型にすればいいのだが、そういうわけにもいかない。

09/11
天気が好いので飯田まで山の中のドライブ。10時に出て三宿に着いたのは午後6時。運転はすべて妻だが、乗っているだけで疲れた。本日から夜型に切り替える。

09/12
急に涼しくなった。床屋に行く。しとしとと雨が降っているので、床屋への往復のほかは、散歩は休み。「ダ・ヴィンチの謎」はフィボナッチの数列の話を書いている。黄金比の級数を説明するためには数式が必要で、ワープロの数式を書くソフトが活躍する。「ツルカメ算」で活用したので慣れている。これはとても便利なものだ。

09/13
東京駅まで妻に送ってもらう。集英社、中日新聞、博報堂の各担当者と待ち合わせ。新幹線で名古屋、名鉄で知立へ。愛知県立知立東高校で講演。集英社と地方新聞社の共催による高校講演会は恒例のものだが、しばらくやっていなかったので久しぶり。今年は集英社から2冊文庫本を出したので、若い担当者と旅に出ることにした。考えてみると5年ぶりくらいだ。講演のカンが戻るかと思ったが、演壇に立つと自動的に言葉が出てくる。プログラミングされたロボットみたいなものだ。終わってから図書室関係の生徒たちと懇談。それから9人乗りのタクシー(初めての体験)で四日市へ。四日市は次男がいるので、どんな街かと前に来たことがあるが、滞在するのは初めて。というか、作家になる前にホンダの販売店向け機関誌の編集長をしていた頃、何度も通った街であるが(ホンダの工場や鈴鹿サーキットがある)、30年も前のことだ。伊勢エビ料理の料亭で夕食。なかなかいい店であった。庭をかわいいイタチがよぎったが天然のものか、店のサービスか。

09/14
鈴鹿サーキット内のホテルで目覚める。昨日はすぐに寝たので、早朝の目が覚める。朝食のあと、2時間ほど仕事ができた。3階建ての3階にある部屋は、ロフト状の空間があってそこにベッドがある。だから下の部屋は応接セットだけで、スイートみたいな感じの部屋だ。そこで持参した「謎の空海」草稿の冒頭部を読み返す。どうなっているか心配だったが、いい文章だ。文体が確立されているのを確認したので、安心した。本日はサーキットのすぐ近くの三重県立稲生高校。体育科もある学校なので、文学の話などして大丈夫かと思ったが、途中から生徒たちが興味をもって聞いてくれていることがわかった。そこまでもっていくのにやや早口にしゃべったので疲れた。ヒツマブシを食べたあと近鉄で名古屋へ。考えてみると東海道新幹線で東京へ帰るのは久しぶりだ。この一泊二日の旅行は充実していた。若い人たち3人と、4人組の旅だったので、楽しかった。さて、日常が戻ってくる。明日は午前中に会議のある長い一日になる。

09/15
ジャスラックで協議会。この協議会の名称がまだ決まっていなかった。名前を決めるのに時間がかかった。わたしは「議長」なのでけっこう疲れた。ジャスラックからはいつも歩いて自宅に戻る。30分ほどかかる。少し休んで、今度は文藝家協会の理事会。こちらも報告しなければならないことが多く、疲れた。講演旅行よりも、今日の方が疲れた。明日も仕事がある。ハードな一週間だ。

09/16
土曜日。都労協にて文芸作品の選考。もう8年もこの選考をやっている。大学一年のクラスメートの直木賞作家、笹倉明と年に一度、会う機会でもある。笹倉明は不思議な人物でどこにいるかわからない。少し前までは伊豆で寿司職人の修行をやっていたと思ったら、いまはタイにいるという。それでも年に一度、会えるのがこの機会である。都の労働組合の文芸愛好家の作品を選考する。芥川賞の候補にもなったことのある作家、河林満氏の司会。今回は作品のレベルが高かった。諸般の事情で今回が最終回になるかもしれないので、初めてのことだが、二作同時受賞ということにした。打ち上げの飲み会。これも諸般の事情からか本部が市ヶ谷から落ち合いに引っ越したばかり。慣れない土地だが、なかなかよいうどん屋があった。うどん屋だが夜は飲み屋になっているし、仕上げのうどんがうまい。笹倉、河林とは長い付き合いだ。元気で生きているのが嬉しい。小説家はフリーターだから、明日をも知れない身である。とりあえず会って杯を傾けるだけで、生きていてよかったという気になる。

09/17
日曜日。「謎の空海」の草稿をチェックしている。半分以上進んだ。いい感じの文章になっている。

09/18
月曜日だが祝日らしい。何の祝日だ? 敬老の日とのことだが、老人夫婦の二人暮らしだと誰も敬ってくれない。新聞の原稿一本仕上げる。著作権問題がテーマなので少し緊張して書いた。あとは「謎の空海」の最終チェック。ゴール寸前。明日にはチェックは終わるが、かなり直しがあるので入力が大変だ。

09/19
教育NPOとの定期協議。何だか急に暑い。台風のせいか。「謎の空海」まだ完了せず。毎月連載の締切が迫っているので、こちらが先か。

09/20
編集者と自宅で打ち合わせ。やりかけの仕事、やらねばならぬ仕事がいくつかあって、どれから手をつけていいか混乱する。とりあえず「謎の空海」はプリントのチェックが終わり、あとは入力だけ。これが手がかかる。本日は「文蔵」の連載に取りかからないといけない。わずか10枚のこの連載がけっこう疲れる。あとはチェックの入力作業を急ぎたい。

09/21
本日は何事もなし。「文蔵」の連載をメールで送る。この文庫版の雑誌には「著者のページ」というのがあるのだが、今月は何もないので、明日の記者会見のことなどを載せようと思う。

09/22
霞ヶ関ビルまで妻に送ってもらう。著作権問題について考える創作者団体協議会の総会。引き続き記者会見。著作権の保護期間の延長を訴える声明。わたしが「議長」なので記者たちに説明をする。他の団体の方々にもご発言をお願いする。その後、記者の質問に答える。想定内の質問だけだったので対応に苦慮することはなかった。それから文部科学省に声明文を届けに行く。これですべての作業が終わった。自分の体さえもっていけばいいだけの作業だが、関係者が多いので移動が大変であった。夜中は「謎の空海」の入力作業。ほぼ完了。必要な図表、系図なども揃える。これですべての作業が終わったわけだが、何か思いつくかもしれないので、しばらくは寝かせておく。明日からは次の作業に移らないといけない。

09/23
土曜日。本日は何もない。三宿神社でお祭り。夕方、妻と出かける。この地に住んで20年。このお祭りもなじみのものになった。長男が中学生の時、妻はPTAで見回りをした。そんなことも遠い思い出だ。三軒茶屋まで出て生ビール2杯飲んで帰る。のんびりとした休日であるが、別当の書庫に入って、名作の冒頭部分だけをセレクトした本の資料を集める。といっても文学全集の必要な部分を抜き出してくるだけだが。わたしの自宅には別棟当の書庫と地下の物置と、いまはいなくなった息子たちの部屋と、3箇所に本が分散しているので、本を探すのはけっこう大変だ。それだけで疲れた。

09/24
日曜日。「謎の空海」の原稿をプリントする。いつも思うことだが、本を書き始めた時は、いつかゴールにたどりつけるのかと、手探りで少しずつ進んでいくのだが、気がつくとゴールが目前に迫っている。この本は7月の末から書き始めて、いま最終稿をプリントしているので、2カ月ほどかかったのだが、この間、恐怖のスペインの孫との1ヶ月があったので、まあ、よくがんばった方だ。すでに「ダ・ヴィンチの謎」の出だしも書いている。この本は8版が出ている小説「空海」の解説みたいな本だが、むしろこの本を先に読んでもらって、小説の方に進んでもらいたい。そういうわけだから、この本の方がたくさん売れてもらわないと困る。空海入門といった趣の作品で、この本1冊読めば、空海とは何かがすべてわかる。すべてわかってしまうと小説に進んでもらえないので、解説書として説明できることはすべて説明したが、ここから先は小説を読んでもらいたい。小説というのは論理を超越したすごいものだ。というようなことも書いてある。本日は別棟の書庫に入って、必要な本を探した。「近代文学アンソロジー」のたるめの資料だ。客間にしている部屋に昭和文学全集(わたしの作品も入っている)一揃いが置いてある。昭和といっても、大正時代から活躍している作家の作品も入っているから、これに加えて、明治の作家を数人セレクトすればいいのだ。作業として、作品の出だしの部分のコピーをとって、短い解説を書くのと、全体のコンセプトを少し長く書く。ということだが、担当者はこれから企画会議にかけるのだろうから、原稿を書くのは会議を通ってからにして、とりあえずコピーだけとっておけばいいだろう。けっこうめんどくさい作業なので、コピーをとるのは明日以降、ひまを見てやる。もう一つ、某有名作家の伝記という作業がある。インタビューをしないといけないのだが、何を質問するかを考えないといけない。ということはどんな伝記を書くかを考えないといけないので、それは実際に書いてみるしかない。ラフな原稿を書いて、質問しないとわからないところを空白にしておき、あとで埋めていけばいい。ということはすぐにラフ原稿を書かないといけない。この三つ(「ダ・ヴィンチの謎」「近代文学アンソロジー」「某有名作家伝記」)をどういう順番でやっていくかが問題だ。いま書きたいのは「ダ・ヴィンチ」だが、これは少し時間をかけて書きたいという思いもある。「近代文学」は、早く片付けてしまいたいという思いがある。「某有名作家」は相手の都合があるので、準備だけはしておかないといけない。ということで、わたしはとても忙しい。しかし来週は何と、休みが一日もない。日に2件の公用という日も2日ある。飲み会もあるので夜中に仕事ができないおそれもある。飲まないようにすればいいのだが、それが難しい。まあ、楽しく生きるのが人生だから、流れに任せるだけだ。

09/25
早稲田速記医療福祉専門学校で講演。ここは昔は速記を教えていた学校だが、いまは医療福祉関係の資格を取るために勉強している学生が多い。つまり文学にはそれほど興味のない聴衆が相手だが、先日、高校講演会をやったばかりなので、同じ乗りで話をした。その後、関係者と高田馬場で飲む。

09/26
書協で午前中の会議。日本点字図書館の会議まで時間があるので、久しぶりに大学へ行く。7月の前半の前期最終講義の日から、大学には行っていない。授業があっても研究室にはめったに行かないので、いつ以来か忘れた。ちゃんと研究室はあった。ここで仕事をするとはかどる(テレビがないせいだと思う)。今日は「日蓮」の資料をもってきた。熟読。教員室に行くと教室変更のお知らせが入っていた。うわっ、36号館だ。研究室と同じ棟だが、この棟の教室はカギがないとマイクが使えないので、教員室まで行かないといけない。去年はマイクなしでやったが、声が疲れる。体調に応じて対応することになるだろう。初日はマイクでやってみるか。日本点字図書館は高田馬場にある。昨日の早稲田速記も高田馬場だ。明後日も高田馬場で仕事がある。本間賞の選考。今回で3回目なので、賞の性格がはっきりわかるような選考をすべきだと考えていたが、そのような方向で選考が進んだと思う。帰りは豪雨。いつものことだが、午前中に会議があると一日が長い。

09/27
今日は休みのはずだったが、世田谷区の懇話会に出席。下北沢タウンホールの上の建物。散歩コースだし、出席者の面白い話が聞けたのでよかった。

09/28
今日も長い一日。午前10時半に第1議員会館ロビーに集合。アポのとれた議員に請願の書類を配る。議員は不在だが秘書の方に挨拶して短い説明をする。漫画家の松本さん、作曲家の川口さんが同行。第2、参議院と回って、歩くだけで疲れた。昼食後に散会。他のジャンルの芸術家と接する機会ができてよかった。真夏のように暑い日。一度自宅に戻り、仕事を少ししてから、夕方、高田馬場へ。岳真也氏と対談。懇意な人なので雑談みたいだが、録音をとって、これをもとに本を一冊作る企画。これも旧知の若月祐二さんが構成してくれるので、こちらはしゃべるだけでいい。結局、ただの飲み会みたいな感じだった。

09/29
自宅にて新聞の取材。著作権保護期間延長の問題。夜は遠藤周作さんをしのぶ会。50人くらいのささやかな会だと思っていたら、芥川賞よりも賑わっていた。知人を見つけるのに苦労した。一度見かけた人ともう一度めぐりあうことも難しい。まあ、何人かと出会えたのでよかった。新潮新書の担当者と会えた。「ツルカメ算」3版が決まったばかりで、ほっとする。「空海」の前に出した「桓武天皇」も3版が出た。これは「空海」のおかげ。某書店では、「空海」を読むためにはまず「桓武天皇」を読め、というポップが出ているらしい。あまり飲まずに自宅に戻れたので、「ダ・ヴィンチ」を進める。この本はものすごく面白い本になりそうだ。と自分で思っている時は、限られた読者だけの本になりがちなので、気をつけないといけない。

09/30
今月も月末になった。長い夏がようやく終わろうとしている。大学の先生をしていると、授業があるシーズンと、休暇中は、気持ちの上で雲泥の差がある。大学の休暇は長い。7月の半ばから、9月の末まで、自分が大学の先生であることをすっかり忘れている。もちろん本物の先生(研究者)は休暇中も大学に出向いて、研究を続けるのだろうが、わたしは小説家だから、大学のことは忘れてしまう。
今年の夏は、スペインの孫たちが来たので、これは大イベントであった。楽しいとか、忙しいとか、そういうものを超越して、孫がいると生活がまったく変わってしまう。孫がいたのは1ヶ月くらいだが、いまだに後遺症のようなものがある。ということで、月が変わるので気持ちをきりかえたい。
夏休みは、たまっていた仕事をすべて片付けることを目標としていた。並行して準備を進めてきた「日蓮」の執筆を始めるためだ。しかしまだ3つほど仕事が残ってしまった。「ダ・ヴィンチの謎」と某有名作家の伝記、および近代文学アンソロジー。先日の岳真也氏との対談も入れると仕事が四つある。しかし「ダ・ヴィンチの謎」は出だしの部分は書けているし、頭の中では構想ができている。毎日一定のペースで書けばゴールに到着できる。その他の仕事は、準備やまとめなど編集者の協力で進んでいけばいいので、これも時間さえあれば作業が進んでいく。すべて年内に終わることは間違いないので、並行して「日蓮」について考えていきたい。ということで、このノートはここで終わって、新しいタイトルのノートにする。ところで本日は土曜日。妻と散歩に出かけた。新橋から銀座にかけて、かなりの距離を歩いた。まだキリッとした風が吹いていない。夏のなごりのような空気だ。しかし確実に夏は終わろうとしている。来週からは大学も始まる。
長男はわたしと妻のために、ブログを書いている。嫁さんの両親の金婚式に山の上の修道院に行った話とか、孫たちの様子なども伝わってくる。彼らの日常生活はすでに始まっている。わたしも気持ちを切り替えて仕事に集中したい。


次のノート(10月)に進む。 8月へ戻る

ホームページに戻る