「カラマーゾフ」創作ノート17

2014年5月

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05/01/木
5月になった。まだ連休。散歩に出ないと体がもたないので、妻を誘って東白髭公園に行く。先月行った東向島の次の駅の鐘ヶ淵駅から歩く。鯉のぼりがたくさん吊してある風景が新聞に出ていた。行ってみると風がないので、みな、だらんと垂れていた。そういえばスペインの長男のところに鯉のぼりを送った。長男のところは3人娘だったのだが、昨年、男児が生まれた。それで鯉のぼりを送ったのだ。ベランダ用のミニサイズだが、それでも真鯉は2メートルある。吹き流しには孫の名前が入っている。先日、写真を送ってきた。長男はスペインでは珍しい一戸建ての住宅に住んでいるので、ベランダで鯉がひるがえっているさまはなかなかの眺めだ。わたしは一戸建ての家に住んでいたのだが、鯉のぼりは立てなかった。めんどうだったからだし、敷地が狭いから、見映えもよくないだろうと思っていた。スペインは土地が広いので息子は大邸宅に住んでいる。2メートルの鯉がひるがえってもゆとりがある。さて、『新釈カラマーゾフ』は着々と前進している。全体はどうやら6日間とエピローグという構成になりそうだ。それでメモは5日の深夜、入力はその少し手前、プリントのチェックはまだ2日目だが、悪霊祓いのシーンまで来た。すべてがうまくいっている。問題は何もない。まだ書くことを楽しめる状態で進んでいる。とくに締切もない。ただ少しずつプレッシャーを感じ始めた。ここまで出来ているので何とか完成させたいという、欲のようなものが出てきた。まあ、仕方がない。自分のライフワークが一つできたかなという気がしている。これまで書いた3冊を併せて、4部作で一つの作品だと考えたい。すると5000枚以上の大作になるから、分量だけでも自分にとって最大の作品だ。中身も充実している。作家としての仕事の集大成だと言える。あまりそのことを考えすぎると燃え尽きてしまうので、いまは考えないようにしている。これが終わってもまだ書かなければならないものがいくらでもある。『親鸞』は同じ版元で出す。それから歴史小説として、『額田女王』をやりたい。他にもプランはいろいろある。だが、大審問官の章のようなものは、もう書けないだろう。するとここにわたしの人生のピークがあって、あとは下り坂なのかという寂しさがあるが、そんな先のことを考えても仕方がない。とにかくいまはピークにいる。このままゴールまで全速力で駆け抜けたい。ところでいまは大学が休みで、6連休の3日目だ。まだ週末がある。自宅にいると入力を優先するので、メモが進んでいない。それに集英社新書『釈迦とイエス/真理は一つ』の再校ゲラが来ているので、これを仕上げなければならない。本日、2章まで読む。いい感じだ。問題は何もない。連休中には終わるだろう。来週の金曜日に歴史時代小説作家クラブ賞の選考会がある。亡くなった秋山駿さんのあとを継いで選考委員長を務めることになった。候補作に目を通しておきたいが、委員長は少し引いた位置にいたいと思う。会議の議長のようなもので、委員の意見が真っ二つに分かれた時だけ、裁定を下すというスタンスで、委員の意見をまず尊重するということにしたい。従って、委員の意見が多数を占めれば自分の意見を控えておこうと思っている。その翌日の土曜日は三島で講演がある。べつに準備はしていない。頭の中で段取りは考えてあるので、あとはその場のパフォーマンスで乗り切りたい。毎週月曜の大学での寄付講座も、講演会みたいなものだが、これは一回きりのパフォーマンスだと考えて、それほどの準備はしていない。準備をしすぎるとおもしろくない。自分でもどうなるかわからないから、講演というのは愉しいのだ。

05/02/金
6連休も後半になった。世の中は明日から4連休らしいが、M大学の暦は世の中とズレている。5月5日から大学が始まってしまう。本日はどこにも行かずに仕事。だが、生ビールを飲みたくなったので、妻を誘って近所の焼き肉屋へ。転居して1年になるのだが、住んでいる住居の建物、および傘をささずに行ける隣のビル、さらにその先の駅前ビルにも、飲食店が入っているので、そのあたりを回っていれば、外食は可能なのだが、周囲の街に一歩出れば、神田から淡路町、小川町、神保町にかけて、飲食店はいくらでもある。三宿に住んでいたころは、三宿と池尻を中心に、三軒茶屋から下北沢までが歩いていけるゾーンだったので、長い年月をかけておよそのテリトリーができていた。しかし転居して1年のこのあたりはまだ未知のゾーンだ。で、初めての焼き肉屋。老人なので肉をがつがつ食べるという感じではないのだが、まあ、たまには焼き肉もいい。ネットでいちおう調べて行ったのだが、なかなかいい店だった。さて、仕事はいよいよ大審問官の場面の入力。きっちりメモがあると思い込んでいたのだが、ノートを調べるとかなり断片的なメモでしかない。大学の入学式の直後で、超多忙な時期で、往復の電車の中で書いたメモは概略しか書いてなかったりする。これは入力作業が大変だ。それでもキーワードがメモってあるので大幅な進路変更はない。宝の山にたどりつくチャートのようなもので、方向性さえ見えていれば安心して進んでいくことができる。ただし手間はかかる。何だか突然、別のゲラが届いた。これって一昨年書いた原稿ではないのかな。大学の先生方との共著なのだが、完全に忘れていた。あの本、まだ出ていなかったの? といった感じ。1日のうちデスクに向かっている時間が長いので、いろいろと体にガタが来た。大学に行ったり、役所に行ったり、講演にいったり、時に負担に感じる仕事なのだが、いろんなところに行って体を動かすことが健康を支えているのだし、授業や講演で立ったまましゃべることが腰の負担を軽減しているのだ。だからこの多忙な状態で仕事もがんばるしかないのだ。

05/03/土
週末になった。世の中は連休の始まりだが、わたしは月曜から授業があるので、ただの週末だ。それでも週末が休みだというのは、わたしにとってはありがたいことだ。大審問官の章を入力している。いまはまだ原典をなぞっているだけだが、そのあとに原典にはないメモがある。ここでドストエフスキーの思想を凌駕するような新たな哲学が展開されることになる。それが続篇を書くことの意義なのであって、わたしはそのために4部作を書き続けてきたのだ。すでにメモはできている。入力しながらその成果を確認するだけだ。

05/04/日
日曜日。わたしの6連休は最終日だ。ゲラは本日郵送。入力作業を進める。大審問官の章に入っている。緊張のピークに達している。パソコンのキーを打ち続けていると体が固まってくる。足と腰に負担がかかる。明日から大学で足腰は元に戻るだろうが、基礎体力が落ちている気がする。そこでやや大目に散歩した。後楽園まで往復。昨日も水道橋まで往復したのだが、本日は後楽園の商業施設まで足を伸ばした。それから水道橋に戻って三崎神社を遙拝する。いまから40年ほど前、水道橋の広告会社に勤務していた。三崎神社の赤い鳥居はおりにふれて目にしていたのだが、参拝したことはなかった。多忙だったのだ。長男と次男をかかえ、PR誌の編集長の仕事も激務だったが、フリーライターになれるかなと思ってアルバイトで週刊誌のアンカーもやっていた。それから小説も書いていた。のちに専業の作家になった時、あのころが人生で一番忙しかったな、と考えたものだ。しかし当時と比べても、いまの方が多忙だ。人生のピークが65歳に来のはいささかつらいが、多忙だから体がもっているのかもしれない。自転車操業だ。立ち止まるとバタンと倒れてしまいそうだ。

05/05/月
久しぶりの大学。朝1限の授業があるので前夜は早めに寝た。ベッドの中で揺れを感じた。大したことはないと思ってそのまま寝ていた。起きてニュースを見ると千代田区は震度5弱とのこと。この新居に移ってから初めての大きな地震だが、落下したものもないし、エレベータもちゃんと動いていた。いつものように中央線快速に乗ると、四谷でも新宿でも、駅のエレベータが動かないという車内放送があった。それで、うちのエレベータはよく動いたと思った。まあ、新しいマンションだから対策は立ててあるのだろう。下層のオフィス階と上層の住居層の間に、外からもはっきり見える巨大なダンパーがついているので、揺れを吸収したのではないかと思う。6連休のあとの大学なので、1限は声の調子が出なかったが、2限になると調子が出た。2限は寄付講座で社会人の受講者なので、ペストの声が出たよかった。本日は学科会は休みなので、2限が終わると帰っていい。そうは言っても学生のレポートを見なければならないのでしばらく研究室で作業をしてから自宅に戻る。少し仕事をしていたら、妻の甥が来た。野辺山の電波天文台で研究員をやっていたのだが、明日からチリに行くという。いつ帰って来られるかわからないという仕事らしい。近くの中華料理屋でご馳走する。まあ、わたしのところも長男はスペイン、次男は鶴岡にいる。子どもというのはつかのまのお客さんのようなもので、自由に旅立っていくものだ。

05/06/火
大学1限を終えて研究室に戻らずに帰宅。ひたすら仕事。火曜は1限しかないので、1日が長く感じられる。プリントチェックがかなり進んだ。入力は大審問官の話を終えてアリョーシャが悪魔の三つの問いについて語っている。ここが一つの山場だ。

05/07/水
本日は学部長会議だけ。帰りに吉祥寺行きのバスが来たので吉祥寺のヨドバシカメラでマウスを買う。かなり前に使っていた無線マウスが反応しなくなった。有線の古いマウスをつないでしのいでいたのだがやはり不便なので、買うことにした。いまガラスのテーブルで仕事をしているので、ブルーレイザーにしたのだが、やってみると、ガラス面そのものがすべりがよくないので、マウスパッドはやっぱり必要かなという気がする。とにかく無線は快適だし、余分のボタンが2つ付いている。デフォルトではネットのブラウザの矢印の操作ができるようになっているのだが、ウェブでは新しいウィンドを開いて見ることが多いので矢印はあまり使わない。機能を変更できるで、ページアップとページダウンにすると、ワープロで原稿を読むのが楽になった。昔、東芝のノートパソコンを使っていた時、パッドの上下に2つずつボタンがあって、そのうちの2つをページアップとダウンにしていたことを思い出した。ちなみにいまのノートパソコンはパッドの部分が敏感すぎて誤作動するので、感度をゼロにして使用していない。それでマウスを使うようにしている。

05/08/木
ゼミ3コマ。けっこう疲れて帰る。大審問官のシーンの入力が進んでいる。メモはイワンがしゃべれるようになるシーン。どちらも作品の最大の山場だ。

05/09/金
大学は休みだが歴史時代小説作家クラブの文学賞選考会。秋山駿さんの後継として今年から審査委員長をつとめることになった。いちおう作品に目を通して審査に臨む。が、委員長なので、発言は控えめにした。審議が均衡した場合に発言しようと思っていたのだが、意外にも新人賞も作品賞も、あっさり決まってしまった。終わってから軽く飲んで帰る。疲れたので早めに寝る。

05/10/土
休みだが三島で講演。日大の三島校舎。表現学会という組織の学会。1時間の講演なので駆け足で表現について語る。というか、表現不能の問題をいかに表現するかということを語った。二十歳くらいのころからずっと考えているテーマなので、コンパクトにうまく語ることができた。三島の日大は駅前にある。便利なところで、富士山も見える。新幹線に乗ると1時間。わたしの自宅は御茶ノ水なので、1時間10分くらいで自宅に戻っている。三鷹のM大学とほとんど同じ時間だ。新幹線の中でメモが進んで。重要な部分がほとんど書けた気がする。

05/11/日
本日は休み。ひたすら自分の仕事。昼間は入力作業。夜はメモを進める。昨日の新幹線の中のメモで、重要な部分はすべて終わった。6日間の物語のうちの、明け方まで続く山場の第5日が終わった。第6日はエンディングに向かうエピローグという感じになるので少しテンポを速めたい。ということでいよいよゴールが見えてきた感じがする。マラソンでいえば40キロのところまで来ているのだが、ここからの2キロほどが、長く感じられる、というようなことか。今週は日曜が休みで嬉しいが、それ以外は休みがなくハードだった。来週はもっとハードになる。何とか乗り切りたい。

05/12/月
1限、2限、集中力の必要の講義が続く。本来は1限だけなのだが、今シーズンの前期だけ寄付講座というのがあって、一般市民相手の講座がある。学生ではないので、それなりの配慮が必要だが、1限で話した勢いで乗り切っている。昼休み、3限、4限と休みのはずなのだが、何やかやと雑用が続く。企画課から電話がかかってきて緊急の仕事を頼まれ、担当の先生に助力を求めたり、あわただしくすごすうちに、5限の学科会が始まる。その間も中座して企画課と対応したり、いろいろとたいへんだったが、とにかく一日が終わった。やれやれ。月曜は疲れるなあ。それでも自宅に帰って少し仕事。

05/13/火
1限だけのはずが、何やかやと雑用。自宅に帰ったのは夕方。早朝に起きているので眠いのだが、それでも夜中の2時まで仕事。明日からは楽になる。

05/14/水
本日は大学は休み。羽田プロジェクトという大昔の羽田闘争に関する会議があって蒲田まで出かけていく。ここには詩人の佐々木幹郎さん、元代議士の辻恵さんなど、クセのある人が参加している。高校の仲間なので、会議が終わると飲み会になる。昔のことが話題になる。やれやれ。かなり飲んだが、夜中はちゃんと自分の仕事をした。いよいよ6日目が動き出した。ここから先は自分でもどうなるかわからない。ドストエフスキーの霊が降りてきて何とかしてくれるはずだ。

05/15/木
文藝家協会総会。毎年、自分にとって一番長い日、と思っていた。挨拶しなければならない人が多く、とても疲れていたのだが、今日はそれほど疲れなかった。最近、とくに多忙な日々が続いているので、文藝家協会の仕事ではそれほど疲れを感じることはない。ということは全体として、疲労が蓄積しているということではないか。昨日から腰を傷めている。これはこのところ入力作業とプリントのチェックが続いて、机に向かう時間が多いせいで腰に負担がかかったのだろう。歩いていれば痛くはないので、歩くことで治療したいと思う。

05/16/金
本日は公式行事なし。つまり休み。腰がまだ痛いので妻と散歩に出かける。北の丸の科学館でバーゲンセールをやっている。夏の上着とポロシャツなどを買う。鞄も衝動買いしてしまった。去年までは大邸宅に住んでいたので、何を買っても置くところに困らなかったが、いまのマンションは手狭で、何か買うと置くところを考えないといけない。腰が痛いとデスクワークがつらいので、最も負担の少ない姿勢になるソファーでメモをとる。メモがかなり進んだ。以前にも書いたが、次男の嫁さんはパソコンショップでアルバイトをしていたことがあって、ネット関係に強い。落とし物販売のフェアで500円のアイポッドをゲットして、わたしの妻にラインをダウンロードしてセットしてくれたので、妻は二人の息子たちとラインを愉しんでいる。スペインの長男と電話で話すこともできるし、画像や動画が送られてくる。それで長男から、長男の次女のチェロの演奏が送られてきた。「おじいちゃのために」というコメントがついている。動画を見ると、シューマンの「二人の擲弾兵」だった。わたしの好きな曲だ。これは歌曲で、長男がまだわたしの命令を聞いてくれる小学校上級生のころに、長男にピアノを弾かせてよく歌った。そのことを長男が憶えていたのだろう。チェロの練習曲の中にあったこの曲を、わたしのために次女に演奏させて送ってくれたのだろう。見事な演奏だった。そのことにも驚いたが、この曲には懐かしさがあった。長男がまだわたしの歌の伴奏をしてくれていたころのことが思い出された。そういえばいま書いているカラマーゾフの続篇に、この曲が出てくるのだ。擲弾すなわち手榴弾によって皇帝を暗殺しようとする若者たちが登場する。密かに作った手榴弾を手に、このシューマンの曲のことを思う。そんなシーンを何ヶ月か前に書いた気がする。偶然だが、まさか孫娘がこの曲を演奏するとは思わなかった。彼女は今年コミュニオンというカトリックの儀式をするので、そのためのドレスを着た画像が数日前に送られてきた。これも妻のアイポッドで見たのだが、もうすっかり大人びた姿になっていた。

05/17/土
久しぶりにコーラスの練習をやるというので八王子に。練習場所が横浜線の片倉なのでJRで行く。八王子は遠い。メモが進んだ。長く座席に座って電車に揺られていると立ち上がった時に腰が悪化した気がした。帰りは高尾から。快速がなくなっていたので、御茶ノ水までずいぶん時間がかかった。1時間以上だろう。その間、ひたすらメモを書いていた。立ち上がった時にまた腰が悪化。立って歩いていると回復するのだが、電車で座るのがよくないようだ。

05/18/日
東武博物館での講演。先月に続いて2回目。電車はずっと立っていた。講演も立っていて、帰りも立っていた。これで腰は回復したが全体としては疲れた感じがする。

05/19/月
大学。1限はキリスト教について。2限は奈良の大仏について。考えてみたら正反対のテーマだ。昼休みと3限、4限は休みだが人の出入りがあり学生のレポートを見ていたら時間がつぶれて、自分の仕事をするひまがなかった。教授会、大学院の会、学科会のあと、新任の先生の歓迎会。いつもは吉祥寺のホテルの中華料理と決まっているのだが、新任の先生が中国の方なので、東急百貨店に入っている和食にした。和食の方が胃にやさしいし、日本酒がよかった。和やかな宴会になった。先週の水曜日から腰を傷めていて、昨日あたりが最悪の状態だった。本日も最悪の状態で、講義をしている時は立っているので痛みを忘れているのだが、座っているとつらい。しかし和食屋の木製の椅子のホールド感がよくて、ここで立ち上がった時、痛みが引いていた。

05/20/火
大学。1限のあと、能楽資料センターの会議。前年度はここの所長もつとめていたのだが、今シーズンは所長ではなくなったので、楽になった。催し物に一回出演するだけでよさそうだ。腰、まだ痛い。座るのがつらいので入力作業が進まない。メモは電車の中なで書いているので前進している。

05/21/水
休みのはずだが創立記念日。去年は休みだったのだが今年は朝から儀式があり、昼は宴会。まあ、学院長と話ができてよかったし、文学部の先生方と昼間から酒を飲むのも悪くない。腰、少し回復しつつある。

05/22/木
4限は3年ゼミ。「蛇にピアス」の感想を学生に語らせる。だいだい思ったような反応。5限は4年ゼミ。就活に忙しい時期だが意外に人数が集まった。6限の大学院はは前回休んだ補講を兼ねて、飲み会とする。院の1年生たちと親しくなれた。

05/23/金
腰の調子は少し前向き。明日、マッサージに行く。あまり痛いとマッサージするのも危ない気がするのだが、これくらい回復していればマッサージでさらによくなるのではないかと思う。午後、ロビーで読売新聞の取材。それから文藝家協会へ。出版社との協議会。前途多難だが最善を尽くして対応を考えないといけない。夜中、入力作業を少し進める。

05/24/土
今週は週末が完全に休みだ。本日はマッサージの予定が入っているだけ。ふだんは疲れを取るためのマッサージなのだが、いまは腰を傷めているので干天の慈雨のごときものだ。昨日くらいから少し回復の兆しが見えている。ちょうどよかった。痛みのピークだとマッサージの台の上に乗るのも苦しかっただろう。いまは椅子から立ち上がった時に腰が固まった感じになるだけで、寝ているだけなら痛みはない。ということで台の上で、腰や背中を揉んでもらった。相手はプロ野球の選手なども治療する専門家なので、2時間の治療のあとは、スッと痛みが消えていた。歩くだけならまったく正常というくらいになった。自宅に帰って入力作業をすると、やはり少し腰が固まった感じになるのだけれども、激痛というほどではないし、少し部屋の中を歩き回れば痛みはなくなる。かなり回復した感じだ。このままあまり無理をしなければ、すぐに治るのではと思うのだが、仕事をしないわけにはいかないので、無理をしてしまった。明け方4時まで入力作業を続けた。10章の終わり、失語症だったイワンがついに言葉を発するシーン、この作品でも最大の山場に入力をほぼ終えた。日付を見ると5月8日にメモを書いた部分だ。まだ半月ほどのタイムラグがある。メモはまだノート2冊ぶん残っている。いま入力を終えたところで、10章がほぼ終わり。1章が約40ページ、つまり10章の終わりで400ページになった。1ページを原稿用紙3枚とすると、1200枚ということになる。残りは2章くらいだろうと見積もっている。全体は1600枚か、それより少ないだろう。「新釈悪霊」よりはずっと小さな作品になる。しかしその内容はずっしりと重いはずだ。大審問官のシーンがあるし、このイワンの声が出るシーン、それにエンディング近くの皇帝暗殺のシーンも盛り上がるだろう。しかし前半のザミョートフとコーリャの対話も面白いし、悪魔のような医者も憎めないキャラクターだ。全体として見所のたくさんある作品になったと思っている。ここからの2章はエンディングに向かい、テンポを速めていくところだが、きっちり着地しないといけないので、詰め将棋のような作業になる。ここが苦しいところだが、まあ、愉しみながらゴールを目指したい。

05/25/日
日曜日は休み。腰の調子がいいので入力作業を進める。しかし運動はしないといけないので、妻と散歩。小石川後楽園に行ってみる。われわれの部屋から後楽園ドームが眼下に見えているので、すぐ近くだろうとは思うのだが、ネットで調べると入口は飯田橋寄りのようなの総武線で飯田橋まで。魔の五叉路を横断する歩道橋を渡るだけで疲れた。池をぐるっと一周。時々風が吹くのだが、何だか蒸し暑く、あまり快適ではなかった。水道橋寄りの門はやはり閉鎖されていたが、庭園の脇に遊歩道があってここは快適だった。ドームまで来たので成城石井で買い物をして帰る。帰りは荷物があったので丸ノ内線に乗る。いい散歩になった。歩いているとどんどん腰が改善される気がするのだが、椅子に座って仕事をすると悪化する。難しいところだ。

05/26/月
大学。1限と2限は立ちっぱなしでひたすら語り続ける。疲れるが腰のことは忘れている。研究室に戻って椅子に座って学生のレポートなどを読んでいるとしだいに腰が重くなっていく。それでも久々にプリントを読む作業をした。自宅に戻ってもプリントを読む作業を進める。これがいちばん遅れている。帰りの電車で女3人の会話。セリフの部分だけをメモ。いい感じで進めそうだ。ここだけが何もプランがなかったが、西荻窪(そこで席に座れた)から御茶ノ水までの間で、かなり前進した。このところ電車の中だけでメモが進んでいる。

05/27/火
大学。1限のあと、大学院の構想発表会。それから自宅に戻り、休憩したあとまた大学。今度は有明キャンパス。お台場の観覧車が自宅から見えているのだが、行くのに1時間かかる。どうやっても2回乗り換えになる。行きは中央線、京葉線、りんかい線、帰りは、ゆりかもめ、有楽町線、千代田線。日比谷での乗り換えがめんどうだ。有楽町線から出たところに都営三田線の改札があるのだが、これだと神保町でまた乗り換えになる。神保町で下りて歩いてもいいのだが。有明キャンパスに行く時はいつも悩む。本日から妻がいない。短期間、実家に戻った。本日は冷蔵庫の中のものを食べる。

05/28/水
本日は大学は休み。夕方、日本点字図書館に出かける。いつもは地下鉄で行くのだが、JRの御茶ノ水駅で来月に大阪でやるシンポジウムのための新幹線の切符を買ったので、そのまま総武線に乗った。飯田橋で地下鉄東西線に乗り換えるつもりだったのだが、端の席に座れたのでノートを出してメモをとる。女たちが語り合っている。ここで女たちが語るということは以前から考えていた。ここまで思想的な論争が多く、女たちの出番が少なかった。だから最後に女たちに語らせなければならないとは思っていたのだが、女たちが語る内容については何も考えていなかった。そこでプランが空白になっていて、実はそこのところが一番の心配だった。ところがメモを取り始めると、いくらでも書ける。女たちがひとりでにしゃべっている。長篇を書いているとよくこういう状態になる。何も考えていなくても、登場人物が勝手にしゃべりだす。昨夜、プリントのチェックをしていると、まったく忘れていたドミトリーのセリフがあった。それはグリューシェニカに関するもので、いいセリフなのに書いたことを忘れていた。このセリフを受けた展開が必要だと思った。それがいままさに書いている女たちの語りの部分だ。昨夜その部分を読んだのは偶然なのだけれども、こういう偶然も作品に重要な影響を与える。その偶然は偶然に見えるけれども、本当は必然の作用なのだろうと思う。わたしがこの作品を完成できるように、ドストエフスキーの霊が導いてくれているのだろうと思う。そうでなければどこかに文学の神さまがいるのだ。ドストエフスキーの続篇を書くということになると、神さまについて考えないわけにはいかない。というよりも、登場人物たちが神について論争する。書いているわたしが神がかりになるのは当然だろう。神がかりになっているので、新宿で総武線から山手線に乗り換えなければならないことをすっかり忘れていた。いやに長く停車しているなと、ふと思った拍子にここが新宿だと気づいた。ドア閉じる瞬間に飛び下りた。飛び乗る人がいると車掌が車内放送で駆け込み乗車は危険ですなどと言うのだが、飛び下りた人はどうしようもない。高田馬場に着いた時もまだ神さまは憑いたままだったが、点字図書館に入る前に深呼吸して神さまにご退散願った。ここではただの理事なのだが、なぜか毎回、議長を任される。議長だと内職ができないのだが、まあ、仕方がない。無事に議長の役目を果たす。帰りは地下鉄。まだ妻がいないので、松屋でカレー牛を食べて帰る。久しぶりだな。外食する日々が続く時は、最初にカレー牛を食べる。

05/29/木
木曜は3コマ。そのうち2コマは座っていたので腰が疲れた。しかし先週に比べればかなり楽になった。このまま回復の方向に向かうのだろうと思う。ただ今回の腰痛は、ギックリという瞬間がなく、過労から腰が痛くなり、だんだん痛くなるという方向に進んだので、まだ不安がある。デスクワークが必要な仕事なので、無理がきかないということになると仕事に支障が出る。妻が帰ってきた。やれやれ。

05/30/金
金曜は会議、週末は講演などが入ることが多く。めったに連休にならないのだが、何と今週は今日から3連休だ。といっても休むわけにはいかない。自分の本業がある。休みの日こそ自分の仕事に集中できる。腰もかなり回復したので入力作業を進める。もう終章に入っている。この終章はかなり長くなる。もしかしたらふつうの章より長くなるかもしれない。だから「果てのないエピローグ」という章のタイトルをつけた。プリントのチェックも続けている。これはソファーにゆったりと座ってプリントを膝にかかえるスタイルが腰への負担が少ないようだ。散歩に出て、百円ショップで3の老眼鏡を買ってみる。いまは2を使っている。2.5というのがないようだ。他の店も見ないと断定はできない。自宅に帰って3の眼鏡をつけてみると、きつい感じ。しばらくは2のままでいいだろう。余分なものを買ってしまったが将来使えるのだし100円だ。

05/31/土
今日も休み。妻の大学時代の友人が遊びに来るというので、こちらは散歩に出る。近くの小川町の地下鉄出口にあるコーヒーショップ、さらに神保町の先のコーヒーショップでメモを取る。時間を決めてメモを書くと集中力が持続してスピードが上がる。いまは登場人物が勝手にしゃべりだす状態になっているので、席に座ると筆が動く。1時間座っていると腰がやや悪化する。歩くと治る。それをくりかえして3軒目では生ビールを飲む。夕方、自宅に戻り友人の方々に挨拶をする。妻の大学は8人だけのゼミだったので友人関係がインチメートだ。これで5月も終わった。ゴールに向けてすごいスピードで進んでいる。メモはもう最終章に入っている。


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