仏教を深める創作ノート11

2015年08月

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08/01/土
8月になった。孫6人とのつきあいという非日常的な状況が続いたが、昨日、スペインの一行は四日市の次男のところに移動した。老夫婦2人の生活に戻ったわれわれは妻の運転で浜松の仕事場に向かった。横浜までひどい渋滞で5時間半もかかったが、とにかく仕事場に到着した。いま住んでいる集合住宅は2年という短い期間なので、歴史がない。この仕事は1981年からあるので、35年の歴史がある。長男が小学2年生、次男が幼稚園の時から、夏はこの仕事場にいた。その2人の息子が大人になって孫が6人いるという事態がいまだに信じられない。ここにいれば子どもたちが幼かった頃の想い出が甦ってくる。さらに犬がいた15年もこの仕事場にはしみついている。とにかくここに来たら気持が落ち着くだろう。現在の仕事の状況は、あとわずかで2章が終わるという段階だが、まだ状況を説明しているだけで、山場に乏しい。それでいいのかという疑問はつねにある。だんだんすごくなる、という展開もあるはずなので、ダメだとは思っていない。空海はいきなりファンタジーの世界に入っていった。日蓮はいきなり晩年の親鸞を折伏しようとした。そういうダイナミックな展開がこの作品にはないが、9歳から丹念に描いていくという基本方針は間違っていなと思う。草稿を読み返してダメだと思えば書き直せばいいので、いまのところこのままで行けるところまで進んでいこうと思っている。後白河院と親鸞が対面するという状況は、たぶんわたしにしか書けないと思う。こんなことを思いつく作家もいないだろう。これだけでもこの作品は異端であり、物議をかもすようなものかもしれないが、後白河院と親鸞が同時代に生きているということの意味を、歴史として問いたいと思う。親鸞は師匠であった慈円のことすら何も語っていない。それが新鮮の生き方なのだ。だから後白河院や頼朝に会っていても、何も語らなかっただろう。資料に何も残っていないというのはそういうことで、親鸞が語っていない出来事の実在の可能性は無限にあるとわたしは考えている。ここまで作品を書いてきて、わたしは親鸞が好きになっている。空海や日蓮はすごいという感じはもっているが、親しみはもてないキャラクターだ。親鸞は違う。この人物は自分も最も近いキャラクターではないかという気がしてきた。とにかくあと半年、親鸞とともに生きたいと思う。

08/02/日
浜松市三ヶ日にいる。いまは浜松市になっているが、少し前までは三ヶ日町というところだった。東名の三ヶ日インターの近くで、別荘地として開発されたところだ。1981年にここに仕事場を立てた。それから35年目の夏ということになる。三宿の自宅は86年から2013年までだから、27年しか住まなかった。この仕事場の方が長い年月住んでいるので想い出も多い。日航機の墜落事故もこの仕事場でテレビを見ていた。長男が中学1年生くらいだったか。その長男がいまは中学1年生の親になっている。時の推移というものは、考えてみればすごいことで、それだけこちらが老いているということだ。だが仕事場での日常も、子どもたちの小さかったころが遠い想い出として残っているだけで、老夫婦だけの生活になってからの方が長い年月が過ぎている。子どもたちが大学生になってしまうと、自分の生活ができてしまい、夏に仕事場に来るということはなくなった。それでも正月はここで過ごした。スペインに一家がここに来たこともある。犬が15年いて、この仕事場でもさまざまな想い出がある。次男の次男はその犬と同じ名前で、次男が命名したのだが、この仕事に来ると犬の想い出の方が多いので、その名は犬の名として胸に刻まれている。つい数日前、その次男の次男といっしょにヨドバシカメラに出向いてレゴを買ってやったのだが。さて、仕事の話。いよいよ親鸞が後白河法皇に会う直前まで来た。本日は午前中に三ヶ日の町のスーパーまで行って食料品を買い込んだ。あとはひたすら仕事をしていた。明日は日帰りで大学に行くのだが、往復の新幹線で1時間半の時間があるので、メモをとりたい。ふだん三鷹までの30分でもメモをとっているので、たっぷり時間がある。ここで後白河院との会話を描きたいところだが、源通親もちらりと出しておいた方がいいか。親鸞との関わりはほとんどないはずだが、九条兼実を失脚させた人物なので、歴史的背景を考えると重要人物かもしれない。ただ車中にまで資料を持ち込みたくないので、後白河院との会話だけをメモするということでいいかもしれない。それ以外のことはパソコンに入力する時に資料を見ながら打ち込んでいけばいいだろう。小説としてのドラマが盛り上がるところは、やはり人との出会いだ。慈円、聖覚、九条兼実、後白河院、頼朝、聖徳太子の幻影、玉日と恵信尼、観音菩薩、そして法然……。ここまでで作品の山場は尽きる感じで、他には伯父の日野宗業も出したいし、父親はもう少し前に会う機会があるかもしれない。そこで実のところ、会わせたい人物の種が尽きる。法然の弟子はわかっているので、そこでも出会いがあるはずで、その後のパトロンとなるはずの宇都宮蓮生も早い段階で出しておきたい。玉日との別れもある。そこから舞台は越後に移る。そこから先のイメージが何もない。弟子の法名は残っているが、俗名がほとんどわからないし、出会いの時のイメージの根拠となるものは何もない。そこは完全フィクションでやるしかない。空海を書いた時も、大学を中退してから遣唐使の船に乗り込むまでの謎の空白期間があり、そこはフィクションで埋めるしかなかった。少年時代も同様、ほとんどがフィクションだ。ただ親鸞の場合も最も重要な布教の時期が、ほとんどわからない。これからも資料を並行して読んでいくので何か見つかるかもしれないが、このあたりは密度が少しうすくなるかもしれない。しかし京に戻ってからは充実しているはずだ。ここには子息の善鸞がいるし孫もいる。娘の覚信尼もいる。そして善鸞との別れて義絶状という最大のドラマが待ち受けている。すごい小説になりそうだという期待はあるものの、バラバラになってしまう可能性もないとはいえない。これからの半年は自分の人生の中でもスリリングなものになりそうだし、思いがけないドラマが待ち受けているような気もする。書くのを忘れていたが今夜は三ヶ日の花火大会。昔は仕事場にいても花火が見えたのだが、いまは途中にある丘の樹木が伸びたせいか見えなくなったので、猪鼻湖の湖岸まで行く。対岸の三ヶ日の花火なので距離はあるが水上から上がる半円状の花火も見える。人が少ないのが何よりだ。

08/03/月
三ヶ日の仕事場にいる。本日は学生の宿題が先週末に提出されているのを受け取り成績をつけて提出。および学科会に出席する。以上の作業のために東京に日帰り。10時に東海道線鷲津駅まで妻に送ってもらい浜松へ。新幹線に乗り換え東京へ。そこから中央線で三鷹へ。ということを考えていたのだが、妻のiPadがつながりにくいというので、ワイファイの電波が届きにくいようなので、御茶ノ水で途中下車。自宅に戻ってルーターを鞄に入れる。わたしは有線でマンションに元から配線されているジャッグにつないているのだが、妻はiPadやiPod(ラインが入っている)を無線で使っているので無線のルーターを設置している。妻は外出した時はワイファイを使っているのだが、三ヶ日の仕事場は田舎なので電波状況がよくないのだろう。仕事場には光ファイバーの有線のルーターがあるので、これに無線ルーターを注ぎ足せば自宅の状況と同じになる。ついでにもっていくのを忘れた歌の本も鞄に入れる。それからいつものルートで大学へ。学生の宿題を見たり、メールのチェック、学科会に出席して、予定通りに東京駅から新幹線に乗る。鷲津に午後9時到着。妻の車で9時半には仕事場に帰り着いた。いまはここが自宅だ。帰りつくとほっとする。昔は夏休みはこの仕事場に長期滞在していた。時々日帰りで東京に行くことがあった。浜松にいるはずの時期に、東京にいるというのは、タイムスリップみたいな気分で楽しい。今回は自宅に寄ったのだが、知らないところに帰ってきた感じがした。往復の新幹線の中なので後白河院のセリフはほとんど書けた。明日からじっくりと時間をかけて入力したい。会話に緊張感が必要だ。ストーリーにひっぱられて軽く流れないように注意したい。

08/04/火
仕事場でののんびりした1日。この家を建ててくれた大工さんが来たので豊橋の蕎麦屋まで行く。いいところだった。家の補修や庭の草刈りも頼んでいるのだが、今回は作り付けの本棚を作ってもらった。サザエさん全巻とか、鉄腕アトムとか、忍者武芸調など、2年前の転居の時にどうしても捨てられなかった漫画をダンボールに詰めて運び込んであったのだが、ようやく並べることができた。午後は前日新幹線の中で書いたメモの入力作業。大量のメモを書いたので入力するには何日もかかりそうだ。少し作業のピッチを上げないといけないが、ここではのんびりするというのがコンセプトなのであまり無理はしたくない。

08/05/水
妻の運転で鳳来山までドライブ。新東名が出来て新東名回りで三ヶ日インターまで行くようになったのだが、三ヶ日ジャンクションのあたりは実は三遠南信自動車道という別の路線だ。遠い将来、中央自動車道の飯田までつながるらしいが、いまは鳳来峡というところまで完成している。その道を試しに走ってみたかった。ということで走ってみたのだが、ひたすらトンネルが続く奇妙な道路で、運転しづらいということだった。せっかくなので鳳来山まで行った。山の上だから涼しいかと思ったのだが、やっぱり猛暑だった。帰りは下の道路を通ったのだがこちらの方が快適だった。さて、四日市の次男のところにいたスペインの人々は本日は大阪に移動。妻の実家を訪ねたらしい。これが今回の最大のイベントといってもいい。わたしの両親は極楽浄土だが、妻の両親はまだこちら側にいる。二人とも九十歳を越えているので、スペインの曾孫と会うのはこれが最後だろう。二歳の曾孫を見せておいてよかった。が、ご両親も疲れたことと思う。こちらは後白河院の入力。まだ半分もいっていない。そろそろ東京に戻る日が近づいている。この仕事場にいる間に入力を終えたかったがそうもいかない。ところでページ数を見たら、もう三章に突入してもいい枚数になっている。ということで、蓮華王院で後白河院が登場する直前のところで二章を終え、院が登場するところから三章を始めることとした。全体が十章なのでもう2割を超えたことになる。順調に進んでいるといっていいだろう。このペースでいけば越後追放まではどんどん行けそうだ。東国に舞台が移ってからは何も考えていない。そのあたりはもう一度資料を読み返さないといけない。

08/06/木
昼食は天浜線西気賀駅の八雲へ。この駅舎にあるレストランのオーナーは、仕事場を作ったばかりのころの別荘地のレストランのシェフだった。その施設は東急リゾートのもので、雇われシェフだったわけだが、その後、独立して西気賀駅の駅舎にレストランを開いた。頑固にメニューを変えない人で、わたしもここではビーフシチューしか食べない。メニューは同じだが、微妙に中身が違う。本日は柔らかなタケノコが入ったビーフシチューでこれは初めて体験するものだった。ビール一本飲む。十年ほど前だが、いま中学生になった孫が幼児だったころにこの店に行ったことがある。その時はたまたま天然ウナギがあるというので、洋食レストランなのにサービスでウナギの白焼きを出してくれたことがあって、その美味は忘れられない。長い付き合いだなと思う。それから鷲津までドライブして買い物。露店で野菜を売っている店があって、いい果物があるかと思って行ってみたのだが、いまは果物がまったく入荷しないということだった。猛暑なので果物の生育が遅れているのだ。東京では猛暑が一週間続いているというのだが、日帰りで東京に行った日もあるのでその一部は体験している。三ヶ日も暑いのだが、浜名湖が見える仕事場なので、目で見る限りは涼しい印象がある。実際はエアコンをかけっぱなしにしている。この仕事場を開設た35年前は、エアコンはリビングと書斎にしかつけなかった。それでも暑いと思ったことはなかった。夜になると涼しい風が吹き渡っていた。数年前、すべての部屋にエアコンをつけた。夜が凌げなくなった。温暖化は確かに進行しているのだろう。さて、これで三ヶ日での休暇は終わる。昔は毎日湖岸を散歩したのだが、今回は一回散歩したのと、花火を見に湖岸に行っただけだ。昔は土岐にあるアウトレットに行ったりもしたのだが、それどころではない雰囲気だ。とにかく暑い。内陸部ほど暑いという感じがする。明日はウナギを買ってから、まだ試していない、サービスエリアの入口から新東名に入るルートを試したいと思っている。

08/07/金
仕事場を片づけて出発。途中で鰻屋に寄ったのでそのまま国道を進み、浜松サービスエリアから新東名に入る。初めてのコースだったが標識が随所に出ていてわかりやすかった。気分的にはこちらの方が近く感じられた。渋滞がいくつかあって6時間くらいかかったがとにかく御茶ノ水に戻ってきた。パソコンをセットして仕事ができる体制を作った。仕事場とはいいながら、書斎はいま物置になっていて、リビングのテーブルで仕事をしている。椅子が専用のものではないので長時間パソコンに向かうのはつらい。御茶ノ水の自宅は通信販売で買った中国製の椅子だが、専用のデスクと椅子があるので長く作業ができる。ただメモが尽きたので、これからは直接打ち込むか、新たなメモを作らないといけない。当分、大学の仕事も文藝家協会の仕事もない。自宅で作業を続けることになるだろう。ただしばらくするとまた孫6人が結集する状態になる。それまでに夢告のシーンを書いてしまいたいのだが、そういうわけにもいかないだろう。

08/08/土
自宅にてひたすら仕事。イーブックジャパンの連載を片づけたあと、親鸞と後白河院との対話はほぼ終わった。ここまで歴史的な状況を描くことに追われていて宗教的なポイントが抑えられていない気がする。ここは三回の夢告、および法然との出会いといったところで展開される。そこが全体の中央山嶺を築くことになるだろう。まだそこに到る準備運動みたいなことをやっているのだと思う。小説としておもしろいてかというのは微妙なところだが、親鸞に興味のある読者にとっては、少年の親鸞がしだいに大人になっていく過程が見えてくるので、ある程度の興味をもって読み進んでいただけるのではと思う。しかしわたしの小説はいつもそうだが、思想のドラマというものが中心にあるので、やや難解な感じがするかもしれない。仕方がない。大衆に迎合して作品のレベルを下げるわけにはいかない。夕方、四日市を車で出たという報せが届く。車に乗っているのは長男夫婦、次男の嫁さん、それに孫六人。8人乗りのワゴンで子どもは3人で大人2人の計算だから合法的。刈谷サービスエリアで時間をくい、忘れ物があったりして大幅の時間ロス。マンスリーマンションにスペイン一家を降ろして次男の嫁さんが着いたのが深夜2時。この集合住宅は併設されているスーパーやレストランのの客のための駐車場があるのでそこに車を入れる。そこまで降りていく。一年生の孫が起きていて自分で歩いてくれたので助かる。嫁さんが幼稚園の孫を抱き、わたしと妻で荷物を運ぶ。やれやれ。とにかく無事に人々が東京に移動した。次男はまだ仕事が続いている。日本のサラリーマンは大変だ。

08/09/日
本日は日曜日。スペイン組は休養するというので、本日は孫6人の集合はない。嫁さんが長男をつれてヨドバシカメラへ。次男はお留守番をするというので残る。残ってもらっても困るのだけれど、一人でレゴなどを組み立てて遊んでいる。退屈してきたらテレビを見せてやる。こういうことのためにスカパーと契約したのでディズニーなどを見せてやるとおとなしい。いったん帰って来たきた嫁さんが孫2人をつれてまた出かけていった。気をつかって外で食事をしてくれた。ということで老夫婦二人だけの夕食。仕事は進んだ。いよいよ頼朝が登場する。

08/10/月
次男の嫁さんは子どもたちと町田の実家に行った。ついでにそのあたりの安い駐車場に車を置いたとのこと。夕方、スペイン一家も来て全員集合。長男夫婦と孫4人、次男の嫁さんと孫2人。老夫婦と合わせて11人。いないのは四日市でまだ労働をしている次男だけだ。その次男もお盆くらいは休めるだろう。11人での食事は大変だ。2年前まで住んでいた豪邸にはダイニングとリビングに来客のスペースも加えた広大な空間があったのだが、現在の住居は老夫婦2人きりを想定したところなので、人口密度が高すぎる。椅子もないのでわたしと妻は少し離れたところから見守っている。こちらは立食パーティーに慣れているので、おつまみを自分で調達してビールを飲む。とても素面ではいられない喧騒の中で飲むピッチが早かったようだ。やがてスペイン一家は人形町のマンスリーマンションに帰っていった。この距離感がいい。次男の嫁さんと孫2人はここに泊まっている。孫が寝たあと嫁さんとテレビなどを見ながら雑談。嫁さんが寝てあとは少し仕事。頼朝が出てきてしゃべっている。親鸞の話に頼朝が出てくるというのは新機軸だ。むろん史実ではない。しかし同時代に生きているのだからありえない話ではないだろう。ここまで親鸞がまだ範宴と呼ばれる少年なので、子どもの目で見た世界しか書いていない。それで三章が終わってしまいそうだ。それでいいのかなとは思うが、時代状況をしっかりと抑えておかないと、主人公に存在感が出てこない。登場人物は後白河院、頼朝、関白九条兼実、慈円といった上流階級の人々ばかりで、貧しい農民といったものは一切出てこない。浄土真宗というと百姓一揆というイメージがあるのだが、それは戦国時代の話で、とりあえずは九条兼実の支援があったということでいいだろう。親鸞が越後や東国に行けば、おのずと貧しい農民も目に入るのだろうが、それでもやはり東国の武者を中心に教えを弘めていくことになるのだろう。源平合戦の直後なので、武者たちは人殺しを体験している。従って地獄に堕ちる恐怖を抱いている。そういうところに悪人正機説が出てくるわけで、布教の対象は武者だと考えるべきだろう。今月は21日、22日に大学のオープンキャンパスがある。両日とも学部の説明と模擬授業をやることになっているので出向く必要がある。それまではオフの時間だ。メールが来るので学部長としての仕事はあるのだが、メールというもののおかげで、自宅でできる。まだ10日ほどあるので、三つの夢告まで話を進めてしまいたいが、孫6人との交流があるので、どれほど仕事の時間がとれるか。孫は遠くにありと想うものだ。目の前にいると頭のヒューズが飛んでしまう。

08/11/火
四日市の孫の兄と、スペインの孫の次女、三女が、山中湖のキャンプに出発。出発点は高田馬場で、それぞれの親が送っていったらしい。こちらは朝は10時に起きる生活をしている。朝の4時近くまで仕事をするので10時に起きるのが生活のペースになっている。大学の2限のある日だけ8時半起きになる。やがて嫁さん(次男の嫁)が帰ってきて孫の弟の方を連れて三越本店へ。子どもを対象として催しがあるようだ。中学生向けの企画もあって、残っている長女とスペインの人々も行ったようだ。美容院に行っていた妻は直接三越に行ったようで、結局、わたし1人が自宅に残っていたのだが、三越で食事をするというので出かけていった。結局、向かいのコレドで食事。老夫婦、スペイン夫婦と孫2名、嫁さんと孫1名で、合計8名の食事。不在の孫が3人いるとはいえ、なかなか大変だ。この生活がいつまで続くのか。仕事が進んでいる。頼朝が出てきた。が、突然、これまでの登場人物のすべてについて、イメージがうすい気がした。読み返して追加の描写をしないといけない。

08/12/水
午前中、妻と近所の銀行へ。午後は神保町あたりを散歩。猛暑のピークは過ぎたようだがまだ暑い。しかし散歩をしないと体がなまってしまう。4年前、スペインの人々が来た時に、足が痛くなったことがある。孫がいると何となくこちらが緊張してしまい、体が変調してしまう。大昔、自分の子どもを育てていたころは、べつに緊張するということもなかったのだが。夜、自宅に全員集合。といってもキャンプに行っている3人がいないので少しは人口密度が低くなっているのだが、2歳と5歳が残っているので事態はさほど改善されていない。自分の仕事は最初から読み返してチェックをしているのだが、少し理屈っぽいかなという感じがする。いまから手を入れるわけにもいかないので、とりあえず全体が完成してからじっくり考えたいと思う。

08/13/木
長男のスペイン人の嫁さんがパエージャを作ってくれた。そのために妻といっしょに御徒町に魚介類を買いに行った。御徒町にはすごい魚屋がある。スペイン人も魚は好きだが、生魚を食べる習慣はないので、日本のような豊富な食材はない。パエージャに入れる魚介も新鮮なものが入ればそれだけ味がよくなる。信じがたいほど美味なパエージャができた。カンパチのアラで出汁をとったらしい。

08/14/金
四日市の次男が到着。住んでいる集合住宅にはゲストルームがあるので、そこを予約してあった。露天風呂がついている部屋。寝室とリビングがセパレートになっているので宴会ができる。全員が集まった。老夫婦、長男夫婦、次男夫婦、孫6人。そうぜい12人。学生時代、妻と同棲を始めたころのことを思うと、人数が増えたなと感慨がある。孫たちがいっしょに寝たいと言い出したので、リビングに雑魚寝することになった。長男夫婦と2歳の孫だけがマンスリーマンションに帰っていった。

08/15/土
子どもたちはゲストルームにいるので自宅は静か。自分の仕事に集中できる。3章が終わった。3章を書き始めた時は章のタイトルを「夢告」としていたのだが、夢告にまでは到らなかったので、こちらは4章のタイトルとする。3章のタイトルは「後白河院」ということにした。本日は女優をしている姉がご馳走してくれるというので、銀座のデパートの中華料理屋に行く。ものすごい喧騒になったが、まあ、恒例の行事だ。

08/16/日
第一の夢告。ここはあまり大げさに書かずにサラッと通り抜けた。長男、次男の小学校時代の親友が来て食事をするというので、集合住宅の1階にあるビアホールのテラスで軽く飲み、それから和食の店で本格的に飲んだ。少し飲み過ぎた。

08/17/月
次男は昨夜、終電近くの新幹線で四日市に帰っていった。日本のサラリーマンだから仕方がない。本日はスペイン組はサンリオランド。四日市組は科学技術館と別れて行動。われわれ老夫婦は帰ってきた四日市組と近くのイタリア料理で夕食。これだけでも疲れた。自分の仕事は親鸞が妻の玉日と出会う場面。ここはわたしのオリジナルで、ここからはロマンチックな話になる。こんなにロマンチックな話を書くのは久し振りだ。空海でもロマンチックな場面はあったが、ややお説教くさくなったかもしれない。空海は子どもの頃から神がかった人物なので、あまりロマンチックにならなかった。親鸞は秀才ではあるがふつうの人なので、緊張したり、うろたえたりする。そこが可愛い。

08/18/火
本日は子どもたちはお台場の未来館に行ってくれたので一日静かであった。親鸞と玉日の出会い。伝説では結婚が先なのだがもちろんわたしが書いているのは小説だから、恋愛結婚である。ロマンチックに書く。ちょっと神秘的なムードも必要か。

08/19/水
孫たちはスペイン組と四日市組にバラけて行動するようで、四日市組へのサービスのため、老夫婦もいっしょに出かけることにする。千代田線で西日暮里に行き、舎人ライナーに1駅だけ乗って、日暮里の陸橋の上から新幹線を見る。それから夕焼けだんだんに出向き、谷中銀座をぶらぶらする。台東区の100円のバスに乗り、浅草まで行ってから銀座線で帰ってきた。大旅行であった。玉日の登場、出だしはうまくいったが、後半、理屈っぽくなると玉日の魅力が半減する。やり直し。難しい。ここは何度も書き直して修正したい。

08/20/木
スペイン組は2日連続でサンリオピューロランドに行ったそうだ。四日市組は大宮の鉄道博物館へ。往復新館線というセット券があるようだ。最後はまた自宅に全員集合。妻が切れそうになっている。こちらは親鸞と玉日の出会いの場面。じっくりと修正している。集中力が必要だ。

08/21/金
久し振りの大学。オープンキャンパス。11時と1時の2回、学部の説明会。1時の回は引き続き模擬授業。明日もまったく同じスケジュールでおーぷんキャンパスがある。この2日を乗り切ればしばらくまた休みが続く。引き続き玉日との出会い。もしかしたらここが最大の山場かもしれない。妻の玉日と出会うだけでなく、お付きの女房の筑前と出会う。これがのちの妻となる恵信尼なので、ダブルの出会いである。こんな出会いの場面というのは、他の作品ではありえないのではないかと思われる。難しいがこれをうまく書けば作品が盛り上がる。

08/22/土
大学。前日と同様のオープンキャンパス。前日とまったく同じスケジュール。終わって、ふと気の迷いで武藏境まで歩いてみたのだが、結果としてこれは失敗。特快の電車が中野を出たところで急停車。線路脇の火事で乗務員が消火活動をしているというアナウンス。一時間近く止まっていた気がする。座席に座っていたしクーラーも効いていたので、居眠りをしていた。実害はない。帰るの四日市の次男がいた。ようやく仕事が片付いて週末から数日は休暇がとれたようだ。夕食は全員集合。12人のフルメンバー。玉日の登場シーン。ようやく完了。

08/23/日
孫たちは箱根に出発した。2泊3日ということなのでしばらく静かになる。最初の妻、玉日の登場シーンが終わった。恵信尼も出てくる。前半の山場のシーンだ。うまくいっているかどうかはプリントして読み返してみないとわからないが、最初のメモから比べればかなり修正したのでよくなったと思う。

08/24/月
孫たちのいない日。秋葉原まで散歩。ガード下のB級グルメ販売のワゴン車が並んでいるところがある。午後の遅い時間だったので閑散としていた。これでは長く続かないのではないか。どうも発想が安易なようでもう少しちゃんとした企画を立てないと人は来ないだろう。慈円の和歌のくだり。このあたりは資料にあるとおりの展開。少し先に法然の登場シーンがある。そこから結婚まで山場が続く。

08/25/火
孫たちは御殿場のアウトレットに寄って遅くに帰ってきた。夕食の喧騒がないので本日も落ち着いた時間が流れていた。聖覚法印が出てきた。この人物はややユニークなので、早い段階で印象づけておいた。その伏線がここに来て効いていると思う。

08/26/水
孫たちは早朝に出かけた。ディズニーシーに行くとのこと。深夜になって帰ってきた。本日も静かな日であった。法然との出会う意の直前。ここで少しタメを作っておきたいのだが。

08/27/木
スペイン組は明日帰るので最後の日だ。一ヵ月間、長かった。長女だけさらに一ヵ月前に先行して一人で来て、新宿で迷子になったりした。二ヵ月間、気の安まることがなかった。それでも仕事は進んでいる。赤山禅院で玉日のことを想い出すシーン。次に法然との出会いだが、そのあたりは集中力が必要なので、少し間を置いてから取り組みたい。この間、法然の著作を読んできた。それほどすごいことは言っていない。法然はやはり人柄が勝負だろう。親鸞は主人公なので人柄は見えにくい。子どもの頃から書いているので、いつまでたっても子どもっぽいところがある。法然は69歳で出てくる。いまの自分より年上だ。それなりの人格者になっているはず。そこが親鸞との違いだろう。親鸞は老年になる前に東国を離れ、基本的に弟子をとらなかったので、老成という感じがない。従って、法然の登場シーンでは、成熟した初老の人物の完成した人格といったものを見せておきたい。

08/28/金
スペイン組が帰る日。2台の車に分乗。まずは人形町にあるスペイン組が泊まっているマンスリーマンションに迎えに行く。次男の車に孫6人乗せる。3列シートのワゴン車だし子どもが多いので何とか乗れたはず。こちらの車には長男と嫁さん。こちらはステーションワゴンなので荷物はたっぷり積める。高速道路は流れていて無事に成田に到着する。荷物のチェックインが終わったところでわたしと妻はバイバイする。今度いつ会えるかわからない。次男夫婦は昼食をいっしょにして、出国ゲートまで送っていくとのこと。4年前の見送りの時は、スペインの3女と四日市の長男が、ゲートの先のガラスの両側で長く長く別れを惜しんでいたのが記憶に残っている。ガラスに両側から唇をくっつける間接キスが延々と続いた。今年はどうだったか。夕方、羽田プロジェクトの会議のために蒲田に行く。詩人の佐々木幹郎と元衆議院議員の辻恵がベトナムに行って、博物館に日本の反戦運動の展示を求める試みは大成功だったようだが、二人の弥次喜多のような珍道中の話がおもしろかった。

08/29/土
本日は四日市組が帰る日。長い夏がこれで本当に終わる。深夜に車で帰るというのでご近所の和食屋で夕食。四日市の孫は正月にも会える。車に荷物を積み込み出発。夜中、一人で寝酒を飲んでいると、急に寂しさみたいなものを感じた。仕事は親鸞が法然と会うシーン。昨日少し書いたところは理屈っぽすぎる感じがしてバッサリ切ることにした。いきなり五逆についての議論となりそれだけですべて領解するという展開にした。


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