仏教を深める創作ノート10

2015年07月

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07/01/水
大学。2限の授業のあと、学部長会議。自宅に帰ると、孫がいる。孫は少し日本語が上達したようだ。本日はどこへも出かけず、家の中でマグカップに絵づけをしたとのことで、作品が出来上がっていた。水曜日は比較的楽な日だがそれでも自宅で仕事をする気にはなれない。それでも昨日の日大文芸賞の選評を書いて送る。これでとにかく一仕事はした。

07/02/木
4コマある日。品川水族館に行くという妻と孫が先に家を出た。少し遅れて大学へ。無事に4コマを果たして自宅に帰る。孫ずっとドルフィンを見ていたのだという。すべての動物の中でドルフィンが一番好きなのだそうだ。

07/03/金
飯田橋で教育NPO研修会。それから麹町の文藝家協会で出版社との協議。自宅に帰れば孫がいる。『親鸞』少し進む。

07/04/土
毎日、孫の相手で疲れている妻を休まるため、本日は孫の相手。上野の科学博物館に行く。見るべきものがたくさんあって足が疲れた。これで1日がつぶれる。

07/05/日
日曜は休み。雑文などを片づけ、『親鸞』も少し。まだ手探りの状態。

07/06/月
大学は会議だけ。これまでのところを研究室でプリント。読み返す。大きな問題はない。密度がこれでいいのか、まったく違うオープニングが考えられないか、法華経を読むところがくどすぎないか。もっとテンポを上げた方がいいのか。このあと、2年くらい時間を飛ばしたいと思う。そこから物語が動き始めるだろう。

07/07/火
文芸家協会で評議委員会、常務理事会。孫は妻とともに四日市の次男宅に向かった。やれやれだ。わたしのところは男の子二人を育てたが、女の子とは縁がなかったので、女子中学生がいると緊張する。四日市も男の子二人だが、従姉のお姉さんは歓迎されるだろう。また老夫婦だけの生活に戻る。ほっとしているが、少し寂しい。

07/08/水
大学1コマ。本日は学部長会議がないので楽。

07/09/木
本日は4コマの日。修士論文の学生が休んだので1コマぶんは自分の仕事ができた。親鸞が法華経を読むところ、かなり長すぎるので大幅にカットした。入力してまたプリント。ひまを見て読み返したい。

07/10/金
JASRACで創作者団体協議会幹事会。10年前くらいに設立した団体でわたしが議長をつとめている。議長だから仕切らないといけない。JASRACは代々木上原。都心からは外れているのだが、新御茶ノ水から一本で行けるので楽だ。夜は親鸞。ようやく先に進みつつある。あと少しで1章が終わりそうだ。全体は10章と考えているので、まだ始まったばかりだ。

07/11/土
この週末は休み。しばらく車を動かしていないので、バッテリーに充電するために1時間ほどのドライブ。充電のためなのでクーラーは動かさず窓を開けて走る。一定のスピードで走らせるためにすぐに高速に乗る。神田橋から銀座方面、浜崎橋からレインボーブリッジを渡って湾岸道路、中央環状で板橋まで行って、池袋の方に戻る。もとの神田橋で下りようと思ったのだが、運転している妻への指示が遅れて、環状線内回りに入ってしまったので、そのまま浜崎橋まで行き、往路の反対に銀座から神田橋。結局、入ったところから出ることになった。ほぼ1時間。バッテリーはフル充電になっただろう。

07/12/日
いつも10時になるニコライ堂の鐘が今日は9時20分に鳴った。時間を守ってほしい。わたしは午前中の会議や授業のない日は10時に起きることにしている。明け方まで仕事をしていることもあるので、これくらいまでは寝たいところだが、本日は寝起きがよくなかった。猛暑だというので本日はどこにも出かけない。ひたすらパソコンに向かっている。親鸞が無量寿経を読み始めた。第十八願。ここがポイントになるところだ。浄土宗も浄土真宗も、この第十八願が教えの基本になっている。ここは読者に強く印象づけたいところだ。この作品はどうやら日蓮が法然と出会うところが最大の山場になりそうだ。その前に恵信尼および玉日との出会いがあるのだが、これはロマンチックな部分だ。哲学的なストーリーの流れでは、日蓮と法然の間で、すべての真理が語り尽くされることになる。ここが全体の半分くらいのところに置かれることになるのか。後半の山場は善鸞との出会いということになる。聖覚、証空、蓮生など、重要人物はいるのだが、すべては前半部に出てくることになる。娘の覚信尼と子息の善鸞は重要だ。まだ全体像が見えていないので、とにかく半分くらいのところまでは一気に書き進みたい。

07/13/月
夕方の学科会だけだが昼過ぎに研究室に入って自分の仕事。親鸞が無量寿経を読んだ感想。次に観無量寿経に進みたかったが時間切れ。学科会は短めで終わった。比叡山に登ったところで第一章の終わりとしたい。

07/14/火
文芸家協会で公益法人の査察に立ち合う。公益法人の新しい法律ができて、最初の査察。大きな問題はなかった。細かいことは今後修正すればいいということで、合格ということだ。夜はメンデルスゾーン協会の運営会議。いままでは新橋に拠点があったのだが、今回は神保町ということなので、歩いていけた。軽く飲んで帰る。査察の間、親鸞の母について考える。いちおうのイメージはあるのだが、もう少しくっきりとしたイメージにしたい。

07/15/水
大学1コマのあと研究室で仕事。親鸞の母が遺言を語る場面に追加。これでよくなった。数行加えるだけでイメージが鮮明になる。なぜか研究室で仕事をすると集中できる。テレビがないせいか。このところ深夜にしか仕事ができないので、早く寝酒を飲んで寝たいという誘惑に負けてしまう。研究室では酒も飲めないので仕事がはかどるのか。学部長会議に出席してから自宅に戻る。本日も夜中の作業はできず。早めに飲み始めて寝てしまった。まあ、まだ無理をする団塊ではない。

07/16/木

木曜日は4コマ。ひたすら語り続ける。それでもわずかな時間に入力。慈円が保元の乱について語るシーンが追加で挿入することにした。これをちゃんと語っておかないと、五逆ということの意味が読者に伝わらない。慈円の父も、その父を死に追い込むことになった。ここに観無量寿経に出てくる阿闍世王子の父殺しのテーマとの共通点がある。

07/17/金
文藝家協会で午前中の会議。孤児作品問題勉強会という名称だったのだが、「孤児」はよくないということで、著作権者不明作品と呼ぶことにした。あとは今後の展開についての意見交換。皆さんがそれぞれの見解をもっていて充実した会になっている。自宅に帰って仕事。観無量寿経を読む。阿闍世王子についてのドラマチックな物語。提婆達多は調達という名前で登場する。本日は三鷹で宴会がある。教育学部との懇親会。初の試み。飲み会は何でも歓迎だ。だが大学のない日に三鷹まで行くのはつらいものがある。それでも電車の中でアイデアを得た。母の遺言を1章のラストにもってくる。観無量寿経と阿弥陀経はその前に圧縮して挿入する。これで1章のラストが母の重い言葉で締めくくられる。いい感じで2章に入れる。こういうアイデアが出るようになると調子が出てくる。さて、宴会。一番に会場に付いた。鍋が用意されていたので鍋から遠い席に着く。鍋を食べるのはめんどうだ。つまみは最小限でいい。総勢14人、一人の欠席もなく揃った。素晴らしい。飲み放題なのでどんどん飲む。こういう宴席でハイボールが飲めるようになったのは喜ばしい。がんがん飲んで、さあ帰ろうと思ったら、二次会があるという。二次会は6人、教育学部長の他は文学部ばかりになった。文学と酒は切り離せない。武蔵野大学の教育学部は児童教育が専門なので、小学校の先生だった人が多く、酒の席でも節度がある。文学部はそういうわけにはいかない。終電近くまで飲んだ。たまにはこれくらい飲むのもいいものだ。

07/18/土
週末は休み。イーブックはすでに原稿は入れてあるのだが、急遽、又吉さんの作品に言及してくれと言ってきたので新たに書く。すでに送った原稿は来月に回すので問題はない。歴代の芥川賞作品についてコメントするコラムだが、電子書籍のサイトなので電子書籍になっている作品が対象。又吉さんの作品は紙と電子とほとんど同時発売なのだろう。来月になると受賞作を掲載した『文藝春秋』9月号が出るので、それまでが本を売るチャンス。もちろん『文学界』に掲載された時点で読んでいるし、予備予選のアンケートで推薦しているのですぐに書ける。このサイトでは大学の教室の優秀作が読めるようになっているだけでなく、サイトの読者からの応募も随時受け付けている。その応募作のコメントも書いて送る。このところあまりパソコンに迎えなかったので、集中して仕事をした。調子が出たので昨日、電車の中で思いついたアイデアを試してみる。母の遺言を1章のラストに移す。これでOK。これで1章が終わった。続く2章は比叡山に登っていくところ。だが登山道の入口の脇に赤山禅院がある。これは伏線としてしっかり書き留めておかないといけない。まだ先のことは考えていないのだが、ここで恵信尼と玉日に会うことになるのだろう。いい感じでピッチが上がってきた。

07/19/日
日曜も休み。外は暑そうだが夕方、神保町まで散歩。帰りにスーパーでビールとウイスキーを買う。水曜日にスペインの人々が来る。その前に四日市の人々も来るのか。長男一家はマンスリーマンションを予約してあるのだが、まあ、全員が揃ったら自宅で宴会となるのだろう。どういうことになるのか緊張する。この前に長男たちが来たのは4年前で、当時は大邸宅に住んでいたから問題はなかった。自分の書斎に閉じこもることができた。今度はリビングルームに接続した書斎だ。いちおう仕切りの戸はあるのだけれど、戸を閉めるわけにはいかないだろう。スペイン語の喧騒の中で日本語の小説を書くのは難儀なことだ。4年前はストレスなのか膝が痛くなってふつうに歩けなくなった。一ヵ月ほど後遺症が残った。役者をやっている姉がスポーツマッサージを紹介してくれて、現在は月に2回ほど通っている。いまは足も治り、主に肩こりをほぐしてもらうだけだが。また足が痛くなるかもしれない。ストレスがかかるとパソコンのキーを打ちながら足を踏んばるのだと思う。それで筋肉がこわばって痛くなるのだと思う。今回は急ぎの仕事もないので、少しリラックスして対応したい。だがいま、親鸞は比叡山に登り、3回の夢告と出会うことになる。その前に頼朝や後白河院とも対面させないといけない。小説なのだから大胆なフィクションを入れていく。親鸞については多くの著書が世に出でいるので、誰も書かなかった親鸞像を提出しなければならない。

07/20/月
大学で金子みすずの発見者の矢崎節夫さんの講演。控え室でご挨拶をしてから、講演の開会の挨拶をして役目を果たす。教授会と学科会。帰ると妻だけがいて、2人で食事をしているうちに、四日市の嫁と孫2人、それに四日市に滞在していたスペインの孫が到着。スペインの中学生は会う度にキスしてくれるので、そういう慣習のない日本人の祖父さんは途惑ってしまう。明後日、スペインから本隊が到着する。どうなることやら考えるのが怖い、考えないようにしている。わたしは黙々と自分のスケジュールをこなすだけだ。学生の宿題の作品が提出される季節になった。本日は2年ゼミの作品を見る。まずまずのレベルで安心する。傑出したものはないが、皆ある程度の筆力がある。さすがに文学部の学生だ。早稲田にいたころは、時々、見るも無惨な文章を書く学生がいた。早稲田に入りたいという願望だけがあって、結果として文学部にしか入れなかったという学生が時々いた。作品は第2章に入っている。いい感じで進んでいる。

07/21/火
本日は大学は休み。とりあえずマッサージに行く。自宅に帰って3年ゼミの作品を読む。時間がかかったが、終わるとすぐに蒲池の羽田プロジェクトの会議に参加。1967年10月の羽田闘争の死者のための慰霊碑を建てるプロジェクト。順調に進んでいるが、土地を買って慰霊碑を建てるのは大変なので、どこかで決断をして対応しないといけない。いつものメンバーで飲み会。さて、明日と明後日を乗り切れば前議の授業が終わる。

07/22/水
本日は2限の授業だけの日。前期の最終回。2年ゼミはこの春からの数ヵ月の付き合いだが、学生の個性が見えてきた。個性が見えれば楽しくなる。学部長会議はないのですぐに自宅に帰る。スペインの長男一家が成田に到着しているはず。妻と次男の嫁さんおよび選考して来日した長男の孫1名と日本の孫2名が成田まで迎えにいく。2年前に転居した新しい住居は老夫婦2人の終の棲家というコンセプトで引っ越したので長男一家を泊めるゆとりはない。人形町にあるマンスリーの住居を予約してあって、長男たちはそこに向かった。次男の嫁さんと孫2名が先に帰ってきた。それから妻が帰ってきた。極度に疲労している。老夫婦2人だけの穏やかな生活の中に、急に孫が6人出現するのだから疲れるのは当然だ。わたしは仕事があるので外出することが多い。まあ、仕方がない。ややあってから長男一家が到着。老夫婦2名、長男夫婦と孫4人、次男の嫁さんと孫2名、総勢11名。うちのマンションのエレベーターは11人乗りだ。子どもが多いので大丈夫ではあるが、定員の人数からすればぎりぎりだ。この人数ではレストランにも入れないが、隣のビルの地下広場がビアホールになっていて、食事のできるフリースペースがある。広場の店で注文すれば食べ物を運んでくれる。わたしと長男は生ビールを飲み、子どもたちはピザを食べる。中学生の孫1号は先週、その店で食事をしたことがあって、その時はピザにかける蜂蜜がついていた。出前のピザにはついていなかったので、一人で店まで行って蜂蜜をもらってきた。一ヵ月前にはほとんど日本語ができなかったのに、四日市の次男宅にいる間に急速にしゃべれるようになった。スペイン人は人見知りをしないので、こういう交渉にも抵抗はない。おお、すごいものだなと思う。スペイン人は夜更かしなので、かなり遅い時間になって長男一家が宿泊施設に帰っていった。スペインの一家とは4年ぶりの再会で、2歳の男児とは初対面。しかし人見知りをすることもなく、すぐに「じいちゃん」として認識してくれた。彼の手を引いて広場を散歩した。とにかく「じいちゃん」としての役割を果たさなければならない。

07/23/木
4コマの日。ふだんは1週間のうちいちばん大変な日なのだが、孫6人の地獄のごとき喧騒を思えば大学は極楽だ。4年ゼミ、ぼつぼつと内定の決まった学生もいて明るい雰囲気。修論指導は当該学生の小説作品が感性したので先週で終わりにした。3年ゼミは宿題の作品を返す。大学院の授業は難しい構造主義の話など。充実した授業をしている。大学院は夜間の授業なので、この時間なら孫たちもいないだろうと思いながら自宅に帰ると、全員まだいて、喧騒の中で夕食の最中だった。ああ……。

07/24/金
日大文芸賞の受賞式。総評を語る担当なので必要なことをしゃべる。あとは雑談をしながら会食。終わって自宅へ。少し仕事をしてから文藝家協会主催の教材出版社との懇親会。清澄庭園の大正館というところ。いい場所だ。乾杯をする役目なのだが、主賓の役人の話の内容がなかったので、乾杯の前に少し多めにしゃべった。終わって自宅に帰る。全員がいて喧騒状態。地獄じゃ、地獄じゃと思いながらパソコンに向かってメールをチェックする。学部長なので授業のない日でもメールは来る。随時対応しなければならない。明日は週末かと思えば、年に1度の宇都宮講演の日だ。

07/25/土
毎年、この時期に、宇都宮で講演をする。宇都宮アート&スポーツ学校という、小説の書き方などを教えている専門学校の顧問をしていて、年に一回の講演ということで、もうかなり前から、この時期に講演をする。宇都宮はいつも暑い。この時期にしか行かないのでいつも暑いのだが、だいたい東京も同じくらい暑い。本日はセリフの効用といったテーマで話すことにして、テキストも用意していたのだが、又吉さんの芥川賞の話題が盛り上がっている時期なのでその話も少しした。90分、きっちり時間を使って話をした。帰ると妻だけがいた。孫たちは上野の科学博物館からアメ横の方に行ったようだ。暑いのに元気だ。夕食は喧騒の中。まさに地獄のような様相だ。いまはメモが尽きていてパソコンに直接打ち込んでいる。まだひたすら準備をしているだけで、物語が動いていかない。三つの夢告。それから玉日との出会い。そうなればドラマチックな盛り上がりがあるのだが、その前に後白河や頼朝も登場させなければならない。

07/26/日
四日市の次男の嫁さんが帰った。今週の始めから息子2人とスペインの中学生を連れてきていた。最初の2泊は共同住宅のゲストルームを予約してあった。スペイン一家が到着してからは中学生がマンスリーマンションに移ったので、われわれのところの妻の作業場に雑魚寝していた。この間、次男は会社の仕事が忙しく、深夜まで会社で仕事をしていた。たいへんだろうが子どもがいなくて仕事ははかどっただろう。さて、本日、四日市に帰るにあたり、どういう話し合いがあったのかは知らないが、子どもを1人ずつ交換することになった。長男のところの三女と、次男のところの次男を交換したのだ。ということで次男の嫁さん、そこの長男、それにスペインの三女が四日市に向かった。ふだんは離れて暮らしているイトコたちであるが、会った途端に親しくなるのは、やはり血脈というものだろうか。次男の嫁さんによると、次男は自分のパパとスペインのパパの区別がつかず混同しているとのことだ。まさかそんなことはないだろうと思うが、わたしの長男と次男は顔がよく似ている。長男はおしゃべりな芸術家で、次男は無口な理科系の研究者なのだが、顔は似ているし、感じも似たところがある。まあ、あった途端にスペインのパパに懐いたようだし、女の子たちも可愛がってくれる。四日市に行った長男と三女は、年齢が同じなのでとくに仲がいい。ということで、交換してもまったく問題はなかった。で、四日市に3人が帰ったあと、わが妻とスペイン夫婦が、末の2歳の男児だけを連れて新宿に買い物に行った。長女、次女、次男の3人だけが帰ってきたので、その間、どうなるかと思っていたのだが、こういうこともあろうかと、先月からスカパーを契約していたので、ディズニーチャンネルを見せておくと、ずっとおとなしく見ていた。その間、自分の仕事をすることができた。で、スペイン組はマンスリーマンション、四日市組は帰ったので、老夫婦2人だけになるかと思いきや、どういうわけか次女だけを残していった。6人の孫の中で、いちばん繊細でおとないしい子(しかも美人)なので、ずっとおとなしくしていた。

07/27/月
本日は会議だけだが、スペイン組が昼頃には来そうなので早めに大学に移動。研究室でたっぷりと仕事をした。範宴(のちの親鸞)が修行をしているところを描いていくのだが、並行して当時の時代状況を書き込む必要がある。歴史に詳しくない読者にこの時代の推移をそのつど示しておかなければならない。源平合戦の時代だが、京や比叡山が関わるのは木曾義仲の入京のところだけだが、東国で頼朝が実権を掌握し、やがて鎌倉幕府の時代になる歴史の転換期だ。後白河院の動向なども書き留めておかないといけない。手間がかかるが、摂政九条兼実、後白河院、頼朝は小説の中にも登場するので布石を打っておかないといけない。なお、兼実は法然の弟子であるし、のちに兼実の娘が親鸞の最初の妻となるので最重要の人物だ。後白河院と頼朝が親鸞と対面したという歴史的事実はないが、小説はおもしろい方がいいのでわたしの小説では登場することになる。会議が終わり自宅に帰るとまだ廊下にいる間にかすかに喧騒が響いてきた。わたしの住居はしっかりした造りなので、わたしが大声で歌っても騒音が廊下に洩れることはないし、角部屋なので少し奥まったところに入口がある。だから音が聞こえるはずはないと思っていたが、自宅専用の廊下に折れる直前に喧騒がかすかに伝わってきた。やはり子どもの声というのはすごいものだ。ご近所に迷惑をかけているかもしれないし、直下の部屋は子どもが椅子から跳び降りた時の震動が確実に伝わっているはずで、申し訳ないことと思っているが、ふだんは老夫婦2人でひっそりと暮らしているのでご容赦をお願いしたい。

07/28/火
大学は休み。著作権関係の仕事もない。朝、通りの向かいにある郵便局に局留の書類をとりにいき、ついでにスーパーで買い物をした以外は、自宅で仕事をしていた。孫たちは多摩動物公園に行ったとのこと。帰りに寄ろうかと妻にメールが来たので、寄らなくていいと答えた。ということで、本日は孫の顔を見ることがなかった。老夫婦2人だけの生活は何と平和で穏やかなものかと思った。

07/29/水
大学は最終週に入っている。試験機関だがわたしの授業は試験をしないので最終週は休み。だが本日は三鷹駅前にある大学のサテライト教室で、1回きりの講座がある。教室は満杯。西行と待賢門院璋子について話す。2時間なのでたっぷり時間がある。しかし話すべきことは多く、時間の配分が難しいのではと案じられたが、テキストを事前に用意していたので、必要なことはすべて話せたと思う。自宅に帰ると喧騒が続いていた。とはいえひところと比べれば静かになった感じがする。次男の嫁さんと小学1年の男女がいないだけなのだが。で、夕食が終わって全員退去、と思ったら、四日市の次男がお疲れのようすで、ここで寝たいと言い出した。5歳だが話のわかる人物なので、片づけかけていた蒲団をまた出してきて寝るよういをする。長男だけが遊びに来たことはあるが、次男だけ預かるのは初めて。どういう感じで寝てくれるのかわからないので、蒲団に横たえたところで、本を朗読してやることにした。自分が幼稚園の時に兄が読んでくれた「炎の象の物語」というのを読んでやると、読んでいるこちらが泣いてしまった。

07/30/木
昨日のサテライトの講義で公用はすべて終わった。来週月曜に学生の成績をつければすべて終わる。本日は妻がスペインの女の子たちをつれて美容院に行った。ということで、こちらは次男の相手だけをしていればいい。午前中にヨドバシカメラに行ってレゴを買う。ヘリコプターがプテラノドンを網で捕獲するというコンセプトなのだが実によくできている。レゴというのはすごいものだ。早速、組み立て始めた。その間、こちらは仕事。やがて長男が2歳の男児だけつれてくる。彼のためにもデュプロという幼児用のレゴを買っている。長男が2人をつれて散歩に出てくれたので、ひたすら仕事。夜はヨドバシカメラの8階のレストランへ行く。妻とここへ来るといつもお好み焼きなので、他の店に入ったことがない。スペイン人に選ばせるとカレー屋に入っていった。子ども用のカレーもあって、こういうところの店は家族づれに慣れている。ビールを2杯飲む。次男の次男に今夜はどこに泊まるときくと、バアちゃんのところがいいというので、幼児1人つれて帰る。夜中も仕事がはかどった。

07/31/
本日は泊まっていた次男の次男を妻がマンスリーマンションまで送っていって、スペインの一行は次男のいる四日市に向かった。これでまた妻との老夫婦二人だけの生活に戻る。九条兼実との対話。次は後白河院が出てくる。このあたりが一つの山になりそうだ。7月も終わった。前言にスペインの長女が来日して、危機感を少し感じたのだが、すぐに四日市の次男のところに行ってくれた。次男は企業の研究所に勤めるサラリーマンで、とくに研究発表の直前だったのでたいへんだったのではないかと思うのだが、それから一ヶ月、ついにスペインの本隊がやってきた。わたしはまだ作家になる前のサラリーマンの時代に男児2人を得て、作家になりたいという夢の実現のためには足枷のようなものだったのだが、むしろそのプレッシャーをエネルギーにして、作家として生活できるところまで行った。しかし自分としては流行作家というよりは、生涯にわたって一つのテーマを追求するドストエフスキーのような作家になりたいと思っていたので、途中から哲学的な作品、宗教的な作品を模索し、結果としては歴史小説にシフトしてきたのだが、その判断はうまくいっいると思っている。息子たちとつきあっていたのはそのシフト変更の過渡期だったので、子育ての話などをエッセーにして、ある程度の読者を獲得してきたのだが、より哲学的な方向に舵を切って、宗教小説を書くという方向に照準を定めた。2人の息子は大人になって独立してくれたので、哲学と宗教にひたるという状況になっているかと思うのだが、大学の先生と、文藝家協会で著作権の責任者をしているので、俗世間との関わりもある。それでぎりぎりの状態だったのだが、ここに一挙に孫6人と付き合うという状況になると、精神的にややピンチかなと感じている。『親鸞』は2章の終盤になっている。まだ山は来ていない。玉日との出会いが山になる。その前に後白河院との対面がある。ここがもしかしたら最大の山かもしれない。親鸞ほどの人物が、当代随一の政治家と出会って、どういう反応を示すか。これが小説を書くということの意味だろう。親鸞をただ雲の上の人とするだけでは宗教には限界があるということになる。人間としての親鸞を描き、人としての親しみを感じることに小説を書くことの悦びがあるのだ。


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