「悪霊」創作ノート10

2011年12月

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12/01
M大学出講日。木曜は3コマあるので疲れる。とくに1コマ目の文学史の授業はしゃべりっぱなしになる。そのため残りの2コマは少しトーンがダウンする。まあ、仕方がない。妻が実家に帰っているのだが、冷蔵庫の中に食べ物が残っているので、それで生き延びている。妻が物置の整理をして、記憶にない17年ものの陶磁器に入ったスコッチを発見した。コルクがぼろぼろになっていて、茶こしでこして飲む。やっぱりウイスキーは古いものの方がまろやかだ。寿命も残り少ないのでこれからはいい酒ばかり飲んでもいいのではないか。

12/02
旺文社のコンクール。小学生から高校生までの各部門の応募作の中で大賞を決める。つまり、絵画、ポスターデザイン、書道、詩、小説、読書感想文などの中から一等賞を決めるので、ジャンルを横断した議論になるのだが、絵画の先生は文学への見識をお持ちだし、その逆も成り立つので、意外に議論がかみあって、いい結果が出る。小説の担当は阿刀田さんで、わたしは詩の担当なのだが、小説の支援もする。阿刀田さんが詩の支援をしてくださることもあって、まあ、文芸部門も何か章をもらうことができた。よかった。畑違いだがわたしが応援したポスターも他の先生方に評価していただけた。こういう選考会は楽しい。今日も寒かった。まだ妻が実家に帰ったままなので、家が冷えきっている。あとはひたすら自分の仕事。もう何も考えずに作業を進めているのだが、選考会の会場に向かう途中の道で1つアイデアがひらめいた。文豪ツルゲーネフ(原典ではカルマジーロフ)が作品に登場するのだが、この人物に少し文学について語らせたい。なぜなら、わたしが文学に目覚めたのは、最初はツルゲーネフだったからだ。ツルゲーネフに出会わなかったら、わたしは作家になっていなかっただろう。ツルゲーネフを読む前から、ドストエフスキーを読んではいたのだが、ドストエフスキーはあまりにも高級すぎて、自分には手が届かないと感じられた(いまはドストエフスキーを書き換えてやろうとしている。夢のようだ)。ツルゲーネフは親しみがもてた。この程度の作品なら自分も書けるのではないかという気がした。事実、わたしの青春小説はツルゲーネフと武者小路実篤の影響が強いといっていいだろう(漱石とジェイン・オースチンも少し入っている)。道を歩いているといろいろなことを思いつく。ちょうど定刻より早めに会場に入ったので、早速ノートにメモをとった。ついでに短いエッセーを1つ仕上げた。

12/03
土曜日。午前中の雨が止んだので北沢川に散歩。夕方、実家に行っていた妻が帰ってくる。妻の両親が高齢のため時々実家に行く。こういうことがこれからも続くだろう。妻がいなくてもとくに不都合はない。午前中の仕事の時に寝過ごすことが心配なだけだが、まあ、大丈夫だ。今回は木曜日の大学だけが問題だったがちゃんと起きられた。『悪霊』はニコライがマヴリーキーに自分が結婚していることを告げる場面。原典をのぞっているだけなのでどんどん進む。このあたり、ドストエフスキーが神の視点で書いている。わたしの作品では前後がピョートルの視点なので、そのまま押し切ることにした。ピョートルは廊下で立ち聞きしているだけなので、二人の顔が見えない。その方がかえっていい。このように視点を変えるだけで中身が違ってしまうことがある。視点をどうするかは本当はじっくり考えるべきところだが、大長篇なのでとっさの反射神経みたいなもので乗り切っていく。

12/04
日曜日。ひたすら仕事。もう何も考えていないのだが、それでも小さなことで決断しなければならないことがある。反体制運動の小さな集会の場面。もはや本筋と関係のないところはカットしていかなければならない。エンディングに向けてストーリー展開の速度を上げなければならない。それでも小さな波のような緩急は必要なので、少しはストーリーを緩めないといけない。このあたりは適宜に対応したい。

12/05
大学。本日は1コマで学科会もない。しかし文藝家協会の常務理事会なので、大学で少し仕事をしてから移動。必要な情報交換をして役目を果たす。帰って入力。月曜日はフットボールの結果がわかる日。ジャイアンツが1点差負け。少し苦しくなったのではないか。まだ数試合あるから可能性は残っているが、1位通過が厳しくなってきた。『悪霊』、すでに膨大な枚数になっている。しかしそのことは気にせずに一定のペースで進みたい。

12/06
大学。出講日ではないが卒業生の集まりがあり、そこで学内文学賞の表彰があるので、選評を述べる。それだけの仕事なのですぐに帰宅して仕事に集中。いよいよピョートルがリンチ殺人に向かって動き始める。ここがこの作品の眼目だろう。ゴールに向かって着々と前進している。

12/07
大学。出講日ではないのだが、大学の宣伝のためにFM西東京の番組に出演するため、広報部の人と出かける。その時の写真をポスターにして、中央線などの車内広告として掲示するそうだ。少し恥ずかしい。

12/08
大学。終わってから新宿へ。秋山駿さんの会。秋山さんはM大学の先生としては先輩にあたる。もちろん早稲田の先輩でもあるし、17歳でデビューしたわたしの最初の作品を年末の座談会で評価してくださった恩人でもある。それを励みのその後、苦節十年の日々を耐え抜いたといっていい。その秋山さんとも長いつきあいになったが、本日の会にも多くの人々が集まった。気持ち良く酔えたが、いま自分の大事な仕事が佳境に入っているので二次会はパスして自宅に帰る。あとはひたすら仕事。

12/09
金曜日。自宅で児童文学の打ち合わせ。講談社では『星の王子さま』の翻訳をやらせてもらったのを契機に『海の王子』『青い目の王子』を書かせてもらった。前者は日本神話、後者は仏教説話をもとにしたもの。次は『海の王子』の続篇をやりたい。ただ児童文学はいわば限界に挑む試みだ。文学というものはつねに書き手の限界に挑む試みなのだが、とにく児童文学という未知の領域で、やってみなければできるかどうかわからない。いちおう試みるということで、編集者と打ち合わせをした。とにかく試みる。ぎてるかどうかは、やってみないとわからない。夜、平凡社の編集者と飲み会。『男が泣ける歌』の今後の展開について。営業活動にプランがあればできるかぎり協力したいと思う。

12/10
土曜日。ひたすら仕事。

12/11
日曜日。ひたすら仕事。そろそろ年賀状の季節だ。プリンターのインクを買いに渋谷まで散歩。渋谷は人間が多い。頭の中がドストエフスキーになっているので、渋谷の雑踏を目にすると宇宙人を見ているような気がする。

12/12
月曜日。午前中の1コマだけ。本日はジャイアンツ対カウボーイズのサンデーナイト決戦。この同一地区対決は、残り4試合で1ゲーム差でカウボーイズがリードしている。しかし直接対決が2ゲーム残っているで、ジャイアンツとしては2連勝すれば逆転できる。負けられない試合だ。昼休みにネットをつなぐと、残り5分で12点差で負けていた。これはダメだと思ったが、奇蹟を信じて祈るように画面に見入っていた。画面というのはただ点差と残り時間を表示しているだけのもので、画面は30秒ごとに更新される。節電対策で大学が導入した、マウスを動かしていないとすぐに画面が消えてしまう節電ソフトのせいで、たえずマウスを動かしていないといけない。いつも昼休みに来る学生1名、フットボールのルールがまったくわからないので、いま実際に何が起こっているかを解説しながら画面を見る。残り時間が少ないからマニングはパスばかり投げているはずだ。レッドゾーンに入ったらランニングバックが走る。残り2分で6点入った。タッチダウンだ。「ここは2ポイントコンバージョンを狙う」とわたしは解説する。フットボールというのは論理的なスポーツなので、動画を見ていなくても何が起こっているかはわかる。預言どおりに2点追加。これで4点差。次は相手の攻撃を抑えないといけない。何が起こったかわからないが、46秒残して7点入って逆転。3点リードなのでフィールドゴールでも同点で延長にしかならない。延長に入るわけだが、逆転されることはない。46秒、何とか耐えきってジャイアンツが接戦を制した。帰ってテレビを見ると、最後にカウボーイズがフィールドゴール圏内に入っていた。残り1秒で40ヤードほど。充分に入る距離だったが、何とディフェンスがボールをチャージしてゴール不成功。まさに辛勝であった。こういうことがあるからフットボールは面白い。しかし地区優勝できてもこのゾーンはパッカーズ、セインツ、49ナーズと強敵がすでに地区優勝を決めている。しかし先週、ジャイアンツはパッカーズに対して1点差負けだった。いま絶好調で史上最強とも思えるパッカーズに勝てるのはジャイアンツしかいない。奇蹟を信じたい。

12/13
歯医者。もう歯の治療は終わっている。歯科衛生士の点検があるだけ。これがけっこう時間がかかって痛い。疲労困憊。夕方、朝日新聞出版の担当者来訪。打ち合わせ。現在、『新釈悪霊』はゴールが見えてきている。この悪霊の創作ノートも10ヵ月目に入っている。構想から完成までほぼ1年かかるわけで、その間、他の仕事は『男が泣ける歌』だけだった。たまっていたさまざまな仕事を一気にこなさなければならない。ゴールに到達するのは嬉しいが、喜びにひたっているわけにはいかないのだ。

12/14
大学。出講日ではないが卒論の受け取りに参加。今年はわたしは卒論の担当はないのだが、来年に備えてどういう手順になっているのかを確認。短い滞在で自宅に戻る。ひたすら仕事。

12/15
大学。1コマの講義のあと招いたお招きした編集者との公開対談。その後、研究室で学生たちと少し話をしてから、飲み会。少し早いが自分自身の今年の仕事を自ら評価して忘年会とする。今年はよく働いた。著作権関係ではさまざまな協議会に所属し、座長をつとめるものも2件あった。大学が専任になりコマが増えた。『悪霊』を月に200枚のペースで書き続けた。『実存と構造』、『男が泣ける歌』、文庫版『清盛』を出した。休みなく働き続けたという気がする。

12/16
金曜日。フリーエディターと忘年会。この人との仕事で今年は3冊本を出した。『哲学で解くニッポンの難問』『実存と構造』『男が泣ける昭和の歌とメロディー』。ずいぶん働かされたな。来年の話などもするが、とりあえずは今年一年、よく働いたと自画自賛。来年もスケジュールが埋まりつつあるが、中心の仕事はとにかく『カラマーゾフの兄弟』の原典を読み返して構想を練るということだ。少し時間をかけたい。そのために新書などの仕事を何本かこなしたい。悠々自適の隠居老人ではないので、じっくり構想を練っている間、遊んでいるわけにはいかない。大学の仕事はボランティアだと思っている。実際は給料をもらっているのだが、そのことに甘えるとただの「先生」になってしまう。筆一本の小説家であるという気概を失ってしまうと先生の仕事もつとまらない。わたしの大学での仕事はただの「先生」ではなく、「現役の作家が教える」という立場だからだ。次々と本を出し、年に一作は大作を発表する。そういう仕事があって初めて「先生」の仕事も成立するのだ。とにかく昨日、今日と、忘年会をしたので、もう来年になったつもりで仕事をしないといけない。

12/17
土曜日。近代文学館の忘年会。わたしはずっと前から評議員か何かで名を列ねているのだが、文藝家協会の仕事で手一杯で近代文学館の仕事はほとんどやったことがない。飲み会だけ出るのは申し訳ないのだが、たまたまスケジュールがあいていたので出席することにした。妻に車で送ってもらって帰りは歩く。井の頭線で一駅だし、わたしの自宅は駅から遠いので、斜めに歩いていけばほとんど距離は変わらない。楽に歩ける。こんな近くに住んでいるのに欠席ばかりしていて申し訳ない。とにかく飲み会に出席していろんな人に挨拶をした。『悪霊』はエンディングに向けての流れに乗っている。ここからはコンパクトに破局に向かってのプロットを畳みかけていく。火事が起こり、殺人がある。ヒロインのリーザが死んでしまう。それから導師チホンが現れる本篇の最大の山場が来る。大事な場面の連続だが、考えすぎないように、ひたすらペンを走らせる。いまはボールペンでメモ帳に書いている。ドストエフスキーが憑依しているのだが、どうも18世紀の作家はポメラが嫌いのようで、手で書いた方がドストエフスキーふうの文体になる気がする。

12/18
日曜日。日曜日は休みのはずだが今日も大学。Mスカラ入試というものの面接がある。何だからわからないが、学科長と二人で面接なので安心である。若い子と話していると楽しい。可愛い子もいるし可愛くない子もいる。要するにフケ顔だったり、オッチャンみたいな子もいる。とにかく役目は果たした。

12/19
月曜日。大学。1コマのあと、夕方の教授会まで、時間がたっぷりある。少し仕事ができた。リーザが死ぬ場面のメモ。これでいいのか。よくわからないが、憑依しているドストエフスキーの霊のおもむくままに何も考えずにペンがひとりでに動いていくお筆先現象。このまま突っ走るしかない。本日のフットボール。先週、カウボーイズに奇蹟の逆転勝ちをしたジャイアンツは、本日は負けてしまった。だがまだチャンスはある。もう一回、地元でカウボーイズ戦がある。そこで勝てば逆転して地区優勝に近づける。さて、プレイオフ進出チームが続々と決まっている。アメリカン・カンファレンスは東地区でペイトリオッツの優勝が決まった。北地区ではテキサンズとタイタンズが進出決定。南地区はテキサンズが優勝。問題は西地区だ。ここはブロンコスがいまのところ1位だが、1ゲーム差でレイダーズとチャージャーズが迫っているので、この地区の優勝は最後まで決まらないだろう。この3チームは地区優勝しかチャンスがない。プレイオフ進出の残りの1枠は8勝をあげているジェッツとベンガルズのどちらか。このカンファレンスでは、わたしが支持しているのはスティーラーズとベンガルズだけ。ベンガルズがぎりぎりですべりこむことを期待する。ナショナル・カンファレンスでは東地区が激戦。カウボーイズかジャイアンツか。ジャイアンツに勝ってほしい。ここはプレイオフに出るためには優勝するしかない。他のチームは進出チームが決まっている。北地区のパッカーズ、南地区のセインツ、西地区の47ナーズ。2位通過のワイルドカードはライオンズとファルコンズで決まりだろう。つまり東地区の優勝争いだけがポイントになる。このカンファレンスではパッカーズ以外のすべてのチームを応援したい。最悪なのはペイトリオッツ対パッカーズのスーパーボウル。本命同士の対決では意外性がない。スティーラーズ対ジャイアンツの試合が見たい。

12/20
私用で中目黒へ。帰りは歩く。あとはひたすら仕事。たまっているメモを入力。

12/21
会議のダブルヘッダー。午前中は国会図書館。午後は文化庁。午前の会議が正午に終わり、午後の会議は四時から。四時間のタイムラグ。自宅に帰るとすぐにまた外出しないといけないのであわただしい。新橋の喫茶店でトーストを食べながら仕事をする。移動の時間を除いて約三時間半、ひたすらメモを書いた。大量の原稿。ドストエフスキーが憑依しているのでいくらでも書ける。

12/22
大学。木曜日のコマは今年最後の授業。これで仕事納めに近い。もちろん自分の仕事は正月でも持続するのだが、3コマある木曜日が終わってほっとする。26日の月曜日は出講するのだが、質問のある学生だけ来るようにと言ってある。質問がなければそれでおしまい。会議もないので、それで本当の仕事納め。先週は土曜、日曜にも公用があってまったく休みがなかった。明日の休日は嬉しい。『新釈悪霊』もラストスパートとなっている。年末年始を一つの区切りとするため、このあたりで出来ているところまでをプリントして、縦書きの状態にして最初から読み返そうと思う。これまで何を書いてきたか、かなり忘れてしまっているので、つじつまがあっているか、重複しているところがないか、チェックしなければならない。その上で、エンディングに取り組みたいと思う。

12/23
休日。かねてよりこの日と決めていた年賀状の作成。毎年、これのために使っていたデスクトップが不安定なので、仕事に使っているラップトップでプリンターを作動させる。その間も手書きのメモをとる作業は進行できる。今年はタツ。わが次男が年男だね。誕生日が来ると36歳か。わたしの心の中には、長男が3歳、次男が1歳くらいの時のイメージが強く刻まれている。会社を辞めてから芥川賞を貰う前のスリリングな期間、心の支えになっていたのが子どもたちだった。『新釈悪霊』は年を越すことになる。とにかくゴールは見えている。もう少しだ。

12/24
土曜日。クリスマスイブ。年賀状を発想してほっと一息ついていたら、四日市の孫からクリスマスカードが届いた。電話で嫁さんから、「じいちゃん」からのカードを孫が期待しているとの連絡。急遽、ネットで手作りカードのファイルをゲットしてプリントしたのだが、これはカッターで切って組み立てないといけない。途中まで組み立ててから最後の仕上げは妻にアウトソーシング。やれやれ疲れた。『新釈悪霊』はニコライの告白のシーン。この作品全体の最大の山場だ。じわじわと前進している。もう年末モードに入ってのんびりした気分になってはいるのだが、自分の仕事は果てがない。

12/25
日曜日。めじろ台男声合唱団の練習。本日は吉祥寺。夏にも一度行ったことがあるイタリア料理店の地下。地下に小ホールがある。本日は上の店が混んでいるのでホールで宴会。貸し切り状態で楽しくワインを飲んだ。吉祥寺から帰ってくる間に酔いは醒めているので仕事。ニコライの告白。この『新釈悪霊』の最大の山場であるし、原典では本篇の中に入っていないのだけれども、日本版の原典には必ず末尾に付加されている幻の章。ドストエフスキーのファンなら共通の認識として、この部分がドストエフスキーの最高レベルの文献であり、それはすなわち世界文学の最高峰なのだということだが、そこをいま書き換えている。これってエベレストの頂上にプレハブの建物を建てるような作業なのだけれど、それでいいのだ。それなりの充実感はある。

12/26
月曜日。大学。今年最後の大学だが授業はしない。質問のある人だけ来るようにと学生には言ってあったのだが、誰も来なかった。で、研究室で仕事をしようと思ったのだが、学生が来たり、来年、中央線の車内に掲示されるポスターが広報課から届いたり、フットボールの結果をネットで確認しているうちに、けっこう時間が経ってしまった。いつも月曜にある学科会も今日はないので、早めに自宅に帰る。これで今年の仕事が完全に終わった。さて、月曜日はフットボールの結果がわかる日。わたしが応援してスディーラーズ、49ナーズ、セインツはすでにプレーオフ出場を決めている。ジャイアンツとベンガルズも、最終戦に勝てば出場できるというところに位置している。ここからはすでにプレーオフのトーナメントが始まっていると考えて勝ち続けるしかない。あとはそのトーナメントの組み合わせで、何とか応援しているチームが早い段階でぶつからないように祈りたい。

12/27
明日、仕事場へ移動する。仕事場にはプリンターがないので、『新釈悪霊』のこれまでのところをプリントする。600ページを遙かに超えているので、黒インクがどんどん減っていく。年賀状のために4色セットを買った時、黒インクも余分に買ってあったのでよかった。プリントにずいぶん時間がかかった。夕方、出かける用があったが、朝からプリンターを作動させて、ぎりぎりでようやく完了。
W大学の同窓会。わたしは高校を1年休学しているのだが、浪人も多く、ほぼ同年齢。ということは63歳で、定年退職をした人が多い。頑張っているのは弁護士とフリー校正者くらいのものだ。わたしは今年になって就職したのだが、恥ずかしいのでそのことは言わなかった。まあ、作家という仕事には定年がないので、これまでと同じペースで仕事をするつもりだ。今年は6冊本を出した。『新釈白痴』(作品社)は去年の暮れに見本ができていた。『清盛』(PHP文芸文庫)は10年前に出した単行本の文庫化。『哲学で解くニッポンの難問』(講談社)は去年の夏に原稿ができていた。ということで実際に今年に入って執筆したのは『道鏡』(河出書房新社)と『実存と構造』(集英社新書)と『男が泣ける昭和の歌とメロディー』(平凡社)の3冊だけだが、その他に『新釈悪霊』を2000枚書いているのだから、よくは働いた。大学の先生を専任でやっていたのだから、本当によく働いたと思う。それなので、リタイアした人と酒を飲んでいると、何だか自分が浮いているような感じがする。まあ、楽しく飲めた。親の介護をしている人が多い。わたしの両親はすでに亡いのでその点でもわたしは恵まれていると思った。

12/28
仕事場に移動。夏以来来ていない。台風が通ったりもしたのだが、雨漏りのあとはあるものの、被害らしいものはない。築30年の木造家屋なのによくがんばっている。隣の家はテラスが全壊したそうだ。こちらは部分的にめくれあがっているところがあるみたいだが、もとからそんな感じだったので問題はないだろう。掃除をしてあとはひたすら仕事。孫が来るまでに仕事のピッチをあげておきたい。

12/29
ひたすら仕事。年末の忙しい時期に大学のアキ時間や会議の合間にルノワールで書いたメモが大量にあったのをひたすら入力。ほぼ終わった。ここからはパソコンで直接打ち込んでもいいが、とにかくやりやすいスタイルで先に進みたい。いつの間にか最大の山場のニコライの告白も通り過ぎていく。次の山場は……。もう山場はない。あとはゴールに向かって疾走するばかりだ。エンディングの手順がどうなるか、やってみないとわからない。エンディングは原典から外れることになる。原典から外れていいのかということは考えてきたが、いまは外れようという気持があるだけだ。これは自分の作品だから自分のやりたいようにやる。それしかない。

12/30
次男の一家が到着。毎年、正月は彼らと仕事場で過ごすことにしている。3歳と1歳の孫がいる。孫がいるとワープロが打てない。こういう状況を想定して、プリントを用意していた。まだ完成していないが、600ページほどになるプリントを最初から読み返す。この作品はドストエフスキーの『悪霊』の前史を書くというのが狙いだ。原典よりも数年前なので、主要登場人物の4人は、それだけ若い。ややセンチメンタルな感じで出てくる。とくに原典では怪物のような不可解な人物となっているキリーロフが、みずみずしい多感な若者として登場し、作品の視点となる人物として活躍する。もちろん主人公はニコライなのだが、キリーロフの感性によってとらえられたニコライの姿は、これまでのドストエフスキー愛好者にもまったく新しい視点をもたらすだろう。その狙いがうまくいっている。何を書いたかずいぶん前のことなのでほとんど忘れていたのだが、文章がいい。悠然としていて格調がある。いきなり社会主義についての若者たちの議論が始まるのだが、その議論の展開も簡潔にして明解で、ストーリーの流れを阻害していない。観念的な作品なので青臭い議論が出てくるのは避けられない。それがこの作品の中心テーマだからだ。世界はいかにあるべきか、という問題の中で、自分はいかに生きるべきかというテーマが語られる。こんな作品は20世紀になってからはほとんど書かれなくなった。21世紀になってからは、この作品しかないといっていいだろう。当たり前だ。19世紀に書かれた作品を書き換えているだけなのだから。この書き換えの作業が楽しい。結局、自分のやっている作業は、現代の演奏家がバッハやモーツァルトを自分の解釈で演奏しているのと同じことだろうと思う。プリントされた文章はすでに自分の手を離れている。なかなかいい。読者として楽しめるものになっている。実はプリントを読むのが少し怖かった。青臭いところが目立って読むに耐えないものになっているのではと心配だったのだが、その心配はほぼなくなったといっていい。いい作品になっている。かなり長いというのが難点だが、とにかく冒頭を読んだ限りでは、楽しく読んでいけそうな雰囲気をもった作品だということができる。

12/31
大晦日。孫との生活。3歳の孫(わたしにとっては孫4号)はよくしゃべるようになった。夏以来の久しぶりの対面だから、語彙が増えて論理が明確になっていることに驚く。1歳半の孫の方も、驚くべきことに明確な意志をもっていて、必要な言葉はしゃべる。自分の二人の息子のことを考えてみても、この時期にこれほど明確に言葉をしゃべっていたという記憶がない。彼らの父親のわが次男は、幼稚園に入ってもほとんどしゃべらなかったから、それに比べれば驚くべきことだ。孫とこうして交流できることが人生の楽しみの一つだ。この楽しみの中で、作品もゴールに近づきつつある。一年が終わろうとしている。『道鏡』『実存と構造』『男が泣ける歌』の3冊を書き、さらに『新釈悪霊』が2000枚書けている。合計3000枚以上の原稿を書いた。これは自分の生涯でも最大級だ。大学が専任になり、著作権の仕事もいくつものプロジェクトに関わって多忙だったことを考えると、この多忙の中で3000枚も書いたことは驚異である。おじいさん、よく頑張っていると、自画自賛したい。


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