「悪霊」創作ノート9

2011年11月

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11/01
11月になった。火曜日。本日は歯医者に行くだけ。ドクターではなく歯科衛生師。これが痛い。しかし歯医者に通うようになって1年余、しだいに痛みが少なくなってきた。歯と歯茎が改善されたのだろう。歯間ブラシでしっかり磨くようになって歯茎が元気になってきた気がする。昨日、仕事を終えて2階の寝室に上がる階段の途中で、スクヴォレーシニキ村の描写が必要だと気づいた。原典には村の描写はない。ドストエフスキーはあまり風景の描写はしない。そこがトルストイやツルゲーネフと違っているところだ。都市の作家だから農村は好きではないのだろう。わたしもあまり好きではないのだがイメージは大切なので、何とか描写を試みたいと思う。

11/02
三宿病院。先週の人間ドックの時、大腸から採取したポリープと、3月の手術の傷跡から採取した検体の結果。アウトかセーフか。2つに1つ。こういうのをシュレーディンガーの猫状態という(わたしが勝手に言っているだけ)。放射能を測定するガイガーカウンターは、電子1個の通過をカウントできる。放射性物質のベータ線発生率はわかっているので、ちょうど2時間に1個の電子が発生するだけの放射性物質を用意する。これをカウンターでカウントするのだが、計測時間を1時間だけにすると、電子が通ったか通らなかったか、確率は2分の1となる。この時、猫と青酸ガスのカプセルを容れた箱を用意し、電子が通ったら青酸ガスが放出される仕掛けをつくっておく。電子が通ったら、猫は死ぬ。通らなかったら猫は生きている。さて、電子が通る確率が2分の1だとして、ニールス・ボーアやハイゼンベルグの不確定性理論によると、この電子は2分の1の確率で存在していることになる。確率そのものが実在だというのが不確定性理論だ。しかし実際には電子は1個ずつカウントされるわけだが、人間がカウンターを仕掛けて数字を確認した瞬間に、2分の1の確率で存在していた電子は、0か1かの存在になる。つまり観測という行為が対象に影響を与えるという考え方だ。わかりやすい例を挙げれば、てんぶらの鍋からとんだ油の飛沫の温度を確認するために温度計をくっつけようとしても、油の量が少ないと油滴は温度計のもともとの温度の影響を受けてしまう。微少なものの実在は確定できないということになる。さてそこで、電子が2分の1の存在なので、猫もまた半分死んで半分生きていることになる。観測者が箱のフタを開けた瞬間に、猫は生きているか死んでいるかのどちらかになる。何を言いたいかというと、こういうことだ。医者はすでに検体を検査して、悪性のものか無害なものかを知っている。わたしは病院に行って告知を受ける。アウトかセーフかは、2分の1の確率だ。わたしは半分ガンで、半分健康ということになる。告知された瞬間、どちらかがわかる。ということで、待合室で順番を待っている間、わたしは半分ガン患者であった。告知されて、結局、セーフだと言われたのだが、なかなかにスリリングであった。

11/03
今週の初め、大学で3コマの授業を終えた時、喉の痛みを覚えたちのだが、声を出しすぎたせいかと思っていた。だが風邪だったようで、咳が出るようになり、昨夜は熱が出た。夜中の12時から本日の正午まで、12時間寝ていた。熱は下がったがまだ咳が出る。例年、こういう咳は長びくことになる。本日が祭日でよかった。木曜は本来は出講日で3コマある日だ。本日も寝たり起きたりの状態で散歩は休み。それでも仕事は少しした。第3部の導入部が終わり、いよいよ原典をそのまま使える部分に突入した。ここからは原典のダイジェスト版といった感じになる。原典のある部分はすでに第2部に移してあるので、場面をカットしながら、必要な部分だけを綴っていく。すでに考え抜いてあるのでピッチは上がるはずだが、大学の仕事など、本業以外の行事も多いので、体調の維持につとめたい。とにかく人間ドックがセーフが出たので、風邪は残っているのだが精神的には元気が出ている。世の中ではプロ野球などというものもやっているようだが、いつの間にか巨人は負けてしまっているので、わたしの内部では野球は終わっている。日本の巨人軍は負けてしまったが、ニューヨーク・ジャイアンツは首位に立っている。イーライ・マニングは頑張っているが、兄のペイトン・マニングが長期欠場しているインディアナ・ポリスは全敗で、早くもプレーオフ出場が絶望的になった。兄弟対決の夢は今シーズンも実現しない。今シーズンはピッツバーグ・スティーラーズも快調だ。あとはダークホースとして49ナーズに注目している。これからアメリカンフットボールが面白くなる。

11/04
教会にマリアが現れる場面。エンディングに向かって一気になだれこむ原典のオープニングの場面だ。原典全体では全体の四分の一が終わったくらいのところにオープニングがある。そこまでは長い前置き。ここが思いきり退屈なので、『悪霊』を読もうとして跳ね返された読者も多いはず。ここからは原典も面白くなるのだが、わたしの書き換えでは、その退屈な前置きの部分を推理を交えながら具体的なドラマとして展開しているので、すらすら読めるはずだ。ただし長い。面白い小説の場合、長いのは苦痛ではなく楽しみであるはずだ。メンデルスゾーンの運営委員会。先月の例会コンサートの反省。すべてうまくいったのだが、赤字が出た。赤字が出るのはいいのだが、有料会員が減少しているので、このままでは会は存続しない。会費を納入していない会員に電話をかけて確認することにした。本物の会員が何人いるか確認して、その上で今後のことを話し合うことにした。終わって事務所の階下にある中華料理屋。めでたくもないが乾杯する。会はいつまで存続するかわからないが、このメンバーと出会えたことは貴重だ。

11/05
土曜日。休み。突然、キリーロフが発作を起こしてダーシャが看病するというアイデアを思いついた。これはエンディングにつながる重要な問題で、最後までダーシャがキリーロフの病気について知らないというのは、話の段取りとしてフェアではないと以前から考えていたのだが、よい対応が思いうかばなかった。だが、本日、突然にこのアイデアがひらめいた。『悪霊』の原典を読んでいる人で、ここを読んでおられる読者は、何のことかわからないだろう。わたしのドストエフスキー書き換えの作業は、原典をわかりやすくするという作業ではない。原典をまったく別のものに書き換えることによって、ドストエフスキーが本当に表現したかったことを正確にわかりやすく提示するというものだ。簡単にいえば、わたしの作品では、キリーロフが主人公で、ダーシャがヒロインなのだ。このことによって、いわば原典を裏側から眺めることになる。

11/06
日曜日。当然休み。先週の月曜の夕方に喉の痛みを覚えてから、水曜の夜の発熱でピークを迎えた軽い風邪は、もう直っているのだが、置き土産で咳だけ残していった。わたしは鼻と喉が弱いので、この咳はたぶん長びく。明日は講義が3コマあるので、最後までもつかどうか。

11/07
月曜日。1年生の授業があるので本日は3コマ。咳はしゃべっていると大丈夫。1回だけ少し咳き込んだが何とかもちこたえた。しかし3コマ連続でしゃべると声がかれてきた。学科会を休ませてもらって文藝家協会理事会へ。必要な報告があるのでしゃべり続けた。わたしがしゃべり始めた時に夕食を食べ始めた人々が、わたしがしゃべり終わった時には食べ終わっていた。帰って自分の仕事。昨日、少しメモを書いてぶんを入力。もはや原典の領域に入っているので、原典を読み返しながら自分の文章で書き換えている。ピッチは上がっている。ここから一気にエンディングまで突っ走るのだが、原典の主役であるニコライが再登場するシーンは少し慎重にやりたい。原典ではもしかしたら最も重要な部分かもしれない。

11/08
歯医者のあと、紅葉を見に山中湖のあたりへ。本日は自分の仕事も休み。

11/09
山中湖から御殿場へ。アウトレットで運動靴2足買う。わたしは5千円以上の靴ははかないと決めていたのだが、表示価格から3割引といううたい文句(わたしはこういうものに弱い)につられた適当に2足選んだら、3割引でも2足で1万3千円もした。しまった。予算オーバーだ。もともと高い値段をつけていたのではないか。まあ、老化とともに足が弱りつつあるので、靴にはお金をかけてもいい。その後はベンチに座ってひたすら仕事。以前はポメラを叩いていたのだが、いまは紙のメモ帳に書いている。入力する時にもう一度推敲するためと、ドストエフスキーが憑依しているので書くスピードが上がって、ポメラでは追いつかなくなっているため。妻が買い物をしている間、ずっと仕事をしていたので、驚異的にメモがたまった。

11/10
M大学。午前中のコマをこなした後、午後は作家青野總さんと公開講座。地元の図書館などにポスターを貼ったので、大勢の一般参加の聴衆に来ていただいて、楽しい講座になった。青野さんとは第八次早稲田文学の編集委員をつとめたことがあって、それが最初の出会いだが、『文芸』からデビューしたということで、共通の知人が多い。最近は世田谷文学の仕事でも話をすることがあるのだが、差しで話したことはあまりない。本日は公開講座でインタビューをさせていただいた。そうだったのかと思うようなことも多く、充実した対談になったと思う。終わったあと、吉祥寺で軽く飲むという予定にしていたのだが、話が盛り上がって本気で飲んだ。楽しい対話だった。文学についてちゃんと話すという機会が最近は少なくなった。本気で文学をやっている人と話すのは楽しい。一つのイベントが終わって少しほっとした。今年はまだ編集者をお招きしての公開講座があと2回あるのだが、まあ、親しい編集者なので何とか乗り切れるだろう。

11/11
金曜日。本日は芝居を見に行くだけ。三田和代さん関係とは違う芝居を見るのは久しぶり。面白くなかった。

11/12
土曜日。何ごともなし。日本シリーズが始まった。毎年、この時期になると、わたしの興味はアメリカン・フットボールに集中する。日本の野球のことを考えたくないということもある。とくに巨人軍のゴタゴタが報道されているのは、どうでもいいことではあるし、うるさい、という感じだ。あのナベツネという会長をトレードに出したい。交換できるならソフトバンクの王さんと交換したい。で、そのアメリカン・フットボールだが、ジャイアンツは順調に勝っている。スティーラーズも勝ってはいるのだが、この地区はベンガルズの調子がいい。その他ではセインツと49ナーズに注目。今シーズンは全勝のパッカーズに対抗馬はどのチームか、という感じで進んでいる。正月くらいになればチームが絞られていくだろう。

11/13
日曜日。何ごともなし。スーパーへ行って高知牛乳を買う。新聞に福島第一原発の所長のインタビューが出ていた。「何度か死ぬかと思った」というコメントは、確かにそのとおりだろうとは思うものの、それは原発そのものが容器ごと爆発するということで、所長一人の死では収まらない。そう考えるとやや無責任な言動ではないかと思われる。そういう事態が起こりうることを想定して対応策を事前に考えておくのが所長の責任ではないだろうか。『新釈悪霊』はいよいよ主役のニコライの登場シーンになった。順調に前進している。

11/14
月曜日。大学。本日は1コマだけだが、学科会がある。この会議が長い。しかし参加しないと置いてきぼりになってしまうので出席しないわけにはいかない。アキ時間には仕事ができるから問題はない。もはや原典の領域に入っているので、右から左に書き写すような作業だ。とはいえ実際はそれほど単純ではない。ドストエフスキーの著作権は切れているけれども、翻訳者の著作権は存続しているから、書き写すのはアウトだし、今回の試みは原典の「前史」を書くことなので、原典の部分はオマケのようなもの。原典を読んでいない人、読んでも忘れてしまっている人のために、原典の部分を思いきり圧縮して付けるというのがコンセプトだ。ただし原典でも山場となっている部分はなるべく短縮せずにそのまま再現することを心がけたい。というふうに、緩急をつけて圧縮する作業は実はかなり手間のかかる作業だ。しかし勢いがついているので、あまり考えずに反射的に作業ができる状態になっている。ドストエフスキーの霊が憑依しているので、その霊の命ずるままに流れ作業をしていくという感じだ。とにかく時間があればその間はフル稼働という状態なので、一日に何時間が作業時間がとれれば確実に前進していく。本日は大学でのアキ時間と、夜中の作業時間を加えれば、充分に前進できる。

11/15
PHP研究所の担当者、『文蔵』編集者来訪。文庫本が出たばかりの『清盛』についてのインタビュー。清盛について語る。わたしの清盛は十年前に出した本だ。世の中から忘れられた本だが、来年の大河ドラマがこの時代をとりあげているので文庫として復活することになった。わたしの本は小説のスタイルになっているが、歴史の資料を踏まえた評伝といっていいもので、テレビを見る上での参考文献としては役立つものになる。もちろん小説なので、読んでいくと清盛のいう人物のキャラクターが立ち上がってくるところを楽しんでいただけると思う。清盛は評判の悪い人物だが、それは平家物語などで、すでに権力者となった晩年のイメージしか描かれないからだ。清盛にも青春時代があった。わたしの歴史小説はすべて青春小説だ。清盛の青春は新鮮で、エキサイティングだ。インタビューのあと担当編集者と近所で軽く飲む。次に『頼朝』の文庫も準備されているので、とくに仕事の話はしない。電子書籍の話などする。軽く飲んだだけなので自宅に帰ってまた仕事。ドストエフスキー、遠くにゴールが見えているのでとにかく毎日、少しずつでも前進していきたい。

11/16
文化庁小委員会。必要なことは話した。終わってから文化庁に拉致されて打ち合わせ。ここでも必要なことは話したが、お役所仕事的な腰の引けた姿勢にいささかがっかりした。少し大声を出してしゃべったので喉が疲れた。

11/17
大学。本日は3コマ。まだ咳が続いていて喉が本調子ではない。昨日、大声を出しすぎたか。明日は公用がないので終末にかけて、しばらく声を出すのを休止しようと思う。

11/18
金曜日だが、本日は歯医者だけ。昨年の夏、前歯の差し歯が抜けたことから始まった歯の治療が、ついに終わった。何本の歯を治療し、何十万円投資したかわからないが、とにかく終わった。『新釈悪霊』はすごいスピードで進んでいる。キリーロフが幼児とボールで遊ぶ場面、原典では一箇所だけなのだが、わたしの作品では伏線として少し前にボール遊びのイメージを出しておき、エピローグの中でも使う。こういう主要なストーリーとは関係のないちょっとしてシーンが作品に潤いを与えることになる。原典の第1部が終わった。三分の一にあたる。まだ半分を越えていないのだが、すぐに半分のところまでは行けるだろう。そこから少し慎重に前進したい。エンディングに到る詰め将棋みたいな段階になったらじっくり考えて最善のコースをたどってゴールインしたい。

11/19
土曜日。一日中激しい雨。散歩にも行かず、ひたすら仕事。

11/20
日曜日。コーラスの練習の日だが咳が回復していないので欠席。体は元気なので散歩に行く。『新釈悪霊』はスピードが出ている。ほとんど何も考えずに手が動いている。それでいい。あとは流れに乗ってゴールに飛び込むだけだ。修道院でチホンと対決するシーンが全体の最大の山場になるだろうが、原典と違ってわたしの作品ではすでに一度チホンを出しているので唐突な感じはしないだろう。コンパクトに書くので流れが滞ることもない。ただここまで書いたことがあまりに大きすぎて、頭の中から抜け落ちている。キーワードで検索して必要な部分だけを読み返すようにしているのだが、こんなことを書いたのかと驚くことが多い。もう一度書けと言われても絶対書けないようなすごいことが書いてある。全体を読み返すのが楽しみだし緊張もするだろうと思う。

11/21
月曜日。大学。本日は1コマだけだが、1年生の授業の時間に、来年の2年生のゼミの説明会があり、創作ゼミの説明をした。とにかく小説を書く、という授業なので、説明はそれだけだが、同時にプレゼンテーション能力を開発する、ということも指摘しておいた。無口で暗い人物に小説は書けない。他人(読者)に対するやさしさがないからだ。まず話ができるということが、書くことへの出発点だ。その後、教授会。それまでのアキ時間の仕事のメモを書く。いまはペンを持てばいくらでも書けるという状態になっているので、大量のメモが書けた。入力が追いつかないほどなので、入力は終末の作業にして、今週は多忙なスケジュールの隙間をぬって、メモ帳に書けるだけ書いてみようと思う。

11/22
大学。本来は出講日ではないのだが、編集者を招いた特別講座のために出講。学生たちの前で懇意の編集者と雑談。昔の作家の話とか、編集者の労苦と喜び、といった四方山話をした。学生たちにとっては新鮮な話になったと思う。

11/23
祝日だ。何の日だろう。新嘗祭だね。秋の取り入れを祝う祭祀だ。農業をやっていないと取り入れという実感がない。勤労感謝といわれても、実は勤労しているという実感もない。本を書くのは楽しいし、講義をするのも楽しい。大学の先生でいちばん面倒な仕事は出席簿に出席とか、点数とかを書き入れる作業。これさえなければ大学の先生の仕事は楽だ。講演とか会議も楽しい。そこに行く行程も、まあ楽しい。だから感謝されなくてもいい。本日はたまっているメモを入力。この入力作業がまた楽しい。一番楽しい作業ではないかな。今週も来週もスケジュールがハードで、本日は貴重な休みだ。休みの日は自分の仕事がハードになる。腕が痛くなるくらいキーボードを叩き続ける。昔、1台70万円くらいの専用ワープロを買って、嬉しくてほとんど睡眠もとらずにキーボードを3日ほど叩き続けたら、突然、全身がコチコチになって倒れた。ペンで書いていると手が動かなくなってオーバーワークだとわかるのだが、キーボードを叩く作業は疲れが全身に回る。局所的な疲れではないので少し長持ちするが、オーバーワークの警告がないので、突然にダウンしたら、完全にアウトになってしまう。ほとんど呼吸困難みたいな感じになる。まあ、祝日は1日だけだから大丈夫だ。明日は大学の出講日だ。大学は疲れを癒すために行くようなものだ。

11/24
木曜日。M大学出講日。3コマの日。しかし真ん中のコマは学生が自主的に討議する日にしたので楽。3コマ目も短めに終わる。創作指導の授業はしゃべる方も聴く方も集中力が必要なので、1時間やれば疲れきってしまう。夜中まで自分の仕事。メモを入力しているのだが、うわっ、と思うようなすごいことが書いてある。憑依しているドストエフスキーの霊が書いているので、わたしの言葉ではないのだが、改めて読み返してみると、人間の言葉とも思えないことが書いてある。書き終えた途端にばったりと倒れるのではないかと思うほどだが、次の仕事も決まっているのでそういうわけにはいかない。何よりも大学の先生を本格的に始めて、入試についても自分の意見を提出しているので、どのように改革できるかを見守って行かなければならない。

11/25
午前中、国会図書館での協議。午後、凸版印刷で外字異体字協議会。両方とも、重要な会議だ。インターネットで本を読む環境を整備するために、多くの叡智を集めて協議し、試行錯誤する。こういう現場に立てることを幸運だと思うし、その中で重要な提言ができることも、幸運だと思う。しかし、ボランティアである。時間をとられて自分の仕事の時間が減ることは損失ではあるのだが、人と議論をすると脳が活性化するので、何らかのメリットはある。ドストエフスキーが憑依するのも、脳が活性化しているせいだ。

11/26
土曜日。都内某所。自分の人生にとって重要な局面に差しかかっているのだが、詳細はここでは公表できない。夜、平凡社の担当者とNHKの人と打ち合わせ。来月発刊予定の『男が泣ける歌』をラジオ番組で紹介していただけるようで、その打ち合わせなのだが、ゲラを読んでいただいているお二人にいい本だといっていただけたので、元気が出た。

11/27
日曜日。ひたすら仕事。この『新釈悪霊』という作品は、原典の「前史」を描くことを主眼としていた。その「前史」はすでに完成した。いまはその「前史」に原典を圧縮して付け加える作業を続けている。当初は原典のダイジェストをエピローグとして付ける、という程度のことを考えていたのだが、「前史」を書き始めてみると、川のうねりのように物語が進行していくので、その果てに省略したエピローグを付けるだけでは済まないという気がしてきた。そこで同じようなうねりを原典の時間の流れにも持ち込むことにした。ダイジェストではなく、同じ厚み、同じ密度で物語を進行する。ただし無駄は省く。いま原典の文庫本にして二冊のうち、一冊目が終わったところだ。二冊目にはピョートルの長い一日が記録され、その次には通常巻末に付加されている「ニコライの告白」が続くとされているのだが、わたしの感じでは、この告白はエンディングの直前に置くべきだという気がする。リーザが死んでからでないと、ニコライの気持が追い詰められた感じにならないだろう。とにかく原典の流れも半分のところまで来た。ゴールがようやく見えてきた。

11/28
月曜日。大学出講日。1コマだけなので楽。しかし学科会がある。これが長い。というような大学の日常にも慣れてきた。自分の仕事に支障はない。夜中も仕事が出来る。まあ、何とかやっているが、これは体が元気だからだ。体調を維持しなければならない。

11/29
メンデルスゾーン協会運営委員会。会報の発送。封筒にメンデルスゾーン協会のハンコを押し、会報とそのほかに封入すべきご案内の類を封筒に入れてから、宛名ラベルを貼る。それだけの作業だが老人数名が流れ作業で担当する。武士の傘貼りといった慣れぬ内職のようなものだが、終わってから飲み会。軽く飲むつもりだったがかなり飲んでしまった。夜中の作業ができなかった。

11/30
教育NPOとの定期協議。あとはひたすら自分の仕事。しばらくの間はピョートルが中心となってストーリーが展開する。ネチャーエフ事件という当時のリンチ殺人事件の首謀者をモデルにしているとされるこの人物は原典でも重要人物として描かれているのだが、原典で描かれているだけではわかりにくい側面がある。より具体的に人間らしく描くことが必要だ。


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