前沼崎城

概説 別名、前木館。
 沼崎城(後沼崎城)は北谷ヶ城の山林にある。この城は以前には前木の地に築造されていたようで、現在前木には内屋敷、堀之内、丸の内、矢土等の城砦に関する地名があり、また見取図も残されている。永正、天文の年間に沼崎備前守宗幹の名がみえるところから、その頃には前木に築城されていたものであろう。その後北谷ヶ城に移転したようで、構築年代は戦国時代後半期と推定される。小田氏名簿録を見ると「沼崎城々主、壱万貫領、沼崎播磨守五郎」と記されている。小田氏の出城として築造されたものであろうが、城域は広大で整備された立派な城館である(後沼崎城を参照)。[『豊里町の歴史』より]
東側から丸の内を望む
その他の写真
  1. 宇賀神社と堀跡、その向こうは本丸跡(知らなければ見過ごしてしまいそう)
訪問記[2003/01/07]前沼崎城主の末裔といわれるO野さん(86)のお宅でお話を伺う。その後、氏神の宇賀神社と堀跡へ案内してもらう。宇賀神社は元は別の場所にあったが多賀谷氏との戦闘で焼かれてここへ移したそうだ。ここには「大籠大の藤の木あり 小田天庵公馬にて藤の花見に訪れた」そうですが今は無くなっている。他にもいろいろと興味深いお話をしていただいたが、ネイティヴ茨城弁のヒアリングがかなり難しかったです。
所在地つくば市沼崎字前木。沼崎小学校の西約600m付近。城域の南部分を東西に貫く県道200号線の南側は水田(休耕田)になっていて、その一画に小さな松の木と祠がある。それが宇賀神社で、その北側の一段低くなった水田が堀跡。堀跡の北側が本丸跡。
参考書『豊里の歴史』