山背泊台場

概説 山背泊台場は2ヶ所あったようで、文政4(1821)年『箱館市中細絵図』には山背泊に「大筒場」が一ヶ所描かれているだけだが、天保(1830〜1844)初期の箱館図には山背泊集落の東と西に「砲台」南部家持場および「砲台」ナンブ持場として2ヶ所に描かれている。文政4年図に描かれている「大筒場」はこの山背泊台場のことらしい。一方、『新開調記』で「東風泊奥台場」と呼んでいるのは西側の山背泊奥台場のことと推測される。
 一般に「山背泊台場」と言われているのは山背泊奥台場のことです。そちらもご覧下さい。
函館漁港から台場跡を見上げる
その他の写真
訪問記[2003/06/23]現在は住宅が密に建て込んでいて跡地に立つことはできなかった。台地下の函館漁港側から見上げるとそこは良い具合に張り出しているのが分かる。
所在地函館市船見町。市立西小学校の道を挟んですぐ北側。
参考書『箱館から函館へ』