土屋農場  ー士族授産農場としてー


 美浦村の南西部に大字土屋という地区がある。この「土屋」というのは、最後の土浦城主土屋挙直(しげなお。水戸斉昭の十七男。嘉永5〜明治25)の子土屋正直(まさなお。明治4〜昭和13)が経営する農場があったことに由来する。農場の社務所は、現在土屋稲荷神社があるあたりにあったという。正直が土浦城主を務めたことはないはずだが、土地の人が「土屋の殿様」と呼ぶのを今でも耳にすることがある。

 明治維新による幕藩体制の崩壊時、土浦藩にとっても旧家臣団の処遇は重要な課題であった。藩主土屋挙直は、三津商会を創立して米穀の売買を営んだり、茨城県最初の「第五十国立銀行」を創立したり、その他倉庫業を営んだりして旧家臣の救済を考えたと言われる。

 「土屋農場」の創設もその一環で、明治十四(1881)年10月、土屋地域の開墾を申請し土地引き渡しが完了し、二年後の明治16(1883)年から開墾に着手した。旧土浦藩士神田道教が社務に当たり、大農法を志向し開墾に当たった。土屋農場の経営者は、子爵土屋正直であり開墾入植を募った。

 以上、『美浦村誌』、『阿見町史』を参考にしました。