大山城

概説詳細不明ですが、河川・低地を挟んで藤代町の岡城とわずか300mほどの距離で相対していることに何かしらの意味がありそう。
丘の上は立派な屋敷地(北側、岡城側からの眺め)
大山城周辺図(クリックで拡大)
その他の写真
  1. 旧地名寺田字大山
  2. 道路通過予定地南側、この辺りが主郭部か
訪問記[2002/10/13]この地はもともとは野々井の一画だったようだが、現在は新興住宅地になっている。しかし、城址主要部は立派なお屋敷になっている。現在は農業用水となった小河川を挟んで目と鼻の先に岡城がある。
[2007/01/09]手持ちの『茨城県遺跡地図(平成2年)』では大山城の場所は上の写真の場所に間違いないのだが、その北西約300m付近の台地一帯(旧地名寺田字大山)が城址だという『たぶん取手ブログ』の情報を得て見に行って来た。台地の形からすれば確かに北西側に主郭を置いたとするのはごく自然なことだと思える。むしろ、『茨城県遺跡地図(平成2年)』の元になった調査が狭い範囲に限定されていたのではないだろうかとさえ思える。その上、台地の北西部は旧地名が大山だったらしい。ではそちらに何があるかというと、延々と塀に囲まれた広大な屋敷地、中へは入れませんでした。周囲の公道を歩いてみると、土塁の残欠か?犬走りか?舟着場への土橋か?畑の中の一段高い場所に囲まれた一画は城主因縁の地か?などなど、怪しげな地形が点在してはいます。しかし、近々そのど真ん中を道路が通るようで、現在工事の最中でした。ということは、発掘調査が行われてその報告書もあるはず。
所在地取手市新取手5丁目18〜21付近。
参考書『茨城県遺跡地図(平成2年)』