手野新堀土塁(仮称)

概説 鉾田市の石崎勝三郎氏が確認された土塁。ここから2kmほど西方には手野城がありその防御を意図したものか、はたまた出島地域に多く見られるシシ土手の類か詳細は不明。国道354号線の両側は造成のため壊されているが、もとは南北600mに渉り一直線につながっていたと思われ、北端と南端はきっちりと谷津へ落とし込んでいる。また、北側部分では東側に並行してやや低い土塁が見られる(土塁頂間隔は約18m、高さは西側1.2m東側0.8mほど)。南側部分は東側の土を掻き上げたように見える。遺跡登録されていないので、字新堀(『土浦市史別巻土浦歴史地図』による)を採って仮称としておく。
土塁南側部分(左手東側から掻き上げたように見える)
位置概略図(クリックで少し拡大)
その他の写真
  1. 国道354号線北側部分の土塁
訪問記[2005/04/05]ここを見つけられたのは鉾田市の石崎勝三郎氏氏で、その話を人伝いに聞き見に行ってきた。かなり幅広の土塁で堀土塁とも後世にかなりならされてしまったように見える。東側から土を掻き上げたように見えることから西側の手野城を防御したものであろうか。人為的なものであることは間違いないが、城郭防御施設かどうか即断しにくい。
所在地土浦市手野町字新堀。土浦五中の600mほど東側の押しボタン式信号機の北側と南側の杉林の中。国道354号線に直交する方向になる。
参考書『土浦市史別巻土浦歴史地図』