大木戸土塁

概説飯倉城砦集落の西側防御のための土塁。
東側土塁の北側部分(堀部分を歩く人)
その他の写真
  1. わずかな隆起が残る(写真でわかりますか?)
  2. 工業団地造成工事で西側土塁の北側部分は湮滅したが、南側部分は林の縁に沿って残る
訪問記[2000/11/19]工業団地とは関係なくすでに湮滅していたのかもしれない。
[2003/03/02]残っていました。今まで何度も探しに来て、強いて言えばこのうねりがそうかな、と思っていたが確信は持てず、完全湮滅かもしれないと思っていた。50mほどの間隔で二条あり、大きかったと言われる西側土塁の北側部分は湮滅し、南側部分は残る。東側土塁の北側部分は僅かな高低差が残るだけで気づかないくらい小さく、南側部分は林の中に湮滅。ここにある「お姫様之墓」は江戸崎土岐氏滅亡の際に飯倉のI家に落ち延びた悲劇のお姫様のお墓、ということになっているそうです。このお姫様の落ち延び伝説は他に「美浦村大塚のH家」と「美浦村木原のI家」にあるそうです。
所在地稲敷郡阿見町飯倉。飯倉の集落の西、鹿島神社を過ぎて道が二股に分かれる手前。東側土塁は「お姫様之墓」の道を挟んで北側。
参考書『阿見町史』