概説 | 飯倉は二重の構造で、明神脇から峯下へ向かう堀が東坪を守り、大木戸にある二重の堀が東・西両坪を守る。これらの堀は集落を島のようにし、稲敷台地の尾根道から遮断する。伝承によれば、東坪は小田氏に仕えたことのある人々のグループ、西坪は土岐氏の時代になってから来住した人々のグループと考えられ、そこに集落内での小領主権の交代が考えられそうである。[『阿見町史』より] 現在では分かりにくくなっているが、堀が土塁の内側に掘られていたらしい。このような配置は東北北部から北海道道南にかけて分布している高地性集落あるいは防御性集落で見られることを聞いたことがある。 なお、「城砦集落」についてはこちらにまとめてあります。 |
字堀山の住宅脇の土塁 |
訪問記 | [1998/03/09] [1998/11/09] |
所在地 | 稲敷郡阿見町飯倉 |
参考書 | 「阿見町史」 |