守山藩陣屋

概説 守山藩は水戸藩から分家した小藩で藩主は松平氏。常時江戸詰で参勤交代なしの藩だったらしい。元禄15年(1702)には現在の大洗町神山町に松川陣屋を置いていることからも、茨城県とは縁の深い藩である。幕末になって水戸藩が海防に力を入れる中で、常陸南岸を守れと言われて、現在の大洗町夏海から鹿嶋市国末(鹿島共同火力発電所あたり)までの海岸線に陣屋や台場をけっこう作らされている(→茨城県内の幕末海防施設)。
陣屋はこの道を含んで左右両側一帯にあったと思われる
その他の写真
訪問記[2006/10/16]茨城県の海防と深い繋がりのある守山藩の元陣屋。藩士200名程度の小藩ということで陣屋もそれほど大きな物ではなかったと思われる。陣屋跡の碑も解説板もないため陣屋の正確な位置は分からないが、既刊書や検索したホームページ情報では駅前通りの北側(写真左側)とされている。しかし、『陣屋日記を読む 奥州守山藩』掲載の見取り図からは、駅前通りを含み若干その北側(写真左側)および多くは南側(写真右側)と推測された。
所在地福島県郡山市田村町守山。JR水郡線磐城守山駅の東側300m付近。
参考書『【決定版】図説・江戸三百藩「城と陣屋」総覧 東国編』、『陣屋日記を読む 奥州守山藩』