美浦村の馬頭さん


 馬頭観音菩薩をご存じでしょうか?私のまわりの人々は愛着を込めて『馬頭さん』と呼びます。

 このページへ辿り着いた方の中には競馬ファンも大勢いることでしょう。それは現在の美浦村の知名度に『日本中央競馬会美浦トレーニングセンター』(以下、美浦トレセン)の存在が大きく貢献しているからだと思います。そして今、国内で目にする馬の多くは競走馬や乗馬で使われるサラブレッド種やアングロアラブ種ですからそれも当然のことと思います。
 しかし、これら外来種とは別の馬たちが、永い歴史の中をつい数十年ほど前まで私たちと共に暮らしてきました。暮らしの中で馬たちは大切な財産であり家族でもありました。そういう大切な馬たちの安全と成長を祈りまた死んでいった馬たちへの供養のために多くの馬頭観音が全国に建立されてきたのです。ここ美浦村も例外ではありません。美浦トレセンが建設されるよりずっとずっと昔から、村内の路傍には行き交う人々や牛馬を見守るようにして「馬頭さん」は立ち続けているのです。

 『美浦村石造物資料集』によれば村内には35基の馬頭さんがあるそうです。中には個人宅でお守りされているものもあるのでその全てを見ることはできないかもしれませんが、美浦村の四季を背景に馬頭さんを少しずつ回ってみようと思います。

春      



(1)まず、トップバッターとしてはここからいきましょう。古いものではありませんが、現在の美浦村を代表する施設である美浦トレセンの馬頭さんです。この施設内にはおよそ2000頭の競走馬がいて、日々トレーニングを積んでいますが、その馬たちの安全を見守っているのがこの馬頭さんです。しかし、不幸にも調教や競走中に死亡する馬もいます。その場合にはこの馬頭さんの前でお経を上げてもらい冥福を祈ります。

(2)同じく美浦トレセンにある馬頭さんです。赤レンガ事務所東側のファントピアにありますからいつでも自由にお参りできます。これは名馬ライスシャワー号の冥福を祈って同馬を管理していた飯塚調教師が建立した物のようです。

(3)大字木原字新宿。元治二丑年四月廿七日(1865)。
 この地にかつて存在した岩勝寺(「木原陣屋跡」と言われている)に関係した石造物が数体並んでいる。最近コンクリートで固定されたので倒されたり盗まれたりの心配はなくなりましたがどうも窮屈そうです。

(4)大字大谷字堂地峰。雲母片岩でできた高さ約200cmのめずらしい形の馬頭さん。明治42年(1709)。
 大谷組馬頭のMさん他が建立。

(5)大字大山字山ノ下。
 ここにはもと念仏寮と称する一寺があったそうです。それにしてもドミノのように並べられては馬頭さんたちもさぞや息苦しいことでしょう。後ろに並ぶ最も背の高いものが寛政年間、その他は明治時代のものか。

(6)大字大山字新山。天保五甲午年(1834)。

(7)大字土浦作次郎。
 大山方面へ向かう村道から美浦ゴルフ倶楽部へ入る交差点脇の交通安全の大きな看板の陰にひっそりと建っていて見落としそう。

(8)大字八井田。大正7(1918)年。
 共同墓地の最前に建つ堂々たる馬頭さん。

(9)大字山王字山王久保。昭和40年(1965)。
 若草の光りのどけき石仏。「美浦村の春」を象徴するような風景です。昭和40年になってもまだ馬頭さんを祀ろうと思うくらい身近に馬がいたのでしょう。

(10)大字木原字神田、永厳寺境内。明治18年(1887)。

(11)大字木原字大防、如来寺境内。明治42年(1909)。
 二つの大きな石仏に挟まれて狭苦しそうにしている馬頭さんでした。

(12)大字木原字門前、廣徳寺参道脇。昭和11年10月10日建之(1936)

[参考文献]
(1)美浦村石造物資料集 美浦村史編さん委員会 1986。
(2)日本の神様読み解き事典 川口謙二 柏書房 1999。


春