概説 | 近世の美浦村支配について:徳川時代美浦村は天領、旗本領、与力給地、仙台藩領であり、そのうち木原村は幕末、天領および旗本領(大久保領、一色領、鈴木領)であった。特に天領木原村は浜、田中、郷中、大須賀津(の一部)の範囲であった。その他、舟子村は寛永10年からは3人の旗本(久永源兵衛、本田太郎左衛門、長見新右衛門)に支配され、元禄11(1698)年の地方直しからは天領(林金五郎御代官所)と与力給地(駒木根大内記、秋山祺左衛門、大久保弥五右衛門組、角南主水組の各与力給地)の二給地となり幕末まで続いた。また、請領村(受領村)は仙台伊達藩領で美浦村唯一の大名領であった。[『ふるさと美浦の民俗』p6〜12、『美浦村誌』p129、143より] |
陣屋跡は保育所になっている![]() |
訪問記 | [2002/2/25]木原に陣屋があったという話をつい最近耳にした。場所はわかるが詳細はまったく不明。 [2002/4/8]木原陣屋の所在地について郷土史家のI先生にお聞きしたところ「現在の木原保育所の西側から北側へ巡っている暗渠を地元では『陣屋堀』と言い伝えていることから、この地に木原の陣屋があったと想定している」ということでした。伝承だけでなく村内に残る近世村絵図のどこかに記載されているということも聞きましたがこれは未確認です。堀は保育所駐車場と民家の境界を通っており、暗渠にしたのはつい10年ほど前だそうです。 |
所在地 | 茨城県稲敷郡美浦村木原。木原保育所のところ。 |
参考書 | 「ふるさと美浦の民俗」、「美浦村誌」 |