柏根館

概説 柏根館は若栗地頭、波多野氏の館址と考えられる。
 波多野(秦野)氏について:天文23(1554)年に若栗で起きた野論についての記録「若栗村訴状御めやすの事(湯原文書)」に若栗村地頭はたの(波多野)山城の名が見える。阿見町若栗には、地名、堀立に館址を示す小規模な遺構と中世様式の無縁仏・宝篋印塔が共同墓地に数多く残っているが、波多野伝承は皆無であり、波多野姓も全くない。一方、天文25(弘治2=1556)年、大谷城(=美浦村の根古屋城)城主波多野刑部少輔(秦野宗治)が、一宮楯縫神社に信太庄大檀那として大般若経を奉納した記録(『安得虎子』)があり、現在も美浦村大谷には、殿様の後裔伝承を持つ秦野氏が今に続いている。天文年間までは美浦村大谷および阿見町若栗は小田氏方と考えられる波多野(秦野)氏の勢力範囲だったが、その後、両波多野氏は江戸崎土岐氏の一円支配の渦に呑まれその家臣となって、大谷の秦野氏は領主の地位を去り土着し、若栗の波多野氏は龍ヶ崎へ移った可能性(「高野山清浄心院・常陸日月牌過去帳」)がある。[『御茶園遺跡』を参考にしました]
西側からの遠望(桂川から外堀が入り込む地点から)
その他の写真
  1. 民家の周囲に土塁が残る
  2. 自然の谷津を利用した外堀(小麦が植えられている)
訪問記[2001/01/01]今回は場所を確認しただけ。
[2003/02/10]館跡にある民家の方にお話を伺った。「古い家だが館跡という話は聞いたことはない。屋敷裏にわずかに土手があるのと屋敷北側には15年ほど前まで用水路が流れていた。」とのこと。土手は土塁の跡のようだし、用水路は水堀跡と考えられそう。そこから南へ50mほど行った竹藪の中にも土塁らしきものあり。
[2003/03/02]情報が二転三転して済みません。前回の場所でも大きな間違いではありませんでした。ただ、思っていたよりもはるかに広い縄張りのようです。「館」よりも大きいものだったかもしれません。
所在地稲敷郡阿見町若栗。柏根交差点周辺。共同墓地は阿見消防署の南側。
参考書『阿見町史』、『御茶園遺跡』