根古屋城

概説 城主については、最近大谷の秦野家に伝えられている位牌から、天正十四年七月二日、浄楽院殿其阿天正道漢大居士 位牌裏に秦野刑部少輔義兼という文字が読まれ、来迎寺(時宗)の檀那であったことが判った。畑野氏が文献上に現れるのは、「天文廿五年三月吉日、信太庄大檀那波多野刑部少輔願主、秦野宗敬白(「安得虎子」)」と名がでてくる。また、『阿見町史』に、永禄5(1562)年、「波多野刑部少輔根古屋に移す」と記されている。当時は、土岐(原)氏は治英・治綱のころ、後北条氏が関東に出兵し、多賀谷氏・佐竹氏と戦ったり(天正4(1576)年)小田城を攻めるときで、戦雲急なる時代であった頃と推測される。秦野氏は小田方であったとするものがあるが不明である。小田方とすれば、木原城主近藤氏、江戸崎城主土岐氏、岡見城主岡見氏と敵対することになる。[『美浦村誌』より]
東からの遠景
    その他の写真
  1. 城跡へ登る赤い鉄の橋
  2. 本郭には稲荷社が祀られている
訪問記[2000/05/08]お稲荷さんのある中心郭の下に2段になって腰郭と思われる平坦地がある。
所在地稲敷郡美浦村大谷。大谷小学校の北。いつも周囲を車で走っていたのに登り口がわからなかった。近くで農作業をしているおばあさんに山の上のお稲荷さんに行く道を聞いた。城の南側にある来迎院から数えて2軒目(1軒目はものすごく大きい)と3軒目の家の間の道を入って(入り口も個人宅への路地のよう)、3軒目の家の塀にそって(奥の家の敷地と路地とが混然としている)クランク状に進むと山側に赤い鉄の橋がある。それを登ると根古屋城だ。こりゃ聞かなくてはわからないはずだ。
参考書『美浦村誌』