神向寺城

概説 往時は小野川の清流に臨み、対岸の信太荘を望むことができる要衝でもあった。資料を欠くのでこの城砦の成立年代などほとんど判らない。二条城東条城一盃城など、名のある城はいずれも南面しているが、この城は北面している。南面の城よりも成立年代は古いのではないだろうか。いずれ中世初頭に築城されたものであろう。稲敷郡志には次のように記されている。「神向寺城趾、下根本谷津にあり、此地往古高田の郷に属し、東条の荘の領域なりしが、後江戸崎城主土岐氏の為に滅ぼされ、其有に帰す。今猶登城坂、奥ノ山、一ノ濠、二ノ濠、三ノ濠等昔の俤を存せり。又隣地文殊院跡には、首切地蔵あり、当時罪人を刑せし処なりと。」[『新利根村史(二)』]
北側(小野川側)からの遠望
    その他の写真
  1. 土塁
  2. 東側は民家敷地で西側は畑地
訪問記[2002/10/07]今日は詳しい場所が分からず遠望のみ写した。
[2002/10/22]下根本の熊野神社の北約200mにある稲荷神社の祠の裏側に虎口と思われる大きな土塁が左右に迫る。現在主要部はNさん宅の敷地になっているようだ。方角的にこの稲荷を鬼門の守りとしていたと思われる。稲荷は江戸崎土岐氏の守り神だったことから最終的には土岐氏方の地だったということだろう。
所在地稲敷郡新利根町下根本谷津
参考書『新利根村史(二)』