Char


サザンオールスターズ

好きなロック・グループの一つ。最初に見たのはTBSテレビ「ザ・ベストテン」の注目曲として新宿ロフトからの生中継。
子供だった私はブッ飛びました。以後名古屋に来る度に観に行きました。







back to Home

1978年 6月15日 青山学院大学 ベターデイズ第6回 定例コンサート at 目黒区民センター


ネットの巨大掲示板に1978年 6月15日 青山学院大学 ベターデイズ第6回 定例コンサート at 目黒区民センターの記載を見つけたのでその記載に合わせておきます。
誤り等なかなかご指摘頂けないのですがどなたか正確な情報を頂ければ幸いです。

1978年?月?日 青山学院大学 ベターデイズ第7回 定例コンサート at 目黒区民センター


2回目の大学3年生でまだ除籍になっていない1978年。
関口和之が1983年に出版したエッセイ集「突然ですがキリギリス」にもデビュー直後に大阪のライブハウス・バーボンハウスに演奏に行った話は記載されていることから6月25日のデビュー直後。
8月25日に発売されたファースト・アルバム「熱い胸さわぎ」に収録されている曲もこなれていない頃。
その頃の演奏と思われる。



back to サザンの部屋

79年1月21日 民放FM「パイオニア・サウンドアプローチ」


東京・目黒・パイオニア・スタジオで収録され毎週放送されていた民放FMの番組。当時、民放FMと言えばFM東京、FM大阪、そしてFM愛知の3局だけでした。そしてエアチェックに欠かせない番組プログラムが掲載された雑誌FMfan、週間FM、FMレコパルなど思い出してしまいました。



翌週はギタリスト松原秀樹とか。ギタリストが集って1曲づつ録音したアルバム「ニューヨーク」では"Hard Times"を演奏していたり、今剛などスタジオミュージシャンが集まったバンド「パラシュート」での演奏などが思い出されます。


back to サザンの部屋

1979年6月17日 民放FM「ザ・ミュージック」放送 6月6日 春50番コンサート at 中野サンプラザ


ツアー「春50番コンサート」の最終日である中野サンプラザで収録されたライブ放送。




back to サザンの部屋

79年8月26日日本テレビ「第1回愛は地球を救う」深夜のロック・コンサート(音のみ)


79年8月26日、第1回日本テレビの24時間テレビ"愛は地球を救う"の深夜未明のロック・コンサートのトリを務めた彼らの熱い演奏です。この夏の彼らは江の島で開催されたジャパン・ジャムでビーチボーイズらと共演(前座?)したりとライヴ活動盛んでした。
時計の針は4:00A.M.位でした。眠かったからね、よく覚えている。



back to サザンの部屋

79年10月11日グンゼ・ニューミュージック共和国


79年にFM愛知の番組"第180回そして181回グンゼ・ミュージック共和国"から。
番組9回目の公開録音で79年10月11日(土)東京・芝・郵便貯金ホールで行われたダウン・タウン・ブギ・ウギ・バンドとサザンのジョイント・コンサートの模様です。
番組は30分で4回に分けられ放送されました。最初の2回は第1部としてダウン・タウンのライブを。ただし最後の曲はサザンの演奏、宇崎竜道氏のボーカルを加え"ブルースへようこそ"が演奏された模様です。残念ながらその音源はありません。
手元の音源は後半2回(放送は11月4日と18日)の第2部とされたサザンのライヴです。
音源はFMでもちろんステレオです。 左トラックに桑田氏のギター、キーボード、原さんのコーラス 中央トラックにドラムス、ベース、桑田氏のボーカル 右トラックに大森氏のギター、パーカション、大森さんのコーラス に配置されています。

第180回放送から


第181回放送から


それにしても「ニューミュージック共和国」の番組名が凄い。死語である「ニューミュージック」に「共和国」ですから。


back to サザンの部屋

79年12月??日東海ラジオ開局20周年記念公開録音番組「リスナーが選ぶベスト・テン」


79年に名古屋にあるAMの東海ラジオが開局20周年を迎えその記念番組の一つとしてサザンが東海ラジオの第一スタジオで公開録音したものです。
78年にも記憶によれば公開録音しております。でもその音源は所有していません。どなたか所有しておられましたらダビングさせて下さい。
音源はAMでもちろんモノラルです。
私が所有するサザン初期の最高の演奏です。




back to サザンの部屋

80年1月5日 日本テレビ「激突!ツイストvsサザンオールスターズ」


79年12月13日に越ヶ谷市民ホールで公開録画の模様。
芸能界のロック御三家という言葉も死語となった頃、ニューミュージックの先頭を走っているような位置にいた世良正則&ツイストとの共演。




back to サザンの部屋

80年2月22日(金) 桑田佳祐 ニッポン放送「オールナイトニッポン」


お茶の間に登場することが無くなった5 Rock Showの時期に、唯一、声が聞けたのはこのニッポン放送はオールナイトニッポン金曜第一部のDJでした。またこの時期、月刊雑誌「明星」だったか「平凡」だったか忘れましたが、どちらかで毎月エッセーを3ページ位、担当していました。

この日は5 Rock Showの第1回"涙のアヴェニュー"が前日(2/21)にリリースされ、その話題が中心でした。横浜をテーマにした歌で、アレンジは「ブルースがやりたい!」という意気込みであのリフに注目して欲しいとのこと。

そしてゲストに世良正則を迎え、出身地や母親のことを話しています。途中、桑田氏が母親に電話を入れるが生憎不在だったため父親が電話に出ています。
CMの後、裏番組であったらしい文化放送かどっかのラジオ番組「セイヤング」でDJをしているツイストのドラマー「フトガネキンタ」から電話が入ります。第2部を担当していた明石家さんまも交え4人で軽くお話を。
セカンドアルバム?だったかツイストの次のアルバムでコード「A、G#m、F#m」で巡回するブギをやりたいと世良氏が言うと、桑田氏がギターを持ち出しアドリブで唄いだす(キーはGで)。桑田氏余りのノリの良さに世良氏が慌てています。ちなみにこの後、リリースされたツイストのアルバムにこのコード進行のブギな曲が収録されていました。個人的な好みから言うと、この日の桑田氏のアドリブのメロディの方が良かったと当時思ったような記憶があります。
最後に"涙のアベニュー"のリリースと同日(2/21)にツイストもシングル"ラヴソング"をリリースしており、ツイストのメンバーに次のシングルは何にするか世良氏がギター1本で唄ったテープを聞かせた時、3曲目位にこの曲が流れ、メンバー全員一致でこの曲に決定したなどのエピソードを語っています。



back to サザンの部屋

80年7月3日 フジテレビ「ミュージックフェア」(音のみ)


当時、良質にミキシングされた数少ない音楽番組。
原由子は欠席で5人での出演だったような。




back to サザンの部屋

80年8月17日 NHK FM「Japan Jam 2」at 横浜スタジアム


渋谷陽一氏のナレーションで15:00〜17:00の間、横浜スタジアムで行われたJapan Jam 2の2日目の様子が生放送される。チープトリックなどが出演。サザンはハッピ姿で演奏で70分位。

残念ながら入手した音源はCDRに焼いた時だと思うがTrack分けのやり方が悪かったのか曲間にも空間が入っている。残念!






back to サザンの部屋

80年8月20日Live At 田園コロシアム


FM番組"ニューミュージック・フォーラム"のライヴ・シリーズ第9回からのエアチェック音源です。 レコーディング没頭活動直後の7ヶ月降りのツアー"サザン・オール・スターズがやって来るニャーニャーニャー"(もちろんタイトルはBeatlesの映画"ビートルズがやって来るヤー!ヤー!ヤー!"のパロディ) 音源はFMでもちろんステレオです。


2日目の田園コロシアムでこの日の前座は近田春夫さんとヒカシューの無言劇、そしてジューシイ・フルーツの演奏だったようです。
私もこのツアーを名古屋市民会館大ホールの4F最後列で観ました。残念ながらスペクトラムが同行してくるわけがなく、その音はテープでした。オープニングはやはり"オーバーチェア〜ヘイ!リュード"でカラフルな衣装に身を包んだメンバーがステージ両脇から楽器を持たずに登場し、振り付けありの、タップありの楽しませてくれるオープニングでした。
名古屋の地を踏む前に岐阜そして三重県で演奏してきたが名古屋のためにその力をセーブしてきたこと。そしてレコーディングの成果を見せたいと79年のツアーで定番であった"勝手にシンドバット"などは演奏せず、途中メンバーが衣装替えをしている間に桑田氏のその旨を説明しアコギ片手に"いとしのエリー"を演奏していたことが印象的でした。
ステージが終了しメンバーがステージを去る時に桑田氏がアンコールを求める手拍子をしばししていました。今も当時もアンコールを含めたセット・リストの状況を笑うかのようでした。



back to サザンの部屋

80年8月31日 テレビ東京「サウンドクリエーション(ホットな涼しい夏)」








back to サザンの部屋

80年10月11日東京・目黒・パイオニア・スタジオでのFM番組「パイオニア・サウンド・アプローチ」スタジオ・ライヴ


FM番組"パイオニア・サウンド・アプローチ"のスタジオ・ライヴのエアチェック音源。5夜連続で毎日違うテーマで放送されていました。例えば小劇をするとかです。そう言えばサザンが毎週深夜にテレビの番組を持っていた時期もありましたね。
音源はFMでもちろんステレオです。





back to サザンの部屋

81年1月3日 テレビ東京「ステレオ音楽館スペシャル 熱いふれあいサザンオールスターズ」at 80.12.10 武道館






観客のファッションや髪型、飛び交う紙テープなど古き良き時代と感じてしまうはオイラがオッサンという証ですね。

back to サザンの部屋

81年7月31日(金) NHK FM「ブルース・メイド・イン・ジャパン〜仲間或いはフレンドシップ〜」


ブルースという音楽をここまで定義しなくてはいけないのかなと思いながらも、ブルースとくると青江美奈や淡谷のり子などの曲をイメージするか、関西弁調で唄うバンドをイメージしてしまう日本の音楽シーンの哀しさかもしれない。
しかし番組中に桑田氏も話しているが「ブルースだけを演奏してもつまらない」けれどバンドのブルース好きであることが根底に流れているというのはデビュー当時からその音が黒っぽいところで証明されている。しかし黒人ブルースに深入りすることなく白人がコピーした黒人ブルースの曲を特に嗜好していたためであろうか、単なるブルース・バンドではない黒っぽさを醸し出すロックバンドがサザンであると思う。


八木氏が参加しているのは"我らパープー仲間"と"ミスター八木のよまい事"の2曲であると思われる。



back to サザンの部屋

1981年9月16日 そちらにおうかがいしてもよろしいですか? at 横浜文化体育館


アルバム「ステレオ太陽族」を発売後の4回目のツアー。





back to サザンの部屋

83年7月14日(木) サザンオールスターズ ニッポン放送「オールナイトニッポン」


手元のカセットテープには「II」とあり、遠く離れた物置小屋にあるダンボール箱の中に「I」があるのかもしれません。
この時期はレギュラーではなく、この日限りのアルバム"綺麗"とツアーのプロモーションでメンバー全員でパーソナリティを努めたようです。

原坊の弾くピアノをバックにリスナーの家に電話をかけてお話をするところからこのテープは始まりました。
この年はRCサクセションと北海道でジョイントしたようで、そのライヴの少し前という放送。少し前、RCサクセションのライヴがあった時、「サザン、ぶっつぶしてやるぜ」で盛り上がったというハガキを紹介し、俺たちも負けないよということで、
原坊のピアノ、エスパー矢口氏?のサックス、桑田氏がギターを弾きながらRCに負けないぞという意気込みをロックンロール調で即興で唄う。

そして番組の最後に原坊のピアノと桑田氏のギターで
「やけに9月の雨が体を湿らす・・・」
という曲(曲名失念)を唄う。
第1部しか放送されない地方局の哀しさ、中途で番組テーマが被さります。このテープは遠いニッポン放送にチューニングを変更し、引き続き聴いていたようです。
ちなみに第2部は谷山浩子嬢が担当していたようです。


back to サザンの部屋

1983年11月10日(木)〜16日(水) 原由子 民放FM「コーヒータイム」


平日10:30AMから毎日ゲストを迎え、マーシャクラッカワーさんとお話をするラジオ番組である。

11月10日(木)
11月21日に発売されるアルバム「Miss YOKOHAMADULT YUKO HARA 2nd」から"Misty Morning"で幕を開ける。
アルバム「はらゆうこが語るひととき」の時、2年半ぶりに出演。
生まれ育った横浜をテーマにしたアルバムという話から"新・野毛山模様"。
バンド・メンバーとソロ活動の違いについて会話した後、"そんなヒロシに騙されて"で初夜を終える。

11月11日(金)
2日目は1983年8月21日に先行発売されていたシングル"恋は、ご多忙申し上げます"で幕を開ける。
新婚生活、家事の分担はゴミ捨て程度などの話しから"いちょう並木のセレナーデ"。
結婚のきっかけ、普段の二人の話しから"恋のメモリー:三昧編"。

1月14日(月)
不明。

1月15日(火)
不明。

1月16日(水)
最終日である5日目は"忘れじのレイドバック"で幕を開ける。
サザンオールスターズのツアー中のエピソード、彼は金銭感覚ゼロという話しから"マチルダBABY"。
女性から観た男性どうしについて。女性と男性の優しさの違いについて。10年後、どうしているかで話しを締め"冷たい月曜日"。


back to サザンの部屋

84年1月4日(水) 桑田佳祐ニッポン放送「オールナイトニッポン」


3年ぶりに返り咲いた深夜放送番組「オールナイトニッポン」の第1回。お正月で初回ということでスタジオを飛び出し代官山にある「2&1/2」からゲストを交え飲みながらの放送。初回で年賀状の時期でハガキも届いてない、企画コーナーも決まっていない、ゲストに原坊、ムクチャン、毛ガニ、山下久美子、小林克也、明石家さんま、斉藤誠、今野タクロウなどを迎え単なる酔っ払いの集いの模様である。

"あみだばば"はラジカセ持って楽屋に行き、土下座で直訴され作った曲で、その後のツアーで「"あみだばば"やれ」という野次がとぶたびに、さんまのことを恨んだこと。でもサビのフレーズはさんまが作ったにもかかわらずクレジットがない(作曲・作詞印税が入らない)こと、作ったメロディ通りさんまが歌ってくれない(歌えない?)こと。
"チャコの海岸物語り"ヒットの後、小林克也と桑田が2人で飲んだ時、「次は日本の盆踊りをやりたい」と語った桑田の新曲が"匂艶ザ・ナイト・クラブ"で驚いた小林に「"愛のコリーダ"から盆踊りというか日本のお祭をイメージしていた」と答える桑田。
そして何故か2枚パンツを穿いている話から仮性包茎ネタで盛り上がるのでした。

最後にアコギ1本をバックに皆でブルースを廻し唄い、"上を向いて歩こう"を歌って(ここでテープはCut Out)番組は終わるのでした。

それにしてもきちんとCMをカットしてある90minのカセットテープ。何でこんなの録音していたのでしょうか、私は・・・と放送から18年後の晩夏に考えるのでした。




back to サザンの部屋

84年1月9日(月)〜?日(?) 桑田佳祐 民放FM「コーヒータイム」


平日10:30AMから毎日ゲストを迎え、マーシャクラッカワーさんとお話をするラジオ番組である。

1月9日(月)
お正月休みは精力的に遊び、家でごろ寝しているのはダラシナク思えて嫌である話。
「鯛舌」レーベルを発足し、その発表を兼ねたツアーのタイトル「私は騙された」は、観客に「私は騙された」と思いながら帰って欲しい気持ちである話。これまでの「これでもか!」という勢いだけの内容から「音を聴かせる」ライヴにしたい話。
ライヴ後は、翌日が休みか、若いスタッフが集った時はとことんやるが、普通は飲み歩かないで部屋でチビチビやっている話。
デビュー後、2〜3年目はメンバーの嫌な面を見てしまうことがあったが、今は良きパートナーとして付き合えるように自分の心の中が変化した話など"マチルダ・ベイビー","Plastic Super Star","エマノン"を途中に流しながら番組は進行する。

1月10日(火)
二日目は1回目のニューヨークに旅し、気持ちが変化した話。
観葉植物などの話をこの日は"チャコの海岸物語"や"いとしのエリー"などが流れる。番組の冒頭は録音されていないが"匂艶ザ・ナイト・クラブ"だったようだ。途中からの音源。番組途中ながら録音した私はやはり暇だったのでしょう。
それにしても久々に聴いた"チャコの海岸物語"は、パンクというか凄い唄い方ですね。リリース当時、ラジオ番組でアイドル田原俊彦のそのキッチュな唄い方を真似てみたとか話してましたね。

1月11日(水)
三日目はムクチャンの本「突然ですがキリギリス」のゲラ段階で「確かにやったけど、これが活字で世に出るのはまずい」ので削除した箇所があったなどの話。
"C調"などのボキャブラリーは子供の頃から好きだった植木等などの影響かもしれないという話。
義理人情、パッと見の見た目とは落ち着きは、お婆ちゃん子だったからかもしれない話など"Ya Ya(あの時代を忘れない)"、"C調言葉にご用心"、"シャララ"を途中に流しながら番組は進行する。

1月12日(木)
アルバム"綺麗"の中で「遊ぼうぜ」で収録した"そんなヒロシに騙されて"を、歌謡界で真面目にコピーされて「これが桑田の作品」と紹介されることが正直不本意である話。
アルバム・タイトル"綺麗"は日本 小林克也から「サザンでは絶対やらないような曲」とリクエストされ提供したザ・ナンバーワン・バンドで"茅ヶ崎は今日も黄色い"から、前川清は「ロックな演歌」である話などを"ボディスペシャルII"も流しながら番組は進行する。

なお1月13日(金)も出演しているが、そのテープは物置小屋のダンボール箱のどこかにあるかもしれないが行方不明である。



back to サザンの部屋

84年1月11日(水) 桑田佳祐ニッポン放送「オールナイトニッポン」


3年ぶりに返り咲いた深夜放送番組「オールナイトニッポン」の第2回。ツアー中でこの日は九州・博多のスタジオからの放送。
オープニングでアコギ1本で先週の放送の反省っぽい歌を唄ってのはじまり。
特に企画コーナーもなく、ボチボチ届き始めたハガキを読みながら
紅白のリハ5日で郷ひろみに励まされながら俵積みの練習した話。何故、ダンスのパフォーマンスとしたか。
四国は松山のライヴでフィルムを上映中、停電になったこと。
やはり先週の放送の続きで仮性包茎で「オレたち、ホーケイ族」なんて募ってタートルネックのTシャツを作る話題から、高校時代に痔になり手術した思い出などの話で盛り上がるのでした。

シングル"東京シャッフル"は良い曲でした。でもヒットしなかったのですよね。
それにしてもきちんとCMをカットしてある90minのカセットテープ。当時、住んでいた地方ではオールナイトニッポンは第1部のみの放送でした。で、3:00AMになると地方局からチャンネルを遠い街「東京」のニッポン放送に合わせ聴いていたようで第2部は白井貴子が担当していたようです。暇だったようです、私は・・・と放送から18年後の晩夏に考えるのでした。




back to サザンの部屋

84年2月5日(日)と2月12日(日) 民放FM番組「グンゼ・ニューミュージック共和国」


7年間続いた番組「グンゼ・ニューミュージック共和国」が終了するにあたり、番組にゆかりのあるミュージシャンとしてサザンがゲストとして2週連続招かれた。

2月5日はサザンとして8回目、原坊がソロで2回、ヒロシが1回、計11回目の登場である。
この日はデビュー前後に桑田氏と原坊がゲスト出演し、「今後の展望は?」と質問に桑田氏がしろどもどろになっているのを原坊が一生懸命フォローしていたこと。
一番の思い出はダウンタンブギウギバンドとの共演であることをシングルを聴きながら語るのでした。

そして翌週2月12日(サザンはソロを含め12回目の最後の出演)は現在のことを中心に、アルバム"綺麗"と手応えのあったツアーの話をして番組を終了するのでした。

個人的にはシングル"東京シャッフル"が当時のお気に入りだったのですが、アルバム"綺麗"のスピーカーから流れてくる音の厚みというよりも重工感?パワーの無さ、前に出てこない、音が体に押し寄せてこない感じ、音は物凄く被せているようだけどスピーカーから流れる薄っぺらい音に物凄くがっかりした記憶があります。
その後のアルバム"人気者でいこう"や"KAMAKURA"で盛り返したサザンでしたが、何かこの頃はイマイチだったような気がしないでもありません。




back to サザンの部屋

84年3月7日(水) 桑田佳祐ニッポン放送「オールナイトニッポン」(SASたいした発表会・私は騙された!!ツアー'83 at 武道館の模様を放送)


3/2に出国しニューヨークに原坊と旅行中、宿泊先のグラマシーパークホテルの客室にある電話の受話器を使用し生放送。
ニューヨーク大学のプールで体を鍛えようと泳いだ話。
レコーディングのため渡米中の佐野元春に会った話。
街の楽器屋に入り見るだけのつもりが、買わないと許さないダメということで50年前のものという「ハーモニー」というメーカーのアコギを85ドルで買わされた話。
パワーステーションスタジオで現地のエンジニアと共にアルバム"綺麗"を他の音と聴き比べ、その柔らかい音・もろい音に落ち込んだ話などをする。

そして武道館で行われたライヴの模様が放送されるが、この日は大陸からの電波が少しだけ混線するような受信状態が良好でなかったが、それ以上にこのライヴ音源の音が悪いこと。ライン録音ではなく場内にマイクを立てPAスピーカーから流れる音を収録したオーディエンス録音のようなとにかく良い音ではない。

  • Opening〜マチルダBaby


  • ここでスタジオにいるムクチャンと斉藤誠と、国際電話で会話の後、再びライブの模様が放送される。

  • Emanon
  • Ya Ya(あの時代を忘れない)
  • My Foreplay Music
  • ラッパとおじさん(((Dear M.Y's Boogie)・・・桑田氏のスライドギターがノビノビとして良い。

    再びスタジオから「関口和宏の日記コーナー」
    やはりアルバム"綺麗"の音の話
    視聴者にダコタアパートにあった石や佐野元春が泊まっているアパートにあるトイレットペーパーなどを10名にプレゼントの話(翌週の放送では・・・)
    3月10日(土)15:00〜16:00に渋谷東急プラザの紀伊国屋で「突然ですがキリギリス」のサイン会の話など。

  • 思い出のスターダスト


  • そしてホテルからアコギでJohn Lennonの"Love"を唄いながらJohnのオリジナルに続き、最後に

  • 旅姿六人衆

    が流れて番組は終わる。地方局は哀しいかなこの曲の途中でCMになり、このエアチェックテープではニッポン放送にチャンネルを切り替えている。がしかしその電波の受信状態は悪い。当時の私って本当にマメね。




  • back to サザンの部屋