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好きなロック・グループの一つ。最初に見たのはTBSテレビ「ザ・ベストテン」の注目曲として新宿ロフトからの生中継。
子供だった私はブッ飛びました。以後名古屋に来る度に観に行きました。
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1978年 6月15日 青山学院大学 ベターデイズ第6回 定例コンサート at 目黒区民センター
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ネットの巨大掲示板に1978年 6月15日 青山学院大学 ベターデイズ第6回 定例コンサート at 目黒区民センターの記載を見つけたのでその記載に合わせておきます。
誤り等なかなかご指摘頂けないのですがどなたか正確な情報を頂ければ幸いです。
- (MC)「サザンオールスターズです。よろしくお願いします。最初の曲は"当たって砕けろ"、聴いてくれ。」
- 当って砕けろ
- (MC)「次の曲、"瞳の中にレインボウ"。」
- 瞳の中にレインボウ
- (MC)ベターデイズの定例コンサートに沢山来てくれたお礼の後、次の曲"勝手にシンドバット"がビクターから(1978年6月25日)発売される旨を話す。
- 勝手にシンドバッド
- (MC)「今の曲、ビクターから(1978年6月25日)発売される"勝手にシンドバット"です。よろしくお願いします。次の曲はボクの中では新し目の曲なのですが"恋はお熱く"を聴いて下さい。」
- 恋はお熱く
- (MC)「最後の曲を。"女呼んでブギ"」
- 女呼んでブギ
- (司会)「サザンオールスターズでした。もう一度、大きな拍手を」
1978年?月?日 青山学院大学 ベターデイズ第7回 定例コンサート at 目黒区民センター
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- 関口和之のトーク。サザンのデビュー後、ベターデイズのお陰であり、いつまでも学生気分でいたい旨を。
- 桑田佳祐のトーク。ベターデイズのコンサートにようこそ。第7回目のベターデイズの定例である旨を。桑田はまだ大学3年生である旨を。
1978年に2回目の大学3年生の時、授業料未納で除籍となっていることから1978年に収録か。
このトークの部分は音質が良い。
- (MC)「最後までゆっくり、おつろぎください。」というMCから始まるが、まるでリハーサルのようなサウンドチェック。そしてチューニングのシーンから始まる。
更にお酒を飲みすぎた旨、目黒公民館である旨などを話し曲"レゲエに首ったけ"を紹介する。
もしかしたら一般の観客は場内にいない身内を前にした演奏か?
- レゲエに首ったけ
- (MC)ロサンゼルスに行き?色々とコンサートを観てきた?話からLittle Featの曲からいろいろ持ってきてオリジナルティを被せてギャグを混ぜて創った曲と話すが題名を忘れて"フィートに首ったけ"と紹介。多分、松田ヒロシが"いとしのフィート"と訂正する。
- いとしのフィート
- (MC)メンバー紹介。
- 別れ話は最後に
- (MC)大阪のライブハウス・バーボンハウスで演奏してきた話をし、最後の曲で"昔話のテーマ"を演奏する旨を。
- 昔話のテーマ(C.O)
2回目の大学3年生でまだ除籍になっていない1978年。
関口和之が1983年に出版したエッセイ集「突然ですがキリギリス」にもデビュー直後に大阪のライブハウス・バーボンハウスに演奏に行った話は記載されていることから6月25日のデビュー直後。
8月25日に発売されたファースト・アルバム「熱い胸さわぎ」に収録されている曲もこなれていない頃。
その頃の演奏と思われる。
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79年1月21日 民放FM「パイオニア・サウンドアプローチ」
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東京・目黒・パイオニア・スタジオで収録され毎週放送されていた民放FMの番組。当時、民放FMと言えばFM東京、FM大阪、そしてFM愛知の3局だけでした。そしてエアチェックに欠かせない番組プログラムが掲載された雑誌FMfan、週間FM、FMレコパルなど思い出してしまいました。
- 勝手にシンドバッド・・・この曲を最初に聴いた時の衝撃。近年で言うとポルノグラフィティを最初にテレビで観た時のあの感じでした(どんな感じ?)。
- 瞳の中にレインボー・・・このバンドは当時、生ピアノが前面に出てコーラスが黒っぽいところが好きでした。
- 当たって砕けろ・・・このバンドは何が凄いってドラムのかっこ良さ。難点はギターだ(^^;と当時、子供心に思ったものでした。でもBeatlesのGeorge Harrisonみたくサザンのギタリストは大森氏だと思っていたのでしたが近年バンドを脱退してしまったのでしたね。
- Get Back〜Young Blood(C.O)・・・ブルースからアップテンポでBeatles、バングラディシュの時のレオンラッセルのように。
- 恋はお熱く・・・ハモンド・オルガンの音色が泣かせてくれます。
- 気分しだいで責めないで・・・フジテレビの夜のヒットスタジオに出演しこの曲をお披露目した時、「曲がなかなか出来なくてノイローゼ状態」とのことで檻の中で演奏していましたっけ。
ドラマー松田弘のコーラスが良いです。
- 茅ヶ崎に背を向けて・・・レコードではフェイドアウトしていたのに対しこの曲の唐突な終わり方は?。
翌週はギタリスト松原秀樹とか。ギタリストが集って1曲づつ録音したアルバム「ニューヨーク」では"Hard Times"を演奏していたり、今剛などスタジオミュージシャンが集まったバンド「パラシュート」での演奏などが思い出されます。
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1979年6月17日 民放FM「ザ・ミュージック」放送 6月6日 春50番コンサート at 中野サンプラザ
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ツアー「春50番コンサート」の最終日である中野サンプラザで収録されたライブ放送。
- 気分しだいで責めないで・・・レコードに収録されたテイクもそうですが大森氏のギターは光っています。そうデビュー曲もそうでしたが、このバンドは他の「ニューミュージック」や「邦楽ロック」バンドにはない演奏が黒っぽくて好きでした。
- 今宵あなたに・・・この曲は黒っぽさの極めつけ。
- 別れ話は最後に
- お願いDJ
- アブラカダブラ・・・演奏をバックに観客のインタビュー。
- 勝手にシンドバッド
- 茅ヶ崎に背を向けて・・・イントロで大森氏のギターによるカッティングに桑田氏がスライドで"To You"のようなアプローチを弾く。原坊の歌のパートの歌詞がレコードよりワンコーラス多く歌詞が違う。最後のギターソロを8小節弾いたところでメンバー紹介。最後の桑田氏の紹介とギターソロに再び大森氏のギターが被さりソロ9小節目からのアプローチを2本のギターでユニゾンで弾き唐突にこの曲は終わる。
- 思い過ごしも恋のうち・・・この音源はイントロでカットあり。
- メンバーのインタビュー
- いとしのエリー・・・アンコール。
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79年8月26日日本テレビ「第1回愛は地球を救う」深夜のロック・コンサート(音のみ)
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79年8月26日、第1回日本テレビの24時間テレビ"愛は地球を救う"の深夜未明のロック・コンサートのトリを務めた彼らの熱い演奏です。この夏の彼らは江の島で開催されたジャパン・ジャムでビーチボーイズらと共演(前座?)したりとライヴ活動盛んでした。
時計の針は4:00A.M.位でした。眠かったからね、よく覚えている。
- (司会)滋賀県大津のコンサート終了後、新幹線で東京に戻った彼らです!
- 女呼んでブギ
- (M.C.)ありがとう。午前4:00をまわっちゃたよ〜。おはよう〜。24時間テレビということで、皆、大変だけどあと1時間だ!。
- お願いDJ
- 奥歯を食いしばれ
- (桑田氏のM.C.)8/25にデビューしたスペクトラムを紹介します。リーダーの新田"よろしく"一郎さん、赤いのです。(ここでスペクトラムの登場です。)
- Act Show・・・お茶の間に最初に姿を表したのが、この24時間テレビの深夜コンサート。赤いド派手なコスチュームにラッパ・サウンド、そして新田一郎氏のファルセット・ボーカルはEarth,Wind,&Fireの日本版?。
- Tomato-Ippatsu・・・16ビートにチョッパー・ベースにブラス・サウンドはカッコヨカッタ。でもサザン、ゴダイゴのファン相手の深夜未明には眠気を誘うしかなかった気がする。
- (M.C.)"勝手にシンドバット"、"思い過ごしも恋のうち"、"いとしのエリー"などの管は新田"よろしく"一郎さんにアレンジしてもらっています。眠っている人はいないよね〜。皆のお陰でパンツははけませんでしたけど(多分、"ザ・ベストテン"という番組で連続一位記録を更新した時の御褒美ネタです)、"いとしのエリー"です。
- いとしのエリー
- (M.C.)残り少ない夏休み。働いている人もいるかもしれないけど学生の人は楽しんでね。
- 思い過ごしも恋のうち・・・「恥ずかしげもなく、どいつもこいつも話の中身がどうなれこうなれ気持ちも知れずに」の個所も演奏している私のライブラリでは珍しいテイク。
- 勝手にシンドバット・・・番組の都合によりC.O.
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79年10月11日グンゼ・ニューミュージック共和国
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79年にFM愛知の番組"第180回そして181回グンゼ・ミュージック共和国"から。
番組9回目の公開録音で79年10月11日(土)東京・芝・郵便貯金ホールで行われたダウン・タウン・ブギ・ウギ・バンドとサザンのジョイント・コンサートの模様です。
番組は30分で4回に分けられ放送されました。最初の2回は第1部としてダウン・タウンのライブを。ただし最後の曲はサザンの演奏、宇崎竜道氏のボーカルを加え"ブルースへようこそ"が演奏された模様です。残念ながらその音源はありません。
手元の音源は後半2回(放送は11月4日と18日)の第2部とされたサザンのライヴです。
音源はFMでもちろんステレオです。
左トラックに桑田氏のギター、キーボード、原さんのコーラス
中央トラックにドラムス、ベース、桑田氏のボーカル
右トラックに大森氏のギター、パーカション、大森さんのコーラス
に配置されています。
第180回放送から
- お願いDJ
- (M.C.)「サザンが尊敬するダウン・タウンはじめ宇崎氏とのジョイントがうれしい」「本人を前にすると光栄でなかなか話せない」「頑張ります」旨の発言があります。「10月25日に販売される予定の新曲"C調言葉に御用心"を聴いて下さい」とコメントし次の曲です。
- C調言葉に御用心・・・この曲を最初に聞いたのは当時桑田氏がDJをしていたオールナイト・ニッポンだったと思います。トラック・ダウン直後でイントロから少しだけ流していましたが桑田氏の"お喋り"でその音はほとんど聞こえなかった記憶があります。その後フジ・テレビの番組「夜のヒット・スタジオ」で演奏していました。彼らにしては珍しく全員がアイビー調の服装で桑田氏はオベイションのギターを弾いていたことを覚えています。「いい曲だな〜」と当時感動しました。
- いとしのエリー
- (M.C.)D.J.そして宇崎氏が登場します。宇崎氏登場と共に「オレのギターどうした。オレ、一応ヘタだけど弾いているんだけど。ギター無いと次の曲はじまんないだけど。ボクのデビュー曲を演奏するけどサザンのメンバー皆歌が上手いから各人にボーカルを割り振ろうと思います。」
- 知らず知らずのうちに・・・ダウン・タウンの演奏で宇崎氏、桑田氏、松田氏(彼の歌は上手いですがキーが合っていないため辛そうです)、間奏をはさみ大森氏(お世辞にも上手いと言い難い)、そして再び宇崎氏が締めで歌います。
第181回放送から
- (M.C.)「僕らの一番好きな曲です。が公共の電波で流れることは少ないけど」のコメントではじまります。
- 別れ話は最後に・・・これが最初デビュー曲になる予定だったと思います。もちろん"勝手にシンドバット"にとって変わられましたけど。
- 奥歯を食いしばれ・・・この曲はセカンド・アルバムの中でも私のお気に入りの曲です。
- 勝手にシンドバット・・・中途でメンバー紹介です。順番はパーカションの野沢さん、ドラムの松田さん、ベースの関口さん、ギターの大森サン、ピアノの原さん。そして松田さんにより桑田氏が紹介されギター・ソロを弾いています。
- 茅ヶ崎に背を向けて・・・この曲はファースト・アルバムの中でも私のお気に入りの曲です。2コーラス目の原さんのボーカルが抜群に当時好きでした。でも80年を境に彼女はお喋りを含めそのスタイルを変えてしまったように感じ大変残念です。演奏はナイスです。最後の最後に桑田氏と大森氏が簡単なリフをユニゾンでギターでハモリます。これがまたいいのですよ。
- (M.C.)「互いの曲を交換するだけではつまらないからボクら共通して尊敬するサム・クックの曲を」
- 悲しき叫び・・・ボーカルを最初に桑田氏、宇崎氏、原さん、そして以降、宇崎氏のボーカルを中心に盛り上がり終わります。
それにしても「ニューミュージック共和国」の番組名が凄い。死語である「ニューミュージック」に「共和国」ですから。
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79年12月??日東海ラジオ開局20周年記念公開録音番組「リスナーが選ぶベスト・テン」
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79年に名古屋にあるAMの東海ラジオが開局20周年を迎えその記念番組の一つとしてサザンが東海ラジオの第一スタジオで公開録音したものです。
78年にも記憶によれば公開録音しております。でもその音源は所有していません。
音源はAMでもちろんモノラルです。
私が所有するサザン初期の最高の演奏です。
- 女呼んでブギ・・・残念!。イントロにある桑田氏のスライド・ギターだけがPAのバランスが悪くほとんど聞こえません。何度聴いても凄いパワーを持つ曲そして演奏です。
- (M.C.)D.J.達とのお喋りです。D.J.の一人である宮地幸生さんはその昔「ムー」というバンドをやっておりまして隠れた名曲「名古屋っ子」という曲があります。「何かやらんとあかんがや、△○は東から入るし、○△は西から入るし、何かやらんとあかんがや、名古屋っ子」という曲です。つボイノリオさんの"金太の大冒険"は全国区ですがムーの"名古屋っ子"は地方区ながら名曲です。開局20周年でもありデビュー直後のサザンに「サザンの20年後はどうですか?」と聞いています。そのサザンのデビュー20年もあと数年(これを書いたのは'96年だったからこのような記述です)。
- 思い過ごしも恋のうち・・・残念!。間奏の桑田氏と大森さんのユニゾンのギター・ソロの後のキーボード・ソロだけがPAのバランスが悪く途中まで聞こえません。良いアレンジで聴かせてくれます。
- 茅ヶ崎に背を向けて
- 別れ話は最後に
- (M.C.)D.J.達を交え観客とのお喋りです。「使用しているシャンプーは何か」との質問に「ホテルにある固形石鹸でゴチャゴチャと」だそうです。会場爆笑ですが実を言うと今の私は固形石鹸でシャンプーしています。それも毎日。リンスもしないため髪の毛のクシの通りは悪いです。がしかしこの方法で毎日シャンプーしないとフケ症の私は翌朝大変です(これも'96年当時はそうしていたということで、今、私がどうしてるかはヒミツです)。
- 番組上はここから第2部です。(M.C.)「私が失恋した時に作った曲で"恋はお熱く"です。」
- 恋はお熱く・・・イントロなしで1コーラス目をピアノだけでしっとり歌い、続いてギターの間奏が入りバンド演奏に入ります。そして本当のあるべき位置の間奏はキーボードです。
- お願いDJ
- 勝手にシンドバット・・・中途でメンバー紹介です。順番はパーカションの野沢さん、ドラムの松田さん、ベースの関口さん、ギターの大森サン、ピアノの原さん。そして松田さんにより桑田氏が紹介されギター・ソロを弾いています。
- (M.C.)6ヶ月のレコーディング没頭宣言の話です。「今一番やりたいのはアレとレコーディングです。メンバー一同レコーディングに没頭したい。一回り大きくなって帰ってきたいと思います。」。今年やり残したことは?の質問に横槍で関口さんが「ボクの誕生日がまだです」と答えています。
- C調言葉に御用心
- いとしのエリー
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80年1月5日 日本テレビ「激突!ツイストvsサザンオールスターズ」
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79年12月13日に越ヶ谷市民ホールで公開録画の模様。
芸能界のロック御三家という言葉も死語となった頃、ニューミュージックの先頭を走っているような位置にいた世良正則&ツイストとの共演。
- Let It Be・・・ツイストとの共演。1番は世良氏が歌い、2番を桑田氏が歌う。桑田氏は疲れいたのか妙に汚く見える。喉がいかれていた時期なので歌声に艶は無い。間奏はツイストのギタリストはスライドが上手い松浦氏とター坊。そしてツイストの神本氏のエレピをバックに原坊のオルガンが続く。可もなく不可もなくいかにもテレビの企画「vs」らしい演奏。
- いとしのエリー
- ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード・・・"EC was Here"の頃のEric Clapton & His Bandを意識したサザンらしいコーラス入りの演奏。イントロで桑田氏のギターソロ。間奏は原坊のエレピ、そしてター坊のギターである。
- いとしのフィート
- ラチエン通りのシスター・・・アカペラで始まり、レコードに収録されていたスタジオ版よりもスローに。
- C調言葉に御用心
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80年2月22日(金) 桑田佳祐 ニッポン放送「オールナイトニッポン」
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お茶の間に登場することが無くなった5 Rock Showの時期に、唯一、声が聞けたのはこのニッポン放送はオールナイトニッポン金曜第一部のDJでした。またこの時期、月刊雑誌「明星」だったか「平凡」だったか忘れましたが、どちらかで毎月エッセーを3ページ位、担当していました。
この日は5 Rock Showの第1回"涙のアヴェニュー"が前日(2/21)にリリースされ、その話題が中心でした。横浜をテーマにした歌で、アレンジは「ブルースがやりたい!」という意気込みであのリフに注目して欲しいとのこと。
そしてゲストに世良正則を迎え、出身地や母親のことを話しています。途中、桑田氏が母親に電話を入れるが生憎不在だったため父親が電話に出ています。
CMの後、裏番組であったらしい文化放送かどっかのラジオ番組「セイヤング」でDJをしているツイストのドラマー「フトガネキンタ」から電話が入ります。第2部を担当していた明石家さんまも交え4人で軽くお話を。
セカンドアルバム?だったかツイストの次のアルバムでコード「A、G#m、F#m」で巡回するブギをやりたいと世良氏が言うと、桑田氏がギターを持ち出しアドリブで唄いだす(キーはGで)。桑田氏余りのノリの良さに世良氏が慌てています。ちなみにこの後、リリースされたツイストのアルバムにこのコード進行のブギな曲が収録されていました。個人的な好みから言うと、この日の桑田氏のアドリブのメロディの方が良かったと当時思ったような記憶があります。
最後に"涙のアベニュー"のリリースと同日(2/21)にツイストもシングル"ラヴソング"をリリースしており、ツイストのメンバーに次のシングルは何にするか世良氏がギター1本で唄ったテープを聞かせた時、3曲目位にこの曲が流れ、メンバー全員一致でこの曲に決定したなどのエピソードを語っています。
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80年7月3日 フジテレビ「ミュージックフェア」(音のみ)
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当時、良質にミキシングされた数少ない音楽番組。
原由子は欠席で5人での出演だったような。
- いなせなロコモーション
- ホールド・ミー・タイト・・・渡辺真知子。
- 働けロックバンド
- メモリーズ・・・渡辺真知子。
- アイ・ショット・ザ・シェリフ・・・渡辺真知子と共演。
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80年8月17日 NHK FM「Japan Jam 2」at 横浜スタジアム
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渋谷陽一氏のナレーションで15:00〜17:00の間、横浜スタジアムで行われたJapan Jam 2の2日目の様子が生放送される。チープトリックなどが出演。サザンはハッピ姿で演奏で70分位。
残念ながら入手した音源はCDRに焼いた時だと思うがTrack分けのやり方が悪かったのか曲間にも空間が入っている。残念!
- 勝手にシンドバット・・・この曲のイントロがFade Inして番組は始まり、すぐ渋谷陽一氏のナレーションが被さる。間奏の大森氏のアドリブによるギターが好感を覚える。
- C調言葉に御用心・・・アカペラで始まるライブ・バージョン。
- いとしのフィート・・・グルーブ感ある強弱のきいたピアノが良い味を出し、桑田氏のスライドも遊んでおり、これぞサザン初期の演奏。
- To You・・・学生バンドからプロのミュージシャンに成長したバンドを感じます。
- タバコ・ロードにセクシーばあちゃん・・・間奏は桑田氏のギター。上手くはないけど味があってね。
- わすれじのレイド・バック・・・原坊のコーラスもこの時は黒っぽさを感じさせてくれます。
- レイ・チャールズ・メドレー・・・Halleluja I Love Her So〜Hit Road Jack〜Unchain My Heart〜Let's Go Get Stoned〜What'd I Say。こういう曲を聴くと改めてドラムが弘でピアノが原坊で良かったねと思います。
- 私はピアノ
- 恋するマンスリー・デイ
- ブルースへようこそ・・・サビの部分の歌詞・全体のコード進行共に"ブルースへようこそ"ですが、アレンジはロックンロール。
- ふたりだけのパーティ・・・大森氏のギターのノリが当時のロックっぽくてなかなか良い味を出している。
- いなせなロコモーション
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80年8月20日Live At 田園コロシアム
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FM番組"ニューミュージック・フォーラム"のライヴ・シリーズ第9回からのエアチェック音源です。
レコーディング没頭活動直後の7ヶ月降りのツアー"サザン・オール・スターズがやって来るニャーニャーニャー"(もちろんタイトルはBeatlesの映画"ビートルズがやって来るヤー!ヤー!ヤー!"のパロディ)
音源はFMでもちろんステレオです。
- オーバー・チェア・・・桑田氏と原さんのディエット(サビの部分は原さんのソロ)曲で公式盤には未収録曲。
- ヘイ!リュード・・・サビの部分は桑田氏と原さんのディエットなのです。桑田氏も中途でその口調を真似ていますけど79年に比べ原さんのボーカルが妙に子どもっぽく聞こえてしまうのは私だけでしょうか。
- マナさんへのインタビュー。どちらかと言うと舌足らずなマナさん、なんとなく覚えているけど何を歌っていたか全く覚えていません。
- ユニオン・ジャック・メロディ・・・You Never Give Me Your Money 〜 Come Together 〜 ラチエン通りのシスター 〜 Here Comes The Sun(野沢さんがリード・ボーカル。彼はサザンに加入する前、マーブルというロック・バンドでDeep Purpleの"Highway Star"などを唄っていたらしい) 〜 雨のサンシャインロード 〜 The Long And Winding Road 〜 With A Little Help My Friend 〜 思い過ごしも恋のうち & I Want To Hold Your Hand 〜 いとしのエリー 〜 The Fool On The Hill(大森さんがリード・ボーカル) & 騙したり夢を食べたり・・・〜 松田の子守り歌 〜 She Came Through The Window 〜 いとしのエリー。ライヴならではの演奏ですね。
- C調言葉に御用心・・・この曲を聴くと原さんのボーカル・スタイルの変化を感じてしまいます。
- (M.C.)デビューしてから3回目のツアーの幕開け。日本を一回りし大きくなって12月10日に初の武道館でまたお会いしましょう。"勝手にシンドバット"などはその武道館にとっておいてFive Rock Showにこだわりたいと思います。次の曲が最後です・・・最後っぽくなります(笑)。
- いなせなロコモーション・・・エンディング曲。ステージ上にはスペクトラム、マナ、ジューシ・フルーツ、ヒカシュー、そしてシャネルズがいる模様です。残念ながら中途でD.J.の声が被さります。
- 涙のアヴェニュー・・・アンコールです。残念ながら中途でD.J.の声が被さり曲はFade Out。
2日目の田園コロシアムでこの日の前座は近田春夫さんとヒカシューの無言劇、そしてジューシイ・フルーツの演奏だったようです。
私もこのツアーを名古屋市民会館大ホールの4F最後列で観ました。残念ながらスペクトラムが同行してくるわけがなく、その音はテープでした。オープニングはやはり"オーバーチェア〜ヘイ!リュード"でカラフルな衣装に身を包んだメンバーがステージ両脇から楽器を持たずに登場し、振り付けありの、タップありの楽しませてくれるオープニングでした。
名古屋の地を踏む前に岐阜そして三重県で演奏してきたが名古屋のためにその力をセーブしてきたこと。そしてレコーディングの成果を見せたいと79年のツアーで定番であった"勝手にシンドバット"などは演奏せず、途中メンバーが衣装替えをしている間に桑田氏のその旨を説明しアコギ片手に"いとしのエリー"を演奏していたことが印象的でした。
ステージが終了しメンバーがステージを去る時に桑田氏がアンコールを求める手拍子をしばししていました。今も当時もアンコールを含めたセット・リストの状況を笑うかのようでした。
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80年8月31日 テレビ東京「サウンドクリエーション(ホットな涼しい夏)」
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- 恋するマンスリーデイ・・・デビュー当時はヤマハのセミアコやギブソンのレスポールを使用していた大森氏がこの番組ではありませんがフェンダーのストラト(エリッククラプトンのBlackieのように黒色)を持っているのを当時観て意外に思った記憶があります。この曲をテレビで演奏しているのは珍しいのではないでしょうか。
- To You
- タバコロードにセクシーばあちゃん・・・ノビノビとギターソロを弾く桑田氏。
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80年10月11日東京・目黒・パイオニア・スタジオでのFM番組「パイオニア・サウンド・アプローチ」スタジオ・ライヴ
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FM番組"パイオニア・サウンド・アプローチ"のスタジオ・ライヴのエアチェック音源。5夜連続で毎日違うテーマで放送されていました。例えば小劇をするとかです。そう言えばサザンが毎週深夜にテレビの番組を持っていた時期もありましたね。
音源はFMでもちろんステレオです。
- タイニイ・バブルス
- 働けロックバンド
- 恋するマンスリーデイ・・・レゲエのノリで当時の観客のアオリを「イヨ〜イ、イヨイ、イヨイ、イヨイ」としていました。
- 涙のアヴェニュー
- いなせなロコモーション
- 私はピアノ
- シャララ・・・良い曲です。日本テレビの番組「TVジョッキー」に出演した時、大森さんが哀しげな危なげなハーモニカを吹いていたのが思い出されます。この曲は桑田氏と原さんがボーカルを分け合っているのですが、この原さんの甘ったるい歌い方には「どうしちゃったの?原さん!」と思わずにはいられませんでした。
- わすれじのレイドバック
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81年1月3日 テレビ東京「ステレオ音楽館スペシャル 熱いふれあいサザンオールスターズ」at 80.12.10 武道館
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- 12月7日、河口湖畔での合宿風景、開演直前の幕裏でのメンバーの様子が映し出される。
- To You・・・意外にゆったりめで演奏するメンバーもリズムをゆったり・まったりと体でとっている。
- 私はピアノ・・・緊張の原さんてな感じ。
- タバコロードにセクシーばあちゃん・・・久しぶりにノビノビとギターソロを弾いていると思ったら桑田氏でした。
- 涙のアベニュー・・・遠いまだ行ったことのない異国情緒あふれるらしい横浜の街をこの曲で想像したのも昔のこと。
- Love・・・日本時間で前日にニューヨークで射殺されたJohn Lennonに。よく歌詞を覚えましたな、桑田氏。数年後のテレビ「縁起者でいこう」ではカンペを観ながら唄っていましたが。
- 河口湖畔での合宿中の宴会の模様・・・ブラウン管のこっち側は素面なので見ていて非常につまらない物真似でした。
- What'd I Say・・・サングラスに蝶ネクタイに派手なジャケットを着こんでオモチャのピアノを叩きながらレイ・チャールズになりきってる桑田氏。
- 気分しだいで責めないで・・・アリーナ席の観客も総立ちで後半戦てな感じでしょうか。ステージの電飾が時代を感じさせてくれます。当時らしいサザンのノリの演奏。
- いなせなロコモーション・・・John Lennonのように大また広げてギター抱えて唄う桑田氏の姿も懐かしい。
- 勝手にシンドバット・・・ギターを外しマイク片手にあっちこっちに移動しながら唄う桑田氏。
- シャララ・・・泣かせてくれる演奏。感極め中途で唄えなくなる原坊。
- 河口湖畔での合宿でアンコールをどうするかスタッフと打ち合わせする桑田氏と原坊。
- 茅ヶ崎に背を向けて
- いとしのエリー
- ごめんねチャーリー・・・ステージの上からアリーナに飛び降りて最前列前の空間で歌う桑田氏。
- "ラチエン通りのシスター"を流しながらメンバー紹介と今年の活動予定が流れる。
- 二人だけのパーティ・・・再びステージの映像に戻り、「何か別れにくいね」とステージ上でメンバーが相談するシーンの後、この曲の演奏が始まる。桑田氏はノーマルチューングのストラトでスライドをグイグイと弾き、ヒロシのドラムは終始タイトに安定したリズムでバンドをひっぱるのでした。
観客のファッションや髪型、飛び交う紙テープなど古き良き時代と感じてしまうはオイラがオッサンという証ですね。
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81年7月31日(金) NHK FM「ブルース・メイド・イン・ジャパン〜仲間或いはフレンドシップ〜」
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ブルースという音楽をここまで定義しなくてはいけないのかなと思いながらも、ブルースとくると青江美奈や淡谷のり子などの曲をイメージするか、関西弁調で唄うバンドをイメージしてしまう日本の音楽シーンの哀しさかもしれない。
しかし番組中に桑田氏も話しているが「ブルースだけを演奏してもつまらない」けれどバンドのブルース好きであることが根底に流れているというのはデビュー当時からその音が黒っぽいところで証明されている。しかし黒人ブルースに深入りすることなく白人がコピーした黒人ブルースの曲を特に嗜好していたためであろうか、単なるブルース・バンドではない黒っぽさを醸し出すロックバンドがサザンであると思う。
- My Foreplay Music・・・左チャンネルから原坊のピアノ、桑田のギター、ヒロシのドラムとムクチャンのベース、そして右チャンネルにター坊のギターに毛ガニのパーカッション。
- 我らパープー仲間・・・桑田氏と原坊のコーラスが黒いのよ。左チャンネルのピアノが八木氏、右チャンネルのピアノが原坊だろうか。八木氏が参加した曲は原坊が右チャンネルに移動するようである。逆でしょうか???、どっちでしょう・・・
- 朝方ムーンライト・・・名曲です。でもこの曲は左チャンネルだけピアノが収録されている。
- Get Back・・・エリック・クラプトンの真似。確かに70年代後半のEric Clapton & His Bandっぽく聴かせているけど似ていない。
- ミスター八木のよまい事・・・超が付くテクニックが無い分、勢いとボキャブラリでカバーする可も無く不可も無いセッションである。スリルを感じないのが残念である。でもこういうのがブルースかなとは思える。さて問題のピアノ、右チャンネルからハモンドなどのキーボードの音が流れているから原坊、そして左チャンネルのピアノは八木氏。
- ラッパとおじさん
八木氏が参加しているのは"我らパープー仲間"と"ミスター八木のよまい事"の2曲であると思われる。
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1981年9月16日 そちらにおうかがいしてもよろしいですか? at 横浜文化体育館
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アルバム「ステレオ太陽族」を発売後の4回目のツアー。
- (M.C)
- 素顔で踊らせて
- 朝方ムーンライト
- 夜風のオン・ザ・ビーチ
- (M.C)・・・次の曲のコーラスについて。
- 我らパープー仲間
- (M.C)・・・メンバー紹介。
サポート・メンバーの国本 佳宏。
そして野沢秀行、松田弘、関口和之、
- (M.C)・・・原由子と一言ずつ。
- うさぎの唄
- Loving You
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83年7月14日(木) サザンオールスターズ ニッポン放送「オールナイトニッポン」
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手元のカセットテープには「II」とあり、遠く離れた物置小屋にあるダンボール箱の中に「I」があるのかもしれません。
この時期はレギュラーではなく、この日限りのアルバム"綺麗"とツアーのプロモーションでメンバー全員でパーソナリティを努めたようです。
原坊の弾くピアノをバックにリスナーの家に電話をかけてお話をするところからこのテープは始まりました。
この年はRCサクセションと北海道でジョイントしたようで、そのライヴの少し前という放送。少し前、RCサクセションのライヴがあった時、「サザン、ぶっつぶしてやるぜ」で盛り上がったというハガキを紹介し、俺たちも負けないよということで、
原坊のピアノ、エスパー矢口氏?のサックス、桑田氏がギターを弾きながらRCに負けないぞという意気込みをロックンロール調で即興で唄う。
そして番組の最後に原坊のピアノと桑田氏のギターで
「やけに9月の雨が体を湿らす・・・」
という曲(曲名失念)を唄う。
第1部しか放送されない地方局の哀しさ、中途で番組テーマが被さります。このテープは遠いニッポン放送にチューニングを変更し、引き続き聴いていたようです。
ちなみに第2部は谷山浩子嬢が担当していたようです。
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1983年11月10日(木)〜16日(水) 原由子 民放FM「コーヒータイム」
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平日10:30AMから毎日ゲストを迎え、マーシャクラッカワーさんとお話をするラジオ番組である。
11月10日(木)
11月21日に発売されるアルバム「Miss YOKOHAMADULT YUKO HARA 2nd」から"Misty Morning"で幕を開ける。
アルバム「はらゆうこが語るひととき」の時、2年半ぶりに出演。
生まれ育った横浜をテーマにしたアルバムという話から"新・野毛山模様"。
バンド・メンバーとソロ活動の違いについて会話した後、"そんなヒロシに騙されて"で初夜を終える。
11月11日(金)
2日目は1983年8月21日に先行発売されていたシングル"恋は、ご多忙申し上げます"で幕を開ける。
新婚生活、家事の分担はゴミ捨て程度などの話しから"いちょう並木のセレナーデ"。
結婚のきっかけ、普段の二人の話しから"恋のメモリー:三昧編"。
1月14日(月)
不明。
1月15日(火)
不明。
1月16日(水)
最終日である5日目は"忘れじのレイドバック"で幕を開ける。
サザンオールスターズのツアー中のエピソード、彼は金銭感覚ゼロという話しから"マチルダBABY"。
女性から観た男性どうしについて。女性と男性の優しさの違いについて。10年後、どうしているかで話しを締め"冷たい月曜日"。
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84年1月4日(水) 桑田佳祐ニッポン放送「オールナイトニッポン」
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3年ぶりに返り咲いた深夜放送番組「オールナイトニッポン」の第1回。お正月で初回ということでスタジオを飛び出し代官山にある「2&1/2」からゲストを交え飲みながらの放送。初回で年賀状の時期でハガキも届いてない、企画コーナーも決まっていない、ゲストに原坊、ムクチャン、毛ガニ、山下久美子、小林克也、明石家さんま、斉藤誠、今野タクロウなどを迎え単なる酔っ払いの集いの模様である。
"あみだばば"はラジカセ持って楽屋に行き、土下座で直訴され作った曲で、その後のツアーで「"あみだばば"やれ」という野次がとぶたびに、さんまのことを恨んだこと。でもサビのフレーズはさんまが作ったにもかかわらずクレジットがない(作曲・作詞印税が入らない)こと、作ったメロディ通りさんまが歌ってくれない(歌えない?)こと。
"チャコの海岸物語り"ヒットの後、小林克也と桑田が2人で飲んだ時、「次は日本の盆踊りをやりたい」と語った桑田の新曲が"匂艶ザ・ナイト・クラブ"で驚いた小林に「"愛のコリーダ"から盆踊りというか日本のお祭をイメージしていた」と答える桑田。
そして何故か2枚パンツを穿いている話から仮性包茎ネタで盛り上がるのでした。
最後にアコギ1本をバックに皆でブルースを廻し唄い、"上を向いて歩こう"を歌って(ここでテープはCut Out)番組は終わるのでした。
それにしてもきちんとCMをカットしてある90minのカセットテープ。何でこんなの録音していたのでしょうか、私は・・・と放送から18年後の晩夏に考えるのでした。
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84年1月9日(月)〜?日(?) 桑田佳祐 民放FM「コーヒータイム」
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平日10:30AMから毎日ゲストを迎え、マーシャクラッカワーさんとお話をするラジオ番組である。
1月9日(月)
お正月休みは精力的に遊び、家でごろ寝しているのはダラシナク思えて嫌である話。
「鯛舌」レーベルを発足し、その発表を兼ねたツアーのタイトル「私は騙された」は、観客に「私は騙された」と思いながら帰って欲しい気持ちである話。これまでの「これでもか!」という勢いだけの内容から「音を聴かせる」ライヴにしたい話。
ライヴ後は、翌日が休みか、若いスタッフが集った時はとことんやるが、普通は飲み歩かないで部屋でチビチビやっている話。
デビュー後、2〜3年目はメンバーの嫌な面を見てしまうことがあったが、今は良きパートナーとして付き合えるように自分の心の中が変化した話など"マチルダ・ベイビー","Plastic Super Star","エマノン"を途中に流しながら番組は進行する。
1月10日(火)
二日目は1回目のニューヨークに旅し、気持ちが変化した話。
観葉植物などの話をこの日は"チャコの海岸物語"や"いとしのエリー"などが流れる。番組の冒頭は録音されていないが"匂艶ザ・ナイト・クラブ"だったようだ。途中からの音源。番組途中ながら録音した私はやはり暇だったのでしょう。
それにしても久々に聴いた"チャコの海岸物語"は、パンクというか凄い唄い方ですね。リリース当時、ラジオ番組でアイドル田原俊彦のそのキッチュな唄い方を真似てみたとか話してましたね。
1月11日(水)
三日目はムクチャンの本「突然ですがキリギリス」のゲラ段階で「確かにやったけど、これが活字で世に出るのはまずい」ので削除した箇所があったなどの話。
"C調"などのボキャブラリーは子供の頃から好きだった植木等などの影響かもしれないという話。
義理人情、パッと見の見た目とは落ち着きは、お婆ちゃん子だったからかもしれない話など"Ya Ya(あの時代を忘れない)"、"C調言葉にご用心"、"シャララ"を途中に流しながら番組は進行する。
1月12日(木)
アルバム"綺麗"の中で「遊ぼうぜ」で収録した"そんなヒロシに騙されて"を、歌謡界で真面目にコピーされて「これが桑田の作品」と紹介されることが正直不本意である話。
アルバム・タイトル"綺麗"は日本
小林克也から「サザンでは絶対やらないような曲」とリクエストされ提供したザ・ナンバーワン・バンドで"茅ヶ崎は今日も黄色い"から、前川清は「ロックな演歌」である話などを"ボディスペシャルII"も流しながら番組は進行する。
なお1月13日(金)も出演しているが、そのテープは物置小屋のダンボール箱のどこかにあるかもしれないが行方不明である。
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84年1月11日(水) 桑田佳祐ニッポン放送「オールナイトニッポン」
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3年ぶりに返り咲いた深夜放送番組「オールナイトニッポン」の第2回。ツアー中でこの日は九州・博多のスタジオからの放送。
オープニングでアコギ1本で先週の放送の反省っぽい歌を唄ってのはじまり。
特に企画コーナーもなく、ボチボチ届き始めたハガキを読みながら
紅白のリハ5日で郷ひろみに励まされながら俵積みの練習した話。何故、ダンスのパフォーマンスとしたか。
四国は松山のライヴでフィルムを上映中、停電になったこと。
やはり先週の放送の続きで仮性包茎で「オレたち、ホーケイ族」なんて募ってタートルネックのTシャツを作る話題から、高校時代に痔になり手術した思い出などの話で盛り上がるのでした。
シングル"東京シャッフル"は良い曲でした。でもヒットしなかったのですよね。
それにしてもきちんとCMをカットしてある90minのカセットテープ。当時、住んでいた地方ではオールナイトニッポンは第1部のみの放送でした。で、3:00AMになると地方局からチャンネルを遠い街「東京」のニッポン放送に合わせ聴いていたようで第2部は白井貴子が担当していたようです。暇だったようです、私は・・・と放送から18年後の晩夏に考えるのでした。
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84年2月5日(日)と2月12日(日) 民放FM番組「グンゼ・ニューミュージック共和国」
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7年間続いた番組「グンゼ・ニューミュージック共和国」が終了するにあたり、番組にゆかりのあるミュージシャンとしてサザンがゲストとして2週連続招かれた。
2月5日はサザンとして8回目、原坊がソロで2回、ヒロシが1回、計11回目の登場である。
この日はデビュー前後に桑田氏と原坊がゲスト出演し、「今後の展望は?」と質問に桑田氏がしろどもどろになっているのを原坊が一生懸命フォローしていたこと。
一番の思い出はダウンタンブギウギバンドとの共演であることをシングルを聴きながら語るのでした。
そして翌週2月12日(サザンはソロを含め12回目の最後の出演)は現在のことを中心に、アルバム"綺麗"と手応えのあったツアーの話をして番組を終了するのでした。
個人的にはシングル"東京シャッフル"が当時のお気に入りだったのですが、アルバム"綺麗"のスピーカーから流れてくる音の厚みというよりも重工感?パワーの無さ、前に出てこない、音が体に押し寄せてこない感じ、音は物凄く被せているようだけどスピーカーから流れる薄っぺらい音に物凄くがっかりした記憶があります。
その後のアルバム"人気者でいこう"や"KAMAKURA"で盛り返したサザンでしたが、何かこの頃はイマイチだったような気がしないでもありません。
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84年3月7日(水) 桑田佳祐ニッポン放送「オールナイトニッポン」(SASたいした発表会・私は騙された!!ツアー'83 at 武道館の模様を放送)
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3/2に出国しニューヨークに原坊と旅行中、宿泊先のグラマシーパークホテルの客室にある電話の受話器を使用し生放送。
ニューヨーク大学のプールで体を鍛えようと泳いだ話。
レコーディングのため渡米中の佐野元春に会った話。
街の楽器屋に入り見るだけのつもりが、買わないと許さないダメということで50年前のものという「ハーモニー」というメーカーのアコギを85ドルで買わされた話。
パワーステーションスタジオで現地のエンジニアと共にアルバム"綺麗"を他の音と聴き比べ、その柔らかい音・もろい音に落ち込んだ話などをする。
そして武道館で行われたライヴの模様が放送されるが、この日は大陸からの電波が少しだけ混線するような受信状態が良好でなかったが、それ以上にこのライヴ音源の音が悪いこと。ライン録音ではなく場内にマイクを立てPAスピーカーから流れる音を収録したオーディエンス録音のようなとにかく良い音ではない。
- Opening〜マチルダBaby
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ここでスタジオにいるムクチャンと斉藤誠と、国際電話で会話の後、再びライブの模様が放送される。
- Emanon
- Ya Ya(あの時代を忘れない)
- My Foreplay Music
- ラッパとおじさん(((Dear M.Y's Boogie)・・・桑田氏のスライドギターがノビノビとして良い。
再びスタジオから「関口和宏の日記コーナー」
やはりアルバム"綺麗"の音の話
視聴者にダコタアパートにあった石や佐野元春が泊まっているアパートにあるトイレットペーパーなどを10名にプレゼントの話(翌週の放送では・・・)
3月10日(土)15:00〜16:00に渋谷東急プラザの紀伊国屋で「突然ですがキリギリス」のサイン会の話など。
- 思い出のスターダスト
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そしてホテルからアコギでJohn Lennonの"Love"を唄いながらJohnのオリジナルに続き、最後に
- 旅姿六人衆
が流れて番組は終わる。地方局は哀しいかなこの曲の途中でCMになり、このエアチェックテープではニッポン放送にチャンネルを切り替えている。がしかしその電波の受信状態は悪い。当時の私って本当にマメね。
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1986年12月7日(日) 桑田佳祐 TBSテレビ「三菱タイムトリップ テレビ探偵団」
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時は流れ1986年10月12日から毎週日曜19:30~20:00の30分間、放送されていた「テレビ探偵団」。
三菱電機の一社提供のタイトルに「三菱タイムトリップ」とも表記されています。
進行は司会の三宅裕司と山瀬まみ、コメンテーター朝井泉の3名で毎週ゲストを迎え、ゲストと思い出を語りながら懐かしの映像を鑑賞する番組「テレビ探偵団」。

1979年(昭和53年)にサザンオールスターズがTBS「8時だョ! 全員集合」に出演し同年11月25日に発売された"気分しだいで責めないで"を演奏した時の映像が少し流れ、当時、KUWATA BANDで活動中の桑田佳祐が出演した。
最初に思い出の番組として1963年(昭和38年)にテレビ朝日で放送されていたアニメ「狼少年ケン」のオープニング曲の歌詞「ブン バ ボン」で盛り上がった。
そして1969年(昭和44年)から1976年(昭和49年)にテレビ東京で放送されていた「プレーガール」で映る下着姿、入浴シーン、裸体で盛り上がった。
更に大橋巨泉のパイロット万年筆のCMで盛り上がった。

極めつけは1979年(昭和53年)にサザンオールスターズが出演していた懐かしいCM「日清やきそば UFO」。
歌詞「翔んでるサザンが金づち浮かす 浮いた浮いたのプレゼント」で曲"アブラカダブラ"のメロディを流しながらの出演。
これはバンドとしてはトホホな思い出CMかも。

最後は1983年(昭和57年)にサザンオールスターズがTBS「8時だョ! 全員集合」に出演し同年1月21日に発売された"チャコの海岸物語"を演奏した時の映像を流しながら番組は終わりを迎えるのでした。
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1989年 4月 9日(日) サザンオールスターズ テレビ朝日「HITS」
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1989年 4月12日(水)に発売されたシングルCD曲"女神達への情歌(報道されないY型(ケイ)の彼方へ)"のプロモーションで出演。
最初にメンバーが横並びし桑田佳祐の話から泉谷しげるが司会をする音楽番組だということがわかる。
可能性として毎週日曜日12:00から放送されていたテレビ朝日の音楽番組「HITS(ヒッツ)」。
場所は東京都調布市国領町のデパートの屋上、日曜日の昼下がり。
インタビューの収録時、"勝手にシンドバット"を演奏時はアロハ風の半袖シャツの井出達

ですが、スタッフや周辺住民は晩冬の服装。

放送日の4月9日に向け収録されたのは4月2日、3月26日、3月19日など日曜日かと推測しますがいかがでしょうか。
そして演奏した日曜日の前の週の放送で泉谷しげるが番組で歌った、歌っている時に唾液がマイクについて口から糸をひいていたその翌週の日曜日かと思います。
ところでこれは何処のデパートなのでしょうか。
東京都調布市国領、1989年当時に営業してデパート?ショッピングセンター?
建物は同じでも営業母体が変わっている可能性もあるかと思います。
そして番組の後半で1989年 4月12日(水)に発売されたシングルCD曲"女神達への情歌(報道されないY型(ケイ)の彼方へ)"のプロモーション・ビデオが放送された。


あの頃の下着は・・・良かった。
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1989年 4月14日(金) サザンオールスターズ テレビ朝日「ミュージックステーション」
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1989年 4月12日(水)に発売されたシングルCD曲"女神達への情歌(報道されないY型(ケイ)の彼方へ)"のプロモーションで出演。
当時、社員であった木下智佳子アナウンサーがサブを務めレコーディング・スタジオにも伺った話など司会のタモリと会話をした後、あらかじめ撮影してあった"女神達への情歌(報道されないY型(ケイ)の彼方へ)"が流れた。

そしてスタジオでThe Beatlesの曲"Back In The U.S.R.R."を生演奏した。

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