9 セコイアとヨセミテ国立公園

9月24日、海岸通りのモーテルから日本人街へ行き、朝ご飯を食べ、巻き寿司を作って貰い、栗と豆腐を買って、昨夜お世話になった人の所に寄ってお礼を告げてロスアンゼルスを後にした。西海岸のHWは慣れていないせいか、何度も同じところをぐるぐる回ってなかなか脱出できなくて困った。

ほっとしたのも束の間で、また長い旅が続くのかと思うと悲壮だった。カリフォルニア・バレーを北へ走り、シエラネバダ山脈の中程にあるセコイア国立公園を目指したが、到達は無理でビサリアで泊まった。

9月25日、シエラネバダへ向かって出発した。公園の東南部には、アメリカ本土随一の高さを誇るホイットニー山(標高4756m)がそびえ、そそり立つ花こう岩の山脈に踏み込むのは楽ではなかった。森林地帯に入る辺りから禁煙となった。車は何度も曲がりながら上へ登って行った。切り立つ様に深い谷間が目に入って来る。“もっと遅く走ってよ。”と何度も口をついて出た。やがてセコイアの赤茶色の幹を見る所に着いた。案内所があり、喫煙所もあったので外に出てみた。

杉に似た樹だが古代植物の系統に属する大木で、現在はシエラネバダ山脈西部の中腹だけに帯状に残されている。

私達はここからジャイアント・フォレストヘ向かい、そこでゆっくりトレイルを歩きまわった。ここには樹齢3500年と推定される‘シャーマン将軍’と名付けられた世界最大の大木がある。直径の最大箇所は12.2mある。傍らに子供を抱いて写真を撮ったら蟻のように小さく撮れて驚いた。高さでは品種の異なるレッドウッドに最高のものがあるという。樹の下にセコイアの若木がたくさん生えていた。球果は以外に小さく長さ5cm位のが落ちていたので拾って帰った。帰途キングスキャニオン国立公園の一角にある第二の巨木‘グラント将軍’などを見て山を下った。HW180に沿った一角でキャンプグラウンドを見つけて、ご飯を炊いたが、水が悪くて食べられず殆どは集まってきた群青色のステラースジェイ(ブルージェイとも云う)がたいらげてくれた。人見知りせず餌を求めて群がる様が愛らしかった。

その後フレスノまで一気に下ったがこの辺りは一面に葡萄畑が拡がっていたのが印象に残っている。フレスノでは‘東京ガーデン’で夕食をとった。ここには日本人移民が沢山住んでいるといっていた。暗くなってからヨセミテ国立公園へ向かう道を少し行ってブラックホーク・ロッジで泊まった。

9月26日、同じシエラネバダ山脈中にあるヨセミテ国立公園を訪れた。この日も加奈子は早くから車に酔い出し、途中何度も嘔吐しててこずった。幸い私の悪阻は収まっていたので一緒に気分が悪くなることは無かった。

南門から私達は公園にはいった。公園の入場料は3ドルで今まで廻ったうちで一番高い。氷河が削りとったと云われる花こう岩のそそり立つ岩肌は高さ千数百メートルにおよびその間を縫うようにして静かに流れる川は‘世界で最も詩情豊かなマースド川’と云われている。

私達ははじめにもう一度セコイアの群落を訪れ、根元を自動車が通れる様にした巨木を車で通りぬけ、写真に収めた。緑の葉が着いていたから確かに樹は生きていた。高校時代にこの樹の事を教えてくれた先生の顔が浮かび、実際に見れたのがうれしかった。

ここから氷河の削り取った跡を一望できるグレイシャー・ポイントへ行く道はワオナを過ぎた辺りからつづら折りの曲がりくねった登り坂になり、子供は青い顔をして寝てしまういやな道だった。グレイシャー・ポイントはホテルもあり立派な観光地だった。留学生らしい人に案内された和服姿の日本人老夫婦を見かけた。1068mの高さがある所から手すりにすがりついて震えながらU字形に氷河が削った渓谷とヨセミテ村を見た。子供がちょこちょこ歩き廻るのが不安だったので早々に引き揚げて近くのキャンプグラウンドでまたご飯を炊き、、栗を茹でて一時を過ごした。水質は昨日より悪く、白く濁っていた。

もと来た道を戻り、更に別の道を通って谷間に出た時はすでに陽が落ちかかって、エルキャピタンドームや、ハーフドームに映える夕日がかえって印象深かった。

川のほとりには沢山テントが張られ、楽しそうな声があふれていた。私達は大急ぎであちこち走り廻っただけで此処を抜け出さなければならなかった。

暗くなると山道を走るのがおぼつかなくなるからだ。道は二つあったが、私達は遠回りだが危険性の少ない川に沿った道を選んでヨセミテを後にした。ヨセミテの土産はワオナの路上で拾った大きな松かさ二個と淳のまぶたに出来た大きな腫物で、これは何かの虫に刺されたのだと思うが、何の因果かこの後毎年のように淳はこのまぶたを虫にねらわれて腫らしていた。この晩私達は最後の一頑張りをしてサンフランシスコに通ずるHW50に出たところで泊まった。

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