7 アリゾナの旅—隕石孔とペトリファイドフォレスト

まだ日暮れまでに少しあったのでウパツキのペブロインデアンの遺跡を見学した。いにしえの農耕全盛時代の遺跡だそうだが、今は荒れ果てて雑草だけが繁っていた。

この頃から子供達は疲れを見せ始め、落ち着いて食事をしなくなって、スプーンを投げたり、食べ物を投げたりして私を困らせた。私自身も食欲がなく、時々薬を飲んでいたので、子供達の疲労は私の肩に重くのしかかった。モーテルに着いて入浴後子供達を寝かせてからその日のおしめや衣類の洗濯もしなければならなかった。それでもお腹の子供はおとなしくしていてくれた。それにしても随分遠くまで来てしまった様に思うけれど、旅行はまだ半分も終わっていなかった。

9月17日、フラグシュタッフから砂漠の中を東へ1時間程走ると、世界一大きいと云われるアリゾナの隕石孔へ通ずる道が右に見えて来る。およそ5万年昔の或日、突然西北の上空から少なくとも300万トンにも及ぶ一群の隕石がここに降ってきた。それらの隕石は地表の岩約4億トンを打ち砕いて四散させ、その奥深くに入り込んで跡に大きな孔を残した。

それは幾歳月の風化を経た後の今日でも直径約1480メートル、深さ約210メートルの大孔となって残されているのである。そして隕石の大部分は更に200〜300メートルの所に取り出すすべもなく眠らされている。勿論一部は掘り出され方々の研究室や博物館に散ってしまったが、此処の博物館にも陳列してあって見ることが出来た。私達が陳列品を覗いていると、

“インデアンがここを訪れるのは珍しい。お前は何インデアンか?”と尋ねられたのにはまいった。

この日は雨が降っていてあまり外を動き回れなかったので車の移動が多く、昼食はペトリファイドフォレスト国立天然記念地域近くのホルブルックでとったが子供達特に長女加奈子はすっかり車酔いしてしまい青い顔をして食べ物を欲しがらず大変だった。

ペトリファイドフォレストは大昔の樹がなぎ倒された形のままメノーや碧玉のように変質してごろごろころがっている珍しい所である。その広さも非常に広く、大別して六つの森がペインテッドデザートの中に点在している。およそ一億六千万年昔、当時湿原地帯だったのが、大洪水に襲われて生存した生物の全てが一瞬にして泥や砂の中に埋ってしまった。それが幾度かの土地の変動の後、風化され、浸食されてまた昔の姿を地表に表わすに至った。この土地からは、けい化木の他に巨大な両生類や爬虫類の骨、しだ植物やせん苔類の化石も出てくると云う。この素晴しい土地は1883年大陸横断鉄道が敷かれるまで殆ど知られていなかった。

それが一度知れ渡るや美玉収集家、宝石商、土産探しの人等によってあらされ始めた。丸のままのけい化木が紫水晶を探す為に破壊されたり、多くのメノーが宝石用に持ち去られた。このことを悲しんだアリゾナの人々は州議会を通じて“未来の世代の人々がこの景観を共に楽しめる様に、また自然現象のもたらした不思議な遺物の一つを研究できるようにこの土地を残して欲しい。”とコングレス(国会)に請願した。そして1906年、時の大統領テオドール・ルーズベルトがここをペトリファイドフォレスト国立天然記念地域(Petrified Forest National Monument)と定めたのであった。

私達は先ず入り口の博物館で大きなけい化木の横断面を見て感嘆した。磨かれた断面は年輪毎に縞模様が見事に見えて実に美しかった。その後外に出て横倒しにころがっているけい化木の間を歩き回った。そして更に点在する森の跡を見て回った。けい化木が自然の橋となっている所もあった。峰の上に取り残されて長々と横たわったままのもあった。下の土は浸食で無くなって行ったのが、けい化木は浸食されなかったのでこのようになったようだ。日暮れ時に私達はそこを出た。出口で車の中を調べられたが、持ち出す人が後を絶たないのでこうする必要があったものと思われる。出口付近にロックショップがあったので小さな塊一個とループ・タイを三本買った。塊は4.9ドル、ループ・タイは一本2ドルだった。

この辺りには泊まれそうな所がなかったので、予定を変えて南へ行く事にしたが、何時の間にか山道になり、大変な断崖らしい所を紆余曲折してやっと10時にどうにか泊まれそうな所に着いた。

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