6 新しい車でグランドキャニオンへ

9月12日、サンフランシスコへ着くまで使う予定のレンタカー(61年型、シボレーのベルエアー)を夫がモーテルにもち返ったのは10時過ぎだった。早速食事や洗濯をするために乗ってみたが速度感がなくふわりとする乗り心地は快適だった。この日は一日中乗ったり降りたりして運転の練習をしている様だった。夜はダウンタウンで見つけた日本料理店‘みかど’で焼き鳥と海老のてんぷらを食べた。淳が窓越しに見える新しい車を指して、

“ダディーの車だよ。”と得意げに店の人に話していた。

9月13日午前中もう一度市内見物をしてまわった。

モルモン教の建物、花壇の美しい州庁等見学した後リバティー公園のテーブルで昨夜‘みかど’で詰めて貰った焼き鳥など出してランチをとると、しばらく子供達を公園で遊ばせてから再び自動車旅行の途についた。市の南西30マイル位にあるビンガムの銅山は露天堀(オープンマイン)としては世界最大というので、先ずそこへ行くことにした。だが、そこへの道は舗装してない細い道で対向車が来る度に夫は四苦八苦していた。すり鉢状に掘られた白っぽい壁をしゃくとりむしの様に小さく見える汽車が平行に何本も動いている。ダイナマイトのさく裂音が時々空気をゆるがしていた。次の目的地は塩で出来た砂漠(Great Salt Lake Desert)だったが行けども行けどもそれらしい所にたどり着けず、ただ、一面白っぽい土の上に茶色の植物が生えているのみだった。地図から判断するとこの辺りは砂漠の真ん中に相当していたので、引き返すことにした。あちこちに塩を精製している建物が見えた。再びソートレイクに戻って、通い慣れた中国料理店で食事を済まして出てみるとすでに辺りは人通りもなくネオンだけが夜空に浮かんでいた。もう子供達は眠りかけていたけれど、私達はガソリンを満タンにして流れるテールライトの波に乗って、南へ走った。そして100マイル程走って泊まった。

9月14日、南下するに従ってだんだん暑くなり、加奈子も私もへたばりそうになっていたけれど、休む木陰が見つからず困った。ちょっとアイスクリームを買う為に車を止めたら、ほんの二三分で車の中の暑さはがんがん上がってひからびた唇をなめながら夫の帰りを待ちわびたものである。(この当時まだエアコンはついていなかった)この日、予定ではブライスキャニオンとザイアンの二箇所を見ることになっていた。

それなのに後30マイルでブライスキャニオンの所でお昼になってしまった。大きな木の陰にロードサイドテーブルがあり、小川が流れていたのでご飯を炊いて味噌汁を作った。そして二時過ぎにやっとブライスキャニオン国立公園に着いた。大きなパンチボールの様に浸食された断崖は一様に仏像の様な形をして何千本となく立ち並んでいる。岩は赤やピンク、あるいはオレンジ色、クリーム色、灰白色の見事な縞模様をなして、唖然とするような景観だった。各々について見ていくと色々な形が連想されて面白い。あるものは高い岩の塔の上で遠吠えしているコヨーテに見えると云った具合である。これらの塔を削った水は渓谷の底からパリア川に、そして赤い川として知られるコロラド川にのまれて行く。ここに見られる地層は約6000万年、これらの下にはザイアンやグランドキャニオンに見られるのと同じ地層が眠っているという。私達は渓谷に沿って着けられた道をゆっくり走って回った。最終点レインボーポイントではピンククリフにかかる虹をカメラに収めて満足だった。日暮れは思ったより早くつるべ落としにやってきた。帰り道、思いがけない鹿の群れに道を阻まれて驚いた。私達はザイアンへ向かう道の入り口まで来て宿をとった。

9月15日、例によって宿の近くのマーケットで食料品を買って出かけた。ザイアンをあきらめてアリゾナに向かった。アリゾナとの境で、今まで出合った事のない食料品特に果物の手入れ(Inspection)があったが、幸い林檎しか積んでいなかったので何も没収されないですんだ。

アリゾナから他州へ出る時の事は知っていたが、意外だった。

乾いた高原を走りに走って、午後一時頃グランドキャニオンの北壁(North Rim)に到達した。九月に入るとシーズンオフになって、ロッジも店も閉ざされて、寒ざむとした木立に小鳥だけが舞降りて挨拶してくれた。

断崖の上につけられた細いトレイルをおっかなびっくり歩いたが、時折吹き抜ける風に体を獲られそうに感じて足元がふらつくのをこらえたものである。岩の先端に行くと右も左も断崖で手すりもない所があって、夫が選りにも選ってここで、

“淳を抱いているから写真を撮ってくれ。”と云うのには閉口した。対岸の南壁(South Rim)もかすんでコロラド川が蛇行しているのが見えた。

絶壁に這いつくばってユッカがクリーム色の花を高く持ち上げていた。私達は誰もいないキャンプグラウンドでバーベキューをして食事をした。群青色のステラースジェイが一緒にご飯をつついて可愛かった。四時頃北壁を引き揚げてグランドキャニオンを迂回するHW41を走って南壁への道をいそいだ。途中竜巻が砂を巻上げながら私達をかすめて通った。

また、雷雨に追いかけられて怖かった。コロラド川を渡って直ぐに陽が暮れた。渓谷の色は紫から赤茶色に、そしてやがて直ぐ傍のエコークリフまでが真の闇の中に消えた。殆ど何も標識がない道をヘッドライトだけを頼りにどのくらい走ったか、ふと気が着いたらガソリンが無くなりかけていた。急に心細くなって不安がつのった。HW1との交差点でやっとガソリンステーションを見つけてほっとした。私達は南壁へ通ずる道を右に見送り、少し先のグレイマウンテンでモーテルを見つけて泊まった。

9月16日、グレイマウンテンにはナバホとホピインディアンと思われる人々が沢山たむろしていた。あまり美しいとは云えないが、鮮やかなコントラストのインデアンの衣装で窮屈な背負い篭に赤ちゃんを入れている姿が珍しかった。

私達はインデアン達と共にカシナルームと云う店で食事して再び出発した。インデアンの岩の防空壕に似た家があちこちに見られた。写真を撮りたかったがやめた。グランドキャニン南壁に向かう道に入った時、この地方によく見かけるメッサを背景に馬に乗っているインデアンの兄弟の姿が目に入った。素晴しい構図に思わず車の中からシャッターをきりそのまま走り出したら二人が手を出して遠くで何かどなっているのでびっくりした。

グランドキャニオン南壁の入り口はコロラド川を一望に見渡せるナバホポイントで、そこに有史以前にインデアンが作ったと思われている見晴らし塔が高々とそびえている。大人が4人位立てる程の広い窓が八方に着いていておそらく後ではめ込まれたと思われる厚いガラスが見学者の不安を取り除いてくれていた。そこからの眺めはまさに言語に絶するものだった。とにかく広い。そして多彩、上から順に灰色、アイボリー、赤褐色、青灰色、緑、褐色、濃灰色に層を成した渓谷が遠くのものはなべて紫赤色の光線に包まれて別世界に来たようだった。

対岸まで植物らしいものは一つも見えない。渓谷の気温差は20℃位あるという。外に出て表層の岩を砕いて見たら貝殻が沢山入っていた。

私達は道を進めながらあちこちの展望台に立ちより親切な説明書きを読み、望遠鏡を覗いて時を過ごした。ヤキポイントからは対岸に渡れるトレイルがあるそうだが、対岸まで20マイルもあり、途中非常に危険な所を通らなければならないので、ここを渡る人はカナダからメキシコまで行く思いをするそうだ。

北壁はからっぽだったのに南壁はさすがに混雑していた。キャニオン村はホテルも郵便局もコインランドリーも皆オープンしていた。サンタフェ号の汽車まで走っていた。渓谷の王者コロラド川はこんな人々の騒ぎをよそに、今でも少しずつその谷を削って泥水をメキシコ湾に注いでいる。

私達は4時過ぎにグランドキャニオンを後にして更に南へと急いだ。

 





 

 

 

 

 

 

 

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