5 イェーロストーン国立公園からソールトレイクへ

イエローストン国立公園の東門を入ると鬱蒼とした針葉樹の樹界が続きしばらくして左側に広い湖が見えてきた。湖のほとりに沿って噴気が立ち登っている。夫は自分の専門だけに勢い付き、私の不安を無視して崖下まで下りていきぶくぶく噴いている噴気孔を覗き込むのである。これを三回程繰り返していざ出発と思っているとそこへのそっと子熊が現われた。突然だったのでいささかぎょっとして私は大急ぎで夫の所へ車をまわし、中に入ってもらった。

イエローストンには二つの特出した見所がある。一つは地表近くまで熔岩が押し上げられている為地上に色々面白い現象が見られる事、も一つはイエローストン川のもたらした大きな渓谷(Grand Canyon)がある事、そしてこの渓谷の色が晴れた日に黄色に見える為イエローストンと呼ばれる事である。私達は先ず川に沿って北上、有名なインスピレーション・ポイントを数ヵ所から眺めた。高さも水量も豊富な二つの滝が、岩に砕けてしぶきながら滔々と流れている。淳や加奈子が落ちないように気を配るだけでくたびれた。それにこの辺りには熊が多いと云うのであまりゆっくり歩き回るわけにはいかなかった。ランチはキャニオンヴィレジのキャフテリアでとり、私はここの川でとれた鱒のソテーを美味しいと思って食べた。

午後は活動的で底知れない怖さを示している地熱地帯を回った。道路サイドの至るところに‘冒険的に立ち入る事を禁ず’のウオーニングサインがある。一見安全に見えても、下の方でぶくぶくしている熱水があったり酸性度も高く危険である。夫は素通りするのが残念でしかたないようだった。

最後に世界一大きいと云われるオールドフェイスフル・ガイサーを写真に収めたくて急いでいたのだが、途中何度も熊に道をふさがれて思うように進めなかった。熊は車にのっそり近づくと、窓に手をかけて中を覗き、車をゆさぶりだすのでうっかりしてはいられない。更にラッキーにもエルクに出合って写真を撮ったりしたのですっかり遅くなってしまった。オールドフェイスフルに着いたのは6時10分過ぎだった。なりを静めた噴気孔の近くでシギの様な鳥が群れをなして遊んでいた。このガイサーは65分の周期で熱水を噴き上げると云われている。私達が着いて15分後に待ちわびた観光客の前で、日没前最後の噴出が始まった。白いしぶきを飛ばして10メートルくらいの水柱を10秒程噴き上げて、しばらく休んでまた噴き上げる。

断続してだんだん勢いを弱めながら終息にむかいやがて白い蒸気だけがもやもやとゆらぎ元の静寂にもどって行った。一回で約40トンの熱水を噴き上げるのだから驚く。私達はもう一度見たいと思い近くの土産店で待ったが、陽が沈み遂に望みはかなえられなかった。少し離れた所にキャフテリアを見つけて食を済ますと、もはや景色を見る事もできなくなった公園を一気に南門に向かって走った。途中から雷をともなった雨となり道に沿って流れる川と断崖を一瞬照らして消えるのが気味悪かった。ヘッドライトの中に分水嶺(Continental Divide)のサインを見たがはるか下にせせらぎの音を聞くばかりだった。

9月11日、グランドティートンに向かう途中で昨夜泊まったロッジは標高が高いらしくひやりとした空気に包まれていた。朝食後すぐに出発、数分でティートン国立公園に着いた。あいにく峰峰は雲に覆われ氷河によって削られたという高く尖ったグランドティートン(海抜4516m)は流れる雲の切れ目にかすかにピークを覗かせただけだった。写真を撮ろうと待ったがとても見込みないので諦めて、スネイク川に沿ってソートレイクに急いだ。

この日のうちにホルクスワーゲンをジェンセン教授に渡す約束だった。教授はソートレイクに家があって、私達の車を500ドルで買ってくれることになっていた。その後は教授が大型車をレンタカーし主人に使わせてくれることになっていた。

 ワイオミングの山道をぬけてアイダホの田舎を通った。貧しそうな傾いた家屋の軒並みが妙に私の印象に残った。日本の田舎の分校より小さな小学校が片隅に建てられていた。水の色が緑っぽいベアー湖の辺りでユタ州に入った。道は登ったり下ったりの山道になったが紅葉し始めた木々が美しかった。

“ホルクスワーゲン最後の運転をしてみないか?”と夫が云ったが、この曲がりくねった山道で重い車を動かす自信はなかった。350マイル走り久しぶりの大都市、ソートレイクに着いたのは太陽が丁度グレイトソートレイク(塩湖)に落ちかかった時だった。真っ赤な夕焼けが空を染めていた。私達はその晩カナダ以来全長27454マイル共に走った車に別れをつげた。掃除をする暇もなかったのが心残りだった。

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