料理に困ったら

 困ったことにネタがない。いやネタはあるのだ。それをどう書いていいものか困っているのだ。
 先々週に旅行に行ったのだ。そこでペンションに泊まったのだ。例のごとく夜は酔っぱらったのだ。他の人はあきれて寝てしまった。こんな時は本を友に酒を飲むのだ。なに、いつも自宅でやっていることだ。
 そこで「あいうえお いきもの図鑑」を見つけたのだ。

 図鑑は昔から好きだった。子供の頃は用もないのに毎日読んでいた。あの図鑑の名前は忘れたが、最後が「われもこう」だったことだけは覚えている。
 やや長ずると、親の「平凡社百科事典」を読み出した。これも用もないのに、だ。最初はギリシャ神話の彫刻や西洋名画の女性のヌードを見て興奮していた。雄ならみんなやるよね。そのうち文字も読むようになった。リビドーもちっとは役に立つ。いや立たないか。こんな雑学ばかり身につけても。
 図鑑や辞典のいいところは、あいうえお順という基準のもと、各項目が脈絡なく乱立していることだ。「遊覧船」の次に「幽霊」が来る。「迷信」のあとに「名人」が来る。続けて読むと、なんだか遊覧船が幽霊船に思えてきたり、左甚五郎がカッパだったり思えてくる。そのわけが分からなくなってくる感覚がいい。CD−ROM版では味わえない感覚だ。

 それはともかく「あいうえお いきもの図鑑」だ。この図鑑のおもしろさはそれとはちょっと違う。すべての項目がひとつの基準で切られているおもしろさ、といったらいいか。ともあれ、それを文章にしてみた。

「魚類にご執心」

 書いてみたがいまひとつ面白くない。料理ができていない。素材をただ提出している。紹介しているだけなのだ。オチがない。この際、オチを捏造してみたらどうか。ということで書いてみた。

「魚類にご執心:捏造オチ」

 ううむ、なんだか取って付けたようなオチだ。いや、取って付けたのだが。しかもあからさまに嘘だし。さらにオチが割れている。だいいちこのオチでは、最初に感じたおもしろさと違う方向に行ってしまっている。
 いっそ書き方を変えてみたらどうだろう。たとえば漫才風に。

「図鑑に人生幸朗」

 駄目だ、ただ冗長になっただけだ。オチもひどいし。
 それならいっそ初心に戻ろう。最初の文章の冒頭だ。あんな感じで、図鑑のパロディを作ればいいのだ。たとえば。

「あいうえお 食人族にんげん図鑑
 白人。白い。おいしい。
 黒人。黒い。食用。
 黄色人。黄色い。とてもおいしい」

 面白くない上に、これ以上続かないではないか。政治的にも危なかろうが。
 それならSFでどうだ。

「あいうえお ジルコニイこうぶつ図鑑
 玄武岩。雲母が多くておいしい。
 石灰岩。化石が入っているものはとてもおいしい。
 ダイヤモンド。石炭より堅くておいしい。
 粘板岩。粘っこくておいしい」

 ね、好物と鉱物をかけて……駄目だ駄目だ、こんなのダメだ。
 もっとシュール方面に行けばいいのでは。

「ゴニャラサバ レロホ図鑑
 ニ・ニャラー。ニャラーをネクして作る。ンバダヤ。
 ニニ・ニャラハ。ニ・ニャラーをネネクして作る。テルルンバダヤ。
 ニンニ・ニャラハン。ニニ・ニャラハをビクするとできるが、ジェピデュユとはジェエミがンゴなので区別される。ンバ」

 こんなの駄目だい駄目だい。

「あいうえお ダメ人間雑文図鑑
 書くことに困ったら。困っていることをそのまま素直に書けばいい。うまく行けばおいしい。しかし滑るととても寒い」


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