魚類にご執心

 たとえば昆虫図鑑をひもといていて、いきなりこんなことが書かれていたらどうするか。
「トナカイヤドリバエ。双翅目ウマバエ科。体長約4センチ。トナカイの皮膚に寄生して幼虫・蛹期を過ごす。幼虫を生で食べるとおいしい」
 これは、「エスキモーこども生物図鑑」の一節だ。
 もしくは、こんなことが書いてあったらどうするか。
「ヒト。霊長目ヒト科。体長約1メートル70センチ。知能が高い。社会を作る。死んだ個体は墓に葬る。そこを掘り出して腐りかけのを生でむさぼると、とてもおいしい」
 これは、「闇に蠢くこども生物図鑑」の一節だ。

 驚いたことに、このような表記が現代の日本でまかり通っているのだ。いや闇に蠢く話ではない。生物図鑑の話だ。小学館から出ている「あいうえお いきもの図鑑」の「さんま」の項を読んでみよう。
「さんま。ダツ目サンマ科。体長約40センチ。細長くて銀色のからだをしている。日本をふくむ太平洋を群れをなしておよぐ。焼いてしょう油をかけ、大根おろしといっしょに食べるととてもおいしい」
 間違ってはいない。分類も形態も正しい。確かにさんまはおいしい。しかしな、項目のほぼ三分の一が食うことにあてられているのは、ちょっと釈然としない。食う部分の説明も納得いかない。
 そりゃ、焼いて醤油かけて食ったらうまいよ。できれば炭火で、庭に出て焼きたいね。網で焼きながら出来上がりに醤油をかけると、じゅ、なんていってね。さんまの脂がじゅうじゅうするやつを皮ごとぱくっといくんだね。皮の下の脂がじわっと口の中に広がるんだね。そこで大根おろしに醤油を垂らしたやつをぱくっといって。こってりとさっぱりのハーモニー。ああ、ごはん炊き立て。ビール冷えてる。上を見上げれば抜けるような秋の青空。赤トンボが二、三匹。ああ幸せ。
 いやそれはともかく、さんまは焼いて醤油で大根おろししかおいしくないのか。焼かずに蒸したらおいしくないのか。しょう油の代わりにマヨネーズだったらおいしくないのか。大根がないのでマッシュポテトを添えたらおいしくないのか。おいしくねえだろうなあ。

 そういえば、天才浦沢義雄の脚本で、「うたう!大竜宮城」というミュージカルドラマが昔あった。そこでは竜宮城の崩壊で地上に上がり、苦しい生活を送らざるを得ない魚介類たちの苦悩がえがかれていた。そして毎回ドラマの最初に、その回の主人公が図鑑風に紹介されるのだ。たとえば、「ヒラマサ。スズキ目アジ科。とても美味で、高級魚として珍重される」などというように。とにかく食うことに主眼をおいた紹介であった。
 欧米人は牛や羊が牧場にいるのを見て、「おいしそうだ」などと言うそうだが、日本人も魚を見ると「おいしそうだ」と言わないではおれない性癖なのかもしれない。
 しかしシーラカンスの回というのもあったのだが、そこで「シーラカンス。総鰭類シーラカンス科。南アフリカのコモロ諸島に生息し、『生きた化石』といわれる。まだ食べたことがないので、おいしいかどうかわからない」と紹介されていたのには驚いた。そんなにまでして食ってみたいか。

 ところで「あいうえお いきもの図鑑」なのだが、この表記が妙に偏向しているような気がした私は、全三巻の記述をすべて洗い出し、そこで「食用」と書かれたものを抜き出した。さらにその中で、「おいしい」「とてもおいしい」と記述されたものを抜き出してみた。
 最高ランクの「とてもおいしい」に輝いた生物は全部で十。栄光の十人だ。
 あおりいか、きわだまぐろ、くろあわび、さんま、ばふんうに、ひらまさ、ひらめ、ぶり、まいわし、まだい。
 どうだ。すべてが魚介類なのだ。
 そして惜しくも次点の「おいしい」が三十三。ここでも、あさり、あまだい、あゆに始まって魚介類の優位は覆せない。わずかに、いちじく、うし、しめじ、なし、なごやコーチン、ねぎ、の六個体が非魚介類代表として顔を出しているありさまだ。

 きわだまぐろが「とてもおいしい」で、ほんまぐろが「おいしい」のはどういうわけだとか、しめじが「おいしい」でまつたけが単なる「食用」なのはなぜか、実は高価過ぎて筆者食ったことないのではないかとか、なごやコーチンは「おいし」くて、比内鶏や白色レグホンは不味いのか、なぜ数ある野菜の中から葱だけが栄えある「おいしい」の座を勝ち取ったのか、などと個々の論議はあるだろうが、とにかくこの図鑑においては、「魚介類はおいしい」という基本理念が存在することは間違いないところであろう。
 こんな図鑑を書いたのは誰なんだ。こんな偏向を許している男は誰なんだ。と巻末を覗いてみて納得した。
「監修 前日本魚類学会会長 阿部宗明」
 おそれいりました。
「前日本野鳥の会理事 高野伸二」も監修だけど、こっちは食うことに興味ないもんな。


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