兄妹で別府アルゲリチ音楽祭へゆく

お湯の中でこく屁まで「おんぷ〜♪」

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2002年4月26〜28日、湯の街別府市民手作りの、20世紀最高の一人といってよいピアニスト、マルタ・アルゲリチの名前を冠した世界唯一の音楽祭。
存在は知っていても、どうせチケットは発売=完売で、手に入るわけもないと思い込んでおりました。それが、今年3月、何げに、この音楽祭のHPを見ていましたら、なんと「空き」があるというではありませんか。
おりしも、音楽祭期間中に誕生日を迎えて、一つ亭主に歳が近づく、を誘い(というかご招待して、兄ちゃんえらい!)、新幹線と特急を乗り継ぎ、音楽祭に乱入してまいった次第です。

もとはといえば、不景気風のなか、湯の街別府に少しでも観光客を呼び込もうという、いかにも当節風の動機で始まった企画ですが、隣の湯布院映画祭と並んで有名な企画に育っているのは、「1村1品運動」を実践してきた大分県民の根性でしょう。
ちなみに、音楽祭期間中、宿のキャパシティーは十分余裕があります。つまり不景気を完全に救ってはおりませぬ。

←「亀の井ホテル」より別府港を望む。

 

 

街灯には、音楽祭の旗が取り付けられています。
しかし、それらしい飾り付けは、旗以外にはとても少ない。
さすが温泉地。この「駅前温泉」、駅から海岸へ続く通りを
3分ほど歩くとあります。ここでなければただの銭湯だけどね。
同じ通りで、アルゲリチブランドを発見。妹は買ってほしいとは言わなかった、お利口さん!

別府音楽祭とは言うものの、演奏会場は隣の大分市にも広がっています。26日のコンサート「チェンバーオーケストラ演奏会」は、大分全日空ホテルとの複合施設「グランシアタ」です。
地図を読み間違えていた亭主が、危うく反対方向へ(しかも自信満々に)歩き始めたところを冷静な妹が「本当にこっちか?」と引きとめ、開演5分前に会場入り。行きはタクシーで10分帰りは歩いて10分(ヘヘヘ…)

オーケストラは、東京芸大の学生を中心にこの音楽祭のために特別編成されたもの。プロではありませんが、レベルは相当高いといえます。指揮とバイオリンは、ドミトリー・シトコヴェツキー、トランペット=セルゲイ・ナカリャコフ(美青年だ!)、もちろんピアノはマルタ・アルゲリチ

J・S・バッハ(シトコヴェツキー編)
  前奏曲ロ短調BWV869より
弦楽合奏に編曲されている。コンサートの開始にはもってこいの静かな曲、シトコヴェツキー氏のアレンジが光る。
モーツァルト
  ディヴェルティメント K137
このあたりで、オーケストラが「なかなかやる」ことがわかる。
亭主は1楽章の、短調と長調を行ったりきたりするのがお気に入り。
ショスターコーヴィッチ
  ピアノ協奏曲 第1番
でました、アルゲリチとナカリャコフ。それにしてもへんな編成、弦楽オーケストラにトランペット1本、トランペットのナカリャコフはとても遠慮がち。
しかし、いくらアルゲリチが弾くといっても、亭主はショスタコが苦手、プロコフィエフは好きなんだけど…。
てな不安は、すぐに吹っ飛んだ。なんとも不思議な曲。とにかく曲調がめまぐるしく変わる。それはもう「裏切り」の連続。ゆったりしたロシア的メロディーが、1小節後にはピアノが打楽器と化し、アルゲリチの人間業とは思えないテクニックが炸裂する、かと思えばトランペットが忍び込む(アルゲリチのでかい背中の陰に隠れるように)。う〜ん、横尾忠則のコラージュだ!サイケデリックだ!ショスタコのおっさん「ヤク」やってたに違いない。
最後は、当然スタンディング オベーション。
アンコールに、3楽章をもう一度。すごい、すごすぎる。手のひらが腫れているぜー。
ペルト
  フラトレス(兄弟)
どこか、歌舞伎の1場面か、雅楽のような不思議な静寂感のある曲。時々入る拍子木と大太鼓がその原因と思われる。
はじめて聞く曲だが強烈な印象。
可哀想だったのは、ずっと1つの持続音を弱音で引き続けたコントラバスとチェロ。
タルティーニ(クライスラー編)
  ヴァイオリンソナタ第4番(悪魔のトリル)
シトコヴェツキーのバイオリンが冴え渡る。
亭主も妹も、これ1発で彼のファンになってしまった。やわらかいのにゆるぎない音、これぞ巨匠でっせ。
さぶイボ(鳥肌by関西弁)でまくり。

休憩中のロビーはアルゲリチグッズとCDを求める人、ちょっとお茶する人でこの状態。亭主も負けずにTシャツとマグカップを、妹はピアノの形のバッジをGET。

かくして1日目は暮れにけり、ですわ。
そうそう、関アジ関サバ、城下ガレイ、カボスに椎茸、全国にその名を知られる美味いものの宝庫大分県にきて、どんなものを食ったかをお知らせせねば。
本日のご飯、昼=京都駅調達の駅弁、名古屋駅調達の「天むす」、コンサート前=うどんと蕎麦(別府駅下)、コンサート後=菓子パンと缶コーヒー(大分駅下のコンビニ)
さすが、大分県、ええもん揃えてまっせ。満足満足、…そんなわけないやろ!

2日目

今日はたいへんですよ。何せ「マラソンコンサート」、夕方4時開演、9時終演で延々と室内楽を聞くというんですから。問題は、わが妹、昼飯後はいつもお昼寝する習慣、だらしなく眠りこけてしまったら…。宿から演奏会場ビーコンプラザまでは歩いて30分。予定では3時に出かけて途中のベーカリーでちゃんとしたパンを買って、会場までぶらぶらお散歩するというもの。

3時に部屋をノックすると…寝てあがった!支度が終わったのは3時35分。当然、タクシー。
「ビーコンプラザまでお願いします」「今日は、プロレスですか」「…?、アルゲリチ音楽祭ですけど」
どうやら同じ場所でプロレスの興行があるらしい。

B-コンプラザ、Bは別府の頭文字、コンはコン
ヴェンション、ね。大屋根の下にコンサートホールと
多目的ホールが2重構造で作られています。
おそろいのTシャツを着た市民ボランティアが、
受け付けみやげ物販売すべてをこなしています。
左手の白いコーヒーカップのようなのが会場です。

プロレス興行は、会場をもじって「美魂スペシャル」、新日本プロレスでした。まったく違う客層がロビーでごちゃ混ぜ、おもろいでんな。
演奏会場のフィルハーモニアホールは、歌劇場のような馬蹄形で、なかなか雰囲気はよろしい。ただ我々の席はステージに向かって左端。ピアノの鍵盤とピアニストの背中だけはよく見えるというところ。


会場の2階席の正面はごっそり空席、ロイヤルボックスなのか?(驚愕の答えはこのあと明らかとなる!)
3階には格安の学生券(なんと2000円、これでアルゲリチが聞けるというのは、どういうこと!?)で来たと思える高校生軍団が陣取っている。トランペットのナカリャコフに対して「キャー!」とアイドル乗り。
我々の席では、もう一人のナカリャコフ ミーハー族との楽しい出会いが…!

  

クライスラー
  美しきロスマリンほか3曲
V=ゲザ・ボス、P=酒井茜
ちょっとビブラートをかけすぎ、テンポは速すぎ、「中国の太鼓」ではピアノとはぐれかけることも。
ドヴォルザーク
  弦楽四重奏曲「アメリカ」
東京芸大生で構成されていると思う、「ヴィ・ザ・ヴィ」というカルテット。
実はこの曲、断片しか聞いたことがなく、通しで聞いたのはこれが始めて。ドヴォちゃんらしい美しくも異文化コミュニケーション的メロディに惚れました。
ヤナーチェク
  ヴァイオリンソナタ
V=清水高師、P=ミラベラ・ディナ
これもメロディアスで美しい曲。しかしそんなことより、妹がしきりにささやいたのは、清水さん上着のサイズ間違ってへん?もろ短足に見えて格好悪い。
しかし演奏は繊細でステキでした。
プロコフィエフ
  二つのヴァイオリンのためのソナタ 作品56
シトコヴェツキー&清水高師
プロコは好きな作曲家の一人。このソナタも2つのヴァイオリンの見事な共演でした。シトコヴェツキーさんのますますファンに。
シューマン
  幻想小曲集
プーランク
  愛の道、エッフェル塔ポルカ
トランペット=セルゲイ・ナカリャコフ、P=ミラベラ・ディナ
よくこんな曲をトランペットで表現できると思う。この際テクニックより、ナカリャコフの音楽性に感心してしました。彼はまったくアイドル(キャー!)として通用する美青年ですが、演奏スタイルは、地味といっていいほど真面目です。したがって、少々もったいないかもしれませんが、目をとじて聞いて欲しいのです。「音で勝負したい」彼もそう言ってているように思えます。彼の音は、曇りのない晴れやかさがあり、隅々までコントロールが効いています。

ここで、客をすべて追い出して、1時間の大休憩があります。本当はこのときのために食糧を買い込んでくるはずだったのですが、誰かのお昼寝のおかげで、会場で売られているものを食うことになってしまいました。
食堂が臨時オープンしているという立て札に従ってゆくと、サンドイッチ、おにぎり、ワイン(アルゼンチン産 アルゲリチ記念ワイン)とお茶、コーヒーの販売とテーブル席だけが提供されているだけでした。
「いくら市民手作りでも、お祭りやろ。もうちょっと食事も楽しませてくれたらええやん」
「そやな、協賛してるホテルに作らせて、チケット制立食とかな。お前、アンケートに書いとけ」

しかし、サンドイッチとワイン(白)は美味しかったのですよ。

再開演を待って、ロビーをうろうろしていると、突如ダークスーツのいかつい男に囲まれた怪しげなばあさん が横切ってゆくのを目撃。ははぁ、さては2階正面のロイヤルボックスの主やな。
ようやく戻った(1時間はけっこう長い)席で、「本日は、タイ王国**王女殿下のご臨席を賜っております」の案内放送。そういえば昨日の公演も帰りがけに「…がご退席されますので、しばらくお待ちください」と言っていましたっけ。「王女様、アルゲリチの追っかけなのだろうか、さても熱心な」と兄妹でしゃべっているところへ、「この席空いてますか?」と上品な老婦人がおいでになったのです。
彼女の席は、我々の対岸やや正面よりだったのですが、そこからではピアニストの指が見えないからと、左側の席を探していたのだとか。昨年も来られたのですかとお尋ねすると、「去年は、プラハに一人で行っておりました、ここは始めて」とのお答えでした。なんでもアルゲリチのお弟子、伊藤京子さんのお母様と同級生というよしみもあって、来られたのだそうです。
亭主が名古屋から来たというと、「あら、わたし名古屋の日本福祉大学で、25年間教師をしていたんですよ」。ことし80歳になられるそうですが、「ナカリャコフってステキねえ、昨日サインもらって手まで握ってきた」という、自他ともに認めるミーハーおばあ様でした。

ドヴォルザーク
  ピアノ5重奏曲 作品81
P=カリン・メルレ、カルテット=ヴィ・ザ・ヴィ
ピアノのメルレは初老の小太りのご婦人。軽やかな音色で、美しいメロディに満ちたこの曲を、「臭くなく」演奏されていました。
モーツアルト
  ピアノ連弾ソナタ ハ長調
高音部=メルレ、低音部=アルゲリチ
ちょっと火花を散らし過ぎかも。モーツアルトなんだからあんなに凝縮して弾かなくてもよかったのかな。
亭主の隣のおばあ様ご期待の「ピアニストの手」ですが、曲が終わって「残念ながら手は見えませんでしたね」とささやくと、一言「2人とも尻がでかいから」
これには妹と2人大うけ。
プロコフィエフ
  ヴァイオリンソナタ 第2番
V=シトコヴェツキー、P=アルゲリチ
これはもう圧巻。プロコ独特のスピード感と叙情性、洗練された迫力に満ちたソナタで、終楽章は、ほとんど協奏曲かと思えるほど。オーケストラようなアルゲリチのピアノと完璧に渡り合うシトコヴェツキーの強靭で、しかし、どこまでもやわらかくクリアーな音色は、昨夜にもまして「さぶイボ」おさまらず。自然にスタンディング オベーション。

最後のプロコフィエフの演奏中、我々のすぐ後ろにはピアニストのメルレさん、対岸2階にはカルテットメンバー、頭上2階席にはナカリャコフがそれぞれ陣取り、アルゲリチ=シトコヴェツキーコンビの演奏を鑑賞中。接近遭遇っていうやつ。
さらに、我々の泊まった「亀の井ホテル」は、芸大生たちの宿舎になっていて、朝、楽器を抱えた彼らが隣で朝ごはんを掻き込んでいたり、露天風呂で「俺の音聞こえてる?」とか「**先生はダメ、弾けないもん」なんて話をしていたり。音楽祭やわ〜。

ここで、妹様の一言♪

 感想は?と聞かれたら「すごかった、それはもう、とにかくすごかった」としか言えません。
別府での三日間は、朝起きて、食堂でご飯とお味噌汁と卵とソーセージを食べたら、着替えをして出掛けて、午後(夕方)演奏会に行って、その合間にコンビニのパンとか自販機のジュースとか飲んで、十時ごろホテルに帰って寝る、それだけ。
 私達のホテルでは、出演者がおおぜい宿泊していて、朝、食堂でいっしょにご飯や卵をお皿に取り分けてた人が、夜の演奏会でViolinやCelloを弾いていたり、浴衣着て、三階でエレヴェーターを降り、大浴場に行ってたかわいいオネエチャンが、リハーサルにでも行くのか楽器持って集合したりしていて、そういうことは普段の音楽会と違って、いかにも「音楽祭」て感じで良かった。
 でも、子供の頃、「オーケストラの人になって楽器持って仲間と演奏旅行していろんな所にいきたい」というのが夢だった私には、そして今では、そんな夢からは程遠い生活をしている自分とのギャップに苦しむ三日間でもありました。

アルゲリッチさまはもう、ただただスゴイ。正直に言ってプログラムのショスタコービッチは嫌いだった。なのに演奏の途中から面白いと思い始め、終りには「CD買って帰ろうかな」と思ったほど。
二日目(この日は私の誕生日でもあり)の「マラソン・コンサート」では、舞台のソデ近くの座席だったので、演奏を終えて退場してくる出演者が間近に見られて最高、といいたいけど、音響的にはやはり、チョッと、ね? でも、きれいでいいホールだった。
不思議な出会いもあった。80歳になられるという元大学(日本福祉大)の先生で、お一人で来ておられたのが、たまたま私達の隣の席が空いていて、後半は楽しいおしゃべりのお相手をしていただいた。
珍しい事件も。タイ王国の王女殿下(東南アジア系のお名前はむつかし〜)が大勢の取り巻きや黒ずくめの制服の屈強なSPに囲まれてご来場。御歳76におなりとか。
ちなみにこの日のコンサートは4時に始まり、途中60分の「大休憩」をはさんで終ったのが9時。

四月二十八日午後二時八分、京都着。新幹線の改札で最後の切符が自動改札機に吸い込まれていった時「ああ、私の旅が今、終ったのだ」と感じた。きっとあれが「旅の中毒症状」なんだろう。
別府での興奮は、停止しているような京都の日常にすぐ戻る気がせず、体は疲れきって早く家のベッドで寝たいんだけれど、迎えにきてくれた夫の買い物に付き合って。

枕元に、三日間付き合ってくれたヒップバッグと、音楽祭のパンフレットと自分用のお土産に買ったピアノの形のバッジを置いて眠りました。
来年はぜひ音楽祭期間通しで。空いてる時間には売店で売り子のボランティアをして、夜はコンサート。
まだ疲れと帰りの列車での足のケガの跡が残ってるけど。

☆ああ、いい旅だった。また連れて行ってね☆

兄:はいよ、ただし次回は完全割り勘やで。

Tシャツ、マグカップ(Argerichiロゴ入り)、バッジ、柚子胡椒

では、おみやげをお見せしておしまい。Tシャツの上に、カボス胡椒(自分用)、柚子胡椒(職場用)、マグカップ、見えにくいですがその影にバッジ(来年は、こいつをジャケットの襟につけて闊歩してやる)。

 

 

 

 

 

翌年も行ってまんねん。 GO!
 SKF長野音楽祭