別府アルゲリチ音楽祭2009 with母

アルゲリチ音楽祭、お供のが喜寿。毎年スケジュールは送られてくるのだが、仕事や、一番行きたい「マラソン室内楽コンサート」の日程がよくなかったりで、ブランクがあいてしまっていた。
何とか月曜を職場の仲間を拝み倒して休んでしまえば何とかなる。
しかもメンバーがまたすごい。 コンサートウィークと亭主が勝手に名付けた先週火曜日12日に大阪まで新幹線往復して聞いたピアニスト、マウリツィオ・ポリーニのリサイタルA席25000円(これは今回音楽祭に連れて行かない妹への言い訳代)。
アルゲリチは彼と並ぶ現代ピアノのトップ奏者。ヴァイオリンがギドン・クレーメル、ヴィオラがユーリ・バシュメット、そしてレギュラーメンバーのトランペット奏者セルゲイ・ナカリャコフ。
いずれも先のポリーニと同じく、個人リサイタルなら楽に万札が飛び、このメンバーが室内楽をするとなると安くてS席35000円、後で紹介するこのプログラムが演奏されるとなると2日間に分けられ、」通し券は60000円をくだらないだろう。
とにかくクラシックファンの端くれなら、よだれ垂らしまくりのメンバーと言ってよい。
しかし、彼らは世界中に散って過密なスケジュールをこなしている。今回心配したのは、2003年に新型肺炎SARSで、メインソリストのフー・ツォンが来日できなかったように、例の豚インフルエンザ(ラテンデブになってしまっているアルゲリチは特に心配)の感染警戒レベルがフェイズ6になってしまうことだった。そうなると渡航制限がかかるので、ほとんどのメンバーがキャンセル、下手をするとコンサートそのものがキャンセルの恐れが出る。
が、杞憂だった。亭主の心がけが良いので(ウソ!)全員出席。
ただ、マラソンコンサートは4時開演、8時半頃終演、間に45分の大休憩、この間に晩飯を食わねばならない。しかし松本音楽祭(SKF)でもそうだが、どうもまだ「コンサートさえうまくいけばいい」というところにとどまっていて、楽しい食事や町の雰囲気も含めての「音楽祭=祭り」という感覚が不足している。
ネーミングライツで焼酎のIichikoグランシアターと名を変えた会場に隣接する商店街に音楽がかかるでもなく、音楽祭特別メニューの店が出るわけでもなく、下の如く軽食と複合施設であるホテル施設のベーカリーあたりでしのぐしかない。この点はぜひ改善してほしいとアンケートに母子で書いておいた。

ドリンク&フードエリア、相変わらず貧弱なのだ。
サンドイッチと鶏飯おにぎりだぜ。もちろん有料
Tシャツなどのお土産コーナー
オレンジ色がGOOD、母お買い上げ

 

 

ステージ上に何でこんなに椅子が並んでいるんだ!?

室内楽のはずだから、まあ5つか6つの椅子とピアノがあると思いきや、なんかオーケストラが入りそうである。
で、プログラムを見て仰天した。前半はハイドン・イヤーの今年にあわせて2つのハイドンと、モーツアルトのヴァイオリンとヴィオラの協奏交響曲が入っている。何のことはない「マラソン協奏曲コンサート」ではないか!
オーケストラは、同朋大学の学生オーケストラである。

ペルト
フラトレス(兄弟);ヴァイオリンとの合奏版

       
vl クレーメル弾き振り
2002シトコヴェツキー指揮で聞いて好きになった曲。しかし記憶に残るかつての曲と違い、いきなりクレーメルの荒々しいアルペッジョから入る。その後一転静かなコントラバスの持続音を背景に「歌舞伎のようだ」とかつて評したとおりの拍子木と大太鼓の音。中間でまたもやアルペッジョ。ヴァイオリン合奏番なので、アルペッジョ部分の「動」とその他の部分の「静」の対比がおもしろい。
モーツァルト
 ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 
K364
vl ギドン・クレーメル
viol(&指揮) ユーリ・バシュメット
オーケストラはやや音の堅さがあったが、このあたりはやむを得ないだろう。ある意味、クレーメルやバシュメットの柔らかで伸びやかな音を強調していったかもしれない。
この演奏に対してふさわしい賛辞が見つからない。2楽章で亭主が泣き濡れていたことだけ報告しよう。
今年はハイドンイヤーなのでここから2曲ハイドンが続く。これが形容を絶するほどすばらしいのだ。
ハイドン
  ピアノ協奏曲ニ長調


pf アルゲリッチ
指揮 バシュメット
漏れ聞いたところによると、マラソンコンサートでのアルゲリチ出演は久々だとか。そうだとすれば何というラッキーであろう。
ハイドンやモーツァルト時代の曲は、アルゲリチの音色と奏法が、鋭さと激しさが前面に出すぎて、(?)、のことがあるが、ここではまことに均整と、リリシズムに富みつつ、しっかりした形式感のある演奏だった。ただ、彼女のハイドンについて行かされたオーケストラは大変だったろう。あのピアノの輝かしい音色にどんな弦と管を、短期間の音あわせのみであわせるだけでも至難の業であったと思う。同朋大学オケの皆さんご苦労さん。
ハイドン
 チェロ協奏曲ハ長調
  (フリューゲルホルンによる)

フリューゲルホルン(トランペットを少し縦に伸ばしたような低音が鳴る金管) セルゲイ・ナカリャコフ
指揮 バシュメット
もはや、この原曲がチェロ協奏曲であったと思わせるところは見あたらない。最初からフリューゲルホルンのための協奏曲として作曲されたとしか思えない。
そのくらいナカリャコフは自家薬籠中のものにしている。
第1楽章1主題の細かいフレーズ、第二主題の優雅なチェロの低音を意識して書かれたフレーズ、そして圧巻は展開部。
「弦」で表現されるべく作曲されているきわめて「音符は多い、転調あり」の、チェロでも相当のテクニックが要求される部分だが、何事もなかったように吹ききっている。本当に「神業」だと「さぶいぼ」が立った
2楽章はチェロの低音の豊かさを生かすべく作曲され、それが見事にフリューゲルホルンの低音域に移されている。
3楽章では、凄いとか感心するとかいうことさえ通り越し、ただ小気味のよい協奏曲の楽しみのみが純粋にしみこんでくる。
まことにナカリャコフは人間ではないと確信した次第。
 ここで45分の大休憩、事前(客席へのお弁当類の持ち込みは可、ただし食べるのは客席外、どうやら最近は休憩が45分らしいので外の店で、席予約して食うのは至難の業のようだ)に、ベーカリーで買っておいたパンを、通りの向かいの全労済ビルの中まで逃げ込んで(グランシアターはどこも座る場所がない)。
さて、後半は本来の室内楽である。
ベッリーニ
 歌劇「ノルマ」より「清らかな女神よ」
sp 出口正子
pf 渕上千里 
ドラマチックソプラノの少し陰のある歌唱が、このオペラを知らない亭主にも何かしら主人公の悲劇性を予感させる。
 JBアーバン
「ノルマ」の主題による変奏曲
fh ナカリャコフ
pf マリア・メエロヴィチ
 出だしはフルートかと思えるほどのフリューゲルホルンの音。そして行進曲風の有名な部分は、オブリガード奏法の超絶技巧が聴くものを圧倒するが、どこまでもテクニックではなく音楽の美しさ、流れを大切にするナカリャコフに拍手(立ってブラヴォー!と叫びながら)。
 プロッホ
主題と変奏「おお恋人よ、戻っておいで」

sp 出口正子
pf 渕上千里
 まあよくもソプラノ歌唱のテクニックを詰め込んだものだと思えるほどの難曲。
スタッカート、コロラトゥーラ、オクターブ飛びなどがてんこ盛りである。陰のある重厚な声と、コロラトゥーラなどはは澄んだ歌声で歌い分けられる。
 バッハ(プシュカレフ編曲)
  インヴェンション4,9,2番

ヴィヴラフォン アンドレイ・プシュカレフ
 世の中には本当に天才がいるものだ。その出現に立ち会った。
かつてシューマンがショパンのピアノ演奏を聴いて「諸君帽子を脱ぎたまえ、天才が現れた」と言ったあの気持ちがよくわかる。
この音楽祭では必ずアルゲリチのめがねにかなった若手演奏家が参加するが、彼は今年ブレイク間違いなしの本物だった。
4番2番はややジャズ風のアレンジでビブラフォーンらしい演奏をした。ジャズ奏者の同じ楽器の名人ミルト・ジャクソンを思い出す。
そもそも日本人で、まともに箸を使えない輩がいるのに、4本のマレットを自在に操ることからして「おかしい」し、真ん中の9番は、まるでパイプオルガンのような響きを出すのだ。ヴィヴラフォンは確かに金属の筒にファンで風を入れながらたたくのでできないことではないだろうが、実際にその音を聞いた瞬間亭主は凍り付いた。
帰りがけにCDを真っ先に探ししたのは言うまでもない。しかし彼のものはなかった。ネット検索でもクレーメルとの共演品があるだけだった。
しかし、きっと今年ソロアルバムを出して即ブレイクすると思われるので、こまめにアマゾンあたりをチェックした方がよい。
 ブラームス
  ピアノ四重奏曲第3番

pf アルゲリチ
vl クレーメル
viol バシュメット
cel ギードゥレ・ディルバナウスカイテ
 コンサートのトリを飾るにふさわしい圧倒的な迫力を持った曲。
実を言うと母は、映画の題名とは反対に「ブラームスがお嫌い」。まあわからんでもない。彼の音楽は玄人好みと言えるが、少々理屈っぽいから。
しかしこの曲は母も身を乗り出して聴いていた。
1、2楽章は、ひょっとしてブラームスが交響曲ないしは協奏曲を書こうとしていたのではないかと思えるほどシンフォニックで、アルゲリチの強靱でクリアーなピアノを、豊かで柔らかな弦楽器が支えるというダイナミックな仕上がりになっている。
対して3,4楽章は、一転して、3弦楽器のアンサンブルをピアノが裏方になって支えるという形で四重奏の基本的なものに戻っている。
3楽章ではチェロが最初にピアノと対話し、ヴィオラとヴァイオリンが順次加わり、4楽章はヴァイオリンが最初に対話して残りの2弦が加わるといういかにもブラームスらしい工夫がすばらしい。

宿への帰り道中、母は「夢のようだ」と繰り返し、うっとりするあまり、フロントに預けて置いた荷物の引換券が探し出せず、大浴場の女湯の暗唱キーがよく見えないという興奮ぶりだった。ちょっと喜寿の祝いにしては刺激が強すぎたかも知れない。

なぎの木(博多西中洲)ところで、いつもはまともな飯を食っていないのが音楽祭の宿命みたいなものだったが、福岡太宰府市に住む我が従姉(母方の)に福岡空港まで迎えに来てもらい、昼を一緒に博多名物「水炊き(鶏)」を食い、夜は、宿でもらった地図を頼りに玄界灘生け簀料理処「豊漁」で、絶品のヤリイカ(卵付き)、真アジの活け作りなどを堪能した。豊漁は、茶碗蒸しなどの普通の料理も丁寧に作ってあり、料理人の腕は一流と見た。
水炊き「なぎの木」(西中洲)も、ちょっとわかりにくい場所にあったが、とても美味しかった。締めの雑炊は絶品である。
これまでの2回とえらい違いはここである。これは福岡(=博多)へあえて寄ったがため。本来別府や大分でかような美味しい食い物にあやかりたいもの。
そのためにも、メンバー的には優に「世界的」名音楽祭なのだから(欧米の音楽通のお金持ちどもにチケットが買い占められればその実感が湧くのかも知れないが)、宿も食事処もしっかり地元の豊富な食材があるのだからがんばっておくれ。

 
自分用のTシャツとナカリャコフのアルバム