北欧神話辞典

 

 

 

 

 

 

 

  •  イグドラシル Yggdrasill エッダ神話における、世界樹の名前。「イッグドラシッル」ともカナ表記することは可。しかし、多くの日本語翻訳では「ユグドラシル」と表記されることが多い。中世のアイスランドの写本に見られる綴りのヴァリアントはYggdrasilsが、スノッリの『エッダ』の王室写本に記されているのが見られる。
  • 『巫女の予言』19、47節、「グリームニルの言葉」35、44節によれば、これはトネリコの樹だという。

    その根は、全世界の中で、三つの世界に届く。一つは人間の世界に、もう一つは巨人の世界に、そしてもう一つはヘルの世界に(「グリームニルの言葉」31節)。その幹をリスのラタトスクルが上り下りし、一羽の鷲がその枝に留まり、竜であるニズホッグルとその他の蛇たちがその根を囓むという。その蛇たちの名は、ゴーイン、モーイン、グラーフヴィトニル、グラーバクル、グラーウヴォッルズル、オフニル、スヴァフニルである。また四頭の牡鹿が、その枝に茂る葉を囓むという。すなわち、ダーイン、ドヴァリン、ドゥネィル、ドゥラスロール(「グリームニルの言葉」32-35節)。イグドラシルは常緑であり、『巫女の予言』19節によれば、その下にはウルズル(ウルズ)の泉があるという。但し、スノッリによれば、そこにあるのは、ウルズルの泉、ミーミルの泉、フヴェルゲルミルの三つの泉があるという。ラグナロクの前に神々は、イグドラシルの下に集まり、協議をするという(「グリームニルの言葉」29-30節)。また、イグドラシルは、世界の終わりを予感して身を震わせるとも言われている(『巫女の予言』47節)。

    さらに、スノッリはイグドラシルについて詳細に描写しており、彼の描写の中にしか見られないような特徴もある(『ギルヴィの惑わし』15章):「このトネリコの樹は全ての樹の中で最も大きく、かつ最高の樹である。その枝々は全世界の上を多い、天の上にまでそびえている。その樹の三つの根は、樹が伸びていくのを支え、非常なる広がりを保っているのである。一つの根はアース神族のところに伸び、もう一本の根は以前はギンヌンガガップにいた霧の巨人族のところへ、三本目はニヴルヘイムルの上まで伸びている。その根の下にはフヴェルゲルミルがある。だが、

     

    もっとも考えられる可能性は、イザヴォッルルは『巫女の予言』の詩人の創作だと言うことです。この文脈と神々の行いとを鑑みて、この名が最も適切だと思ったのでしょう。

    今ひとつの考えられる説は、イザヴォッルルは「続けて新たになる、若返りの平野」という意味だと取ることです。これはiduliga 「続けて」idgnogr 「充分以上に」という語からの類推です。イザヴォッルルはラグナロクの後の新しく作られた世界の象徴だからです。

    一方、古参の学者ブッゲはイザヴォッルルはキリスト教的エデンの園の退化したものだとします。(ちょうどウルズルUrdrがヨルダンJordanからの借入なのと同じだと彼は論じ)、古英語時代のイングランド人宣教師を通 じて北ヨーロッパに入ってきた考え方だとします。

     

    「高き者の言葉」3節、「グリームニルの言葉」53、54節、「ヴァフスルーズニルの言葉」5節、「ヒーミルの言葉」2節、「ファーヴニルの言葉」43節に見られるオージンの別名。またスカルド詩にも多く見られ、9世紀の詩の中で既に詩人ブラギがオージンのことをこの名前で言及しています。

    オージンの別名であるこの古く、また広く普及した名前はいろいろと派生を生みました。例えばイッグドラシルがあります(これは「イッグルの馬」という意味ですが、「スレイプニル」のことを意味するとは思えません。むしろオージンが自らを生け贄として吊り下げた樹のことであり、世界樹を意味するとみなされます)。また、イッギュングルという言葉もありますが(『巫女の予言』28節)、これは字義通りには「オージンの子孫、一族」を指しますが、詩の中ではオージン自身を意味しています。サクソ(『デーン人の事績』5巻)はイッグルをラテン語でウッゲルス(Uggerus)を記し、戦いの結果に影響を及ぼす予見者をそのように呼んでいます。もちろん、これはオージンの多くの役割の一つでもあります。

     

     

     

     

     

    この部分が『巫女の予言』の原詩に存在したか否かはわかりませんが、シグルズル・ノルダルはその可能性は薄いとしています。アーシュラ・ドロンケも『巫女の予言』以外の詩(写本か口承かわかりませんが)から取ってきたのだろうとしています。いずれにせよ、スノッリはこの詩行部分を知っていたと思われ、そこから『ギルヴィの惑わし』の記述に見られるとおり、「ロキの息子」ヴァーリを案出したのだ、と今日の学説では意見が一致しています。スノッリは「殺しの縄目」という語を「ヴァーリが行った殺人からとられた縄目」だと理解したようにも思われます。上述のようにヴァーリが殺したナルヴィの腸からロキの縄目が作られているとスノッリは語っているからです。

    しかし、「ロキの口論」後述には、それと似たようなものではありますが、「ロキの息子ナーリの腸から縄目が作られ、ナルヴィは狼になった」としか書かれておらず、ヴァーリへの言及もありません。

    ヴァーリは北欧神話では有名であり、オージンの息子にして、バルドルの復讐者、ホズルを殺し、ヴィーザルと共にラグナロクを生き残る者とされます。ロキの縄目との関連を持たされているのは、上述の『ホィクルの書』以外には見られません。しかし、バルドルの復讐を果たした者ですから、ロキを縛ったとしても決して不自然ではありませんし、かえって十分根拠のある役割と言えるでしょう。

    ヴァーリという登場人物は、従って、もともとはロキの息子ではなく、『ホィクルの書』から断片的に知ることのできる何らかの伝承をもとに、スノッリが自分で案出したとするのも頷けます。(シグルズル・ノルダル著『巫女の予言』東海大学出版会、1993: 199-200;Ursula Dronke, The Poetic Edda: Mythological Poems. Vol.2. OUP, 1997: 76, 347-48, 371-72.)

     

     

    今ひとつのより詳細な語りは『イングリンガ・サガ』第四章です:「オージンは兵をとり、ヴァーニルとの闘いに向かった。しかしヴァーニルは早くにそのことに気づいており、自分たちの土地をしっかりと守ったので、双方ともに相手をうち負かすことができなかった。双方が互いに相手の土地を荒廃させ、多くの損害を与えた。両者共にこの闘いのありさまに疲弊したとき、彼らは和解の会合を開くことで合意し、調停を結び、人質を交換し合った。ヴァン神族は自分たちの中からもっとも優れた「富めるニョルズル」と彼の息子フレイルを選んだ。しかしアゥス神族はハィニルと呼ばれる男を選び、この者は理想の首長になると言った。ハィニルは体が大きく、見目麗しかった。アゥス神族は大変に賢いミーミルを彼と共に送った。一方ヴァン神族は自分たちの中の最も賢い男を送った。彼の名前はクヴァシルといった」

    この他にスノッリは(『ギルヴィの惑わし』22章の中で)ニョルズルハィニルとがどのように人質になったかを述べ、間接的にヴァン神族戦争に言及しています。

    『巫女の予言』21-26節で描かれていることはおそらくヴァン神族戦争のことであろうと思われ、またスノッリもこの詩節を知っていたにも拘わらず、スノッリの物語るこの戦争のエピソードの中身は『巫女の予言』のものからだいぶ逸脱しています。『巫女の予言』の中では人質交換のことについては何も触れられていません。またここではヴァン神族戦争の原因はグッルヴェイグという、スノッリの物語には登場しないヴァン神族の巫女にあるのです。

    古い学説では、このヴァン神族戦争についての言及は紀元前二世紀に行われた歴史的事実としての戦争を反映したものだろうと考えられてきました。その頃に、スカンディナヴィア南部から西ヨーロッパにかけて広がっていた巨石文化が発達していたのですが、戦斧文化が北西方向に進んできて、飲み込まれてしまったというのです。これにより、(非インド・ヨーロッパ的?母権的?)巨石文化の勇士(=ヴァン神族)とインド・ヨーロッパ的戦斧文化民族(=繊維陶器(つまり毛皮でなく繊維で造った服を着、石器ではなく火を入れた陶器を用いる)文化=アゥス神族)との融合が起きたというのです。このような歴史的過程は記憶の中に、ヴァン神族の神話として、またアゥス神族とヴァン神族との和平協定として留まったことでしょう。

    この学説に異を唱えたデュメジルは、他のインド・ヨーロッパ神話(ローマ伝説やインドの神話)中の関連する神話を示し 、ヴァン神族戦争を、王の従者階級(=アゥス神族?)と(植物の生長を祈る祭儀や魔術を重んじる)農業従事者階級との間に起きた社会的軋轢(あつれき)と解釈しました。二つの社会的階級の間に和平協約が結ばれて初めて--実際、ヴァン神族戦争の主題として強調されているのですが--インド・ヨーロッパ社会の社会的、宗教的な枠組みが生まれることができた、とするのです(デュメジル、ド・フリース)。

    【現存する写本について】

    グリーンランドに植民移住したアイスランド人の口誦伝承に基づいている『グリーンランド人のサガ』は、1200年頃、アイスランドのスカガフィヨルドで書き残されたと推測されています。このサガは、『フラト島の書』と呼ばれる写本にのみ残されているので、言及される場合は、1387年に書かれたこの写本の、三部に分かれているヴァージョンのことになります。

    『赤毛のエイリークルのサガ』の方は、アイスランド南西部のスナィフェッルスネスにて、1264年以降に作られたと推測されています。部分的にトリュッグヴィの息子オーラーヴル王(ノルウェー王として995-1000)のことを称えている文体から、オーラーヴル王のキリスト教政策に重きを置き、誇張している「レイヴルの息子、僧グンラウグルのサガ」の影響を明らかに受けていると見なされています。『赤毛のエイリークルのサガ』は、お互いに関連性の高い二つの写本、『スカールホルトの書』(AM557 四折本)と『ホィクルの書』(AM544 四折本)によって今日まで伝わっています。

    スヴェン・B・F・ヤンソン博士は、一文ごとに検証した結果、1334年よりも前にアイスランド生まれのノルウェー人で、法の宣言者も務めたホィクル(エルレンドルの息子;1265-1334)によって書き残された『ホィクルの書』のヴァージョンは、より元の形に近くてあちこち話が飛ぶ『スカールホルトの書』のヴァージョンを、構成を固めて理屈が通るように改訂したものであることを証明しました。

    また、『赤毛のエイリークルのサガ』の今日まで伝わるヴァージョンは、ホィクル自身の先祖であり、『赤毛のエイリークルのサガ』の主要人物であるソルフィンヌル・カールスエプニ(=「剛胆なるソルフィンヌル」の意;現代北欧語読み「トルフィン」)の冒険を誇張するように『グリーンランド人のサガ』に手を加えたものであることは確実視されています。学説はいろいろ分かれますが、いずれにせよ、『赤毛のエイリークルのサガ』の作者は、自分が『グリーンランド人のサガ』に大きく依拠していることを隠せるほど、言葉に堪能であった、と思われています。ある意味で、『グリーンランド人のサガ』よりも洗練された文学作品であると言えます。ただし、『赤毛のエイリークルのサガ』は、いわゆる「ヴィンランドの物語』の内容も登場人物達も、ある意図を持って変更させて書かれたものと申せましょう。

    ヴィンランドへの航海について、一般的に歴史資料としての、この二つの“ヴィンランド・サガ”を批判的に検証して評価をするだけの外的資料は大いに不足しています。つまり、『グリーンランド人のサガ』と『赤毛のエイリークルのサガ』に書かれている細かい記述を、相互に取り替えたりしながら全体像を描くのが、これまでの学者の一般的な傾向だったので、文学作品としても、歴史資料としても、「ヴィンランドへの航海の物語」はいわば二つのサガのまざりあったもの、となっているのが現状です。二つの作品の関係性は認めつつ、二つのサガは別個の作品であることをはっきりと意識するべきでしょう。これは一般的な「歴史書」でもなければ、「旅行ガイド」を意図して書かれたものでもありません。幾世代にも亘る口誦伝承によって、サガの記述者は、明らかに自分がよく理解できていないものについて書いている箇所もあります。明らかにフィクションの箇所もあり、それらをミックス(あるいは混同)されてしまっていることから、ある学者はヴィンランドの航海そのものの歴史性を過小評価したり、場合によっては認めないこともありました。現代の考古学、特にグリーンランドやカナダ、特にイングスタッド博士によるランス・オー・メドーの発掘によって、基本的なサガの記述の正しさは、現在では認められています。

    【あらすじ:ヴィンランドへの航海】

    『赤毛のエイリークルのサガ』にはヴィンランドへの三度の航海が記されています。『赤毛のエイリークルのサガ』よりは短いサガではありますが、『グリーンランド人のサガ』(あるいは『フラト島の書』のヴァージョン)では、ヴィンランドへの六度の航海が記されています。六度の航海のうち、最初のものは、ヘルヨールヴルの息子、商人のビャルニが偶然に北アメリカのある場所を発見したことになっています。おそらくは986年のことです。ビャルニは、ノルウェーから家財と共に、家族でアイスランドの西部で冬を越す計画を立てていました。ところが行ってみると、一足違いで、自分の親戚が赤毛のエイリークル達と共にグリーンランドに渡ったというのです。計画を変更したビャルニは、グリーンランドを目指します。ところが大西洋の霧の中に迷ってしまい、数日後にずっと西に陸地があるのを発見します。注意深く陸地と距離をとりながら、ビャルニは陸地に沿って北に向かい、氷河のあるところを目撃します。おそらくボフィン諸島だったと思われます。こんな北まで来てしまい、このままではグリーンランドへの東に向かう航路まで見失ってしまうと思ったビャルニは、そこで反転し、最終的に無事、グリーンランドの南岸に、自分の父ヘルヨールヴルの所領であるヘルヨールフスネスに到着します。ノルウェーへの帰路では、ビャルニは、何故自分の見た土地をもっときちんと探検しなかったのか!と人々から責められます。

    二つ目の航海は、赤毛のエイリークルの息子レイヴルによって、西暦1000年頃に行われました。ビャルニが行わなかった探検をしようと決心したレイヴルは、ビャルニの船を買い、西の地を目指します。ビャルニが最後に見た土地まで来ると、レイヴルは南下し始めます。レイヴルが通り過ぎた地名についての言及が見られますが、「ヘッルランド(平たい岩の土地)」、「マルクランド(森の土地)」、「ヴィーンランド(葡萄酒の土地)」もしくは「ヴィンランド(緑の草地)」。そこにブドウの木と森を見つけた彼等は冬を越す為の家を建てます。春、または夏になって、彼等は船に荷を積んで、グリーンランドに戻ります。

    三度目の航海は、レイヴルの弟で、レイヴルとともに、冬を越したソルヴァルドルによって行われます。ソルヴァルドルは、スクレーリングル(原住民)の放った矢で殺されてしまいます。彼の仲間達は彼をそこに埋葬し、グリーンランドに戻ります。

    四度目の航海が、レイヴルの弟ソルステインによって営まれます。

    五度目の航海は、富裕な商人「剛胆なるソルフィンヌル(ソルフィンヌル・カールスエプニ)」によって行われます。五名の女性を含む総勢六十人のクルーと共に、家畜も数頭載せて、ソルフィンヌルは、レイヴルの越冬した家を発見します。彼等はスクレーリングルらから、毛皮を買ったりしますが、やがて二つの民は衝突します。

    いずれこの地に植民をしようと思っていた人々は、葡萄の木、葡萄の実、また毛皮などを持ってグリーンランドに戻ってきます。

    六度目の航海は、レイヴルの庶子である娘フレイディースが、自分の兄弟ヘルギとフィンボギとともに向かいます。最後にはフレイディースは自分の兄弟も、女も含めたすべてのクルーを殺してしまいます。とはいえ、この最後の航海は歴史的事実かどうかは疑わしいとされています。

    『赤毛のエイリークルのサガ』は、カールスエプニ自身に焦点を当てており、航海もずっと少なく語られます。ビャルニは登場せず、レイヴルはへブリーデーズ諸島やノルウェーに航海し(おそらくフィクションでしょう)、ノルウェーではオーラーヴル王に、グリーンランドをキリスト教に改宗させる使命を託されます。その帰りにレイヴル自身が名前も知らない新しい土地を見つけるのです。レイヴルの弟のソルステインは、航海しますが、成果はありませんでした。三度目の航海は、ソルフィンヌル・カールスエプニによる、大がかりなもので、3隻の船と男女合わせて160人の乗組員で構成されました。内紛があり、集団は割れ、スケーリングルらとの抗争はこの植民事業を中止しようという意見を生みます。数年の後、ソルフィンヌルとその妻グズリーズル、「アメリカで最初に生まれた男」スノッリは、グリーンランドに戻ってきます。『赤毛のエイリークルのサガ』では、ソルステインとフレイディースはソルフィンヌルの仲間として巧妙に配置され、フレイディースは暴力的な人物像から英雄的な女傑へと姿を変えています。『グリーンランド人のサガ』で、レイヴルの部下、葡萄を見つけたテュルキルは、『赤毛のエイリークルのサガ』では、異教徒の詩人、気むずかし屋の狩人ソルハッルルに姿を変え、葡萄の見つからないことで嘆きの歌を歌います。『グリーンランド人のサガ』では鯨が食用とされますが、『赤毛のエイリークルのサガ』では鯨には毒があり、キリストの奇跡をとおしてはじめて食用とされます。後には、ソルフィンヌル・カールスエプニとグズリーズルは、アイスランドで重要な家系の先祖となります。

    経済的な事情から、「マルクランド」はグリーンランド人にとって、蓄財の資源供給所として、伝説と現実の両方で何世紀にも亘って生き残ります。ヴィンランドの記憶は薄れていき、今ではどこを指すのかはわかりません。もしも葡萄の自生が真実ならば、ニュー・イングランドあたりか、セント・ローレンスあたりになるでしょう。しかし、考古学的な資料に乏しい為、多くの学者にとっては、ニュー・ファウンドランド島が、ヴィンランドの推測地とされています。一方、カナダの北極圏には、北欧人の手製の品が発掘されています。 

     

     

     

     

     

     

    アスクルと共に発見された二本の木の幹の一本から創られました。アスクルの語源は問題ありませんが、エンブラは語源的に不明確です。一つの説は*Elm-laというのが語源であるという説。従ってalmr、英語のelm「ニレ」の樹というものです。今ひとつの説は、ギリシャ語のampelosと同語源のものである、というものです。これは「蔓、ブドウ類」を意味します。

     

     

     また、『高き者の言葉』では、彼は「風の吹きすさぶ絞首台」に九日間自分自身を捧げものとして吊さねばならなかったことが語られています。それによって彼はルーンの知恵を得ることができました。

    10世紀のスカルド詩の中では、オージンは頻繁に兵士の神、戦死した者たちの神として言及されています。またエインヘルヤルの神とも言われています。エインヘルヤルはオージンがヴァルホッルに集めている兵士で、ラグナロクの時には下界からの戦力に対して闘うとき、自分たちの味方になるのです。(続く)

     

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