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マ||モ

オゥジンとチェスをするミーミル

スノッリの『イングリンガ・サガ』第4章では、彼はアィシル(神々)の一人となっていますが、スールルではミーミルの名は巨人たちの一人に数えられています。「ミーミルの頭」という定型句では、この名はMímrと綴られ(「巫女の予言」48節、「シグルドリーヴァの言葉」14節)、今ひとつは「ミーミルの息子たち」(「巫女の予言」46節)ですが、それ以外では常にMímirと綴られます。このことから、二つの異なる神話が存在したのではないかという推測がなされました。一つは「ミーミルの頭」に関するもので、今ひとつは「ミーミルの泉」についてのものです(ド・フリース(1970)の論)。

しかしながら、12世紀のスノッリの時代までに、すでに二つは同一のものとしてみなされていたようです。そして、最近の研究によって、ケルト人の地域に観られる、泉の側の予言をする首についての神話の存在はこの説を裏付けるとされています(ジャクリーヌ・シンプソン 1962)。

オゥジンを表す「ミーミルの友人」というケニングは、スカッラグリームルの息子エーギッルの「ソナトルレク」23節や、ヴォル=ステインの第1節に見られ、そのことで、ミーミルについての神話は、後期のエッダ詩やスノッリの神話(「ギルヴィの惑わし」14章、50章;「イングリンガ・サガ」4章、7章)のみに限定されるものではなく、10世紀にすでに知られていたことが証明されます。

「巫女の予言」46節は「ミーミルの息子たち」にも言及していますが、このことが何を意味するかは、長いこと分かっておりませんでした。アーシュラ・ドロンケ(1997)の「巫女の予言」編纂にあたっての註は、この解釈について深い考察を示しています。 [29/02/04追記]ドロンケ博士のまとめたものを読みますと、さらに混乱を招きそうですが、なんとか要約すれば、ミーミルは(1)巨人との関連(2)知恵の泉との関連(3)人間への関与(4)ヘイムダッルとの関係、という四つの役割を持っているということになります。

ミーミルの意味は恐らく「記憶するもの、賢い者」であり、語源的にはラテン語のmemorと同じです。

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記録されている語形としては、単数与格形のmuspille が古高ドイツ語詩『ムスピッリ』(Muspilli)に、単数主格形 mutspelli、単数属格形 mutspelles, mudspelles が古サクソン語詩『ヘリアンド』に見られます。古北欧語には単数属格形Muspellz が幾つも残されています。「ムスペッルの者たち」(『巫女の予言』51節)、「ムスペッルの息子ら」(「ロキの口論」42節;『ギルヴィの惑わし』13章、37章、51章)、「ムスペッルの世界」(『ギルヴィの惑わし』5章、8章、11章)、「ムスペッルの息子たち、あるいは軍勢」(『ギルヴィの惑わし』13章、51章)、そして単数主格形Muspell, 単数与格 Muspelli (『ギルヴィの惑わし』4章、5章、43章)があります。

いろいろなテクストの中で見られるこの語の意味は、それぞればらばらとも思えます。古高ドイツ語や古サクソン語では、おおまかに「この世のおわり」を意味すると思われます。古北欧語(註:より正確には古アイスランド語)の語は恐らく巨人を指すと思われますが、その一方で、「ムスペッルの世界」というスノッリの著述に現れた語に含まれる「ムスペッル」という語もスノッリの解釈としてある点では「この世の終わり」を表すのかも知れないのです(スノッリは自分の宇宙観の中で、ギヌンガガップの南に位置し、氷のニブルヘイムルと対極にあるものとして据えました)(『ギルヴィの惑わし』4-5章)[訳註:ジメックのこの書き方は少々もって回った書き方をしています。彼の言い回しから考えると、「ムスペッルの世界」を「世界の炎の世界」という意味でスノッリが使っていたのではないか、と考えているようにも思われます]。一方、スノッリはムスペッルを巨人とも考えていたようにも思われます。