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富士山登山日記

 今回挑んだ登山コースは表富士の富士宮口コース。

 今日は1997年7月23日、水曜日、天気は晴れ。
 午前6時30分、愛車で新5合目に到着。愛車から降りて富士山頂を見上げる。天候は快晴。気温はやや涼しめであった。
これなら頂上での眺めは絶景だろうと思い、意気揚々と支度を開始。周りを見渡したがこの時間に上りはじめる人は余りいないようだ。
 午前6時50分、さあ、登山開始。”登頂成功”を決意して第一歩。第2歩、3歩、4歩と歩いていくうちに早くも足がだるくなってきた。情けない。しかし、ここであきらめては余りにも情けないと思い、5歩、6歩と足を進めていく。
 午前7時10分、新(?)6合目に到着。新?と思ったが疲れているので、ちょっと、一服。富士山のジュースは高いと聞いていたので値段を見てみたら250円。やはり、高い。6合目だというのに、この値段。頂上は一体いくらなんだろう。と思いながら、7合目へ出発。
上を見上げれば山小屋が見える。あれが、7合目か。なんだ、近いじゃないか。と思いながら歩き出したが、またすぐに足がだるくなってきた。途中、意識がもうろうとしながらも先に進み、あと、もう少しで7合目だ、と思いがんばってやっと到着。着いてみると看板には、新(?)7合目。また、新?。でも、疲れているのでそんな細かいことを考えている余裕はない。ここで持ってきたポカリスエット取り出し、飲みほそうと思ったが、さっき見た250円という金額を思い出し、少しずつ飲むことにした。もう、ここまで来ると、何時に着いたのかももう覚えていない。
 さあ、出発。あれが8合目だ。と思いながら歩きだす。もう、途中のことは覚えていない。ただ、途中、一組の家族連れが近くにいた。その家族に助けられたことは覚えている。といっても、肉体的にではなく、精神的にである。その家族のお父さんらしき人が息子に向かって登山のアドバイスをしながら登っていた。登山初心者の我々はそのアドバイスを聞きながら登った。そのアドバイスは非常に役に立ち、登頂成功もその家族連れのお陰と言っても過言ではない。
 ついに、8合目に到着。と思い山小屋の看板を見てビックリ。そこは8合目ではなく7合目であった。じゃあ、さっきの山小屋は? そう、富士宮口には7合めが2つあったのだ。多分、富士山に登ったことがある人は我々と同じことを思ったに違いない。がっかりである。でも、ごちゃごちゃ言っていても始まらない。今度こそは、あの山小屋が8合目だろうと思い、出発。
 ここまで来ると勾配もきつくなって来る。しかし、なぜか、私はここで理性を取り戻したのか、キツイ坂を見て、「坂がきつければそれだけ歩く距離が少なくなるんだ」と思い、やる気が湧いてきた。
 8合目に到着。ここからの眺めは非常に良い。これまでの疲れが吹っ飛んでしまいそうな景色である。ここでリュックを降ろして、しばらく眺めを堪能することにした。時計は午前11時を回っている。さあ、9合目に出発だ。
 9合目、9合5勺目とほぼ順調に到着。しかし、ここからが大変だった。もう、午後1時を回っていたので昼食を摂ったのだが、それが運の付きであったようだ。予定時間が押していたので食後すぐに出発したのだが、相棒が急に腹痛を起こしだしたのである。恐らく、高山病である(登頂後、下山したら直ったらしい)。私も頭が痛くなり、気持ちも悪くなってきた。しかし、ここまで来て、引き返すのは悔しく、体を引きずるように登り続けた。ところが、良くないことは続くもので、5合目を出発するときは快晴であった空が曇りはじめ、急にヒョウが降り始めた。「マジかよ」と思いながら、雨具を取り出しそれを着込んだ。
 やっとの思いで頂上到着。天候はさらにひどくなり、山小屋で1時間ほど足止めを余儀なくさせられた。天気は悪いし、景色はないし、体調も悪いし、大変であった。
 午後4時、頂上の山小屋には数人しかいなかった。おそらく、御来光組であろう。天気も回復してきたので、我々は下山することにした。
当然のことながら、下山時間は登山に比べて早く、約半分の時間で降りられる。最初のうちはトントントンと軽やかに下山していたのだが、日が落ちるに合わせるように、徐々にペースが落ちてきた。午後7時40分、駐車場に到着。もう足がガクガクに震えていた。その時は、もう2度と富士山になんか登るものか、と思っていたが、数日後の筋肉痛も直った頃、また富士山に登りたくなってきた。
 相棒に、「また、富士山に登ろう」と言ったが、相棒は余り乗る気ではないようであり、こんなことを私に言った。「”喉元過ぎれば熱さ忘れる”とはこのことか」と。  富士山とはそんな所である。今度は、御来光に挑みたい。




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