第10話 ニース、そして...  

 パリからニースへは夜行寝台列車です。スーツケースを転がしながら楽器を片手に持って歩くよりも、荷物を背負った方が動きやすいだろうと考え、大きめのスポーツバッグを買いました。でも、そのバッグの重いのなんの!楽譜が入っているのだから当然なのですが、スーツケースの方がよかったかなとニース駅に着いた時に思いました。駅に着くと、すぐに駅のインフォメーションセンターで無料の地図や情報を入手します。各駅には旅行者にとって必要な情報がそろっていて、宿泊場所を探したり、市内地図をもらったり、相談にものってくれます。特に学生は格安で旅行ができるのが魅力でしょうか。最近は日本でもパック旅行よりも自由旅行なるものが流行っているようですが、ヨーロッパはまさしく個人で自由に安く旅行が楽しめる地域なんです。
 さて、ニース国際音楽アカデミーは、本部がある建物、レッスンを受ける建物、宿泊・食堂がある建物とに分かれ、歩いていける場所にあるものの市内に点在しています。きっと、いくつかの施設を利用して運営されているのでしょう。日本からの参加者もいて、久しぶりに日本語を話すことができました。はじめの会話は、私のことをてっきり東南アジアの人かと思ったという芸大出の方々でした。確かに真夏のパリを歩き回って相当に日焼けしていたし、髪型も日本のカットとは違っていたかもしれません。そういえば、パリの床屋さんに行ったんですよね。フランス語は話せないから、ほとんどおまかせ状態でしたが、その時の気持ちをたとえれば「ローマの休日」でオードリー・ヘップバーンが髪を切った気分と同じと言っていいでしょうか。
 その日本人の参加者のなかにサックスの武藤賢一郎さん(パリ音楽院のサックス科に日本人として初めて入学した人です)がいました。これまでにも何度か来ているようで、コインランドリーの場所、プライベートビーチの使い方、おおきなグラスに入ったアイスとフラッペの美味しい店などを教えてもらったり、イタリアへレンタカーで一緒に旅行したりと、フランスの夏を楽しませてくれました。
 ニースでの夏期講習が終わると、次はモンブランのふもとの町、アンシーで行われたデファイエ氏の次の夏期講習を見学することにしました。そこでは、古城でコンサートがあり、デファイエ氏によるジョリベ作曲の「サクソフォーン・コンチェルト」や、ギターの名曲「アランフェス協奏曲」などの演奏を生で聴くことができました。やはり日本とは音楽環境が違います。伝統を引き継ぐための、しっかりとした土台がここにはあるのです。文化は、自分の土地を離れて、そこで生活してみないとよくわからないことはアメリカ留学で承知していますが、ヨーロッパの音楽を学ぶものにとってはやはり一度は訪れて、肌で感じたいものです。このあとスイスのジュネーブ(ジュネーブコンクールのため)に行き、約1週間ほどホームステイさせていただき、そしてTGVでパリに戻ります。すぐ日本に帰る予定でしたが、ちょうど韓国の旅客機がソ連のジェット戦闘機に撃墜され、アエロフロート機が成田に着陸拒否されたせいで、すぐに乗れる安いチケットが入手できず、しかたなく私はパリにもう少しいることになりました。先の友人宅にホームステイさせてもらったり、レンタカーでパリ〜モンサンミッシェル〜リヨン〜ロワール川沿いの古城めぐり〜パリという約1,000kmのドライブしたりと、予約できた便の出発日まで過ごしました。実はその予約できたフライトは、ソ連のジェット戦闘機に追撃された同じ航空機の同じルートに乗るものでした。(つづく)

Menuへ目次へ前話へ次話へ