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週刊墨教組2003年度分





週刊墨教組 No.1437  2004.3.8

教育基本法改悪がねらう 「国のために死ねる人を」
      ー西村真悟の発言を糺すー

教育基本法改正促進委員会
 自民党と民主党による超党派の議員連盟が、教育基本法改悪をめざして、露骨な介入をはじめました。
 朝日新聞(二六日付け朝刊)によれば、二月二五日に、「教育基本法改正促進委員会」(教基法「改正」促進議連)の設立総会が行われました。
 同議連の最高顧問である自民党の森喜朗前首相は、「教育基本法の改正をもうひとつ、前に進められない。(民主党が)ご協力くださるのは、大変ありがたい」とあいさつしたといわれます。
 また、同議連の会長に、亀井郁夫参議院議員が就きました。亀井は、広島の教育攻撃の急先鋒となってきた人物です。そして、『心のノート』の端緒をつくった人物としても記憶に新しい。亀井は、日本会議議連のメンバーとして、二〇〇〇年三月、国会で、道徳副教材を作れと要求し、それに応えて、同議連メンバーである中曽根弘文文部大臣が、すぐに作成に着手したのが『心のノート』だったのです。
 教育基本法改悪に向けて、周到に準備された人脈が、またぞろ臆面もなく、うごめきだしたのです。

西村真悟発言
 民主党の西村真悟衆院議員の設立総会での発言は、「愛国心」に関する教育基本法改悪のねらいを、怖しいほど単刀直入に、呆れるほど率直に述べたものです。
 朝日新聞は、西村の発言を、次のように伝えています。

「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す。お国のために命をささげた人があって、今ここに祖国があるということを子どもたちに教える。これに尽きる」

「お国のために命を投げ出すことをいとわない機構、つまり国民の軍隊が明確に意識されなければならない。この中で国民教育が復活していく」

 「愛国心」の正体が、白日のもとに露呈してしまったのです。
 まさに、イラク派兵が強行されたことに象徴されるように、この国は「戦争ができる国」へむかって、まっしぐらにつきすすんでいます。
 この重大な西村発言が、たった十四行二段の記事にしかならないところに、マスメディアの劣化は著しく、すでにして、この国は、ゆるやかに、ファシズムのなかにあります。

教え子を再び戦場に送るな
 現在の情況にあって、私たちは厳しく個を鍛えて、「教え子を再び戦場に送るな」という覚悟/決意をしなければなりません。
 なお、日教組は、三月一日午後、西村議員に対して、下掲の公開質問状を手交しました。

衆議院議員 2004年3月1日
西村真悟 様  
                    日本教職員組合 中央執行委員長 榊原長一
『朝日』2月26日朝刊記事「国のため死ねる人を・・・」発言の事実関係を確認する
公 開 質 問 状

2月26日付け『朝日新聞』によると、議員は、2月25日、「教育基本法改正促進委員会」の設立総会で、今後の教育のあり方に関連して「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す。お国のために命をささげた人があって、今ここに祖国があるということを子どもたちに教える。これに尽きる。」「お国のために命を投げ出すことをいとわない機構、つまり国民の軍隊が明確に意識されなければならない。この中で国民教育が復活していく」などと述べたと報道されています。
こうした発言が事実だとすれば、かつての軍国主義が国民を戦争にかりたて、多くの尊い命を奪った戦争への反省がまったくありません。また、過去の反省からつくられた憲法や教育基本法、さらには、子どもの権利条約や世界人権宣言などの精神を無視したものです。国の進路に責任を持つ国会議員の発言としてあってはならないものだと考えます。
議員は、昨年12月19日、「建国義勇軍」や「国賊征伐隊」を名乗り、日教組の地方組織である広島県教職員組合事務所など3ヵ所を銃撃した疑いで逮捕された容疑者が所属する「刀剣友の会」の最高顧問を務め、政治献金を受けていたことも報じられ、こうした発言と行動を看過することは出来ません。
日教組は、2月25日の議員の発言に対して事実関係の有無と対処についてお聞きします。
3月15日までに文書でご回答ください。
【公開質問事項】
2月26日付け『朝日』朝刊報道記事にある、「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す。お国のために命をささげた人たちがあって、今ここに祖国があるということを子どもたちに教える。これに尽きる。」「お国のために命を投げ出すことをいとわない機構、つまり国民の軍隊が明確に意識されなければならない。この中で国民教育が復活していく」という発言は事実ですか。事実であれば、発言を撤回する意思はありますか。もし、ないのであれば、自らの考えと理由を明らかにしてください。


ご案内
第5回荒川国際平和展・2004
3月13日(土)14日(日)午後
町屋駅前ムーブ町屋4階ギャラリー

今年おすすめの企画は、14日1:30より行われる講演会です。
今、注目の本「さらば外務省」の著者で、前レバノン大使天木直人さんが講演します。
天木さんは、外交官としての誠実な職務を全うされた稀有の人。というくらい、この本を読むと、外務省の劣化具合のひどさに怒りが込み上げます。イラク派兵に反対の直言をしたために、外務省を事実上解雇になった天木さんの内部告発は、私たちの反戦運動に大きな励ましを与えてくれることと思います。本を読んだ人も読んでない人も是非、お出かけください。この他、3:30からはフスマ入りすいとん試食会もあります。


はじける芽(126

 三月の指導題目
 日常生活の中で、いつも気になっていることを、五百字以内の字数にして、新聞の投書欄に書くつもりになって書いてみよう。


 今までの作文は、出来事の順に「・・・でした。」「・・・ました。」書いていく作文であった。今回は「やや長い間にわたって、ずっと心に残っていることを、説明するように自分の意見を書いてみよう。」と言う題目にした。中学校や高校などに行くと、「小論文」という課題がよくあり、必ず書かざろう得ないようになっている。そこで、子どもたちと朝日新聞の「声」(四百六十字)や東京新聞の「発言」(三百八十字)などを読み合った。文章の書き方を学び合ったあとに、事前に題材をさがさせておいたものを、書かせることにした。

  自衛隊は本当に安全なの? 四年  
 私は午後六時前後のニュースを毎日見ています。今のイラクはアメリカと戦争をしたすぐ後で、失業者がたくさんいます。そのうえ電気やきれいな水が不足しています。そこで去年の暮れ、イラクへ自衛隊をはけんすることについて、国会で議論がはじまりました。でも、イラクではほとんど毎日テロやしゅうげきがあるので、日本の国民には反対の人もいました。私も自らを守るはずの自衛隊が、なぜイラクで警備するのか不思議です。一月十六日、自衛隊先けん隊が出発しました。でもそのときには本隊はけんが決まっていたようで、『安全です。』という文ができていました。安全なら先けん隊の人数で足ります。本隊が出発する所がテレビに映っていました。日の丸をふる人もいて、日本のほこりだ、というように聞こえました。武器を持ってイラクに行く自衛隊が日本の代表なんて私はいやです。日本国けん法第九条に、日本は武器を持ったり外国をおどさない、とあります。武器を持っているので人を殺すかもしれません。水道局などのボランティアの人たちが行く方がいいです。それならさんせいです。 

  お年寄りに席をゆずろう 四年 
 数週間前、私は家族で電車に乗った。祖母は足が痛くなるからといって、普通の一般席に座った。母は「若いんだから立ってなよ。」と言って、座った。私と妹は座らなかった。いつもは座っているのに、なぜか座る気にはなれなかった。つえをついたお年寄りが、優先席へと座った。三十代位の人が、となりに座っていた。私は、それが気になって仕方がなかった。電車の中には、色々な人がいる。けいたいをいじるのに夢中になっている人、新聞を見ている人、足を広げて寝ている人。バスでもそうだ。色がちがうシートにお年寄りが座るのだけれど、後から乗ったお年寄りは、ゆずってもらえるまで立って待たなくてはならない。私はすぐに、「ここ、どうぞ。」と言って席をゆずった。その方は、「ありがとうございます。」と言って、ゆっくりと席に座った。私はうれしかった。若い人はすぐに座りたがっているけど、つかれた時は座ってもいいから、なるべく立ってほしい。外の景色をながめていた方がいい。一番大事なのは、席をゆずろうと思う気持ちではないか。     
  残さなきゃいけない憲法 四年
 私たちは三年生・四年生と担任の榎本先生から『平和』の大切さを学びました。二〇〇三年三月二十日(木)アメリカ合衆国はイラクに攻げきをしかけました。理由は「大量破壊兵器を探すため…」それを言い訳にしてきました。でも年が明けた今、今だに大量破壊兵器は見つかっていません。それどころかニュースで「破壊兵器など、どうでもいい。」という発言に怖くなりました。日本国憲法には【よその国を軍隊の、力でおどしたり戦争をすることはいっさいやらない事を決心した。】と書いてあります。しかし今日本は、自えい隊をイラクにはけんしました。「自えい隊は軍隊ではありません。」という発言はまちがっています。『軍』じゃないならなんなのでしょうか。日本国憲法は、日本を平和にするための憲法なのにそれを「古いから。」でなくそうとしているのはおかしいです。確かに古いけど、正しい憲法なら残さなければなりません。私たちが住んでいる墨田区も昔、東京大空襲で焼け野原になり、十万人以上が亡くなっています。もうこれ以上、犠牲者がふえないように第九条は残さなければなりません。

  十日間短縮        四年 
 葛飾区の教育委員会が、二〇〇五(平成十七)年度から、区立中学校の夏休み期間を、十日ぐらい減らすことを決めた。夏休みが、十日なくなると、いろんなことができなくなる。母は、「墨田区もなっちゃうんじゃないの。」と言った。楽しい夏休みは減らしてほしくない、夏休みがへると、いなかに行っている時間が少なくなる。葛飾区の、夏季学習教室は、保護者から、「続けてほしい。」という要望がよせられた。でもまだ墨田区には来ていない。ぼくは、ほっとした。この前学校に来た時、「プールの日がなくなるからいいじゃん。」という人もいた。プールの日がなくなっても、いやだ。夏休みが、十日へって少なくなるものは、田舎にいる時間もだ。減ってほしいのは、公文の宿題だ。特に多くなるものはない、時間が減るだけだ。夏休みは減らしてほしくない。夏休みは田舎に行って、ザリガニつりをした。夏休みは楽しいのになぜへらすんだ。  

  変えてはいけないけんぽう 四年
 イラクに自えい隊がはけんされました。ぼくの住む墨田区で起きた東京大空しゅうでは、十万人の人がなくなりました。太平洋戦争では、三百五十万人もなくなっています。世界で、初めて原しばくだんをおとされたのは、日本です。広島で、二四万人。長さきで七万人なくなっています。その反省で、日本国憲法ができました。日本こくけんぽうの第九じょうに、日本は、戦争をしない、ぶきを持たないと書いてあります。だけどニュースを見ていると自えい隊の人は、戦車に乗っています。ぼくは、自えい隊の服を見て戦争にいくような服そうに見えます。小いずみそうりは、「戦争に行くのではありません。」と言っています。自えい隊の中で一人も死んでほしくないです。戦争は、殺し合いです。戦争は、ぜったいしてほしくありません。  
            


週刊墨教組 No.1436  2004.2.18

教育基本法改悪反対の大きなうねりを


教基法改悪に反対する東部集会
 『教育基本法改悪に反対する東部集会』が、二月十四日一時四五分から、曳舟文化センターで開催されました。
 この集会は、東京教組東部五組合(足立・江戸川・葛飾・江東・墨田区教職員組合)が主催団体となり、昨年にひきつづいて、行ったものです。
 まず、実行委員長として、企画・運営・実務を担った加藤墨田教組委員長が、集会の意義について熱く語りました。

大内さんの明晰な論理と清冽な意思
 つづいて、大内裕和さん(松山大学・教育社会学)が、講演されました。
 高橋哲哉をして、「彗星のようにあらわれた」と言わしめた大内さん。大内さんは、昨年十二月二三日、四千人を超す人々が結集した日比谷公会堂での『教育基本法改悪反対全国集会』の四人の呼びかけの一人でもあります。
 身体の疲労をいとわずに、全国を縦横無尽に奔走され、教育基本法改悪反対運動のうねりを先頭になって牽引されています。
 講演『教育基本法「改正」とは何か―グローバル化の中の「愛国」教育』は、平易な語り口ながら、教育基本法改悪の危険なねらいと本質が、的確に、明晰な論理で解き明かされていきます。
 大内さんの教育基本法改悪阻止への、激しく清冽な意思が、参会者に熱くつたわりました。

反対運動の萌し
 その後、「日の丸・君が代」の強制攻撃のただなかにあって、苦闘する都高教第六支部からの特別報告がありました。
 つづいて、「地域からの発言」を、『「日の丸・君が代」の押し付けに反対する墨田ネットワーク』・『葛飾人権ネット』・『江戸川生活者ネットワーク』・『部落解放同盟墨田支部』が行いました。
 『「日の丸・君が代」の押し付けに反対する墨田ネットワーク』の戒能信生牧師(東駒形教会)は、戦前・戦中、絶対天皇制下で、日曜学校の牧師が、子どもたちに対して、無自覚に果たしてしまった役割について、厳しくその責任と罪を糺されました。
 部落解放同盟墨田支部長の藤本忠義さんは、静かな怒りをこめて、「大量・連続差別ハガキ事件」にふれ、差別を許容する社会の情況と、差別化をすすめる国家について批判されました。
 お二人とも、大内さんの講演への共感を表明されました。
 墨田の地に、教育基本法改悪反対運動は、確実に萌しています。
 集会は、左のアピールを確認して閉会しました。

  集会アピール文

 本日、私たちは、大内裕和さんの講演をもとに、教育基本法の改悪がいかなる問題をもっているのかをしっかりと確認しました。新自由主義・国家主義を越えていかなければなりません。とりわけ、グローバル化のなかの「愛国」教育はのりこえなければなりません。

 また、「地域からの発言」で指摘された様々な問題は、教育基本法改悪ともつながり、すでにして、この国が、ゆるやかに、ファシズムのなかにあることを物語っています。
 まさに、イラク派兵が強行されたことに象徴されるように、この国は「戦争ができる国」へむかって、まっしぐらにつきすすんでいます。

 教育基本法は、戦争への深い反省から生まれた平和憲法の理念を実現するために、英知を結集して制定されたものです。
 何よりもまず、平和を。
 自分らしく暮らせて、二度と戦争をしない国。
 子どもは「お国」のためにあるのではありません。

 私たちは、教育基本法の改悪に反対します。
 いかなる困難な情況にあっても、ひとりひとりが、ひるむことなく、力を奮いおこして、声をかぎりに、はば広く深い運動を、この東部の地域からひろげていきます。

 本日の集会に参加した私たちは、教育における国家主義と差別化を推進し、再び戦争のできる「国民」づくりにつながる教育基本法の改悪を、全力で阻止することを、もう一度、 ここに、しっかりと確認します。
  二〇〇四年二月十四日
 教育基本法改悪に反対する東部集会


はじける芽( 125)

 平和な世界へ   四年
「では、これから語りべの会を開こうと思います。」
と、司会の人が言いました。去年の十二月二十四日でした。その日、墨老連の、おじいさんおばあさんが、学校に来ていました。戦争の話は、いつも三月ごろの平和集会で、してもらうのですが、ちょうどこの機会にめぐまれたので、この会があるのです。イスを持ってせの順にならびました。そのまま二階の集会室へ行きました。パイプイスが、いっぱい後ろの方に置いてありました。一年生から六年生までが来て、座りました。司会の人が自己しょうかいして、墨老連の会長さんが、東京大空しゅうの話を少しして、
「東京のほかにも、色々な所がばくだんで、焼け野原になりました。これから語っていただく方たちは、どのような体験をしたのでしょうか。」
と言いました。私は、体育座りをしました。PTA会長さんが、あいさつをしました。それから、一人目の方のお話が始まりました。
「私は、朝鮮の平壌(ピョンヤン)で生まれました。」
と言いました。その人は、私たちが前見た、ビデオにあった中国残留こ児の話などをしてくれました。その人の話が終わり、二人目の方のお話になりました。筆で書いてある題名の所には、
「信ちゃん」
と書いてありました。浅草の、終戦(敗戦)したころのお話をしてくれました。
「おじさんは、今七十四才です。その当時は、十六才でした。お母さんとお父さんを戦争で亡くして、先の方がとがったもので、たばこを拾い集めていたんです。」
と言いました。また、
「そのたばこの中に、すっていない所があるでしょう。その部分を集めて持っていくと、いま、浅草ロックスの横のあたりで、さつまいも一本か、ぞうすいと交かんしていました。お寺でねようと思い、人をかき分けて見つけたんです。しばらくつかれがたまっていたのでねていると、二本の足が私の上に乗っていました。よく見ると、となりの人の足だったので、起こしませんでした。次の日、起きてみると、となりをみたら、小学一年生くらいの男の子だったんです。その子が、題名の、『信ちゃん』なんです。」
と言いました。私は、
(その子が信ちゃんなんだ。)
と思いました。おじさんは、 
「その子が起きたみたいだったので、サツマイモを一本あげました。信ちゃんは、サツマイモを全部食べると思っていたのに、半分残していました。あとで食べようと思ったのでしょう。そろそろ行こうとした時、信ちゃんは私の服をつかんでいました。一緒に行くことにしました。それから、橋の上で固まっている子供四人に、出会いました。その子達は、『一緒に行かせて下さい。』と言ったので、その子達も仲間に入れてあげました。三人はたばこ拾い、三人はくつみがきをやりました。雨の日は困りました。くつみがきは人がこないし、たばこはぬれてしまっているのです。ある日上野駅で電車を降りてきた、田舎から来たらしいおじいさんとおばあさんがいて、大きいおにぎりを食べていたんです。私は、(信ちゃんには食べさせてあげたい。)と思ってたのみました。おじいさんは笑って、箱に入っていたおにぎりを、七個もくれました。私はすぐ信ちゃんにわたしました。信ちゃんはもらっても食べずに、じーっと見ていました。信ちゃんは、ほかの子たちの分も、分けていたのです。私は、《私は信ちゃんの事しか考えてなかった。》と思い、反せいしました。」
と言いました。私は、
(信ちゃんはそんなにやさしい子だったんだな。)
と思いました。おじさんは
「いつか、この続きを話したいと思います。」
と言いました。
 なぜこのような生活になってしまったのでしょうか。それは、一九四五年八月十五日に日本が戦争に負けて、家を焼かれ家族を亡くした人達は、みんな必死になってくらしていたのです。子供たちは生きていくために、必死で働いていたんです。戦争は、「人間の幸せ」を粉々にして苦しめるものです。イラクで今起きていることは、戦争と同じようなものです。毎日人がなくなっているのです。日本の自衛隊も、数日前に、サマーワに着きました。
(関係のない人まで巻きこまれる戦争は、してはいけない。)
と、思います。しかも自衛隊は、先けん隊だけでなく、何百人以上もいる本隊を派けんすることに決まりました。私が見たニュースでは、子供がお父さんに、
「いってらっしゃい。」
とか言っている所が映っていました。
(五十九年前のような事をくり返したくない。)
と思います。そんなこと、私は絶対いやです。               
 今度、三月の平和集会で、そのお話をしてくださったFさんが、お話の続きをしてくれます。私は、戦争がなくなるのを願っています。

聞き書きのポイント
 語り手の話をじっくり、ていねいに聞く事である。それをできるだけ、忠実に思い出して、表現できるかどうかによって、作品の価値は決まる。それと、相手の顔の表情や声の調子なども、できるだけ見逃さずに観察することを強調しておいた。表現の方法は、聞き書きだが、断定の書き方を勧めた。最後にその時自分が、心の中に思ったことも、文章の部分に入れていくことも大事にした。今回行政の方から持ち回りで、「語り部の会」を企画していただいた。この文にあるように、話が具体的で、子どもたちに感動的に語っていただいた。全校の児童が、吸い込まれて聞き入るほど、話の仕方が上手であった。私が子ども時代、上野の駅のホームの屋根や地下道に、たくさんの浮浪児がいた。戦災孤児と言ったりもした。みんな戦争の犠牲者である。この文のように、もく拾い(たばこの吸い殻)や靴磨きをして、一日の生活をしのいでいた。やがてこの孤児たちは、施設に送られて、それぞれの道に進んでいった。
 イラクへの自衛隊派兵という現在、「教え子を再び戦場に送らない」という日教組のスローガンが、いよいよ真価を問われている。。



週刊墨教組 No.1435  2004.2.18

「学力テスト」一五四五万円、
普通教室の冷房化七九二〇万円など予算化
墨田区教委二〇〇四年度予算案


 墨田区の二〇〇四年度予算案が決定されました。その内、教育委員会関連のプレス発表部分は資料の通りです。その特徴点は、次のようになっています。

開発的学力向上プロジェクト
「学力テスト」実施
 来年度から、墨田区立小・中全学年を対象に統一「学力テスト」を実施するとして、その費用を予算化しました。詳細については明らかにされてはいませんが。「データーの扱い方」によっては、「競争と差別」を助長する結果になります。この三〇年、「受験競争、ペーパーテスト学力」の弊害を克服すべきさまざまなとりくみがなされてきました。その視点に立つなら、「学力テスト実施」の弊害は明らかです。人間の価値が、各学校の営みが「ペーパーテストの点数」を基に判断されることになれば、「差別事件」や「いじめ、不登校、校内暴力」などの増加に拍車をかけることになるでしょう。
 今後、墨田教組は、「学力テスト」反対の立場から、とりくみを具体的にすすめていきます。
 
普通教室の冷房化
 今年度は、中学三年の普通教室が冷房化されました。来年度は、小学校の全普通教室二七七室、中学校残り五八教室の冷房化が予算化され、遅くとも、七月初旬までに設置が完了するとのことです。

校舎等の改築
 両国中を含めた地域の再開発にともない、両国中の校舎が改築されます。来年度は、設計費について予算化されました。二〇〇五年度、二〇〇六年度、二〇〇七年度に亙り改築工事がなされる予定です。

学校給食民間委託、
来年度で全校実施
 一九八九年度、両中・錦中の試行から始まった学校給食の民間委託は、中和・四吾・隅田小への導入で小・中全校での実施になります。民間委託が全校で実施されるようになっても、民間委託の問題点が解決された訳ではありません。私たちは、民間委託のしくみ=請け負い契約による給食調理を問題にしてきました。墨田区が、学校給食すべてに責任を負えないことを問題にしているのです。今後とも、問題点を指摘続けていきます。

2004年度組合行事予定
定期総会 4月28日(水)
女性部総会 5月21日(金)
教育研究集会 6月 2日(水)
教育研究集会⇒ 10月20日(水)
  どの行事も午後3時からです。
 確実に参加できるよう、ご予定ください。


日弁連 石原都知事に警告書!

 ―「ババァ」発言は女性に対する暴力・人格的侮辱―

 石原都知事の「ババァ」発言に対する裁判や人権救済申立について、その後の進捗状況についてお知らせします。

日弁連、警告書を発す
 みなさんも新聞報道などですでにご存知かと思いますが、昨年十二月二五日、日弁連は次のような警告書を発しました。

 警告書
 当連合会は、申立人青木真知子他一三九名からの人権救済申立てに関し、以下のとおり警告する。
第1、 警告の趣旨
 貴殿が
@「週刊女性」誌のインタビューに答えて二〇〇一年一月六日号「独占激白『石原慎太郎知事吠える!』」において行なった発言、
A同年十月二三日に開催された「少年社会と東京の福祉」会議の席上において行なった発言及び
B同年十二月十一日の東京都議会でなされた代表質問に対して行なった発言は、
女性に対する肉体的、精神的に苦痛を生ぜしめる暴力であり、また女性を人格的に侮辱し、心の平安と生活の平穏を奪う差別発言であるので、直ちにしかるべき方法によって発言を撤回し謝罪する措置を求めるとともに、今後貴殿がこのような差別発言をすることのないよう警告する。
第2 警告の理由
 別紙「調査報告書」のとおり。
  
  「調査報告者」は、十六ページにも及び、石原発言が、引用もとの松井氏の見解とは全く異なるものであり、石原自身の見解に基づいた発言であると評価するのが相当とし、さらに、申立て人・原告のアンケートに書かれた被害を引用し、深刻な被害をもたらし、申立て人らを人格的に侮辱し、心の平安と生活の平穏を奪っていると判断しています。さらに、憲法、女性差別撤廃条約、男女共同参画社会基本法、東京都男女平等参画基本条例などからの検討を行い、女性に対する暴力であり、権利侵害であるとしています。そして、都知事の職責に違背する発言であるばかりか、多くの人が女性に対して暴力をふるうことを助長し、助長する行為であることを認め、「しかも今日にいたるも本差別発言について申立て人らに対し、一切の謝罪、撤回がなされていないことは、自己の言動に責任をもたない人格的態度がうかがわれるものであってきわめて遺憾といわざるを得ない」としています。
 さらに、日弁連が、二〇〇〇年八月の「三国人発言」において差別発言をすることのないよう要望したが、今回の差別発言に及んだことは日弁連の要望にも真摯に対応していないと考えざるを得ず、「更なる反省を求めるため、別紙のとおり警告すべきものであるとの結論に至ったものである。」と救済措置の必要性を述べています。

裁判でも不誠実な対応
 そして、同時進行している裁判の方は十一月に第五回の公判が行なわれ、原告側からは八人の原告の具体的な損害について弁護団から準備書面の提出がありましたが、被告側からは何の書面提出もありませんでした。裁判長から「反論は原告全部の損害が出されてからやるということか」と聞かれた被告側弁護士は「全部出揃ってからやることになるが、おそらく『知りません.』ということになる。」と答えました。あまりにも、不誠実な対応といわざるを得ません。
 第六回口頭弁論が一月十五日に行なわれましたが石原氏自身はこれまで全く姿を見せず、自分がどのような立場に置かれているのか考えようともしていないようです。

サンデー毎日の石原都知事批判
 こうした、人をみくびった態度について、これまでマスコミはほとんど批判をしてきませんでしたが、今、「サンデー毎日」が「石原慎太郎研究」という特集を組み、全部で五弾まで出ました。
 第一弾は、特定の人間との接遇に多額の金を使っている交際費について。
 第二弾は、週平均三日という勤務実績について。しかも都庁出勤以外は都庁幹部も居所がつかめないというもの。他府県知事は休暇や私用でも知事の日程は把握されているのに比べ危機管理などできるのかという不安だらけ。さらに国内・海外の出張と称して使われる金額の多さ、例えば環境視察の名目でガラパゴス諸島十一日間の出張は合計費用一三四二万円という豪華ツアーぶりを暴露。
 そして、第三弾は、秋葉原駅近くの都所有地に建設される「ITセンター」をめぐる鹿島建設との癒着検証。
 第四弾は、石原知事の腹心の副知事浜渦氏にまつわる疑惑。
 第五弾は、都立大学攻撃の実態。最新情報では、首都大学という名称になるこの大学の学長に、「つくる会」の中心メンバーが加わっている「日本の教育改革有識者懇談会」会長西澤潤一が赴任するということ。都立大学のとりわけ文科系の学問レベルは日本有数といわれる知的財産を崩壊させるような今回の大学編成攻撃で、石原研究は終了しています。残念でなりません。電車のつり革広告という大勢の目に触れるところで批判記事が宣伝され、シリーズ以外にも、「ここまできている『日の丸・君が代』強制の『壮絶現場』」という記事や「『東京都交響楽団』大リストラ計画」など石原都政に対する批判記事も、読み応えがあり心から応援していました。他のマスコミにも同様の連載を期待したいと思います。

コンプレックスの裏返し?
 また、荷宮和子という自称くびれ世代の女子ども文化評論家は「若者はなぜ怒らなくなったのか」という本(中公新書ラクレ95)の「日本の未来」という項で、石原都知事の差別発言を紹介した後、「これらの発言は自身のコンプレックスによって歪んだものの見方しかできず、そしてそんな自身のコンプレックスをひた隠そうとするあまり真っ当な言動ができなくなってしまっている、そういった人間が権力を行使できる立場にあるとしたら、こんなに恐ろしいことはない。」と書いています。かなり言い得ていると思いますが皆さんいかがでしょうか。
 次回、石原裁判は三月二五日になりました。詳細はお問い合わせください。
            



週刊墨教組 No.1434  2004.2.13
業績評価の処遇への反映を拡大
「普通昇給」の延伸を実施
業績評価のマイナス評定に対し、
管理職の役割と責任を明確化

 二〇〇四年度四月から、事務・栄養士について、普通昇給(従来の定期昇給)に対し業績評価結果(評定はABCDEの五段階)が反映され、D以下の評定が付けられると昇給が三ヵ月延伸となります。
 都労連は、昨年、都側と検討会を設置し、人事考課制度のあり方について、職場の実体から、問題点を指摘してきました。とりわけ、「制度そのものの公正性、納得性、透明性」が担保されていないことから、「本人開示と苦情処理制度」の確立を都側に強く求めてきました。しかし、二〇〇三年度の賃金確定闘争では残念ながら解決することはできませんでしたが、都側は、都労連の要求を踏まえた内容で、「実施要領」を作成し、通知しました。 

延伸の告知、「指導育成責任」の明確化
 対象職員との当初面接(評定年度内に行う面接、今年度は平成十六年二月十七日から二月二七日までの間に行う)で、所属課長(校長)が「昇給延伸の告知」を行うこと。面接では、@業績評価を踏まえた勤務実績を具体的な行動等に基づき説明すること、A今後の取組みの方向を明確にし、職員との共通認識を図ること、B共通認識を図った上で、改善に向けた指導等を行こと。また、C四半期ごとの面接では、進捗状況の確認及び指導・助言を行うこと、D継続的・計画的な指導育成を担保する観点から、育成の経過等を所定の様式に記録すること等を明文化しています。昇給延伸の告知だけでなく、フォローアップを管理職に義務づけています。フォローアップができない管理職は、管理職としての能力が問われることは当然です。
 なお、職員が、自分の業績評価について納得できないまま「昇給延伸」がなされた場合、人事委員会に不服申し立てを行い、措置要求をすることができます。

平成15年度業績評価結果を踏まえた指導育成実施要領

 都政を取り巻く諸情勢が益々厳しくなる中で、職員一人一人の能力、適正等を最大限に引き出し、活用できるような人事管理の実現は時代の要請となっています。それに応えていくために、人事考課制度は、仕事の実績を正しく評価し、それを処遇に反映させるとともに、職員の育成や能力開発につなげていくための役割として、大きな鍵を握っています。
 そのような状況の中、平成16年度から、業績評価の結果に基づく普通昇給の延伸が実施されるなど、人事考課の処遇への反映が拡大し、人事考課を基盤とした人材育成が、より重要性を増してきています。
 こうしたことを踏まえ、新たに、業績評価の結果を踏まえた指導育成の取組を実施します。各所属課長におかれましては、この新たな取組と合わせて、日常の職務を通じた職員への指導・育成に取り組まれますよう、よろしくお願いします。
1 目的 業績評価制度における評定結果を踏まえ、特に指導育成を強化する必要がある職員の能力開発を図ることを目的とする。
2 対象職員  業績評価結果を踏まえ、所属課長が、特に指導育成を行う必要があると判断した職員
3 指導育成者  所属課長
4 指導育成の仕組み 所属課長は、対象職員との面接において、業績評価結果を踏まえた勤務実績に関する説明を行い、今後の取組の方向を明確に示し、職員との共通認識を図った上で、改善に向けた指導等を行う。
 また、次年度においても、四半期ごとの面接により、進捗状況の確認及び職員への指導・助言を行うとともに、日常の職務を通じた指導を行う。
 なお、職員に対する継続的・計画的な指導育成を担保する観点から、所属課長は、育成の経過等を所定の様式に記録することとする。
5 面接の方法(以下略)

指導育成対象職員
ア、平成一五年度業績評価における第一次評定の総合評定がD以下の全ての職員
イ、その他、第一次評定者が特に指導育成を行う必要があると判断した職員 
(都側は、総合評定がCであっても、評定要素の中にDがある場合などと組合に説明しています。)
昇給延伸対象者
・平成一五年度定期評定における第一次評定総合及び第二次評定総合のいずれもがD以下となる職員。
(事務・栄養士の場合、第一次評定者は校長、第二次評定者は教育次長)
教育職について
・教育管理職と管理職選考合格の指導主事
 平成一六年三月三一日付けの業績評価で平成一六年七月実施
・教諭と主幹職選考合格の指導主事
 平成一七年三月三一日付けの業績評価で平成一七年七月実施

資料 「業績評価を踏まえた指導育成」手続きの流れ

 「反戦平和」を中心に据えた授業のとりくみを進めよう!
 一九四五年三月一〇日、一夜にして東京下町を焦土と化し、一〇万人を上まわる人々を死にいたらしめ、その後も敗戦まで継続した東京大空襲から、今年で五九年目になります。墨田教組は、一九八八年からは特に三月一〇日を節目として「反戦平和」にとりくんできました。「週刊墨教組一四三三号(二月四日付け)でとりくみの内容について既にお知らせしていますが、具体化がまだの分会は、早急にとりくみをすすめてください。

描かれた東京大空襲
   ―絵画に見る戦争の記憶―

 先日、組合書記局に、元寺島中学教諭であり、港区で退職された脇三夫先生がお見えになりました。脇先生は、現在、すみだ郷土文化資料館で開催されている、先記企画展に自ら描かれた「東京大空襲」を出展しているとのこと。この企画展を墨田の先生に紹介し、児童・生徒をも含め是非見学して欲しいとの要請がありました。持参された、絵画のコピーとキャプションを使わせていただき、企画展を紹介いたします。 
三月一〇日「平和の日」
 区内全域が焦土と化した墨田区では、すみだ郷土文化資料館の企画展をふくめ、毎年「平和の日」のとりくみがなされています。墨田教組は、こうした墨田区のとりくみを評価しています。しかし、東京都は、三月一〇日を平和の日と制定したにも拘わらず、年々「平和の日」のとりくみを縮小しています。しかも、戦争の推進に使われた「日の丸・君が代」を学校に強制しています。こうした都の姿勢に抗する立場も含め、地域に根ざした教育の一環として、「三月一〇日」を節目とし、「反戦平和」を中心に据えたとりくみを行いましょう。

すみだ郷土文化資料館  企画展   1月31日から3月21日まで
描かれた東京大空襲 
−絵画に見る戦争の記憶―


 86点の絵画が展示されています。その中の一つ、脇三夫さんの「火鳴りの底からー東京西部から見たその夜の東部一帯―」です。脇さんは当時14歳、旧制中学2年で現在72歳です。  
 絵にはこのような文章がつけられています。

 「火柱は突然、突き出るように上がった。生き物のようになめらかに動き震え、渦を巻きつつ何の音もせず、天に達した。その輝度はまぶしいほどだった。そして先端は天井で鋭く分裂した。間もなく赤く暗くなり、陰影が残るのみとなった。すぐ別のところから次々と発生した。
 地上で家々を焼いた炎は飽和状態になり、道に出て横に流れ、大通りで合流し、大河の奔流となって逃げ惑う人々を真横から襲い、焼き尽くし、さらに四方より集まって天に向かい、左巻きの炎の竜巻となった。
 焼かれた人々の魂は、火柱に乗って天井に昇った、とせめて思いたい。
  ・・・・・・・・・・・
 二階の屋根に座り込んで見ていた私はこの時、火柱の下で何が起きていたのか、全く考えもせず、想像することもしようとしなかった。ただ呆然と阿呆のようになって見つめていた。この時火柱の下では、十万余の男女老若幼児赤子が火あぶりになって死んだのである。いや、他の人によって殺されたのである。火あぶりは洋の東西を問わず重罪人への極刑である。普通の善意に生きる人々がどうしてこのような責めに遭わねばならないのか。非難されるべきは誰か、と今でも思う。
 再び『阿呆』になってはならない、と思うその後である。
 2003年8月」




週刊墨教組 No.1433 2004.2.4
反戦平和教育の創造のために
三月十日を節目とした
       特設平和授業のとりくみを進めよう

 今年もまた三月十日がやってきます。五十九年前のこの日、墨田・江東を中心とした東京下町は、米軍のB29による無差別爆撃で、猛火に包まれて、焼き尽くされ、一夜にして十一万五千人の尊い命が焦土に埋もれたのでした。東京大空襲は、広島・長崎の原爆とともに、戦争の悲惨さと非人間性を、平和と人間の命の尊さを教えてくれる大切な教材といえるでしょう。
イラクに自衛隊が派兵され、国連重視の戦後の日本外交を無視して、日米軍事同盟を優先させた小泉総理大臣の決断は、憲法違反の、大きな誤りであります。


戦争の実相を伝える
 町を破壊し、人間の命を奪い、動物たちをも殺し、親子を兄弟姉妹を友人を恋人を引き裂く、これが戦争です。「広島」「長崎」「東京大空襲」の語り部達の体験談、手記、写真、・・・・等々の貴重な資料は、今も戦争の悲惨や残酷、非人間性というその実相を伝えてくれています。
 私たちは、戦争の実相を伝えるそれらの資料に学び、あるいは掘り起こします。自らの思想と言葉によって、「戦争」を教材化し、その実相を子ども達に伝えていかなければならないと思います。

想像力を培うこと
 現代は、コンピューターの時代です。子ども達はコンピューターゲームの中で、キーやボタンを操作しながら戦い、敵を破壊し殺戮することになれています。彼らの脳裏にある「戦争」は、生身の人間の苦しみや悲しみを全く捨象したゲームなのです。現代の戦争もまた、コンピューターを駆使したハイテク戦争です。
 また、大量の情報の中で、それとは裏腹に情報は操作され、報道と実相の落差も大きなものになっています。湾岸戦争の時には、まるでコンピューターゲームででもあるかのように、テレビ画面に戦争が映し出されていました。そこからは、戦争の悲惨や残酷、非人間性は見えてきませんでした。しかし、画面の中で夜空に「美しく」飛び交う砲弾の下で、非人間的な惨状が繰り広げられていたのです。
 「戦争」は、時代や場所が変わっても、その本質が変わるものではありません。町が破壊され人間が殺されるのです。「東京大空襲」と同じように、さまざまな苦しみや悲しみが湾岸戦争・イラク戦争でも起きていたことを知らなければなりません。

イラク戦争以後
 昨年三月二十日、「イラク戦争」が起こりました。
 しかし、イラク戦争とは、理不尽きわまりない明白な戦争犯罪です。ブッシュに普通に暮らしているイラクの人々を殺す理由など全くありませんでした。今にいたるも、イラクの大量破壊兵器の痕跡すら発見されていません。もとより大義の存在しない、アメリカ・イギリスの軍事侵略は、冷血な殺人者のしわざです。
 私たちは、このことを、絶対に忘れるべきではありません。告発し、断罪し、糾弾しつづけなければなりません。
 感情的で、思考力のないこの国の首相は、まっさきにイラク攻撃支持を表明しました。
 さらに、昨年十二月九日、彼はかたくなに自衛隊派遣に固執し、自衛隊派遣の概要を定めた基本計画を閣議決定しました。
 そして、ついに、本年一月九日、石破防衛庁長官は、陸上自衛隊の先遣隊と航空自衛隊の本隊に派遣命令を出し、つづいて、二六日夜、陸上自衛隊の本隊と、陸自の車両や装備を輸送する海上自衛隊に派遣命令を出したのでした。
 陸海空、三つの自衛隊すべてに、派遣命令が下されたことになります。理不尽な占領がつづく戦争状態の他国に、三自衛隊が本格的に展開することになったのです。
 この国は、「戦争ができる国」へむかって、まっしぐらにつきすすんでいます。

イラクへの自衛隊派兵は、憲法違反
 小泉総理は国会答弁で、「どこが非戦闘地域かなんてわかるわけがない。」と発言しました。しかし、今やイラク全土が戦場と言ってもおかしくないのです。これが海外派兵でなくていったいなんでしょうか。自衛隊そのものが、憲法違反という人もたくさんおりますが、それを百歩譲って考えても、今回の決定は憲法違反そのものです。今、自衛隊員は約二十四万人います。その家族をあわせると、百万人もの人が、自分が、自分の家族(大切な人)の尊い命が危険にさらされるかもしれないと、本当に心配しているのです。
 『国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。』『この目的を達するために、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。』(日本国憲法九条)
 米軍のイラクにおける戦死者は、この半年間に二百五十人を超えています。日本人外交官も、二人亡くなりました。攻撃対象も拡大する一方です。
 イラク民衆は、アメリカ兵と行動をともにする軍服の自衛隊を敵としてみなすことになるでしょう。自衛隊は殺されるかもしれないし、攻撃すれば殺すかもしれない。そこは、ゲリラ戦が激しくたたかわれる戦場にほかならないのです。

レバノン大使「天木直人」氏の更迭
 アメリカがイラク攻撃をする前に、レバノン大使であった天木直人氏は、当時の日本政府の最高責任者小泉総理に向けて、「攻撃は誤りであり、アメリカのブッシュ大統領を、説得するように。」という趣旨の打電をしたのでした。「米国を支持するほかに選択肢はない。」とする外務省幹部は、それらの意見を無視続け、最終的には、小泉総理は、彼を更迭したのでした。その彼が、最近ある雑誌で、次のように発言しています。
 「客観情勢の把握と謙虚な分析を行わず、思いこみと打算でどんどん国民の利益に背馳した政策を強行していく、国家権力の横暴とその危うさであった。その思いは今回のイラクへの自衛隊派遣の決定を見てますます強まった。かっての軍国主義はあの不幸な戦争へと我々国民を突き落としていった。それを誰もがおかしいと思いながら止めることはできなかった、その不幸を再び繰り返してはならない、そんな思いで私は『さらば外務省!』と今一度声を大にして我が国の為政者と売国官僚を糾弾したい。自衛隊の性急な派遣は、亡くなった二人の外交官の遺志を継ぐものでは決してない。」

教育基本法改悪から憲法改悪へ
 一月十九日、小泉総理は、「教育基本法の改正については、国民的な議論を踏まえ、精力的に取り組んでまいります。」と施政方針演説の中で述べています。今国会中の国会上程は断念しましたが、今度の参議院選後に新たな策動を模索しているようです。自衛隊の派遣については、昨年度の衆議院議員選挙前は一切触れず、選挙に勝利するやいなや次々に、国民の意見を無視して決定していったと同じようにです。イラク派兵の歯止めになっているのは、憲法九条があるからに他なりません。教育基本法が、改悪されたら、次は憲法改悪への道です。

教え子を再び戦場に送らない
 我々の先輩教師は、戦後、日教組を結成しました。『教え子を再び戦場に送らない』が合い言葉でした。これからもその精神を、生き続けさせなければなりません。自分たちの身近な職場で、『二度と戦争をさせない』取り組みをぜひ進めてください。

組織的な平和教育のとりくみ
 墨田教組は、反戦平和教育の重要な課題として位置づけ組織的にとりくみを進めてきました。一九八八年からは、特に「三月十日」をひとつの節目に設定し、墨田の全学校で反戦平和教育の実践が行われることをめざし、墨田教組として統一的にとりくみを進めてきました。三月十日の前後には、特設授業や全校児童集会等々様々な形で、平和教育のとりくみが各学校で実践されています。このとりくみは、東京大空襲で壊滅的被害を受けた墨田におけるという意味で、地域に根ざした教育の一環でもあります。私たちは、これらの立場に立って、今年も三月十日を節目とした平和教育特設授業のとりくみを進めます。

具体的なとりくみ
一、三月十日に向けて、全分会が全学級一斉授業、全校集会、学年集会など、何らかの形で特設授業を実施するとりくみを進める。
二、分会として意思統一を行い、具体的な方針を決定し、直ちにとりくみを開始する。
三、一分会一万五千円を限度として、学校(分会)における計画実施のために必要な経費補助(教材作成・購入費、講師代など)を「主任手当拠出金」から支出する。
四、分会は二月二十七日までに具体的計画を書記局に報告する。その際、経費補助金の請求も行う。
五、執行委員会は、資料作成・提供・講師の紹介・仲介、具体的な進め方についての相談、交流活動を行う。戦争体験者として、何人かの新しい方も発掘しました。三月十日前後は集中しますので、ご希望の方は、早めにご連絡ください。





週刊墨教組 No.1432 2004.1.28
「教育の機会均等」が打ち捨てられる
イラク出兵

 昨年十二月九日、小泉首相はかたくなに自衛隊派遣に固執し、自衛隊派遣の概要を定めた基本計画を閣議決定しました。
 さらに、本年一月九日、石破防衛庁長官は、陸上自衛隊の先遣隊と航空自衛隊の本隊に派遣命令を出しました。
 そして、ついに、二六日夜、陸上自衛隊の本隊と、陸自の車両や装備を輸送する海上自衛隊に派遣命令を出しました。
 陸海空、三つの自衛隊すべてに、派遣命令が下されたことになります。
 理不尽な占領が不当につづく戦争状態の他国に、三自衛隊が本格的に展開することになったのです。
 この国は、「戦争ができる国」へむかって、まっしぐらにつきすすんでいます。

改悪への意思表示
 政府・与党は、教育基本法「改正」案の提出を断念したと報じられましたが、十九日に召集された通常国会の「施政方針演説」で小泉首相は、次のように述べています。

 「新しい時代を切り開く心豊かでたくましい人材を育成し、人間力向上のための教育改革に全力を尽くします。」

 「教育基本法の改正については、国民的な議論を踏まえ、精力的に取り組んでまいります。」

 二〇〇五年の改憲を、はばかることなく明言するようになった小泉首相にとって、二〇〇四年中の教育基本法改悪は、緊急な政策課題です。
 昨年九月二六日、内閣改造後の所信表明演説で、「教育基本法の見直しについては、国民的な議論を踏まえ、精力的に取り組んでまいります。」と述べたのに対比してみると、「見直し」の文言が「改正」という文言になっています。より強く、教育基本法改悪への明確な意思を打ち出したものになっているのです。
 決して座視することなどできません。私たちは、気をゆるめることなく教育基本法改悪のねらいと問題点について、広範な人々に訴えつづけなければなりません。
 東京教組東部五組合(足立・江戸川・葛飾・江東・墨田区教職員組合)は、二月十四日、曳舟文化センターで、『教育基本法改悪に反対する東部集会』を行います。
 東京・日比谷公会堂で行われた『教育基本法改悪反対!十二・二三全国集会』の呼びかけ人であり、現在も、全国を縦横無尽に奔走され、教育の危機を訴えつづけている大内裕和さん(松山大学・教育社会学)が講演してくださいます。

教育基本法改悪がもたらすもの
 大内さんは、『情況』1月号所収の「教育基本法と教育改革」で、「教育基本法の改悪がなされると教育はどのように変わりますか」という問いに対して、つぎのように答えています。

大内 これまでの教育改革の方向が徹底されていくことになるでしょう。まずは教育の悪しき多元化=差別化が進められていくことが予想できます。
 昨年三月に出た中教審答申のポイントは大競争(グローバル化)時代の国家戦略として教育を位置づけるということです。その点で教育を個人の尊重に基盤を置いたものから、経済競争に打ち勝つための人材育成へと方向転換することを狙っています。
 ここには財界の教育に対する意向が濃厚に反映しているといえます。『教育基本法改正論批判』(白澤社)でも論じたことですが、日経連が一九九五年に出した『新時代の「日本的経営」』という文書は、財界の労働力政策の転換を明確に示しています。ここでは長期蓄積能力活用型グループ、高度専門能力活用型グループ、雇用柔軟型グループと労働者が三つに分類されています。これまでの終身雇用、年功序列といった日本的経営のあり方を変えて、露骨な労働力の差別化政策を打ち出しています。こうした大競争時代に対応したコスト削減を目的とした労働力の差別化政策と現在の教育改革はリンクしているといえます。一部の「勝ち組」エリートの教育にのみお金をかけ、それ以外の「負け組」ノン・エリートの教育にはお金をかけないということです。「ゆとり」教育はそれをすでに行っているわけですが、教育基本法が改悪されればその方向はさらに明確となるでしょう。

 つづけて、「そうした競争力至上主義と愛国心教育とはどのような関係にありますか。」という問いに対して、つぎのように答えています。

大内 差別化を進める新自由主義改革と愛国心という国家主義が結びついていることが、教育基本法改悪のポイントです。
 こうした差別化を進めれば当然、社会の矛盾や不安定化がすすみます。雇用柔軟型グループというのは、失業者予備軍ともいえますからね。そうした分裂状況、不平等化が進む社会を統合するためにも愛国心という国家主義が国家・政府にとって必要になっているといえます。
 また失業率の増大や将来への希望のなさは、若者を国家主義・排外主義へと引き付ける原因の一つにもなります。

「大競争時代」の切捨て
 大内さんが批判する新自由主義の教育観が顕著に露呈した「『大競争時代』の切り捨て」については、最も信用できるジャ―ナリスト斎藤貴男も『構造改革とグローバル資本』(「現代思想」二〇〇一年六月号)のなかで、怒りをこめて、つぎのように書いていました。
 彼のインタビューに答えて、「三浦朱門―彼は教育課程審議会の前の会長で今度の学習指導要領を作った一番の責任者です」は、「今まで落ちこぼれのために限りある予算とか教員を手間隙かけすぎて、エリートが育たなかった、これからは落ちこぼれのままで結構で、そのための金をエリートのために割り振る。エリートは一〇〇人に一人でいい、そのエリートがやがて国を引っ張っていってくれるだろう、非才、無才はただ実直な精神だけを養ってくれればいいんだ、ゆとり教育というのは、ただできないやつをほったらかしにして、できる奴だけを育てるエリート教育なんだけど、そういうふうにいうと今の世の中抵抗が多いから、ただ回りくどくいっただけだ」とうそぶいたのでした。
 「教育改革国民会議の江崎玲於奈座長は、もっと恐ろしい。」「ヒトゲノム解析もできたし、人間の遺伝子が分かるようになると、就学時に遺伝子検査をしてできる子にはそれなりの教育をして、できない子にはそれなりの教育をすればいいんだ」とうそぶいたのでした。
 教育基本法三条「教育の機会均等」が、市場原理によって、なしくずしに打ち捨てられようとしています。
 見くだし、さげすみ、ひとをひととも思わない、弱肉強食の国家管理による競争と選別の教育政策をうけいれることなど絶対にできません。


はじける芽(124 )
下町の子の冬休み 四年生

  いっぱいかと思ったのに・・・
パリン、チリン。
母と帝釈天というお寺に来た。
おさいせんを投げ入れる音が、たくさん聞こえている。
ずいぶん遠くから投げてるなあ。
おさいせん箱に入るのかな?
不思議なので、おさいせんの飛んでいった方をみた。
ああ、おさいせん箱のかわりにかこいがあるのか。
みんなかこいの中に、おさいせんを投げてるんだ。
「あんなチャリンって音するから、きっとおさいせんがたくさん入ってるね。」
私が母に言った。
何分かして、かこいのうらへ行った。
ネットがあるけれどよく見える。
「あれしかない。」
私が母に言った。
ポツポツと点のように、
百円玉などが転がっているだけだった
いっぱいかと思ったのにこんな少しなのか。
 目の前で起きているような、現在形で表現しているのが良い。おさい銭が投げ込まれているところまで行って、確かめているのが良い。それほど多くないことを自分の目で確かめているのも良い。

  火のようじん
「火のようじん。」
「カッカ。」
と、外からかけ声が、聞こえる。
まどが、口のように、いっている。
十四階のまどを、あけた。
光が、三つぐらい見えた。
三つの光から、大きな声。
まるで、大きな音がでる、
大だいこみたいだった。
 今でもこんなしきたりが残っているのがうれしい。昔は、夜の静けさが今よりあったので、拍子木やかけ声もよく聞こえたものだった。十四階の窓を開けたので、大きな音に聞こえてきた。

  空を見れば
「寒いー。」
大みそかの夜だった。
紅白歌合戦が終わった十二時近いころ、
冷めてる自転車のハンドルをつかみ、
団地の家へ帰った。
空には、
満天に広がった星がある。
「一等星みーっけ。」
私が言った。
二、三個見つけたら、前向かなきゃ。
明日も、一等星見つけられたらいいな。
 近くに住んでいるおばあちゃんの家からの帰りであろう。夜中の十二時近くの帰り道に、星空を眺めている。一緒に帰った妹や母親の姿も書いてあると良い。

  しも柱だ
「しも柱だ。」 
と窓を開けて言った。
栃木のべっそうに来ている。
あわてて外にでた。
ふむと、
「パリシャカ。」
となった。ぼくが
「すげー。」
といった。
またふむと、
「シャリパカ。」
となった。
さわってみると、つめたくて、さらさらしていた。
足でつぶして、足を回すと、
すごくきれいだった。
鏡が割れたみたいだった。
いつ消えちゃうのかなあ。
 霜は東京でも時々見られるが、霜柱になると、めったに見られない。ふんだときの音の表現が良い。二度目にふんだの時の表現が違っているのも良い。

  いっぱいなのかな
今年は、いっぱいかな?
お年玉で、わくわくだった。
今年も一万円以上かな。
「はい、お年玉。」
田舎に住んでいる祖母と、
父の弟、おさむさんにお年玉をもらった。
いくらかな。
二人、合わせて六千円だった
家に帰ったら、どれくらいのお年玉だろう?
あと、一緒に住んでいる祖母にももらった。
計、三人にもらった。
一万円以上だったけれど、
去年のお年玉より
千円、少なかった。
いっぱいなのかな。
 昔も今も、お年玉の合計を計算するのは、子どもたちの楽しみだった。前の年と比べているのがおもしろい。

  初雪
〇〇、外見てみ。」
とぼくが起きた時に、中二の兄が言った。
まどの方へ行ったら、雪が少しあった。
ぼくは
「雪だ。」
とおどろいた。
うちの前の家の屋根の全体に、雪がかかっていた。
外に行ったら、母の自転車のサドルに雪があった。
手でちょっとさわってみた。
手が
「ブルブルッ。」
とふるえた。
すごくつめたい雪だった。
 地球温暖化で、東京地方に雪が降るのも、めずらしくなってきた。窓から確かめ、外に行って、積もった雪にふれているのも良い。

  初雪    
「なる、ちょっと来て。」
母が、起きたばかりの私に言った。
「ん、何?。」
と私は大きな声で、言った。
母はベランダにいた。
ベランダに出てみると、
あたりのけしきが白かった。
屋根も白かった。
私は、
「あっ雪だ。」
と言った。
今年の初雪。
 雪が降ると、大人も子ども時代を思い出して、何か心どきどきさせる。母親の誘いで、ベランダに出て、屋根についている雪を確かめているのが良い。

 休み前に、冬休みでないと体験できないことを、最低三つ詩に書くように課題に出しておいた。特に体を動かす凧揚げや、家族で楽しむお正月らしいことを歓迎すると伝えておいた。しかし、実際には、そのような詩が少なかった。昔のように、お正月を特別に楽しむようなことが、少なくなってきたのかもしれない。毎年「下町の子の冬休み」を十年近く続けてきたが、「お正月たくさん楽しんだな!」「お正月らしいしきたり!」と言う生活詩が、年々減ってきているのがさびしい。





週刊墨教組 No.1431 2004.1.16

「日の丸・君が代」の強制反対!
教育関係九組合共同のとりくみ
実施指針に対する新聞意見広告を成功させよう

 昨年十月二三日、東京都教育委員会は「入学式、卒業式における国旗掲揚および国歌斉唱の実施について」(通達)を都立学校に出し、各地教委に対し通知しました。その内容は、「日の丸」掲揚・「君が代」斉唱を強制し、式場や教職員の服装にいたるまでの細部にわたって細かな規制をしています。これは、「法制化」当時の政府国会答弁をも大きく逸脱するものです。
 このような非道を広く訴え、共有化するために、東京の教育関係九組合は、新聞に意見広告を掲載することを決めました。そのために資金は、多くの教職員のこの問題についての怒りから発しなくてはなりません。以下のとりくみを確実に行い、成功させていきましょう。


 昨年十月二三日、東京都教育委員会は「入学式、卒業式における国旗掲揚および国歌斉唱の実施について」(通達)を都立学校に出し、各地教委に対し通知しました。その内容は、「日の丸」掲揚・「君が代」斉唱を強制し、式場や教職員の服装にいたるまでの細部にわたって細かな規制をしています。これは、「法制化」当時の政府国会答弁をも大きく逸脱するものです。
 このような非道を広く訴え、共有化するために、東京の教育関係九組合は、新聞に意見広告を掲載することを決めました。そのために資金は、多くの教職員のこの問題についての怒りから発しなくてはなりません。以下のとりくみを確実に行い、成功させていきましょう。

 卒業式・入学式は、それぞれの学校で長年の時間をかけて築きあげてきたものです。子どもたちの入学・卒業を祝い、新たな一歩をふみだす日を祝うために、教職員は心血を注いで、児童・生徒、地域・保護者とともに作り上げてきました。そうした経緯を無視し、まるで軍隊であるかのように、一片の通知で全都の入学・卒業式を一色に染めあげていこうとする都教委のやり方は、教育の場にふさわしいものではないと私たちは考えます。

 一体だれのための教育か。実施指針は、「国を愛する人づくり」、「心のノート」等の教育基本法改悪の動きと軌を一にして出されています。私たちは、この動きに反対の声をあげ広く世論に訴えていくために、新聞への意見広告にとりくむことにしました。

 意見広告は、二月下旬に「朝日 毎日 読売 日経 産経 東京」の六紙掲載を予定しています。

 このとりくみには、三千万円という多大な経費が必要です。全都の教職員の力を結集しこれを成功させるために、東京教組、都高教、都教組が教育関係各組合に呼びかけ、現在、全都九組合(東京教組 都高教 都教組 都校職組 都障労組 都障教組 アイム89 都庁職教育庁支部 都庁職都立学校支部)共同の行動としてとりくみをすすめています。

 全分会で、組合員は全ての教職員のみなさんに募金協力をよびかけましょう

資料 「国旗国歌法」をめぐる国会答弁

○「これらの政府の見解(「日の丸・君が代」政府解釈)は、政府自身の見解でございまして、国民お一人お一人が君が代の歌詞の意味などについてどのようにお受け止めになるかについては、最終的には個々人の内心にかかわる事柄であると考えております。」(野中広務官房長官一九九九・八・六国旗及び国歌に関する特別委員会)
○「これ(内心の自由にまで立ち入って強制することがあってはならない)は学校教育におきましても国民一般の場合におきましても何ら異なるところはないものと思っておりますし、教育に当たる学校の教員が、憲法に保障された基本的人権であります内心の自由にまで立ち入って強制すると判断されるような教育活動を行ってはならない。こういう点につきましては、私ども、今後とも十分留意をして参りたいと思っております。」(御手洗政府委員一九九九・八・四文教委員会)
○その人に、本当に内心の自由で嫌だと言っていることを無理矢理する、口をこじ開けてでもやるとかよく話がありますが、それは、子どもたちに対しても教えていませんし、例えば教員に対しても無理矢理に口をこじあける、これは許されないと思います。(有馬文部大臣一九九九・八・四文教委員会)。

卒業証書
保護者からの申し出があれば西暦年号記載が可能
―卒業生の全保護者へ周知―

 卒業証書の生年月日や発行年月日の年号記載に当たり、元号で表記するか、西暦で表記するかに関し、墨田区・墨田区教委は基本的な方針を明らかにしています。
1.元号使用が原則
2.保護者からの申し出があれば西暦記載も可能
3.外国籍の子どもについては、生年月日、発行年月日、氏名の表記について確認し、保護者からの希望があれば、その意志を尊重する。
4.このことについて、卒業生の全保護者に周知する
 この方針は、思想信条の自由等の人権を尊重する立場、さまざまな価値観や文化を有する多様な人々と共生する墨田を築くという立場に基づいて明らかにされたものです。
 私たちは、区教委のこうした方針を評価し、児童・生徒や保護者に対応してきました。

人権尊重や国際理解は、
    具体的な実践が大切

 多くの小・中学校では、従来から各校毎にお知らせや保護者会などで、当該児童・生徒や保護者に「西暦記載も可能である」ことを知らせてきました。
 区教委は、定例校長会で「卒業証書の元号使用について」墨田区・区教委の基本的な考え(先記四点)を明かにしています。
 人権尊重や国際理解は、具体的な実践こそが大切です。「保護者への周知」がすべての学校でなされ、児童・生徒、保護者の意志を尊重されるとりくみを強めていきましょう。
教育基本法改悪に反対する声を大きくしよう
   ―二・一四集会への参加を呼びかけます―

 新聞報道によると、「政府・与党は九日、十日召集の通常国会への教育基本法改正案の提出を断念した。」(朝日新聞一月九日)とされています。今国会への提出は見送られるようですが、二〇〇五年には憲法改悪が明言されるように、政府・与党が教育基本法を改悪する意図と流れには変わりがありません。先送りしたに過ぎません。
 私たちは、昨年一月、江戸川船堀区民会館での学習会をはじめ、改悪反対のさまざまな集会や行動を起こしてきました。日教組も、全国五万ヶ所集会を呼びかけ、教育基本法反対の輪を広げていくことをめざしています。これに応じて、東京教組も。各単組・各ブロックでの教育基本法改悪反対集会を計画しています。私たちも、二月十四日、東部五単組主催で集会を開きます。
 参院選前に、この教育基本法改悪の危険な意図をできるだけ多くの人々と共有し、改悪法案の上程を許さないようにしなくてはなりません。
 教職員・教育関係者だけでなく、広く、保護者、市民、学生のみなさんにも呼びかけ、多数の参加により、集会を成功させるよう、取り組みを強めましょう。

 小泉首相は、二〇〇五年の改憲を、はばかることなく明言するようになりました。
 そして、昨年九月二六日、内閣改造後の所信表明演説で、「教育基本法の見直しについては、国民的な議論を踏まえ、精力的に取り組んでまいります。」と述べたのでした。
 「国民的な議論を踏まえ」とは、「中教審答申を踏襲して」ということになります。
 ついに、教育基本法改悪への明確な意思表示をしたのです。

 二〇〇三年三月二〇日、文部科学省の諮問機関である中央教育審議会が、教育基本法の改悪をもりこんだ最終答申を行いました。
 答申は、現在の子ども達をめぐるさまざまな問題の責任を、すべて教育基本法に押しつけました。
 そして、社会や国という「公共」を個人よりも優先させ、ことさらに「国を愛する心」とか「伝統、文化の尊重」を強調し、新しい理念として、教育基本法に明文化するよう提言したのでした。さらに、国家による教育行政の「不当な支配」を、国の責務として正当化することも提言したのでした。

 さらに、外交官二人が犠牲者になったにもかかわらず、昨年十二月九日、小泉首相はかたくなに自衛隊派遣に固執し、自衛隊派遣の概要を定めた基本計画を閣議決定しました。
 そして、ついに、本年一月九日、石破防衛庁長官は、陸上自衛隊の先遣隊と航空自衛隊の本隊に派遣命令を出しました。
この国は、「戦争ができる国」へむかって、まっしぐらにつきすすんでいます。教育基本法改悪のねらいは、「戦争ができる国」にするために、国民の意識を変容させることにあることは明らかです。
 決して座視することなどできません。

 教育基本法は、戦争への深い反省から生まれた平和憲法の理念を実現するために、英知を結集して制定されたものです。
 前文には、憲法の理想の実現は、「教育の力にまつべきものである」として、「ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する」と高らかに宣言しています。
 いま、まさに、民主教育が総決算されようとしています。
 私たちは、教育基本法改悪に反対します。

 教育基本法改悪に反対するすべてのみなさんが、二・一四集会に参加されることを願ってやみません。
 二・一四集会への、個人・団体での賛同と連帯を、心から強く訴えるものです。

二〇〇四年一月
  東京教組東部五単組
     (足立・江戸川・葛飾・江東・墨田)

昨年12月23日教基法改悪反対の全国集会は日比谷公会堂から溢れるほどの参加者があった。呼びかけ人の一人として挨拶する大内裕和さん



週刊墨教組 No.1430 2004.1.8

謹賀新年
反戦・反核・反差別・護憲


すみだ春秋 34

ねむるというのはね

 おじいちゃんになった小山さんが、生後八ヶ月の孫の子守りをしている。この孫は、祖父の隔世遺伝なのだか、嫌いなものは嫌いとはっきりと意思表示するという。どんなに美しい絵本を読んであげても、気に入らなければ、手で払いのける。
 おじいちゃんを支配し、王様のようにわがもの顔でふるまう彼が、きまって耳をすまして聴きいり、文庫本のページに印刷された文字をじっと見つめるという詩があるというのだ。

ねむるのは
ねむいから
おきるのは
ねむったから
(ねむるというのはね
こうしてよこになって
おはなしもしないで
ぐうぐうって
目をつむっていること
じゃちょっとねむってみるから
見ててごらん
・・・・・・・・・・・
見てた?

 辻征夫の「みずはつめたい」の最終第五連である。
 辻は、絶対にオンチではない。
 小山と辻は、共同/協同/響胴して、幼い身体に音楽を奏でた。
 祖父と孫との至福の黄金時間がゆったりと流れるなかで、辻も永遠を生きている。

 谷川俊太郎は、「辻さんの印象を一言で言うとすると、書いたものも人間もなんだけど、『エレガント』っていう言葉がすぐに浮かぶんですよ。」と語っている。
 父が娘に語りかける、さりげなく、自然で、やさしい言葉で書かれた「みずはつめたい」には、超絶技巧がほどこされている。四連目までも引用してみよう。

みずはつめたい
おゆはあつい
(きみがこないだ
お茶碗に手をつっこんで
わっと泣きだしたのは
あれがおゆだったからだ
あついというのは・・・・・
わかるだろ
ああいうこと

あれはあめ
あめはみず
(たしかに
雨は水だけど
雨のままではお風呂をわかしたり
洗濯したりはできないね
あの雨と このコップの水は
とてもとおく はなれている
川や 湖のはなしは
さらいねんあたり
してあげよう

とりはあそこ
ねこはそこ
(飛ぶというのはね
つっかえぼうがなくても
空にうかんで うごくこと
猫を二階の窓から
空にはなしてやっては
いけないよ

ごはんのご
はんぶんのはん
(だから ごはん って
いうわけではないよ
きみがまだあんまりちいさいから
たくさんはたべないだけ
それから 注意しますが
足をテーブルにのせるのはやめなさい
布巾をひとのお椀につっこむのも
やめなさい

 生まれかわり、死にかわりしていくいのち。ほんとうに、時の移ろいは残酷である。
 最新刊『詩の話をしよう』(ミッドナイト・プレス刊)の「あとがきにかえて」で、山本かずこは、つぎのようにしたためている。

 「病室に入ると、ちょうど下のお嬢さんの咲子さんがいらっしゃいました。一つしかないご自分の座っていられた椅子を私に譲ってくださり帰ってゆかれました。とても可愛らしいお嬢さんですね、と言うと、うんとただうなずかれていただけですが、辻さんの書かれるものの中から、どれだけ葉子さん、咲子さん、二人のお嬢さんを大切に育ててこられたかはわかります。」

      *

 清水哲男の第一句集『匙洗う人』(九一年刊)に、つぎの句がある。

  富田木歩 生涯歩むことなし
 墨堤のヘッドライトに木歩驅ける
 
 辻は、「枕橋を通って」というエッセイで、富田木歩について簡潔に記している。谷川が言う「エレガント」な散文。

 「枕橋を渡って旧水戸邸跡の公園の前に出ると、右に藤田東湖の立派な石碑、左に富田木歩終焉の地と書かれた棒杭を金属で覆ったようなものが寒々と立っている。」
「富田木歩こそは明治三十年向島小梅町に生まれ、そしてここ枕橋のたもとの墨堤で死んだ才能豊かな俳人である。二歳の頃から足が萎え、生涯歩けなかったため就学の経験が無く、文字は学校ごっこやめんこで覚えたという。」
 「ともあれ小梅町に生まれた木歩はその後、玉の井、向島須崎町などに住みながら俳句を作り、大正十二年九月一日、関東大震災のために二十七歳でここで死んだのである。ここまでは当時住んでいた須崎町の家から、芸妓をしていた妹やその朋輩に助けられ、途中からは後の木歩全集の編者である新井声風に背負われて来た。あとは泳いで対岸に渡るほかないが、自力では歩けない木歩は川の岸に坐ったまま炎にまかれて死んだ。
 先に私は隅田川は西から東に渡るものと書いたが、私が渡って行くと枕橋には、生涯川を渡らなかった木歩がいて、西の方浅草の町並みと川の流れを見ている。」
 「ひとまず、大正八年富田木歩二十二歳のときの『墨堤眺望二句』などを口ずさんで往時を偲びながら、桜橋の方へ行ってみよう。

 時雨るゝや堤ゆきかふ荷馬車の灯
 土手越しの帰帆見てをる時雨かな」

     *

 『余白句会』の連衆の一人、八木幹夫(俳号「山羊」)が詩集『夏空、そこへ着くまで』(二〇〇二年)を編み、「冬の月」で、つぎのようにうたっている。

いま船出する 酔いどれ船の
船長は 満身創痍のつじゆきお
舵をとるのはおまかせを
ぼくらがお供いたしましょう
ヨイトセ ヨイトセ

 また、清水哲男(俳号「赤帆」)の句集『打つや太鼓』(二〇〇三年)は、つぎの句をもって畢っている。

   追想・辻征夫
征夫忌や詩の如き雪なきにしもあらず



週刊墨教組 No.1429     2003.12.17

義務教育国庫負担制度を崩壊させるな!
 政府は、六月に「骨太方針二〇〇三」を策定し、義務教育国庫負担制度の大幅な見直しを提示しました。これに対し、日教組は、義務教育国庫負担制度堅持を求め、文科省・総務省・財務省等との折衝、全国知事会、市町村会、日本PTA全国協議会等要請、政党、国会議員対策を展開してきました。一二月一〇日、政府与党間でこの問題について一定の決着が図られ、その内容が、今後二〇〇四年度予算編成の中で具体化されることになりました。

義務教育国庫負担制度
 義務教育費は無償の原則にのっとり、国民のすべてに対しその妥当な規模と内容を保障するため、国が必要な経費を負担することで、教育行政機関の最大の責務である学校教育の「外的事項」(施設・設備・備品、教材充実、教職員配置等)の充実・保障をめざす制度です。学校教育のハード部分を全国的に格差ないものとすることをめざす意味で、憲法が保障する「教育の機会均等」原則を実現する制度のひとつといえます。この制度により、国が国市町村立学校の教職員の給与等の半額を負担することになっています。

教育論の立場からは、制度堅持は当然
 「骨太方針二〇〇三」で、〇六年度までの三年間で、四兆円程度の国庫補助負担金の削減が提起されています。義務教育費国庫負担金は、二兆八千万円に上り、削減の対象になっています。「三位一体改革」の議論の中で、義務教育国庫負担制度の一般財源化・交付金化が論議されています。一般財源化は、使途が限定されないから、どう使うかは地方自治体の裁量にまかされます。また、交付金化では、算定方法の問題や奨励的補助金という性格から絶えず減額対象になり安定したものにはなりません。政府は、〇六年度までに、何らかな決着をつける方針です。
 財政基盤が確立しないと、学校教育水準の維持向上ができなくなることから、学校の設置者である市町村段階では、過半数を越える一七九六議会が、制度堅持の意見書を政府に提出しています。また市町村教育委員会も約九〇%が現行の義務教育費国庫負担制度が必要としています。教育論の立場から当然のことです。

今回も、「事務職員の制度からの除外」が攻防
 学校教育法の制定とともに、学校に配置された事務職員は、子どもたちの教育条件整備全般を担い、私たちの給与事務を行い、教育を支えてきました。文科省は、事務職員を「基幹的職員」と位置付けています。しかし、一九八四年旧大蔵省から「義務教育国庫負担制度から事務職員・栄養職員を除外する」提案がなされて以降、毎年、事務職員の適用堅持が重要な課題になっています。今回、政府与党間の決着の中では、政府福田官房長官から提案のあった、「〇五年度に向けて事務職員の一般財源化を図るよう結論を得る」ことは、削除されました。一方、退職手当・児童手当(計約二三〇〇億円)については、〇四年度から一般財源化されることが盛り込まれています。

義務教育国庫負担制度の堅持
 〇四年四月から、国立大学が法人化されることに伴い、「給与の国準拠制度」が廃止になります。教員の給与決定に関し、各都道府県の裁量が拡大されことが懸念されます。都は、@職務の分化を考慮した職級構成、A給与水準、B校種別給料表を見直しを含め検討することを明らかにしています。義務教育国庫負担制度堅持の課題は、教職員の給与、教職員配置に大きく影響することになります。来年度は、義務教育国庫負担金については、教職員給与本体しか残っておらず、〇五年度予算編成において、まさに帰趨を決することになります。  

 2004年
子どもの権利条約カレンダー
月毎に世界各国の子どもの絵
墨田教組名入り
電話・ファックス番号入り

分会に1部ずつお届けします。
分会で活用してください。
なお、ご希望の方には一部千円でお分けします。



校内残存アスベストの早期、完全撤去を

 区教委は、十二月十二日付で、アスベストが含まれているPタイルを使用している学校名と、場所などを公表し(資料2)、剥がれた際の対応等について通知(資料1)しました。
 アスベストを吸うと、「じん肺、肺癌、悪性中皮腫」等を発病することが指摘されています。吸ってから一五年から四〇年経って発病することから、アスベストのことを「静かな時限爆弾」とも言われています。
 アスベストを含んでいるPタイルが破損すれば、アスベストが飛散し、浮遊し、子どもや教職員が吸引する恐れが生じます。
 破損したPタイルの扱いは、通知にあるように厳正に行われなければなりません。
 また、この通知では「全ての施設の床改修が完了するまでには時間を要する」とするだけで、Pタイルを撤去する予定についてはまったくふれていません。剥がれると危険なものが校内にあることは、これまでもそうであったように、剥がれたり割れたりする可能性があるということです。
 子ども達や私たちの健康を守る上でも、このような危険な状態をなくすため、アスベストが含まれているPタイルを、早急に、完全に撤去すべきです。

資料 区教委よりの通知

                                  事務連絡

平成15年12月12日

各学校(園)長様

墨田区教育委員会事務局

庶務課長 横山 信雄

区内学校(園)施設におけるビニル床タイルの取り扱いについて(通知)

 この度、ビニル床タイル(以下「Pタイル」という)のアスベストの含有調査について、別紙のとおり結果が出ましたので、お知らせいたします。

 今回の調査によりPタイルにアスベストが含まれていることが判明した施設については、床の劣化状況、改修規模等を考慮したうえで、計画的に床の改修を実施していきたいと考えております。

 しかしながら、すべての施設の床改修が完了するまでには時間を要することから、それまでの対処方法を下記のとおりとしますので、ご協力方よろしくお願いいたします。

                記

1 Pタイルにアスベストが含まれていた学校の対処方法

 アスベストの飛散を防止するため、次の事項を厳守願います。なお、通常の使用でアスベストが飛散することはありません。

(1)Pタイルを無理やり剥がさないこと

(2)自然に剥がれたPタイルについても、破砕、切断等しないこと

(3)Pタイルが剥がれた箇所は、アスベストが含まれていない昭和61年以降に製造されたPタイルを使用して補修すること

   また、一部が欠けている場合は、新しいPタイルを欠けた部分に合わせて加工して補修すること

(4)剥がれたPタイルについては、二重のビニル袋に入れて密封し、倉庫等に保管しておくこと

(5)保管されているPタイルについては、庶務課施設担当で処分を行う

2 Pタイルにアスベストが含まれていない学校の対処方法

 調査結果に校名の無い学校については、アスベスト含有のPタイルは使用されていませんでした。

 なお、昭和61年以降に製造されたPタイル(アスベストが含まれていない)を使用して、補修することが可能です。

※ 以下 「アスベストとは」と説明 略


調査結果 小学校14校、中学校5校、幼稚園1園で、アスベストの含有が認められた。

小学校
学校名 建設年度(昭和) Pタイル/u 主な場所
中和小学校 47 1,100 廊下、階段、特別教室、倉庫
小梅小学校 47 710 廊下、階段、特別教室、倉庫
業平小学校 52 350 準備室、倉庫
両国小学校 48 1,840 廊下、階段、特別教室、倉庫
横川小学校 48 1,800 廊下、階段、特別教室、倉庫
第三吾嬬小学校 42 1,250 廊下、階段、管理諸室、特別教室
第四吾嬬小学校 31 21 倉庫
第二寺島小学校 44 1,060 廊下、階段、特別教室、管理諸室
第三寺島小学校 48 2,240 廊下、階段、特別教室、管理諸室
隅田小学校 53 240 倉庫、準備室
隅田第二小学校 32 580 廊下、特別教室、管理諸室、倉庫
曳舟小学校 41 95 倉庫
梅若小学校 43 1,780 廊下、階段、特別教室、倉庫
東吾嬬小学校 42 1,080 廊下、階段、特別教室、倉庫
合計 14,146   小学校合計  14校
中学校
墨田中学校 50 290 準備室、倉庫
両国中学校 47 750 特別教室
竪川中学校 48 2,500 廊下、階段、特別教室、倉庫
吾嬬第一中学校 34 1,000 廊下、階段、準備室、倉庫
向島中学校 37 280 特別教室、準備室
合計 4,820   中学校合計  5校
幼稚園
曳舟幼稚園 47 8 管理諸室
合計 8   幼稚園合計  1園




週刊墨教組 No.1428     2003.12.4
イラクに出兵してはいけない!
 『自衛隊のイラク派兵反対! いま地域からなにができるのか十二・三東京東部集会』が、六時三十分から、曳舟文化センターで開催されました。
 集会は、絶対に派兵を許さない参加者の熱気がみなぎっていました。
 集会では、墨田教組が、イラク派兵とも深く連動する、教育基本法改悪阻止のための緊急アピールを行いました。

かたくなに自衛隊派遣
 ついに痛ましい犠牲者がでてしまいました。
 二九日午前十一時(日本時間同日午後五時)、イラク北部ティクリート近郊で、日本人外交官二人が亡くなりました。
 無責任なコイズミは、この期に及んでも、「テロに屈してはならない。自衛隊、文民、政府職員、やるべきことはやると表明している姿勢に変わりはない」と、かたくなに自衛隊派遣に固執しています。
国会審議で、戦闘地域と非戦闘地域の区別すらなおざりにして説明責任を果たさず、居直ったコイズミは、現実の戦場について、全くわきまえていません。

戦場とは
 元防衛庁局長の小池清彦新潟加茂市長は、激しい怒りをこめて、コイズミをさとすように、つぎのように述べています。(十一月三〇日朝日新聞朝刊)
「イラク特措法は正規軍の戦いだけを戦闘行為と定義した。ゲリラ戦が戦闘行為でないならば、イラク全土が非戦闘地域になる。この定義は戦時国際法上の概念と全く異なる。現代の戦争の多くは不正規軍とのゲリラ戦だ。特措法の論理だと、世界中の戦場に自衛隊の派遣ができるようになる。同法自体が違憲のゆえんだ。」
 そして、また、つぎのようにも述べています。
「イラクは今、かつてのベトナムのように泥沼化し、本格的なゲリラ戦になっている。安全な地域などはなく、武装部隊である自衛隊を派遣すれば、そこが狙われ新たな戦場になる。したがって自衛隊の派遣は必然的に「海外派兵」となり、憲法違反となる。」

殺すかもしれない
 イラク戦争とは、殺し屋ブッシュの軍事侵略にほかなりません。もとより歓迎されなかったアメリカ軍による不当につづく占領に、イラク民衆が不満をつのらせ、必死で抵抗しているのが実情ではないでしょうか。
 鋭い抵抗にあい、アメリカ兵の死傷者は増加の一途をたどっています。
 アメリカのブッシュ政権の基盤を揺るがしかねません。
 そんな愚劣で根拠の全くないブッシュの戦争の道連れになる理由などないのです。情けなくなるほどどこまでもブッシュについていくコイズミ。
 イラク民衆は、アメリカ兵と行動をともにする軍服の自衛隊を敵としてみなすことになるでしょう。
 自衛隊は殺されるかもしれないし、攻撃されれば殺すかもしれない。そこは、ゲリラ戦が激しくたたかわれる戦場にほかならないのです。

出兵してはいけない
 イラクはもとより、中東の人々は、日本に対して、厚い信用と親愛の感情を持っていたといわれています。
 コイズミのイラク攻撃支持表明により、情況は一変してしまったのです。占領軍側の一員とみなされた日本。
 二人の外交官の死も、そのような文脈の中で起こったのです。
 さらに、派兵すれば、長い間培ってきた関係が一瞬にして崩壊してしまいます。のみならず、痛苦の記憶として、それぞれに深い歴史の傷として残ることになるでしょう。
 文民統制の責任者として、全く人命の軽重をわきまえないコイズミに、この国の命運を委ねることなどできません。
 自衛隊は、絶対に出兵してはいけない。

なぜ、そこまで強制するのか・・・
「日の丸・君が代」学習会
12月11日(木)午後6時30分〜午後8時30分
日本教育会館  701会議室

東西線九段駅 三田線神保町駅 半蔵門線神保町駅

講師 西原博史さん(早稲田大学社会科学部教授)
東京都教育委員会は十月二十三日、「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」を決定し、都立学校に対して通達を出し、区市長村教育委員会へも通知をしました。
今回の「実施指針」は、入学式、卒業式の内容・形式を一律に定め、職務命令により各学校に押し付けるものです。
これは、教育基本法第一〇条が禁じた教育行政の介入に他なりません。また、「君が代」については、「起立」と「斉唱」を強制することは、憲法で保障された思想・良心の自由を踏みにじるものです。このように法的にも疑義のある「実施指針」について、憲法との関係・法的問題点等を学ぶ学習会が、東京教組と東京平和運動センターの共催で開かれます。

はじける芽(123 )広島の被爆者Fさんの体験を聞き書きするー2ー
子どもたち(四年)の作文の一部より
  被ばく前のFさん
  Fさんは学校の近所で『スーパーフクチ』というだがし屋のような、スーパーをやっています。去年の秋、たまたま私たちのたんにんの榎本先生と、Fさんが知り合ったのです。Fさんは、広島でばくしん地から八百メートルで、原ばくを体験した方なのです。今年七十二才です。原ばくがおちた日は、去年話していただきました。そこで今回は、十月二十八日に前半として、だんだん物が配給になる時代の事を中心に話していただく事になっていました。十一月八日は後半として、原ばく体験後の苦労を中心に話していただく事になっていました。Fさんにお話をお聞きする内容のプリントが、榎本先生から配られました。私たちは自ら考えたしつ問を書きこみ、Fさんのお話を聞くじゅんびをしていました。
「男は長男でしょう、二男、で私が三男・・・。女は姉が一人と、下ですが妹が一人・ ・・えー、七人家族でした。」
と、はじめは家族のことでした。
「家は二階家で、父は写真の仕事をしていました。」
などと語ってくれました。《途中略》
なぜみとめない?
 Fさんはばく心地から八百メートルで、原ばくを体験したのに、日本政府はひばく者にみとめていません。みとめられないので、Fさんは今、さいばんをおこしています。Fさんのほかにも、みとめてもらえない人がたくさんいます。Fさんのお母さんは、発火する前にけむりをみたと言っていました。そのお母さんは何年か前に亡くなりました。私はなぜFさんたちがひばく者にみとめられないのか、わかりません。私はFさんたちが、早くひばく者としてみとめてほしいです。榎本先生にすすめられて『わたくしたちのけん法』という本で、十一条と二十五条を調べました。十一条は『きほんてき人けんというものは、国民のだれもが持っているものであるから、このけん法はどこまでもそれを守り続ける。』と、かいせつが書いてありました。二十五条は、『わたくしたちは、人間だから、人間らしい生活をするけんりを持っている。だから国としてはそれができるように、いろいろと、ほねおらなければならない。』とかいせつされていました。そこで、Fさんたちが、ひばく者にみとめられないのがおかしくなります。それは多分、日本政府がお金を出して、医りょう費などを出すのがいやだからだと思います。Fさんたちは正しいので、さいばんをがんばってほしいです。まちがっている国の言い分に、ちがうと言ってほしいです。みとめられるように、がんばって下さい。

  軍事教練
 プリン山の近くにある、スーパーFの所で住んでいる、Fさんが学校に来て戦争の事を三年生の時に、話してくれました。もう一度、話してくれることになりました。今度は、原ばくに受ける前のことと、受けた後のことを話してくれました。
 昔は、広島の広島市に住んでいました。原爆にあう前は、父・母・兄が二人・妹で住んでいました。
 学校に入学してから、昼は、なにも食べていませんでした。ぼくが、びっくりしたことは軍事教練です。わらの人形を、鉄砲に付いている針のようなもので刺してたりしてました。さらには、女の子も竹の先をとがらせた、ナギナタを練習していました。僕は、
(どうして女の子も、やるんだろう?戦争に行かないんだし。)
と思いました。榎本先生に聞いたら、
「戦争でアメリカが上陸したら殺される、と思って練習していた。」
と言いました。

  満州国        
 日本は中国をせめて、満州を日本の土地にしてしまいました。日本の本土に、すんでいた農家の人が、満州国にかせぎに行きました。ぼくは、
(中国の人は土地をとられて、だいじょうぶかな。)
と思いました。それに家とかとられてしまったのです。
 Fさんは学校で得意なものは、ありませんでした。ぼくは、
(軍事教練の、時間とかは、わら人形にじゅうでさしにいくからな。)
と思いました。人を殺すのはいやだ。戦争中は、生活がふべんで大へんでした。戦争中の生活は残こくです。 

 死んでもじごく、生きるもじごく
 「今も月曜と金曜に、病院に行って、ちゅうしゃのちりょうをしています。」
と言いました。僕は、
(このことをしつもんしてみようかな。)
と思いました。少し考えてから、手をバッとあげました。榎本先生が、
「はい、Sくん。」
と言いました。僕は、きんちょうしたので、少し早口で、
「うーんと、今、『月曜と、金曜に、病院に行ってる。』って言ってたんですけど、ちゅうしゃいがいに、どんなちりょうをしてるんですか。」
と聞きました。Fさんは、
「ほかのちりょうって、血えきのけんさをしてます。原爆で、けっしょうばんがこわれちゃって、血が止まりにくい体になってしまいました。」
と言いました。Fさんの血が全部出ちゃうと死んでしまうので、転んで血が出たら、早く手当てしないといけません。僕は、
(原爆は、死んでもじごくなんだけど、生きるもじごくなんだなー。)
と思いました。

 忘れてはいけない出来事
 これは、ぐうぜんにFさんに会えたから聞けたことなのです。このお話は、うそのようで、本当にあったお話です。 
(二度と、このような悲げきを起こしたくない。)
と思いました。
それから数日後、先生が、  
「その当時の、『先生』が、戦争はいいことと、教育していたんです。『日本は負けない 神の国なんだ。』と、教科書にも書いてあったんです。そうやって教育していたんです。」
と言っていました。私は、 
(関係ない人まで殺して、何になるのか?)
と思いました。広島の原子ばくだんで、二十四万人の人が亡くなりました。長崎でも、七万人が、亡くなりました。そのようにするには、どうしたらいいか、家族で考えたいです。今度は私達が、語りついで行く番なのかもしれません。

 最後にAちゃんのお父さんが、     
「もう、戦争が終わるにはどうしたらいいんですか?」
と聞きました。Fさんは、
「まず話し合う事ですね。それから、武器をもたない事ですね。」
と、言いました。Aちゃんのお父さんは、首をたてにふっていました。もう戦争をしてほしくありません。
「わたくしたちの憲法」の第二章の第九条では、こう書かれています。「第九条、わたくしたちはまごころから、世界の平和を、のぞんでいる。それにはどうしても、戦争をやめなければならない。だから、わたくしたちは、どんなことがあっても、いつになってもよその国を軍隊の力でおどかしたり、戦争をしたりすることは、いっさいやらないことを決心した。そして、それを実行するために、わたくしたちは、日本の国を、軍隊をもたない国にするのである。」
と書いてあります。私は、
(もっと早くきづいてくれれば、よかったのに。)


週刊墨教組 No.1427     2003.12.1

「労使自主解決」を前提に「労使の信頼関係の維持」、
 「成績主義」強化にあくまで反対する!
 ギリギリの到達点で二〇〇三賃金確定闘争終結

 二〇〇三賃金確定闘争は、「都当局に労使合意を遵守させる」こと、「給与関係費の削減と成績主義の強化」にあくまでも反対し、生活を防衛する闘いとしてとりくみ、ギリギリの到達点で妥結しました。

 労使合意の遵守
 労使交渉では、労使双方が「合意」を遵守することは当然のことです。しかし、「給与条例の改定は議会の権能」と主張し、都議会自民党等が、労使交渉に圧力をかけ、当然であるべき「労使合意の遵守」を反故にさせようとしています。こうした中で、「給与削減措置の三月終了」を都当局に決断させたことは、今後の賃金闘争にとっても大いに意味あることです。これで、四年わたって実施されてきた時限的給与削減措置に「けじめ」をつけさせることになります。今後、都議会の動向に注視し、「労使合意」の尊重とその具体化に向け、とりくみを引き続き強化していかなければなりません。

 「成績主義」に反対する
・退職手当
 都当局は、成績主義の視点から「退職手当制度のあり方」を検討することを主張しました。具体的には、年功的要素を縮小し、「算定基礎、過去の職責、業績・貢献度、役職間の格差などの導入」=「成績主義」です。さらに、国が支給率を削減(最高は五九・二八月)したこと受け、支給率・支給率カーブの見直しを主張しました。退職手当の見直しは、「退職後の生活設計」の破壊につながることから、都の提案の撤回を求めてギリギリの交渉が行われました。名誉昇給の対象から定年退職が削除されたものの、制度の骨格において成績主義を導入することを阻止することができました。しかし支給率・支給率カーブにおいて一定の譲歩を余儀なくされました。(表参照)
・人事考課制度
 組合は、人事考課制度の改善を強く要求してきました。人材効果制度の目的は人材育成と都当局は述べています。しかし、人事考課の基になる業績評価が本人に開示されず、不透明であり、信頼性に乏しく、人材育成にどれだけの効果があるのかも検証されていません。来年度から、定期昇給にも成績主義が導入されます(教員は二〇〇五年度から)。組合の要求に対し、「@改めて人事考課制度検討会を設置、A定期昇給が延伸される場合、本人開示に近い告知など、十分な説明やフォローアップを適切に実施」の二点を回答しました。今後具体的な運用について「成績主義」による管理強化に反対する立場から交渉が行われます。
・特昇・加算制度
 現在教員には経年十二年以上五%、三〇年以上一〇%で一時金に加算されています。しかし主幹職が設置されたことから、現行の経年による加算を改悪することを提案してきました。今回は断念させることができましたが、今後警戒が必要です。
 「表彰時特昇」は都二十五年勤続後に、特昇六月を該当させるものです。成績主義の視点から、この特昇の廃止を都は主張してきましたが、引き続き協議としました。

資料


はじける芽(122 )

十二月の指導題目
 地域の人から値打ちある昔の出来事を、
     じっくりていねいに聞き、それをまとめてみよう。
 広島の被爆者Fさんの体験を聞き書きするー1ー

一年前のはじける芽113号で、広島の被爆者のFさんの聞き書きをして、それをまとめた作品を紹介した。今回は、被爆前の少年時代からの話から、被爆後の今に至るまでの生活の語っていただき、それを聞き書き作文にまとめてみた。

戦争前の話を聞いて
 四年  
 十月二十八日(火)に、スーパーFで働いているFさんが来てくれました。そのスーパーの人とは戦争中に広島の原ばくを体験された、Fさんという人です。それで、十月二十八日に戦争前の話をしに、わざわざお店を休み、四年一組の教室まで来てくれました。   (途中略)
Fさんの家族
 Fさんが、
「おじさんの家族は、お姉さん、長男、次男、それでおじさんが三男で、その下に妹がいました。お父さん、お母さんがいて、七人家族でした。」 
と言いました。私は、
(昔は家族が多いと言うけど本当だな〜。)
と思いました。
「なぜ子供が多いかというと、この時代は、『子供をたくさん生みなさい!』と国がどんどんすすめていたのです。男の子は大きくなると兵隊にできるからなのです。」
と担任の榎本先生が教えてくれました。
小学校の教育        
 色々とお話が終わり、しつもんの時がきました。誰かが質問しました。
「教科は何があったんですか?」
と聞きました。Fさんが、
「よみ方、つづり方(国語)算じゅつ(算数)理科、しゅうしん、体育。」
と言っていました。だれかが、
「体育は、どういうことをしていたんですか?」
と聞いていました。Fさんが、
「体育ではマラソンをしていました。ボールを使う事はありませんでした。」
と言いました。福地さんが、
「学校に行く時と、帰る時『けいれい』といって天皇へいかの写真に、おじぎをしないといけないからみんな、おじぎをしていました。」
と言いました。敬礼とは、天皇へいかをうやまう気持ちで、礼する事です。私は、
(小学生が敬礼するのは、天皇へいかが神様だったから。)
と思いました。
中学校時代の教育
 Fさんが、
「わら人形で、人を殺す練習をしたりしました。その授業が一番やだったです。週に 三時間ぐらい。」
と笑いながら言いました。私は、
(週に三時間か〜。)
と思いました。Fさんが、
「中学の時は、カーキ色の服を着て授業をしていたんですよ。」
と言いました。私は、
(『一つの花』にも出てきたけど、カーキ色の服とは戦争にいく兵隊さんが着ているようふく《軍服》だな〜。)
と思いました。(途中略)
Fさんが、
「しょうらいは、兵隊さんになりたかった。」
と言っていました。私は、
(何でかなぁ。)
と思いました。少しして私がまた、質問しました。
「わら人形で人を殺す練習で、教えてくれている先生がいると思うんですけど、きびしかったんですか?」
と聞きました。Fさんが、
「きびしいのが、あたりまえだから。」
と言いました。それに続けて榎本先生が、
「どのくらいきびしかったんですか?」
と聞いていました。Fさんが、
「さぼったりすると、みんな一列になってぶんなぐられます。」
と言っていました。私は、
(一人さぼると、みんななぐられるなんて。)
と思いました。
 六時間目の終わりのチャイムがなり、榎本先生が、
「今度は、戦争後の話をしていただきます。」
と言いました。私たちは、Fさんに、
「さようなら。」
と言い帰りました。今度は戦争後の話をしに来てくれます。  (途中略)
一キロ以内で生きているFさん
 Fさんが、
「この辺で、原ばくから一キロいないで生きている人は、いないと思います。それはおじさんもびっくりしてます。」
と言っていました。福地さんは、原ばくが落ちた所からから八百メートルの所に住んでいました。私は、
(そうだよな〜。すごいよな〜。福地さん。)
と思いました。私は、
(私だったらどうなっているのかな〜。こわいな〜。)
と思いました。
原ばくが落ちた後
 Fさんは、広島の町中へ逃げて行きました。そのと中、亡くなっている人や、皮ふがなく肉が見えている人を見ました。私は、
(そういう人を見てどう思ったのかな〜。)
と思いました。そのときFさんのお母さんは、病気になってしまいました。Fさんのうちは二階建てだったので、お母さんを二階にあげて、
(ねかせてあげよう。)
と思いました。Fさんが、
「お母さんを二階で、《ねかせてあげよう。》と思ったんですが、おじさんもげがをしていたんで、一人では無理なのでまわりの人に、手伝ってもらいました。」
と言っていました。私は、
(大変だったんだな〜。)
と思いました。    (途中略) 
最後に、
 私は、げんばくはおそろしいと、ただいっていただけでした。だけど、Fさんに出会って、おそろしさがわかりました。今、アルカイダの人が、「日本せいふが、イラクに自えいたいをはけんしたら、東京あたりに『テロをする!』」と言っているけど、私は、
(なにをかんがえているのかな〜。)
と思いました。
 Fさん、色々話してくれてありがとうございました。 


週刊墨教組 速報版  2003.11.18

怒れ!
 ハタラケド、ハタラケド
収入はダウンスル

             十一・十八統一行動は 中止
マイナス勧告二〇〇四年一月実施、
労使合意を遵守し、給与削減措置は三月で終了
一月〜三月までダブル削減
「所要の調整」、六月・十二月特別給分について実施
年末一時金二・一月分 十二月一〇日に支給(条例通り)
退職手当削減、当初提案を部分的に押し返す、二〇〇四年四月一日実施
交通費 六箇月定期分で支給


 二〇〇三年度の賃金確定闘争は、四〇〇〇人の定数削減、退職手当制度の見直しなど給与関係費で五〇〇億円の削減含む第二次財政再建推進プランに固執する都当局と都労連との鍔ぜり合いの中で、きわめて難航しました。都労連は、@昨年の労使合意に基づく給与二%削減装置の三月終了、A受けとってもいない給与と比較された結果のマイナス勧告と二%削減のダブル削減、「所要の調整」阻止、B退職手当見直し提案の撤回、C開示・苦情処理の保障を含む人事制度改善要求の実現をもとめ交渉を強化してきました。交渉はきわめて難航しましたが、都労連委員長と副知事が事態打開のため、労使の信頼関係を前提に解決することで合意に達し、十八日未明に団体交渉が行われ妥結しました。
 都側の最終回答骨子は次の通りです。
・人事委勧告は二〇〇四年一月から新給料表で実施
 扶養手当の五〇〇円削減は二〇〇四年一月から実施 
・給与削減二%は三月で終了、
・「所要の調整」は特別給分についてのみ、国に準拠した方式で実施、三月期末手当で調整。
・年末一時金、条例どおり二・一月分、十二月一〇日に支給
・期末手当、五年連続削減
 三月期末手当で調整(〇・五〇月→〇・二五月
   結果、年間一時金合計は四・六五月→ 四・四〇月分)
・退職手当削減強行、二〇〇四年四月一日実施
 最高支給月数五九・二月(国は五九・二八月)、
 支給割合の改悪、名誉昇給から除外
・人事考課制度については、二〇〇四年度に改めて、人事考課制度検討会を開催する
・交通費六箇月定期券分で支給

給与削減措置三月で終了、一月から新給料表を実施
 労使の信頼関係に基づき、昨年の労使合意を尊重し、二%給与削減措置は三月で終了することになりました。しかし、マイナス勧告の新給料表が一月からの実施になることから、一月〜三月まではダブル削減(マイナス〇・八〇%、教員は一・一%減と二%カット)になります。また、四月から十二月までのベースダウン分、いわゆる「所要の調整」は、特別給分についてのみ実施。具体的には、六月・十二月に支給した特別給に格差率〇・八%を乗じた額の合計額を、来年三月に支給する期末手当から減じ、調整する。都労連は、都議会の介入を排し、労働条件はあくまでも労使合意で決着させることを重視し、不満な内容ですが妥結することにしました。

退職手当削減と特別昇給の見直し
 都は退職手当の削減に終始固執しました。部分的に当初提案を押し返すことはできましたが、支給最高月数が現行六二・七月→五九・二月に減額、支給割合が改悪されます。しかし、実施時期を、当初一月実施を四月実施に変更させました。経過措置として、二〇〇四年四月一日〜二〇〇五年三月三一日までは1/2削減とし、二〇〇五年四月一日から本則が適用されることになります。
 退職手当見直しに関し、特別昇給の見直しが提案されていました。従来、定年退職されたすべての人が名誉昇給として、二号昇給していました。しかし、今回、名誉昇給の対象者から定年退職を削除、実施も二〇〇五年一月一日実施と改悪されます。表彰時特昇については、引き続き協議事項にさせました。
 詳しくは、十一月二一日(金)開催の分会長会で報告いたします。



退職手当は賃金の一部!
勝手な削減は許せない!

 



週刊墨教組 No.1426  2003.11.12

二〇〇三賃金確定闘争
山場は、十一月十八日(火)統一行動(早朝二九分行動)
  給与のW削減、減額調整を許すな!
  退職手当削減提案の白紙撤回
  能力業績主義による人事給与制度改悪を許さず
断固たる闘いを!


 今年度の賃金確定闘争・交渉山場を迎えつつあります。
 都労連は十一月十八日(火)に早朝二時間ストを配置し、交渉を強化しています。
東京教組も都労連に連帯し、共同行動として十一月十八日(火)早朝二九分を構えて闘うことを決定しました。 

九八%の高率で批准成立
 この決定についての批准投票を一〇月二七日〜三一日に実施しました。
その結果
 墨田で九八・七五%、
 東京教組全体で八一・五四%
という高率(いずれも構成員比)で批准が成立しています。

労働条件の悪化を認めることは
できない
 労働組合は、第一義的には労働条件の向上のために団結し、闘う組織です。二〇〇三年賃金確定闘争は厳しい状況にあります。労使交渉に都議会が介入することを避けるために、交渉は難航していると思われます。一〇月一七日、「第二次財政再建プラン」が発表され、四〇〇〇人の定数削減、給与関係費で五〇〇億円の削減等がその具体案にふくまれています。昨年、苦汁の選択として、三月までの二%の賃金カットに合意しました。労使合意を遵守することは当然のことです。しかし、今、都当局はこの給与カット措置を三月で終了させると明言していません。さらに退職手当の削減をも提案してきました。一時金の削減、給与のダブル削減、減額調整を含め、こうした労働条件・生活条件悪化そのものを私たちは黙って認めることはできません。


森山サ牧師を悼んで

非暴力の静かな闘士
 本所緑星教会の森山サ牧師が、十一月七日に亡くなられました。
 告別式の感話で、須賀誠二牧師(東京愛隣教会)は、つぎのように語られました。

 「日本キリスト教団の戦争責任の告知(一九六七年)を重く受け止め、靖国神社国営化、靖国神社公式参拝、元号法制化、天皇の即位の礼・大嘗祭反対の運動を宣教の課題として渾身の力を込めて担い、闘いの最中に召される。
 特に、最近では一九九九年に成立した、日本が戦争のできる国になる、「周辺事態法」に反対し、その年には連日のように国会前に座り込みを行い、体力をひどく消耗する。その頃から無理をすると息切れがするというようになり、体力の衰えをひそかに訴えておられた。今年春先を過ぎた頃、喉の変調に気づき、喉頭癌と判明する。しかし、治るとの確信を持ち、闘病に努める。教会を退任しても、教職を引退せず、靖国運動は続ける考えでおられた。」

 森山さんは、一身に、靖国国営化阻止運動をにないつづけられました。斃れても已めとしませんでした。
 森山さんの、清風のようなたたずまいの底には、なしくずしに戦争へすすむ時代への、剛直な洞察力がたぎっていました。
 暴力に抗う、筋金入りの非暴力の静かなる闘士。
 かけがえのない人の志気は、残された者が受け継がなければなりません。

この人を見よ
 一九八九年一月七日、前天皇裕仁が死去しました。
 葬儀の前日、森山さんは、墨田抗議集会で「大喪」や「大嘗祭」の問題点について鋭く批判しています。
 葬儀の当日、「二・二四『大喪の礼』に抗議する東京集会」が行われました。とりわけ、山谷争議団からの発言に胸をつかれました。
「最高の医療を受ける老人もいれば、路上で野垂れ死にする老人もいる。」
 集会後のデモで、墨田教組の隊列の前は、山谷争議団の人たちでした。私服に向ける眼差しにも、差別の根源を見抜く威厳がありました。
 不意に、そんなことが思い出されたのは、記帳しようとすると、「山谷争議団」とあったからです。

 告別式で歌われた「賛美歌一二一」の一節。

食するひまも  うちわすれて、
しいたげられし  ひとをたずね、
友なきものの  友となりて、
こころをくだきし 

この人を見よ。

第5回分会長会
11月21日金曜日
5時30分より
分会長会を行います。時刻に間に合うよう、タクシーなど使ってお集まりください。



はじける芽( 121)
十一月の指導題目
  私のであった子どもたち
    その時々の私を、どう見ていたか。  (その二)

榎本先生の洋服破れてる  
      墨田区小学校 三年        現在二十一才
水色の洋服をきてきた榎本先生。
授業中のお話をした。
その時右手をあげた。
私は、水色の洋服がやぶけていることがわかった。
だれかが笑って、
「あっ、榎本先生のようふくやぶけてる。」
と言った。
わきのところが破けていた。
榎本先生は、はずかしそうに、
左手で右のわきをおさえた。
右手でチョークを持って、
黒板に字を書き始めた。
おくさんいるんでしょう。
ちゃんとぬってもらいなね。
  一九九一年作
     何でも言えるクラスになる条件は、子どもからも教師からも、お互いに言えることだ。

ぼくのすきな榎本先生
   墨田区小学校 二年  現在十六才
榎本先生は、
ひげがはえているりっぱな先生です。
じゅぎょうがはじまるときに、
「はーい。じゅぎょうですよ。」
というところが、
ぼくは、すきです。
        一九九五年作
   この学校で教えた最後の子どもたちだった。表現力は、豊かでないが、何か伝わるものがある。

先生の光る目
    墨田区 小学校 五年
授業中、誰かがあくびをした。
「あくびなんかするな、先生はすぐわかるんだぞ。」
先生の目が光った。
するどい目。
ぼっとしてあくびなんかすると、
目が光って、
あくびをした人に、
するどい目から、
矢をうったように、
先生の目が、そっちへ行く。
先生の目は、光る弓矢だ。
          一九九八年作
五年で二クラス、六年で一クラスの四〇人の単学級だった。この学校は、この学年を最後に、単学級になった。

榎本先生のまほう
  墨田区 小学校 五年(現在十四才)
榎本先生は、まほうを持っている。
その一つは、みんなのこころを強くするまほうだ。
たとえば、私は鉄棒が大の苦手だ。
飛び越しおりがでた。
「やだぁ〜。鉄棒きらい。」
と私は言った。
とうとう私の番がきた。
榎本先生が、
「ピッ。」
笛を吹くと、みんな鉄棒にとびついた。
でも、足を鉄棒の上にのっけるまではできるのに、
体が上がらなかった。
榎本先生が私の手を押さえて、
「だいじょうぶだよ。」
と言われたけど、不安とこわさでいっぱいだった。
下におりてしまった。
榎本先生が、
「もう一回ね。みんなできたら拍手だよ。」
と言った。私は、
よし、がんばるぞ。
と思ってやった。
でも、こわかった。
ちょっとあぶなかったけどできた。
みんな拍手をしてくれた。
高野さんは、
「かおぴーすごいね〜良かったね。できてすごいね」
と言ってくれた。
数日後、もう一度飛び越しおりをやったら、
すらすらできた。
そのおかげで私は、自分に自信がついた。
榎本先生ありがとう。
先生は、みんなに勇気をあげる、まほうを持っているんですね。
二〇〇〇年作
  こんな詩に出会えるから、教師を楽しく続けて来れたんだ。
  今、教育現場は、嵐が吹き荒れている。昔ののどかな子どもとの触れあいは、ますます、できにくくある。教師が、あまりにも忙しすぎるからだ。管理教育は、すさまじく進行している。昨年,都で六百人が途中退職していった。

ネコになった榎本先生
   墨田区 小学校 三年 (現在十才)
榎本先生は、きゅう食の時、
たまにネコになる。
あさざらのチンジャオロースどんに、
ふかざらのスープを入れる。
そして、さいごにカップのスパゲッティーサラダ
を入れる。
「何してるの?」
と、聞いたら、
「にゃんにゃんごはん。」と言われた。
気のせいだけど、
榎本先生に、ネコの耳とひげがはえたように見えた。
二〇〇二年作

 中学年は三度目である。一、二年も楽しいが、三、四年はものの見方も行動の仕方も、大きく飛躍する時期だ。給食を一緒に食べながら、子ども達の話題を一緒に聞いているだけでも楽しい。
 終わりの二行には、思わずニンマリと笑いがこみあげてきた。

 三十五年間「作文教育」をずっとやってきたおかげで、すばらしい子どもたちと出会うことができた。これらの作品を並べてみたが、選ぶのには大変時間がかかった。今までの、文集を引っ張り出して、あらためて読み直したからだ。この作品以外にも、すてきな作品は、山ほどあった。作文もたくさんあった。あらためて、これらの作品を読み直すと、幼かったその当時の子どもたちに出会える。


週刊墨教組 No.1425  2003.11.5 
教育基本法改悪シフト内閣に反対します
多摩教組への銃撃を許さない
多摩教組への銃撃
 この銃撃について、毎日新聞朝刊(二七日付)は、次のように報じています。
 「二六日午後十一時十八分ごろ、『建国義勇軍国賊征伐隊』を名乗る男から毎日新聞東京本社などに電話があり『東京都国立市の日教組の施設に拳銃一発を撃ち込んだ。千代田区一ツ橋の日教組本部にはプラスチック爆弾を仕掛けた』と語った。
 警視庁立川署で調べたところ、国立市北にある日教組傘下の『多摩島嶼地区教職員組合』事務所一階の玄関ガラスに直径約二センチの穴が開いていた。弾丸の有無などを確認している。」
 「毎日新聞への電話は関西弁で『(日教組は)は日本の子供たちに害を与える。許せない』などと説明した。建国義勇軍などを名乗る脅迫事件は昨年十一月からこれで計二〇件になった。」

 さらに、朝日新聞朝刊(二八日付)は、つぎのように報じました。

「国立市の多摩島嶼地区教職員組合の事務所で二七日午後、銃弾一発が見つかった。玄関横の窓ガラスを破り、押し入れ奥のベニヤ板とその後ろの耐火ボードを貫通、壁の内部の配水管の内部で止まっていた。」

殺してはならない
 銃撃という威嚇は、殺人の暗喩にほかなりません。
 私たちは、この銃撃を、決して座視しません。絶対に許さない。
 私たちは、殺人という暴力の極みに、徹底して抗います。
 銃撃したものの思念には、他者に共感/交流して理解しあったり、さまざまな人がちがいを認め合ってつながり、社会が形成されているということが、全く欠落しています。
 自分と異なる意見を排除するだけでなく、その存在まで抹殺しようとする。そして、社会には、このような卑劣な攻撃を、許容するような風潮すら、横行しています。
 すでにして、ゆるやかに、この国は、ファシズムのなかにあります。
 他者の生命への想像力がひとかけらもない銃撃者に、私たちは、何度でも、言いつづけます。
 「殺してはならない、
  殺させてはならない」

暴力に抗う
 イラク戦争とは、アメリカ・イギリスの軍事侵略にほかなりません。冷血な殺人者の手口です。何の故あってか無辜のイラク人を殺すのか。白昼堂々、過剰殺戮と破壊・殲滅の限りを尽くしておいて、利権の見えかくれする戦後復興とは何なのでしょうか。
 アメリカのATMと化したこの国は、異常ともいえる五〇億ドルの拠出を表明しました。さらに、自衛隊の年内派遣が検討されています。
 まさに、戦争前夜ともいえる情況です。
 私たちは、「殺してはいけない/殺させてはならない」ために、反戦平和をめざして、うまずたゆまずに、はるかな道のりをあゆみつづけます。
 私たちは、いかなる困難な情況にあっても、ひるまずに暴力に抗う。

多摩島嶼地区教職員組合に対するテロに抗議する。
    〜闘いを再構築し、前進しよう!

       2003.10.27 多摩教組執行委員会


10月26日夜、私たちの組合事務所に銃弾が撃ち込まれた。マスコミに襲撃声明を送ったのは、「建国義勇軍国賊征伐隊」を名乗るものだった。この団体は、以前、広島県教組にも同じ攻撃をかけている。
 銃弾で言論が圧殺できると思っているのだろうか。ガラス窓の銃痕をみて、怒りに体が震えてくる。私たち多摩教組に対するテロ攻撃に断固抗議する。

 私たち日教組・東京教組・多摩教組に集まる組合員は、「教え子を再び戦場に送るな」を合言葉に平和を願い、子どもたちの幸せと働く者の誇りや権利を守る闘いを一貫して、続けてきた。差別・管理に反対し、教育への不当な支配に屈することなく、個人の尊厳と幸せを実現する教育を行ってきた。
 教育は、極めて人間的な営みではないのか。しかし、東京都の教育現場への攻撃は、昨今異常を極め、学校は完全な市場原理と管理主義で席巻されつつある。教職員は、数値化した目標設定をかかげ、一定の期間までにある種の“成果”をださなければならない。職場は、序列化・分断され、協働できる場ではなくなりつつある。異論をはさむ者はことごとく排除され、多様な意見は認められない。 

 「日の丸・君が代」の強制は、ついに都から通達という形で最終段階を迎えている。通達は、「国旗」を掲揚する時間帯、「国歌斉唱」の仕方、挙げ句は会場設営や教職員の服装にも及んでいる。これに違反すると、処分が行われるのだ。
 「日の丸・君が代」が果たしてきた役割を考えると、私たちは、素直にそれを受け入れることができないが、百歩譲って、歌いたい掲げたいと言う人がいても、それはそれでいいと考える。上からの強制というのでなければ、そこに議論が生まれるのだ。

 今、“個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期する・・”(教基法前文)“教育への不当な介入に屈することなく”(同10条)が改悪され、「愛国心」に置き換えられようとしている。「愛国心」を国家が鼓舞した結果どうなるか。先の戦争から、そして、多くの人の犠牲から、私たちは学んだはずだ。 

 私たち組合に集まる者は、平和を願い、教育で心豊かな子どもを育て、その幸せを願う。誇りを持って職場で働くことを願う。そのために闘う。
 卑劣な攻撃には決して屈しない。心をひきしめ、仲間と共にこれからも歩んでいく。


週刊墨教組 No.1424  2003.10.29 

 二〇〇四年度対区予算要求を提出 その一
   併せて、職場環境の改善について解決を求める

 墨田教組は、一〇月二七日(一七日が延期)に、二〇〇四年度教育予算にかかわる要求(内容は裏面)を提出し、職場の実態や要求根拠を説明し、早期実現を強く求めました。同時に、予算に関連して職場環境の改善等、緊急課題の解決を求めて交渉を行いました。要求内容について順次、紙上で報告します。

職場環境の改善
 厚生労働省は、ホルムアルデヒドによる労働者の健康リスクの低減を図るため、職場における屋内空気中のホルムアルデヒドの濃度を〇.〇八ppm以下とするガイドラインを決めています。一方、文部科学省は子どもへの健康被害を防ぐため、ホルムアルデヒドの室内濃度を一〇〇μg/3m(換算すると〇.〇八ppmとほぼ同濃度)以内と決めています。揮発性化学物質による健康被害(シックハウス症候群)が多発するなかで、両省は労働者や子どもの健康を守るために基準を設けているのです。今後約五〇種類の化学物質に対し、室内濃度指針を策定するようです。一方、ホルムアルデヒド等を含む製品や建材等は規制されていないので、学校でも大量に使用されており、これらからホルムアルデヒド等の化学物質蒸気が発散し続けていると考えられます。「学校環境衛生の基準」が改定されたことにより、都教委は都立学校に対し、また墨田区教委は区立学校に対し、室内化学物質の濃度測定を抽出検査で実施しました。その結果を都教委はHPで公表しています。区教委は、七月に十一校を検査した中で、九校十一室でホルムアルデヒドの濃度が基準値を越えている結果を明らかにしました。濃度については明らかにしていません。その後、残りの学校についても検査を行っているようです。
 都でも、区でも検査結果は、相当深刻なものとなっています。ホルムアルデヒドは、発癌物質であり、極めて毒性の強い化学物質です。基準値以内であっても眼・皮膚との接触や、吸引が続けば、児童・生徒だけでなくわたしたちの体も確実に蝕まれます。
職員会議、学校保健委員会等を通じ
     教職員の意識啓発を図る?

 区教委は、九月一九日付けで、「墨田区立学校におけるシックスクール問題に関する取組方針」を各学校に送付しました。その中で、学校の対応として三点を指示しています。
 一点目は、「職員会議、学校保健委員会等を通じシックスクールに関する教職員の意識啓発を図る」となっています。いくつの職場で、実施されたのでしょうか。また、換気を含め、日常的な対応策がいくつの学校で実施されているのでしょうか。区教委は、全校で実施されていると認識しているのです。全校長を信用しているのです。八広小問題では、区長を含め処分が出されましたが、各学校段階で室内化学物質についてどれほど危機感を持って対応しているのか甚だ疑問です。こうしたことから、区教委に対し、「対応が無責任である」ことを指摘し、今後も「職場環境」問題として、交渉事項として扱い、早急に対応することを強く要求しました。子どもを守り、また自らを守るために追求し続けます。

校内残存アスベストの完全撤去
 アスベストを吸うと、「じん肺、肺癌、悪性中皮腫」等を発病することが指摘されています。吸ってから一五年から四〇年経って発病することから、アスベストのことを「静かな時限爆弾」とも言われています。一九八七年、学校施設の天井や壁などへの吹き付けアスベストの飛散が問題になりました。その際、完全撤去を基本に、区教委は対応しました。
イギリスは、一九九九年にアスベストの全面禁止に踏み切りました。日本でも、アスベスト含有製品の製造を禁止する方向に動いています。それほど、アスベストの害が大きいからです。
 現在、校内にはアスベストを含有する物のひとつに、床に貼られたPタイルがあります。Pタイルが破損すれば、アスベストが飛散し、浮遊し、子どもや教職員が吸引する恐れが生じます。破損した際の対応については、すでに各学校に指示がされています。破損したPタイルを一般の不燃ゴミとして捨てるようなことがあってはなりません。危険なため、破損箇所を無処置で放置しておくこともできません。区教委は、今年度予定では八校のPタイルを撤去するとのことです。しかし、この予定では二十校を越す学校が、今年度、未処置のまま残ります。

労働安全衛生委員会の設置を
         強く要求する

 日本では、一九七二年に労働安全衛生法が施行され、その目的については第一条で次のように規定しています。
 「この法律は、労働基準法と相まって、労働災害の防止のために危害防止基準の確立、責任体制の明確化及び自主的活動の促進の措置を講ずる等その防止に関する総合的計画的な対策を推進することにより職場における労働者の安全と健康を確保するとともに、快適な職場環境の形成を促進することを目的とする」
 第三条では「事業者は、職場における労働者の安全と健康を確保しなければならない」と定めています。これらを受けて、労働安全衛生法では一定規模(五〇人以上)の事業場には労働安全衛生委員会等の設置を義務づけています。職場の労働者の数に関わらず、私たちの「安全と健康」は大切にされなければなりません。民間と比較すると、「安全と健康」の問題が大きく立ち遅れているのが、私たちの職場といえます。
 区教委は、労働安全衛生委員会の設置要求に対し、「研究課題としたい」と昨年度回答しています。職場では、私たちの「安全と健康」が確保され、重視されていますか。今年度は、一歩前進できるように交渉していきます。


週刊墨教組 No.1423  2003.10.20 
教育基本法改悪シフト内閣に反対します


身の程知らずの大盤振舞
 イラク戦争とは、理不尽きわまりない明白な戦争犯罪です。
 アメリカ・イギリスの軍事侵略は、冷血な殺人者のしわざにほかなりません。
 その張本人ブッシュが、十七日夕、来日しました。
 「どこまでもついてゆく」コイズミは、またしても、醜態を演じたのでした。
 ブッシュの来日に大急ぎで間に合わせるようにして、コイズミが、あわただしくイラク復興への資金支援を決定したのが、十五日。その無償援助の金額たるや、驚くなかれ、なんと十五億ドル(約一六五〇億円)という身の程知らずな大盤振舞。
 ついでながら、軍事オタクのイシバが、自衛隊がイラクへの派遣準備に着手したと表明したのは、ブッシュの来日当日のこと。
 コイズミの露骨な従順ぶりに、大いに悦に入ったブッシュは、「日本の経済支援の発表は内容、タイミングからみて重要で、感謝している」と、茶番のようなヨイショをしたのでした。
 大義なき破壊・殲滅の限り尽くしたブッシュとそれをまっさきに支持表明したコイズミに、戦後復興を語る資格などありません。

改憲を明言
 コイズミは、テロ対策特別措置法の二年延長をめざした「テロ対策特別措置法改正案」を国会で成立させると、すぐに解散にうってでました。
 自衛隊海外派兵の常態化を招来する元凶こそ、このテロ対策特別措置法にほかなりません。
 反戦平和への志向が劣化するこの国は、「戦争のできる国」へむかって、すでにして、ファシズムになっているのでしょうか。
 さらに、コイズミは、「有事法制」「イラク復興支援特別措置法」と連動して、さらなる自衛隊海外派兵の常態化をめざしたテロ対策特別措置法の二年延長にとどまらず、はばかることなく、改憲を射程とすることを明言するようになりました。

教育基本法改悪へ
 コイズミは、九月二六日、内閣改造後の所信表明演説の中の「将来の発展基盤への投資」の項で、つぎのように述べました。

 「教育基本法の見直しについては、国民的な議論を踏まえ、精力的に取り組んでまいります。」

 「国民的な議論を踏まえ」とは、「中教審答申を踏襲して」ということになります。
 コイズミは、ついに、教育基本法改悪への明確な意思表示をしたのです。

教基法改悪シフト内閣
 九月二二日に発足した改造内閣は、あからさまな教育基本法改悪シフトともいうべき、危険な人物で構成されています。
 河村健夫文科大臣は、先頭になって教育基本法改悪を画策してきた中心人物としてよく知られています。九九年八月、「自民党教育改革実施本部教育基本法研究グループ」の主査になった折に、「平成の教育勅語を念頭において議論したい」と発言しています。
 麻生太郎総務大臣は、「教育勅語」への回帰を隠そうとしない確信犯にして、改憲団体「日本会議」の国会議員懇談会長。
 中川昭一経済産業大臣は、つくる会教科書の採択運動を強力に推進する「歴史教科書問題を考える超党派の会」会長。小池百合子環境大臣はその副会長。
 また、教育基本法改悪の与党検討会は週一回のペースで行われ、年末年始には法案がまとまり、通常国会へ上程されようとしています。
 いよいよ緊迫した最後の正念場を迎えることになります。
 私たちは、教育基本法の改悪に反対しつづけます。


週刊墨教組 No.1422  2003.10.9 
テロ対策特別措置法の
  二年延長に反対します

二年延長

 十月三日、テロ対策特別措置法改正案が衆議院を通過しました。
 テロ対策特別措置法は十一月一日で期限が切れることになっていました。改正案は、この法律を、さらに二年間延長するというものです。

テロ対策特別措置法
 テロ対策特別措置法は、あの二〇〇一年九月十一日にアメリカで起きた同時多発テロ事件に端を発していました。
 このテロ事件に対する怒りに便乗し、この国の凡庸で感情的な首相は、早くも九月十九日に、パキスタンやインド洋に自衛隊を派遣することなどを柱とした七項目の対テロ支援策を打ち出したのでした。そして、海上自衛隊の護衛艦が、インド洋に向かう米軍空母の警護にあたったのでした。
 さらに、十月五日、政府は、米国などの軍事行動を自衛隊が支援するための「テロ対策特別措置法案」と自衛隊法改正案を閣議決定し、国会に提出しました。
 この法案には、自衛隊の活動範囲を拡大し、武器使用基準を緩和するなど憲法が禁じている集団的自衛権の行使にはっきりと抵触する内容が盛り込まれていました。
 これほどの重要法案が、さしたる議論もなされないままに、たやすく成立し、十一月二日から施行されたのでした。

自衛隊海外派兵 常態化の元凶
 昨年十二月八日には、アーミテージ国務副長官の来日にあわせて、海外派兵=集団的自衛権行使の本格的第一歩となるイージス艦派遣が行われました。
 この派遣は、テロ対策特別措置法を根拠としていました。この法律こそ、自衛隊海外派兵の常態化を招来した元凶なのです。

どこまでもついていく日本
 そして、三月二十日、ついに、イラク戦争が始まりました。
 イラク戦争とは、理不尽きわまりない明白な戦争犯罪です。
 ブッシュには、普通に暮らしているイラクの人々を殺す理由など、全くありませんでした。
 アメリカ・イギリスの軍事侵略は、冷血な殺人者のしわざにほかなりません。
 ブッシュに隷従する、感情的で思考力のないコイズミは、まっさきにイラク攻撃支持を表明しました。
 今にいたるも、イラクの大量破壊兵器の痕跡すら発見されていません。もとより大義などどうにでもなるものだったのです。
 ブッシュやコイズミには、人倫のかけらすらありません。
 「どうしても戦争したいアメリカと、どこまでもついてゆく日本。」
 反戦平和への志向が劣化するこの国は、その後も、「有事法制」「イラク復興支援特措法」と、「戦争できる国」へむかって、暴走しつづけています。

必然性のない二年延長
 朝日新聞(十月五日朝刊)によれば、二〇〇一年十二月から始まった、インド洋での海上自衛隊の補給艦による補給活動の実績は、つぎのようである。
 「現在まで他国の艦艇に、約百二十億円かけて計二九二回、無償で約三十二万キロリットルを給油。当初は米軍だけだった給油対象も英仏など十ヶ国に広がった。」
 「しかし、給油の需要は右下がりだ。インド洋に展開する他国の艦艇は昨年五月の約一〇〇隻から現在では二十一隻に減った。阻止作戦に参加した十一カ国のうち、オランダとニュージーランドの艦艇は七月に引き揚げた。補給艦による一日の平均給油量は昨年三月のピーク時の一割に満たない。」
 テロ特別措置法の二年延長の必然性がないことは、この数値が雄弁に物語っています。
 私たちは、「有事法制」「イラク復興支援特別措置法」と連動して、自衛隊海外派兵の常態化をめざすテロ対策特別措置法の二年延長に反対します。
 私たちは、今こそ、もう一度武力行使を明確に否定した日本国憲法の絶対平和主義の立場に立ち、米国の戦争に追随するだけの自衛隊の出兵という武力行使に反対します。

ご案内

第二十五回バザー
「アンニョン・フェスティバル」
 東京朝鮮第五初中級学校オモニ会主催
 
墨田区八広にある朝鮮学校では、毎年十月、近隣の人々に学校や朝鮮を紹介し、それを通じて日朝の友好・親善を草の根から創り上げていこうという趣旨で、授業・学校公開やバザーを行っています。
 私たち墨田教組と朝鮮学校は、長い間、隣人として、教育交流など貴重なつきあいを続けてきました。
 同じ墨田という地域にあって、ともに子どもたちを守り、育てる立場にあるもの同士の連帯感に立ち、積極的に参加しようではありませんか。
 墨田の多数の教職員が参加されるよう、心から願います。


週刊墨教組 No.1421  2003.10.7 
許せない!
 過去最大、年収平均十六・九万円減小
  俸給表マイナス改定、平均〇・八%引き下げ
  ボーナス〇・二五引き下げ・「成績主義」の一層の強化
  「退職手当」見直しを示唆  
         十月七日 都人事委員会勧告

十月七日、東京都人事委員会は今年度の勧告を行いました。
 勧告・報告の主要点は次の五点です。
 1.俸給表マイナス改定。
  官民給与の格差マイナス三千五百四二円(〇・八〇%)
 2.ボーナスを〇・二五月分引き下げ
  現行四・六五月→四・四〇月分
 3.扶養手当
  配偶者、五百円減額  
  現行一万六千円→一万五千五百円
 4.減額調整
  四月からの公民較差相当分を解消するため、所要の調整を行うこと。
 5.退職手当の見直し意見
国の法改正や他団体の状況を踏まえて退職手当の所要の見直しが必要


俸給表マイナス改定、教員は国に準拠
 都人事委員会は今年度四月時点における官民較差(民間企業と都職員の給与較差)は平均マイナス〇・八〇%、三千五百四二円(国は一・〇七%四千五四円)とし、この較差を是正するため、二年連続月例給引き下げを勧告しました。
 教育関係給料表は国に準じて改定するとし、平均一・一%の引き下げを勧告。

ボーナス〇・二五月分削減
 今次勧告では、民間のボーナス支給月数が年間四・四一月分、較差〇・二四月となっています。しかし、国家公務員の状況を考慮し、国家公務員と同様に期末手当から〇・二五月分引き下げ年間支給月数を四・四〇月分と勧告しています。この五年間で合計〇・八五月分削減ということになります。

退職手当の見直し、今年度の重要課題
 人事制度等に関する報告、給与制度の見直しの中で、「当面の課題として、国の法改正や他団体の状況を踏まえて退職手当の所要の見直しが必要」と述べています。一方、都は退職手当に関し、「過去の職責や業績が反映しずらいとして、最終基本給等の算定基礎額に支給率を掛ける現行方式を見直すことや支給水準、支給率カーブ、名誉昇給の見直し等」を組合に提案しています。
 都人勧を受け、今年度の賃金確定にむけ交渉を強化していくことになります。


週刊墨教組 No.1420  2003.10.2

権力人事
  校長の恣意による異動を許すな!

 「強制異動」が強行されて以来、「定期異動の結果」について、毎年さまざまな苦情が校長に出されてきました。昨年までは、校長は「都教委が決めたこと」と、責任をはぐらかすことができました。今回異動要綱が大改悪される中で、「校長の人事構想に基づくきめ細かな異動」(異動の方針)に示されているように、校長権限の強化とともに、校長の責任も明確にされたといえます。要綱上では「校長の具申」が異動結果に大きく影響することになります。そのことが明らかになっている以上、今回の「面接」は、重要な意味をもちます。校長との対処方法などについて不安な点があれば、執行部と連絡を密にしてとりくみをすすめてください。なお、墨田区教委による、校長ヒアリングは一〇月三〇日(木)から始まります。

強制異動にあくまでも反対する

 「東京都教育委員会は、適材を適所に配置し、学校における望ましい教員構成を確保し、教育活動の活性化を図るとともに、教員に多様な経験を積ませることにより、教員の資質能力の向上と人材育成を図ることをめざし、教員の定期異動を行う」(異動目的)
 「適材適所、望ましい教員構成、教育活動の活性化、多様な経験、資質能力の向上」とこうした価値基準を伴った文言は、現実の場面では、その価値判断を誰がするかが問題になります。わたしがどの学校に勤務することが「適材適所」なのか、わたしがどの学校に何年勤務し、どこに異動して何年勤務すれば「多様な経験、資質能力の向上」になるのか。
 こういう問題において、適用できる客観的な基準などは存在しません。もっぱら誰かの判断によるほかないのです。誰が判断するのか。都教委の判断、区教委の判断、校長の判断、この判断が導入され、本人の意志を無視するしくみ、それが、強制異動なのです。
 職場は私たちにとって重要な労働条件です。十月に入り、「異動」について意志表示をしなければなりません。その際、私たちは校長に対し、自分に対する「判断」の説明を要求することは当然であり、校長がそれに応えることは職務です。「校長は、人事構想に基づいて教員に十分な説明をするとともに、異動に関する意見を聞き、相互理解に努めるべき」「説明会で周知徹底する」と都教委は東京教組に答えています。
 校長の「判断」について、納得がいかなければ何度でも校長との話し合いを要求しましょう。そのことが強制異動体制の定着、強化を遅らせることに繋がるからです。



週刊墨教組 No.1419  2003.9.22

二〇〇三年度同和教育研究集会
十月十五日(水)午後三時
 すみだ学習センター 視聴覚室
記念講演は、関野吉晴さん
    (医師・探検家 五吾小卒業生)
実践報告
    「解放子ども会にかかわって」

さまざまないのちとの出会いから
   グレートジャーニー人類五万キロの旅
 大きなリュックを背負って三十年あまりも地球を歩き続けてきた探検家、医師、そして、写真家でもある関野吉晴さん。関野さんは昨年の2月、人類の足跡をたどる五万キロの旅、グレートジャーニーを十年の歳月をかけて終えました。
 探検は関野さんの人生を大きく変えたそうです。そのスタートは大学時代。南米へ通い続け、先住民の役に立ちたいという思いで三十三歳のとき、医師になります。そして、四十四歳、人生最大の探検に挑みます。およそ四百万年前、アフリカで誕生した人類が世界中へ広がっていった旅、「グレートジャーニー」その足跡を関野さんが南米の最南端からたどる旅に出ました。徒歩、自転車、カヤック、自分の体を使って、太古の人たちが感じた地球の風や音、においを自ら体験するために。足かけ十年、五万キロの道のりでした。
 墨田区生まれ、五吾小出身の関野さんは、NHKの「ようこそ先輩」で子どもたちに「探検! 体験! 命を感じる」と命にふれた授業をします。木下川近くで生まれ育った関野さんは、世界の動物を食する文化と日本との違いを具体的に勉強したいと、熱心に皮革工場を見学されました。関野さんには、グローバルな視点から、「差別問題」についてお話しいただけると期待しています。

 中国帰国・渡日の子ども達のサマーキャンプ
報告 K

  今年も恒例の中国帰国・渡日の子ども達のためのサマーキャンプが行われました。このキャンプは今年で三十回目を迎えました。記念の三十回ともあって参加者の中には中国残留孤児一世の方がお孫さんを連れて参加してくださった方々や、残留孤児二世で、かつて子どもの頃このキャンプに参加して、今回自分の子どもを連れてきてくれたかつての教え子も参加してくれて、三十回という長い歴史を感じさせてくれました。
 今年は総勢九二名で、そのうち墨田区からの参加は三四名、その他荒川区、江戸川区、江東区、大田区、品川区、板橋区、台東区、足立区など都内の各地から参加してくれました。頼もしかったのは高校生で「ぼくたちは十分楽しんだから、今度はお手伝いに来ました」と言って、後輩達のお世話を引き受けてくれました。
 今年のキャンプは山梨県にある甲斐の国「大和自然学校」で行いました。八月十二日東京駅に集合し、電車で大月、甲斐大和まで約二時間半、子ども達は懐かしい顔を見つけては、中国語で話しかけていました。普段の学校の中での表情とは全くちがう明るい笑顔が見られました。
 開園式のあと、部屋割りや班のメンバーを発表すると、すぐに新しい友だちとなり、ふざけあって楽しんでいました。昼食のあと、川遊びに出かけました。山道にはリンゴの木が実をつけ、せみが鳴いていました。冷たい川の水をあびて、満足して戻ってきました。夕食のあとは班対抗のドッジボール、ナイトハイク、花火大会で大いに盛り上がりました。
 一日目の夜はなかなかねむれなかったようでしたが、二日目の朝早くから中学生たちの元気な外遊びの声が聞こえてきました。また、早起きしてカブトムシをつかまえにいった小学生もいました。この日の午前中は近くの山へハイキングに出かけました。大きな滝の前には丸木橋があり、みんなこわごわ渡りました。頂上ははるか山並みがみえ、きれいな景色をながめながら、一休み。スズメバチの巣に驚きながらこわごわ通りすぎました。小学生の低学年の子は高校生のお兄さんに助けられながらも最後までがんばって歩きました。午後は野外炊事場でお得意の餃子作りです。各班の高校生のお兄さん、お姉さんの指導のもと、粉をこね、白菜やねぎをきざみ、手際よく作業が進んでいきました。餃子の皮作りは見事に薄く、丸くのばされ、ふだんから家でもお手伝いをしていることがよくわかります。とちゅうお母さんたちの味見のチェックがあり、なにやら中国語でやりあっている様子も肌で中国を感じることができ、中国人にとっての「餃子」には特別の思いがあることがよくわかりました。皮ができると次々に包まれあっというまにどの班もたくさんの餃子ができあがり、かまどのなべでゆでて、水餃子ができあがりました。できあがた班の餃子をもらって味見をしました。少しずつ微妙に皮の弾力や味付けがちがい、それぞれの家庭の味を味わいました。子供たちの餃子作りの様子をみていた大人たちは、がまんしきれなくなり、大人斑で本格餃子を作り始めました。その手際のよさはさすがで、「先生たちに本当においしい餃子を食べさせてあげたい、子供たちのつくったのはまだまだ」と言って、私たちにおなかいっぱい食べさせてくれました。もちもちした皮の弾力は本当においしかったです。やはり、中国帰国のこのキャンプに参加する私の一番に楽しみを十分満足させてくれるものでした。 


 さて、二日目の夜は学習会です。このキャンプのメインですので有意義なものにしたいと今年も智恵をしぼり、準備してきました。今年のテーマはふたつ。ひとつはなぜ、自分たちのおじいさん、おばあさんは中国でくらし、日本にもどってきたのか、残留孤児一世の歴史を知ること、ふたつめは日本で苦労して成長した二世の思いを知ること、このふたつを短い時間の中で子供たちに伝えたいと考えました。
 残留孤児がどうして生まれたのか、その歴史を簡単に説明し、終戦時満州の開拓民は引き上げの途中の収容所で生と死の狭間での様子を劇にして、先生たちが演じました。
 小さな子どもが餓えと寒さのなかで死んでいく場面に、子供たちは戦争の悲惨さを感じてくれたようでした。その後、残留孤児の二世としてこどもの頃日本に帰国した方のお話をききました。お一人は日本でいじめられた体験を話してくれました。はじめは日本語がわからなくていじめられたそうです。そのうち、中国人という理由で日本人とはなかなか仲良くなれなかったそうです。でも、自分の両親には心配をかけたくないと思い、いじめられたことはほとんどはなさなかった、自分で解決しようとがんばったそうです。自分から日本人と仲良くなるよう努力したこと、いやなこともたくさんがまんしたこと、自分さえしっかりしていればきっとよくなると信じていきてきたことなどを、みんなに話してくれました。中国から来た子はそれぞれに地域で必死にがんばっている子もたくさんいます。そんなこどもたちへのはげまし、と「あなたのつらい気持ちを理解しているよ」というメッセージがこめられていました。また、もう一人の方は中国語を忘れてはいけないというお話しをしてくれました。中国からきたばかりの時ははやく日本語を覚えよう、中国語は使わない方がいい、と思って一生懸命日本語を覚えたけれど、だんだんと日本語がわかるようになるとこんどは逆に、中国語で話すことがだんだんとめんどうになってきたそうです。そのうち細かいことは日本語のほうがよくわかるようになって、両親と話す時も日本語のほうがはなしやすくなってしったそうです。これでは家族がお互いの気持ちを理解しあえなくなってしまいます。だから、中国語を忘れないだけではなく、もっと中国語を勉強して新しい中国語も覚えられるようになってほしいと話してくれました。子どもの頃日本に帰ってきた子どもは中国語の会話はできるけれど、文章を読んだり、書いたりすることまではなかなか自分だけではできないのが現実です。この方のお話を聞きながら母語保持教室が必要だと感じました。
一時間半ほどの短い時間でしたが、子ども達は次のような感想文を書いてくれました。

ぼくはきょう小さいT君のお話しを聞いて、戦争中はこんなにも多くの犠牲者がいたのだと深く感じました。戦争で死ななくても、飢え死にする人もいます。ぼくたちは今、楽しいことがたくさんあります。戦争をぜったいやらないで、平和が続くようにしてほしいです。ぼくはごはんの時いろいろな食べ物がたくさんあるとき平和だと感じます。ぼくたちは平和のために外国の人と友だちになるべきだと思います。 (G)

戦争のことでたくさんの人が幸福を失い、親たちと離れてしまいました。戦争は絶対しちゃだめなものだと思いました。(S)

戦争をする国はお互い いいことはない。アメリカはこの世にいないことだ。今はアメリカはいろいろな国に米軍基地があるから一番あぶない。(S)
 
 先生方の劇を見て、とても悲しかったし、こんなこと二度とおこってほしくないと思った。そして二人の先輩の話を聞いて、ふたりとも大切なことを言っているなと思いました。(N)

 先生の話をきいてとてもつらかった。そのときに生まれた人はとてもかわいそうと思いました。人々が平等であって、住むところがいっしょで、経済的に苦労のない生活ができるような社会ができたらいいなと思います。差別をせずにだれとでも平等につきあうのがいいと思う。(T)
  
自分がその立場にたたせたら、ぼくもT君と同じことをしていたと思う。お母さんのためにT君は井戸に行って、水をとってくると思っていたのに、でもえいようしっちょうで力があんまりなくて、井戸のところで氷づけになったのがとても悲しかった。
日本が平和であるために他の国の人とけんかをしない、もっともっと戦争で中国に残された人の事を広める、それがぼくのやること、どれぐらい苦労したと思ってるのかをしってもらうこと。 (TS)

また、感想文の他にアンケートととりました。戦争についてどのように理解しているか、まわりの人から残留孤児という立場を理解してもらっているか、私たちも知りたかったです。アンケートの結果は以下のようなものでした。

(左)

感想文を読むと中国の子どもにとって戦争は決して過去のものではないと感じる。日常的に家庭で折に触れ語り継がれていることがわかった。

三日目は大雨でした。閉校式では、このキャンプの実行委員長から、今回で最後にしたいという話がありました。しかし、参加者の中から絶対続けてほしいと言う声があがり、このキャンプが子ども達にとっていかに大切か知らされました。私たち引率者もその声を聞き、思いを新たにしました。「今年で本当に最後なの」「もう来年は会えないね」という子ども達の声に淋しさを感じました。
 帰りは雨の中、バスで東京にもどってきました。途中多摩動物公園によって、ライオンバスにのったり、昆虫館でめずらしいチョウやトンボを見てきました。
今年のキャンプは残留孤児一世から三世まで、小中学生だけでなく、かつての卒業生、中国からの留学生、保護者、そして日本人のボランティアの方、などとてもバラエティーに富んだメンバーでした。中国から来た子ども達が日本でどう生きていくかそれを考えるきっかけになればという思いでこのキャンプを続けてきました。このキャンプの意義を受け継いだ活動をどう創っていくか私たちに課せられた課題は大きいと感じながら「又会いたいね」と言いながら解散しました。


週刊墨教組 No.1418  2003.9.17

発癌物質 ホルムアルデヒド基準値を超過
  健康への影響は児童・生徒、職員
調査結果の開示と対応策を求める

 二学期早々、九校の小・中学校でパソコン室など特別教室の使用が停止されました。しかも、使用停止の理由や保護者への情報開示を含めた今後の対応策について、当該学校の職員に十分な説明がなされませんでした。ホルムアルデヒド等化学物質は、児童・生徒の健康、職員の健康に直接影響を及ぼすものです。墨田区教委に、調査結果と対応策を、保護者と教職員に早急に示すことを強く要求するものです。

「学校環境衛生の基準」が改定
 室内の空気中のホルムアルデヒド、トルエン、キシレン、パラジクロロベンゼンについて、新たに基準値が二〇〇二年、二月に設けられました。その背景には、合板や塗料、接着剤などに含まれている化学物質が揮発し、その結果、シックハウス症候群などの健康被害が起きる可能性があるからです。これらの化学物質は、少量の吸引でも毒性が極めて強く、直ちに健康に影響がでなくても、将来健康被害を起こす恐れがあります。新たに設置された基準ですので、以前の教室改修、パソコンや机等、備品の購入に際して、検査は実施されていませんでした。

十一校を抽出検査  九校十一室で基準値を越す
情報開示を要求する

 区教委は、七月に小・中併せて十一校各四教室の検査を実施しました。その結果、九校十一教室でホルムアルデヒドの濃度が基準値を越えました。基準値を越えた多くの教室は、パソコン室です。音楽室も一件あります。区教委によると、その後、該当教室に換気扇を増やす等、通風をよくした結果、再検査では基準値を下回ったとのことです。教室の使用は、換気が条件になるのです。
 区教委は、学務課長名で、八月二七日、九月三日付けで、「教室の空気環境衛生」に関する文書を校長・園長宛に出しています。しかし、ことの重要性が各校長に説明されていなこと、また、学期始めの忙しさか、多くの学校ではこの二つの文書内容が周知されていません。当然、区教委の指示通りに、十分に換気をして特別教室を使用し始めたかは疑わしいものです。ホルムアルデヒドを吸引しているのは、児童・生徒や教職員です。区教委は、残り二九校についても早急に検査をすると言明しています。区教委がことの重要性を認識しているなら、検査方法・検査結果・原因・対応策について、速やかに保護者・区民、教職員に知らせるべきです。

室内化学物質の測定方法(参考)
都教委ホームページより

・本測定(標準的な測定方法):試薬を封入した容器に化学物質を吸収させてから、機器を使って分析します。結果が出るまで1週間から10日程度必要です。測定する部屋を30分以上換気し、5時間以上密閉した後に測定します。

・簡易測定(検知管法):ポンプを使って、20〜30分の間、試薬を封入したガラス管に空気を吸引して、試薬の反応の程度により、化学物質の濃度を測定します。検査精度は標準的な方法に及びませんが、直ちに結果が判明するため、補助的に使用します。

戦争を賛美する靖国の思想
 ─靖国神社・遊就館を訪ねて─ その三

3戦争を賛美する遊就館の展示
(1)展示の概要 〔再掲〕
 遊就館には、二十五の展示室が設けられているのだが、その概要を知るために、表題のいくつかを書き出しておきたい。
*武人のこころ
*日本の武の歴史
*幕末(ペリー来航〜王政復古=迫り来る侵略の手、ぎりぎりの政治改革)
*戊辰戦争(錦の御旗が勝敗を決した)
*近代国家の形成
*靖国神社の創建(皇室と靖国神社・国民と靖国神社)
*西南戦争(近代化への産みの苦しみ)
*日清戦争(明治の人々が初めて経験した大国との戦い)
*日露戦争(興国の興廃この一戦にあり)
*第一次世界大戦(近代国家として世界に認められる)
*昭和初期・済南事変(中国大陸への進出と排日運動)
*満州事変(満州国の建国と国際連盟からの脱退)
*支那事変(執拗な挑発・最初に発砲したのは誰か?)
*大東亜戦争(開戦〜進攻=近代国家として戦うか、それとも・・・・)
*大東亜戦争(攻防の転換点=後に続くものを信ず)
*大東亜戦争(守勢作戦〜本土防衛=無差別爆撃、そして原爆)
*大東亜戦争(終戦〜戦後=整然とした武装解除、復興への努力)
*靖国の神々(散華の心・鎮魂の誠)

(2)戦争物語
ざっと表題だけを見ても、その歴史観は察しがつくであろう。「新・遊就館」のキャッチフレーズには、「今、蘇る日本近代史の真実$争を知らない世代に伝えたい。この感動・・・・」と書かれている。しかし、ここに描かれているのは、歴史の事実や真実などではない。戦前・戦中と何等変わらない思考と認識のもとに靖国神社がつくり出した、いわば、「戦争の物語」と言えるだろう。そして、この「物語」に対して、やたらと「感動」を煽っているのである。
 明治維新以来、外国との諸戦をいかに雄々しく勇ましく戦ったか、その経験の中で、いかに日本の軍隊が強くなり「皇軍」となっていったか、という視点で戦争が描き出されている。とくに日露戦争は、映像も使つてその勝利を賛美し、大国ロシアに勝った日本軍の戦闘性・優秀性を強調している。映像の中に、「日本が勝った!」という文字が、パッパッパッと次第に大きく映し出されていくのが印象的であった。靖国神社の本質に触れた気がしていたのだった。

(3)日本の戦いは
  アジアに勇気を与えた(?)
 戦争展示のはじめに大きな地図が貼ってある。「迫り来る欧米列強」の図である。日本は欧米列強の支配に抗して自存自衛するために、また、アジア諸国を列強の支配から解放するために、やむなく軍備を強化し、日清・日露・大東亜戦争を戦ったというのが遊就館の展示を貫く歴史観である。そして、展示の終わりには「大東亜戦争前のアジア諸国」「大東亜戦争中及び戦後に独立した国」の二枚の地図が並べて貼ってある。
 あたかも、日本の戦争のおかげでアジア諸国が独立を果たしたかのように受け取れる仕掛けになっているのである。「日本は戦争に負けたがアジアの国々に勇気を与えた」というのである。「戦争を真に望んだものは誰か。史実はこれを明らかにしつつある。」とも記している。恐るべき独善、自己正当化、大東亜戦争賛美である。(笑い事ではすまされない。これと同じような歴史観で記述された『新しい歴史教科書』が文部科学省の検定に合格しているのだ。)

(4)「大東亜戦争」について
 戦後、日本の国民は、太平洋戦争をかつての日本政府と軍部が命名した呼称、「大東亜戦争」と呼ぶことに恥ずかしさと後ろめたさを感じ、そう呼ぶことを避けてきた。これは、軍国主義国家日本がアジア諸国に対する侵略戦争と植民地支配を正当化するためにつくりだした実に独善的な「大東亜共栄圏」思想に基づく呼称だったからである。欧米列強のアジア支配を排除し、日本を盟主として朝鮮・中国および東南アジア諸民族が共存共栄していこうというものである。アジアは天皇を中心にいただく一つの家である(八紘一宇)≠ニし、日本の戦う戦争は、「大東亜共栄圏」建設のためのアジア解放の「聖戦」であると説く、ずいぶんと身勝手な考え方である。
 しかし、靖国神社では、「大東亜戦争」という呼称が堂々と使われているのである。いや、靖国神社ばかりではない。最近、この恥ずべき呼称がおくめんもなく使われているのをあちこちで目にする。中学校用の教科書にさえも、正式名称として登場してきた。『新しい歴史教科書』にもこれが使われている。この教科書を検定に合格させた文部科学省は、「大東亜戦争」を正式な呼称として認めるということなのである。文部科学省もまた、非科学的な「戦争物語」を教育に持ち込むことを容認したということになるであろう。

(5)「植民地支配・侵略」認識の
全くの欠落
靖国神社の思想を如実に表す遊就館の展示は、天皇制軍国主義国家を賛美し、その視点で「戦争物語」をつくりだす立場からは当然のことながら、戦争責任の問題には全く触れていない。
 朝鮮や台湾に対する植民地支配。学校では子どもたちに朝鮮語の使用を禁止し、「私共ハ大日本帝国ノ臣民デアリマス。私共ハ心ヲ合セテ天皇陛下ニ忠義ヲ尽クシマス」(「皇国臣民ノ誓詞」)と唱えさせたことも、神社参拝を強制したことも、キリスト教会を迫害し大弾圧したことも、創氏改名や強制連行のことも・・・・。武力をもって朝鮮の人たちの人権と自由、そのアイデンティティーを奪った植民地支配の事実を一切欠落させている。
 中国侵略についても同様である。日本軍は、中国から収奪し日本の権益を拡大するために「満州国」を建設、中国各地を侵略して、南京大虐殺や七三一部隊の人体実験・・・・等々、数々の惨劇を繰り返した。これが、「アジア民族の共存共栄」を謳い「聖戦」を戦った「皇軍」の姿であり、「大東亜共栄圏」の実態であった。靖国神社・遊就館は、戦前・戦中の日本政府・軍部の考え方そのままに、侵略・植民地支配のすべてをオミットして、「大東亜戦争」を肯定・美化する「戦争物語」をつくりだしているのである。

(6)雄々しく(?)並べられた兵器
 さて、極め付きの展示は、一階の玄関ホールと大展示室に飾られた数々の大型兵器の実物である。榴弾砲やカノン砲、泰緬鉄道(太平洋戦争下に日本軍がタイとビルマの間に強行敷設した鉄道。酷使により連合軍捕虜一万三千人、アジア人労働者数万人が死亡、国際的な非難を浴びた)の開通式に走った蒸気機関車、海軍零式戦闘機(零戦五二型)、サイパン島から持ち帰った九七式戦車。零戦をはじめ戦闘機や爆撃機、戦艦や空母の模型も雄々しく(?)並んでいる。
 そして、特攻兵器。魚雷を一人乗りに改造し、操縦しながら敵艦に体当たりする人間魚雷「回天」。ロケット特攻機「桜花」も天井から吊り下げられている。これらはまさに人間が兵器となった人間爆弾≠ナある。

(7)命の使い捨て、特攻作戦
 太平洋戦争は、日本の経済力からみても無謀な戦争であったが、ことに特攻作戦は燃料も兵器も使い果たした日本軍の最後のあがきであった。残されたほんのわずかな物量で戦わなければならなかった日本軍が、爆撃の命中精度を高めるために考え出したのが「特攻」である。人命を軽視する天皇信仰は、ついに人間をも兵器にしたのである。
 特攻は形式上は志願制で、自ら望んで特攻要員になったと言われているが、当時の軍隊や世情の雰囲気の中では拒否できるものではなく、完全な命令だったと、生き残りの隊員は述懐している。
 作戦としても、初めこそ米軍を驚かせもしたが、特攻機の多くは撃墜され「戦果」というべきものもほとんどなかった。「祖国を守るため」「美しく散る」と美化しても、客観的にみれば、その内実は陸海軍首脳のやけっぱちな″戦であった。若者たちの命を消耗品として無駄に使い捨てたのである。

(8)ロケット特攻機「桜花」
 「桜花」は、零戦などに比して超小型で、爆撃機の胴体に抱えられ、目標に接近して空中発進し体当たり攻撃を敢行するのである。しかし、「桜花」のほとんどは敵艦に突っ込む前に母機もろとも撃墜され海の藻屑となったという。この狂気の兵器「桜花」のことを当時米軍は、BAKA≠ニいうコードネームで呼んでいたそうである。だが、このような事実も、若者たちの命を消耗品のように使い捨てたことへの反省も、遊就館の何処を見ても記されてはいない。そればかりか、「桜花」を抱いた爆撃機や零戦が、敵艦目ざして編隊を組んで出撃していく神雷特別攻撃部隊の様子が、ジオラマにつくられ、勇ましくカッコヨク飾られいるのである。

4兵士たちの死を美化する
─桜花・散華
(1)もの哀しい響き「桜花」
 このロケット特攻機につけられた「桜花」とは、なんともの悲しい響きをもつ名前だろう。文字通り命を捨てて「敵艦」に突っ込み、桜の花のように散っていく「自爆装置」である。散っていく桜が再び木の枝に戻ることがないように、「桜花」にも帰る場所はないのだ。私の胸にふとあの軍歌が繰り返し思い浮かんでくるのだった。「貴様と俺とは同期の桜、〜みごと散りましょ国のため」。この歌に込められたもの哀しい響き。靖国神社は、「美しい花」「悲しき桜」「散華」としてこの悲劇の死を讃えるのである。

(2)特攻兵士たちの気持ち
 「靖国の神々」と題された三つの展示室がある。ここには、戦死者たちの遺品や遺書、辞世の歌、家族に宛てた手紙なども展示されている。
 ロケット特攻機「桜花」に搭乗し、九州南方洋上で戦死した若い兵士が、出撃三〇分前に手帳に記したという歌が展示されていた。
 「死するともなほ死するともわが魂よ永久にとどまり御國まもらせ」
 間もなく自爆して果てなければならないこの青年の胸中にどのような想いが去来していたのだろう。お国のため、天皇のために死ぬことの喜びにふるえていただろうか。そうではなかった、と私は想像する。
 特攻機からの若き兵士たちの最後の無電は、「天皇陛下万歳!」ではなく、その多くが「お母さん!」であったという。この青年もまた、「お国のため、天皇のために喜んでその命を捧げる」というものではなかったはずだ。無念さ、悲しさ、悔しさ・・・・。あるいは理不尽な死に憤りさえ覚えていたかもしれないのだ。
 しかし、このような思考や感情の一切を押し殺さなければならなかった。「死するともなほ死するとも・・・・」という歌の中から必死に自分自身へ言い聞かせている声が私には聞こえてくる。(遺書や手紙のほとんどは軍の検閲を受けて、軍にとって都合の悪いことは書けなかったようだ。)

(3)母のこころ
 出撃前の母親との面会に際してこの青年は、
 「いざさらば我は栄えある山桜ははのみもとにかへり咲かなむ」
という歌を贈り、母は、
 「散る花のいさぎよきをばめでつつも母のこゝろはかなしかりけり」
と返歌をしたためたという。私は想う。「かなしかりけり」と詠んだ「母のこゝろ」を。その心もまたはり裂けんばかりに深い悲しみと、さらには愛おしい息子の理不尽な死に怒りさえ感じていたのではなかったか。それでも、一切の人間的感情を押し殺して、この悲劇の死を「いさぎよく」「散る花」と「愛で」なければならなかったのである。

(4)美化する言葉
 「咲く桜風にまかせて散りゆくも己の道ぞ顧みはせじ」
 これもある特攻隊員の辞世の歌であるが、このように彼らの最後の歌には、ほとんど例外なく、「桜」「花」「散る」という言葉が使われている。徹底した皇民化教育の中で育てられた若者といえども、死を前にしてさまざまな想いに揺れただろう。しかし、「天皇(御國)のため」の行動を遂行するには、「己の道」を「顧みてはならない」のだ。疑問も迷いも捨て去り、一切の思考を停止して「天皇(御國)の為に死ぬことは美しい」ことであると自分に言い聞かせ、自分を美化し、そうすることで自分を納得させ、その死を意義づけたのであったと思う。そのために創り出されたのが、「桜」「花」であり「散る」という言葉であった。
 遊就館の展示パンフレットは、前述の「桜花」搭乗兵士の死に「美しい花悲しき桜」というタイトルを付してこれを讃えている。

(5)『新しい歴史教科書』の記述
 私は、『新しい歴史教科書』の「特攻」についての記述にも注目しておきたい。「同年十月、ついに日本軍は全世界を驚愕させる作戦を敢行した。レイテ沖海戦で『神風特別攻撃隊』(特攻)がアメリカ海軍艦船に組織的な体当たり攻撃を行ったのである。追いつめられた日本軍は、飛行機や潜航艇で敵艦に死を覚悟した特攻を繰り返していった。」そして、二人の特攻隊員の遺書を掲載している。
 さらに沖縄戦について「日本軍は戦艦大和をくり出し、最後の海上特攻隊を出撃させたが、猛攻を受け、大和は沖縄に到達できず撃沈された。沖縄では、鉄血勤皇隊の少年やひめゆり部隊の少女たちまでが勇敢に戦って、〜」と記述している。負けはしたが若者たちが最後まで命をかけて勇敢に戦ったと強調し、美化しているとしか読みとれない記述になっているのである。これが文部科学省の検定教科書であることに注意しなければならない。

5九段の桜─靖国信仰
(1)靖国信仰の教育
若者たちを死地に赴かせるために使われたもう一つの言葉は、「靖国で会おう」であった。
 子どもたち、若者たちはどんな教育を受けてきたのだろうか。戦前・戦中の教科書では、靖国神社がどのように取り上げられているか、文部省発行の『初等科修身二』を開いてみた。この教科書には「靖國神社」という題材があって、次のように書かれている。
 「靖国神社には、君のため國のためにつくしてなくなった、たくさんの忠義の人々がおまつりしてあります。」「君のため國のためにつくしてなくなった人々が、かうして神社にまつられ、そのおまつりがおこなわれるのは、天皇陛下のおぼしめしによるものであります。」「私たちは、天皇陛下のお惠みのほどをありがたく思ふとともに、ここにまつられてゐる人の忠義にならって、君のため國のためにつくさなければなりません。」
 つまり、天皇に忠義をつくして戦死した者は、天皇のおぼしめしによって靖國神社に祀られるという最高の栄誉を受けるのだから、天皇に感謝して後に続こう、と子どもたちに勧めているのである。子どもたちはこのように教えられ、その中で忠君愛国の士になるように育まれてきたのである。人間の死が、命が、天皇の名によってこんなにも粗末に扱われてきたのである。
 こうやって幼い子どもたちの心に、天皇(現人神)信仰・靖国信仰がたたき込まれ、「靖国で会う」という精神が形成されていったのである。
 「靖國の桜となりて薫る日の誇りを胸に秘めて飛び立つ」
 「靖國で会う嬉しさや今朝の空」
 前述の神雷特攻部隊のジオラマには、隊員の次の言葉が添えられていた。「靖國神社の御神門を入って右の二番目の桜の木の下に集まって再会しよう」と。

(2)英霊の招魂
 前述した「靖国の神々」の部屋の壁面には、戦死した人々の写真がぎっしりと貼られ、その一枚一枚には「〇〇命」と氏名が付されている。氏名の次に「命」(ミコト)とあるのは、「英霊」となって靖国神社に帰ってきた死者たちが神として祀られていることを表している。
 英霊を靖国神社に呼び戻すことを招魂というのだが、遊就館には、招魂齋庭(境内)で行われた招魂式の様子を御羽車(おはぐるま=霊を運ぶもの)などの模型を使って再現した一室がある。遺族たちの見守る中、戦死者たちの「御霊=英霊」を招き靖国神社に祀る(合祀する)荘厳な°V式である。薄暗い(浄闇)展示室には、招魂式の模様を伝えるNHKラジオの実況放送が流されていた(第五六回、一九四〇年)。
 「今ぞ忠魂九段に還るの時、殉国の英霊永遠に靖国の御社深く、斎き祀られるの時であります。〜」
 靖国神社は、国民を死地に赴かせるための、また、遺族たちの悲しみや憤りを押さえ鎮めるための装置だったのである。靖国神社が侵略戦争遂行のために果たした役割は極めて大きいと言わねばならない。そして、この「靖国」の本質は今も全く変わっていないことがわかるのである。

(3)小泉首相の靖国参拝について
 鹿児島県知覧町には、かつて特攻隊の基地があった。ここから一〇三六人の若者たちが飛び立った。小泉首相は、首相就任前、戦後この地に設けられた「特攻平和会館」を訪れた。彼は、会館に展示されている短歌の前で声を押し殺して泣き続けたという。それは、青年飛行兵が兄に宛てた辞世の歌であった。
 「桜花と散り九段に還るを夢に見つ鉄艦屠らん我は征くなり」
 首相の靖国参拝へのこだわりは、この歌で詠まれた「九段に還る」という語句の辺りにあるのかもしれない。
 自民党総裁選予備選(二〇〇一年)を前に、政府要人の靖国神社公式参拝を要望する、大票田の日本遺族会におもねる小泉氏一流のパフォーマンスという趣もあっただろうが、「総理大臣を拝命した現在も、特攻青年の気持ちに比べれば、こんな苦労は何でもないという気持ちで立ち向かっているつもりです」と国会で答弁した(参院予算委員会で靖国問題を質問されて)小泉首相の心には、「特攻」と「靖国」がしっかりと結びついているのであろう。
 それにしても小泉首相はどのような想いで涙したのだろうか。靖国神社が特攻兵士たちの死を「悲しき桜」と美化し讃えるように、小泉首相もまた、「祖国を守るため」命を捨てた彼らの死を美化し、その故に湧いた「感動」の涙だったのでは、と私は思う。天皇信仰・靖国信仰の歴史的検証を抜きにした「感動」(「美化」)に動かされ、靖国神社を参拝することは、「靖国で会おう」「靖国に還る」という信仰を容認するものであり、再び戦前・戦中の思想構造に舞い戻ることを意味する。それは、戦死者たちを本当の意味で追悼することにはならない。

(4)追悼のこころ
 国策の犠牲になった戦死者たちの無念の死を追悼するのは当然のことである。しかし、それは、消耗品のように命を使い捨てたことへの深い反省にもとづくものでなければならない。そして、「大君のため」とか「散華」とか「靖国に還る」などの言葉で表され、国民を侵略戦争に駆り出した天皇信仰・靖国信仰の思想構造をきちんと批判して、再びこのようなことが起こらないように祈念するものでなければならない。
 その上で、家族や恋人と引き裂かれて死んでいった人々の悲しみや苦しみを想い、「安らかに眠ってください」と祈るものでなければならない。そして、日本の侵略によって殺されていった他国の人々に対しても捧げられるものでなければならない。それが今日の私たちが捧げるべき追悼の心であると思う。

6政教分離の意味
(1)天皇信仰・靖国信仰の呪縛からの解放
 あの大戦で日本は他国の人々の多くの命を奪い、そして、同胞の多くの命を失った。しかし、敗戦によって天皇信仰・靖国信仰の呪縛から目覚めた。戦争物語の「虚構の歴史」を反省し、しっかりと歴史認識を持たなければならないことを学んだ。その中で、政教分離の原則を明記した日本国憲法(第二十条、第八十九条)を手にしたのである。権力と宗教が結びついて創り出した国民支配の精神構造の呪縛を断ち切るために、靖国神社は国家神道から一宗教法人の神社に生まれ変わったはずである。

(2)憲法違反の靖国公式参拝
 「首相に就任したら、八月十五日に、いかなる批判があろうとも、靖国神社の公式参拝を行う」と明言した小泉首相はいったいこのことをどう考えているのだろうか。首相は自民党総裁就任の記者会見において「日本の繁栄は尊い命の犠牲の上に成り立っている。純粋な気持ちを参拝で表す」とも言っている。ここには、天皇信仰・靖国信仰への歴史的検証も批判も、そして、それを通して成立した日本国憲法への洞察も全くみられない。内閣総理大臣というのは「国を代表する人格」である。国の代表者がその名において公式参拝することは、国が特定の宗教に公的に関わることであり明確な違憲行為である。小泉首相の歴史認識と憲法感覚の無さに驚かざるを得ない。
 結局首相は、アジア諸国からの厳しい批判にさらされてしかたなく#ェ月十五日を避けて参拝したが、本質的には何ら変わっていない。

(3)「中心的施設」ということ
 また、小泉首相は「靖国神社は戦没者の(慰霊の)中心的施設である」(〇一・七・三〇党首討論)から参拝するとも言っているが、これは言葉のごまかしである。「中心的施設」であるか否かに関係なく、靖国神社が一宗教法人であることに変わりはない。公式参拝が合憲になることは微塵もないのである。
 それはさておき、「靖国神社が戦没者慰霊の中心的施設である」と何時何処で誰が決めたことなのか。そんなことは全くないのである。現在、靖国神社には二百四十六万六千余柱の明治以来の戦死者(天皇に忠誠を尽くした者のみであって、戊辰戦争の旧幕府軍や西南戦争の西郷軍などの将兵は朝敵として厳密に排除している)を祭神として合祀している。
 戦後になって靖国神社は、復員省・厚生省の資料を使って太平洋戦争における戦死者の合祀を勝手に進めた。遺族に通知することもなく、戦死者や遺族の思想・信条・信仰を全く無視して、一方的に霊璽簿(れいじぼ=靖国神社に納める名簿)に氏名を記載し祭神として祀ったのである。フィリピン・マニラで戦死した私の父親もここに合祀されている。
 キリスト教徒でもあり、靖国の思想を厳しく検証し批判しなければならないと思う一遺族の私にとっては、父の一方的な靖国合祀に痛恨と憤りを覚える。キリスト教徒や仏教徒、韓国や台湾出身兵士の遺族から合祀取り下げ(霊璽簿抹消)の請求が出されているが、靖国神社はこれを一切拒否している。「中心的施設」とは、このように、勝手に合祀した既成事実に基づいて使われる虚構の言い回しであると言えよう。あたかも、すべての遺族がそれを望んでいるかのような言葉のごまかしがここにもある。

7戦後の靖国神社復権の動き
(1)ナショナリズムの継承
 敗戦後の日本の政治は、新憲法によって新しい国家形成を目ざしたが、憲法をどのように実現していくかという課題に不熱心であった。つまり、そのことに不可欠の戦前・戦中の精神構造・政治構造が犯したことへの歴史的な検証も、戦争責任・戦後責任も極めてあいまいにされてきたと言わねばならない。岸元首相(A級戦犯)をはじめ侵略戦争の指導者であった者たちが、戦後「民主」政治の指導者として次々と政界財界に復帰してきた。憲法理念の実現どころか、政権政党自ら、さまざまな形でその空洞化を推し進めてきた。戦前・戦中の独善的なナショナリズムは、脈々と息づいてきたのである。

(2)靖国神社国営法案
 敗戦後間もなく、日本遺族会や地域の保守勢力が、国費を使って靖国神社の慰霊行事を行うように要求する運動を始めたが、やがて自民党は靖国神社の国営化(国家護持)を目的とする「靖国神社法案」を国会に提案する(一九六九年)。八年間にわたって五回の法案提出を試みたが、あまりにも露骨な違憲法案であったため、反対運動の大きな盛り上がりの中で断念せざるを得なかった。

(3)A級戦犯の合祀
 一方靖国神社は、一九七八年、東条英機元首相や広田弘毅元首相など、A級戦犯十四名を昭和殉難者として密かに合祀した。彼らは侵略戦争遂行の指導者たちである。「大東亜戦争」を肯定し「天皇への忠誠」を最高の道徳とする靖国神社としては、当然のことであっただろう。

(4)首相・閣僚の公式参拝
 さて、国営化法案廃案の後に考え出されたのが、なし崩しに靖国神社の復権をねらう、総理大臣をはじめとする閣僚の公式参拝である。一九七五年の三木武夫首相に始まり、福田赳夫首相、鈴木善幸首相(十八名の閣僚)と続いた。これらの公式参拝をめぐって国会論議がなされ、さすがに政府は公式参拝を違憲とする統一見解(宮沢喜一内閣官房長官)を発表せざるを得なかった。
 にもかかわらず、翌年には自民党の国会議員が「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」をつくり、さらには官房長官の私的諮問機関である「閣僚の靖国神社参拝に関する懇談会」(靖国懇)が、靖国神社を「戦没者追悼の中心的施設」「平和祈念の場」と規定して、公式参拝合憲論の立場から「報告」を出した(一九八五・八・九)。これがまやかしの論理であることは、先に述べたとおりである。 これを受けて、政府は内閣官房長官談話によって、先の政府見解を変更し、公式参拝を「社会通念上、憲法が禁止する宗教活動に該当しないと判断した」のである(一九八五・八・十四)。
 翌日、中曽根首相は十八閣僚を引き連れて公式参拝を強行した。公用車で靖国神社に赴き、「内閣総理大臣中曽根康弘」と記帳して、国費から供花料を支出したのである。参拝後、「公式参拝である」と明言している。※
 中曽根首相の公式参拝は国の内外から激しい批判を浴びた。ことに、中国・韓国をはじめアジア諸国からの厳しい批判は、外交問題となり、中曽根首相は翌年の参拝を中止せざるを得なかったのである。

(5)アジアからの批判は内政干渉か
 このアジアからの批判を内政干渉だと言う論調があるが、歴史的検証を踏まえない全く傲慢な主張である。天皇信仰・靖国信仰を原動力とした侵略戦争によって、どれだけ多くの土地が蹂躙され、街々が破壊され、命が奪われたことか。とりわけ、日本の植民地とされた韓国や台湾の人々は、天皇信仰・靖国信仰を強要された。天皇制軍国主義は、名前を奪い(創氏改名)、言語を奪い(母国語の禁止)、宗教を奪い(神社参拝の強制)・・・・、民族のアイデンティティーを根こそぎ奪おうとしたのである(抵抗運動を武力で弾圧)。靖国神社はその原点なのである。
 しかも、その戦争の最高の指導者であったA級戦犯を合祀し神として讃えている場所なのである。その場所に、国を代表する者たちが公式参拝することに対して、侵略された国の人々から批判の声が挙がるのは当然のことである。むしろ、私たちは、自分の国の代表者が歴史を顧みず公式参拝するという無恥を恥ずべきなのである。
 さて、中曽根首相の参拝後、総理大臣の公式参拝は十六年間行われなかったが、二〇〇一年、小泉首相は内外の反対を押し切って再び参拝を強行したのである。「つくる会」の歴史・公民の教科書が文科省の検定に合格、教育基本法の見直し、有事法制、自衛隊のイラクへの派兵・・・・などの問題と靖国神社問題は密接に結びついているのである。これは大変危険な動きである。

(6)石原都知事の出現、さらに危険な動き
 今年(二〇〇三年)八月十五日、公式参拝を終えた石原都知事はテレビ記者のインタビューに応えて次のように発言していた。「靖国神社は日本の文化の象徴だよ。シナ人だか朝鮮人だか外国人がガタガタ言うことはない。内政干渉以上に失敬なことだよ。」(フジテレビ)。聴いていた私は唖然としたのだったが、これは都民から絶大な支持を受けているという、首都東京の最高責任者の発言である。戦後、脈々と息づいてきたナショナリズムが大きな潮流となっていくのだろうか。

8おわりに
(1)靖国神社は、今も
 私が見た靖国神社・遊就館は以上の通りであるが、最後に簡単に まとめておきたい。靖国神社は、
@近代日本が戦った日清・日露・大東亜戦争を正当化し肯定し賛美 している。
A「勇ましく、雄々しく」戦うことを讃え、この視点から日本軍の 兵器を展示している。
B他国を侵略し、多大な被害を与えた歴史の事実をことごとく隠蔽 し、「大東亜共栄圏」思想の正当性を今も主張している。
C侵略戦争遂行の原動力となった天皇信仰・靖国信仰の精神構造を つくり出す要となり、国民を死地に赴かせた自らの役割らついて、 微塵も反省していない。
Dそれどころか、戦死者たちの死を美化し讃えている。
E「天皇に忠義を尽くして」死んだ人の霊(英霊)を顕彰する(世に広 く知らせ讃える)場所であって追悼する場所ではない。
F戦死者や遺族の思想・心情・宗教を無視して戦死者を勝手に合祀 し、戦死者や遺族の人権を侵害している。
G天皇信仰・靖国信仰の精神を、国民が守るべき日本の文化・伝統 であるとしている。

(2)今こそ、天皇信仰・靖国信仰の
歴史的検証・批判を
 首相や閣僚が「不戦を誓う」「平和を祈念する」ために参拝すると言う靖国神社とは、このような場所なのである。最近、公式参拝についてあまり批判も聞かれなくなった。マスコミの論調も「外国との関係をこじらせてまでなぜ参拝するのか」と、専ら外交問題としてこれを論じているように思う。
 しかし、この公式参拝は、政教分離を定めた憲法に対する違反の問題なのである。この点についての追及はほとんどなされていない。私たちはもう一度しっかりと歴史認識を持たねばならない。そして、天皇信仰・靖国信仰を検証・批判し、なぜ日本国憲法が政教分離の原則を定めたのか、なぜ靖国神社が国家神道から、戦後一宗教法人の神社となったのか、問い返してみなければならない。
 私は現在、嘱託員として六年生の歴史の授業を担当しているが、靖国神社を訪れ改めて、現代史をしっかり教えていくことの必要性を痛感したのであった。

※中曽根公式参拝に関する違憲訴訟では、大阪高裁や福岡高裁が、総理大臣の公式参拝は違憲あるいは違憲の疑いがあるという判決を出している。(一九九二年、確定) 


週刊墨教組 No.1417  2003.9.12

 異動要綱のさらなる改悪に
       あくまでも反対する
           
異動問題で教育長要請

 九月九日、加藤委員長は、近藤墨田区教育長に面会し、「教員の定期異動」について、「県費負担教職員の人事権の委譲に関する要望書」(資料参照)に関して要請を行いました。この「要望書」は、都教委による「異動要綱」改定の動きの中で、特別区教育長会会長名で提出されたものです。会長名で提出されていることから、特別区教育長会として内容が検討され、全員の賛同を得て、都教委教育長に提出されたものと考えられます。そのことから、加藤委員長は「地域に根差した教育」をすすめる観点から、「要望書」で述べられている「教員の定期異動に関する課題」の解決に向け、墨田区教委が様々な努力をなされることを、近藤教育長に要請しました。

「課題」解決に向け、運用面で具体化を!
@教職員の各区への帰属意識が希薄で、それぞれの区の教育方針への理解が十分でない。
A理解・協力を得られる教職員を各区で育てても、一定の基準で他区市へ転出させざるを得ない。
 この二点が、「教員の異動」に関して、「要望書」であげられている問題点です。
 墨田教組は、現行の異動要綱に、「地域に根差した教育」を否定するものだとして、反対してきました。私たちが、批判してきたものと、「要望書」であげられている問題点とは大筋で同じであります。
 「要望書」では、その解決の方法として、当面、「東京都教育委員会と特別区教育委員会の双方が、現在の人事の運用について見直しを図っていくなど、その課題実現に向け、努力を重ねていくことが大切である」と述べています。また、改定異動要綱では「第四 異動の手続き及び決定」の項で「2 … 各教育委員会が作成した異動計画案に基づいて、各教育委員会と協議・調整を行い…」となっています。この協議・調整の場でも区教委は課題解決に努力すると考えられます。
 執行部は、今後、区教委に対し、二つの課題を解決していく視点からも、「人事の運用面」での具体的なとりくみを強めていきます。
 九月二二日(月)、区教委は定期異動について、校長に対し説明を行います。これを受けて、各職場で定期異動について具体的な説明がなされます。異動について疑問や問題が生じた場合、必ず書記局に連絡してください。

資料

県費負担教職員の人事権の委譲に関する要望書
 完全学校週五日制の下で新学習指導要領が完全実施される中、いじめ、不登校、学力低下など、学校教育への信頼が揺らいでいます。この間、東京都教育委員会におかれましては、「心の東京革命」の展開、「主幹制度」の導入など、果敢に先駆的施策を展開されました。各区の教育委員会におきましても地方分権の流れに沿い、横並びを脱して独自の施策を展開し、懸命に改革を進めているところであります。
 しかしながら、現行の県費負担教職員制度の下で、教育を担うべき現場の教職員の人事権が東京都にあることにより、様々な面で隔靴掻痒の感を抱かざるを得ません。まずは、教職員の各区への帰属意識が希薄で、それぞれの区の教育方針への理解が十分でないように思われます。また、理解・協力を得られる教職員を各区で育てても、一定の基準で他区市へ転出させざるを得ません。
 何より、東京都には4万人を超える教職員がいます。このような多数の教職員の人事管理では、各区の実情は配慮されず、どうしても画一的にならざるを得ないのではないでしょうか。
 そこで、我々特別区教育長会は、人事権の早期委譲を強く要望いたします。
 1)教員の任命権の全部または一部を区に委譲する。
 2)事務・栄養職員は都の職員を引き上げ、すべて区の職員とし、その財源を措置する。
など抜本的な改善により、学校の実情に即した教職員の人事管理を実現すべきであります。
 しかし、上記の要望事項の実現には、国の法改正や東京都の条例改正が伴います。そこで、東京都教育委員会と特別区教育委員会の双方が、現在の人事の運用についいて見直しを図っていくなど、その課題実現に向け、努力を重ねていくことが大切であると考えております。
 これらの対応により、21世紀の東京をそして日本を担う子どもたちのために。東京都教育委員会と各区の教育委員会とが新たな形で連携することになり、更なる教育改革を全国に向けて発信できるものと考えております。
  平成15年7月2日
                          特別区教育長会長  
                                小野正志
東京都教育委員会教育長
    横山洋吉様

公立学校長の
     任命について
 2003年9月1日付けで、
  下記のとおり発令されました。

墨田区立隅田小学校校長 佐藤準一
 江東区立豊洲小学校教頭 より昇任
墨田区立竪川中学校校長 熊谷伸賢
 立川市立立川第八中学校教頭より昇任


  戦争を賛美する靖国の思想
 ─靖国神社・遊就館を訪ねて─ その二

(3)靖国神社の本質を表す遊就館
 さて、拝殿の前を右折して祭儀所を通り過ぎると、境内の一角に遊就館がある。遊就館は一八八二(明治四十五)年公開軍事博物館として設立され、国民の軍国主義意識の高揚に大きな役割を果たした。遊就館こそ靖国神社の何であるか、その本質を端的に物語る施設と言えるのではないだろうか。
 実は私は、以前にも靖国神社を訪れている。そのとき遊就館は増改築中であり、「かく戦えり。近代日本」というテーマで小規模の仮展示を行っていた。「今、英霊の声が聞こえる。『海ゆかば水漬く屍、山ゆかば草むす屍と幕末・明治からの国難に敢然と立ち向かい、悠久の大儀に生きた我々のたたかいをなんと考えるのか』と」。この「英霊の声ととも」に誕生したという展示は、戦争を勇ましいもの、カッコイイものとして描き出し、近代日本が戦ってきた戦争を美化し正当化している。私は靖国神社をさらによく知るために、新しい遊就館をも訪れてみたいと思ったのだった。

(4)将兵たちのいさおしを讃える
 再びやって来た遊就館は、装いも新たに、広く近代的な建物に生まれ変わっていた。エスカレーターで二階に昇り、まず、最初の展示室に入ると、そこには「武人のこころ」という表題がつけられていたのである。これは、遊就館の性格のすべてを表していると私は思う。
 古来人間は、集団を成し、戦いを繰り返してその領地を広げ、やがて国家を形成し拡大する営みを続けてきた。とくに科学の発達は、兵器の殺傷力・破壊力を飛躍的に増大させ、近・現代の国家間の戦争は、悲惨を極めるものとなった。その歴史の中にどんなに多くの人々の血が流され、どんなに多くの悲しみや苦しみがあったことであろうか。そして、平和を願い、戦いをやめさせ、あるいは、戦いを回避させようと願う「こころ」もあったはずである。そのような「こころ」を歴史の中から掘り起こし、光を当て、今の世に生かす努力こそ必要なのではないか。そのことを証する所こそ「不戦を誓う」にふさわしい場所なのではないか。
しかし、靖国神社はそのような場所ではなかった。「近代日本の礎となった将兵たちのいさおしをたたえ、御霊を慰め、安らかに鎮まるのを祈るところが靖国神社である。」(パンフレット『遊就館』)と書かれているように、「武人」すなわち「軍人(いくさびと)」(戦争遂行者) の「霊」を慰め、その「死を讃える」所が靖国神社である。ここでは、戦争の非人間性、酷たらしさ、汚さ、惨めさ、それらがもたらす人々の悲しみや苦しみ・・・・等々、戦争の実相から目を背け、極めて観念的・抽象的に戦争を美化し、正当化し、「武人」たちの死を讃えるのが靖国神社なのである。

(5)武人のこころ
 では、「武人のこころ」とはどのような「こころ」のことなのだろうか。この表題がつけられた展示室に掲げられているいくつかの歌がそれをよく示していると思う。私はその中の二首を書き留めておいた。
 「君がため世のため何か惜しからむすててかひある命なりせば」(宗良親王)
 「海ゆかばみづくかばね山ゆかば草むすかばね大君の辺にこそ死なめかへりみはせじ」(大伴家持)
 ここで歌われている「君」「大君」は、言うまでもなく『君が代』の「君」であり、「天皇」を意味する言葉である。つまり、これらの歌が示しているように「武人のこころ」とは、天皇のために喜んで命を捨てる「こころ」のことなのである。靖国神社は、「最も高く美しい道徳」としてこの「こころ」を掲げているのである。

(6)天皇信仰―人命の軽視
 人間の命をなんと軽く見ているのだろう。「軍人勅諭」という文書がある。これは、天皇を中心として統率し、強力な日本の軍隊をつくるために頒布された明治天皇の勅諭であるが、その中にも次のように書かれている。
 「只一途ニ己カ本分ノ忠節ヲ守リ、義ハ山嶽ヨリモ重ク、死ハ鴻毛(オオトリの羽毛)ヨリモ軽シト覚悟セヨ。其操ヲ破リテ不覚ヲ取リ、汚名ヲ受クルナカレ。」
つまり、人の命は、天皇に対する忠義のためには、鳥の羽よりも軽いというのである。
 私はこの部屋に立ちすくみながら、まるで太平洋戦争敗戦前の世にでもいるかのような錯覚を覚えていた。「靖国で会おう」という合い言葉のもとに、「天皇のために命を捨てる」戦争に国民を駆り出し、「聖戦」という名の侵略戦争遂行に大きな役割を果たした靖国神社の本質は、戦後、そのことを反省して、国家神道から一宗教法人の神社に生まれ変わったはずの今も、全く変わっていないではないか。はたしてここが、「不戦の誓いを堅持すること」を祈って参拝するにふさわしい場所と言えるのだろうか。

3戦争を賛美する遊就館の展示
(1)展示の概要
 遊就館には、二十五の展示室が設けられているのだが、その概要を知るために、表題のいくつかを書き出しておきたい。
*武人のこころ
*日本の武の歴史
*幕末(ペリー来航〜王政復古=迫り来る侵略の手、ぎりぎりの政治改革)
*戊辰戦争(錦の御旗が勝敗を決した)
*近代国家の形成
*靖国神社の創建(皇室と靖国神社・国民と靖国神社)
*西南戦争(近代化への産みの苦しみ)
*日清戦争(明治の人々が初めて経験した大国との戦い)
*日露戦争(興国の興廃この一戦にあり)
*第一次世界大戦(近代国家として世界に認められる)
*昭和初期・済南事変(中国大陸への進出と排日運動)
*満州事変(満州国の建国と国際連盟からの脱退)
*支那事変(執拗な挑発・最初に発砲したのは誰か?)
*大東亜戦争(開戦〜進攻=近代国家として戦うか、それとも・・・・)
*大東亜戦争(攻防の転換点=後に続くものを信ず)
*大東亜戦争(守勢作戦〜本土防衛=無差別爆撃、そして原爆)
*大東亜戦争(終戦〜戦後=整然とした武装解除、復興への努力)
*靖国の神々(散華の心・鎮魂の誠)


週刊墨教組 No.1416  2003.9.5

校長の恣意による強制異動を許すな!
 解釈運用交渉大詰め
 都教委、九月十二日に地教委へ説明

 異動要綱の改悪が七月十日に強行されて以降、東京教組執行部は「要綱」の解釈運用に関し、精力的に都教委と交渉を続けています。現在、要綱に関する「一問一答」の文言整理に入り、大詰めの段階にきています。
 都教委は、九月十二日(金)には地教委に、九月十九日(金)には校長に対して説明を行います。また、墨田区教委も、異動日程から考えると、遅くとも九月二二日からの週に、校長に対し、説明・指導を行うことが予想されます。その後、人事異動の具体化が「自己申告の中間面接」(一〇月)を通じて始まります。
 私たちはあくまでも「強制異動」強化に反対し、抵抗し、さまざまなとりくみをすすめていきます。

 校長の恣意による
       強制異動を許すな!
 異動は、仕事に対する意欲や生活に直接かかわることです。今回の改悪要綱では、「校長の人事構想に基づくきめ細かな異動を行う」という異動方針に見られるように、 校長の人事構想が基本になり、「本人の希望や事情」が軽く扱われることが危惧されます。
 都教委は、行政系に比べて教員に関する「業績評価の実績が不充分である」ことを認めています。開示に耐えられる状況ではないのです。「校長の恣意的な具申による異動はありえない、校長に対してそのようなことが起こらないように指導する」旨のことを都教委は組合に回答しています。開示に耐えられないような業績評価が現実にある中では、「校長の恣意や情実による人事異動」が生じる危険があります。「強制異動」強化に反対し、「本人の希望や事情」が配慮されるように、墨田教組は区教委へのとりくみを強化していきます。


女性差別には
   毅然とした抗議を
―太田議員から返事―

 六月二十六日、鹿児島で開催された「私立幼稚園九州地区大会」の討論会で、森喜朗衆議院議員から子どもを作らない女性に対する暴言と、太田誠一衆議院議員からは、こともあろうに、「集団レイプする人はまだ元気があるからいい。また、正常に近いんじゃないか。」という問題発言がありました。
 これらの発言は、女性を性的対象、子産み子育ての道具とみなし、一人の人間としての人格・人権を否定するものです。
 わたし達は、両議員に対して七月十一日付で「要請書」を送付し抗議したところ、太田誠一議員から左のように、『お詫び』の書面が届きましたので、紹介します。
 こうした女性差別・蔑視の発言には、毅然とした抗議をしていきましょう。
 なお、森喜朗議員からは、何の音沙汰もありません。

平成15年7月24日
墨田教職員組合
執行委員長 加藤 宗三郎様

拝啓 時下益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
七月十一日付の「要請書」確かに拝読致しました。貴組合が日ごろから女性に対するあらゆる暴力の根絶、女性の人権と男女平等社会の確立に向けた様々な活動をされていることに心から敬意を表します。
報道された六月二十六日の私の発言で多くの皆様にご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。私の不徳の致すところであり、弁解の余地はありません。深く反省し、女性の尊厳を守るという問題意識を一層強く持って、今後も忌憚のないご意見をいただきながら、これからの政治活動に取り組んでゆくことで今回の失言の償いを致したいと思っております。
今回のご指摘を重く受け止め、凶悪犯罪を容認すると受け取られる発言をしたことを重ねてお詫び申し上げます。        敬具
衆議院議員  太田 誠一


『戦争を賛美する靖国の思想』集中連載
 
壮年期、『神聖の復活』などの渾身の評論を、本紙上につぎつぎと発表されました。骨身を削るようにして天皇制にあらがう凛冽な姿勢に、わたし達は目を瞠り、どんなに力をふるいおこされたことでしょう。
 動員でお会いすると、少年のおもざしをとどめて、やわらかく微笑されます。
 昔日のままの苛烈で雄勁な原稿が送付されました。
 有事法制、自衛隊のイラクへの派兵、そして、教育基本法の改悪などの現在の日本の情況は、すでにして、戦争前夜のファシズムにほかなりません。マスコミは、権力に迎合して、黙して座視するばかりです。
 そこで、放たれた批判の一矢は、「靖国の思想」の虚構を根源から破砕します。
 私たちは、この文章を契機として、個を鍛え、いまひとたび歴史認識を問いなおさなければなりません。この評論『戦争を賛美する靖国の思想』を集中連載いたします。
 

戦争を賛美する靖国の思想
  ─靖国神社・遊就館を訪ねて─
1 はじめに
2 天皇信仰に最高の価値を置く靖国の思想
(1)教育勅語
(2)「靖国の思想」と『新しい歴史教科書』との類似
(3)靖国神社の本質を表す遊就館
(4)将兵たちのいさおしを讃える
(5)武人のこころ
(6)天皇信仰ー人命の軽視
3 戦争を賛美する遊就館の展示
(1)展示の概要
(2)戦争物語
(3)日本の戦いはアジアに勇気を与えた(?)
(4)「大東亜戦争」について
(5)「植民地支配・侵略」認識の全くの欠落
(6)雄々しく(?)並べられた兵器
(7)命の使い捨て、特攻作戦
(8)ロケット特攻機「桜花」
4 兵士たちの死を美化する─桜花・散華
(1)もの哀しい響き「桜花」
(2)特攻兵士たちの気持ち
(3)母のこころ
(4)美化する言葉
(5)『新しい歴史教科書』の記述
5 九段の桜─靖国信仰
(1)靖国信仰の教育
(2)英霊の招魂
(3)小泉首相の靖国参拝について
(4)追悼のこころ
6 政教分離の意味
(1)天皇信仰・靖国信仰の呪縛からの解放
(2)憲法違反の靖国公式参拝
(3)「中心的施設」ということ
7 戦後の靖国神社復権の動き
(1)ナショナリズムの継承
(2)靖国神社国営法案
(3)A級戦犯の合祀
(4)首相・閣僚の公式参拝
(5)アジアからの批判は内政干渉か
(6)石原都知事の出現、さらに危険な動き
8 おわりに
(1)靖国神社は、今も
(2)今こそ、天皇信仰・靖国信仰の
歴史的検証・批判を

戦争を賛美する靖国の思想
 ─靖国神社・遊就館を訪ねて─ その一 T・H

1 はじめに
 今年の夏、私は靖国神社を訪れた。九段坂を上りあの大鳥居をくぐると参拝客もまばらな静かな境内であった。
 しかし、私は参拝に訪れたのではない。太平洋戦争で戦死した父が、英霊として招魂され、祭神になって祀られているという靖国神社とはどんな所か見ておきたかったからである。言うまでもなく、私は、そのような靖国の思想を微塵も持ち合わせていないし、一人のキリスト教徒である私にとって、英霊・招魂・祭神などという靖国信仰はまったく無縁である。
 靖国神社訪問のもう一つの理由は、「内閣総理大臣である小泉純一郎が靖国に参拝します」と明言し、(アジア各国から批判を浴びて多少のたじろぎを見せながらも)あえて公式参拝を強行した小泉首相の憲法感覚に重大な疑念をもったからである。
 さらに、参拝に当たって小泉首相は、「将来にわたって、平和を守り、二度と悲惨な戦争を起こしてはならないとの不戦の誓いを堅持すること」を祈念したと言うのだが、靖国神社がはたして不戦を誓うにふさわしい場所なのか、私は自分の目で確かめてみたかったからである。

2 天皇信仰に最高の価値を置く
 靖国の思想
(1)教育勅語
 正面の拝殿ヘ向かって参道を行くと、「ご自由にお取りください」と書かれた掲示板の下に箱があり、その中から一枚の紙を手に取ってみる。それは「教育勅語」であった。ここで私は、早速「天皇」と出会うことになった。「靖国神社」と「天皇」が密接に結びついていることをまず感じたのであった。
 「教育勅語もなかなかいいところがあるではないか。『父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ』なんて現代にも通じる大切なことではないか。良いところは学ぼう。」などという意見をよく耳にすることがある。森前首相も首相在任中、「戦前の教育勅語には時代を超えた普遍的哲学がある」とその再評価を求めた。
 しかし、これは、「朕(天皇)」で始まり「御名御璽(ぎょめいぎょじ=天皇の署名印)」で結ばれた「勅語」なのである。天皇がその「赤子」に「爾(なんじ)臣民」と呼びかけ、「賜ったお言葉」なのである。とうてい国民主権の憲法下にふさわしい文章とは言えない。
 そして、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」とあるように、この文章に書かれていることのすべては、「何事か一大事があれば、勇気をふるって立ち上がり、永遠に続く皇室と天皇を助けなさい」というところに収斂する。「親に孝行する」のも、「みんなが仲良くしなければならない」のも、「天皇のため」なのである。単なる「良い言葉」なのではない。「良い言葉」なら他にいくらでもある。「教育勅語」は「天皇の」「天皇のための」言葉であるからこそ、靖国神社はこれを境内に置いているのである。
 八十六歳になる私の母は、子どもの頃学校で習ったこの「勅語」を未だに諳んじることができる。幼い頃から「教育」の名によって「勅語」をたたき込まれ、国民は「天皇のため」の戦争(聖戦)にかり出されて尊い生命を失った。そして、アジア諸国を中心とした多くの他国の人々の尊い生命を奪ったのである。私たちは、「近代日本人の人格の背骨」(と、「新しい歴史教科書をつくる会」の中学校用教科書・扶桑社刊『新しい歴史教科書』はこれを評価している)として、侵略戦争を遂行するための精神的支柱となった教育勅語の復権を許してはならない。

(2)「靖国の思想」と
『新しい歴史教科書』との類似
 扶桑社刊の『新しい歴史教科書』は、「教育勅語」が侵略戦争遂行のために果たした役割には全く触れずに、「教育ニ関スル勅語」という項目を設け、二十八の注釈を付して「教育勅語」の全文を掲載し、「父母への孝行や、非常時には国のためにつくす姿勢、近代国家の国民としての心得を説いた教え」と肯定的としか受け取れない評価をしていることに注目しておきたい。
 後にも触れるが、靖国神社の主張に見られる歴史観と『新しい歴史教科書』を貫いている歴史観とは酷似しているのである。そして、このような歴史観をもつ教科書を文部科学省が検定に合格させているという現実にも注意しなければならない。私はこの拙稿において、現行の『新しい歴史教科書』の記述にも触れていきたいと思う。

   (以下次号)

       


週刊墨教組 No.1415  2003.8.29

 年間賃金は、過去最大の引き下げ 
   二年連続、俸給表のマイナス改定!
   五年連続、一時金の引き下げ

        八月八日 人事院勧告
 八月八日、人事院は政府と国会に対し、国家公務員の給与勧告や地域給与・給与制度見直し、公務員制度改革に関わる報告を行いました。
 勧告の主要点は次の五点です。
1.俸給表マイナス改定  基本給を一率引き下げ
2.ボーナスを〇・二五月分引き下げ 現行四・六五月→四・四月分
3.配偶者扶養手当五百円減額 現行一万四千円→一万三千五百円
4.通勤手当 六箇月定期券等の価格による一括支給を基本とすることに変更
5.減額調整 四月の給与に格差率を乗じて得た額を基本として、十二月期の一時金(期末手当)で減額調整する。

すべての俸給月額をマイナス改定
 人事院は今年度四月時点における月例給の官民格差(民間企業と国家公務員との給与格差)は平均マイナス一・〇七%(四千五四円)とし、この格差を是正するため、二年連続で月例給の引き下げを勧告しました。昨年度、教育職は昇格メリットが少ないとして、他の職種より俸給表の引き下げ幅が小さく勧告されました。(二・〇三→教育職一・九%)しかし、今年度はすべての職種の俸給月額について一律引き下げるとしています。私たちの勧告俸給表は資料1です。二年連続のマイナス改定により、一昨年度と比較するとマイナス合計額は平均1万円以上にもなり、非常に不満な内容となります。また、公務員に準拠して賃金を決める企業もあり、そうした企業の労働者への影響はきわめて大きいものとなります。今後、民間と公務員の相互の給与引き下げのマイナス連鎖という悪循環を断ち切るためにも、賃金闘争の再構築が不可欠です。

ボーナス〇・二五月分削減
 今次勧告では、民間のボーナス支給月数が年間四・三八月分相当であり、国家公務員は、これを〇.二七月分上回っているとして、現行(四・六五月分)から〇・二五月分を削減せよとしています。この五年間で(〇・三月+〇・二月+〇・〇五月+〇・〇五月+〇.二五月)合計〇・八五月分削減ということになります。削減分を、期末手当から減じ、勤勉手当の比重を相対的に大きくするとなっています。(資料2参照)
 なお、国家公務員のボーナスは今年度から、六月期と一二月期の年二回の支給になっています。 

減額調整
 昨年度は勧告制度創設以来初のマイナス勧告になりました。勧告制度そのものは、「引き下げ勧告」を前提にした制度ではないことから、四月から確定日までのマイナス相当分の扱いを巡って混乱が生じ、国会でも論議になりました。その結果、今年度は職員団体との交渉を経て、この問題を次のように扱うようにしています。
 「職員が本年四月に受けた官民比較の基礎となる給与種目の給与額の合計額(管理職等については、俸給の特別調整額を含めた額)に格差の率(一.〇七%)を乗じて得た額に、四月からこの改定の実施の日の属する月の前月までの月数を乗じて得た額と、本年六月期の特別給に格差の率を乗じて得た額を合算した額を基にして調整を行うこととする」。昨年度と異なる点は、例えば七月に昇給した人は、「昇給した給与額で処理する」のではなく、あくまでも四月時点での給与額で処理することになります。四月に溯って俸給表の改定はしない、つまり遡及改定はしないことです。しかし、「官民給与は四月時点で比較し、均衡を図ることとしており、遡及改定を行わない場合であっても実質的な均衡を図るための調整を行うことが情勢適応の原則にかなうものである。」として、「十二月期の期末手当の額において調整措置を講ずること」と述べています。
 都では、昨年度賃金カットが実施されていたため、四月からの減額調整は当然にも実施させませんでした。

諸手当
・扶養手当 民間における家族手当は減少しているが、子を扶養する職員の家計負担の実情を考慮して、配偶者に係わる支給額を五〇〇円引き下げ(民間平均一万三千四一四円、国家公務員一万四千円)、一万三千五〇〇円とする。
・通勤手当 民間においては、六箇月定期券等の最も割安な定期券の価額を基礎として通勤手当を支給している(最長期間の定期券五三.七%、一箇月四六.三%)。公務においても、給与原資の効率的配分のため、低廉な定期券の価額により一括支給するように改める。(来年四月から実施)
・住居手当 自宅に係わる住居手当を新築・購入から五年間に限定し、二千五〇〇円支給。「国家公務員では、自宅に係わる住居手当は、主に住居の維持管理の費用を補てんする趣旨で自宅所有者に支給されている。民間の住居手当の支給理由をみても公務と同様の趣旨で住宅手当を支給する事業所は少数であることからみると、本手当は基本的に廃止の方向で対処することが適当である」と述べています。しかし、調査では、住居手当が支給されている事業所割合は五六%あり、そのうち支給理由が国と同じ理由で支給している事業所が一九.四%となっています。この一九.四%を少数として、「手当を打ち切る」とする結論はあまりにも強引と言わざるを得ません。
・教育職俸給 国立大学の法人化等に伴い、教育職俸給表の在り方等について早急に検討が必要。
  私たち教育職の俸給表は、国のものを横引きしています。しかし、来年度から、国立大学が法人化されることに伴い、付属小中学校の教育職も国家公務員でなくなり、勧告の対象から外れます。
  来年度から、私たち都の教員の俸給表は、都で決めることが原則になります。基本的な考えについて、今秋闘で議論します。今年度の賃金闘争の重要な課題となります。   

性根を据えた闘い!
 私たちの給与は、現在、不当にも二%カットされています。本来、賃金等労働条件は労使交渉で決定されるべきものです。しかし、都ではこの間、都議会で賃金等労働条件が論議され、実質的に労使関係が否定され、強引に決定されてきました。今後、一〇月初旬に出される都人勧を巡り、賃金確定の闘いは展開されます。「働けど、働けど、賃金はダウン!」。性根を据えて闘わなければ、この悪循環を断ち切ることはできません。

資料
 
   

児童生徒の人権を守る
 新たな差別選別に反対する

―特別支援教育アンケート―

  七月二四日、「『通常の学級に在籍する児童・生徒の学習障害(LD)注意欠陥/多動性障害(ADHD)、高機能自閉症等に対応した教育的支援に関する研究』にかかわる調査の実施について(依頼)」という文書が各学校長宛に出されました。この調査は極めて問題のあるものです。『調査用紙』の内容は、『音読が遅い』『ことばに詰まったりする』『大人びている、ませている』、『独特な表情をしている』など、作成者の野卑な心性がにじみ出ています。とてもこのまま実施したり協力したりできるものではありません。
基本的な問題点
一、今回のアンケートは新たに子どもを選別し、「障害」者を拡大する内容である。
二、調査項目にあらわれている子どもを見る視点が偏見に満ち、子どもの人権を大きく侵害するものである。
三、LD・ADHD・高機能自閉症の診断は医師でも難しいとされている。十分に「障害」についての認識や専門的知識のない担任が判定をすることになる。この程度の調査でLDなどの発見ができると誤解や偏見を与える危険がある。
四、調査項目にあげられた子どもの行動等は学級の状況や担任の主観によって判断が大きく異なる。調査に客観性がない。
五、「特別支援教育体制」という極めて問題が多い施策の「基礎資料にするため」のものである。
統合教育の名を冠した差別教育
 わたし達がめざしてきたのは統合教育です。分離教育ではなく統合教育を、どの子も地域の学校へ、いろんな子がいてあたりまえ・・・、このようなことばで語られてきました。教育基本法改悪案や「特別支援教育体制」は、「社会のノーマライゼーション」「障害児を普通学級に」という、一見、私たちのこれまでのスローガンと同じように見える言葉を使っていますが、じつは、わたし達の願いとまったく逆の、「障害」児の切り捨て、差別の「自由」化をもくろむものです。発想からして分離教育の域から一歩も出ていないものです。

関東大震災80周年、
朝鮮人殉難者追悼式のご案内

 1923年9月1日、マグニチュード7.9という大地震が発生しました。死者・行方不明者14万人以上という大災害になりました。関東大震災です。しかしこのとき同時に、6000名を越える朝鮮人、数百名の中国人などをはじめ、大杉栄たち労働運動指導者や社会主義者たちが軍隊や自警団などによって虐殺されるという痛ましい事件が起きたのです。なぜ、このときこれほど多くの朝鮮人が虐殺されたのか、事件の風化とともに、日本がかつて行なった侵略戦争の反省も充分にされないまま、今また、北朝鮮の拉致問題を契機に在日朝鮮人・朝鮮学校への脅迫や暴力が頻発し、平和憲法の理念は遠く、再び戦争の気配が濃厚になってきています。
 今年は、関東大震災80周年になります。例年の追悼式と併せて、記念集会も計画されていますので、みなさんの参加を期待しています。

 追悼式
日時  9月6日(土)午後3時より
場所  荒川河川敷木根川橋下手
(京成線「八広」駅下車徒歩5分)
 記念集会 「隠された爪痕」上映会
9月5日(金)午後7時 すみだ女性センター
9月6日(土)午後1時 八広小学校
 「隠された爪痕」は700人の証言を集めた映画です。

  主催 「グループ ほうせんか」
「関東大震災時に虐殺された
 朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」





週刊墨教組 No.1414  2003.7.11

 夏季休業の毎日を有意義に過ごそう
研修の扱いは昨年と同様ー研修権を保障させるとりくみを

   昨二〇〇二年度、墨田区教委は、研修の取扱いについて変更を加えました。この変更は、様々な問題をもっていますが、少なくとも今年の夏の研修については、新たな変更点はありません。つまり「去年並み」ということです。
 私たちは、あくまでも自主的、自発的、主体的に行うべき「研修」の機会を保障させていくとりくみを、粘り強くすすめ、現実化させていく必要があります。

何ら変更されていない研修
十九条 教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない。
 2 教育公務員の任命権者は、教育公務員の研修について、それに要する施設、研修を奨励するための方途その他研修に関する計画を樹立し、その実施に努めなければならない。
研修の機会
二〇条 教育公務員には、研修を受ける機会が与えられなければならない。
 2 教員は授業に支障がない限り、本属長の承認を受けて、勤務場所を離れて研修を行うことができる。
 3 教育公務員は、任命権者の定めるところにより、現職のままで、長期にわたる研修を受けることができる。

 教員の研修のあり方は、一般の公務員の研修(国公法七三条、地公法三九条)の扱いと異なって、教育公務員特例法(以下教特法)で特別に規定されています。創造的な教育活動を営むには、日常不断の研修(研究と修養)活動が必要不可欠であることを教特法十九条で保障しているのです。
 一般の公務員の研修は、その規定から明らかなように勤務能率増進上のいわばその手段として他律的に課せられたものです。しかし、教員の研修は、その職務遂行上不可欠なものとしてあり、他律的に課せられるものではなく、自主的、自発的、主体的におこなわれるべきものです。また、二〇条2項で、いわゆる承認研修の機会を保障しています。
 研修問題を考える場合、、先ずこの点を押さえておく必要があります。

昨年度の変更点は二点
 昨年度に変更された点は、
@ 教員の自宅を研修場所とすることは、原則として認めない
A 研修承認願、研修報告書の様式を変更する
の二点だけです。「承認研修のとり扱い」や「長期休業中の勤務」について、この二点以外にも変更があったかのように話す校長がいるとしたら(例えば、「夏季休業中の教員の研修は少なくなった」「しにくくなった」など)、それはまったくの誤解か、意図的な曲解です。間違いがあるなら正さねければなりません。


様式変更についての区教委の態度

 今回の様式の変更は、研修願・研修報告の書式整備を通じて、教員の自主的、自発的に行うべき「研修」を教育行政として奨励しようとすることが趣旨である。個々の教員の自主的、自発的な「研修」を規制するものではなく、そうした意図もない。

自宅での研修
 文部科学省は、二〇〇二年七月四日、「夏季休業期間等における公立学校の教育職員の勤務管理について」(左に抜粋掲載)を各都道府県教育委員会へ通知しました。
 この通知について、一部マスコミが「『自宅で研修』認めず」との見出しでとり上げ、あたかも文部科学省が「自宅での研修」を一切認めないかのような報道をしました。本文を見ればわかるように、これも全くの歪曲です。
 文部科学省は、「研修を自宅で行う場合」「自宅で研修を行う必要性の有無等について適正に判断すること」と述べています。

「原則」の意味
 二〇〇二年度に区から出された通知文には、6―(1)―ウ、「研修場所については、研修内容からみて妥当な場所であり、合理的かつ必然的な理由を有すること。なお、教員の自宅を研修場所とすることは、原則として認めないこと。」とあります。
 後段部分「教員の自宅を研修場所とすることは、原則として認めないこと」にあります。
 行政用語として「原則として」は、「例外」があることを意味しています。「原則として認めない」とは、「認める場合がある」ことです。研修をするにあたって、研修の成果がよりあがることが期待できるとすれば、それで十分な理由になると考えられます。
「自主研修」を保障させるとりくみを!
 教育基本法十条2項では、教育を発展させるに必要な外的諸条件を整備することを教育行政の任務としています。教員の自主的な研修活動を援助・奨励するために条件整備をおこなうのが教育行政の任務です。研修は、個々の教員の正規の勤務そのものです。自主的、自発的、主体的におこなう研修こそ、その成果が期待できるのです。この点は何ら変わるものではありません。

具体的な研修をめぐって
 今年の夏の研修では、パソコンに希望が多く、区や都の研修から「外された」方も多いようです。研修機会が保障されないとは残念なことです。しかし、パソコンの研修はしなくていいものになったわけではありません。しかし学校にはそのソフトが一台しかなかったとします。これでは安心して研修できない、ではアビ○にでもいくか?・・・いやいや、どうせならそのソフトを購入して自宅のパソコンでインタネットなども使って研修したほうが実があがる・・・とすれば、自宅での研修は、行政の不備を補って余りある、推奨されるべき行為と顕彰されてしかるべきです。

自主的研修を実現しよう 
 区教委は教特法を遵守する立場にあり、区教委には研修の機会を保障する責務があります。区教委が研修内容・方法に介入することはありません。私たちはあくまでも自主的、自発的、主体的に行うべき「研修」の機会を保障させていくとりくみを、粘り強くすすめていく必要があります。

長期休業中におけるボランティアへの参加
 都教委は、「ボランティア活動に従事する場合は、従事時間、従事場所、活動の概要等主催者に確認できる場合に限り『職免』扱いとする。」とし、長期休業中におけるボランティアへの参加を奨励しています。
 墨田区教委は、このことについて、「『職務』に関するものは『承認研修』、『直接職務に関係せず、参加により資質向上が期待できるものは職免』扱い」との考えを示しています。

はじける芽(118)

六月の指導題目

梅雨の季節になったんだなあと感じた場面を、
じっくり観察して、それを詩に書いてみよう。


週刊墨教組 No.1413  2003.7.10

 「改悪異動要綱」の撤回を求める
  「強制異動と人事考課体制」強化にあくまでも反対する

 都教委事務局は、七月十日(木)開催の定例教育委員会において「教員の定期異動実施要綱案」を報告し、教育長決済で決定を強行しました。「人事考課制度」・「主幹設置」や今回の人事異動要綱改悪などは、すべて「都立学校等あり方検討検討委員会報告(一九九八年三月)」に基づいた、具体化的な施策です。今回の改悪に見られる醜悪なる意図は、「あり方検報告」や「人事考課制度検討委員会報告」で明らかです。
 今回の人事異動要綱改悪について、先記二つの施策に対する批判の一部を再掲し、問題点を明らかにします。私たちはあくまでも「強制異動」強化に反対し、抵抗し、さまざまな具体的なとりくみを今後ともすすめていきましょう。

強権で支えられた学校組織は脆弱組織
 今回の異動要綱改悪は、「制度的に強権を持たせることにより、校長にリーダーシップ」をとらせようとするものです(左掲資料参照)。
 都教委は、「学校の諸問題を解決する上で最も重要かつ緊急な課題は校長のリーダーシップの確立」(あり方検報告)
「今日の学校教育が抱える様々な教育課題を解決し、特色ある学校づくりに積極的に取り組んでいくためには、校長のリーダーシップのもとに教員相互が連携して、組織的な協働活動を行うことが重要」(教員の人事考課に関する研究会の最終報告一九九九・三月)と述べてきました。
 このこと対し、墨田教組は「週刊墨教組」で次のように批判してきました。
 「リーダーシップとは、ある集団を指導、統率し得る人格、資質、力量、統率力を意味するのであり、その欠如は強権的に埋められるものではありません。校長にリーダーシップの確立をいうなら、校長の資質、見識、力量の向上こそめざすべきです。」
 都教委は、「校長の資質向上」が期待できないため、強権による「リーダーシップの確立」を強行せざるを得なくなったのでしょうか。

 この異動要綱が機能することで、都教委が期待する「望ましい教員構成」が確保できるのでしょうか。絶対、否です。
 強権で支えられた「校長のリーダーシップ」の下では、校長に批判的な者は切り捨てられます。批判者を抱え込めない人的構成では、業績評価で優遇されたイエスマン的とりまき、権力にへつらうスタッフばかりで構成される脆弱な学校組織しか生み出しえません。そんな脆弱な組織で、今日の困難な「教育課題」を解決できるわけがありません。破綻することは明らかです。

業績評価の開示と
「苦情処理の場」を要求する

 現在、私たちは「絶対評価」と「相対評価」で毎年評価されています。校長の「人事構想」や、地教委が作成する「異動計画案」は、ひとりひとりの教員の「業績評価」を考慮し、作成されると考えられます。
 「評価結果について本人の納得を得ることが望ましく、公正で客観的な評価が行われているとの被評価者の信頼が重要」(人事考課検討委員会報告)とするなら、また「評価結果」を活かすなら、本人に「評価結果」を開示することは当然のことです。
 また、結果に対して、不満・苦情そして訂正・是正要求を出し、不利益を回復する手段(苦情処理の場)が設けられることも当然です。
 しかし、組合の要求に対し、未だ業績評価の開示ができないことは、開示に耐えられない「デタラメな評価」が存在するからと推察できます。現状では、「開示でき得ない評価」に基づいて「強制異動」させられ、また、「昇給延伸」させられるのです。労働意欲が向上するわけがありません。
 都教委が「資質能力や労働意欲の向上」を求めるなら、直ちに実行することは「業績評価の開示」と「苦情処理の場の設置」です。

職場をつくるのは働く仲間だ
 「仕事の遅いもんだって、覚えが悪いもんだっている。人間だからしょうがねえ。どんなやつでも、働けるようでないと、誰だって定年まで働けない。・・・職場では、人間の労働ってことをきちんと腹に据えるんだ。・・・年寄りや病弱者を職場から追い出したりするのは人間のやることじゃないんだ。」(笹山久三『郵便屋』)
 この地上には、カネよりも大切な、人の熱と感情というものが確かにあります。

資料 15教人職第308号
平成15年7月10日
東京都区市町村立小・中・養護学校教員の定期異動実施要綱
第1 異動の目的
 公立学校は、都民の信頼と期待にこたえるため、各学校の教育課題に適切に対応するとともに、特色ある学校づくりの推進に努めなければならない。
 そのため、東京都教育委員会は、適材を適所に配置し、学校における望ましい教員構成を確保し、教育活動の活性化を図るとともに、教員に多様な経験を積ませることにより、教員の資質能力の向上と人材育成を図ることをめざし、教員の定期異動を行う。

第2 異動の方針
1 教員の人材育成と能力開発の視点に立ち、学校経営方針を踏まえた校長の人事構想に基づくきめ細かな異動を行う。
2 教員に多様な経験を積ませるため、区部と市部・町村部の地域間の異動など全都的な視野に立った人事交流を促進する。
3 島しょ・へき地等における教員組織の充実を図る。

第3 異動の基準
1 異動の原則
(1) 現任校において引き続き3年以上勤務する者を異動の対象とする。
(2) 現任校において引き続き勤務する年数が6年に達した者は、異動するものとする。
(3) 過員解消のため異動を必要とする者は、異動の対象とする。
(4) 現任校における勤務年数が3年未満の者で、校長の具申及び区市町村教育委員会(以下「各教育委員会」という。)の内申に基づき、異動することが適当であると東京都教育委員会が認めた者は、異動の対象とする。
2 異動の期日現在、次に掲げる事由のいずれかに該当する者は、原則として異動の対象としない。
(1) 休職中の者
(2) 妊娠・出産休暇及び育児休業中の者
(3) 妊娠中の者及び産後6か月を経過しない者
(4) 病気休職の復職後6か月を経過しない者
(5) その他個別に検討を要する者
3 現任校において引き続き勤務する年数が6年に達した者のうち、校長の具申及び各教育委員会の内申に基づき、学校経営上引き続き勤務させることが必要であると東京都教育委員会が認めた者については、異動の対象としない。

第4 異動の手続及び決定
1 第3異動の基準により異動の対象となる者は、教育職員自己申告書裏面に必要事項を記入し、校長に提出するものとする。
2 東京都教育委員会は、校長が作成し各教育委員会に提出した異動申告書(教育職員自己申告書裏面及び異動についての校長具申)及び各教育委員会が作成した異動計画案に基づいて、各教育委員会と協議・調整を行い、各教育委員会に異動予定者を通知する。
3 東京都教育委員会は、各教育委員会が作成する異動予定者の異動配置案に係る内申に基づいて異動を決定する。
4 教員は、校長の具申及び各教育委員会の内申に基づいて、東京都教育委員会が決定した学校に異動するものとする。

第5 異動の方法
1 地域・地区の指定
(1) 区市町村間の人事の交流を促進するとともに、教員の経験を豊かにするため、教員の通勤圏等を考慮して、全都を12地域に分ける。
(2) 各区市、多摩教育事務所西多摩支所管内の町村、教育庁各出張所管内の町村及び小笠原村は、それぞれ一つの地区とする。
2 各地域と異動との関係
(1) 教員は、5校を経験するまでに、異なる三つの地域を経験するものとする。ただし、1校の実勤務年数が3年未満のものについては、経験とみなさない。
(2) 異なる三つ以上の地域での経験のない者は、同一地区内での異動を認めない。ただし、校長の具申及び各教育委員会の内申に基づき、東京都教育委員会が認めた者については、この限りでない。
(3) 新規採用以来最初に異動する者は、島しょ地域等への異動の対象とする。
(4) 心身障害学級(養護学園を含む。)、養護学校、中学校夜間学級等に3年以上勤務した者は、任意の1地域に勤務したものとみなす。
3 通勤時間
通勤時間は、おおむね60分から90分を標準とするが、120分までは通勤可能な時間とする。ただし、他県からの通勤者で著しく長時間を要する者については、この規定にかかわらず異動を行う。

第6 その他
1 異動の期日は、4月1日とする。ただし、過員については、10月1日までの間で補正の生じた期日とする。
2 都立盲・ろう・養護学校の小・中学部との交流が促進されるよう努めるものとする。

附 則
1 この要綱は、平成15年9月1日から施行する。
2 異動の経過措置
第3 1(2)の現任校勤務年数については、次の経過措置による。
(1) 平成16年3月31日現在、現任校に8年以上勤務する者は異動するものとする。
(2) 平成17年3月31日現在、現任校に7年以上勤務する者は異動するものとする。

地域 地 区
1 千代田区、中央区、港区、新宿区、文京区、台東区、渋谷区, 中野区、豊島区
2 品川区、目黒区、大田区
3 世田谷区、杉並区
4 北区、板橋区、練馬区
5 荒川区、足立区、葛飾区
6 墨田区、江東区、江戸川区
7 町田市、多摩市、稲城市
8 八王子市、日野市
9 武蔵野市、三鷹市、小平市、東村山市、清瀬市、東久留米市, 西東京市
10 立川市、府中市、調布市、小金井市、国分寺市、国立市、狛江市
11 青梅市、昭島市、福生市、東大和市、武蔵村山市、羽村市、あきる野市、西多摩郡(瑞穂町、日の出町、檜原村、奥多摩町)
島しょ 大島管内、三宅管内、八丈管内、小笠原村

週刊墨教組 No.1412  2003.7.3

 校長の人事構想から外された教員は
 年限に関係なく強制異動
  上意下達の学校運営を企図した異動要綱改悪案を提示
 教育基本法改悪の先取りを許すな!

 都教委は、六月二六日、抜本的な改定を内容とした異動要綱案(全文は速報版)を組合に提示しました。東京教組は、七月二日に闘争委員会、三日に単組委員長会を開催し、改悪「異動要綱案」撤回に向けた方針を確立します。闘いは、学期末・夏季休業中に集中することが予想されます。非組合員等の賛同・協力をも得て、撤回に向け闘いを強化していきましょう。

「異動要綱」は無くします!
 現行の異動要綱は、「教員の生活や個々の教員の教育計画」を多少とも配慮したものとなっています。しかし、今回提示された「要綱案」は、こうした配慮は一切ありません。「異動要綱はなくします」との提案です。それは、提案要綱の「異動の方針」で明らかです。
異動の方針1
 「教員の人材育成と能力開発の視点に立ち、学校経営方針を踏まえた校長の人事構想に基づくきめ細かな異動を行う。」
 一口で言えば、「校長の人事構想から外された教員は年限に関係なく強制異動させる」となります。そして、こうした無茶苦茶な異動を可能にするために、
@通勤可能時間を一二〇分にする、
A区部と区部以外(市部等)の人事交流を促進する、
B現任校三年以上勤務する者を強制異動対象とする、
C三年未満でも異動対象とする、
D五校を経験するまでに異なる三地域を経験する
等、異動規模の拡大を骨子とした内容になっています。
 校長の方針に逆らう者は強制異動により排除する、個々の教員の生活や教育計画は異動の条件にしないということです。まさに「ファッショ的な学校運営」を確立しようとするものです。教育基本法改悪の動きと関連させて推察するなら、学校教育の場を早期に「すすんで戦争に参加する人づくり」の場に変質させることを意図したものです。

鬼怒川 夏季合宿

 第二十五回墨田教組夏季合宿学習会を七月十九日・二十日に開催します。この学習会は、例年夏休みに入ってすぐの日程で行われています。
 現下の最重要課題について、十分に時間をとって集中的に学習、討議を行うものです。
 誰でも自由に参加することができます。組合内外を問わず多数の方の参加を期待します。
 今年の内容は次のようになっています。

□とき
七月十九日(土)午後一時四五分 開会
七月二十日(日)午後四時 解散
□ところ
鬼怒川温泉グリーンパレス
□内容
『労働運動の現状と活性化』
  水谷研次さん(元墨田区労連書記・東京連合書記)
『教育基本法改正論批判』
  大内裕和さん((松山大学助教授)

 例年、合宿の目玉は、集中講義と質疑・討論です。
 本年は、それぞれの課題について、現在、望みうる最高の講師の方が、集中講義を引き受けてくださいました。

 水谷さんは、かつて墨田区労連書記として、墨田教組とも深い縁のある方です。ともに過ごした、あの青春時代の熱い志をしっかりと持ちつづけて、さらに新たな労働運動を、広い構想力で模索されています。

 大内裕和さんは、一九六七年生まれで、専攻は教育社会学。語り口とともに風姿がじつに颯爽としています。
しかも、労働者であることをしっかりとふまえたお話は、しぜんと元気がわいてきます。
 近年、『現代思想』誌上で、教育について深い洞察力をたたえた所論を展開されています。
 高橋哲哉をして、「彗星のようにあらわれた」と言わしめた、巨きく明晰な論理で、教育基本法「改正」の問題性を追究されます。
 緊急出版された最新刊『教育基本法改正論批判』(白澤社刊)の帯には、「自由という名の統制、個性による画一化、そして民主から愛国へ」とあります。
 この書物をテキストとして、集中講義は行われます。
 私たちは、新自由主義、国家主義を超克しなければなりません。

 いまひとたびくりかえします。お二人とも、他では、ちょっと聴く機会をもてない方です。
 多くの方の参加を、強く願ってやみません。

反戦・平和教育の前進のために墨田教組フィルムライブラリー・ビデオリスト

 原爆関係
にんげんをかえせ

     VHS 一六ミリ 二〇分
 「 フィート」運動で米国から入手した広島・長崎のフィルムと、被爆者の証言により構成。原爆の恐ろしさ、悲惨さをわかりやすく訴えた作品。原爆投下後に、米国戦略爆撃調査団が撮影した市街地の詳細な写真、病院で手当てを受ける人々。一ヵ所に集められて焼かれる人々…。悲惨な状況を生々しく伝える貴重なフィルムで構成。

もうひとつのヒロシマ
   強制連行―そして被爆

          VHS 五八分
 日本による朝鮮侵略の結果、国を失い、土地を失い、生きるために日本に来ざるを得なかった、あるいは強制連行された朝鮮の人々。そのなかには広島・長崎で原爆の被害者にされるという二重の被害を受けた人々もいる。全被爆者の一割はこれらの人々。
 彼らは今なお日本政府から何らの謝罪も補償も受けず、差別された状況下に呻吟している。
 こうした韓国・朝鮮人被爆者の証言を中心につくられたドキュメンタリー。

ひろしまのピカ
  カラー・アニメ VHS 二五分
 同名の絵本「ひろしまのピカ」(絵と文・丸木俊)を土本典昭監督が映像化したもの。音楽を小室等、語りを中山千夏・竹下景子が担当。

夏服の少女たち
 カラー・アニメ VHS 一六ミリ
 広島県立第一高女一年生二百人は、強制疎開のための建物取り壊し作業中原爆にあい、全員被爆死。彼女達は、母親たちのお古をほどいて夏制服を完成させたばっかりであった。
 アニメとドキュメンタリーを合成した演出方法で構成。

はだしのゲン 1
   カラーアニメ VHS 八四分
 物語は戦争中の広島から始まる。ゲンの父親は戦争反対を叫び軍部につかまる。ゲンの一家は「非国民」呼ばわりされるが、国民学校二年生のゲンは弟の信次と力強く生きる腕白少年。一九四五年八月六日広島に原爆が投下され、一瞬の内に父・姉と弟を奪われた。奇跡的に助かったゲンは、廃墟の広島で母を助け生き抜く。

はだしのゲン 2
   カラー・アニメ VHS 八八分
 ゲンの母の原爆症発病から死亡までを軸に描く。母親はゲンに背負われて病院に行く途中で命の灯を消す。「わしゃ麦になるんじゃ! 厳しい冬に芽を出し、何度踏まれてもまっすぐに伸びて実をつける麦になるんじゃ」ラストシーンのゲンの叫びが子どもたちの共感を呼び胸をうつ。大人たちの忘れていた心をよみがえらせてくれる。

つるにのって とも子の冒険
   カラー・アニメ VHS 三〇分
 フランスで原爆被害の実相を紹介する活動をしているミホ・シボさんのよびかけでつくられた「世界の子どもに平和のアニメを贈るピース・アニメの会」によって製作が実現した作品。

クロがいた夏
  カラー・アニメ VHS 八〇分
 被爆四十五周年記念企画の長編アニメ。戦争という時代のなかで、一人の少女とその家族の生活、そして、その生活と子ネコ「クロ」の命を一瞬のうちに奪った原爆の悲劇を通して、平和と命の大切さを描く。「はだしのゲン」の作者、中沢啓治の作品。

 沖縄戦関係 

映像でつづる沖縄戦後50年史
     VHS  一二〇分
 「鉄の暴風雨」が吹き荒れてから五〇年、一九九五年摩文仁の丘に世界の恒久平和を希求し、平和の発信地として、「平和の礎」が建立された。国内唯一の地上戦・敗戦・民族支配・本土復帰・経済の自立・・・・沖縄県民が辿った激動の半世紀を21世紀へのメッセージとして検証する映像ドキュメント。

教えられなかった戦争・沖縄編
―阿波根昌鴻・伊江島のたたかい―
     VHS  一一〇分
 明治以来、現在にいたるまで他国を侵略して〈経済発展〉を続ける日本の社会構造を問う。阿波根さんは「命を育む土地を人殺しのためには使わせない」と戦後の伊江島反基地闘争でしなやかに、したたかに闘いをつづけました。

沖縄戦の図・命どう宝
     VHS  一一六分
 丸木位里・俊さんが沖縄に取材し、現地作成した、「沖縄戦の図」の貴重な記録映画です。「集団自決とは手を下さない虐殺のことでありました。」戦争の本質をつくことばでした。

沖縄ー最後の死闘
カラー・ドキュメント
VHS 四〇分
 一九四五年三月二十三日、米連合艦隊は沖縄本島に向けて猛烈な艦砲射撃を開始、太平洋戦争最後の幕が開いた。「ひめゆり部隊」が、「鉄血勤皇隊」の多くの学徒が、島民十万人と共に犠牲となった。約三ヶ月の攻防戦の末、日本軍は玉砕した。

沖縄からのメッセージ98
     VHS  三〇分
 沖縄は、「平和」「共生」「自立」を基本理念に21世紀に向けて、新しい時代にふさわしい、国際都市、「沖縄」の建設にとりくんでいます。
沖縄県企画・琉球放送著作制作。

ドキュメント沖縄戦
記録映画カラー
VHS 五七分
 戦後五十年沖縄戦記録映像総集編。十二年にわたる一フィート運動で入手した沖縄戦の記録映像(沖縄戦記録フィルム一フィート運動の会)。

かんからさんしん
カラー・アニメ
VHS 七八分
 沖縄に米軍が上陸し、兵隊も島人も洞窟壕に追いつめられた。誰もが死を覚悟したとき聞こえてきた島唄。空き缶で復元した三線が命の歌を思い出させる。

沖縄ー未来への証言
記録映画カラー VHS 五五分
沖縄ー未来への証言
戦後四五年記念普及版カラー
VHS 三二分
 なぜこんなに沢山の遺骨が収集されるのか、なぜこの島々であんなにも激烈な地上戦が行われ、悲惨な住民犠牲が生じたのか、さらにどうして現在の基地におおわれた沖縄になったのか、次々に新たなる問いかけを生んでいく作品。

戦場ぬ童(いくさばぬわらび)
カラー・ドキュメント
VHS 一六ミリ 二六分
 橘裕典監督の作品。沖縄戦四〇周年記念映画として製作。子どもの頃、地獄の戦場をさまよった人々の生々しい証言をもとに、沖縄戦の実態を子どもたちに的をしぼって描き、しかし基地の島沖縄では「戦世(いくさゆ)」はまだ終わっていないと訴える。


週刊墨教組 No.1411  2003.6.25

あきらめないこと! でも難しい・・・
  ―みんなで行動して元気になろうよ―投稿―

 六・一四教基法反対の集会が芝公園であった。土曜日のことだ。たくさんの仲間が・・・と思って出かけた。御成門駅で下りたところで、福岡県教組の十数人のゼッケン姿に出会った。今日の行動の打合せのようだった。このところ、いろんな集会に出るたび、集まりの悪さにがっくりしていたせいか、涙が出て胸がつまる思いだった。私の家から芝公園まで二時間足らず。毎日の忙しさに休日はゆっくりしたいけれど、福岡からの人たちに比べたらと思ったら、心が痛かった。なぜ東京近くにいるのにみんな出て来ないの。行動しても無駄とあきらめてしまったの。(私も時々そう思ってしまうけど。)
 毎年五月三日には私の住む我孫子市では憲法集会が行われ、大体は参加している。今年は、有事法制について、明治学院大学の浅井基文さんの講演があった。外務省を退職した後、、執筆活動でも活躍している方だ。イラク攻撃への批判から北朝鮮問題まで、アメリカの行動に理論的にするどく批判していた。「目からうろこ・・・」とはこのことと思った。
 強制連行や従軍慰安婦として強制的に連れて来て戦争に参加させた日本が何ら反省もせずに、拉致問題のみあおって隣国を非難することへの問題をあげられていた。強制連行も拉致も共に許されることではないと。今や平和憲法が危機をむかえていても、歯がゆいばかりだが。会場からの質問に、浅井さんは「あきらめずに戦いましょう。」とおだやかにこたえられた。亀戸での有事法制反対東部集会でも「六十年安保反対」の運動は、安保成立後もしぶとく戦っていたんだという人のことば、「あきらめないで」が思い出され、重なってきた。
 毎日、ニュースを見聞きすると、おそろしい法案が次々と論議も経ずに通過している。職場は、管理強化と忙しさで思考ストップ? でも、集会や講演会・デモに行くと、私は一人じゃない。同じ考えの人がたくさんいるんだと教えられる。世の中いやなことも多いけど、元気ももらえる。デモで声を出して、仲間と愚痴をこぼし合って、遠くから参加している仲間に感動をもらえる。
 めんどうだからと思わず、「はじめの一歩」、集会に参加しましょう。特に今問題の教基法改悪反対は教員である私たちが動かないで、誰が動くのですか。芝公園の暑い陽ざしの中、もっともっと東京近辺の仲間に来てほしいと思っている。「分会一名以上」の動員は、一人分会では十割だ。五日制の土曜日はそんな行動につかいやすいと私は思うのだけれど。
 子どもたちと歌っている人気の歌「いのちがよろこぶように」の中に、「テレビでみた、遠い国の子ども。今にも折れそうな手を広げ、一人で泣いてた。誰のせいでこんなに苦しんでるの。何も知らなかった自分にも少しおこってます。もっともっと知りたい。・・・・」というフレーズがある。「何も知らなかった」の「ら」を抜いてみると、そのまま六・一四での私の気持ちだった。
 自宅研修がせばめられる中、自分たちで作った本当に価値のある「研修」に参加しましょう。夏休みには、いろんな集会、研修で語り合いましょう。
隅二小分会 投稿
二〇〇三・六・二三
  沖縄慰霊の日に

「学ぶ」ということは
文花中(曳舟中)夜間学校から学ぶ 第四回

   わたしのこと
 私は、二〇〇一年の九月に日本にきました。いますみだくのたちばなにすんでいます。私のふるさとは、アフガニスタンのマザリシャリフです。ふゆはとてもさむく、はるはたくさんあめがふるところです。わたしのかぞくはわたしをいれて十一人です。おとうさんとおかあさん、いもうと四にんとおとうと四にんです。わたしとおとうとといもうとは、いえでいっしょにカーペットをつくるのがすきです。カーペットをつくるのはたのしいですがたいへんです。たとえばたて4メートル、よこ3メートルのカーペットはいっかげつはんかかります。でもわたしがつくったカーペットはとてもきれいです。いま、にほんごはちょっとむずかしいです。でもわたしはがんばります。にほんごをべんきょうしてアフガニスタンをたすけたいです。
二〇〇二年度「卒業記念誌」より

アフガニスタンを助けたい
 アメリカがアフガニスタンにいるとしたビン・ラディンを探すことを目的にして、タリバン政権を攻撃し、平和なこの国が廃墟と化してしまった。たくさんの難民も出たがその中の方たちなのであろうか。その後、イラクも大量破壊兵器が隠されているということで、攻撃され今に至っている。どこの国でも、戦争されたら、困るのは一般の市民なのである。「有事法制」が通ってしまい、戦争に巻き込まれることを一番おそれる。危険な国になってしまったので、この方の文章が、切実感を持って迫ってくる。それにしても、一年くらいの間に、日本語を使って、これだけの文章が書けるようになったのだから、この方の努力もたいしたものである。「学ぶ」ために生きているのでなく、「生きる」ために学んでいるのである。「学び」を通して、自分自身の「生きる」力をつけているのである。

 わたしの楽しい第二の人生
 わたしは小さい頃から学校にごえんがなく学ぶことができませんでした。家庭を助けて農業をやっていました。昭和九年に、サハリンに渡ることになりました。サハリンでも農業をやっていました。畑を広くして、やれやれと、落ち着きはじめた頃に戦争が始まりました。今まで耕した畑は全部捨てて、安別から、西しゃく丹と言うところに、避難することになりました。途中で艦砲射撃を受けながら何とか無事に避難することができました。山の奥まで逃げるのに遠く感じました。だれもが疲れ果てて、着物を一つ一つ捨てながら我先にと避難するところへと足を運ぶのでした。みんな必死でした。避難場所は大きな飯場でした。何百人が避難したことでしょう。老いた方々、子供達、男といったら年とった人たちばかりでした。わたしはその時、十五歳でした。昭和二十年八月の半ば過ぎに知らせがありました。それは、日本が負けたということでした。皆さんは泣き泣き、それを聞いておりました。何日でもないことでしたが、山から下りて浜まで出ると、ロシア人が、真っ黒い顔をして、一メータぐらい離れたところで銃を持っていて、見張っていました。とても怖かったのです。私たちはみんな捕虜になってしまったのです。西しゃく丹の方達が炭坑で働いていたときの長屋をもらい、そこに居住することになりました。わたしも働かなくてはならないので、理髪の見習いをして働くことになりました。その時にはすでに日本の本はもう見られなくなっておりました。全部焼かれてしまい、日本の字は書くことも、読むこともできなくなってしまったのです。日常生活では、日本語、ロシア語、韓国語、とまぜて話をしてました。そうして暮らしている内に何かを思い出した様に突然私は日本に帰りたくなって、書けない字で、カタカナとひらがなと、まぜて手紙を書いて出しました。(途中略)申し込んでから八年もたったその時に、知らせがありました。その手紙には日本に帰れるという返事でした。(途中略)三人の子供達も、三中を卒業し、すくすくと成長して自立ができるようになりました。(後半略)
二〇〇〇年「卒業記念誌」より

学びへの出発
 やがてこの方は、文化中夜間に学び、「一日一日が楽しくて時間がもっとほしいと何度も思ったことでした。」と、具体的事実を書き込んでいる。「学び」が目的でなく、学びを通して、自分自身の生き方に大きな自信をつけている。

まずは言葉を話し文に書く
 様々な理由で、新しい国に移り住むようになったら、まず最初は、その国の言葉を話せるようになることである。今、中国やフィリピンなど東南アジアの国の人々が、日本の男性と結婚して、子どもができて、日本の学校に入学してくる。日本語のほとんど話せないまま、普通学級に編入して、言葉がわからないままトラブルを起こしている例が良くある。そのような子どもたちには、まず、「日本語学級」(堤小学校)に通うことを勧める。最低そこで、二年間くらい言葉をしっかり身につけないと、その後の生活に不安が残る。大人であるならば、このように「文花中夜間」に通うことを勧めたい。年に関係なく、入学を受け入れてくれるようだからだ。

本当の学力とは
 小学校四年と中学一年が、「国語」「算数(数学)」の学力調査をする。「基礎・基本がどの程度定着されているか」を把握するためだ。採点は指導主事がするとのことである。それを、抽出して、何校かの結果を都に提出する。
 基礎基本というものがはっきりしないまま、教科書が編集された。子どもにとって、もっと大切なことは何かということは、日々関わっている現場の人間が、一番はっきり具体的につかんでいる。それを、ペーパーテストのみで、「定着状況を調査」するとのことだ。
 区によっては、小学校全員の学力テストを行い、結果をすべて情報公開で調べることができるようにしたところもある。これによって、学校間競争をかき立て、テスト結果の悪い学校は、自然淘汰されると考えているようだ。
 そもそも、このようなぺーパーテストで、それぞれの学校の一人一人の児童の可能性を、正しく「判定」できると考えていること自体がおかしい。各学校は、様々な特色を持った地域性の上に成り立っているのである。全部の学校が一律に、すべて同じに成り立っているのではない。学校の特色を出せば出すほど、あることには優れており、他の学校にない良さが自然に出てきておかしくないのである。この「判定」で学力水準が低い学校は、教師批判をされるようになるであろう。

 昔から、「読み・書き・そろばん」の大切さが言われてきた。「読み」では「読書離れ」が言われているが、教科書から優れた文学作品が見られなくなった。「まともな文章が書けない大学生がかなりいる」とマスコミなどでも報じられてきた「書き」・「作文力」だが、小学校の教科書の中に、「ひとまとまりの表現力」をつける単元がどれほどあるだろうか。
 文花中夜間学校の作文は、「事実をきちんと書いているから」共感できるのである。私たちの目の前にいるこどもたちの想像(創造)力が、枯渇してきて当たり前だ。「生きる力」を支える(と喧伝している)根本の教科書の「基礎学力」が怪しいのが現実である。


週刊墨教組 No.1410  2003.6.18

管理体制強化からは、
ろくな教育も教員も生まれない

 読売新聞夕刊(六月十三日)、NHKニュース(六月十六日朝)で、東京都教育委員会が「定期異動要綱の大幅改悪を実行する」旨の報道がなされました。都当局は、その内容について、東京教組に対し、「決定した内容ではない」と答えています。しかし、都当局は、この間、長年築いてきた組合との交渉ルールを無視し、組合に提案する以前に、一方的に都議会やマスコミを通じて既成事実をつくり、事を進めてきました。今回も、都教委は、この手法で「異動要綱改悪」を強行するつもりでしょうが、私たちは絶対に「改悪」を認めることはできません。今後、対都交渉の強化を中心に様々なとりくみをすすめていきます。

 都議会での教育長答弁
 二〇〇三年二月二〇日都議会予算特別委員会での公明党木内良明都議による、「校長が十分裁量権限をもつために異動要綱というものを見直すことも必要なのではないか」との質問に対し、横山教育長は、「異動対象年限を大幅に短縮し、教員の在任希望にかかわらず、校長の意向を優先できるようにいたします。また、一方で、学校経営上残留させたいと校長が判断した教員につきましては、通常の異動年限を越えて在任させることができる仕組みを導入してまいります」と答えています。東京教組はこの発言に抗議するとともに撤回を要求してきました。しかし、都教委事務局は、この教育長答弁に沿って、「二〇〇四年度定期異動」から実施するため要綱の改悪案を作成しています。
 
 管理強化からは、
ろくな教育も教員も生まれない

 都教委は、上意下達による学校運営を強引に推し進めてきました。自己申告・業績評価による「人事考課制度」もそのひとつです。「人事考課制度」の主要な目的である「人材育成について、目的を達していない」ことがすでに指摘されています。また、業績評価が開示されていないことも要因となって、「管理職と教員との信頼関係が希薄になっている」ことも指摘されています。
 今回、校長権限の強化により、校長が気に入らない人を異動させることが可能になるなら、そこから生まれるのは、上からの命令に忠実に従う個性のない教師、もの言わぬ教師です。職員会議では校長・教頭の顔色を伺い当たり障りのない発言をする教師、沈黙を守り続ける教師。教師が教育について自由にものが言えない学校で、のびやかで発想豊かな子どもを育てることはできません。
 過去の軍国主義教育の反省に立って、『教育基本法第一〇条「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」 学校教育法第二八条「E教諭は児童の教育を掌る」』が制定されたのです。上意下達の学校体制は、戦争を遂行することを目的にしたものです。それを意図した異動要綱改悪を絶対に認めることはできません。

夏季一時金
「条例通り2.05月を6月30日」に支給

人事異動要綱改悪反対! 
給与制度改悪反対!
6.30東京教組都庁前
総決起集会へ!!
 6月30日(月)午後4時半から5時半
 都庁第二庁舎前広場
 参加 分会1名以上

 

「人らしく生きよう
―国労冬物語」墨田上映会

 一昨年11月、この映画が劇場公開されると、大きな感動の渦を巻き起こしました。
 15年前の国鉄民営分割化はまさに現在のリストラと労働組合つぶしの原点でした。妥協を拒否した国労組合員には容赦ない「首切り」「差別」が襲ってきました。この作品は、行商やアルバイトをしながら職場復帰を求めてきた1047名の鉄道員とその家族のドキュメントです。
厳しい状況の中で、プライドを捨てずに労働者らしく=人らしく生きようとするその姿は、「教育の冬の時代」にある私たちに勇気と希望を与えてくれるでしょう。
 多くの皆さんが参加されることを願います。

1.とき 6月20日 (金) 午後18時30分〜
2.ところ すみだ生涯学習センター
視聴覚室 (東武線・京成線曳舟駅下車)
3.チケット 前売り500円(墨田教組まで)当日700円
4.主催 墨田上映実行委員会
 墨田教組は総会で決定された方針により、賛同人となっています。

「学ぶ」ということは
文花中(曳舟中)夜間学校から学ぶ 第三回

学校は たのしいねえ
韓国から日本に来た女性
えんぴつなんか/もったこと なかったよ/学校は たのしいねえ/ゆめのようだよ/(なにが そんなに たのしいの)/字をかくのがうれしい。/きゅうしょくも おいしい。/ぎゅうにゅうだって のめなかったのに/のめるようになっておいしい。/えでもうたでもさんすうでも/たのしい。/でも さんすうは むずかしくって/こまってるけど。/このとしになって おぼえるのが/むずかしい。/ぶんかさいや えんそくも たのしい。/こどものときからしらないから。/がっこうにきた 五ねんかんで/わかがえったようなきがするよ。/(じが わかるようになって なにが かわったの)/めがあいてても みえないのと同じだったからー。/しょくどうへいって ねだんをみても/わかるようになった。/そこにかいてあっても みえなかったものが、/みえるように なったんだよ。/えきでも ひらがなで かいてあるから/わかるようになって、ひとりででんしゃにのれるし、/こどものところへも ひとりでいける。/それがうれしい。/こどもが、「車でおくっていこか」というけど「いいよ、いいよ」って/リュックをしょって 歩いていく。/でんわも かけられなかったんだ。/すうじが わからなかったからね。/今は でんわもかけられるよ。/きょうとは たのしかったよ 。/おとうふが とっても/おいしかったんだよ。/その おみせで もらったおにぎりを/うちにかえって 子どもたちに/ たべさせたら/おいしいねえ といったよ。/ものがたべられて ゆめみたいだ。/
(後半略 ) (聞き手 古川が記す)

一九九六年度第四十四回「卒業記念誌」より

 右の作品は、韓国から戦前に日本に来て、学校に行く機会に恵まれず、そのまま働き通しの人の作品である。結婚して、子どもたちもそれぞれ独立して、独りで住んでいるときに、近所の人に、曳舟中夜間のことを紹介されて、入学してからのことを、思い出して書いたものである。
学ぶことの喜び
 この作品を読むと、字を学ぶ喜びから始まり、給食を食べる喜び、絵や歌や算数を学ぶ喜びに広がり、やがて、文化祭や遠足などの学校行事へ参加する喜びも書いている。字を覚え、食堂のものの値段がわかり、駅で切符を買うときも一人でかえる喜びを知る。自分の子どもの所にも、一人でいける喜びも書いている。数字を覚えたので、電話もかけるようになった。つまり、学校に来てから、学ぶ喜びを、具体的に書いているので、それがなおさら、読み手である我々に、心にずっしりと訴えかけてくるのである。「生きる力」とは、こういう事なのであると言うことの原点を、我々に教えてくれる。この作品の最後に、古川と書かれているのは、長らく墨田教組におられた古川和代さんのことであろう。本当に、大事なお仕事をされていたのだと言うことを、今になって教えられた。右の作品の続きに次のように記されている。

 私は、韓国の こすんで生まれたの。うちはのうかで人をやとうくらいけっこう大きかった。牛やぶたもかっていた。男のきょうだいは学校へ行ったけど、女だから、いそがしくて学校には、行かせてもらえなかった。二十の時、夫の父親が大阪にいて、そこへ行くことになった。お母さんは、ないてわかれたまんま。私は、字が書けないから、日本から手紙が出せない。だから母は、私のいるとこ知らないし、ようすもわからない。母は、せんそうが終わって、六十七歳くらいで、しんだけど、私は、とうとう、会えなかった。何にも親孝行できなかった。死んでから、韓国へ行ったら、近所の人が「もっと早く来れば、良かったのに。ねむらない前に、会えたのに。あんたのことばっかり、いってたよ。」って。私は、なあんにも、親孝行できなかったんだよ。日本に来たころ、もう、せんそうちゅうだった。食べ物は、はいきゅうで、大根とか、いもとか、そんなものしかなかった。食べ物がないのが、一番つらかった。はじめは、カギを作る工場へ行って働いた。朝の八時から、晩の八時まで働いた。それから戦争がはげしくなって、いずも大社へ、そかいした。そこに五年ぐらいいたら、せんそうが終わって、日本にいると、あぶないから、朝鮮へ帰ろうと思ったら、一ど、朝鮮へ帰った人たちが、「こわい。こわい。」と、もどってきたので、かえるのをやめた。それからは、仕事という仕事は、みんなやったよ。さいたまへきたのは、しょうわ三十年ころです。子どものおもちゃを作る工場に、親子五人で住みこんで働いた。仕事はたくさんあったし、いっしょうけんめい働いたよ。今では、こどもたちは大きくなって、みんなうちを出て、今はひとりです。近くの人で、ひきふねをそつぎょうした人がいて、「あんたも行きなさい。」といってくれた。むすめと二人で、はじめて学校にきて、大はた先生にあって入学したんです。けれども、まだ仕事をしていて、朝早いから、夜はねむくなって、だめだった。それで一どやめて、仕事をやめてから、入りなおした。この五年間、学校は休んだりきたりで、なかなかおぼえられない。この間に、三回も入院した。ぜんそくで、せきがとまらないから、春と秋が苦しい。きょ年、たい院してから、友だちにいわれて、歩くようにしている。一日一時間くらい、歩くようにしてみた。夜もあたたかいじきには、歩いている。そうしたら、体がじょうぶになってきて、せきも出なくなって、学校も、やすまずこられるようになってうれしい。悲しいことは、たくさんあったよ。もういっぱい泣いたから、なみだが出なくなっちゃったんだよ。自分がおやこうこうしてないから、子どもに、親こうこうしろっていえないんだよ。これからは、いやなことはわすれて、いつもわらってくらしたいねえ。せんせいたちは、みんなやさしくってどうもありがとうね。
一九九六年度第四十四回「卒業記念誌」より

学ぶことは、生きること
 字を知らないがために、自分の母親に手紙が書けなかった。そのために、親の死に目にも会えない。こどもたちが独立して、親の元を次々に去っていき、一人になった。そこで、夜間中学校の事を知り、通うようになる。体にぜんそくの持病を抱えているので、入院も何度か繰り返しているようだ。仕事を持ちながらでは、夜は眠いらしく、一度挫折してしまう。 二度目は、仕事を辞めて、再び通い出す。それは、目が開いていても、書かれている文字が読めなかった。しかし、字をおぼえて、はじめてその喜びを知ったことが、学びへの大きな執念になった。
 基礎学力とは、このように、自分自身の生活を大きく広げ、今までできなかったことができるようになることである。「学ぶ」と言うことが目的化されてしまっている現在、自分自身の「生きる力」をつけていくことこそ、本当の「学び」ではないだろうか。


週刊墨教組 No.1409  2003.6.12

 学ぶべきはいまの私たちだ!
有事法制は歴史の悪夢を繰り返す

 有事関連三法案が、六月六日、参議院本会議で可決されました。いま、日本が再び戦争国家になろうとしています。私たちは、「あくまでも戦争に反対し、戦争協力を拒否する」という立場を貫きます。なぜなら、いかなる戦争も「不幸」をつくりだすからです。
 夜間中学の生徒の卒業記念作文を読みながら、戦争の恐ろしさと、一度、戦争への道を歩み始めるととどめることができないということを、ひしひしと感じました。

 曳舟中夜間学校から学ぶ 第二回

 私のふるさと
 長野県下伊那郡根羽村が私のふるさとです。昭和十一年十月に生まれました。六歳の六月、満州開拓団として中国黒竜江省へ渡りました。父、母、祖父母、叔母、姉、妹二人、そして私の十四人の家族が一緒でした。寒い冬が来て、春が来ました。その年の八月、朝八時頃、パンパンという音で目が覚めました。ソ連の兵隊の銃撃の音でした。飛行機からたくさんの爆弾が落とされました。おじいちゃん、おばあちゃん、おばさんが、家の中で死にました。姉と妹二人と外へ走って逃げました。姉と妹も打たれて死にました。妹はまだ二歳でした。家も焼けました。攻撃は夕方まで続きました。そして、私一人だけが残りました。父と母はそのとき、もう畑に行っていたので、どのように死んだのかもわかりませんでした。日本人のおばさんが、私を連れて山の中へ逃げました。それから昼間は山の中にかくれていて、夜になると村に行って食べ物をさがしました。そして中国の養父母と会いました。私は中国の養父母の家にもらわれて行くことになりました。日本人のおばさんと離れたくなくて泣きました。養父母の家に行った夜は、お母さんのことを考えて、何も食べられませんでした。私の中国の名前は風琴です。中国のお父さん、お母さんはとてもやさしかったです。自分に娘がいないので、本当の娘のようにかわいがってくれました。でも、外で遊ぶと、中国の子どもに「日本鬼」といじめられました。だから私は一人で家の中で遊びました。お父さんが外に一緒に行って遊んでくれました。お兄ちゃんはとてもやさしかったです。だから、ひとりだったけどさびしくありませんでした。
 十三歳くらいから農業を手伝いました。そして二十二歳のとき、結婚をして、五人の子どもを育てました。生活は大変でしたが、家族みんなで仲良く生活しました。そのころは日本のことを考えることはありませんでした。中国と日本の国交もなかったからです。七十二年に中国と日本の国交が回復しました。そこで、姉の同級生と会いました。それから、日本に帰りたいと思うようになりました。日本は私のふるさとだからです。家族のこと、養父母のこと、いろいろ考えました。 (中略)
 九十四年、夫と一番下の娘と三人でふるさと日本へ帰ってきました。日本語は一言も話せませんでした。とても困りました。でもそれ以上に、中国へ残してきた子どもたちのことが心配でした。眠れませんでした。日本に来て、常磐寮で七ヶ月、日本のことや日本語を勉強しました。そして、曳舟中学に入学しました。私は子どものとき、学校に行っていないので、漢字は知りません。中国にいたときは、字を書いたことがありませんでした。日本語も少しずつわかるようになりました。ひらがな、漢字も少しずつかけるようになりました。今年の四月から普通学級で勉強しています。足し算もかけ算も初めて勉強しました。筆で字を書いたり、絵を描いたりするのも初めてです。どの教科も楽しいです。子どもたちみんな日本に来て生活を始めました。孫とも一緒です。今は何も心配がありません。家族みんなが一緒だからです。私は六十二歳になりました。心配もなく、こうして勉強ができて、今とても幸せです。

 一九九八年度 第四十六回「卒業記念誌」より

日本の過去の歴史を学ぶ
 満州事変とは、柳条溝の鉄道爆破事件を日本軍がでっちあげておこした戦争(一九三一年)。その翌年から中国の東北部を日本の領土とした国家(一九四五年まで)。日本の長野県や東北地方の農民に、開拓団に参加したものが多い。それは、日本本土より広い国が大陸「満州」にあり、広い土地を耕すことができると宣伝して、貧しい農業から解放される思いで参加したものが多い。しかし、現実は厳しく、土地を耕すまでには、至難の業では成功しなかった。小学校一年生の本人を入れて、十四人家族で渡っている。やがてこの文に書かれているような、痛ましい事件に巻き込まれる。日本の敗戦が濃くなってきた、一九四五年の夏にあたる。いわゆるソ連の参戦である。家族十四人のうち、残ったのはたった一人というのが、悲しい。父母の生死さえはっきりわからないのである。日本人のおばさんに助けられて、昼は山の中に逃げ込み、夜になって食べ物を探しに村に出かける。やがて中国人の養父母に引き取られて、中国の大地で育てられていくことになる。軍隊が国民を守ることはなかった。

有事立法を発動させない
 国民の基本的人権の尊重をあいまいにしたまま、有事法制の骨格が決められた。私たちは、これから出される関連法案にも徹底して反対する。あらゆる運動によってこの法律を実のないものにしていかなくてはなりません。
 そうでなければ、この方が書かれた苦難の歴史が再び繰り返されてしまうからです。

はじける芽(117)

五月の指導題目

世の中の出来事の中で、心の中に強く残ったことをていねいに思い出しながら、書いてみよう。


週刊墨教組 No.1408  2003.6.9

海を戦場にしてはならない
船乗りたちの安全と命を守るささやかなたたかい

 第二〇回墨田教組平和教育研究集会が、六月六日(水)三時から、すみだ女性センターホールで開催されました。

 全日本海員組合政策教宣局副部長の藤丸徹さんが、「海から見る『有事法制』」というテーマで、講演されました。
 いま、まさに徴用されようとしている切実な海員の立場から、歴史的事実をふまえて、「有事法制」の危険さを提起していただきました。
 船乗りとして、世界の海をめぐった実体験をもとに、広く資料を読み直して講演にのぞまれた藤丸さんの語り口には、「海を戦場にしてはならない」という決意が、強くにじんでいました。

「海員徴用令」
 日本は海に囲まれています。日本で消費される原油や輸入品の大半は、海路を経由してきます。海は、日本と世界をつないでいるのです。日本の平和と安全は、何よりまず、海の平和と安全を意味します。
 船乗りには、悲しい歴史的事実があります。
 一九四〇年に、「船員徴用令」が、公布されました。戦争にさきだって、「戦争ができる国」への法整備が着々とすすめられたのでした。
 この法律によって、約三〇万人の民間船乗りが、兵站という後方支援に駆り出され、六万人が見殺しにされました。この死亡率は、海軍・陸軍の倍の比率です。
 だからこそ、海員組合は、安全と命を守るささやかなたたかいをつづけるのです。

戦場となる海
 イラン・イラク戦争の時には、ペルシャ湾内に航行する民間船舶四〇七隻が被弾し、六五〇人が死傷しました。日本の船舶も十二隻が攻撃され、二人が死亡しました。
 コイズミさんのように、まっさきに、戦争支持表明を行えば、もちろん、交戦国からの攻撃の標的になります。
 海では隠れることができません。たとえ、「後方支援」の民間船舶であろうと、「有事」にあっては、戦闘に参加したものとみなされ、容赦なく無差別攻撃にさらされます。「有事」では、海そのものが、広範囲な戦場となるのです。
 
個別法に反対しつづける
 「有事法制」が、衆議院を通過したとはいえ、海員組合は、あきらめてはいません。しぶとくたたかいつづける覚悟です。
 秋の臨時国会には、「国民保護法案」が提出されるでしょう。
 戦時中、「船舶保護法」という法律がありました。「保護」とは耳ざわりのいい言葉ですが、実態は、「船舶保護上必要あるとき」は、船長はじめ乗組員が軍の命令に従い、そむくと懲役刑を課せられました。
 海員組合は、これから出される「保護」という名の個別法に、厳しく反対していきます。
 日本の平和と安全、とりわけ海の平和と安全は、絶対に武力で得ることはできません。

紹介 定本 さねとうあきらの本*第1巻
神がくしの八月
株式会社てらいんく発行 定価1800円
(2003年7月末日まで特価1500円)

 平和教研でお知らせがありましたように、さねとうあきらさんの書籍が、著者の甚大な努力で次々に再刊される運びとなりました。とはいえ、実は発行元をご自分の会社にかえての出版です。これまで、「なまけんぼの神様」はじめ、さねとうさんの多くの本を個人で、あるいは図書室に購入されたみなさまに、さらに、ご協力をお願いしたいと思います。
さねとうさんから次のようなメッセージも来ています。どうぞ、著者の意図、作品の内容、そして子どもたちにどうふれさせたいかを斟酌されて、できるだけたくさん購入いただきたいとお願いいたします(なお、今回は個人での購入に限らせていただきます)。
注文は、書記局で取りまとめます。6月20日(金)までに、お名前、希望冊数と代金を、書記局にお寄せください。担当執行委員を通されても結構です。
できれば分会でとりまてめていただけると好都合です。
紹介のためにチラシが必要であれば、ご連絡ください。

イラク戦争、有事立法と、世相を暗くするニュースが続出するなかで、子どもの立場から戦争を見つめた「かみがくしの八月」のような作品は、新たな展望を拓く示唆を与えているように思われます。この本がさなに次代に読み継がれるよう、格別の力強いご支援をお願い申し上げます。
追伸 「神がくしの八月」までようやくたどりつきました。時代は逆流、この作品にふさわしい時代がきていました。「なまけんぼの・・・」復刻も射程に入っています。

「学ぶ」ということは
 曳舟中夜間学校から学ぶ 第一回

曳舟中夜間からの発言
 四月の組合の定期総会で、曳舟中学校夜間から発言があった。夜間中学校があることは、みんな知っていたのだが、あのように具体的に話していただくと、みんな感動をもって、聞いていたに違いない。それほど、心に残る発言であった。その後、七年間の卒業記念誌を読んでほしいと、執行部へ送られてきた。しかも、ぜひ読んでほしいという作品には、わざわざ説明の紙まで挟まれていた。さっそく読ませていただいたが、どのページを開いても、夜間中学校の実情が手に取るように読み取れる。
 その中で、特に心に残る作品をいくつか紹介したい。ことに最近「子どもの学力が危ない」とマスコミを含めて、やかましく叫ばれるようになってきた。本当の学力とは「何の力をつけるのか」。「生きる力」をつけるとは、どういう力をつけていくことなのかを、考えていきたい。

 楽しい毎日
 七十五才の時入学しました。名前も書けませんでした。今は、やっと名前は書くようになりました。学校に来て、毎日楽しくいつまでもいたいです。友だちといっしょに勉強して、先生にもよくおしえてもらいました。世の中に生まれて、いちばん楽しい毎日です。
 一九九八年度第四十六回「卒業記念誌」より

学ぶ喜び
 七十五才になって、入学して、学ぶ喜びを知ったこの方の正直な気持ちが、うれしいほど伝わってくる。名前も書けないまま、七十五才まで生き続けていらっしゃったという事実が重たく訴えてくる。自分自身の存在を、名前を書けるようになり、しっかりと意識化されたのである。そこから学校に来る喜びを知り、友だちと一緒に勉強する喜びを心の底から感じているのである。だからこそ、先生におしえていただいたと、自然に感謝している。世の中に生まれて、いちばん楽しい毎日ですと、断言しているところも意味がある。こんな生徒と関係を持ち続けられることがうらやましい。昼間子どもと向き合っている我々の周囲には、これほど学校・友達・教師を心の底から大事に感じているこどもたちがどれほどいるか。「学級崩壊」「登校拒否」「閉じこもり」「子どもの虐待」などと言う言葉が、現実味を帯びて、我々の身近なところに迫ってきている。だからこそ、このみずみずしい「学び」への意欲が、新鮮なものに映る。

 自分史から
 私は六歳の時から子守にいきました。三年間子守りをしました。子どもが背中でおしっこをして背中が冷たくなりました。私はつねったりしました。それで私も泣きました。家の手伝いをしました。水くみに行ったり、ごはんをたいたりしました。男の人が頭にかぶる帽子をあんだりしました。十五歳のとき、日本に来ました。大阪に来ました。本を作る工場でした。朝七時から、夜十時まで働いて三十円もらいました。二年間働いて病気になりました。それから二年間ほど働けませんでした。十七才の頃になって洋服のしたばりをしました。二年間くらいしました。それからお嫁に行きました。
一九九八年度第四十六回「卒業記念誌」より

事実を綴る大切さ
 同じ作者が、自分の生い立ちを振り返って、書き込んだものである。今から五年前に七十五才であるということであるから、ご健在ならば、今年八十才になっておられるはずだ。十五歳の時というと、今から六十五年前と言うことになる。一九三八年に日本に来られたと言うことは、その日本も日中戦争に突入し、大不況のときにあたる。東北地方の人々はもっとも貧しく、娘を身売りしていた頃になる。そんな時代の中で、一日十三時間も働かされている。二年間病に伏して、その後再び働きだして、二年後にお嫁に行くことになる。この方は、十九歳のときに結婚され、以後自分の名前を書けずに七十五歳になるまで、子どもを育てながら必死に生きてこられたのであろう。このような重たい現実も、字を覚えたからこそ、じっくり思い出して、文章にまとめることができたのである。字を覚えなくても、語ることができたであろう。しかし、それはその場で伝わるが、消えてなくなってしまう。ここに書き言葉と話し言葉の違いがある。やはり文字を覚え、文章にこのようにまとめていけば、我々もその文を読みながら、この方の生きざまもしっかり受け止めることが、今できるのである。

 私は学校がだいすき  
 私は何でも勉強がしたいです。年をわすれて学校生活ができるのがうれしいです。先生方や皆様方と勉強できるのがうれしくて、暑さも寒さも気になりません。いつの間にか学校の門、こんばんは!の声で、さあ勉強だと張り切ります。文化中夜間学級は、私の八十才の青春です。風にも、雨にもめげず通います。学校は、楽しいです。いい先生、いい学友にめぐりあえて、とてもうれしいです。毎晩、空でもとんでいる気分です。八十二才の自分の年を忘れる私です。毎晩、先生方に教えてもらえる。学友にも教えてもらえる。先生と学友の皆様、ご恩はけっして忘れません。
 二〇〇二年度「卒業記念誌」

生涯教育の原点
 どの人の作品を読んでも、「文化中夜間でずっと勉強していたい。」という思いが脈々と流れている。卒業という区切りがなければ、ずっとずっと勉強をしていたいと言う気持ちが伝わってくる。「八十才の青春です。」と言いきるところに、この方の「生きる力」とは、こういう事だと言うことを教えられる。この方の生き甲斐は、「学ぶ喜び」である。「先生方と学友に教えてもらえる。」自発・共同の生活にいる充実感である。八十二才と言えば、日本人の平均寿命に近い数字である。この方にとっては、「生涯教育」という言葉がぴったり当てはまる。「死ぬまで勉強。」と心の底から感じているのであろう。夜間中学校の生徒にとっては、年齢は関係ないのである。自分の「ものの見方考え方」を少しでも、今以上に高めていきたいという「学習意欲」に他ならない。「学ぶ喜び」を自ら持ちながら、学校に通っているのであろう。ここまで、生徒の願いを、それぞれ受け止めて、「生き甲斐」を持たせ続けている曳舟夜間中学校の教師集団に、あらためて敬意を表したい。いくつかの作品を出しながら、「学ぶ」とは、どういう事なのかを、もう一度考えていきたい。


週刊墨教組 No.1407 2003.5.28

「主体性」が保障されない「自己申告」に何の価値があるのか!
開示できない「業績評価」は開示に耐えられない「評価」が現状なのか! - 都労連、「自己申告」・「業績評価」についての問題点を指摘

 都労連は、二〇〇二年度賃金交渉の過程で、「人事給与制度の見直し」に関連し、「人事考課制度」について検討会を設置し、そのあり方も含め都と協議することを約束させました。自己申告、業績評価の形ですすめられている「人事考課制度」は、「承認、昇格、昇給、異動」と労働条件に関する事項にリンクしたものになっています。組合として交渉事項とすべきものであり、今回設置させた委員会で、都当局と話し合うことは当然のことであります。また、都当局は業績評価の開示もできない現状の中で、来年度から「定期昇給」についても「業績評価」を反映させることを強行しました(事務・栄養士は来年度から、教育職は一年遅れ)。交渉経過について、第四回(四月二四日)の検討委員会での都労連主張を掲載することで、この課題の中間報告とします。
校長の「学校経営方針」に従うことと
 「自主性を活かす」ことは矛盾する

○自己申告で「職員の主体性」や「上から目標を与えて育成する」と当局は主張するが、本人の自主性を活かすということになっていない。上からの枠はめになっており、「業績評価とリンクしているから職員は出さざるを得ない」と言うのが実態だ。

 「自己申告」と「業績評価」を
    リンクさせたことが問題

○自己申告は、本来自由申告であり、職務の一環と位置づけたこと、自己申告と目標管理を結合したことに問題がある。目標管理の手法を使わなくても自己申告制度はできる。本来自由にものが言える制度としてあったのが、目標管理と業績評価をリンクしたことで自由度がゆがめられた。

「面接」にどれだけの価値があるのか
○異動申告、目標管理、業績評価は別物であり、区別するべきだ。目標は集団議論でやるべきことであり、それを個人の自己申告で行うということに矛盾がある。面接のための面接になっている。コミュニケーションは日常的に行うものだ。

「業績評価」は相対評価、
 なぜ絶対評価にしないのか

○スキルアップ等で自己申告制度はあってもよいが、トップダウンでどこまで業務がやれるのかにウエートがいっている実態にある。専門性・困難性・習熟度を見ないで結果責任は個人という制度になっている。しかも、業績評価は、相対評価である。

チャレンジ目標とは何?
  「キャリアー研修」のこと?

○組織目標を管理職はきちんと示しているのか。トップダウンとなっているため管理職は職員個人の業務習熟度・担当地域等を考慮しないで行っている実態だ。チャレンジ目標はひどい制度だ。民間でも業務習熟が前提になっている。しかし、管理職は新人や局間異動の職員にも納得性なくチャレンジ目標を設定させている。

職員の「主体性」を保障すべき
○都庁職のアンケート結果を見てもらいたい。制度設計と現実の乖離が明らかだ。主体的取り組みが自己申告制度の前提だが、それが崩れている。納得性がない。

校長が自己申告に際し「下書き」を強要していることは趣旨に反する
○遅れて出発した教育現場では、「自己申告書き直し」が前提になっており、人事異動と業績評価がリンクしている。自由にものが言える制度になっていない。

自己申告・業績評価について
根本的に論議すべき

○大規模な学校現場や交通等の業務実態等多様な職場がある中で、面接の実態を把握しているのか。
○そもそも自己申告の目的は何か。職場の実態に即して是正することが必要だから「検討会」を行っている。当局がいうように制度が100%機能することはない。だから、労使協議が必要なのだ。目標を管理職が説明できない状況がある。そして、面接が押しつけになり、職員の主体性が減退している。切り離して自己申告に限定すべきだ。
○自己申告の良さが消されている。人材育成、配置の適格性等が無視されている実態にある。異動管理を目標管理と業績評価と接合した結果の実態だ。チャンネルを戻すべきだ。
○当局は実態を見ないで「あるべき像」のみで制度設計している。実態をふまえて検証し、議論し、見直さなければならない。

『国際理解』を自ら阻む文部科学省
 ーなぜ朝鮮学校を「一条校」に準ずる学校と認めないのかー
(分会投稿)

 この十年間、朝鮮学校と合同学習を続けてきました。テーマは様々で、地域を流れる「荒川」や、地場産業の「皮革」の仕事、日本と朝鮮、フィリピンの「文化」などです。
 日本の学校には、日本人の他に朝鮮人、バングラデシュ人、ヒィリピン人とのダブルの子がいました。朝鮮学校には、朝鮮人、韓国人、日本人とのダブルの子たちがいます。それぞれが、互いの文化や歴史を知ることで、自分のアイデンティティを意識するものでした。自分のありようを見つめるには、鏡が必要です。私たちは互いに、自分を他者という鏡に映し合うことにより、自己をより深く見つめることができます。それが他者を尊敬することにつながることを知りました。
 これらの学習は、図らずも一九九六年に出された審議会答申「二十一世紀を展望した我が国の教育の在り方」の『2章 国際化と教育』と重なる部分があります。
 しかし、長年朝鮮学校と交流してきて、文部科学省の態度は、答申とは裏腹だと思わざるを得ません。答申では「(a)広い視野を持ち、異文化を理解するとともに、これを尊重する態度や異なる文化を持った人々と共に生きていく資質や能力の育成を計る」ことを一つのねらいとしていますが、朝鮮学校に対しては、差別を維持・強化しているのです。
 一九九四年まで、子どもたちの通学定期券は日本の子どもたちのような割引がなく、インターハイにも出場できませんでした。今も「学歴」が認められず、多くの高校卒業生は定時制や通信制の高校に入り、大学受験資格をとっています。どんなに悔しい思いでしょう。それ以上に、朝鮮学校への教育助成金は、私立学校の十分の一にも及ばず、学校運営を非常に厳しいものにしています。授業料を納められず暗い顔をする子どもの姿に出会いました。教職員の給料はほぼ私たちの三分の一です。それでも民族の文化を守ろうと頑張っています。私はこのような状態を放置している日本という国が恥ずかしくてなりません。
 すでに、一九九〇年に発効した国連『子どもの権利条約』は、固有の文化的アイデンティティ、言語の尊重、平等に教育を受ける権利を掲げています。また、国連・人種差別撤廃委員会は、二〇〇一年三月に日本政府に『最終所見』を出しました。朝鮮学校に対して、「異なった取扱基準」を設けることでの「教育、訓練および雇用についての権利の不平等な享受」が日本社会に存在することの懸念です。
 文部科学省は、「国際化と教育」の課題を自ら阻んでいます。子どもたちが、韓国・朝鮮をはじめとするアジアの国々の子どもたちと共に生き、平和な社会を創りだすには、まず平等な関係をつくることです。「一条校」(公立・私立学校)に準ずる学校として認めることだと、私は強く思います。


週刊墨教組 No.1406 2003.5.21

 勤評抜擢特昇反対!
  「特昇」を管理強化の具にさせてはならない!
 都教委は、東京教組をはじめ関係組合との交渉を経て、五月二〇日 地教委に二〇〇三年度成績特昇実施について説明を行いました。昨年に比べ、日程が二〇日間も早くなっています(昨年度は六月一〇日)。日程的にきついものがありますが、「勤評特昇」を許さないとりくみを短期間で進めていかなければなりません。
 二〇〇三年度成績特昇の特徴的な内容は、次の四点です。
 @ 実施区分は、 短 6短 3短の三区分とする。(昨年度と同じ)         措置者定数  短 5% 6短 % 3短 %(昨年度と同じ)
 A 業績評価の評定を基礎とした推薦書等により決定
 B 採用二年目(平成一三年度四月一日採用、平成一二年度途中採用)の者は、 成績特昇の推薦から除外(ただし、他の道府県教員経験のある場合は、3  短、6短の推薦対象とすることができる) 
 C 五八歳以上の欠格基準をはずし、年齢による昇給停止者も特昇の対象者 にする(最高号俸に達している者は除外)

現行特昇区分、付与率の継続は
       賃金カットの見返り

都教委は、一九九九年度から「成績特昇」を、 短と6短の二区分とし、付与率も一五%に縮減し、成績主義をより強化することを決めていました。しかし、都がベアを一年間凍結したこととの関連で、「成績特昇については九九年度も継続して三区分で行い、かつ総付与率も縮減せずに二五%とする」ことが九八賃金確定交渉の中で、妥結した経過があります。
 その後、賃金カットが強行される中で、この措置が今年度も含め五年間継続されてきました。このことに関し、都教委は東京教組に対し、つぎのように回答しています。
東京教組 「本則適用後も、三月短縮が措置されている現状から、その趣旨を管理職に徹底すること。」
都教委  「説明会で周知する」
 この措置は、管理職にも適用されています。付与率二五%で五年間では一二五%になり、全員が特昇に該当する数字になっています。

連続抜擢特昇に反対する
 私たちは、民主的な職場づくりの基調として、「協力、共働、なかま、決定権」を大切にすることを最重点にしています。
ひとりひとりの職員の能力が生かされ、学校がチームとして、教育力をたかめていくことを望むからです。しかし、連続抜擢特昇は、私たちが求める職場像、学校像を否定するものであり、「協力、共働、なかま、」を否定し、「競争」を基軸とした職場・学校像だからです。それ故に、私たちは連続抜擢特昇に反対してきました。
 二〇〇〇年度から、「連続抜擢禁止」の規定が廃止されました。しかし、都教委はこのことについて、東京教組に次のように回答しています。「特定の人に毎年連続して特昇を措置することを奨励するものではない。成績特昇の実施にあたっては、その効果が次年度以降にも及ぶことを十分に認識し、措置者の推薦と決定が公正に行われるよう努めていく。」
 校長の職務として、「すべての職員の能力を引き出す」ことがあります。「特定の人に毎年連続して特昇が措置される」なら、それは「校長が職員の能力を引き出し、生かせなかった」ことを意味します。都教委の回答は、校長の能力欠如により特昇が措置されたり、恣意的な抜擢があってはならないことを示しています。

管理強化は
   士気の高揚にはつながらない

 昨年度に引き続き、年齢による昇給停止者も特昇該当の対象者にするとしています。 歳以上昇給停止が強行され、今後確実に年齢による昇給停止者は増加していきます。
 管理強化と教育の変質にやる気をなくし、ある人は疲れきり、体調を壊し、この三月に例年になく多くの教員が勧奨で退職しました。この事実を直視するなら、「特昇」によって昇給停止者の士気が揚がるとの考えは、あさはかであり、私たちを愚弄するもので、許すことができません。

業績評定により決定ー成績主義の徹底
 Aに最大の問題点があります。つまり、人事考課制度による「業績評価の評定」によって特昇者を決定するということです。
 形としては、従来通り校長に推薦させ、その中から都教委が決定するとしています。しかし、校長が推薦するに当たっては、「業績評価の評定を基礎とすること」と枠をはめているのは、業績評定による実施を前提としていることを示しています。
 重ねて「推薦書等により決定」とし、「推薦書」だけで判断するのではないということを明らかにしています。「等」の中に、区教委による五段階相対評価による「業績評定」を含ませていることは間違いありません。

成績主義管理の徹底に反抗し続ける
 私たちは、成績主義に基づく勤評抜擢特昇にあくまでも反対します。
 成績主義管理の徹底は、〈なかま〉〈ゆとり〉〈決定権〉を確実に奪います。これらの喪失は、人間的感情、関係、いとなみ、感覚の頽廃、つまり人間の内面の頽廃を導き出さざるを得ません。私たちは、これに徹底的に反抗する立場から、成績主義に反対してきました。
 「特昇」は、成績主義管理徹底の一環です。あくまでも反対し、具体的なとりくみを進めます。

子ども会
    春の遠足

 昨年四月、堤小学校に日本語教室が開設され一年が経ちます。当初一〇名の児童数で出発しましたが、今では区内他小学校からの通級児童を含め二〇名を越えています。現在区内小学校には、一〇〇名を越える中国をはじめとしたアジア諸国の外国籍児童が在籍しています。その子自身や親たちが抱える教育的課題を少しでも明らかにしていけるよう堤小も中心となり取り組んでいるところです。
 毎年恒例となっている春の遠足が堤小日本語教室と中国子ども会の主催で、五月一〇日松戸の「ありのみアスレチック」で実施されました。
 今年の参加者は、墨田区内五つの小・中学校から十五名の児童。それに保護者、ボランティア、教員、幼児を含め二五名でにぎやかに行われました。
 九時に曳舟文化センターに集まり、北総線で大町へ。連休後の土曜日とあって電車内は貸し切り状態でゆっくり行けました。広々としたありのみの広場も空いていて、みんなで水上公園の近くに陣を取りました。すぐに子どもたちは自由に好きなところに挑戦しに行きました。水上公園の近くに陣を取ったためか、ほとんどの子が水中アスレチックに挑戦し、水中に転落し水遊びに興じるようになってしまいました。学校での行事と違い思いっきり中国語を話し、それぞれが伸び伸びと遊べ、すぐに仲良くなっていました。
 この夏には、キャンプが予定されています。サマーキャンプを始めて三〇回という記念の行事になります。子どもたちも「どこに行くの?」「また会おうね。」と約束しながら別れました。夏のキャンプを今から期待しながら、久しぶりに思いっきり楽しめた一日になりました。
 六月から、また夏のキャンプのためのシャツ販売が始まります。三〇回という記念と墨田以外の地区に広く呼びかけるキャンプも今年度を一つの区切りにしたいと思っています。多くの人に協力をお願い致します。

中国帰国・渡日の子どもたちと

サマーキャンプ

 私たちは、毎年夏休みを利用して中国帰国・渡日の子どもたちとサマーキャンプを行っています。
 墨田区内の小中学校には、中国を初め日本以外の国に生まれ育ち、その国の文化・言語を身につけてから日本に来て、日本で生きることになった多くの子どもたちがいます。昨年度、日本語学級が発足し、どの国や地域の出身の子どもであろうと、系統立った日本語指導が受けれらるようになりました。と同時に、すべての学校で、出身の国・地域に誇りが持て、学校内に自分の居場所がある、自分の思いが受け止められる、そのようなとりくみが望まれています。
 これら日本語を母語としない子どもたちが、自分の文化に誇りをもちながら、日本社会への信頼感も持ち、自分らしく生き生きと、意欲をもって生きていけるように、アイデンティティの確立をはかる必要があります。
 仲間と出会い交流する中で互いがはげまし合えるようにするとりくみは、一つの学校だけではできません。これらのとりくみを地域で追求してきました。それが、中国引き揚げ・渡日の子のサマーキャンプです。
 日中国交回復三十一年になる今も、中国残留日本人孤児・残留婦人の問題は、終わっていません。未だに帰国できず待っていたり、帰国を果たしたとき残され、最近になって呼び寄せられる家族もいます。この問題は日本政府の「棄民」政策の結果であり、戦後処理問題の一つですから、制度面でのとりくみは行政の責務です。が、その制度面での不十分さの問題だけではなく、「残留孤児」につれだってくる家族・子どもたちをとりまく課題に対するとりくみは続けたいと考えます。
 動物漫画家・山内ジョージさんの協力によって作製したTシャツの純益が、このキャンプの費用になります。山内ジョージさんは、ご自身も中国引揚者で、残留孤児にならなかったのは、運が良かっただけだと、毎年協力してくださっています。
 Tシャツ販売に、毎年ご協力いただいておりますが、今年のTシャツ「ネコ」も、よろしくお願いします。なお、今年の三〇回記念キャンプを一つの区切りにしたいと考えています。Tシャツ販売に一層のご協力をお願いします。
中国引き揚げの子どもたちをサマーキャンプへ!
Tシャツ図柄

※白地のTシャツに描かれた「ネコ」(色はオレンジ)
※サイズ LL、L、M、S、子ども用(130p)
※価格 大人用 1500円
子ども用 1200円
◎分会に配られる申込み用紙を利用してください。
◎Tシャツは、6月下旬から分会へお届けします。
 連絡は帰国・渡日の子どもたちサマーキャンプ実行委員会 岩井 春子(吾嬬一中)


週刊墨教組 No.1405  2003.5.16

教育基本法改悪に反対する緊急アピール

 『いやだ戦争・有事法制反対東京東部集会』が、五月十五日六時四〇分から、亀戸カメリアホールで開催されました。
 一部野党が妥協案を示し、国会ではない場で談合を行い、すでに、「有事法制」が衆議院を通過していたとはいえ、参会者は、ねばり強く「戦時法制」に反対して闘いつづける意思を確認しました。
 集会後、雨に打たれながらも、錦糸公園までデモ行進を行いました。
 集会では、墨田教組が、「有事法制」と深く連動する教育基本法改悪に反対する緊急アピールを行いました。

 墨田区教職員組合から、有事法制と深く連動する、もう一つの危機、教育基本法改悪に反対する緊急、ピールを行います。

明白な戦争犯罪
 イラク戦争とは、理不尽きわまりない明白な戦争犯罪です。
 ブッシュに普通に暮らしているイラクの人々を殺す理由など全く、りませんでした。
 アメリカ・イギリスの軍事侵略は、冷血な殺人者のしわざです。
 私たち一人一人は、個人のレベルで、このことを心に刻んで、絶対に忘れるべきでは、りません。告発し、断罪し、糾弾しつづけなければなりません。
 感情的で、思考力のないコイズミは、まっさきにイラク攻撃支持を表明しました。昨年十二月八日には、アーミテージ国務副長官の来日に合わせて、海外派兵=集団的自衛権行使の本格的第一歩となるイージス艦派遣が行われています。
 この国は「戦争ができる国」へむかって、まっしぐらにつきすすんでいるように思えます。

中教審答申
 アメリカ・イギリスによるイラク攻撃が開始された三月二十日、文部科学省の諮問機関で、る中央教育審議会が、教育基本法の改悪をもりこんだ最終答申を行いました。
 答申は、現在の子ども達をめぐる様々な問題の責任を、すべて教育基本法に押しつけました。
 そして、社会や国という「公共」を個人よりも優先させ、ことさら「日本人としての自覚」を強調し、 「国を愛する心」とか「伝統、文化の尊重」を、新しい理念として、教育基本法に明文化するよう提言しています。さらに、国家による教育行政の「不当な支配」を、国の責務として正当化することも提言しています。

「公共」に隠されているもの
 答申のいう「公共」とは、いったい、何なのか。
 中間報告には、「社会や国という『公共』」とか「国や社会など『公共』」と、り、「公共」という用語は、「社会や国」の同義語として定義されています。個人よりも国家が優先し、明らかに国家が露出してきたのです。
 なお、二〇〇〇年三月、小渕内閣は、私的諮問機関「教育改革国民会議」を発足させました。結果として、やがて、この私的諮問機関が、教育基本法の見直しを提言することになります。これと連動して、「新しい教育基本法を求める会」(代表 西沢潤一)がつくられました。この会のメンバーには、西尾幹二、藤岡信勝、高橋史朗など、「つくる会」の中心メンバーが加わっています。二〇〇〇年九月十八日に出された「要望書」には、「公共に対する奉仕の精神が失われ」と、り、答申に、る「公共」という用語と奇妙に一致しています。
 「新しい教育基本法を求める会」は、今年の一月二六日、さらなる教育基本法「改正」を射程として「『日本の教育改革』有識者懇談会」(民間教育臨調)という組織に発展的に変貌し、各局面で政策提言を行おうとしています。

「伝統」と「愛国心」
 また、答申のいう「伝統・文化の尊重」とは、「教育勅語」への回帰にほかなりません。ちなみに、先頭になって教育基本法改悪を画策する河村建夫文部副大臣は、九九年八月、「自民党教育改革実施本部教育基本法研究グループ」の主査になった折に、「平成の教育勅語を念頭において議論したい」と発言しています。
 一九五三年、日本の再軍備を求める、メリカの対日政策の転換を契機として、池田、ロバートソン会議で、愛国心教育の必要が「覚書」として交わされました。それ以来、戦争を支持し協力する「国民精神」を育成するために、「日本人としての自覚」と愛国心教育が連綿として強調されつづけてきたのです。
 一九五三年の三回目の学習指導要領の改訂は、官報に公示され、「法的拘束力」をもつようになりました。この時、道徳の時間が特設され、はじめて学校に日の丸・君が代がもちこまれたのでした。
 一九九八年の七回目の学習指導要領の改訂では、一段と、道徳教育や愛国心が強化されました。社会科の学習目標には、「国を愛する心情」と「日本人としての自覚」がもりこまれ、このことが、「愛国心通知表」の根拠となりました。
 そして、ついに、「国を愛する心」が教育基本法に明文化されようとしています。誇張ではなく、最後の危機です。

『心のノート』の問題
 この動きと呼応するように、学校現場では、道徳副教材『心のノート』の問題が、らわれています。
 『心のノート』は、小学生は、一・二年生用、三・四年生用、五・六年生用の三種類、中学生は一種類の全部で四種類、ります。文科省は小学校入学から中学校卒業までに四冊の『心のノート』を無償で配布することになります。
 二〇〇一年度と二〇〇二年度、わせて十一億円もの巨費を投入して、ねらうものは何なのか。四冊の『心のノート』は、「自分のこと」「いろいろな人とのかかわり」「自然やいのちとのかかわり」「集団や社会とのかかわり」という四段階に類型化されて、心の形成がはかられるようになっています。
 共通しているのは、各ノートの最後に、いかにも唐突に「文化に親しんで国を愛する」(小学校三・四年生用)とか「郷土や国を愛する心を」(小学校五・六年生用)がでてくることです。
 『心のノート』作成協力者会議の座長は、ユング派の河合隼雄です。
 彼は、「二一世紀日本の構想」懇談会の座長も務めましたが、二〇〇〇年一月の最終報告書で、教育は「国家の統治行為」で、ることを明確に打ち出したのでした。
 『心のノート』は、国家が、からさまに子どもに「心」を強制するものです。彼のやり口は、教育基本法十条の立場を無視した、確信犯のやり口です。
 彼は、そのほうびとして、文化庁長官におさまりました。
 この国の不幸は、社会に起因する教育の危機が、曖昧な「心」の問題にすりかわり、名声欲にとらわれた、愚かな心理学者の手に委ねられているところに、ります。

「大競争時代」の切捨て
 答申に貫かれた新自由主義の教育観が顕著に露呈した「『大競争の時代』の切り捨て」についてもふれなければなりません。
 信用できるジャーナリスト斎藤貴男によれば、彼のインタビューに答えて、「三浦朱門ー彼は教育課程審議会の前の会長で今度の学習指導要領を作った一番の責任者です」は、「今まで落ちこぼれのために限り、る予算とか教員を手間隙かけすぎて、エリートが育たなかった、これからは落ちこぼれのままで結構で、そのための金をエリートのために割り振る、エリートは一〇〇人に一人でいい、そのエリートがやがて国を引っ張っていってくれるだろう、非才、無才はただ実直な精神だけを養ってくれればいいんだ、ゆとり教育というのは、ただできないやつをほったらかしにして、できる奴だけを育てるエリート教育なんだけど、そういうふうにいうと今の世の中抵抗が多いから、ただ回りくどくいっただけだ」とうそぶきました。
 「教育改革国民会議の江崎玲於奈座長は、もっと恐ろしい。」「ヒトゲノム解析もできたし、人間の遺伝子が分かるようになると、就学時に遺伝子検査をしてできる子にはそれなりの教育をして、できない子にはそれなりの教育をすればいいんだ」とうそぶきました。
 見くだし、さげすみ、ひとをひととも思わない、弱肉強食の国家管理による競争と選別の教育政策をうけいれることなどできません。
 このような教育基本法改悪が強行されたなら、それこそ「つくる会」の教科書が、最もふさわしい教科書として、大手をふって、まかりとおることになりかねません。

人心を「戦争ができる国」へ
 現在、コイズミが、、メリカ・イギリスのイラク攻撃支持をまっさきに表明したことに示されるように、この国は「戦争ができる国」へむかって、まっしぐらにつきすすんでいます。「国家戦略」としての教育基本法改悪のねらいは、「戦争ができる国」にするために、国民の意識を変容させることに、ることは明らかです。
 戦前の近代天皇制国家は、「学校」と「軍隊」を通して、その国家意思を貫徹させました。
 近代天皇制国家の形成に、たり、一八七二年に学制が公布され、翌七三年に徴兵令が公布されています。国家がたち、げられ、その初期に、「学校」と「軍隊」はつくられているのです。国家が、「国民」をつくり、げる装置として、いかに「学校」と「軍隊」を重視したかを雄弁に物語る歴史の事実です。
 このことからも、「国家戦略」としての教育基本法改悪は、有事法制を下支えする「国民」の「心」、すなわち「戦時国民精神」をつくり、げることを、最終のねらいとしていることは明白です。
 肥大化した国家が、「国家の統治行為」として、露骨に教育に介入し、人心を「戦争ができる国」へと誘導していく。そうして、ついに、「有事法制」が、人をともなって機能することになるのです。

はば広く深い運動を
 このような危険きわまりない教育基本法改悪を、決して座視することなどできません。
 教育基本法は、戦争への深い反省から生まれた平和憲法の理念を実現するために、英知を結集して制定されたものです。
 前文には、憲法の理想の実現は、「教育の力にまつべきもので、る」として、「ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する」と高らかに宣言しています。
 いま、まさに、民主教育が総決算されようとしています。政府・与党は、今通常国会での教育基本法改悪法案の上程に向けて具体的な準備作業にとりかかろうとしています。
 私たちは、教育基本法の改悪に反対します。
 私たちは、反戦平和をめざして、うまずたゆまずに、はるかな道のりを、ゆみつづけます。

 いかなる困難な情況に、っても、ひとりひとりが、ひるむことなく、力を奮いおこして、声をかぎりに、はば広く深い運動をひろげていくことを、強く強く訴えます。

 


週刊墨教組 No.1404 2003.5.8

「主幹」制度に反対し、
「主任手当」拠出運動を成功させよう
 
「主任」制を実体化させない意志を示そう

 私たちは、一九七五年以来、「主任」「主任手当」制度化に反対し、私たちの総力を挙げて、さまざまな形の反対運動を進めてきました。私たちが「主任」制に強く反対してきたのは、「主任」制度化のねらいが曇りなき眼で見るなら誰にも明らかなように「主任」という中間管理職を設けることにより管理体制を強化し、上命下服の学校管理体制を整備・確立することにあります。さらに、都教委はこの四月から「主幹」を設置し、「主任」をより明確に中間管理職として機能させようとしています。そのねらいは、教育に対する全面的国家支配の体制を作り上げることにあるからです。教職員の平等・対等な協力関係や、個々の教職員の自発性・創造性に基づく努力を破壊し、教職員集団の中に分裂と分断を持ち込むことを強行しているのです。

「主幹」制、「主任」制は「百害あって一利なし」
 一人ひとりの子どもたちの持つ可能性の全面的開花、個性の伸長を目的とする教育の営みにとって、個々の教職員の自発性の尊重と、平等・対等な立場に立った協力・協働関係の確立が不可欠のものであることは言うまでもありません。「主幹」制、、「主任」「主任手当」制は、私たちが手をこまねいているならば、それらを破壊するものとして機能していくでしょう。だからこそ私たちは「主幹」制、「主任」制は「教育にとって百害あって一利なし」として反対してきましたし、今も、これからも反対していきます。

拠出運動の意味
 私たちは、「主幹」制、「主任」「主任手当」制の撤回を求め続けるとともに、そのためにも、また、教育にとっての「百害」をいくらかでも減じ、そもそものねらいを貫徹させないためにも「主幹」制、「主任」「主任手当」制に期待されている機能を果たさせないとりくみをすべての学校において進めていきたいと考えてきました。
 「主任手当」支給に対して、私たちが進めている「拠出」の運動はこれらのとりくみの一つです。「主任手当」を個人の所得にして、そのねらいにのるのではなく、これを拠出し、必ずしも十分でない教育条件整備や地域の文化推進向上の事業等に生かしていくこと、それを通じて、反対の意志を世論にも強くアッピールしていこうという考え方です。
 この運動は私たちの「主任」制に反対し、それを機能・実体化させない意志と態勢を明らかにするものでもあります。

「拠出金」事業
 墨田教組は、この「拠出金」による事業として、主に二つの事業をしています。
●反戦平和・人権教育のための教材・資料の整備等の事業
*平和教育特設授業への補助
*反差別人権教育への補助
*小中学校に図書寄贈
*墨田教組フィルムライブラリーの充実―映画三十二本、ビデオ八十四本、原爆・沖縄戦・東京大空襲関係の写真パネル。これらは反戦平和教育実践や周年行事の教材・資料としてもよく活用されています。
*教育実践記録集『墨田の教育』の発行(第六集まで発行)  
●墨田の地に反戦平和・反差別の運動がしっかりと根付くことを願いイベントを行う事業
*「平和のための区民の夕べ」(過去6回開催)
*「戦争展」(一九八四年八月、一九九二年〜二〇〇三年下町反戦による「空襲展」に協力)
*「平和のための映画会」(過去6回開催)
 今年もこの二事業を継続していくことになります。

「主任手当」拠出運動を始めます
 組合員、非組合員の別を問わず、「主任手当」受給者へ拠出運動への参加を呼びかけます。
 私たちはこの運動を過去二十年間にわたって継続してきています。
 この種の運動が、こんなに長期にわたり、しかもかなりの数をもって継続されていることは珍しいことです。このことは、「主任」制度を機能させず、実体化させない意志と態勢、さらに制度撤回に向けて闘う意志と態勢が厳然として存在することを示しています。この意志と態勢を維持、強化していくためにも、この運動へのとりくみ、拠出率の拡大に積極的にとりくむことが重要な意味を持ちます。

5.15いやだ戦争・有事法制反対
東京東部集会
・5月15日 午後6:30〜
・亀戸カメリアホール(旧亀戸勤労福祉会館)
・教育基本法改悪に関して墨教組より緊急アピールを行います。

 報道によれば、、民主、自由、共産、社民の野党4党は、7日午前の国会対策責任者会議で有事関連法案の週内衆院通過に反対し、徹底審議と地方・中央公聴会の開催を求めていくそうです。しかし、民主党が武力攻撃事態法案の修正協議に乗ったことで、事態は緊迫しています。

はじける芽(116)


週刊墨教組 No.1403 2003.5.1

 (前号から続く)
続いて討論
 討論に立ったのは、九氏でした。
 いずれも自分や職場の闘い、とりくみを紹介し、方針案を補強する立場から意見を述べ、決意を表明、ともにとりくみ闘うことを呼びかけるものでした。四時五〇分、討論打ち切り、運動方針案の採決。議長は圧倒的多数が挙手していることを確認、可決・決定されました。
 その後、決算・監査報告が行われ、拍手で承認。続いて予算案について審議、挙手採決で可決決定されました。
 次に「特別決議」の採択にうつり、「教育基本法改悪に反対する決議」(提案者書記次長)、「アメリカのイラク攻撃と日本政府の戦争支持表明に反対する決議」(提案者副委員長)を拍手で確認。最後に執行委員が「総会宣言」を提案、拍手で採択し、議長解任。(二本の決議と総会宣言は裏面に掲載)

総会決議
        2003年4月23日
墨田区教職員組合第58回定期総会

総会宣言
 都教委による矢継ぎ早な組合活動に対する妨害の続く中、私たちは、第五十八回墨田区教職員組合定期総会に結集し、真摯な討議を経て、二〇〇三年度運動方針を決定した。
 「イラクの大量破壊兵器の捜索」に名を借りた米英による攻撃、そして侵略を正当化し、支持を表明した日本政府は、北朝鮮問題にからめながら、虎視眈々と「有事法」制定、「教育基本法」改悪、「憲法」改悪をもくろみ、再び日本を戦争のできる国家にしようとしている。
 そのための、最も効果的な手段として、教育の完全権力支配を企図した種々の攻撃が私たちにかけられている。
 上意下達の徹底を図る主幹制度。仲間、ゆとり、決定権を破壊する人事考課。自己申告・キャリアプランの押し付け。教員の早期選別を図る「十年研」。長期休業中における研修の制限。勤務時間問題。「ながら条例」の改悪による組合活動の制限。教研までをも認めない。この異様な状況。
 当局は、このような攻撃を通して、戦前のようなもの言わぬ教員作りを着々と進めている。
 私たち墨田教組組合員は、この激しい嵐の中、地に足をつけ、仲間と共に、一つひとつの問題に対峙し、背を見せることなく闘い続けている。そして、日々「一人の子も切りすてない」教育を推進している。
 私たちは、どんな状況におかれても、前を向き、仲間と団結し、連帯し、自立的・原則的に闘いぬいていくことをここに宣言する。

教育基本法改悪に反対する決議
三月二十日、文部科学省の諮問機関である中央教育審議会が、教育基本法の改悪をもりこんだ最終答申を行いました。
答申は、現在の子ども達をめぐる様々な問題の責任を、すべて教育基本法に押しつけました。
そして、社会や国という「公共」を個人よりも優先させ、ことさらに「国を愛する心」とか「伝統、文化の尊重」を強調し、新しい理念として、教育基本法に明文化するよう提言しています。さらに、国家による教育行政の「不当な支配」を、国の責務として正当化することも提言しています。
現在、コイズミが、アメリカ・イギリスのイラク攻撃支持をまっさきに表明したことに示されるように、この国は、「戦争ができる国」へむかって、まっしぐらにつきすすんでいます。教育基本法改悪のねらいは、「戦争ができる国」にするために、国民の意識を変容させることにあることは明らかです。
 決して座視することなどできません。
 教育基本法は、戦争への深い反省から生まれた平和憲法の理念を実現するために、英知を結集して制定されたものです。
 前文には、憲法の理想の実現は、「教育の力にまつべきものである」として、「ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する」と高らかに宣言しています。
 いま、まさに、民主教育が総決算されようとしています。政府・与党は、五月の連休明けから教育基本法改悪法案の国会上程に向けて具体的な準備作業にとりかかろうとしています。
 私たちは、教育基本法改悪に反対します。
 私たちは、反戦平和をめざして、うまずたゆまずに、はるかな道のりをあゆみつづけます。

アメリカのイラク攻撃と

日本政府の戦争支持表明に反対する決議


 東京大空襲に遭遇し、一千人の死者を目のあたりにした井上有一は、今にも絶命しそうな異形の書字で『噫横川国民学校』を書かずにはいられませんでした。その一節に、「噫呼何の故あってか無辜を殺戮するのか」とあります。
 戦争狂ブッシュに、普通に暮らしているイラクの人々を殺す理由など、まったくなかったのです。
 今にいたるも、イラクの大量破壊兵器の痕跡すら発見されていません。もとより大義などどうにでもなるものだったのです。
 両手を失い、全身やけどの十二歳のアリ君の姿は、アメリカ・イギリスの過剰殺戮を告発しています。
 アリ君の姿と殺戮された無数の死者の前では、「独裁打倒と民主主義」とか「自由と解放」とかの大義はあまりに空虚です。破壊・殲滅の限りを尽くしておいて、利権の見えかくれする戦後復興とは何なのでしょう。
 強大な武力を誇示し、理不尽な殺戮をくりかえす獰猛な戦争狂ブッシュの単独行動主義を国連はとどめることができないほど破綻してしまいました。
 さらにおそろしいのは、戦争狂ブッシュに隷従してお先棒をかつぐ、「まるなげ」コイズミが、わざわざ北朝鮮の「脅威」をひきあいに出して、まっさきにイラク攻撃支持を表明したことです。このことは、イラク攻撃における「同盟」国イギリスの役割を、「悪の枢軸」朝鮮攻撃の際には、「同盟」国日本が担うという意思表示にほかなりません。
 呼応するように、メディアが煽る「拉致」問題を口実にした北朝鮮攻撃はとどまるところをしりません。
 すべては有事法制成立へのもくろみと深く連動しているのです。
 私たちは、いかなる困難な情況にあっても、力を奮いおこして、反戦平和をつらぬきます。


長編記録映画  
森 康之監督作品 墨田区文花中学校夜間学級の生徒教職員参加
こんばんは

夜間中学について知って下さい!

 東京には8つの公立夜間中学があります。そのうち一校は八王子市に、ほかの7校はそれぞれ葛飾、大田、荒川、足立、世田谷、江戸川そしてわが墨田区の文化中の中に併設されています。
「ひらがななよめるようになったから 駅の名がわかり、一人で電車にのれるようになった」
「郵便局や銀行で自分の名や住所がかけるようになった」
 夜間中学には、国籍、年齢、いろいろな人々が学んでいますが、どの人にも言えることは「学ぶことがうれしく、楽しい!」ということです。
 いったい具体的にはどんな人々がどんな理由で、どんなふうに学んでいるのでしょう?
 現在の学校が手に入れることのとても難しくなった、たくさんのものがここにある、と思います。
 どうかこの機会に、この映画をご覧になって、夜間中学のことを、そしてそこで学ぶ人々のことを知って下さい。そして、「学ぶこと、生きること」についてもういちどごいっしょに考えてみたいと思います。一人でもたくさんの方々のおいでをお待ちしています。


上映と体験者の話を聞く会
―夜間中学の拡充を求めるつどい―
日時 5月10日(土)
午後1:30開場  2:00開会

会場 新宿区牛込箪笥区民センターホール
 都営地下鉄大江戸線 牛込神楽坂A1出口徒歩10分
入場無料
 1部 2:00〜森監督のはなし
「こんばんは」上映
 2部 3:50〜「夜間中学校とは」見城慶和
卒業生の話・人権救済申立について
 問い合わせ 「こんばんは」上映事務局  5385-5303


週刊墨教組 No.1402 2003.4.24

二〇〇三年度運動方針、予算を決定
墨田教組 第五八回定期総会

 都庁職には、「職免」での支部大会への参加が認められています。しかし、教職員組合に対しては、不当にも「職免」での参加を都は認めていません。こうした東京都の差別対応に対する「怒りと悔しさ」の中、第五八回定期総会は、四月二三日、すみだ女性センターで開催されました。

 総会は、三時一〇分に組合員の過半数の結集があり、副委員長の開会宣言、「緑の山河」の斉唱後、議長を選出してすすめられました。役員紹介の後、執行部を代表して委員長が挨拶。

「有事立法」、「教育基本法改悪」、「労働基準法改悪」に反対し、抵抗しつづけよう

 最近出版された岩波新書「有事法制批判」の中で東大教授の高橋哲哉さんが清沢洌という方の「日記」の一節を紹介しています。清沢洌さんは、戦前・戦中リベラリストとして日本の戦争政策を批判する言論活動を展開したことで知られています。戦争中は言論抑圧により自由にものが書けなくなり、戦後に戦争の歴史を書く準備をしようと「日記」を書きました。その日記が「暗黒日記」(下掲)です。その内容は、今日の状況を考えるうえで極めて暗示的です。
 「戦争」を経験するとは、自分たちの頭上に爆弾が落ち、身近な人が死ぬこと、沖縄戦・東京大空襲・広島長崎への原爆投下。この悲惨な体験が憲法改悪反対や反戦平和運動のバネになっていた思います。 しかし、今、社会の状況は日記にあるように、「彼らが本当に戦争に懲りるかどうかは疑問だ。結果はむしろ反対なのではないかと思う」、アメリカのイラク攻撃を支持する日本政府のように、「彼らは戦争は不可避なものだと考えている」、小林よしのり氏の「ゴーマニズム宣言」のように「戦争の英雄的であることに酔う」、アジア諸国が日本政府の政策について危惧していることを日本政府は理解しようとしない、「彼らは国際的知識がない」と清沢が指摘した最悪の状況になりつつあると思います。しかし清沢は、この状況を反転していくには教育が最も大切と述べています。そして教育の柱は、敗戦後、憲法であり、教育基本法でありました。その教育の内実がどうであったは評価がわかれるところです。今その教育基本法を改悪する動きがより具体的になっています。その動きは、有事立法と一体となって戦争を可能にするためです。何としても教育基本法改悪と有事立法成立を阻止しなければなりません。
 イラク攻撃反対の集会には、高校生を初め若い世代が数多く参加しています。「戦争、NO」の声は、若者に広がりつつあります。集会に参加してみてください元気がでると思います。
 墨田教組は、「ひとりの子どももきりすてない教育」創造をスローガンに教育闘争にとりくんでいます。今こそ反差別・反戦の教育闘争の正念場です。悲観することはありません。
 もう一つ重大な改悪の動きがあります。それは労働基準法の改悪です。労働基準法は憲法二七条「労働の権利と義務」に基づく労働者の生活・健康を守るための法律です。主な改悪案は、解雇をしやすくする、長時間労働を強要するものです。その改悪の先取りが、勤務時間問題であり「指導力不足」攻撃です。労基法の改悪、教基法の改悪は一体のものであり、憲法の否定です。抵抗しましょう。
 この墨田の地で、教職員労働組合としての機能と責任を果たし続けようではありませんか。ともに、健康に気をつけ、がんばりましょう。とよびかけました。
 来賓として、東京教組委員長による激励の挨拶の後、議事に入り、書記長が二〇〇三年度運動方針案を提案。

運動方針案提案
 運動方針案を提案するにあたり、現在の二つの重大な危機についてふれたいと思います。

イラク戦争とは、理不尽きわまりない明白な戦争犯罪
 今にして思えば、たしかに、一九九九年は歴史の大きな曲がり角だったのです。「国旗」「国歌法」、さらに、「周辺事態法」が、さしたる議論もされないまま、強行成立させられたのでした。
 流れに抗い、必死で踏みとどまっていた戦後民主主義の堤防が、ついに決壊したのでした。
 時代と社会のうねりは、ゴーゴーと音をたてて、人々の胸にこみあげる人間のぬくみをたたえた肉声を、なぎたおしてゆきます。
 まず、イラク戦争です。国連は、獰猛な戦争狂ブッシュの単独行動主義をとどめることができませんでした。全世界でわきおこった反戦の声を無視して強行されたアメリカ・イギリスの軍事侵略は、冷血な殺人者のしわざです。
 戦争狂ブッシュに、普通に暮らしているイラクの人々を殺す理由など全くありませんでした。
 さいしょから、大義などなかったにもかかわらず、強大な武力を誇示し、破壊と殲滅の限りをつくしました。勝てばよいのではありません。
 イラク戦争とは、理不尽きわまりない明白な戦争犯罪なのです。
 わたしたち一人一人は、個人のレベルで、このことを心に刻んで、絶対に忘れるべきではありません。告発し、断罪し、糾弾しつづけなければなりません。
 感情的で、思考力のないコイズミは、まっさきにイラク攻撃支持を表明しました。昨年十二月八日には、アーミテージ国務副長官の来日に合わせて、海外派兵=集団的自衛権行使の本格的第一歩となるイージス艦派遣が行われています。
 この国は、「戦争ができる国」へむかって、まっしぐらにつきすすんでいるように思えます。

絶対に、教育基本法を改悪させてはならない
 アメリカ・イギリスによるイラク攻撃が開始された三月二十日、中教審が最終答申を行いました。
 この答申には、二〇〇〇年一月に発足した教育改革国民会議以降の文部科学省を中心とする新自由主義の教育改革が貫流しています。
 信用できるジャーナリスト斎藤貴男は、「構造改革とグローバル資本」(『現代思想』二〇〇一年六月号所収)のなかで、つぎのように語っています。
「『機会不平等』で書いたことを少し紹介しますと、三浦朱門ー彼は教育課程審議会の前の会長で今度の学習指導要綱を作った一番の責任者ですー授業内容とか時間が3割減るということで、これは学力低下にならないかと僕が聞いたときに、そんなことは最初から分かっている、むしろ学力を低下させるためにやっているんだ、と言った。今まで落ちこぼれのために限りある予算とか教員を手間隙かけすぎて、エリートが育たなかった、これからは落ちこぼれのままで結構で、そのための金をエリートのために割り振る、エリートは一〇〇人に一人でいい、そのエリートがやがて国を引っ張っていってくれるだろう、非才、無才はただ実直な精神だけを養ってくれればいいんだ、とね。ゆとり教育というのは、ただできないやつをほったらかしにして、できる奴だけを育てるエリート教育なんだけど、そういうふうにいうと今の世の中抵抗が多いから、ただ回りくどくいっただけだということです。こう断言しました。
 教育改革国民会議の江崎玲於奈座長は、もっと恐ろしい。能力に応じた教育とかいうけれど、具体的にはどういうことかと聞いたら、こう言っていた。最初はクラスのなかでできる子とできない子を机の列で分ける程度だが、ヒトゲノム解析もできたし、人間の遺伝子が分かるようになると、就学時に遺伝子検査をしてできる子にはそれなりの教育をして、できない子にはそれなりの教育をすればいいんだ、と。」
 見くだし、さげすみ、ひとをひととも思わない、弱肉強食の思想、それが新自由主義の正体なのです。
 新自由主義に貫かれた、このような教育基本法改悪がまかりとおるなら、「仲間・ゆとり・決定権」を大切にしてきた職場と、「一人の子も切りすてない」で、「人権・平和」を追究する墨田の教育は、ことごとく、根こそぎ、なぎたおされてしまうでしょう。
 絶対に、教育基本法を改悪させてはなりません。

自立性・原則性に基づき闘う
 長谷川書記長は「労働組合として自立性・原則性に基づいて闘うこと、『ひとりの子も切りすてない教育』のスローガンに象徴される教育運動、この二つを墨田教組の基本姿勢として堅持する。今年度、@『主幹』制度にあくまで反対し、定着させないとりくみを今後も強化する、A「自主研修」を保障させていくためにも「自宅を研修場所」とすることを既得権として定着させていく、B「日常的な超過勤務」解消など、東京教組とともに労基法を守らせるとりくみを再構築する、C教育研究活動は墨田教組の運動の根幹であり、何としても維持し、発展させる、D人事考課と連動した「研修体系」は断じて容認できない、E憲法・教育基本法の改悪に反対する、F「有事立法」を阻止する等を重点課題として闘う」ことを訴え、方針案を提案しました。(以下次号に続く)

清沢洌「暗黒日記」より


一九四五年一月一日(月)
 昨夜から今晩にかけて三回空襲警報がなる。焼夷弾を落としたところもある。一晩中寝られない様子だ。僕のごときは構わず眠ってしまうが、それにしても危ない。配給のお餅を食って、お目出とうをいうとやはり新年らしくなる。曇天。
 日本国民は、今、初めて「戦争」を経験している。戦争は文化の母だとか、「百年戦争」だとかいって戦争を賛美してきたのは長いことだった。僕が迫害されたのは「反戦主義」だという理由かれであった。戦争は、そんな遊山に行くようなものなのか。それを今、彼らは味わっているのだ。だが、それでも彼らが、本当に戦争に懲りるかどうかは疑問だ。結果はむしろ反対なのではないかと思う。彼らは第一、戦争は不可避なものだと考えている。第二に彼らは戦争の英雄的であることに酔う。第三に彼らに国際的知識がない。知識の欠乏は驚くべきものがある。
 当分は戦争を嫌う気持ちが起ころうから、その間に正しい教育をしなくてはならぬ。それから婦人の地位をあげることも必要だ。
 日本で最大の不自由は、国際問題において、相手の立場を説明することができない一事だ。日本には自分の立場しかない。この心的態度をかえる教育をしなければ、日本は断じて世界一等国となることはできぬ。総ての問題はここから出発しなくてはならぬ。(岩波文庫版二六一〜二六二頁)

2003年東京メーデー
5月1日明治公園 8:30集合

参加は「職免」
 2003年度のメーデーについて、東京地公労は、「働く者の連帯で『平和・人権・環境・労働・共生』にとりくみ、労働を中心とする福祉型社会を実現して自由で平和な世界を作ろう!」をメインスローガンに、5月1日に「2003年東京メーデー」を明治公園で開催することを決定しました。
 墨田教組は、地公労の仲間とともに明治公園に集合し、その後代々木公園「中央メーデー」に参加します。


週刊墨教組 No.1401 2003.4.1 は、異動特集号です。