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1.きりこについて 2.円卓 3.ふくわらい 4.ふる 5.舞台 6.サラバ! 7.まく子 8.i(アイ) 9.夜が明ける |
●「きりこについて」● ★★ |
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2011年10月
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きりこはとびっきりぶすな女の子でしたが、赤ん坊の頃から両親が愛情たっぷりに「可愛いなぁ、きりこちゃんは」と繰り返し言っていたものだから、自分はとりわけ可愛い女の子であると信じ込んで生きてきた。 ところがある日・・・・、きりこの人生を変えたその一言をきっかけに、学校へ行くのを止め、愛する黒猫のラムセス2世とともに家に閉じこもってしまう。 それから数年後、予知夢をみたきりこは、夢の中で泣いていた女性を救うため、ラムセス2世に付き添われて再び足を外へ踏み出します。 そんなきりこが、紆余曲折を経て、人生における真実を見つけ出すまでを描いたストーリィ。 ぶすな女の子と黒猫という取り合わせから児童向け小説を予想したのですが、コミカルでヘンな少女時代が描かれたかと思えば、その後は一転してファンタジー小説のヒロインのごとき様相を纏ったかと思えば、最後はやっぱりきりこのビルディングスロマンのようにして終わる、という、読んでいるその先の展開が全く予想つかない、面喰い続けるというストーリィ。 これは児童向け小説なのだろうか、大人向け小説なのだろうかと迷わされつつ、読み手の予想に反し続ける展開に翻弄されながら読み進んだ先には、何だか判らないけれど愉快で楽しそうな広場が広がっていた、というよう読み心地。 悪戯心溢れるストーリィ展開がお好きな方に、是非お薦め。 |
●「円 卓」● ★★ |
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2013年10月
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祖父母に両親、三つ子の姉たち、そして主人公の琴子(通称:こっこ)という8人家族。 主人公である小学生、8歳の琴子という女の子が、とにかく面白いキャラクター。 変わり種の女の子を主人公にして、子供の気持ち、その心情世界を愉快に描いた好作。その点、「きりこについて」のきりこの発展形といえる女の子像かもしれません。 |
3. | |
「ふくわらい」 ★★☆ 河合隼雄物語賞 |
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2015年09月
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変人であった旅行作家の父親からマルキ・ド・サドをもじって名付けられた鳴木戸定(なるきど・さだ)。 鳴木戸定という主人公のキャラクターあってのストーリィですが、感情の有り処が普通の人とはかなり違うという主人公は、私にとってそう珍しいものではありません。姫野カオルコ作品にも、似たキャラクターの女性主人公が時々登場します。 そうした理屈付けはさておき、定の抜群なキャラクターと、彼女のささやかな成長に静かな感動を覚える作品です。お薦め。 |
4. | |
●「ふ る」● ★☆ |
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2015年11月
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主人公の池井戸花しす(カシス)は28歳。数年前に職場不倫の終わりとともにデザイン事務所を辞めて転職、現在の仕事はアダルトビデオに映る女性器のモザイクがけ。私生活はというと、産婦人科で知り合った2歳年上の女友達と、2匹の猫と同居中。 そんな花しすの現在と過去を交互に繰り返しながら、彼女の現在とそこに至るこれまでを描くストーリィ。 そもそも西加奈子さん、何かかたまりのようなもの、そして女性器のことを書きたいと思っていたとのことで、本書はまさしくその二つがモチーフとなっています。 |
5. | |
「舞 台」 ★★ |
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2017年01月
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セントラルパークで好きな本が読みたいという思いでニューヨークにやってきた葉太・29歳は、憧れのパークに着いた途端、何もかも入れたバッグを盗まれて無一文。おまけに部屋に置いたスーツケースの鍵もバッグの中だったため開けられず。 領事館に行くまであと3日間、ポケットに残った僅かなお金で生き延びなくてはならないと葉太は決意する。そこから始まる葉太のNY彷徨ストーリィ。 バッグを盗まれた騒動で、読者は主人公=葉太が自意識がやけに高く、人目を気にする性格の若者であると知ります。恰好つけようとするが故に、誰かに助けを求めることもできないというジレンマ。 |
6. | |
「サラバ!」 ★★ 直木賞 |
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2017年10月
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主人公である圷歩(あくつ・あゆむ、後に今橋姓)の誕生時から37歳まで、その精神的彷徨を描いた大河小説。 こうした類の作品を読むのは随分と久しぶりです。思い出すとなるとディケンズ「ディヴィッド・コパフィールド」、ロマン・ロラン「ジャン・クリストフ」辺り。そうとなれば、大部の上下2冊本、読みでのある作品となるのも当然のことでしょう。 作者である西加奈子さんと共通するのは、イランのテヘランに生まれ、一旦日本に帰国したものの、再びエジプト赴任を命じられた父親に従いカイロ育ち、という経緯。前半で描かれる駐在員一家のテヘラン生活、そしてカイロ生活の部分にも興味津々です。 一家を引っかき回して止まない姉の貴子と存在はあっても、海外での圷一家の生活はごく平穏なものであった筈。特に主人公の歩においては、カイロ時代にヤコブというエジプト少年と忘れ得ぬ友情を結ぶという出来事があったのですから。 ところがその後突如として、両親は離婚、姉はひきこもりと、一家は瓦解してしまう。それから後の主人公は、あたかも大切なものを見失ってしまったかのように、精神面において流浪者さながらの日々を過ごしていきます。 様々な人との出会いと別れがあり、様々な出来事が描かれますが、主人公と共に読み手がハッとするのは、姉と対照的に順調な人生を歩んできた筈の主人公が何時の間にか歯止めを失い、坂道を転げ落ちるかのような状況に陥ったこと。 本作品もこうした物語の常で、何時の間にか主人公の精神的な彷徨の物語になっていたと言って差し支えないと思います。 さて、主人公の行き着く先に救いはあるのかないのか、再生できるとしたらそのきっかけは何なのか、が本作品の読み処。 大部な上下巻でしたが、読み始めると一気読みでした。 ※個人的な意見ですが、「ジャン・クリストフ」を思い浮かべ、対照しながら読んでみると、見えてくるものがあるのではないかなと思います。 1.猟奇的な姉と、僕の幼少時代/2.エジプト、カイロ、ザマレク/3.サトラコヲモンサマ誕生/4.圷家の、あるいは今橋家の、完全なる崩壊/5.残酷な未来/6.「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ。」 |
「まく子」 ★★ | |
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変わった風合いをもつ、子供から大人への変化期を迎えた少年の成長譚。 「まく子」という少女が主人公にとっての重要な鍵になるのかと思える題名ですが、そうした名前の女の子は登場しません。登場するのは、コズエという少女。 主人公の南雲慧は11歳、小学5年生。住んでいるのは、さして有名ではない小さな温泉街で、家はこの温泉街で中の下というクラスの「あかつき館」。 コズエは、そのあかつき館で働くこととなった母親と共にやって来て、母子は従業員寮に住み込みます。 美人で手足も長いコズエはすぐにクラス皆の注目を集めますが、慧はかえってそんなコズエに距離を置こうとする・・・。 「まく子」とは「撒く」子。ものに拘らないという意味と、自分を分け与える気持ちを持つという意味合いがあるのでしょう。 いろいろなことがあって大人になるということに拒絶感を抱いていた慧ですが、コズエとの出会いによって、ようやく大人へのワンステップを踏み出すに至ります。 最後はちょっと突拍子もない観のある展開となりましたが、小説とは形に捉われず中味を問うものであってみれば、気にする程のことではなし。そんな独創性があってこその西加奈子作品の魅力と思います。 読了後は、悩みが吹っ飛んだ主人公のように、すっきりした気分です。 |
「i(アイ)」 ★★ |
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2019年11月
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シリア生まれの少女アイは、米国人のダニエルと日本人の綾子という米国籍夫婦の養子となって育つ。幼い時に養子となったために実の両親のことも、故国シリアのこともまるで記憶にない。 両親はアイに彼女が養子であること、また故国の実情等について公平に語ったが、それはかえってアイに、自分が幸せな状況にあることの罪悪感と、苦難から免れたのは何故自分だったのかという疑問を抱え込ませてしまいます。 アイが高校入学後の初めての数学授業で教師が放った「アイという数はこの世界に存在しない」言葉は、まるでアイ自身の存在を揺るがすように聞こえ、その後も度々アイを苦しめます。 本作はそんなアイの、長い苦悩を経てようやく自分の存在を確信できるようになるまでの(大袈裟な表現になりますが)魂の遍歴ストーリィ。 世界の各地で起きる大災害、アフガニスタン等の戦災、そして現在のシリア内戦と、多くの犠牲者を報じるニュースに接するたびにアイの心は傷つきます。 それは我々にとっても同様のこと。ニュースを見るたびに胸痛む思いがしますが、同時に自分の家族や国のことではなくてよかったという安心感も抱きます。 しかし、アイの場合は自分が選ばれてそうした状況を免れ得たという自責の念があるだけに敏感にならざるを得ない、そうしたアイの心情は痛ましいほどです。 一応は平和な国である日本と、現在も内戦に痛んでいるシリアは対照的な状況だと思います。そうした中、アイのような思いが何処かにあっても不思議ないことかもしれません。そうしたことを考えさせるストーリィでした。 最後、親友ミナとの関わり合いの中でようやく自分の存在をアイが確信できた場面、私もまた救われる思いがしました。 |
「夜が明ける」 ★★☆ | |
2024年07月
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15歳の時に出会ってから33歳になるまでの男同士の友情、そして共に貧困に喘ぎ続けた道のりを描く、過酷な物語。 率直に言って暗い、読むだけでも苦しくなってくる男2人のストーリィ。 主人公の「俺」と親友のアキこと深沢暁、共に家庭環境からして厳しい。父親が借金を残して死去、母子家庭、そして母親の生活力はあまり高くなく貧困家庭。 そのうえ、社会に出た2人の飛び込んだ先がまた難しい。片やブラックなTV番組制作会社、小さな劇団と。 幾らなんでも2人の選択が悪すぎると思いますが、典型例に設定しただけで、一旦貧困の輪に嵌り込んでしまうとそこから抜け出せないまま貧困に喘ぐ、というケースは実際に数多くあることと思います。非正規雇用ということ自体、一つの要因となっていますし。 2人がどん底まで落ちていく一つの要因が、頑張らなくてはいけない、他人に助けを求めること=負けること、という思い込み。 たしかに本作において、負けることなくステップアップを果たした人もいます。一人は俺を励まし続けてくれた弁護士の中島、高校の同級生女子で朋友とも言える遠峰。 しかし、全ての人が彼らのようにステップアップを果たせられる訳ではありません。 自分の頑張りだけではどうにもならなくなったとき、誰かに救いを求めることも大切な選択肢の一つ。助けを求めることは決して「負け」ではなく、助けを求めることもまた勇気のいることなのですから。 読み続けていて苦しいばかりの作品です。それでも最後に、光を見出すことができる。 自分の力でどうにもならなくなったときは声をあげればいい、助けを求めればいい、多くの人にそうしたメッセージを伝えようとする力作です。 |