写真で見るロシアと旧ソ連の国々



 日本の隣国ロシアは不思議な国で、ある人にとっては神秘的な魅力に満ち溢れた国であるのに、別の人にとっては得体の知れぬ近寄り難い国のようです。実際、数多くのお客を彼の地へ案内している旅行会社の社員に聞くと、一度ロシアへ行った人の多くは両極端に別れる傾向があるそうです。一方は、その魅力にとりつかれてその後も繰り返し足を運ぶ人、そして他方は「ロシアだけはもう金輪際行きたくない」という人。 私はどういうわけか前者の部類らしく、1979年の暮れにバレエを見に荒れる冬の日本海をナホトカまで渡ってモスクワとレニングラード(当時)に行ったのを皮切りに、以来今日までかれこれ60回以上にわたって旧ソ連邦とロシアの各地を旅行してきました。 幸か不幸か、私がソ連・ロシアを旅行した時期は、いわゆる「停滞の時代」からペレストロイカを経て“粗野な資本主義”の時代まで、社会と人々の価値観とが大きく変っていった時で、その激変の様子を目の当たりにした三十年余でもありました。ここでは、一旅行者の目で見たその時期のソ連・ロシアの都市と自然、そしてそこに住む人々の表情を何回かにわけてご紹介しようと思います。

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 目次 
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第1章 サンクト・ぺテルブルクとその郊外   (1997.3掲載/1998.4更新/2022.10一部修正)
 モスクワよりはるかに新しい町でありながら、心の故郷へ帰ってきたような不思議な印象を与える美しい町、サンクト・ペテルブルク。 300年の間に、文学,演劇,音楽,美術,建築,科学などの巨大な花を開かせた町。 そして同じその間に、建設と破壊,栄華と困窮,蜂起と弾圧,包囲と解放,革命とその崩壊,..と歴史の多様な試練をくぐりぬけてきた町でもあります。
■■サンクト・ぺテルブルク点描  → 運河のある風景青銅の騎士像「青銅の騎士」碑ピョートルI世像エセーニン像アフマートワ像リムスキー・コルサコフ像とグリンカ像 ジェルジンスキー像ドストエフスキー像ゴーゴリ像ジュコフスキー像ネフスキー大通りガスチヌィ・ドヴォールドム・クニーギ文学カフェペトロパヴロフスク要塞要塞監獄ペトロパヴロフスク教会エルミタージュエルミタージュ別館聖イサク寺院カザン寺院スパース・ナ・クラヴィー聖堂アレクサンドル・ネフスキー修道院スモーリヌィ修道院夏の庭園マルスの広場デカブリスト広場宮殿広場芸術広場ミハイロフスキー劇場フィルハーモニーロシア美術館カザンスカヤ広場センナヤ広場ユスーポフ庭園アレクサンドロフスキー庭園ミハイロフスキー庭園ネヴァ河畔の並木道遊歩道水路水路めぐりの観光船フィンランド湾アストリア・ホテルヨーロッパ・ホテルホテル「サンクト・ペテルブルク」アニチコフ橋トロイツキー橋透かし彫りの欄干エカテリーナII世像アレクサンドリンスキー劇場サーカスロッシ通りマーラヤ・カニュシナヤ通り前世紀の雰囲気の建物夜景ロストラの灯台柱軍事歴史砲兵博物館海軍博物館ナヒーモフ海軍幼年学校クンストカーメラ民族誌博物館動物学博物館人形博物館ドストエフスキー博物館お伽話劇場コメディアン劇場ノーヴァヤ・ガランディアメンシコフ宮殿タヴリーダ宮殿サンクト・ペテルブク大学スフィンクス旧海軍省旧元老院日本領事館中央郵便局モスクワ駅フィンランド駅地下鉄駅バスターミナル市電 空港マリインスキー劇場高等音楽院シチェドリン図書館キーロフ・スタジアム「ユビレイニイ」スポーツ宮殿街角 子ども広場教会・聖堂モスク モスクワ凱旋門関所跡ネヴァ川洪水の記憶チフヴィン墓地ドストエフスキーの墓チャイコフスキーの墓グリンカの墓ボロディンとムソルグスキーの墓R.コルサコフの墓ルビンシュテインの墓ボルトニャンスキーの墓クラムスコイの墓シーシキンの墓プティパの墓)/ヴォルコヴォ墓地ツルゲーネフの墓プレハーノフの墓ワガノワの墓ブロークの墓ガルシンの墓ゴンチャローフの墓ベリンスキーの墓ラジーシチェフの墓メンデレーエフの墓パヴロフの墓)/ニコライII世の墓日露戦争戦没将兵の慰霊碑冬戦争の慰霊碑 ■■十月社会主義革命の足跡 →  巡洋艦“オーロラ”スモーリヌィ幼時のレーニンレーニン博物館の展示品旧レーニン博物館前の装甲車フィンランド駅ケレンスキーの閣僚が逮捕された部屋ラズリフ湖畔“緑の書斎”レーニンの母と姉妹の墓 ■■900日の包囲に耐えて →  ピスカリョフ墓地ターニャの日記「通りのこちら側は危ない」の注意書き拡声器のあった所イサク寺院に残る弾痕道路脇のトーチカ跡勝利の広場 ■■サンクト・ペテルブルク郊外 →  郊外の民家レーピノペトロドヴォレツプーシキンパブロフスク
第2章 子どもたち    (1997.4掲載/2020.11一部修正)
 子どもは世界のどこの国でも可愛いのでしょうが、ロシアを旅行すると特に子どもたちの可愛さが印象に残ります。もっとも、口の悪い人達は「その分、大人が憎らしい」などと言ったりしますけれど....
イルクーツクサンクト・ペテルブルク横浜バツーミナリチクエニセイスクプーシキンフィンランド湾バクーエレワンミンスクオカ川ハバロフスクハバロフスク郊外キエフキシニョフヤクーツクレニングラードペテルゴフコストロマセヴェロバイカリスクマリ(トルクメニスタン)
モスクワウラジオストクペルミエカテリンブルクカリーニングラードティンダシカチアリヤン(アムール河畔)ムルマンスクユルマラ(ラトビア)ナガリク(サハ)ヴォログダノヴゴロドオデッサヤールツェボ(エニセイ河畔)カザンビリニュスオルジョニキッゼペトロザボーツクバイカル湖シーダ(バイカル湖畔)ポルト・バイカルコムソモリスク・ナ・アムーレチクシ(サハ)タリンタルトゥテラビ(グルジア)ヤルタドゥヂンカストールビィ(クラスノヤルスク郊外)エニセイ最下流域カムチャッカシベリア鉄道チェボクサリサラトフヴォルガ川プリョス(ヴォルガ河畔)コーカサス山麓グルジア軍用道路ブハラシャフリサブスヒワアシハバードトロイツコエ(アムール河畔)ユジノサハリンスクアルハンゲリスクキジ島オリホン島ブラワ(アムール河畔)ボゴロツコエ(アムール河畔)キュシュール(レナ河畔)シクチャフ(レナ河畔)ジガンスク(レナ河畔)ヴィチム(レナ河畔)レンスク(レナ河畔)レナ川ソロヴェツキー島ブルダコフカマンドロギスヴィリストロイヤロスラヴリザポロージェヘルソン郊外ゴリツィ(ヴォルガ・バルト運河)ベラジョールスククリンクラスノヤルスク
第3章 青天井の博物館    (1997.5掲載/2018.7一部修正)
 川崎市にある「日本民家園」のように各地の古い木造家屋を集めて展示した施設が、あちらにも各地にあります。旅に出るようになるまで、私はロシアというのは建物を石で作るとばかり思っていましたが、じつは民間は木造家屋が主流だったのですね。何と言っても森の国ですし。こうして集められた古い民家や教会を見ていると、何か日本の家々と共通するものがあるような気がしてなりません。
スズダリコローメンスコエ(モスクワ)漁業コルホーズ「ウズバラ」(ラトビア)ロッカ・アリ・マレ(エストニア)ムィシキンキジ島コズモデミャンスク(マリ)コストロマアルハンゲリスクタリツィサティンツィ(サハ)ノヴゴロド窓飾りゴロジェッツ軒下の飾り
第4章 馬車    (1997.5掲載/2020.4一部修正)
 ロシアといえば冬の“トロイカ”ですが、車輪のついた馬車も健在。むしろ、馬橇は観光用のものしか見たことがありません。たぶん、私が観光地ばかりを歩いていて人々の地道な生活の場をきちんと見ない、そんな旅行をしているせいでしょうね。
荷馬車結婚式へ行く馬車結婚式を終えて消防馬車観光用の馬車観光用の橇
第5章 シベリア鉄道で西へ    (1997.6掲載/2020.10一部修正)
 シベリアの大地を1週間かけて走り抜ける鉄道の旅。誰でも一度は憧れる旅ではないでしょうか。それとも「『憧れる』なんてとんでもない!1週間も乗りっぱなしでは退屈この上ないじゃない。」と思ってらっしゃいますか?それが不思議なことに何度乗っても退屈することなんか全然ないのですよ。
ウラジオストクウスリースクルジノヴャゼムスカヤハバロフスクアムール川車窓の風景(草原)ベロゴルスクマグダガチスコヴォロジノエロフェイ・パヴロヴィチチェルヌィシェフスク・ザバイカリスキーカルィムスカヤチタウラン・ウデイルクーツク旅は道連れエニセイ川クラスノヤルスクノヴォシビルスク車窓の風景(オビ河畔の農地)エカテリンブルクペルミカマ川ヤロスラヴリヴォルガ川ニジニ・ノヴゴロドボゴリューボヴォウラジーミルセルギエフ・パッサートモスクワ
第6章 クリミア半島  (1997.7掲載/2022.7一部修正)
 黒海に突き出たクリミア半島、とりわけその南岸は変化に富んだ地形と温暖な気候で古くからロシアの人々によって保養地として利用されてきました。厳しい寒さと単調な大森林や大平原の中に住むロシア人にとってここが憧れの地であろうことは双方の土地を比べてみるとよくわかる気がします。ソ連時代、モスクワっ子にとって、夏の休みにクリミアなど黒海沿岸に行って肌をちょっと黒めに焼いて帰ってくるのはステイタスを自慢することになったんだそうです。
ヤルタ燕の巣リバディア宮殿アルプカ宮殿チェーホフの家裏通りヤルタ港海岸通り公園教会の塔黒海を望む葡萄畑と黒海薄暮と夜景森と湖)/フォロスセワストーポリ入り江モニュメント海に面したゲート海港軍港大通り裏通りナヒーモフ像レーニン像入り江を望むウラヂーミル教会黒海艦隊博物館臨海公園堡塁跡ジオラマ館遺跡)/バフチサライシンフェローポリ郊外
第7章 ベラルーシ  (2001.2掲載/2021.6一部修正)
 ロシアとヨーロッパのはざまに位置し、歴史の過酷な試練にさらされ続けてきた小国ベラルーシ。ソ連が崩壊した後も、長く続く独裁者の圧政によって人々の呻吟と抵抗がやみません。 
ミンスク旅客駅駅前広場勝利の広場独立広場レーニン像聖シメオン・ヘレナ教会長崎の鐘街角モニュメント聖霊大聖堂事故犠牲者慰霊碑アフガン戦争戦没兵士慰霊碑バレエ・オペラ劇場地下鉄駅トロエツカヤ旧市街区ヤゼル・ドラズドヴィチ像ロシア社会民主労働党第1回大会会議場)/ミール城ネスヴィシ城ハティニチェルノグラディゴメリブレスト市創建1000年要塞ブレスト講和締結地中央駅ドラマ劇場教会市場子どもたちの像ホテル街角)/ブレスト郊外国境
第8章 モスクワ名所案内  (1997.9掲載/1998.2更新/2022.1一部修正)
 ロシアの首都モスクワは、その名が初めて文献上に現れて以来1997年で850年になるということで、その年の9月に850年祭を盛大に祝いました。そのモスクワの名所を「観光案内」風にご紹介してみます。
赤の広場レーニン廟クレムリンの壁(片山潜の墓)グムワシーリー寺院ミーニンとポジャルスキーの像ロブノエ・メスト歴史博物館ホテル「ナツィオナーリ」ホテル「ウクライナ」ホテル「ロシア」公園「ザリャーディエ」クレムリンクレムリン内の教会群武器庫鐘の王様大砲の王様中心部鳥瞰道路元標アレクサンドロフスキー庭園マネージナヤ広場マネージナヤ広場(マースレニッツァ)ルビャンカ広場キタイ・ゴーラド暗殺現場勝利の公園凱旋門ボロジノ戦闘パノラマ館バリケード型のモニュメントゴーリキー公園コローメンスコエコローメンスコエ(マースレニッツァ)ツァリーツィノ十月50周年記念公園オリンピック村公園イリィンスキー辻公園街角の風景ライオンの像教会とお堂郊外の団地モスクワ・シティオスタンキノВДНХ動物園植物園モスフィルム製菓工場トヴェリ通りカリーニン通りアルバート通りクトゥーゾフ大通り寒暖計のネオンサインツムディェツキー・ミールペレストロイカの風レーニン像マルクス像エンゲルス像ユーリー・ドルゴルーキー像クトゥーゾフ像バグラチオン像チャイコフスキー像ゾルゲ像ジューコフ像プーシキン像マヤコフスキー像ゴーゴリ像オクジャワ像ガガーリン像ウラジーミル大公像ゾーヤ・コスモデミャンスカヤ像ノヴォヂビチ修道院ダニーロフ修道院カザン聖母聖堂救世主キリスト大聖堂プーシキン美術館トレチャコフ美術館現代史博物館モスクワ防衛博物館露天彫刻美術館トルストイ博物館ゴーリキーの家博物館鉄道博物館ボリショイ劇場マールィ劇場モスクワ芸術座プーシキン・ドラマ劇場ワフタンゴフ劇場高等音楽院チャイコフスキー・コンサートホールラフマニノフ・コンサートホール動物劇場サーカスレーニン図書館モスクワ大学新館モスクワ大学旧館単科大学モスクワ川モスクワ川ミニクルーズルジニキ・スタジアムセブホワイトハウス国家院(下院)シャンペン工場石細工の工場「クロコヂール」編集部「イズベスチャ」本社イタル・タス通信社電報局韓国大使館日本人学校蚤の市地下鉄駅鉄道駅河港空港星の街ゴールキ・レニンスキエ
第9章 年賀はがき,他  (1997.10掲載/2016.12一部修正)
 ブレジネフのソ連時代、我々外国人旅行者がまず驚いたのは、パン屋といい肉屋といい、どこでも必ずと言っていいほど長い行列があることでした。そんな時代にあってほとんど唯一供給が需要を上回っていたのが年賀はがきだったのです。いえ、私がそう言っているわけではありません。当時ソ連大使館広報部から発行されていた「今日のソ連邦」という雑誌にそう書いてあったのです。でも、図柄の素敵なのも少なくなく、何よりも価格が安かったので私は現地で大量に買い込んでは、日本へ帰ってから子ども達への年賀状として使ったものです。
モスクワ・クレムリングジェリ陶器平和を訴える冬の森小鳥とチョウザメ子ども達のためにおとな達にもザルービン氏作品集森の動物たち封書用ニューイヤー・カードクリスマスカード兼用新生ロシアの官製年賀はがき官製クリスマスカード封書用私製クリスマスカードバースデーカードグリーティングカード
第10章 母なるヴォルガ  (1997.11掲載/2020.9一部修正)
 モスクワの北西のバルダイ丘陵に源を発し、はるか南のカスピ海まで3500km以上を流れる大河ヴォルガは、その位置と豊かな水量と全体を通じての緩やかな勾配から、古くからロシアの人々にとって、農業・漁業・交通・エネルギーをはじめ美術や音楽に至るまで、それこそ文字通り「母なる川」だったのです。そのヴォルガに沿って岸辺の町々をご紹介してみようと思います。 
トヴェリモスクワモスクワ運河ドゥブナ川岸の風景(1)カリャージンウグリチ岸辺の教会ムィシキンリビンスク貯水池リビンスクツターエフトルグスキー女子修道院ヤロスラヴリコストロマプリョスキネシマチカロフスクゴロジェッツニコラ・クリューチニジニ・ノヴゴロドオカ川濃霧マカリエフコズモデミャンスクチェボクサリマリインスキー・パッサートコズロフカスヴィヤシュスクカザンチーストポリニジネカムスクエラブガニジニャヤ・カマ国立公園ナベレジヌィエ・チェルヌィカマ川とその岸辺チャイコフスキーヴォトキンスクボルガルウリヤノフスクトリヤッチサマーラ閘門川岸の風景(2)ヴィンノフカ鉄橋夜の閘門ウソフカサラトフ小舟太陽と月ヴォルゴグラードヴォルガ・ドン運河イリヨーフカドン川コンスタンチノフスクドン川の岸辺ドン川の閘門スタロチェルカッスクロストフ・ナ・ダヌーアストラハン
第11章 化学者メンデレーエフ  (1997.12掲載/2005.3一部修正)
 高校生のときに誰もが習った元素の周期表で知られるD.I.メンデレーエフは、日本の高校化学の教科書に登場する唯一のロシア人でしょう。このメンデレーエフの生きた足跡がサンクト・ペテルブルクに残されています。 
メンデレーエフ像建物の壁に書かれた周期表ペテルブルク大学メンデレーエフ博物館手書きの周期表
第12章 バルト三国今昔(いまむかし)  (1998.1掲載/1999.2更新/2016.7更新)
 ずいぶん以前、まだソ連に行き始めの頃のことですが、あるときロシア人のガイドと話していてバルト諸国のことが話題になりました。すると彼は「あそこは、反ソ感情が強いから」と言うのです。事情を何も知らなかった私は「おいおい待てよ。『反ソ』って言ったってあそこはソ連じゃないか?」と思ったものです。ゴルバチョフのペレストロイカがやってくると15の連邦構成共和国の中で最も早く独立の声を上げたバルト三国、それには私たちのはかり知ることのできないような厳しい歴史の背景があったはずです。今から約30年ほど前のソ連時代のもの、独立後しばらく経ってから撮影した写真、それに比較的最近旅行した時の写真とをご覧いただきます。 
■■ソ連時代のバルト三国 → ビリニュストラカイ城沿道の農村国境リガサラスピルスユルマラ海岸漁業コルホーズタリンロッカ・アリ・マレ ■■独立後のバルト三国 → ビリニュスゲディミナス塔国会議事堂バリケード積み石慰霊碑群アンタカルニス墓地ソ連兵の像自動車道路郊外の団地鉄道駅オペラ・バレエ劇場大学教会通り)/カウナスカウナス城旧日本領事館通り広場)/国境リガ自由記念碑石碑広場教会石畳の道城壁と塔街角ユーゲントシュティール建築)/タリン街並通り太っちょマルガレータ市役所大聖堂タリン港日本大使館 ■■21世紀のバルト三国 → ビリニュストラカイカウナスシャウレイ近郊ピルスルンダーレリガタルトゥ沿道の農村タリン
第13章 はるかなるシルクロード  (1998.3掲載/2008.8更新/2018.8一部修正)
 ソ連邦崩壊の直後に書かれた日本のある新聞記事によると前章のバルト諸国とは逆に「連邦構成15共和国中、最も“不本意な”独立を遂げた」とされる中央アジアですが、古来よりシルクロードの要衝として幾多の興亡を繰り広げてきた深い歴史を持つ国々としてよく知られています。ほんとうに“不本意”だったのかどうかは知りませんが、その中央アジア諸国のうち旧ソ連邦の南側の国境に近い地域を私が訪ねた1991年暮れには既に独立国としての確かな一歩が踏み出されている気がしました。この章ではさまざまな古い遺跡を中心にご紹介します。 
■■ウズベキスタン → タシケントサマルカンド州境シャフリサブステルメズブハラウルゲンチヒワキジルクム砂漠アムダリア川 ■■タジキスタン → ペンジケント ■■トルクメニスタン → アシハバードニサアナウメルブ
第14章 サハリン島  (1998.4掲載/2006.11更新/2021.3一部修正)
 函館からの飛行機がオホーツク海に出て数十分後にはもうサハリン島の上空で着陸態勢に入ります。ドア1枚隔てた隣のお宅のような土地サハリンの春と夏の表情です。 
■■春のサハリン → ユジノ・サハリンスク市街劇場郷土博物館戦没者慰霊碑教会日本製車両花屋物売り)/コルサコフコルサコフ像) ■■夏のサハリン → 島の南岸ユジノ・サハリンスク街角サハリン鉄道本社鉄道駅駅前広場郷土博物館美術館国際劇場センターチェーホフ像チェーホフ『サハリン島』文芸博物館樺太神社跡市場公園ガガーリン公園展望台ロープウェイ勝利の広場歴史公園『ロシア』教会幼稚園空港)/コルサコフ市役所郷土史博物館街角丘の上の住宅群市内俯瞰サハリン残留韓国人記念碑)/ドリンスク鉄道駅街角王子製紙落合工場跡)/スタロドゥヴスコーエオゼロ・レビャジエブズモーリエ鉄道駅海沿いの集落神社跡)/ホルムスク街角海港戦没者慰霊碑
第15章 コーカサスを越えて  (1998.5掲載/1998.9統合/2005.8更新/2019.12一部修正)
 黒海からカスピ海にかけて5000mにも及ぶ高さの山々が連なるコーカサス。それは果てしのない平原と起伏のない森ばかりを見ているロシア人にとって、きっと別世界のようだったでしょう。プーシキン、レールモントフ、トルストイ、イッポリート・イワーノフなど多くの作家や音楽家、画家などがコーカサスに魅了されていることからもそのことが想像できます。 また、このあたりは多くの民族が入り混じっていて、古くから交易も盛んなかわりに紛争も絶えない地域でした。「片手に剣、片手に盃」というのはこの地方の人々にとってまさに実感だったのでしょう。 
■■ロシア  → ピャチゴルスク山麓の青空市場ナリチク渓谷コーカサスの山々オルジョニキッゼ ■■グルジア  → カズベキグルジア軍用道路アナヌリムツヘタトビリシメテヒ教会ナリカラ城趾市街ルスタヴェリ広場ルスタヴェリ大通り自由広場街角バルコニーのある家鉄道駅クラ川城壁の跡シオニ教会ジナゴーグオペラ・バレエ劇場動物園サーカストビリシ貯水池)/テラビゴリツハルトゥヴォクタイシバツーミ市街イルカ植物園ツィヒス・ジリ遺跡黒海) ■■アルメニア  → アルメニア北部地方ハフパット修道院セヴァン湖ガルニゲガルトエレワン共和国広場国立美術館大虐殺のモニュメントサハロフ像芸術家の像マテナダラン黄昏)/リプシマエチミアジンガイヤネズワルトノツホルヴィラップ修道院跡 ■■アゼルバイジャン  → バクー海に面した市街旧キーロフ公園フレームタワーズテレビ塔殉教者の小径ケーブルカー乙女の塔城壁イチェリ・シェヘルシルヴァンシャー・サライキャラバンサライ街角海岸公園辻公園ヘイダル・アリエフ・センター言語大学市場絨毯屋絨毯博物館鉄道駅地下鉄駅空港ビル)/バクー郊外拝火教の寺院油田ヤナル・ダグゴブスタン国立保護区周辺泥火山ゴブスタン国立保護区
第16章 バイカル湖のほとり  (1998.6掲載/2016.10更新)
 ロシア民謡にも歌われてあまりにも有名なシベリアの湖バイカル。その深さは世界一で、地球上の淡水の5分の1がこの一つの湖に貯えられているといわれます。透明度もおそらく世界一。固有種の藻や小海老が水を浄化する働きをしているそうです。広さも、淡水湖としてはロシアで最大、日本の琵琶湖の50倍近く、九州の面積の85%以上にもなります。私が訪ねたのはその広大な湖のほんの隅っこにすぎません。 
湖面湖上を行く船リストビャンカバイカルトルスティ岬ペスチャナヤ湾シーダサルマオゴイ島オリホン島ソロンツォヴォ岬ズメイナヤ湾ダフシャセヴェロバイカリスク
第17章 ウクライナとモルダヴィア  (1998.7掲載/2004.1更新/2021.12一部修正)
 ロシアに比べたら穏やかな気候と肥沃な黒土とに恵まれて旧ソ連の穀倉の役割を果たしたウクライナ、そしてそれに隣接するモルダヴィア(モルドヴァ)の風景です。 
キエフシンボル祖国の母の像キエフ市創始者の像ウラヂーミル大公像黄金の門独立広場道路元標外務省ビル街角の風景フレシャチク大通り大祖国戦争のモニュメントアフガン戦没者慰霊碑キエフ大学オペラ・バレエ劇場サーカスフィルハーモニー国際文化芸術センター市立教師会館「ディナモ」スタジアム鉄道駅空港民族楽器シェフチェンコ公園シェフチェンコ像フメリニツキー像ブルガーコフ像歩行者天国並木道緑深いプロムナード植物園広場レーニン像農業集団化犠牲者慰霊碑聖オリガ像ロシアとウクライナの友好の碑ケーブルカー公園の石像ペルシャ猫パンテレイモンの碑地下街ルィノックレストランペチェルスカ修道院ソフィア寺院アンドレイ教会アンドレイ教会周辺ミハイロフスキー修道院ウラヂーミル教会教会跡イコン)/ドニエプル川道路コーヴェリクレヴァニ郊外リヴネ街角の風景オルガン&室内楽ホールアカデミー音楽&ドラマ劇場ホテル「ウクライナ」教会「ユーロマイダン」の記憶国旗の色の鉄柵子ども鉄道)/オデッサオデッサ港ポチョムキンの階段リシュリュー像エカテリーナII世像オペラ・バレエ劇場街角裏通り鉄道駅並木道広場白い柱廊小公園「古いオデッサの一角」シェフチェンコ公園市立公園通りの風景パッサーシュ土産物屋大聖堂戦艦ポチョムキンの碑永遠の炎チェルノブィリ犠牲者慰霊碑)/ザポロージェヘルソンドニエプロペトロフスクウクライナの農村向日葵畑葡萄畑モルダヴィアの農村オルヘイ・ヴェチワイナリ−キシニョフ通り街角の風景ホテルから眺めた街の様子道路元標共和国議会大統領官邸市役所オルガンホールプーシキン像ステファン・チェル・マーレ像商店街物売りナスレテア大聖堂空港噴水
第18章 モスクワ郊外の夕べ  (1998.8掲載/2021.9一部修正)
 「黄金の輪」と呼ばれる古都群をはじめ、モスクワ周辺の有名無名の町や村をご紹介します。モスクワの町を一歩離れると、そこには話に聞いていたロシアの原風景が広がります。 
郊外への道ウラヂーミルボゴリューボヴォスーズダリキーデクシャヤロスラヴリセルギエフ・パッサートトヴェリクリントゥーラヤースナヤ・パリャーナオリョールコロムナリャザンカシーモフムーロムパーヴロヴォ
第19章 セーヴェル 〜 ロシアの北  (1998.9掲載/2019.1一部修正)
 ロシアといえば北の地という印象なのに、その中でもまた北の地域。冬には昼間がほんの数時間しかないとか気温が零下30度にも下がるという所です。しかし豊かな森林資源や漁業資源を背景に古い時代から人々の営みがありました。 
ヴォルガ・バルト水路ゴリツィキリーロフベーロエ湖ベラジョールスクコヴジャ川ヴィテグラオネガ運河オネガ湖キジ島マンドロギスヴィリストロイスヴィリ川スヴィリ川河口ヴァラアム島ネヴァ川ペトロザボーツク白海・バルト運河ナドヴォイツィベロモルスクムルマンスク鉄道沿線の村々アルハンゲリスクソロヴェツキー島
第20章 平和を祈る  (1998.10掲載/2022.3一部修正)
 さきの大戦で戦勝国側の一員だったとは言え、ソ連は他の国々とは比べものにならないほどの戦争被害を受けました。ことに戦争で亡くなった人の数は2千万ともそれ以上とも言われています。戦後の復興も敗戦国の日本以上に困難だったという面もあります。それだけに、為政者の思惑がどうであれ、人々の中には平和を心から願う気持ちが強い筈ですのに....。 
モニュメントヴォルゴグラードレニングラードコーカサス北麓サラトフウグリチ)/陣地跡(オデッサ郊外)要塞跡(ブレスト)収容所跡(サラスピルス)工場跡(ヴォルゴグラード)埋葬記録(レニングラード)永遠の炎(スズダリ)永遠の炎を守るオデッサキエフイルクーツクハバロフスクブレスト)/戦没兵士の記憶コムソモリスク・ナ・アムーレムィシキンベラジョールスクウラジオストクサマーラハバロフスクカリーニングラード)/横断幕(キエフ)ポスター(ハバロフスク)街頭活動(ハバロフスク)連帯(リガ)ヴァフタ・パーミチ(ヴォルゴグラード)日本人墓地ハバロフスクイルクーツクリストビャンカ)/戦没者慰霊碑ナリチクヴォログダミンスクハバロフスク
第21章 人々  (1998.11掲載/2021.12一部修正)
 ロシアに幾度も行くようになって、どうしてロシアばかりにそう度々行くのかとよく聞かれます。自分でもひと言では答えにくいのですけれど、はっきり言えるのは旅先で出会った人々との関係で不愉快な思いをしたことが殆ど無いことです。無類のお客好き、おせっかいとも言えるほどの親切、そして日本ではもう3-40年も前に失われてしまったような純朴さ、..そんなものにひかれてつい何度も足を運んでしまうのかもしれません。 
歓迎ガイド通訳運転手車掌ウェイトレス客室係船員船長船のチーフ・マネージャー船の受付係歌舞団員バラライカ弾きバヤン弾き踊り手船客読書する女性鍵番売り場係堂守聖職者祈る人祝福を受ける人鐘撞きデザイナー製パン職人露天商ワイン醸造家ソムリエ左官花に水をやる人花を買う人・売る人コルホーズ長工場長仕立屋ピロシキ売り売り子農婦猟師老闘士生物学者ロシア語教師大学教師音楽教師幼稚園長編集長学芸員自然公園管理人植物園ガイド調理員旅行会社社員ペンション・オーナー音楽家兵士警官小荷物係青年カップルカップル風新婚の夫妻釣り人民族衣裳を着た娘さん民族衣裳を着ての歓迎手芸をする女性チェスをする男性犬を連れた奥さん父親父と子学生師弟生徒少女ハイカー店番見知らぬ人別れ
第22章 極東とシベリア  (1998.12掲載/2021.12一部修正)
 ロシアというとモスクワとかあちらを頭に浮かべがちですからずいぶん遠い所とつい思ってしまいますけれど、サハリンは別にしても、日本海のすぐ向こう岸がロシアなのです。飛行機でならほんの2時間、船でも一昼夜もあれば着いてしまう文字通りの隣国です。その中でも日本から「片道5時間」以内の極東と東シベリアの表情をお伝えします。 
ナホトカナホトカ港鉄道駅姉妹都市の碑)/ウラジオストク遠景湾内鉄道駅空港ルースキー島連絡橋岸辺のプロムナードレーニン像イリヤ・ムロメッツ像キリルとメフォディの像セルゲイ・ラゾ像ムラヴィヨフ像エレノア・プレイ像ウラジーミル・ヴィソツキー像ニコライ記念門博物館戦没者慰霊碑ケーブルカーДВГУ教会小さな公園中央広場街角フォーキン提督通りアムール湾 )/ハバロフスク広場ハバーロフ像ムラヴィヨフ像ハバロフスク発祥の地プーシキン像通り高層住宅など坂道街角人工池河畔の公園内戦のモニュメント教会建物音楽劇場サーカス木立ちアムール川スタジアム日本人墓地慰霊公苑ダーチャダーチャ村子ども達のキャンプ施設)/イルクーツクアンガラ川にかかる橋街の風景ショッピングモール科学実験博物館図書館と博物館歴史博物館学校幼稚園子ども鉄道市場露店冬景色オベリスク河畔の記念碑ヴァンピーロフ像イルクーツク市の創設者像レーニン像レオニード・ガイダイ像ピョートルとフェブロニア像バイカルあざらしの像永遠の炎アンガラ川川岸モスクワ凱旋門内務省殉職者慰霊碑造船所鉄道駅市電キーロフ公園公園文化と休息の公園公園に置かれたベンチ歩道に置かれたベンチ彫像のある広場金沢通りデカブリストの家デカブリスト記念碑建設予定地キーロフの隠れ家ドラマ劇場スタジアム日本人墓地修道院美術館サーカスフィルハーモニーホテル消防署並木道教会民家郊外の村郊外のタイガ
第23章 お土産  (1999.1掲載/2019.9一部修正)
 ロシアやその他の旧ソ連各地で買ったり贈っていただいたりしたお土産の数々です。「モスクワ饅頭」とか「キエフ羊羹」とかはありませんけど、その土地土地の風土が育んだ素朴なものが多いのが特徴です。もちろん写真は現地で撮ったものではなく、デジタル・カメラを使って我が家で撮影したものです。 
人形マトリョーシカロシアウクライナウズベキスタンチュバシサハグルジアカムチャッカ北方地方リトアニアロシア[壁掛人形]ロシア[布製の人形]ベラルーシ)/藁製品帽子トレー小箱)/サモワール木の製品小熊寄木の小箱白樺細工の小箱壁掛け柄杓木製のトレーメモ留め書見台)/塗りものホフロマ塗りパレフ塗り風の絵ブローチ木馬のミニチュア復活祭の卵台所用の木板)/石の加工品孔雀石ネフリート琥珀)/焼きもの小皿グジェリ陶器素焼きの人形素焼きの鶏料理用の壺飾り皿小さな壺)/ガラス製品白鳥花瓶愛の形泡の芸術)/金属製品鋳物チェカンカ[銅の打ち出し細工]真鍮製のトレー花柄のトレー飾り匙国旗をデザインした匙灰皿)/布製品プラトーク民族模様の刺繍リネンヴォログダ・レース中央アジアの帽子ぬいぐるみ壁掛け国旗のミニチュア干支)/動物製の品々皮革製表紙の手帳壁掛け先住民の工芸品牙細工角製の置物根付風のキーホルダーマンモスのキーホルダー)/遺跡の木片キーホルダーバッジ小さな油絵砂で描いた絵小石を貼った絵壁掛け自筆の絵)/写真蓮の実ロウソク花束CDマグネット
第24章 市場  (1999.2掲載/2020.1一部修正)
 観光でよその土地を訪れたとき、その土地の人々の生活のにおいをいちばん感じることができるのはきっと市場でしょう。だから外国へ行くと市場に寄るのが好きという人は多いはずです。私もその一人ですが、あちらの人々には写真を撮る時はきちんと身なりを整えてという考えが強くあるようで、作業着や普段着で写真を撮られることをあまり好みません。そのため、ちょっと腰の引けた写真になってしまっているのが残念です。 
リガタリンサマルカンドヒワウラジヴォストークイルクーツクエニセイスクドゥヂンカバクサン渓谷(北コーカサス)コストロマムィシキンリャザンエレヴァンカヘチアテラビ(グルジア)ユジノサハリンスクブズモーリエニコリスコエ(ヴォルガ河畔)モスクワハバロフスクスズダリヴォログダベラジョールスクバクープリョスエリゾヴォ(カムチャッカ)カリーニングラード
第25章 クレムリン  (1999.3掲載/2020.11一部修正)
 「クレムリン」という語はもともと“城砦”の意味で、その町々の聖俗の権力機関・行政機関の置かれた中心地でもありました。ですから、モスクワだけでなく中世以来のロシアの都市には、クレムリンそのものやあるいはその跡が今でも残されているところが少なくないのです。 
モスクワノヴゴロドニジニ・ノヴゴロドカザンリャザンコロムナトゥーラアストラハンプスコフヴォログダスズダリコストロマベラジョールスクウグリチ
第26章 看板,広告,スローガン  (1999.4掲載/2022.2一部削除/2022.6一部修正)
 街の通りやその他の場所で見る看板や広告の写真を意識的に撮ってきたわけではありませんが、今になって手元にあるネガの中からこうして並べてみるとこの三十年余の間の社会の変化が垣間見える気もします。 
屋上のスローガン大会準備劇場の広告演奏会案内オペラの広告商店の看板西側のチェーン店野球試合のポスター地震被災者の救援独立運動万国の労働者、団結せよ!チェルノブィリ子ども基金チェルノブィリ・ツアー大統領選挙新しい市名古い市名ペレストロイカ政党の看板消されたレーニンら制限時間営業時間モスクワ850年祭赤十字の看板日本文化への関心日本観光のお誘い日本料理店の宣伝日本料理店の看板店名アイスクリーム販売車遺跡案内車窓の注意書きエコマーク環境保護求人広告有朋自遠方來諺?肉多め、葱少なめ猛犬注意氷上歩行禁止 告白マナー教育落書き愛の証看板作り時差翻訳困難理解困難カラオケ・ピザハウスコンビニ風の店24時間営業店「昼休みなし」禁煙戦勝記念日バス停
第27章 歌は世につれ  (1999.5掲載/2021.12一部修正)
 ロシアの人々の生活と歌や音楽とは切っても切り離せません。音楽はしっかりと生活の一部になりきっているのです。あちらの音楽で私がいちばん気に入っているのはロシア正教の教会音楽。聖堂の中でそれを聞いていると自分が地上にいるのか天上にいるのか判然としなくなるというのもあながち作り話とは思えなくなります。ロシアの人々の豊かな音楽性は教会で培われたに違いありません。でも、神聖な場所での撮影はためらわれて教会音楽の写真は1枚もなく、ここでは世俗的な写真ばかりです。 
キエフセワストーポリザポロージェタリツィオデッサコラエレヴァンゲガルトコムソコリスク・ナ・アムーレスズダリ郊外モスクワ郊外ナガリクカムチャッカヴォルガ川エニセイ川ネヴァ川オカ川ハバロフスクレニングラードサンクト・ペテルブルクペテルゴフヤロスラヴリモスクワセヴェロバイカリスクティンダリガシャウレイ近郊(リトアニア)カザンキシニョフ郊外ブラワシカチアリヤンレナ川黒海アルハンゲリスクイルクーツク
第28章 乗り物  (1999.6掲載/2022.9一部修正)
 広いロシアを縦横に走る交通機関。その乗り物の写真をと思ったのですが、ソ連時代には飛行機からの俯瞰は言うに及ばず、飛行場も鉄道の分岐点もみな撮影禁止だったので、手元のネガの中にも乗り物の写真は意外に少ないのです。 
飛行機海洋フェリー河川用の客船列車列車の行先標(サボ)等列車の室内郊外電車高速鉄道空港との連絡線地下鉄市電バストロリーバス山岳用バスケーブルカーロープウェイリフトバギーマルシュルートカ都市交通の切符水中翼船モーターボートサイドカーヘリコプター
第29章 通り  (1999.7掲載/2018.8一部修正)
 どの町や村にも無数にある「通り」。人と同じでその表情はなかなか個性的です。ぜひ見比べてみてください。 
旧市街の路地ビリニュスリガタリン)/路地裏(タリン)石畳の道(タリン)城壁の間(タリン)城門の向こう(タリン)城壁の外(アストラハン)塀沿いの道(ウラジーミル)落書きのされた歩道(サンクト・ペテルブルク)幅の広い歩道(キエフ)幅の広い中央分離帯(ドニエプロペトロフスク)幅の広い階段(オデッサ)幅の広いプロムナード (ヤルタ)ビルの谷間(リガ)建物脇の歩道(モスクワ)朝の通り(モスクワ)歩行者天国(モスクワ)古都の通り(ブハラ)石畳の坂道(ヤルタ)冬の夜道(レニングラード)雨の歩道(レニングラード)並木のある歩道(ユジノサハリンスク)明るい歩道(ペトロパヴロフスク・カムチャツキー)繁華街(サラトフ)運河沿いの道(レニングラード)川岸の通りハバロフスクヴォルゴグラードプスコフ)/緩やかな坂道(ペトロパヴロフスク・カムチャツキー)並木道(ヴォルゴグラード)樹木に囲まれた階段(キエフ)分離帯を兼ねた並木道(キエフ)色づき始めた並木道(キエフ)街路樹のトンネル(トビリシ)樹氷のある通り(レニングラード)バスの走る通り(レニングラード)トロリーバスの走る通り(イルクーツク)大学の見える道(モスクワ)墓地の小径(サンクト・ペテルブルク)山の見える道(カムチャッカ)雪の降る道(ハバロフスク)水溜まりのある道(ドゥヂンカ)村の道(スズダリ)村の「大通り」(トゥルハンスク)曲がった道(トゥルハンスク)タイガを貫く道(イルクーツク郊外)森の小道(クラスノヤルスク郊外)雪原に延びる道(シャフリサブス〜サマルカンド間)樹氷のある街道(サマルカンド〜タシケント間)石畳の坂道(プリョス)白樺林の散歩道(プリョス)教会の丸屋根の見える道(ヤロスラヴリ)
第30章 通貨  (1999.8掲載/2020.1一部修正)
 ソビエト連邦の崩壊、そしてその後のロシア経済の混乱のために、国内で流通する紙幣や貨幣は崩壊後10年ほどの間にずいぶん変わりました。その変化を振り返ってみます。デジタルカメラでいい加減に撮ったものですから、向きがまっすぐでなく、几帳面な方には気になるとは思いますがどうぞお許しください。 
ソ連の通貨5ルーブル紙幣25ルーブル紙幣硬貨記念硬貨)/新生ロシアの通貨100ルーブル紙幣500ルーブル紙幣1000ルーブル紙幣ルーブル硬貨新しい1000ルーブル紙幣10000ルーブル紙幣)/デノミネーション後の通貨10ルーブル紙幣50ルーブル紙幣100ルーブル紙幣硬貨ルーブル硬貨記念硬貨)/ベラルーシの紙幣ウクライナの貨幣アゼルバイジャンの貨幣バルト三国の通貨エストニアの貨幣ラトビアの貨幣リトアニアの貨幣
第31章 郵便切手  (1999.8掲載/2000.12一部修正)
 お札や硬貨のことに触れると、それよりもずっとコレクターの数の多い郵趣関係者から切手もという声が出そうですが、旧ソ連では切手で外貨を稼ごうとしたのではないかと思うほど多くの種類の切手が発行されていて、切手だけ取り上げても一つのWWWサイトには到底収まりきれません。実際、旧ソ連の切手を扱った日本語のサイトもありますし、ここでは私の手元にあるごく限られたもののご紹介に留めます。 
ソ連の切手特殊切手の例「諸国民の祝日」小型シート年賀切手アルメニア地震救援日ソ共同宇宙飛行記念)/臨時切手ウクライナロシア)/加刷切手アゼルバイジャンロシア)/ロシア以外の国の切手ウクライナベラルーシウズベキスタンリトアニアラトビアエストニア
第32章 家族の肖像  (1999.9掲載/2018.12一部修正)
 ロシアの子どもたちと仲良しになって手紙がくるようになると、そこに必ず書かれているのが家族のこと。パパやママのことは言うまでもなく、おばあちゃんやらお姉ちゃん、それに飼い犬のことまでことこまかに書かれていて家族の絆がともて強いことを感じさせられます。対する私の返事はと言えば、妻子についてなど一度も触れたことはないのにです。 
イルクーツクアルハンゲリスクサンクト・ペテルブルクシベリア鉄道ヴォルガ川モスクワナドヴォイツィエヴパトーリアトビリシサマルカンドタシケントヤクーツクラトビアバトゥーミ沖ヴォログダコムソモリスク・ナ・アムーレハバロフスクオゴイ島(バイカル湖)エニセイ最下流域
第33章 エニセイを下る  (1999.10掲載/2019.1一部修正)
 シベリアを東西に分かつ大河エニセイは流域に住む人々にとって文字通り命綱の役割を果たしています。ここでは中流のクラスノヤルスクから北極圏までの流域の町や集落、そしてそれらを包む豊かな自然の表情をご紹介します。 
クラスノヤルスクストールビィタシキノカサチンスキー早瀬川の表情アンガラ河口川岸の風景レソシビルスクエニセイスク浮き桟橋ヤールツェヴォヴォローゴヴォタイガ(コムサ)レーベジトゥルハンスクイガルカ川の上の空ドゥヂンカツンドラトナカイ放牧地ウスチ・ポルトエニセイ川
第34章 楽聖チャイコフスキー  (1999.11掲載/2015.6一部修正)
 ロシアを代表する作曲家P.I.チャイコフスキーに関係のある写真を手元のネガから探してみました。 
ヴォトキンスクペテルブルク音楽院モスクワ音楽院プログラムマリインスキー劇場クリン終焉の地
第35章 新年を祝う  (2000.1掲載/2020.12一部修正)
 ソ連時代は表向きにはクリスマスを大々的に祝う習慣がありませんでしたから、そのかわりという訳でもないでしょうけれど、新年を迎えるお祝いは盛大でした。ソ連が崩壊してクリスマスが祝われるようになった現在でもその習慣は生き続けています。 
モスクワキエフレニングラードサンクト・ペテルブルクムルマンスクカリーニングラードイルミネーション東京便の機中マロース爺と雪娘新年を迎えるパーティー年頭の挨拶カレンダー
第36章 絵はがき  (2000.2掲載/2019.12一部修正)
 私がソ連に行き始めた今から40年ほど前は「インターネット」という言葉すら知りませんでしたから、自分が撮った写真を他人に見せる機会があるなどとは思ってもみませんでした。旅に出ても風景を写真に撮ったりするよりも絵はがきを買ったほうがずっと良いと考えて、写真を撮るかわりに絵はがきを買ったものです。ただ、その絵はがきをここに掲載すると著作権の問題に触れますので、ここでは絵はがきセットの表紙だけをご紹介することにします。いわば絵はがきのカタログです。お気に入りのものが見つかりましたらどうぞ現地にいらしてお買い求めください。 
モスクワセルギエフ・パッサートスズダリウラジーミルカリーニンノヴゴロドプスコフレニングラードサンクト・ペテルブルクラズリフペトロドヴォレツプーシキンパブロフスクキリロフベラジョールスクヴァラアム島キジ島ペトロザボーツクソロヴェツキー諸島ムルマンスクアルハンゲリスクヴォログダカロームナリャザンカシーモフムーロムトゥーラヤースナヤ・パリャーナボルヂノタリンリガビリニュスリトアニアミンスクベラルーシカリーニングラードキシニョフモルドヴァキエフカネフザポロージェヘルソンニコラエフオデッサセワストーポリバフチサライヤルタリバディアゲラチコルヒーダの洞窟トビリシアルメニアバクーエルブルス近傍オルジョニキッゼカルバジノ・バルカルミネラリヌィ・ヴァディアストラハンヴォルゴグラードサラトフサマーラウリヤノフスクヴォルガルカザンスヴィヤシュスクチェボクサリコズモデミャンスクマカリエフニジニ・ノヴゴロドプリョスコストロマヤロスラヴリリビンスクムィシキンウグリチカリャージンチーストポリエラブガペルミウラル地方の自然エカテリンブルクシベリア鉄道アシハバードウズベキスタンブハラサマルカンドヒワタシケントクラスノヤルスクノリリスクタイムィルブラーツク海イルクーツクバイカル湖レナ川ハバロフスクハバロフスク地方コムソモリスク・ナ・アムーレウラジヴォストーク沿海州サハリンユジノ・サハリンスクカムチャッカペトロパブロフスク・カムチャツキィ
第37章 教会のある町々  (2000.4掲載/2019.7一部修正)
 キエフが日本の京都にあたる古都だとすれば、鎌倉あたりに相当する古い町々がレニングラード州の周囲の地域にあります。町の中をどちら向きに歩いても古い教会に出会い、教会群の中に町があるかのような錯覚すら覚える町々です。ここでは、ノヴゴロド州,プスコフ州,ヴォログダ州のそれぞれ同名の州都の様子をご紹介します。 
■■ノヴゴロド → クレムリンロシア1000年記念碑ソフィア寺院ゴスチヌィ・ドヴォールユーリエフ修道院教会 ■■プスコフ → クレムリンヴェリカヤ川教会鐘楼広場修道院解放記念碑大通り天然の冷蔵庫鉄道駅 ■■ヴォログダ → 夕暮れクレムリン教会記念碑公園木造の宮殿アパート民家鉄道駅大通りヴォログダ・レースシャラーモフ博物館スパソ・プリルツキー修道院郊外の道
第38章 木々と草花  (2000.5掲載/2021.8一部修正)
 ロシアの人々は「森の民」で、森からたくさんの恩恵を受けて生きています。また、花々も大好きで、野草を摘んでよく人にあげたり窓辺を飾ったりします。この章に置いたのは旅先でふと立ち止まって撮った木々や草花の写真です。 
荒れ野と林林の入口野の花露の花エーデルワイス紫陽花白樺湿地の花バラ園赤い実赤い実のなる木青い実赤い葉自然公園の植物路傍の草花森の花公園の花公園の木庭の花玄関先の花花壇の花大通りの花ダーチャの草木樹氷路傍の樹木食卓の花通りに吊されたフラワー・ポット通りを埋めた草花螺旋形の樹
第39章 料理  (2000.6掲載/2021.12一部修正)
 ソ連時代の旅行では三度の食事はそれほど楽しみではありませんでした。なにしろホテルもレストランも国営。つまり役所が食事を出してくれるようなものだったからです。ところが庶民の家庭でごちそうになる料理の味はぜんぜん別。いや、家庭まで行かなくても通りのピロシキ屋さんでさえ「えっ、外国人にはあんなもの食べさせて、自分たちはこんな美味しいもの食べてるの!」という感じでした。写真では味は伝わりませんから、料理の写真も手元にほとんど無いのですけれど、その数少ないものをお見せします。 
宴の前船の料理レストランの料理ホテルの朝食ビュッフェでの食事ダーチャの庭での食事アイスクリーム山小屋の料理家庭でのおもてなし調味料シャシリクを焼く川魚の燻製オームリオームリ料理ピロシキキエフスキー・トルトアゼルバイジャンのケーキスーシカブリヌィザクースカサラダスープボルシチアクローシカキエフ風カツレツモルダヴィアの郷土料理つけ合わせペリメニサーロデザートハルヴァランチ学生食堂での昼食街の食堂での軽食機内食車内食日本食うどん店
第40章 自然の宝庫 カムチャッカ  (2000.8掲載/2019.7一部修正)
 日本列島と同じく環太平洋火山列を構成するカムチャッカ。タイガや平原が延々と続く大陸のロシアとは全く違う景観だけでなく、変化に富んだ手つかずの自然がふんだんに残されているという点でも私たちをひきつけます。 
ペトロパヴロフスク・カムチャツキーアヴァチャ湾ハラクチル海岸エリゾヴォパラトゥンカアヴァチャ山麓コリャク火山空から見た火山ナリチェヴォ自然公園
第41章 『罪と罰』の世界  (2001.1掲載/2022.9一部修正)
 ドストエフスキーの代表作の一つ『罪と罰』は、サンクト・ペテルブルクのごく狭い区域の中で物語りが展開していきます。そのあたりを訪ねてみました。ただ、小説は夏のペテルブルクが舞台なのに、写真のほうは冬景色ばかりなのでちょっと違和感がありますけれど、いずれ夏に訪れる機会があったら撮り直すことにして、しばらくはこれらの写真でご容赦ください。 
S横町K橋ラスコーリニコフの下宿センナヤ広場中庭金貸し老婆の家ドストエフスキーの家V通りT橋ペトロフスキー島ユスーポフ公園 エカテリーナ運河ニコラエフスキー橋鉤の手になった短い横町ソーニャ・マルメラードワの家小メシチェンスカヤ通りヴォズネセンスキー橋K横町ドストエフスキー博物館ドストエフスキー像ドストエフスキーの墓
第42章 BAM鉄道  (2001.5掲載/2019.1一部修正)
 タイガに覆われたシベリアの山中を太平洋に向かって走るBAM(バイカル・アムール)鉄道。ソ連邦の一大国家プロジェクトとして建設が進められてきましたが、2001年春の「セヴェロ・ムィスキイ」トンネルの貫通で、まもなくその大工事も終わろうとしています。真冬には気温が氷点下60℃にも下がって、寒さのために空を飛んでいる鳥が突然落ちてくるとも言われるあたり、列車に乗って旅をしていても、鉄道建設がどんなに過酷な労働だったのかを思わず想像してしまいます。 
コムソモリスク・ナ・アムーレノーヴィ・ウルガルイサフェブラリスクティンダノーヴァヤ・チャラコダール山系タクシモセヴェロムィスキイ山地キュヘリベクスカヤノーヴィイ・ウオヤンセヴェロバイカリスクコルシューニハ・アンガルスカヤブラーツクヴィホレフカチュナ
第43章 アムール川の漣  (2002.8掲載/2002.9一部修正)
 中露両国の間を流れてきたアムールは、極東の中心都市ハバロフスクから北東に向かい、オホーツク海に流れ出ます。ヨーロッパ部の大河ヴォルガが母なる川と呼ばれるのに対し、極東最大のこの川はロシア人に「父なるアムール」と呼ばれるのだそうです。ここではハバロフスクから500kmほど下流のボゴロツコエまでの間を往復する船旅の折りに撮った写真の一部をお見せしようと思います。 
ハバロフスクアムール川川岸の風景シカチアリャン「緑の休息」トロイツコエ船内でのエンタテイメントコムソモリスク・ナ・アムーレタンボフカブラワ航路標識ボゴロツコエ川を行き交う船船旅の魅力
第44章 教会と修道院  (2003.1掲載/2022.6一部修正)
 日本でも、どんな寒村へ行ってもお寺も神社も見あたらないということはありません。ロシアも同じ。いたるところに教会や修道院、あるいはその跡を見ることができます。この章には由緒ある建物だけでなく、通りがかりにちょっと見かけた、言ってみれば田舎の実家が檀家になっている小さなお寺に相当するような教会の写真も置きました。 
モスクワモスクワ運河サンクト・ペテルブルク クリンウグリチノヴゴロドキジ島アルハンゲリスクヴォログダブレストエニセイスクオデッサハバロフスクキエフコストロマムィシキンヴォルガ川沿海州
第45章 ドニエプルから黒海へ   (2003.9掲載/2004.7一部修正)
 旧ソ連の時代、大きな川には遊覧船が配置されて、川が凍結していない夏の季節には、大人たちはもとよりピオネールの子ども達まで、いく日もかけてゆったりとしたクルーズを楽しんだものです。そんな川船の中で、ほとんど唯一海にまで漕ぎ出すのがこのドニエプル川のコースです。ウクライナの首都キエフから黒海までの「ウォーター・フロント」の表情をご覧ください。 
キエフ川岸の風景航路標識クレメンチュク閘門クレメンチュク川岸の風景ヨット川岸の小さな家可動橋驟雨教会夕焼けドニエプロペトロフスクパイプライン電線ザポロージェ川の風景ヘルソンドニエプロ・デルタオデッサセワストーポリドニエプル航路の客船黒海の夕陽
第46章 エルミタージュ   (2005.5掲載/2022.10一部修正)
 ロシアの誇る世界的な美術館“エルミタージュ”。その膨大な所蔵品については、それらを紹介する書物もTV番組も数え切れないほどありますから、あらためてその写真をここに載せるのはほとんどやめて、美術館の雰囲気をお伝えすることを試みようと思います。 
外観階段孔雀時計玉座のある広間居間のような部屋書斎いろいろな部屋天井天井近くの壁玉座回廊展示室絵画彫塑陶磁器ステンドグラス織物古代の品参観者子供たち
第47章 動物たち   (2006.8掲載/2022.7一部修正)
 ロシアでも、人々はあるときには動物たちに心を慰められ、あるときには動物たちに生活を支えられてきました。人々と動物たちの間には深い絆があります。ところで、ロシアをテーマにしたサイトに「動物たち」の章を置くのなら、どうしても熊の写真を載せたかったのですが、幸か不幸か野山で熊に出会ったことはまだ一度もないものですから....。 
小馬馴鹿駱駝山羊駝鳥七面鳥孔雀 小鳥鵞鳥白鳥啄木鳥蜻蛉栗鼠
第48章 カリーニングラード   (2012.9掲載)
 カリーニングラードは、バルト海に面し、リトアニアとポーランドにはさまれたロシアの飛び地であるカリーニングラード州の州都で、かつてはプロイセンに属し、ケーニヒスベルグと呼ばれていた町です。第二次大戦後、ソ連邦に編入され、今では住民の多くはロシア系ですが、町の中にはスラブとは異なるゲルマン的な雰囲気を残している所もあります。 
大聖堂カントの墓大聖堂内部カント島リブナヤ・ヂェレヴニャケーニヒスベルグの橋ソビエトの家城門大学勝利広場市内の建物大祖国戦争の碑旧証券取引所画廊通り鉄道駅(北駅)友好の碑水辺の建物群通りに置かれたベンチ日本料理店
第49章 レナ川クルーズ     (2015.12掲載/2017.9更新)
 バイカル湖の近くに源を発し、北極海に流れる大河レナを往復するクルーズの記録です。これまでの章とは異なり、町や村ごとに写真を置くのではなく、ほぼ2週間のクルーズの始まりから終わりまで時の経過順に写真を並べてみます。 
■■2015年夏 → 第1日目(ヤクーツク)第2日目(レンスキエ・ストールビィ自然公園)第3日目(ブオタマ川河口付近)第4日目(終日航行)第5日目(グリーン・ストップ)第6日目(キュシュール)第7日目(チクシ)第8日目(終日航行)第9日目(シクチャフ)第10日目(ジガンスク)第11日目(終日航行)第12日目(グリーン・ストップ)第13日目(サティンツィ)第14日目(ヤクーツク) ■■2017年秋 → 第0日目(出航前日・ヤクーツク)第1日目(サティンツィ)第2日目(レンスキエ・ストールビィ自然公園)第3日目(終日航行)第4日目(ダッパライ)第5日目(ウラ川河口付近)第6日目(ミールヌィ)第7日目(ヴィチム)第8日目(レンスキエ・シェキ)第9日目(レンスク)第10日目(アリョクミンスク)第11日目(ブオタマ川河口付近)第12日目(ヤクーツク)
第50章 ウラルの町々  (2018.2掲載)
 欧亜を分かつ太古の山脈ウラル。その周辺の大都市のうち、さしあたり、東のエカテリンブルクと西のペルミの町の風景をお見せします。 
■■エカテリンブルク → 街角の風景工事現場W杯準備ホテル『アメリカンスカヤ』ヴィソツキー・ビジネスセンター給水塔音楽学校大学劇場映画館サーカス博物館図書館セヴァスチアノフの家ハリトーノフ邸教会血の上の教会記念碑市役所地下鉄駅鉄道駅ヴァイネラ通りイセチ川と池 ■■ペルミ → 街角の風景劇場とコンサートホールショーウィンドウ教会モスク銭湯跡動物園広場レーニン勲章屋外に置かれたオブジェ戦争の記念碑銅像ペルミ250年記念碑鉄道駅河港川岸のプロムナード空港




《 付 録 》


旅日記


 私がロシアやウクライナの川・湖・海を旅したときの記録です。テキストだけで、写真はありません。   (1997.9掲載/2009.8追加)

 エニセイ紀行 1993
 バイカルの畔へ 1994
 ヴォルガ遡航記 1995
 ドニエプルから黒海へ 1996
 ヴォルガ3200km 1997
 エニセイ旅日記 1999
 アムール川の漣 2002
 ドニエプル往復記 2003
 モスクワからペテルブルクへ 2005
 ソロフキへ 2009
  0-56-1011-1516-2021-2526-3031-32
  1-34-67-910-12
  1-56-1011-1415-1920-2324-2728-3031-33
  1-56-1011-15
  1-56-910-13
  1-45-78-10
  1-34-7
  1-45-89-10
  1-45-8
  1-67-1011-13

 19世紀ロシアの女性数学者としてその名を知られるソフィア・コヴァレフスカヤ(1850-1891)の書いた中編小説『ニヒリストの少女』を試しに訳してみました。左上にある白地に紺色文字の標題プレートをクリックしても試訳のPDFファイルを開けることができます。   (2024.3掲載)

 ロシアや旧ソ連に関係のある内容の日本語によるサイトのうち個人によって作られたものをできるだけ収録したいという希望を持っています。そのようなページをお持ちの方で、ここのリンク集に掲載しても良いとお考えになってくださる場合はメールでご連絡くださいませんでしょうか。よろしくお願いいたします。 左上にある黄色地に青文字の標題プレートをクリックすればリンク集に入ることができます。



《 お願い 》

 ご覧になってくださってお気づきの点などがございましたらぜひお聞かせください。お待ちしています。
 また、いろいろのご質問にもできるだけお答えはしたいと思いますが、なにぶんにも私はロシアについての専門家ではなく、単なる旅人に過ぎませんので、お答えがご期待に添えない可能性がございます。その点を予めご諒承ください。



  お 名 前:  様

  E-mail :
       メール・アドレスに誤りがあるとご返事が差し上げられませんので、お手数でももう一度ご記入ください。
  E-mail :

  メッセージ:
       

    

憲法9条「改正」に反対します。

石川顯法
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 ・ロゴ・マークのリンク先は「九条の会」です。