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1985年(昭和60年)のテレビドラマ「毎度おさわがせします」で衝撃のテレビデビュー。
当時のお宝映像には高値がついていると言われた時期があったが、もう所持していたら即廃棄しないといけないレベル。
同年歌手デビューも果たす。
ドラマのつっぱりイメージとは違うかわいらしい歌声。
これが後年どんどん大人びてくるとは当時は予想できなかった。
同年の年末には、唯一出場した音楽賞レースである日本レコード大賞で、ミリオンヒット「恋におちて」の小林明子やライバルであるアイドル本田美奈子などを退け最優秀新人賞を獲得。
しかし歌合戦には出場せず。
1985年と言えば、まだ新人には厳しい時代。
先にもふれた小林明子やデビュー曲から4作連続でTOP10入りの斉藤由貴(翌年に初出場)ですら出場できなかった。
秋に発売されたセカンドシングルでTOP10入りを果たした彼女はおそらくNHKが作成した、歌合戦に出てほしい歌手を視聴者に聞くためのアンケート用リストに名前が入っていなかったのではないか?
1985年暮れに発売した「BE-BOP HIGH SCHOOL」以降はシングルチャートのTOP5の常連。
竹内まりや、小室哲哉などの作家陣にも恵まれヒットを連発。
しかし、これでも歌合戦の出場歌手の中に彼女の名前は登場せず。
1986年(昭和61年)、1987年(昭和62年)とレコード売り上げを伸ばし、1987年の「CATCH ME」ではシングルチャートで初の1位を獲得するほどになっていたが、歌合戦の若手歌手に対する敷居もどんどん高くなっていった時代。
1988年(昭和63年)、「You're My Only Shinin' Star」(初レコーディング時とは別人のようなボーカルとなったセルフカバー)をはじめ、「人魚姫 Mermaid」、「Witches ウィッチズ」とシングルチャートの1位を連発して、ようやくこの年の第39回歌合戦に初出場。
オープニングでは、同じく初出場の白組光GENJIと共に選手宣誓を任されたが、人数から言っても元気さから言っても勝負は歴然…。
歌唱曲は最も売れた「人魚姫 Mermaid」ではなく当時の最新シングル「Witches ウイッチズ」。
FNS歌謡祭のグランプリ受賞曲でもある。
声量がない。
音声さん、もっとボリューム上げたって。
翌40回(1989年、平成元年)は杏里(彼女も同年アルバム・アーティストとして出場)作曲の「Vrigin Eyes」を歌唱。 登場に趣向を凝らしたはずが大失敗(彼女の責任ではない、多分)。 歌はいつも通り声量がない。 そして美貌もいつも通り。
1990年(平成2年)は序盤リリースしたシングルのCD売り上げが下降するも、秋に発表した「愛してるって言わない!」がロングセラーになり、この年の第41回歌合戦も余裕の連続出場。 そう、彼女は主演ドラマの主題歌をリリースすればロングセラーは約束されたも同然だった。
1990年までは、秋に発売された曲(大晦日の時点での最新曲)を歌唱していた彼女だったが、1991年(平成3年)の秋に発売したシングル「遠い街のどこかで」は彼女にとって当時最大のCD売り上げを記録していたクリスマスソング。
クリスマス直後の歌合戦では季節はずれだからか、この年の第42回歌合戦では、夏に発表した「ROSA」を歌う。
この「ROSA」という曲が彼女の代表曲として語られることはまずない。
ヒットチャートの動きも初登場3位でTOP10チャートインは3週と、当時の彼女としては決して長いとは言えない。
しかし、合計14週TOP20にとどまるロングセールスを記録している。
「ROSA」はフルコーラスだと5分を超える曲であったため、当時の歌合戦で歌うためには、3分前後にまとめる必要があった。
イントロ、歌詞、間奏など、ありとあらゆるところをカットして強引に3分強にまとめた歌合戦のバージョンでは、一部歌詞の順序も入れ替えているが、もともとストーリー性のない歌詞なので気にはならず。
それよりも歌合戦オリジナルのダンス、そして間奏部分で早がわりをして露出度の高い衣装になるなど、彼女としては珍しく動きのあるパフォーマンスだったことの方が印象に残っている。
そして1992年(平成4年)、例年通り主演したドラマの主題歌「世界中の誰よりきっと」を発表。
例年通りでなかったのはそのCD売り上げ。
それまでの最大の売り上げが60万枚突破だった彼女にとっては異例の200万枚に迫る大ヒットとなる。
当然、歌合戦としても目玉扱いとなり、この年の第43回歌合戦では初の第2部進出、そして第2部紅組トップバッターを務める。
しかし歌唱時間は3分弱と特別扱いなし。
対戦相手の少年隊はヒットもないのに、持ち歌でもないのに(ジャニーズのカバー)、ほとんどハーモニーないのに(オリジナルのジャニーズはちゃんとハーモニーあるのに)4分という歌唱時間だったのにこれはひどい。
せめて2コーラスで3分10秒くらい歌わせたって。
ちなみに、「世界中の誰よりきっと」はシングルでは「中山美穂&WANDS」名義であったが、歌合戦では歌唱中山美穂、演奏がWANDSという扱いだった。
WANDSは正式な歌手としての出場記録がない。
1993年(平成5年)、前年のような大ヒットは生まれなかったが、朝の連続テレビ小説主題歌「幸せになるために」がヒット。 第44回の歌合戦では、歌唱時間、登場順とも彼女にとって一番よい待遇となる。 さらには小林靖宏(Coba)のアコーディオンがつくなど演出面の待遇も万全。 おそらく彼女の歌合戦でのパフォーマンスで、唯一の生演奏つき。
1994年(平成6年)は、またしても主演ドラマ主題歌「ただ泣きたくなるの」がミリオンセラー。 歌える女優中山美穂全盛期。 第45回の歌合戦では、第1部終盤で白組藤井フミヤとの美男美女対決となるが、彼女の歌唱はどうも口パクっぽい。
1995年(平成7年)、マライヤ・キャリーのカバー「HERO」や「Hurt to Heart~痛みの行方~」といった主演ドラマの主題歌をいつも通りヒットさせ、連続出場は固いと思われたが、発表されたこの年の歌合戦の出場歌手の中に彼女の名はなかった。
この年の出場歌手選考は、TOP10ヒットがなかった工藤静香だけでなく、依然としてシングルチャート1位を獲得していたX JAPANも出場しないという何とも不可解な人選。
安室奈美恵など新しいアイドル勢力との入れ替わりをNHKが急ぎすぎた感もある。
翌1996年(平成8年)も主演ドラマ主題歌「未来へのプレゼント」がヒット。 この年までは連続出場としても誰も文句は言わなかったと思うのだが。
一時期表舞台から遠ざかっていたが、その後女優として復帰。 歌手としても2015年(平成27年)12月に久々に歌声を披露したが、第46回の出場歌手発表後に、卒業宣言ともとれるコメントを発表しているので、歌合戦への復帰はないかな。 あれば聴いてみたいけど、もう少しボイストレーニングをして昔の感覚を取り戻して。