● 鳳凰三山再登山  2000.07.25 記● 今度は夏山堪能  2000.07.27 記
● 理 由 (わけ)  2000.08.14 記
● 会津高原の旅  2000.08.23 記
腰の調子もどうやら良くなりつつあるし、 また天気予報では 20日の 「海の日」 の山梨県地方は 晴れのち曇りということだったので、 夏山を楽しむべく鳳凰三山に登ることにした。
この鳳凰三山は 日本百名山の 1つで、私は既に 11年前の 8月に登っているのだが、この山は私にとっては記念すべき最初の 日本アルプス登山となった山でもある。 その時のコースは、 青木鉱泉から出発し、ドンドコ沢コースを登って鳳凰小屋に泊まり、 翌日 地蔵岳、観音岳、薬師岳と縦走して 最終的に夜叉神峠に下山するというもので、 最初の日本アルプス登山という気負いもなく、 大いにロングコースの縦走を楽しんだのであった。
しかし、細かいことを言えば、地蔵岳のオベリスク下に辿り着くまでは天候も良く、富士山の姿も見ることができたものの、 観音岳へ登る途中からは完全にガスに囲まれ、 観音岳、薬師岳とも全く視界の利かない中での登頂になってしまったことが 実は大変心残りなのである。
よくガイドブックなどで、 白砂輝く稜線の向こうに富士山の姿を配した 鳳凰三山の写真などを見かけるが、 そのような写真を見ると悔しさを覚え、 いつかはそのような光景を見るべく再登山したい と思っていたのである。ただ、ネックは山中での 1泊を含め 2日間を必要とすることで、そのような時間があるならば、他の未踏の山々を目指すべき という考えを一方で持っているものだから、 なかなか再登山のチャンスがなかったのである。
しかし、あるガイドブックに、青木鉱泉から中道コースを登って薬師岳に直登し、その日は南御室小屋で 1泊して、翌日は千頭星山を経由して 青木鉱泉に戻るコースが紹介されていたのを見て ハタと思いついた。 そう、この中道コースを辿れば、 最悪の場合でも薬師岳へのピストン登山、 余裕があれば観音岳、地蔵岳へと縦走して ドンドコ沢コースを下ることが日帰りで可能なのである。
少しコースはきついようだが、 先日の北丹沢12時間山岳耐久レースにも刺激されたこともあって、 このロングコースに挑むべく、 急遽この 20日にトライすることにしたのであった。詳細はいずれアップする登山記録の方をご覧頂きたいが、結果は残念ながら今回もガスにいじめられ、最後は土砂降りの雨にも降られ、 散々であった。 どうも 3年前の仙丈岳以来、 1昨年の光 岳、昨年の聖 岳、 そして今年の鳳凰三山と、 南アルプスの山では天候に見放されているようである。
実は今回の山行では、 家を出る際にも悲惨な目に遭うのではという予兆はあったのである。 前日の天気予報では、 20日の日は晴れのち曇りということであったものの、 早朝家を出ようとすると空は雲に覆われており、 またこれから向かう西方の空では 雨雲のように雲の色が黒かったからである。 おまけに、八王子バイパスを通る頃には小雨が降り出し、 中央道でも時々雨という状況で、 余程今日は中止にしようかと思ったのであった。
しかし、このところ山に行っていないことから、昨日の天気予報に一縷の望みを繋いで車を進めつつ、最新の天気予報を確認しようと ラジオのチャンネルを操作したところ、 こういう時に限って なかなか良いタイミングで天気予報をやっておらず、 かなりイライラさせられたのであった。 そして、ようやくキャッチした天気予報では、 今日は晴れ とのことで、 どうも現実と感覚が違うものの、 これから急回復するのかもしれないと 自分を納得させ、車を進めたのだった。
そうこうしながら中央道を進むにつれて、嬉しいことに雨は上がってくれ、笹子トンネルを抜ける頃にはどうにか薄日も差しだしてくれたので、 これは急速に天候が回復するのではないか と考え、 急いで登山口の青木鉱泉へと向かったのであった。
青木鉱泉へは、先ほどのガイドブックによれば、韮崎ICで高速道を降り、韮崎駅前を通って国道20号線を横切り、甘利山登山口への道と途中で分かれて 鳥居峠経由で向かうように書かれていたが、 この付近は新しい道路が造られていて大変分かりにくく、 少々迷ってしまった。
おまけに、 鳥居峠への道をようやく見つけて進もうとした時、 通りかかった地元の人に念のために確認したところ、 この道は悪路で四駆でなければ難しいと言われ、 結局国道20号線まで戻り、 昔、鳳凰三山に登る際にタクシーで通った 上円井からの道を使うことになったのであった。
このことで 40分以上はロスしたことになり、 これが下山時に降った大雨のタイミングに 微妙な影響をもたらしたのである。上円井から青木鉱泉への道の方も決して良い道とは言えず、途中落石が起こりそうな崖下を通ったり、道幅が狭い箇所も多くあって、 聖岳、光岳の登山口である便ヶ島への道を思い出させるものであったが、 帰りには路線バスと擦れ違ったのだから驚きである。
さて、肝心の登山コースであるが、噂に違わぬキツイものであった。
青木鉱泉からの林道歩きは大したこともなく済んだものの、 山に取り付いてからはひたすら登り続けるという大変苦しいもので、 聖岳や光岳への登りを思い出させるものであった。普通は途中にそれなりの休憩ポイントがあるものだが、このコースは行けども行けどもメリハリのない登りが続き、私の場合は 休みのタイミングを失って、 かなりへばった状態に陥ってしまったのである。
また、山はガスに覆われて視界が利かず、 さらに途中で雨がパラつくという最悪の状態であったことで モチベーションが上がらなかったこともあるが、 とにかく身体の方が重く、 北丹沢12時間山岳耐久レースに参加してみたい などと 一時の気の迷いで考えた自分の愚かさを思い知ったのであった。以前も述べたように、現在の体重は 80kg近くあり、前回この鳳凰三山に登った頃は 74kgほどであったはずだから、重い荷物を 5kg程余計に背負っている計算になる。
少し登っては喘いで立ち止まり、 上へと続く登山道を眺めながら呼吸を整える というパターンをずっと繰り返しながら、 このコースを選んだことを後悔し、 また自分の太りすぎを反省し、 そして今日は薬師岳へのピストンにしよう と何回も思ったのであった。それでも、少しずつの歩みを重ねていけば必ず頂上には到達できるもので、青木鉱泉から 4時間46分、ようやく薬師岳頂上に立つことができたのであった。 長い樹林帯が途切れ、 足下が土や岩から細かい茶色や白の花崗岩屑に変わりだし、 上を見ると奇跡的に青い空が拡がり (ほんの一時的であったが)、 白い砂と岩とハイマツが私を迎えてくれた時の喜びは なかなか文章では表現できるものではない。
しかし、ようやく辿り着いた頂上はすぐにガスに囲まれ、結局前回と全く同じガスの中での登頂と相成ったのである。我がツキの無さを嘆いても仕方がないのだが、 こうなったらせめて他の 2山 (観音岳と地蔵岳) にも登り、 鳳凰三山を 1日で歩き通したという満足感だけは得たいと思い、 疲れた身体に鞭を打ち観音岳へと向かったのであった。
ガスの中、周囲がほとんど見えず、また登山者も全くいないのが心細く、白砂の上の見えにくい踏み跡だけを頼りに進む という感じであったが、 時々ガスが晴れて縦走路の一部が見えてくれたのは せめてもの救いであった。
また、地蔵岳のオベリスクもガスが時として晴れ、その姿を目にすることができたのは嬉しい限りであったが、このオベリスクの姿にはいつも えもいわれぬ感動を覚える。 本当に自然のなせる技、 自然の作り出す芸術品には驚きを覚えるが、 このオベリスクほど完璧な芸術はないのではなかろうか。 岩の重なり方、組合わさってできたその優美な形と言い、 本当にパーフェクトである。
と、ここまではガスに悩まされはしたもののまあまあだったのだが、地蔵岳のオベリスクを拝み、下山にかかろうとした時、不意に雨が降り出し、 やがてバケツをひっくり返したような大雨に 変わってしまったのであった。
聖岳の下山時と同じく登山道は濁流と化し、 傘はさしていたもののズボンはビショビショの状態で、 これからの下山路の長さを考えると これは大変なことになるぞ と心配になったが、 鳳凰小屋を過ぎ、 北御室小屋跡付近に達した時には 雨は止んでしまったのであった。 山の天気の変わり易さを思い知った形であった。しかしである、さらに下山を続けていくと、途中から全く雨が降った痕跡がないことに気が付いた。どうも雨は山の上部だけに降ったらしく、 それも上部ほど雨が激しかったようなのである。
そこで思うのが、今朝ほどロスした 40分という時間のことで、 もし道を迷わず、初めから上円井からの道を進んでいれば、 雨には遭わずに済んだかも知れないのである。 こういうタイミングのアヤは 下手をすれば命に関わる場合もあるから恐ろしいものである。いずれにしても、とにかく 1日で鳳凰三山は縦走することができたのであった。
しかし、自分の身体の管理を含め、 大いに問題点を露呈させた山行でもあった。
先日の 「山の雑記帳」 に書いたように、 7月20日木曜日の鳳凰三山への登山は 見事に目論見がはずれ、 やや悲惨な結果となってしまった。
翌日の金曜日は出勤。 そして、土曜日は鳳凰山登山で無理をしたため腿を中心とした筋肉が痛く、 自宅休養という形にしたのだが、 この日は夏 真っ盛りを示す天候で、 自分の山行のタイミングの悪さを嘆くことしきりであった。
おまけに、 外は勿論のこと家の中にいても非常に暑く、 涼しい山頂が恋しいことこの上ない状況で、 こうなっては山に行かざるを得ないと、 翌日の日曜日も良い天気であることが分かった時点で 急遽 日曜日の山行を決めたのであった。さて、とはいってもおいそれと手頃な山がある訳ではない。
丹 沢クラスの山では山頂でも暑いであろうし、 やはり夏山と言えば 3,000m 前後の山ということになるが、 そういう山はアルプスに集中している訳で、 この間の鳳凰三山のように日帰りできるアルプスの山は 滅多にないのである。そして散々考えたあげくに頭に浮かんだのが八ヶ岳である。高さと言い、アプローチの手軽さと言い、夏山を楽しむには格好の山であり、 南アルプスや北アルプスに行けなくても 十分にアルペン気分を堪能できるはずである。
ただ、翌日は出勤ということからあまり体力的に無理する訳にはいかず、また八ヶ岳と言えばすぐ頭に浮かぶ美濃戸口からのコースも 3回も通っていることからややマンネリということで、 1989年当時のガイドブック 「八ヶ岳・北八ヶ岳」 を紐解いて検討した結果、 清里側から登ることに決めたのであった。
コースは美し森山からスタートし、真教寺尾根を登って赤岳山頂に至り、どこにも寄らずにそのまま県界尾根を下山してくる というものである。
せっかく 2,899mの山頂に到達したにも拘わらず、 そのまま下山してしまうのは物足りない気もするが、 やはりここは翌日の出勤も考え、 自重した次第である。20日の日と同じく朝 4時過ぎに家を出ると、 空には月が輝き、雲一つない快晴であった。 20日とはエライ違いで、 今日 青木鉱泉から鳳凰三山に登れば、 白砂の輝く縦走路と その先の雲に浮かぶ富士山を見ることができたに違いない。
やはり、 天候次第で登ってきた山の評価も大きく違うことになる訳で、 『雨の日の登山もまた楽し』 というのは私の場合、 負け惜しみに過ぎない気がする。順調に車を進め、須玉ICで中央高速道を降りて国道141号線に入り、途中から清里駅への道をとって、美し森山に着いたのは 6時20分頃であった。
しかしである、 上空には雲一つないのに、 これから登る八ヶ岳だけには雲がかかっているではないか。 そして鳳凰山方面は雲がない状況で、 これは またまた組み合わせを間違えてしまったか と自分のツキの無さを嘆いたのだが、 その雲も登るに連れて消え去り、 途中からは全く雲一つない中での登山となったのであった。 嬉しい。さて、話は戻って、 駐車場をどこにするか迷いながら八ヶ岳方面に進んでいくと、 県営美し森たかね荘という看板が道路左脇に見えてきた。 ここなら車を止めさせてもらえるかと思い、 左折したところ、 たかね荘の建物の横に広い駐車場があったので 車を止めることにした。
山に向かう前にたかね荘のフロントまで行って駐車料金のことを聞いたところ、無料とのこと、ラッキーであった。何故 駐車料金についてわざわざ聞いたかというと、 実は 20日の日に青木鉱泉に駐車させてもらった際、 駐車料金を支払うのを忘れてそのまま山に登ってしまい、 下山後に車の所に戻ってみると、 駐車料金未払いのメモがワイパーに挟まれていて 恥をかいたからである。 マナーの悪い登山者と思われたのが悔しい。
さて、登山道はたかね荘の前の林の中から出ていて、途中ややササがうるさいところがあったものの全体に良く踏まれており、また所々で 広々とした甲府盆地の拡がりと その先に富士山や南アルプスの山々を見ることができたので 大変楽しく登ることができた。
ただ、 結構登ってきたと思った頃、 不意に機械音が聞こえ出したので右横前方を見ると、 何とリフトがあって しかも動いているではないか。 これにはビックリであった。リフトにはヘルメットをかぶったハデな服を着た人たちが乗っており、パラグライダーでもやるのかと思ったら、リフト終点で確認したところでは、 マウンテンバイクの大会であった。
しかし、このようなところにリフトがあると興ざめで、すぐに苗場山のことが頭に浮かんだのであった。登山とスキーとは山を楽しむ という意味では同じだが、 登山者にとってリフトはやはりご勘弁願いたい存在である。
リフトを過ぎ、牛首山を越えて快調に登っていくと、途中から前方に赤岳が見えるようになり、その姿を大いに楽しんだのであったが、 赤岳頂上小屋が目立ち過ぎるのにはまいった。 赤岳の美しい景観を壊していることは間違いない。
頂上に小屋があるのは仕方がないにしても、 目標とする山の頂に小屋が見えてしまうのはどうであろうか。 やはり先のリフトと同じく興ざめである。さて、文句が多くなってきたが、登山の方は順調で、最後は鎖場の連続であったものの さして危険なところはなく、鎖はむしろ念のために添えられている という程度であった。 ベテランなら鎖を掴むことをせずとも登れることであろう。
そして行者小屋からの道と合流して登り着いた赤岳頂上は、期待に違わぬ絶景をもたらしてくれ、大いに満足した次第である。
登り始めたのが 6時32分、 赤岳山頂到着が 10時35分、 4時間かけての登山であったが、 同じような時間がかかった先日の鳳凰三山 (林道脇の登山口から 4時間17分) とは気分が全く違う。4時間という時間を長いとは全く感じなかったし、疲れもほとんどない状況で、エネルギーが余って このまま下山してしまうのが惜しいくらいであった。 20日の日に登ったことで身体が山登りに順応した ということもあるのだろうが、 やはり登山道におけるメリハリも大事なようで、 ダラダラと視界の無い中をひたすら登り続けるよりは、 途中に素晴らしい展望が待っていたり、 賽の河原、牛首山頂上などの ハッキリした休憩ポイントがあることが重要な気がする。 気分的にかなり違うのである。
赤岳頂上で 30分ほど絶景を堪能した後は、 直ぐさま八ヶ岳頂上小屋横から県界尾根の下山路に入った。
こちらも真教寺尾根と同じく頂上直下は鎖場の連続であるが、 そのレベルが全く違う様な気がした。 こちらの県界尾根の方はかなりの急勾配で、 真教寺尾根のように鎖は念のための補助具という感じではなく、 鎖無しにはとても登れないほどの急坂なのである。
無論、私は下りであるから、 鎖に掴まりながらの下降であったが、 足下が悪くて落石を起こしそうなため気を使うとともに、 鎖が頂上直下から延々と連続していたので、 些かくたびれてしまった。真教寺尾根でもこの県界尾根でも、コース全体を 10等分してそれぞれ一定の距離 (?) 毎に番号を書いた丸い標識が出ているのだが、 この県界尾根は 10番から始まり、 6番の番号が出るまでキツイ鎖場の連続であった。 このコースは登りにはあまりお勧め出来ない気がする。
これ以上登山の状況を書くと登山記録のネタがなくなってしまうので以下は省略するが、堰堤脇の林道に辿り着いたのが 12時38分、 駐車場に着いたのが 13時14分であった。
この間、太陽は全くと言って良い程雲に隠れることなかったことから、 露出していた腕や首筋は真っ赤に焼け、 現在ヒリヒリ状態である。 そして、いつも夏山に登った象徴としている腕時計の跡 (というより日焼け漏れ部分) も、 左腕にクッキリという状態になったのであった。無理をして山に登って良かったと心底思った次第である。
尾根上の縦走は叶わなかったのが心残りであったが、 十分に夏山を楽しめた気がする。
でも、やはりこの日に鳳凰三山に登りたかった・・・。 でもその場合、 暑さでバテてしまったかもしれないのだが・・・。
この 2週間、ホームページの更新が滞ってしまった。
この間、優雅に夏休みを取って海外に行っていた訳でもなく、 また南北アルプスを大縦走していた訳でもなく、 ある方にご心配戴いたように 腰痛で寝込んでいた訳でもなく、 ただ平凡に日常生活を営んでいたのであった。ただ少し違うところは、我がパソコンの CPUを AMD社の ATHLON 800MHz(Socket A) に替え、それに伴ってマザーボードも GIGABYTE の GA-7ZX に交換したことである (私も遂に Athlete !)。
この新しいCPUとマザーボードを購入したのが、7月28日の金曜日。そのままスンナリ動いてくれれば、何もこれほどホームページの更新が滞ることもなかったのだが、 新しく組み直したパソコンが動くまでに 4日を要し (基本的に私のミス)、 さらに音が出ないと悩むこと 2日間、 そして現在は CPUの温度が高いということで四苦八苦 という状態でなのである。
そして、新しいパソコンの組み上げにモタモタしているうちに仕事の方が忙しくなって、日常のホームページ更新はますます無理になり、 さらに 8月5日の土曜日は カブスカウトに入っている子供につき合ってキャンプに参加 (小生は早朝に参加、そして夜帰宅の日帰り)、 そして翌日の日曜日は会社で資料づくりといった状態で、 この週末、ようやく一息つけたという状況であった。
先日登った 鳳凰三山、そして 八ヶ岳真教寺尾根の登山記録も未だ手つかずで、そのうち登山の詳細を忘れてしまうのではないか とやや心配な今日この頃であるが、 これから頑張ってホームページの更新に、 そしてもちろん夏山登山に精を出したいと思っている。
さて、 そういったことで山のことを考える時間があまりなかった状況であるから、 ようやく時間ができたからといって 急に何かを書ける訳でもない。
今回のところは (も ?) つまらない話しか書けないが、 おつきあいのほどを・・・。
今や私は完全に 『単独登山』 のスタイルが身についてしまっている。
その理由は、過去の 「山の雑記帳」 に詳しいが、 この頃は少々この 『単独登山』 に甘えているのではないか と思うことがある。
『単独登山』 の魅力・メリットは 「自由気ままに山登りを楽しめる」 ということに尽きると思っているのだが、 どうもこの 「自由気ままに」 の部分で、 かなりこの頃楽をしているのではないかという気がするのである。 具体的には、登りにおいて人と一緒でなく、 また競ることがないことを良いことに、 楽なペースに甘んじているのではないかということである。『単独登山』 が好きだ、『誰もいない山道を歩くのが好きだ』 という背景には、身体の中でどこか楽をしたいという気があるようで、 このことにハッキリ気づいたのは、 先般 太郎山 に登った時であった。
山王帽子山を越え、ハガタテコースの分岐を過ぎるまで単独で良い気分で登っていたのに、通行禁止となっていたハガタテコースを登ってきたと思われる人が 急に私の後方 50m位に現れた途端に楽しさは吹っ飛び、 抜かれまいと必死になって登るようになったのであった。
抜かせてしまえば簡単なのだが、 やはりプライド ? が邪魔をしてそうさせることが許せず、 結局 小太郎山まで頑張ってしまったのだが、 この時思ったのが 『単独登山』、『誰もいない山道を歩くのが好き』 というのは、 楽をしたいことの裏返しなのかもしれないなあ ということであった。この感覚は 2月の 丹沢主脈縦走 の時もあり、塔ノ岳から丹沢山の間で後ろからハイペースで歩いて来る人がいたため、 抜かれまいとしてかなり頑張ったことがあったが、 この時の 塔ノ岳 − 丹沢山間の所要時間は 53分、 これは 10年前のペースとほぼ同じである。 しかし、もしもこうした抜かれまいという気もなく普通に歩いていれば、 塔ノ岳 − 丹沢山間は 1時間はかかったと思われ、 丹沢山に登り着いた時に思ったことは、 「この頃かなり楽をし始めていたんだなあ」 ということである。
10年前のペースを今も保つということが年々難しくなってくるのは、肉体の衰えもあることからやむを得ないことではあるが、 だからといって そのペースを保とうという努力を全くしなくて良い訳ではなく、 そういう怠惰な自分に気づいて、 やや驚いたといった次第である。
別に 『単独登山』 であるから、誰に気兼ねすることなく自分のペースで登れば良いのであるが、そうは言ってもそれに甘え、さらに 『誰もいない山道を歩くのが好きだ』 などといい気になっているようでは まだまだ修行が足りないと言わざるを得ない。
『誰もいない山道を歩く』 のは、 『単独登山』 の 1つの醍醐味と思うが、 私の場合、(深層心理の部分で)動機の中にやや不純なものが混じっているようで、 大いに反省したのであった。しかし、そうは言っても、やはり 『単独登山』、『誰もいない山道』 歩きは大変魅力的だ。
石丸哲也氏の 「ひとり歩きの登山計画帳」 という本に書いてあるように、 『単独登山』 は 『同行二人』 なのである。この 『同行二人』 は、四国巡礼の際に使われる言葉だそうで、巡礼にはお大師様もご一緒して下さっているという意味なのだそうであるが、 ここで言う 『単独登山は 同行二人』 というのは、 『単独登山』 も常に 「山との対話」 がある ということなのである。
自然に感動した時に、 また道に迷いかけた時に、 やはり 「山との対話」 があり、 また自分との対話もある訳で、 うまいことを言うなあ と感心した記憶がある。「山を登り、山の声を聞くことは自然を学ぶことに、自分に問いかけることは自分の心の成長につながる」 ともその本には書かれているが、 私のように変な甘えをもって 『単独登山』 を好んでいたのではお恥ずかしい話で、 もう少し自分に厳しくしていかねばと思った次第である。
この週末は、金曜日も含めた合計 3日間で 会津高原へ行って来た。
といっても家族旅行であるため登山ではなく、 せいぜい登山の匂いがするのは 尾瀬沼の散策程度である。
ただ、昨年私が燧ヶ岳に登った時は、 あいにくの曇り空で頂上から尾瀬沼は見えず、 また登山コースも御池から登り下田代十字路へと下山したため 尾瀬沼とは全く縁がなかっただけに、 今回の尾瀬沼散策はその補完といったところであろうか。そして 3日間とも天候に恵まれ大変ラッキーであった。
実は金曜日、 横浜の家を朝の 5時半に出発したのだが、 起きた時は土砂降りの雨で、 目覚まし時計がなる前に 屋根に叩きつける激しい雨音で目を覚ました位だったのである。 折角の旅行なのにと 気分は暗くなる一方であったのだが、 東名高速、首都高速、外環道と乗り継いで東北自動車道に入り、 ドンドン北上するにつれて雨は止んで空は明るくなり始め、 西那須野ICで高速道を降りて塩原温泉を抜け、 尾頭トンネルを抜けた途端に、 目の前に青空が広がっていたのにはチョット感激であった。
逆に 20日の帰りの際には、 この尾頭トンネルを抜けた途端に 今までの晴天が霧雨に変わったのだから これまたビックリである。さて、お馴染みの檜枝岐村を通過し、御池に着いたのが 10時少し前。御池の駐車場はもっと混雑しているかと思ったら、 平日のためか空き空きの状態であった。 そして 10時25分発の沼山峠行きのバスも 半分くらいの乗車率で、 大混雑を覚悟していただけに些か拍子抜けである。
バスに乗っていたのは 15分ほどであろうか、今はこの御池 − 沼山峠間は一般車両全面通行止めになっているとのことであるが、 舗装してあるとはいえ この狭い道を一般車が往来していたことを考えると、 自然にとって良いはずがなく、 全面通行止めは大正解であると思う。
沼山峠からは木道歩きがずっと続く。暫く登りが続き、やっと木道が平らになったかと思うと、今度は その登った分を上回る下りがあって 大江湿原に飛び出すことになった。 湿原に吹く風は心地よく、 盛りを過ぎたとはいえ 黄色いニッコウキスゲの花や、 紫色のコバギボウシ、そしてコオニユリなどの花が目を楽しませてくれた。
湿原の中を進むと、やがて右手に燧ヶ岳が青空の中にそびえ立つのが見てきた。自分が頂上に立った時の天候を思うと、悔しさがこみ上げてくる。
さらに快調に足を進めていくと、 木道の先に尾瀬沼が見え始め、 人々が憩う尾瀬沼ビジターセンター前に着いたのであった。
このビジターセンター前には望遠鏡が設置されており、 覗くと燧ヶ岳俎ー (と思う) の頂上が大きく見えるようになっており、 頂上で憩う人々までも見えるのであった。 ここでもチョット悔しさが増す。また、このビジターセンターのある場所には尾瀬の老舗格である長蔵小屋があり、昔の木造校舎を思わせるようなその佇まいに 歴史を感じさられたのであった。
さて、普段から歩くことをいやがる子供たちであるから、尾瀬沼散策も彼らには魅力とは映らず、尾瀬沼一周の目論見は猛反対にあい、 結局 沼尻までの往復 (北岸回り) で終わってしまった。
しかし、それでも堂々とした燧ヶ岳の姿と静かな尾瀬沼の姿、 そして手つかずの原生林に 尾瀬の魅力を十分に堪能できたと思う。 女房の方は結構気に入っていたようであるから、 いつかは子供達抜きでの散策を楽しみたいと思う。このように中途半端とは言えそれなりに楽しんだ尾瀬沼散策であったが、残念なことが 1つあった。 それは沼尻から再びビジターセンターへと戻る途中、 何と木道上で立ち小便をしている中年の男性に出会ったことと、 さらにその男性は奥さんと一緒にキノコ類まで採っていたことである。 御池から沼山峠へと向かうバスの中で ビデオが流され、 一切のゴミは持ち帰るとともに、 例え枯れ枝でも拾ってはならない と注意しているというのに 何と言うことであろう。
思わず怒鳴りつけてしまったが、 本人たちはどう思っていたのであろうか・・・。
尾瀬への入山規制も色々考えられているが、 入る人々の心の中までチェックはできない訳で、 ここは入山者の常識というか良識を信じるしかないのである。 十人十色とはいうけれど、 やはり最低限のマナーを守れない人には来て欲しくないものである。この日はこれでそのままホテルに入り、 翌日は田子倉ダムなどに行くなどしたことから、 登山とは全く関係ない旅であったが、 途中 子供達のためにと立ち寄った 「イワナの里」 では 思いがけないことを知り 驚くことがあった。
この 「イワナの里」 というのは、山奥の清流を使ってイワナの養殖を行っており、そこには餌釣用、フライ用 2つの釣り堀があって、 釣ったイワナは その場で塩焼きにして食べさせてくれるようになっている。 イワナは良く餌付け ? されているようで、 水に何かが落ちた瞬間に反応するように慣らされており、 従って餌を付けた釣り糸をポチャンと投げ入れた瞬間に タイミング良く釣り竿を上げれば イワナが掛かるという感じなのである。
つい夢中でつり上げたイワナは その場で炭火を使って塩焼きにし、 家族全員の胃袋におさまったのだが、 先ほど述べた思いがけないことというのは、 ここが 会津朝日岳 の登山口だったことである。
しかも、数ある登山口の 1つというのならまだ分かるが、 家に帰ってガイドブック (平成 7年当時のもの) を見ると、 会津朝日岳への登山口はここが唯一のものになっているのである。因縁というか山が呼んでいるというか、偶然とは言え こうして 会津朝日岳 の登山口に遭遇してしまったことは、やはり山の神様のお導きなのかもしれない。 会津朝日岳 は、 深田クラブが選出した日本二百名山にも選ばれており、 東北地方の名山の一つに数えられている訳で、 いつかは登れ との指令を受けたような気がしてならない。
そうそう、登らねばならない山と言えば、檜枝岐・御池に向かう途中で三ツ岩岳登山口という標識を目にした。この三ツ岩岳については 地元 (伊南村) も 7月初めに山開きなどを行うなどして 登山に力を入れているようで、 田子倉ダムの帰りに立ち寄った 「ただみ・川のものしり館」 には立派な三ツ岩岳のパンフレットまで置かれていた。
頂上直下に三つの巨大な岩峰があるのが特徴の山だそうで、 よく調べたら昨年登った会津駒ヶ岳というか その先の中門岳付近から 私はしっかりとその山容を見ていたことになる。 この山も 会津朝日岳 とペアにして登ってみたいと思う。イヤそれよりも何よりも、日本百名山である平ヶ岳の登山口へは、御池を通り越してそのまま尾瀬口へと車を進めれば行けるのである。 この夏は色々事情があって新規の百名山は ゼロ 状態。 少々無理をしてでも登らねば と強く思った次第である。
なお蛇足だが、念願の檜枝岐でソバを食べることができた。「まる家」 か 「かどや」 が良いそうで、最終日、再び尾瀬御池に車を止め、 傾斜湿原として有名な上田代湿原を少し歩いた後、 「まる家」 でソバを食し、 ソバ粉 100%のソバを堪能したのであった。 それと、ついでに会津花泉酒造の純米酒と会津酒造の冷酒 「あらばしり」 も買ってきた。
この会津高原地方は冬は豪雪地帯となるようであるが、 夏は涼しい風が吹き、 山菜など食べ物もうまく、 なかなか気分良い旅であった。それにしても 8月は山行 ゼロのピンチである。焦る (^^;)。