山の雑記帳 21

 袈裟丸山登山  2000.05.30 記

 通行禁止に慌てる  2000.06.20 記

 トレーニング宣言  2000.07.06 記

 北丹沢山岳耐久レース  2000.07.20 記


袈裟丸山登山  2000.05.30 記

この 27日の土曜日、久々に山に行って来た。
登った山は 栃木県と群馬県の境に位置する足尾山塊 袈裟丸山で、 標高は 1,908m (後袈裟) である。

去年の今頃 (5月30日) は標高 2,900mに近い阿弥陀岳・赤岳に登っていたことを考えると少々物足りない気もするが、 現在やや太り気味で、 しかも先日はこむらがえりなどを起こしてしまっている 体調不十分の私にとっては、 まあ丁度良い高さと言えよう。

この袈裟丸山は、その中腹に自然の御影石を彫って作られた 「寝釈迦」 があるのが有名で、私が今回この山を選んだのも、その 「寝釈迦」 に興味があったからである。
登山口までのアプローチは結構大変で、 最寄りの駅と言えば わたらせ渓谷鉄道 沢入 (そうり) 駅ということになる。
しかし、 この沢入駅まで行くのには浅草から東武線、 わたらせ渓谷鉄道と乗り継いで行くので、 横浜の自宅からはゆうに 5時間近くはかかることになり、 マイカー利用でなければとても日帰りは無理なのである。 従って、今回私もマイカーを利用した次第で、 交通ルートは 前に登った庚申山・皇海山登山へのアプローチと同じく、 東北自動車道から日光宇都宮道路に入り、 清滝ICから国道122号線へと入ることにした。 そして、わたらせ渓谷鉄道のガードをくぐり、 庚申山登山口への分岐を右に見て進むこと約 4km、 沢入駅の標識とともに見えてきた 袈裟丸山登山口の立て看板に従って道を右に折れて林道に入り、 約 15分ほどで登山口に着いたのであった。
交通ルートはこのほか、 関越自動車道高崎ICからアプローチする手もあり、 その方が料金的には安いのだが、 高崎ICから国道50号線を経て 国道122号線に入る道に自信がもてなかったこともあり、 慣れた東北自動車道からのアプローチを選んだのである。

この日の天候は下り坂ということで、確かに東北自動車道でも太陽は薄く雲に覆われた状態となっており、日光宇都宮道路を進む頃には 周囲の山々は完全に雲に覆われた状態であった。
これはしくじった と思いつつ車を進めていくと、 途中の鳴虫山トンネルを抜けた途端に 目の前に青空が広がっていたのだから驚いてしまった。 右手を見れば 青空の中に女峰山男体山の雄姿が映えており、 思わず予定を変更して日光の山に登りに行こうか と思ってしまった位である。
この晴天に大分気を良くして国道122号線へと入ったのだが、 この青空も日光付近だけだったらしく、 日足トンネルを抜ける頃にはやや雲が多くなり始め、 登山口に着く頃には薄曇り状態に逆戻りであった。

登山の詳細はいずれ登山記録にアップするが、この袈裟丸山は標高の割には登山口からの距離が長く、登り応えというよりは 歩き応えのある山であった。
コースもなかなか変化に富んでおり、 美しい沢沿いの道が大分続いたかと思うと、 草木のない溶岩大地の賽ノ河原からは 気持ちの良い尾根歩きが待っており、 しかもこの時期はピンク色の花を咲かせたツツジ (ヤシオツツジ と思う) が満開に近い状態で、 大いに楽しませもらえた次第であった。
また、 傾斜がきついところは最後の前袈裟丸への登りくらいで、 後はほとんどが息を切らすことなく登れるような斜面ばかりだったので、 体力不足が心配だった私も 大いに山登りの楽しさを満喫できたのだった。

ところで、袈裟丸山という山は実際にはなく、前袈裟と呼ばれる一等三角点のあるピークが一応袈裟丸山と呼ばれているようである。 ところがである、 この前袈裟より 25分ほど先に後袈裟があり、 こちらの方が 30mも高いのである。
そうなると 後袈裟まで行かざれば画竜点睛を欠く という気がするのが人情で、 私も是非とも行くつもりになっていたところ、 前袈裟の頂上には 「登山道の崩壊が激しいためこれ以上進むのは禁止」 の旨を書いた立て札が立っていたのであった。

私の持っている 山と渓谷社 「アルペンガイド 奥日光・足尾・那須」(1996年版) にはそんなことは全く書いてなかったので 些かショックを受け、 山の情報は最新のものを常に得ておくべき と反省させられた次第である。
しかし、そうは言っても このまま戻る気にはなれず、 行けるところまで行ってみようと進んでみたところ、 何のことはない、 結構多くの人が登っているではないか。

通行禁止の原因となった八反張のコルは確かに両側の崩壊が進み、通る際に慎重さを要求される状態であったが、決して通れない ・ 通行止めとせざるを得ない といった状態ではなく、 この程度の崩壊なら多くの山に見られる状況である。
少々過剰反応のような気がした次第であるが、 万が一滑落事故が起きたらその責任を問われるのは地元の東村 ? であろう。 過剰反応も致し方ない面がある。
しかし、 山好きにとっては目の前の形の良い山を前にして引き返せ というのは酷な話で、 多くの人が禁を犯して ? 進むのも頷けるところである。

特に、前袈裟と後袈裟の間は、右に奥白根山を初めとする日光連山、左手には武尊山至仏山が見え、素晴らしい展望を得られるところであり、 またシャクナゲも多く見られるなど このルートのハイライトになり得る場所なので、 通行止めにしてしまうのは惜しい気がする。
なお、 折角 禁を犯して ? まで登った後袈裟は、 狭い上に展望も利かず ややガッカリであった。

そうそう、肝心の 「寝釈迦」 であるが、 沢に沿って谷を登り詰めていき、 やがて小さなコルに登り着くと その左手の岩の頂上部分にそれはあった。
大きな自然の御影石をまるまる1つ使って 仰臥するお釈迦様を彫っており、 こんな山奥にこのようなものがあることに本当に驚かされた。
今は道も整備され、 少し息を弾ませればここまでたどり着くことは容易であるが、 昔は国道122号のある場所から山を分け入り ここまでやってきて、 さらに何日もかけて石を刻んだのだから大変なことであったろう。

ここの岩場に来るまでにも大きな岩が沢山見られたのに何故この場所かという疑問がわくが、その答えはこの 「寝釈迦」 のそばに天然の石塔 (相輪塔) があるからであろう。
この相輪塔は 自然の石が積み重なってできた高さ 18mほどもある石塔で、 天狗がからんだ言い伝えもあるようである。 「寝釈迦」 を彫るには、 天狗の仕業による相輪塔があるこの場所が一番相応しい ということになるのだろうと 一人得心したのであった。

さて、久々の登山だったので興奮したのか、 登山記録まがいのものを書いてしまったが、 先に述べたように青い空に浮かぶ 男体山と女峰山を見た時、 山への情熱がかき立てられたのは確かで、 この気持ちを忘れないうちに 早いところどこか高い山に登りに行きたいものである。


通行禁止に慌てる  2000.06.20 記

山行前日に出される天気予報を信じて当日の天候を当てにしていると 結構裏切られることが多い。 そして、私の場合 天気予報が 「明日は雨」 と言っていれば 翌日の山行計画を中止にしてしまい、 天気が良い日だけを選んでいる訳だから、 当然裏切られるというのは悪い方へということになる。

今回の山行も同様で、前日の金曜日に出された天気予報を見て山梨県よりは栃木県の方が日中の天気は持つと判断し、日光の 太郎山 に登ることにしたところ、 「日中晴れ」 の予想は見事にはずれて当日は曇り空、 そして午後には雨も降り出すという始末であった。

しかし、この位なら毎度のことと諦めもつくのであるが、「翌日の日曜日以降 ほぼ 1週間雨空が続く」 と天気予報では言っていたにも拘わらず、 結果は 快晴といっても良い程の天候が続いているのを見せつけられては、 怒り心頭に発するといった心境である。

先週末、天気予報を見て 「下手をすれば 6月は 1回も山に行けなくなる」 との危機感 ? を抱き、唯一 晴れ間が期待できるこの土曜日を登山に当てたのだが、 身体の方が少々疲れ気味だったので 山には行きたくなかったというのが本当のところである。 翌日の日曜日がこのように晴れるのであれば、 当然土曜日は休養し、 日曜日の登山を選んだはずなのである。
従って、 曇天のため山頂からの展望をあまり得られなかったこともあって、 明るい日曜日の空を眺めては 何かすごく悔しさ ・ 恨めしさ込み上げてくる次第である。

とは言え、自然を相手にしているのであるから こんなことにいちいち腹を立てていてはストレスが蓄積する一方な訳で、雨の日も、 曇天の日も、 晴天の日も山を楽しめる心境になりたいものであるし、 一方で天気予報の方も精度を上げて欲しいものである。

ところで、 今回登った太郎山では予定外のことに遭遇してしまった。 予定していた登山道が通行止めで 少々慌てさせられたのである。

太郎山に隣接する男体山女峰山 に登っていることで少々油断が生じたのか、1989年版という旧い地図 「日光 奥鬼怒・奥日光」 1996年版のガイドブック 「奥日光・足尾・那須」 だけを持って、 最新の情報を集めずに出かけたのがいけなかった。

先日の 袈裟丸山 と同じように東北自動車道から日光・宇都宮道路に入って清滝ICまで行き、今回はそこから 10年ぶりのいろは坂を登って中禅寺湖を過ぎ、 戦場ヶ原に入って光徳の駐車場に車を止めたのであるが、 これはこの光徳から太郎山に登り、 下山は男体山登山の時と同じように 裏男体林道へ下りるつもりだったからである。
太郎山の登山口はこの駐車場から暫く車道 (山王林道) 歩きをしたところにあり、 ハガタテコースと呼ばれるハガタテ薙 (なぎ) のある道である。

身支度をして駐車場を出発すると、 すぐに光徳牧場の入口との分岐があり、 そこには何と 「太郎山ハガタテコース通行止め」 といった趣旨が書かれた看板がおいてあったのである。 これには思わず 「嘘だろ !」 と声を上げてしまった。 ショックである。

近寄ってよく見ると、このハガタテコースは豪雨によって登山道が崩壊したため通行止めになっている ということが書いてあり、その注意書きの下には 地図も置いてあって、 そこには ここから太郎山に登る人のために、 この車道をずっと登り続けて山王峠へと至り、 そこから山王帽子山を経て 太郎山を目指すコースが紹介されていたのであった。

これを見た瞬間、車に戻って当初の下山口である裏男体林道方面へ回って登ろうか という考えも浮かんできたのだが、登山道通行止めというのは これまでも色々な山で遭遇しており、 そのほとんどが 実際は問題なく通過できることが多かったことから、 今回もその類 (たぐい) と高をくくって、 とにかく登山口まで行ってみることにしたのであった。

暫く車道を登って、矢島市郎の句碑が置かれている太郎山登山口に着いてみると、当然ここにも通行止めの注意書きが置かれており、 さらに登山道入口にはロープが張られて 入れない様になっていたのであった。
今まで私が遭遇した通行止めはほとんどが看板だけで、 ここのようにロープをしっかり張って 入れないようにしている所は皆無だったことから、 何となく今までとは違うぞ という雰囲気を感じ、 入り込むのが躊躇われたのであった。 行けるところまで行ってみようか という考えも浮かぶには浮かんできたのだが、 途中で道が完全に崩壊していて 引き返さざるを得なくなったら大変なロスになると思い、 仕方なくこのまま車道を進み、 山王帽子山経由の道を取ることにしたのであった。

この車道歩きは長く、結構傾斜もきつくて大変苦痛であった上に、途中に全く標識など無かったものだから、この道で良いのかと かなり不安感をかき立てられたのであった。 さらに、天候は時々薄日が射すものの曇り空で、 朝のラジオでは午後には所により雨が降る と言っていたことが頭に引っかかり、 早く山に取り付きたいと焦り気味であった。
持っていた地図、 ガイドブックには このコースのことは全く載っていなかったことから、 目安の時間が分からず、 登山口を見過ごしてしまったのではないか と不安になりながら歩くこと約 50分 (駐車場から) ようやく道路脇に車が 3台ほど止まっているのが目に入り、 その横に太郎山 と書かれた登山口があるのを見つけたのであった。

この登山の詳細はまた別途登山記録にアップするのでご覧戴きたいが、今回敬遠したハガタテコースは、太郎山の手前のピーク、小太郎山と呼ばれる 太郎西峰頂上で一緒になった人に話を聞いたところ、 問題なく通れるとのことであった。 ガックリである。 全然情報がなかったのだから、 今回私が遠回りすることを選んだのも仕方がないところであるが、 やはり事前の情報収集はしっかりしておくべきで、 先日の袈裟丸山に引き続いての同じミスは 大いに反省しなければならないところである。

しかし、一方で山王帽子山経由としたことで、途中の気持ちの良いササ原やそこに多く見られる風情ある立ち枯れの木々、そしてその向こうに聳える 太郎山の姿とその右の大真名子山、 男体山の姿を楽しみながら静かな山旅ができたので、 これはこれで大変良かったと思う。

ところで、 これまで通行止め ・ 通行禁止と書いてあるにも拘わらず 禁を破って通ってしまった山 ・ 登山道は、 それ程数が多い訳ではない。
先般の袈裟丸山における 前袈裟−後袈裟間、 丹沢の鍋割峠−雨山峠間などは可愛いもので、 管理過剰の感がなくもない。 少し手強くなると 愛鷹山の鋸岳が思い浮かぶ。 これはさすがに侮ることはできない厳しいもので、 途中の鎖が腐っていたらと思うとゾッとする。

あと思い浮かぶのは、登山禁止に違反して登った 浅間山、そして 焼岳南峰で、これら 2つの山はいずれも火山活動の活発さが問題となっており、 登山道自体の崩壊が登山禁止の理由ではない。
禁止ではないが禁止に近い状態と言えば、 大山 (だいせん) の弥山−剣ヶ峰間、 皇海山 に至るまでの庚申山−鋸山などが思い浮かぶが、 これらは崩壊が進んでいて確かに問題があり、 場合によっては 人が通ること自体が崩壊を招いているような気がする。

しかし、浅間山焼岳 そして愛鷹山などは通行止め ・ 登山禁止を承知した上での登山であり、 それなりの覚悟はできていたのだが、 鍋割峠−雨山峠、前袈裟−後袈裟、 そして今回のハガタテコースなどは その場に着いて初めて知ったという次第で、 驚き ・ ショックは大きい。
ガイドブックや地図を見て ついつい登山道に問題はないと安心してしまうのであるが、 山は常にその姿を変えているのであり、 昨日通れた道も今日は通れないということもあり得る訳である。
登山に際しては、 例え低山と言えども 入念に最新の情報を入手することが大切であることを痛感している 今日この頃である。


トレーニング宣言  2000.07.06 記

先日の土日は、梅雨の晴れ間であろうか、 一部地域では夕方近くに大雨になった所もあると聞くが、 総じて 2日とも良い天気であった。
このことは前日の天気予報でも十分に分かっていたことだったので、 私としては山に行くつもりであったのだが、 結局 2日間とも家に閉じこもる結果となってしまった。

理由は簡単で、腰が痛く、歩くのがかなり億劫な状態が 2日間とも続いたからである。
厳密に言えば、 患部は腰 (ズボンのベルトが巻かれる部分のイメージ) ではなく、 お尻といった方が正しく、 それもなかなか痛い部分が特定できない という困った状態だったのである。

普通、腰痛などでは痛い部分が特定でき、その部分を押せば痛みを感じることができるものなのだが、今回の場合は普通に立っている分には 全く痛みを感じることがなく、 歩くとお尻の左側に鈍痛を感じ、 走るとその痛みが倍加して走れなくなってしまう といった状態で、 しかも痛くなる部分を手で押しても、 痛みを再現することができないのであった。

この兆候は、もう1ヶ月も前から徐々に現れてきており、先般 太郎山 に登った際も歩くたびにお尻に鈍い痛みを感じていたところ、 先週の木曜日あたりからその痛みが酷くなり、 金曜日には歩くのも苦痛 といった状態に陥ってしまったのであった。

一応患部と思しき場所に湿布をしたのであるが、患部が特定できないものだから効く訳もなく、結局翌日の山行をあきらめたという次第である。
山を諦めると結構寝坊ができるもので、 土曜日は何と昼近くまで寝てしまい、 そのタップリとった睡眠のお陰かどうか、 どうにか普通に歩くことができるようになってくれたのだった。 しかし、どうも腰 (お尻) に爆弾を抱えているようで山に行くのが躊躇われ、 結局 日曜日も山行を断念し、 晴れた空を恨めしげに眺めつつ過ごしたのである。

ところで、 土曜日、身体が少し楽になったところで柔軟体操をやったところ、 気が付いたことがある。
1つは患部のことであるが、 前屈運動をやった瞬間にお尻の左側がピリッときて、 痛みの発生源はお尻にある大臀筋 (あるいは中臀筋) であることが分かったのである。
この大臀筋は、 厚いお尻の脂肪に覆われているためか、 上から触った位では痛いところが特定できなかったらしいのだが、 実はもう 1つ気づいたことの方が驚きであった。

柔軟体操をやっている中で、腰の部分に手を当てて、たまたま腰を親指で押したところ、左の腰が結構痛いのである。 イヤ、 痛いというか、凝っているというか、 右腰に比べるとかなりパンパンな状態でなのであった。

そして、そのパンパンなっている腰をグリグリと拳骨で押したところ、これが先ほど特定できたお尻の大臀筋に響いて痛くなることにも気が付いたのである。
この結果、素人診断であるが、 腰の張りがお尻の大臀筋に影響を与え、 歩くことや走ることで この大臀筋が伸び縮みする際に痛みを発すると判断したのであった。 もしかしたら、 大臀筋の捻挫状態なのかもしれない・・・・・・。 しかし、椅子に座っても痛くも何ともないから違うかも (^_^;)

そして、全ての元凶と思われる腰の部分を揉みほぐすことを行うと、少しずつ楽になり始めたのであったが、そもそもの原因を考えると、 どうも太りすぎと 怠けた身体にあるのではないか という結論に達したのであった。

記憶を辿れば、会社に入社した頃は身長 176センチに対し、体重は70キロそこそこであったのが、今は体重が 80キロになんなんとしているのである。
特に腹の周りや腰には余分な肉 (脂肪) がつき、 ズボンのウエストも当時の 79センチから今や 85センチも苦しい状況へとなっているのである。

一方、月 2回は行こうとしていた山も、やはり月 1回が精一杯の状況で、残りは精々 家と駅との約 1キロを往復する程度の運動しかせず、 そして年齢の割には食欲が全く落ちないことから、 結果は見えているのである。
これまで、 このままではいけないと何度も思ってはみたものの、 なかなか対処法 (例えば、ダイエット、運動など) を行う気になれなかったのであるが、 このように山行に支障を来すような腰痛 (尻痛) を起こすようになってしまっては、 真剣に考えざるをえない。

しかも、たまたまこの期間に読んでいた本が 北方謙三 の 『火焔樹』(講談社文庫) で、その中で 48歳の主人公が友の死を契機に自分の生活を見直し、 身体を鍛え直して無駄な肉を削ぎ落とし、 自分の中の野性 (けもの) を呼び覚まして敵を討つ というストーリーだったものだから、 私も刺激を受け、 ついに自分を鍛え直そうという気になったのである。

但し、そうはいっても食を細くさせるのはストレスが貯まることが予想される訳なので敬遠させてもらい、とにかく運動を行うのが良かろうと、 ダンベルを使っての自己流トレーニングを始めたのであった。 後は、1日 20分以上の早歩きをこれに加え、 この時期大いに汗をかこうというのである。

とはいっても、始めてからまだ 3日。 人様に話せるレベルではないのは重々承知だが、逆にこうしてホームページ上で宣言しておけば 自分を追い込めるという気持ちもあるのである。
現在 筋肉のそこかしこが悲鳴をあげている状態ではあるものの、 この時期汗をかくのはとても気持ちが良い。 運動後のビールもこれまたうまいのであるが、 これでは効果のほども知れているかもしれない・・・。

但し、山で時々感じる自分の身体の固さが、いつか山で思わぬ怪我に発展するかもしれないと思っていたので、毎日運動する中で 柔軟な身体づくりだけはしておきたいと思っている。
なお、気のせいかも知れないが この運動を始めてから階段登りが前より数段楽になった気がするし、 腰 (お尻) の具合も大分良くなったように思える。
歩くとまだ少々違和感を感じるが、 徐々に良くなっている感じがするので、 天候さえ許せば今週末は山に行けることであろう。

既に 7月に入っており、梅雨が明ければ本格的な夏山シーズンである。 今年はまだ百名山は 1つも登っていないので、 是非夏の間に 2つ以上は稼ぎたいものである。


北丹沢山岳耐久レース  2000.07.20 記

16日の日曜日、丹 沢第2回北丹沢12時間山岳耐久レース が開催された。
これは、 津久井町青根にある青根中学校 をスタートし、 神の川ヒュッテを経て大室山に登り、 大室山からは犬越路へと一旦下った後、 今度は檜洞丸の頂上を目指す。 そして、檜洞丸からは一気に金山谷乗越へと下った後、 臼ヶ岳を越えてコース中の最高峰である蛭ケ岳へと登り返すのである。 そして蛭ヶ岳からは丹沢主脈を辿って原小屋平へと下り、 再び姫次へと登り返して、 そこから東海自然歩道に入って 八丁坂ノ頭から スタート地点であった津久井町の青根中学校へと下る という超ハードなものである。

コース全長は 35.5km。コース中の最低標高は出発地点である青根中学校の 400mで、最高は蛭ヶ岳の 1,673mであるから、 その標高差は 1,273m。 それに加えて、途中にかなりのアップダウンがあるから、 大変厳しい行程である。

さらにこのレースの名前の通り 12時間の時間制限があって、青根中学を午前7時にスタートし、12時間後の午後7時までに再びスタート地点の 青根中学に戻ってこなければならない。 そしてその上、 レース故に途中途中に時間制限を持つ関門があって、 制限時間内に関門を通過できない人は その時点ではねられることになるのである。

また、昭文社の地図 『丹 沢』 でこのコースを辿ってみると、途中の表記時間にあやふやな箇所があるものの、歩行合計時間は 14時間50分。 途中の休憩を考えると、 普通の登山ペースでは とても制限時間内の完走は無理であることが分かる。

このレース結果は月曜日の朝日新聞朝刊に出ていたのを見ただけなので詳細は把握していないのだが、参加者 634人中完走は 535人と 思った以上に完走者が多いという結果であった。 足に自信のある方々が集ったのであろうが、 当日のうだるような暑さの中、 皆さんかなりバテ気味だったようである。 1位のタイムは分からないのだが、 8時間チョイで歩き切った方が上位 3分の1に入った ということらしいから、 1位の方のタイムは相当なものであろう。

と、あたかもこのレースのことを十分に知っているかの如く書いてきたが、 実は私はレースの前日である 15日 (土) の朝日新聞夕刊に このレースのことが取り上げられているのを読むまで、 このレースの存在を全く知らなかったのである。
そして、 このレースに対し 環境破壊につながるので中止すべきだ という意見が丹沢自然保護協会から出されていることも、 当然記事を読んで初めて知った次第である。

この頃丹沢にはトンと目を向けなくなっていることから丹沢の情報に疎くなっている結果なのであるが、こんなに身近な山で 700人近くもの人が参加する 登山レース (表丹沢のボッカ駅伝競争は良く知っている) があることを知らなかったことはショックであるし、 ましてや その登山レースに対して 是非論争が起こっていたのは驚きであった。

この登山レース開催に対する是非論沸騰は、丹沢自然保護協会の機関誌 「丹沢だより」 に、会員の脇田信雄氏が 「丹沢の自然を傷める耐久レースはいらない」 という論文を掲載したのがきっかけだそうで、 その論文の内容を読んでみたい方は 脇田氏ご本人のホームページ 『ブナ林の風~~谷戸の風』 に掲載されているので 是非ともご覧戴きたい。

朝日新聞夕刊の記事の方は、 主催者側、反対者両方の意見を採り上げているものの、 どちらかというと 全体のトーンはやや自然破壊を危惧するような書き方になっている。 但し、記事が掲載されたのが大会前日ということから、 世論によって 大会が中止に追い込まれるような可能性は全くない訳で、 両方の顔を立てながら 一方で社会の公器たる自分たち面目も保ち、 そして誰も傷つかないようにする マスコミ一流の計算高さが感じられなくもない。
とは言え、 私のように 本件について全く知らなかった者の問題意識を喚起させたという点から言えば、 記事は成功だったのであろう。

この記事によれば、この耐久レース開催のねらいは 「登山客を増やすこと」、「自然保護意識の高揚」 ということだそうである。 同じ記事内に、 表丹沢の入山者は約50万人 (恐らく年間であろう) に対し、 一方の今回のレースのコースとなっている蛭ヶ岳以北 (以下 北丹沢) は 1万人から 2万人と書かれていたが、 確かに蛭ヶ岳より北の地域で人に会うことは少ない。

それが私にとっては堪らない魅力であり、表尾根の混雑を抜け、丹沢山から塔ノ岳へと進み始めると何故かいつもホッとするのである。 そして、塔ノ岳から姫次までの道を 1人で歩くと、 自分と自然が一体化しているような気にさえさせられるため、 大変気に入っている山域であり、 従って、この山域は今のまま入山者が少ない方が良い という気がするのであるが、 ここに山小屋の運営とか、 津久井側の活性化という話が加わってくると 別な論理が展開されることになる。

しかし、活性化の手段としてこういった耐久レースが相応しいのかというと疑問を投げかけざるをえない。 確かに耐久レースと聞いた瞬間は、 私も参加したい という気にさせられことは否めない。
苦労して山の頂上に立った、 あるいはロングコースを歩き通した という達成感は自分の心の中に止めるだけでなく、 多くの人にその実績を認められたい と考える人は 私も含めて多いと思われる訳で、 その手段の 1つとして このホームページも存在するのである。 そしてさらにレースという形で ハッキリと実績が公認されるものが存在するのならば、 腕に (ではなく足に) 多少の覚えがある者にとっては、 一度はチャレンジしたくなるのも当然であろう。

しかしである、ブナの立ち枯れ、登山道の崩壊などの丹沢の自然破壊を目の当たりにしており、また今回のコースのほとんどを歩いた経験から言わせてもらえば、 脇田氏が主張するように 1日に 30人ほどしか入らない山域に、 一時 (いっとき) に 700名近い人が歩いたら、 しかもそこにレースというスピードを競う要件が加わったら、 現在の状態に悪影響が無い訳がないのである。
ましてや この地域は特別保護地区なのである。

県からの要請もあって、主催者側は耐久レース開催にあたり、下記の条件を受け入れたそうであるが、それでもやはり影響は否めないであろう。

 1) 登山道以外の場所には立ち入らない。
 2) 登山道周辺の植物の損傷、動物の殺傷、動物の卵の採取・損傷をしない。
 3) 騒音を出して、登山道周辺の動物を驚かし、一般登山者に迷惑かけない。
 4) ゴミは投棄せず、自宅に持ち帰る。
 5) 一般登山者を強引に追い抜くなど、危険、迷惑な行為をしない。
 6) 軟弱になっている登山道は慎重に歩くなど、登山道を荒廃させないよう留意。
 7) 大小便は山小屋等のトイレや携帯トイレを使用し、し尿による沢の汚染等を防止する。

地元の活性化、山小屋の運営といった開催理由も理解できるのであるが、その手段として耐久レースは如何なものだろうか。
年間に 50万人もの入山者がいる表尾根は、 大倉尾根を初めとしてドンドン崩壊が進み、 結局 人工による階段を多くの場所に設置せねばならない状況になっていて、 興を削がれる状態になってしまっているのである。 北丹沢のせっかくの静かな山域は、 勝手なことを言うようだが 今のままそっとしておいてあげたいのである。

地域の活性化を考えるのなら、自然へのローインパクトをモットーとし、例えば四季折々 北丹沢山域のフォトコンテストを開催するとか、 麓の青根でカードを発行して 山小屋でスタンプを押してもらって 全山小屋のスタンプを集めたら賞品を贈呈するとか、 登山を楽しむことを中心としたイベントは色々考えられよう。

どちらかというと、マラソン選手に近いような、あるいはセミプロのような人ばかりが集まる大会を開いても、一般登山者の目を この地域に向けさせることは無理であろう。 やはりもう一工夫欲しい気がする。

丹沢の自然保護に対して普段何もしていない私が、 このように偉そうなことを発言するのは大変おこがましいのだが、 それでも丹沢の自然がドンドン失われていくことには心が痛む。
是非とも来年度の耐久レース開催は中止とし、 他の自然に優しいイベントを考えて頂きたいものである。


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