山の雑記帳 19

 不 覚 !  1999.12.27 記

 今年最後の登山  1999.12.31 記

 西暦高度の山  2000.01.07 記

 今年の初登山  2000.01.12 記

 ちょっと場つなぎ  2000.01.25 記


不 覚 !  1999.12.27 記

不覚である。
この日曜日、 山に行くべく朝 4時前に目覚ましをセットしていたにも拘わらず (それも 2つ) ハッと気がついたら 6時半を既に回っていた。

妻に聞くと、チャンと目覚ましは鳴っており、私が自ら止めたそうなのであるが、全く記憶にない。それ程疲れている訳でもないのであるが、 そう言えばこのところ身体の調子はあまり良くないので、 それがこういう結果を招いたのだろうか。

それにしても、6時半を過ぎてしまっては途中の交通渋滞が想像されてもう山に行く気をなくしてしまう訳で、 再び寝入って次に目を覚ましたら、 悔しいほどの青い空が広がっている状況であった。

前にもこういうことがあったが、どうも前日休養した次の日というシチュエーションがあまり良くないようである。 週の会社勤めを終えた次の日 (= 土曜日) の方が身体に緊張感が残っており、 少々疲れていても山に行くため早朝起きることは容易 (たやす) いようで、 1日ゆっくり休養してしまった次の日は よほどのモチベーションがないとダメなようである (これは私だけでしょうが・・・)

しかし、青い空を見るにつけ本当に悔しさがこみ上げてくる。
このところ晴天が続いているにもかかわらず、 先日釈迦ヶ岳へ行った日だけが天候不順だったようなので、 毎日横浜駅のホームに並んで電車を待つ間、 相鉄ジョイナスのビルの上に広がる青空を眺めては ため息をつく状況なのである。

それでは今度こそと、この土曜日に山に行くつもりだったのだが、金曜日の晩に急に頭痛がし始めたものだから 日曜日の山行に計画変更してしまったのが失敗で、 こうして無為な 1日を過ごすことになった次第である。
もうすぐ会社も正月休み、 年内にあと 1回山に行かねばと思っている。

しかし、こうしたことを書いているうちに自分が情けなくなってしまった。
というのは、 先日釈迦ヶ岳登山のことをこの 『山の雑記帳』 に書いたところ 私と相互リンクを張っている三重県の MIMAさん (てくてく漫遊記) よりメールを頂き、 その精力溢れる行動に大いに反省させられたばかりだからである。

実は私の山の雑記帳に書いた釈迦ヶ岳登山のことを読んで、MIMAさんは私とニアミスを起こしていたことに気づいて知らせてくれたもので、 私もそのメールにて 途中で私を追い抜いていった車が MIMAさんのものだったことを知った次第なのである。

詳しく書けば、私は体調不十分のため釈迦ヶ岳登山後 当初の計画を変更して水ヶ沢林道経由で新道峠に戻ることにし、 朝方の雪がうっすら残っている水ヶ沢林道をトボトボ登っていた時のこと、 私を追い抜いていく 1台の車があったのであるが、 これが MIMAさんの車だったのである。

その時はそんなこととはつゆ知らず、この林道は行き止まっていてそこからは新道峠にしか行けないので、午後 1時を回ったこの時間に 何をしに行くのだろう と訝しく思っただけであった。

やっと林道終点に着くと、先程の車が止まっており、どうやら本当にこの時間から登山を始めたようであったが、上に山小屋などあって 1泊予定ならともかく、 私の常識では この時間に登山を始めることなど考えられないのであった。

しかしである、車の持ち主である MIMAさんは、早朝に富士山の西側、朝霧高原にある毛無山に登った後、車を飛ばしてこの新道峠直下の林道終点まで進み、 新道峠から御坂黒岳を往復して、 さらにそれでは終わらず、 三ツ峠登山口まで足を伸ばして 三ツ峠山に登ろうとされたとのことであった。
林道の交通規制のため、 三ツ峠山登山口まで行くことは叶わなかったものの、 その日は山梨県徳和まで進み、 翌日は快晴のもと、 乾徳山登山を楽しまれたとのことである。

この間、金曜日の晩から車を飛ばし、毛無山の麓で車中にて仮眠、また乾徳山の麓の徳和でも車中で一夜を過ごされるなど、 私には想像もつかないエネルギーをもっての行動である。
それにひき換え、 私の登山は何というテイタラクであろう、 本当に情けない。

一旦山に登ってしまえば、できるだけ山に長くいるようにとロングコースを取ることも厭わないのであるが、その麓まで辿り着くまでに、 寝坊しただの、 身体の調子が悪い などと言っているようでは 本当に恥ずかしい限りである。
心を改め、 もう少し登山に頑張りたい。


ところで、美馬さんのように面識はないものの、ホームページを通じて知り合いになった方と、このような形で遭遇することは 大変稀なことであるし、 また大変楽しいことでもある。

無論、山などでお互い名乗り合うことなどは滅多にない、というよりほとんどなきに等しいのであるから、山中で話をしていながら ホームページ上のお付き合いがある人であることに気づかず、 後からホームページなどを見て 『ああ、あれが○○さんだったのか。 それならちゃんと自己紹介をしておけばよかった。』 などと思う状況があるとすれば、 考えただけでも楽しいではないか。

普段なら、見ず知らずの人に話しかけることなどほとんどしない私でも、山の中でなら平気で他人に言葉をかけることができるのは、 同じ山に登っている という共通項の為せる技であろうが、 折角同じ目的を持ち、 偶然にも同じ時間に頂上で会い 言葉を交わしたのであれば、 お互いに名乗らないまでも、 もっとその山に対して感じたことを共感し合う (あるいはその反対もある) ことがあっても良いのではなかろうかとも一方では思っている。
そういう意味から、 私自身は 自分のホームページのURLを書いた名刺を作って 渡すことも悪くないな と思い始めている今日この頃である。

シャイな私としては、あまり多くの人に私のホームページを見て貰いたいと思っていないのであるが (本当にそう思っており、 1日のヒット数が 70件を超えたりすると 却って困惑してしまう) それでも山で言葉を交わした人に対しては、 私のその山に対する感じ方を知って貰ってもよいな と思ったりするからである。
そして、 その時に名刺を渡した相手が ホームページを通じて知っている方だったりしたら もっと愉快であろう。

もっとも、こういう状況を作るには今のようなペースの登山ではとても難しい訳で、ここでも もっと登山に精励することが必要なのである。
来年は 1ヶ月 2回の山行を目標に頑張ろう。


今年最後の登山  1999.12.31 記

今年最後の登山としてこの 30日、富士山の西側、天子 (てんし) 山塊の最高峰 毛無山 (1,945.5m) に登ってきた。
ただ、 天候の方はまたもや裏切られたといった感じで、 朝から富士山は全く雲の中で顔を見せず、 毛無山自体もガスの中で、 前回の釈迦ヶ岳と全く同じ状況であった。

この毛無山は 『日本二百名山』 の一つに数えられていて、その選出理由によれば毛無山は 『その展望に価値』 がある とのことだが、 確かに晴れていれば富士山は勿論のこと、 南アルプスの山々を見渡すことができるらしい。

しかし、今回のような状況での登山では、毛無山のその価値というものを確認することができない訳で、従って毛無山の登山自体が 無意味のようになってしまうようにも思えるのだが、 それはそれ、 深田久弥氏が言ったように 『百の頂に百の喜びあり』 ということで、 今回の登山もそれなりに楽しむことができた。
とりわけ面白かったのは 毛無山から雨ヶ岳への縦走である。

私の持っている地図 (昭文社 富士・富士五湖) には、この毛無山から雨ヶ岳、端足峠を経由して下山するルートについて 『単独は避け、熟達者の同行が必要』 と書いてある。
何がそう言わせるのかと言うと、 毛無山の登山口に置かれた表示板に書いてあるように、 毛無山から雨ヶ岳間が クマザサに覆われて道が悪いからである。

実際に行ってみると確かにクマザサの繁殖は凄まじく、腰から肩の辺りまでの高さに生い茂っているクマザサの海を進む といった感じであった。 足下は全く見えず、 目の前に続くクマザサの海の上を泳いで渡る といった表現がピッタリで、 人が通ったために 僅かにササがへこんでいるところを見つけながら 平泳ぎの要領で進むといった状況である。

私は 176cmの身長があるのでまあ背が高い方に入るのだが、クマザサの海は最低でも私の腰以上の高さがあり、また 時として肩近くまである場合もあったので、 背の低い人なら 完全にササの海に埋没してしまうといった状態で、 ルートファインディングに苦労しそうである。
私も当初不安であったが、 途中からササがへこんだところを探しながら進むのが 結構面白くなり、 最終的には大いに楽しんだ次第である。

無論このルートにも赤テープやビニルひもの目印が付けられている。
しかし、 その目印が付けることができるのは クマザサより高い木でなくてはならない訳で (クマザサにもテープが貼られているところもあったが、 大変分かりにくい) それがまた面白いのである。
と言うのは、 辺り一面クマザサの大海原であるから、 所々に立っている木は島のように見え、 うまくルート上にその島がある場合は 木の枝に赤いテープやビニルのひもが付けられている といった具合だからである。
要するに このルートを泳ぎ切る要領は、 目印が付いている島から島へとうまく渡ることをすれば良い訳で、 これがまた楽しいのである。 もっとも、ガスが結構出ており、 また私は近眼でありながら眼鏡を掛けていなかったことから、 最終的に頼ったのは クマザサの微妙なへこみ具合を探すことであったのだが・・・

このように書くと大変なルートだと思われるかもしれないが、テープやひもの付けられている間隔は大変短く、安心できる。 よくもまあ これほど懇切丁寧に印を付けた奇特な方がいるものだ と感心した位である。 本当に良いタイミングで印が付けられている。

この目印のタイミングで思い出すのは、宮崎の山のことである。
宮崎の場合、 人があまり通らないルート (例えば 夏木山から瀬戸口谷経由で五葉岳へ戻るルート、 大崩山からもちだ谷経由で下山するルート など) はテープの間隔がかなり空いており、 従って時折不安に陥ることがあったのである。
その不安が高じて、 パニックに陥ってしまったこともあった。 そう言えば あの時もササの中であったが、 今回よりもササの林の状況が悪く、 本当に恐怖であった。

今回は慎重に行けば安心であるので、雪が降る前に是非みなさん一度チャレンジを。


と、ここまで格好良く書いてきたが、実際はこのルートを行くかどうか、結構迷ったのであった。
もともとこのルートを通るつもりで毛無山に登ったのであるが、 それは好天で先が良く見える場合を想定してのこと、 今回のように ガスが出て視界が利かない状態では 少しビビルものがあったのである。

しかも、身体が重い状態は前回の釈迦ヶ岳から続いており、毛無山への登りはかなりバテ気味だったので、登っている途中で 「ピストン登山にしても良いかな」 とも思い始めていたのである。

しかし、ようやく辿り着いた山頂 (木々に霧氷が付いた氷の世界) にいた夫婦連れが、登ってきた道をそのまま戻っていくのを見た途端、 当初の目標を変更し、 誰でも登れる山を人より少し早く登り、 あるいは早く下っただけ となってしまうのが何となく虚しく思えてきてしまったのであった。
そこで、 行ける所まで行ってみようという気になって先に進んだところ、 先に述べたように その面白さにハマッてしまったという次第なのである。

もし、毛無山山頂に着いた時、誰もいない状態であったら登ってきたルートを戻ってしまったに違いない (一応下山路は地蔵峠経由で 完全なピストン登山にはならない)
しかし、これはまた危険なことで、 このようなつまらない意地から遭難してしまったのでは 元も子もない訳である (今回は遭難するようなルートではなかったが・・・)
自重と 積極的アタックのバランスをうまく取ることが大切であろう。


西暦高度の山  2000.01.07 記

あけましておめでとうございます。
本年最初のホームページ更新が やや古新聞となった釈迦ヶ岳登山記録でしたので、 皆さんにご挨拶できず、 本日 この山の雑記帳をUPするに至って ようやくご挨拶できるようになりました。
本年もどうぞ宜しくお願い致します m(_ _)m


ある方 (Sさんです) からメールを頂いて、尾瀬ヶ原から見える景鶴山 (けいづるやま) の高さが 2004mである と教えてもらった。
これは、 昔 私が 山の雑記帳 に書いた 西暦と山の標高に関する話 を読まれてメールを下さったもので、 私が 2002年の午年 (うまどし) に登るべき山は 2002mの駒ヶ岳 (富山県) であると書いたついでに、 標高 2003mの越後駒ヶ岳のことにも少々触れたので、 越後駒ヶ岳には 2003年に登り、 その後 2004年に登るのは 景鶴山だということでご紹介下さったのである。

そう言われて確認してみると、なるほど景鶴山は 2004mの高さである。これで、西暦と同じ山を登る場合、2004年は 景鶴山ということになるが、 Sさんもおっしゃっているように この景鶴山は無雪期には登れないようであり、 実際 ご本人も冬に山スキーでの登頂を果たされたようである。

このような情報を頂くとすぐ刺激を受ける訳で、 早速 2000年以降 2010年までの 11年間、 西暦に匹敵する標高を有した山を探すべく、 武内 正さんの 『日本山名総覧』 を調べてみることにした。

その結果をまとめたのが、下記の表である。全部で 18,000もある山名を急いで目を通したので、漏れがあるかもしれないが、 その際はご指摘頂ければ幸いである。

標 高山 名ヨ ミ所 在 市 町 村 名
2000m黒菱山クロビシヤマ新潟県妙高村
土鍋山ドナベヤマ群馬県嬬恋村、長野県須坂市
梅花皮岳カイラギダケ山形県小国町、新潟県新発田市
霧ノ塔キリノトウ新潟県津南町、中里村
猿面峰サルヅラミネ長野県栄村
寺地山テラチヤマ富山県大山町、岐阜県神岡町
大谷嶺(行田山)オオヤミネ(ギョウダヤマ)山梨県早川町、静岡県静岡市
2001m 該 当 ナ シ
2002m駒ヶ岳コマガタケ富山県魚津市、宇奈月町
2003m駒ヶ岳(越後駒ヶ岳)コマガタケ(エチゴコマガタケ)新潟県大和町
東仙波ヒガシセンバ埼玉県大滝村
白尾山シラオサン群馬県片品村
裸山(池砂ノ頭)ハダカヤマ(イケスナノアタマ)山梨県櫛形町
2004m燕山ツバクロヤマ(ツバメヤマ)埼玉県大滝村、山梨県三富村
景鶴山ケイヅルヤマ群馬県片品村、新潟県湯之谷村
一ノ沢ノ頭イチノサワノカシラ長野県大町市
2005m文珠岳モンジュダケ山形県遊佐町
2006m茶臼山チャウスヤマ長野県松本市、和田村
2007m黒湯山クロユサン(クロユヤマ)群馬県嬬恋村、長野県高山村
小遠見山コトオミヤマ長野県大町市、白馬村
2008m王ヶ鼻オウガハナ長野県松本市
2009m該 当 ナ シ
2010m水沢山ミツサワヤマ(ミズサワヤマ)長野県日義村
赤薙山アカナギサン栃木県今市市、日光市
湯ノ沢ノ頭ユノサワノカシラ群馬県六合村、長野県山ノ内町
バラ谷頭バラタニアタマ静岡県水窪町、本川根町

この中で、 ミレニアム 西暦2000年を迎えた今年に騒がれているのが、 山梨県早川町にある行田山 (大谷嶺) である。 この山が真の 2000m峰、 今年の山となるらしい。

上記の表では 2000m峰が 7つ程あるが、それぞれピッタリ 2000mある訳ではなく、四捨五入して 2000m峰になるという訳で、 行田山が内輪で一番近いということになるのであろう (と勝手に思い込んでおりました)

この行田山について、一説には 2000mに 30cmほど足りないので、町が30cmの標識を頂上に置いたとかいう話もある通り、 町おこしのために 地元 早川町の力の入れようは大変なものがある。

登山道の整備は無論のこと、頂上にポストを設けて所定用紙 (町役場などでもらえるらしい) に必要事項を記入してそのポストに投函すると、 記念登山証明書を発行してくれるのである。
これだけではない、 記念ペナント・バッジの販売や、 記念登山作文募集、 そして 2001年には 山頂に 100年後に開けるタイムカプセルを埋設することや 「新世紀の鐘」 を設置ことなども計画されているようである。

ただ、これからのシーズンは登山口までの林道は冬季閉鎖となるし、また山自体が雪山となるので、できれば 5月以降の登山が望ましい と町では言っているようである。 しかし、 恐らくそれ以前に頂上を目指す人は大勢いることであろう。 事故など起きぬようにと願う次第である。

と ここまで書いてきて 2,000mの山は何故内輪の数字でなければならないのか という疑問が湧いてきた。
別に行田山にケチをつけるつもりは全くないが、 行田山は実際は 2,000mに満たない のであるから (1999.7m) 2000年を記念する山は 四捨五入の 『四捨』 に入る山の方が良い気がするではないか (つまり 2000m台の山。 回りくどう言い方でスイマセン)
そしてそういう意味なら、 先に挙げた 6つの山の方が良いのでは適しているのでは と思い始めたのだが、 これはよくよく調べて見ると 私の勘違いであった。

先の行田山はその山頂に三等三角点があり、その三角点の高さが1999.7mということなのだが、後の 6つの山は 三角点のある場所が 2000mになっておらず、 正真正銘とはならない というのが本当のところのようである。

例えば土鍋山について言えば、三等三角点における高さは 1999.4mなのである。そして地図上ではその北側に さらに 2000mの等高線があるのが確認できるという訳である (それでは何故 2000mと記されているのだろうか ? 不思議だ・・・)

黒菱山も、三角点のある場所は 1949.3mであるが、その南側にはちゃんと 2000mの等高線が見られるのである。
梅皮花岳に至っては 三角点がないようであるから、 これもピタリとは言えないということで、 結局 正真正銘の 2000m峰ということであれば、 行田山ということになるらしいのである。

さて、私自身は行田山に登るであろうか。
この 1000年に1度というミレニアムに相応しい山で、 しかも登頂証明書まで頂けるとあっては、 やはり登ってみたい気がする。

ただ、ロケーションとしては、正式な高さであるかどうかを気にしなければ、群馬県にある標高 1999mの破風山と 一応 2000mの標高となっている土鍋山間の縦走を行うのが このミレニアムにおける登山には相応しいような気がする。

なお、早川町のホームページはここである。


今年の初登山  2000.01.12 記

1999年12月18日付の週刊ダイヤモンドを読み返していたら、スポーツドクターの平石 貴久先生が書かれた 健康と運動に関する記事が 目に止まった。
内容は、 リバウンドのないダイエットの運動療法の紹介で、 ダイエットの敵であるリバウンドの防止には 「無酸素運動」 「有酸素運動」 の 2種類を同時に継続していくことが重要である ということを述べられているものである。

記事によれば、「無酸素運動」 というのは腕立て伏せや懸垂、腹筋運動、スクワットなど、力一杯筋肉を動かす運動のことで、 太ももやふくらはぎ、 お腹の筋肉を落とさないようにして ダイエット完成後の強い味方を作るために 是非とも実施すべきのものだ ということなのである。 つまり、 ダイエットで大切なことは、 脂肪層を減らすときに一緒に筋肉も落としてしまわないようにすることだ というのであり、 これは筋肉が熱などのエネルギーを発生させるエンジンの役目とともに カロリーを消費して過剰な栄養を削減してくれるからなのだそうである。

そして、もう 1つの 「有酸素運動」 というのはランニングやウォーキングのことで、これは中性脂肪を燃焼させるのに大変良い ということである。

私が注目したのは、その 「有酸素運動」 についての記事の中でウォーキングについて触れているくだりで、「歩き出して最初の 20分間で糖質が燃え、 その後は中性脂肪がエネルギーとして使われます。 ですから最低でも 30分以上は歩く必要があります。・・・」 という箇所である。

前置きが長くなったが、この 「糖質が燃え、次に中性脂肪が燃焼しだす」 ということに力を得て、今年最初の登山は 歩き 中心のものにしよう と決心したことを言いたかったのである。
つまり 正月でスッカリ餅太りし 重くなってしまった身体には、 キツい登りは大変応えるということで、 長くキツい登りのある山は避け、 高さがない分 歩く距離を長くして エネルギーを消費しようという魂胆である。

登山のエネルギー消費量の凄さは前に山の雑記帳に書いた通りであり、十分に分かっていたのであるが、歩くこともそれなりにエネルギーを消費し、 中性脂肪を燃やすことに貢献することを確認できたのは 大変ありがたいことである。
こうした大義名分を受け、 前から歩きたいと思いつつ、 あまり高い山ではないが故に躊躇っていたコースを 今回歩く (登る) 決心がついたのであった。

そして、今回のコースはもう 1つ特徴を持っているのである。
それは駅から歩きだして、 下山後も別の駅へと歩き着き、 途中でバスなどの交通機関を一切使わない ということである。

こういう山 (コース) はあまり私の記憶にはなく、同じ駅に戻ってこざるをえない開聞岳を除けば、谷川岳南大菩薩 笹子雁ヶ腹摺山入笠山荒島岳三ツ峠山 (三ツ峠から清八峠経由笹子へと下るコース) と数えるくらいしかない。

無論、コースの取り方次第でいくらでもこういう設定は可能であろうが、近頃車を使っての登山が多くなった私にとっては、 この 「駅 to 駅」 というコース設定が大変新鮮に映ったのであった。

と、私の悪い癖が出てかなり話を引っ張ってきたが、今年私が最初に登った山は、箱根の金時山である。
金時山についてご紹介すると、 標高は 1,212.5m。 それ程高さがある山ではないが、箱根外輪山では一際目立つ形をしており、 御殿場側から見るとその形がイノシシの鼻に似ていることから 猪鼻岳という旧名を持つ。
ご存じ 金太郎 (坂田金時 or 公時) 伝説が有名で、 金時山の名もこの金太郎伝説からきているのである。

さて、肝心の登山であるが、1月8日、愛鷹山へ登った時と同じ交通ルートを辿って国府津から御殿場線に乗り換え、御殿場駅の 1つ手前である足柄駅で下車。 そこから足柄古道を辿り、 足柄城址・足柄峠を経て金時山へと向かい、 金時山からは矢倉沢峠、 明神ヶ岳、明星ヶ岳、 塔ノ峰を経て箱根登山鉄道の塔ノ沢駅へと下るコースをとった。

登りを無視して地図上の距離だけを測れば およそ 17km、思った通り登りはキツくなく、それなりにアップダウンはあったものの 決してへばってしまうようなコースではなかったのが 重くなった身体には丁度良く、 大正解であった。 そして、長い旅の終わりには温泉も待っており、 本年第 1回目の登山としては満足のいくものであった。

そしてコースが 『歩き』 中心だったからであろうか、あるいは 1週間程前に毛無山に登ったばかりで身体がほぐれていたからであろうか、 いつもなら翌日などに腿 (もも) の筋肉が痛くなるのであるが、 今回の登山ではほとんどそういうことがなかったのであった。 下山後の温泉の効能かもしれない。

なかなか満足の行く山行であったが、惜しむらくは またもや天候に恵まれず、曇り空のもとでの登山になってしまったことである。 足柄峠に着いた頃にはガスがかかたようになって、富士山も良く見えず、 また金時山も頂上はガスの中であったことから、 今日もクッキリとした富士山の姿を見られないか と心配していたのだが、 縦走中、曇りの中でもそれなりに姿を拝むことができたので良しとしたい。

さて、全体の正味歩行時間はおよそ 7時間弱、先に紹介した理論から言えば、身体の糖質は足柄古道を登る途中で燃え尽き、 そこからは中性脂肪がドンドン燃焼し始め、 温泉に浸かっている頃には 恐らく 4kgほど体重が落ちたはずである。
しかし、 家に帰ってからがいけなかった。 ビールは飲むは、水は飲むは、餅は食うは、お菓子は食べるはで、 あっという間にもとの重い身体に逆戻りである。
こういうのもリバウンドと言うのであろうか。

ところで、 足柄古道は歴史を感じさせるなかなか風情のあるものであり、 当然伝説や言い伝えもかなり残っているようで、 伝説・伝承を説明した立て看板が随所に置かれており、 歴史好きな私には大変興味深く歩くことができた。 こういう登山もなかなか趣があって面白い。
たまには良いものである。


ちょっと場つなぎ  2000.01.25 記

本日は この後に書くように身体が不調なので、 支離滅裂な内容であることを先にお断りしておきます。
長く更新していないと気持ちが悪いということもあって、 とにかく書いてみました。 場つなぎです。


この土日は、風邪を引いてダウン。ほとんど寝たきりの生活であった。
木曜日の午後辺りから喉の調子がおかしくなり、 その後金曜日には咳が出始めて体がだるくなり、 金曜日の晩からは ずっと布団の中といった状況だったのである。

実は、その前の月曜日には通勤途上で気分が悪くなり会社を休んだ次第で、火曜日の晩からは子供も嘔吐を繰り返して学校を休むなど 家族にとって大変な 1週間であった。

従って、ホームページの更新もままならず、本年第 1回の登山である金時山登山記録も未だにUPできない状況である。
それに、 今年こそは月 2回の山行をと思っていたにもかかわらず、 初っぱなの月でそれが脆くも崩れることになってしまった訳で、 全く情けない (もう 1回土日があるのだが、 そこには とある研修が入っているため山には行けないのである)

と、言い訳を書いている自分がまた情けないのであるが、この一月 (ひとつき) で山の方は確実に冬の山になりつつあるようである。

朝、通勤途上に丹沢山塊を見やれば、山塊の真ん中に見える丹沢山や 蛭ヶ岳 を中心として山が白く輝いており、先日の雨が 山では雪であったことを示し、 これまでとは違ったパターンでの登山が楽しめる時期に来ていることを 教えてくれている。

冬の高山をやる技術も度胸も、加えて道具もない私であるから、冬はもっぱら低山の雪山を楽しむことになる訳だが、 低山と言えども雪山となると結構刺激的である。
先日登った (というよりも歩いた) 足柄−金時山−塔ノ峰 というコースも、 積雪期に歩けば これまた違った雰囲気が楽しめることであろう。

それにしても雪の山で思い出すのは、大菩薩嶺と九州の傾 山である。
前者については 以前この雑記帳で書いたことがあるので省略するが、 傾山の方は最初に登ったのが前日に雪が降ったばかりの時で、 誰も踏み跡をつけていない所を頂上まで登った感激は忘れられない。

その後、傾山には無雪期に 2回程登り、中には三ツ坊主を経由するという結構長いコースも歩いてみたものの、最初の雪山から得られた感激以上のものは 得ることができなかったのであった。
最初の感激が強いと、 次に登った時に却ってガックリさせられることは 往々にしてある話で、 そういう理由から 私は甲斐駒ヶ岳にもう一度登ろうという気にはなれないでいる (無論、もう一度登りたい山であることは間違いないのだが、 もう 2度とあのような好天に恵まれ、 素晴らしく爽快な気分を味わうことはないであろう と思うと登る気になれないのである)

話がそれたが、この時期、雪の山を見てしまうと、完全に頭の中でマンネリ化してしまっている丹沢でさえも、登ってこようかという気になる (丹沢をこよなく愛している方々には 大変失礼な言動であることは重々承知しているが、 どうしても丹沢はコースの光景が次々頭に浮かんできてしまって、 新鮮味を欠くのである)

実は昨年ヒマにまかせて 『勝手に神奈川 25名山』 を選んだものの、その後の実地見聞が遅々として進まず、袖平山や檜岳、菰釣山などの名が 私の頭に重くのしかかっていることも、 丹沢に登らねば という気にさせる原因の 1つである。

袖平山、檜岳、菰釣山といった山は、普段 春から秋までのシーズン中にはどうしても行く気になれず (どうせ行くならもっと遠い所にある山に行きたいからである) この冬場でしか登るチャンスがないのである。
そしてそれだけではまだまだモチベートするには至らず、 積雪というおまけがついて始めて登る気になる というのだから、 『勝手に神奈川25名山』 など選んでおいて、 何をか言わんやである・・・・。

ここでも言い訳をさせてもらえば、それぞれの山が魅力がないと言っているのではなく、どうも丹沢に対するマンネリ偏見か、 変化に乏しい気がするからで、 雪を加えることによってスリルも加わり、 面白くなろうということなのである。

そんなことを言いながらも、イザ登り始めてしまうと楽しいもので、頭で勝手に好き嫌いを考えているに過ぎない訳で、頭でっかちになり過ぎていることを 反省しなければならない。
何と言っても 『百の頂に百の喜びあり』 なのである。

心配は今の体力の方で、大倉尾根から主脈縦走して、姫次から袖平山に登り、焼山経由で下りるのはチョット無理であろう。 焼山をはずして、 八丁坂ノ頭から青根に下りるというのが正解であろうと思うが、 それでさえも今の体力では難しかろう。
丹沢に敬意を表し、 少しランニングなどして体力回復させてから挑むべきかもしれない。
ましてや低山と言えども雪山、 なめてかかってはいけないのである。


めざせ百名山のページへ戻る

ホームページへ戻る