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平等院、東福寺
Byodo
Temple, Tohuku Temple

東福寺 通天橋の遠景 紅葉が有名ですが、緑濃い時もなかなかでした

市内から今度は一歩、いやそれ以上に足を伸ばしてみると、また違ったお寺の姿が見えてきます。南東方面に足を伸ばし、平等院、そして東福寺を訪ねました。

 平等院  34 53 21.47,135 48 27.56
 平等院では平成の大修理をやっていて、そろそろ完成とのこともあり、久しぶりに訪ねてみることにしました。JRに乗ると外人さんが一杯。平等院目当てもあるけれど伏見稲荷が一番のスポットなのでしょう。そういえばバーナードルドフスキーの「建築家無しの建築」に伏見稲荷の写真も載っていました。
 
 京都市内は度重なる戦火や火事によってそう古い建築は残っていないのですが、市内を離れるとしっかりと残っています。醍醐寺の五重塔をはじめとする建築群は平安中期、西暦だと1000年以前という時代ですが、ここ平等院は天喜元年、1053年の供養とのことですから、それよりは時代が少々下ります。日本史を学んだ頃の記憶をたどれば平安末期に末法思想が信じられ、この救済のために浄土思想が広がり、極楽浄土への導きを求め阿弥陀堂が造られるようになった。ここがその代表格。そんなまとめ方が出来ます。
 
 しかし、これほど象徴的に建てられた建物というのもそうは無いかもしれません。実態、というか内部空間があるのは中央の中堂のみで、両側の翼廊は正にお飾りなのですから。一階は吹き抜けで向こうが丸見えだし、二層は人が入れる高さではなく、三層はそもそも入れない。全体のバランスを確保し、建築の堂々たる様、広がりを演出するために建てられた、「舞台建築」とでも言えるものなのです。
 
 確かに中堂だけしか立っていなかったら何の変哲も無い小さなお堂で終わっていたでしょう。それが両側にの翼廊を付け足すことによってここまで見栄えがするのですからその効果たるやたいしたものです。提案したのは藤原頼通なのか、それともプランナーといった人がいたのでしょうか、素晴らしい空間創造力がここにありました。
 
 また実に面白かったのが平等院ミュージアム鳳翔館です。そう広くない境内にあって、過半を地下というか築山に隠し、展示スペースを確保し、移設した鳳凰や雲中供養菩薩像が展示されています。雲中供養菩薩像の軽さが実にいい。雲に乗りながら楽器を奏でたり拝んでいたり持物を持っていたり。52躰はどれも小さくて可愛い菩薩なのです。こんな菩薩に囲まれながら浄土に旅立っていく・・・と思わせたのでしょうね。誰にでも旅立つ時は来るのですから、こんな楽団(?)に囲まれながら旅立ちたい?

すっかり奇麗になった平等院。君は浄土を感じるか・・と問いかけたくなる一枚でした。均整の取れた、正に日本が誇ることの出来る建築です。
対岸から阿弥陀如来をこういう形で拝むことが出来ます。内陣に入ることが出来ない人々にもちゃんと配慮がされていました。東大寺大仏をまねたのかもしれません。いや今の東大寺大仏殿は江戸期だからこっちが先か。本当の所は不明です。 屋根上の鳳凰。アップで見ると結構マンガチックで面白い。実はこれはレプリカで、本物はミュージアムに移されています。
昨日の集中豪雨の跡がこんな所に。宇治川の水位が下がらず、中之島には渡れませんでした。西方浄土はやはり遠かった?

東福寺  34 58 37.81,135 46 26.92
 仏教寺院といえばやはり京都より奈良だと私は思いますが、その意を強くしたのが、その昔この寺の存在を知ったからかもしれません。東大寺と興福寺からそれぞれ文字をもらって東福寺としたとは、まるで国立市か大田区のようではないですか。本家に対する分家のようだ、もっといい名前にすればいいのに、と思ってしまいました。でもその根底には両寺に対するリスペクトがあったのでしょう。
 
 ここへのアプローチは東福寺駅からと言うのが一般的ですし、いずれにしても山の下から登りつつ向かうことになりますが、久しぶりに来てみるとやはり不思議なお寺です。京都の寺院に多い塔頭の中を抜けていくと、おや脇からいきなり境内に入るのか、というかなりの変則アプローチなのです。そして改めて正門にあたる三門に行ってみると、その正面には築地が巡らされており正面から入ることが出来ない構造で、脇の方に小さな門がありそこからしか入れません。設計者は正面性は意識しなかったのでしょうか。山際の場所故スペースが無いからこうしたのでしょうか。それとも意外性を演出したのでしょうか。隣にある泉涌寺では、入り口を入るといきなり下り坂という面白い演出が成されていますが、東福寺はとりあえず収めたという感がします。

 そんなアプローチでしたが、三門はさすがでした。南北朝時代の禅宗の三門として、国宝に指定されています(建物ではここだけ)。大きさの割に軽快感があるのは初層と二層の比率がいいのかもしれません。また軒下の組み物を見ると、おや通肘木があるではないですか。帰ってきて図集の解説を見ると「純粋の禅宗様ではなく、大仏用の手法が取り入れられている」とあります。規模が大きい建物では、大仏様の手法は効果を発揮しますから、それを採用したのでしょう。

 ここの敷地の面白さは境内に谷が横切っている点でです。山裾にある関係で大きな谷が東西に横切っており、その南北の往来のため、木造の橋を架けており、紅葉で有名な通天橋、その西の臥雲橋、奥の偃月橋とそれぞれに個性を持った場所になっています。
 
 こうした見所に更に加わったのが方丈庭園です。方丈は明治の再建ですが、その庭を重森三玲が昭和になって作庭され、方丈を囲んで四方に配されています。京都のトップページにあるのは北側の庭だし、南庭は下の写真に載せましたが比較的正当派のものだったり、縦横無尽な表現がとても楽しい。三玲にここの作庭を依頼した人は眼識があったといえます。ここをきっかけに三玲は活躍の場を広げていくのですから。

通天橋を川まで入れて撮ってみました。結構高低差ありますね。
三門。アップにはしませんでしたが、軒下には通肘木が支えています。手前の池は思遠池だそうで。
こちらは臥雲橋。橋名が掲げてあります。誰だこんな所に千社札を張る輩は。 方丈南庭と唐門。正統派枯山水という所でしょうか。奥に経蔵が写っています。
方丈西庭。北庭で使った方形の文様がこちらでは立体になっています。幾何学的分割がモダンです。