寂然 じゃくぜん 生没年未詳 俗名:藤原頼業(よりなり)

生年は永久末年〜保安年間(1117-1123)頃かという。没年は寿永元年(1182)以後。
従四位下丹後守為忠の四男。母は橘大夫女(待賢門院女房)。寂超(為経)寂念(為業)の弟で、いわゆる大原三寂(常磐三寂とも)の一人。妹は藤原俊成の妻。
蔵人・左近将監を経、従五位下壱岐守に任ぜられたが、これを辞退して間もなく出家して大原に住み、唯心房寂然と号した。保元〜長寛年間、讃岐に配流された崇徳院を見舞う。また西行と親しく、高野山にいた西行との間で十首歌の贈答などをしている(山家集)。
若い頃、父為忠主催の名所歌合に出詠(夫木和歌抄)。賀茂重保より賀茂社に奉献する百首歌を求められ、寿永元年(1182)頃までに提出した(寿永百首)。家集は三種伝わり、自撰の『寂然法師集』、釈教・今様の二部からなる『唯心房集』、寿永百首の一集と見られる『寂然法師集』(群書類従所収)がある。また釈教歌集『法門百首』がある。千載集初出。勅撰入集四十九首。

  1首  1首 哀傷 2首  2首 釈教 8首 計14首

初秋の心をよめる

秋はきぬ年もなかばに過ぎぬとや荻吹く風のおどろかすらん(千載230)

【通釈】「秋になった。もう一年も半分を過ぎたのだぞ」と、ぼんやり過ごしていた私の目を覚まそうというのか、荻を吹く風が音たてて過ぎてゆく。

【本歌】藤原敏行「古今集」
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

雪の(あした)、大原にてよみ侍りける

尋ねきて道わけわぶる人もあらじ幾重もつもれ庭の白雪(新古682)

【通釈】この雪の日にやって来て、わざわざ道を行き悩む人もあるまい。いっそ、幾重にも庭に降り積もれ、雪よ。

【語釈】◇大原 京都市左京区北部。比叡山の西北麓。作者隠遁の地。

【他出】唯心房集、歌仙落書、治承三十六人歌合、寂然法師集、玄玉集、定家十体(見様)

【主な派生歌】
白雪は いくへもつもれ つもらねばとて たまぼこの 道ふみわけて 君がこなくに(良寛)

哀傷

西住法師身まかりける時、終り正念なりけるよし聞きて、円位法師のもとにつかはしける

みだれずと終り聞くこそうれしけれさても別れはなぐさまねども(千載604)

【通釈】臨終にあって乱れることなく、安らかに往生されたと聞いたのは、まことに嬉しいことです。だからと言って、別れの悲しさは慰めれられないのですが。

【語釈】◇西住法師 清和源氏の出。西行の親友。◇終り正念なりける 臨終が安らかであったこと。

父なくなりて後、日数も残りすくなく成りて侍りける頃

君に我がおくるる道のかなしきは過ぐる月日もはやきなりけり(風雅2022)

【通釈】父上に先立たれた私の人生の旅路で、悲しく思うのは、あなたの早すぎる死ばかりでなく、あれから過ぎ去った月日がこんなにも速やかであったことなのです。

【語釈】◇父 藤原為忠。自邸でたびたび歌会を開催するなど、小歌壇の主宰者であった。保延二年(1136)没。◇日数も残り少なく 一年が残り少なくなったことを言う。

世をそむきて又の年の春、花を見てよめる

この春ぞ思ひはかへす桜花むなしき色にそめし心を(千載1068)

【通釈】今年の春こそ、思い改めるぞ。桜の花の空しい色に染めてしまった心を。

【語釈】◇世をそむき 出家したことを言う。◇むなしき色 般若心経の「色即是空」を踏まえた言い方。◇そめし心 本来実体のない現象界に執着する心を言う。「そめ」は色の縁語。

春頃、天王寺へ参りてよみ侍りける

心ありて見るとしもなき難波江の春のけしきはをしくもあるかな(風雅1431)

【通釈】情趣を解する心があって眺めるというわけでないけれど、難波江の春の様子は、通り過ぎるのが惜しいなあ。

【語釈】◇天王寺 四天王寺。大阪市天王寺区にある、聖徳太子建立と伝わる寺。◇心ありて 能因法師の本歌(下記参照)を踏まえた言い方。◇難波江 難波潟に同じ。かつて大阪平野を満たしていた広大な潟湖の名残。いまの大阪市中心部あたりには、水深の浅い海や、葦におおわれた低湿地が広がっていた。

【本歌】能因法師「後拾遺集」
心あらん人に見せばや津の国の難波わたりの春のけしきを

【参考歌】藤原季通「千載集」
心なき我が身なれども津の国の難波の春にたへずもあるかな

釈教

提婆品の心を

なにとなく涙の玉やこぼれけん峰の木の実をひろふ袂に(新続古今837)

【通釈】何とはなしに、涙の滴がこぼれただろうか。嶺の木の実を拾う袂に。

【語釈】◇提婆品(だいばほん) 提婆達多品(だいばだったほん)の略。法華経第十二品。◇木の実をひろふ 釈迦が法華経を求めて阿私仙人の奴となり、薪を伐ったり木の実を拾ったりして千年仕えたという提婆品の話を踏まえる。

【参考歌】
薪こり峰の木の実をもとめてぞ得難き法は聞きはじめける(藤原俊成[玉葉])

人々すすめて法文百首歌よみ侍りけるに、二乗但空智如蛍火

道のべの蛍ばかりをしるべにて独りぞ出づる夕やみの空(新古1951)

【通釈】今はただ、道のほとりを飛ぶ蛍の光のような縁覚界だけを案内役として、まだ菩薩乗の月があらわれない夕闇の空の下へ、独り修行に邁進するのだ。

【語釈】◇法文(ほふもん)百首歌 法門百首。経文を題とした百首歌。◇二乗但空智如蛍火(にじよう、たんくう。ち、によけいくわ) 摩訶止観の一節。「二乗はただ空、智は蛍火の如し」。二乗は菩薩乗(大乗)に対する小乗(声聞乗・縁覚乗)のこと。小乗の人の智は空しく、菩薩の智を月光とすれば蛍の光の如くである、の意。◇独りぞ出づる 縁覚の境地を言う。縁覚とは独覚とも言い、独りで修行して因縁を悟る境地。菩薩乗の前段階。◇夕やみの空 月=菩薩乗があらわれる以前の世界をたとえる。

栴檀香風 悦可衆心

吹く風に花橘やにほふらん昔おぼほゆるけふの庭かな(新古1953)

【通釈】吹いてくる風に橘の花の香がにおうのだろうか。昔、仏が法華経を説いたとき、かぐわしい風が会衆の心を随喜させたという話を思い出させる、有り難い今日の法筵よ。

【語釈】◇栴檀香風(せんだんかうふう) 悦可衆心(えつかしゆしん) 法華経序品の一節。「栴檀の香風、衆心を悦可す」。◇庭 法筵。仏法を説く場所。

此日已過 命即衰滅

けふ過ぎぬ命もしかとおどろかす入相の鐘の声ぞ悲しき(新古1955)

【通釈】今日も一日が過ぎた。命も然り、その分縮まったのだと、人に告げ知らせるかのように響く、入相の鐘の音が悲しい。

【語釈】◇此日已過(しにちいくわ) 命即衰滅(みやうそくすいめち) 「此の日已に過ぐれば、命即ち衰滅せん」。一日が過ぎれば、それだけ人の命も衰える。出曜経などに類似の句が見えるという。

棄恩入無為

そむかずはいづれの世にかめぐりあひて思ひけりとも人に知られん(新古1957)

【通釈】父母の恩に背いて出家しなければ、三界の間を流転するのみだ。しかし遁世を遂げれば、いつの世にか再び両親に廻り逢って、恩を有り難く思っていたと知ってもらうことができるだろう。恩を捨てることこそ、本当に恩に報いることになるのだ。

【語釈】◇棄恩入無為(きおんにふむゐ) 「恩を棄て無為に入れば、真実に恩に報ずるものなり」法華経や清信支度人経に見える句。

心懐恋慕 渇仰於仏

別れにしその面影の恋しきに夢にもみえよ山の端の月(新古1960)

【通釈】お別れした時の面影が恋しくてならないので、夢にだけでも現れてください、山の端に沈んだお月様。

【語釈】◇心懐恋慕(しんくわいれんぼ) 偈仰於仏(かつがうおぶつ) 法華経如来寿量品の一節。「心に恋慕を懐(いだ)き、仏を渇仰(かつがう)す」。◇山の端の月 入滅した釈迦の暗喩。

不邪淫戒

さらぬだにおもきがうへのさ夜衣わがつまならぬつまな重ねそ(新古1963)

【通釈】ただでさえ重い夜具の上に、自分の物でない衣の褄(つま)を重ねるな。ただでさえ性行為は罪深いことなのに、そのうえ他人の配偶者と関係を結ぶような邪淫を重ねるな。

【語釈】◇不邪淫戒(ふじやいんかい) 十戒の一つ。妻または夫以外の者と性交をしてはならない、ということ。◇さ夜衣(よごろも) 夜具のことを言う雅語。この歌に因って浮気女を指す隠語となった。◇つま 着物の意と配偶者の意の掛詞。

不酤酒戒

花のもと露のなさけは程もあらじ()ひなすすめそ春の山風(新古1964)

【通釈】花の下で酒を飲むなどという露ほどの風流は、束の間のものに過ぎないだろう。春の山風よ、心地よく吹いてあまり酔いをすすめるな。

【語釈】◇不酤酒戒(ふこしゆかい) 酒を買って飲むな、という戒。◇露のなさけ 露のように果敢ない情趣・風流。◇程もあらじ 永続きはするまい。その場限りのものだろう。

【参考】「白氏文集・酬哥舒大見贈」、「和漢朗詠集・春興」(→資料編
花下忘歸因美景 樽前勸酒是春風(花の下に帰らむことを忘るるは美景に因つてなり 樽の前に酒を勧むるは是れ春の風)


更新日:平成18年03月04日
最終更新日:平成22年10月09日