1982年〜1984年当時の厚高

atsuko.gif戸陵祭についてatsuko.gif

メインストリーム
テーマソング番外編
戸陵祭とは
戸陵祭テーマソング
テーマソングの歴史
肩身の狭い電気楽器
テーマソング選考会の概要
予選と本選
テーマソングの発表で大失敗
ザ塩漬け犬
舞台裏の青春
テーマソング選考会の打ち上げ
数年に1つくらいのペースで内容を追加します。超気長にお読み下さい。
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戸陵祭とは

 厚木高校は相模川がつくった河岸段丘の上にあります。校舎の屋上からは、厚木の街はもちろん、川の向こう側の丘陵地も見渡せます。とっても気持ちのいい場所で、「戸室」という地名から「戸陵(こりょう)」と呼ばれて?います。戸陵祭とは、当時は厚木高校の文化際の名前で、毎年7月の始めに行われていました(今は秋に行われており、体育祭も戸陵祭と呼ばれているらしいです)。

 実は僕、戸陵祭当日のことは、よくわからないのです。というのは、3年間、戸陵祭の当日はずっと体育館の舞台裏にいたので。企画や準備などの裏方の仕事ってチーム制でやっていて、僕はステージチームというのに所属していました。なぜステージチームに入ったかというと、それは戸陵祭テーマソングを担当するチームだったからです。これから僕が紹介する戸陵祭は、テーマソングの話ばっかりだと思うけど、興味のある人は読んでやって下さい。


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戸陵祭テーマソング

 文化祭でテーマソングを作る、なんてちょっと小恥ずかしい気もしますが、見方を変えれば普通のバンドコンテスト。文化祭の当日にやらずに、その2カ月前にやるのが大きな違いです。でも、エントリーは全曲オリジナルで、優勝するとレコードになって文化祭で発売されると思うと、ちょっとかっこいいと思いません?

 当時の戸陵祭テーマソングは、まず4月にオリジナル曲を募集し、5月のテーマソング選考会にて応募者の生演奏が行われ、各クラスから選出された審査員の投票によって決定していました。6月には千駄ヶ谷の「音のメルヘン屋」でレコーディングが行われ、7月の戸陵祭当日にはレコードを発売していました(当時はCDは無かった)。

 戸陵祭が近づくと、昼休みや放課後にテーマソングが放送で流されるようになり、ああ文化祭はもうすぐだなあ、と感じさせてくれたものでした。


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テーマソングの歴史

 戸陵祭テーマソングの歴史を厚高新聞で調べてみると、テーマソングが始まったのは1979年のようです(第133号より)。1980年からはチーム制が始まり、テーマソングが初めてレコード化されたのもこの年のようです。1981年にはステージチームが新設され、テーマソング選考会を担当することになりました(第137号より)。そして僕が入学したのが1982年。卒業した1985年はCDが世の中に広まった年で、レコーディング会場も千駄ヶ谷から厚木へ、選考方法も生演奏からテープ審査へと変わっていったと聞いています。

 今もテーマソングは続いていると聞いていますが、CDでも発売されているのでしょうか?とにかく、テーマソングの歴史を作っていただいた先輩方に感謝いたします。

レコーディングは1987年までで、1988年からは自前で録音したテープを販売した、という情報をいただきました(2001/1/6)。


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肩身の狭い電気楽器

 当時の厚高では、ギターやベースといった電気楽器は非常に肩身が狭くて、満員でも100人ちょっとしか入れない視聴覚教室(防音設備あり)でしか、それらの使用が許されていませんでした。例外として、戸陵祭当日の後夜祭の時は体育館でジャカジャカやることができましたが、バンドコンテストを文化祭当日にやるのは実質無理な話でした。というのも、当日の視聴覚教室はロックバンドで占領されてしまうからです。それならばバンドコンテストは、テーマソングという名前で事前にやってしまえ!・・・こういう見方をすると、僕らの時代のテーマソング選考会は、高校の実状を見事にクリアーしたバンドコンテストだったと言えるかもしれません。

 よくドラマやゲームの世界では、文化祭当日にバンドコンテストが開催され、その前後に青春ドラマが展開しますが、実際のところどうなんでしょうね?当時の厚高みたいに、電気楽器が肩身の狭い学校って、たくさんあるんじゃないでしょうか。


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テーマソング選考会の概要

 テーマソング選考会は、5月の終わりごろ行われていました。4月からエントリーを募り、だいたい20曲くらいの応募がありました。選考会は当然、放課後に行われるので、とても1日では終わりません。そこで予選を2日間行って10曲に絞り、土曜の午後の本選でテーマソングを決定していました。

 場所は視聴覚室。ステージにはドラム、アンプ、ピアノ、PA類が所狭しと並べられ、前数列にスタッフ、中ほどに各クラスから2名ずつ選ばれた審査員、そして後方は観客席となります。本選では観客がどっと押し寄せ、まだ5月だというのに室内は熱気ムンムン。休憩時間には、窓を全開にして換気をしていました。防音壁の木のにおいがすると、今だにあの頃を思い出します。

 応募者は、持ち時間内にエントリーした自作のテーマソングを披露します。ほとんどの応募者がバンド形式をとりますが、中には合唱隊なんてのもありました。テーマソングに選ばれるのは、やはり明るくてノリがよく、サビの部分がわかりやすい曲でした。


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予選と本選

 テーマソングは予選と本選の2回の審査で決定していました。予選は2日間で水曜日と木曜日の放課後に、本選は1日空けて土曜日の放課後でした。審査員は各クラスから2名が選ばれ、当時は1学年12クラスでしたから合計36人が前の席を陣取ります。審査員の後ろからは自由席でしたが、いつも超満員でした。

 予選での審査方法ですが、僕が2年生のころまでは、予選日ごとに5曲、合計10曲を選考していました。しかしこの方法では、いい曲がどちらかの日に偏ってしまった場合、いい曲が本選に残れない可能性があります。そこで3年生の時は得点制にして、予選がすべて終了した時点で得点の高い順から10曲に本選の出場権が得られるようにしました。まあ、この方法においても、審査員の耳がなれてくると点がからくなるという問題はあるのですが。

 本選では、テーマソングにふさわしい曲をずばり審査員に投票してもらっていました。またレコード化に備え、B面に収録する曲もこの時に投票してもらいました。B面については、コミックバンドが毎年得票をかせいでいましたが、選考会の生演奏では大爆笑ものだったのが、いざレコードになってしまうとあまり笑えないという理由で、僕が3年生の時には審査員に「B面も真剣に考えて下さいね」とお願いしていました。卒業したての頃は、この選択でよかったと思っていましたが、10年もたつとコミックバンドでもよかったかな、という気もしないではありません。なんとも難しいものですね。

 本選でのテーマソングの発表は、ステージチーム長の唯一の晴舞台です。しかし思いっきり緊張してしまった僕は、とんだ失敗をやらかしてしまいました。興味のある方は読んでみて下さい。


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ザ塩漬け犬

 1年生でテーマソング選考会にすっかり魅せられて、2年生では積極的に役員に立候補しました。しかし、それがいけなかった。つらい裏方修行の毎日です。しかたがないので、知り合いに頼んだ選考会の録音テープを、こっそり自宅で楽しみます。

ドン、ドン、ドン、ドン(バスドラの音)
ジャカ、ジャカ、ジャカ、ジャカ(あ〜あ、楽しそうだな)
「みんな、ノッてるかい。ソルティードックで〜す」

 えっ、こんなバンドいたっけ? と思いプログラムを見たら「ザ塩漬け犬」と書いてある。そういえば、変な名前のバンドもいるもんだと思いながら裏方をやっていたっけ。
「ザ塩漬け犬のみなさ〜ん。出番ですよ!」
と大声を出していた自分が妙にはずかしく、ちょっと腹が立った1日でした。


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舞台裏の青春

 舞台裏でテーマソング選考会を見ていると、いろいろなドラマに遭遇しました。

 あるとき、女生徒だけのバンドがありました。当時、ドラムをやっている女生徒は少なく、「めずらしいなあ」と思っていたら、やはり急造ドラマーだったらしく、会場から漏れ聞こえてくるリズムはちょっと怪しいものがありました。きっと、高校生活の想い出として、女友達だけでバンドを組みたかったのでしょう。彼女はなんとか最後までドラムを叩き終えました。

 そして、演奏が終わって控え室に戻ってきたドラムの女生徒は、待っていた男子生徒の胸に飛び込んで泣き崩れました。自分でも出来が思わしくなかったことは分かっていたのでしょう。ドラムの師匠と思われるその男子生徒は、やさしく女生徒の髪をなでていたのでした。ああ、青春やなあ〜。


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テーマソング選考会の打ち上げ

 5月にテーマソング選考会が終わると、早速打ち上げです。ステージチームは、テーマソング選考会後(5月)と戸稜祭後(7月)の2回打ち上げができるので楽しいチームでした。

 会場は喫茶店などの2階を借りきってやっていました。もちろんテーマソング選考会の反省や来年の方針を話し合いました(笑)。テーマソングの投票方法や、B面曲の取り扱いなど、毎年問題になっていましたからねえ。冗談抜きで、話し合うことは山ほどあったのです。今思えば、自主的に話し合って物事を決めていくということを勉強させてもらった場でもありました。

 テーマソング選考会が終わると、戸稜祭に向けての準備が始まります。ひとまずテーマソング班は解散して、体育館ステージ班、ロック班(視聴覚室)、フォーク班(音楽室)へと分かれていきました。ちなみに、テーマソングについては戸陵祭当日にレコードを販売しておりましたが、レコーディングから販売まではバザーチームの担当となっており、選考会が終わるとステージチームの手から離れてしまったのでした。


[更新2006.11.8/作成1999.7.23]