WALKING IN RUSSIA


PART 17

て、ブハラ観光だ。今日のガイドさんは黒髪が美しいウズベク美人。アトラス模様のブラウスが よく似合っている。こっちの人は、みんな服は自分で仕立てるのだそう。どうりで、民族衣装を買って帰ろうと物色しても見つからないはずだ。確かに同じアトラス模様でも、ひとりずつ微妙にデザインが違う。基本は丸襟、ハイウエスト切り換え、半袖だが、人によって襟元にフリルがついていたり、7分袖だったり・・・。

そういえば、このあとタシケントの街をバスで走ったとき、デパートのショーウインドウが見えたのだが、一面にアトラス模様の布のバリエーションと、その布で作った服のサンプルが飾ってあった。あれって、けっこう衝撃的。だって、もしも、日本でデパートに行って、矢がすり模様の布しか置いてなかったら、しかもそれを自分で縫うしかないとしたら・・・だめだ、想像できない。

ホテルのある新市街にいると感じないのですが、旧市街に入ると、その土っぽさに驚く。街全体が薄茶色なのだ。日干しレンガの家が多いからだろうか。しかも、道が狭くて入り組んでいるので、どこをどう歩いているのかわからなくなる。特に急ぎ足のガイドさんの後ろをついていっているので、よけいそうなる。牛本さんは、朝のうちに旧市街まで来たそうだが、やはり道がわからなくなって、通りすがりの人にとりすがって、案内してもらったそう。

バラ・ハウズ寺院は、これまでに見た建物とは違い、木造の柱や天井の色鮮やかな彫刻と絵が圧巻だ。サマルカンドの青と違い、赤や緑など極彩色を使っているところは中国の美術のよう。それが歳月とともに色褪せて、実にいい味を出している。

ブハラ王が住んだというアルク(城塞)で、石畳の中庭にさしかかったとき、急にあたりが騒がしくなり、中庭からつながっている石段を、民族衣装をまとったお婆さんたちがわらわらと登ってきた。で、上がりきったところに私たち日本人がいるのに驚いて大騒ぎに。

「あんれまあ、なんだかおもろいモンがあるでよぉ」
「変な服着て、みんなでカメラぶらさげて、おかしい連中だねや」
「わしゃ、死ぬ前にいっぺん外人ちゅうもんを見たかったんだし」
「んだんだ。お参りに来てこんなもんまで見れるとは、ありがたや」
(すみません。東京生まれなもんで方言がうまく操れません)

中にはなにを思ったのか、山羊田さんに抱きつくお婆さんまで。親・近・感、だろうか?山羊田さんもまんざらではない風情。

「ありゃぁ、田舎の農協の婦人会の旅行だね」と猪木さんがひとこと。彼は、辺境ばかり選んでは、ひとりでツアーに参加しまくっているおじさんだ。荷物は最小限、写真は撮らない、おみやげは買わない、毎日洗濯するといった、旅行者の鑑。

ここで狐川さんが、どこからかスルスルとA2判くらいの紙を取り出して、「では、みなさん、ここで1回目の記念写真を撮りましょう」と言った。紙には、かなり下手な字で”西トルキスタン シルクロードの旅”と書いてある。多分、ゆうべ狐川さんが一生懸命書いたのだろう。

山羊田さんは、日傘をさしたまま一番前にしゃがみこんだ。猪木さんが「山羊田さん、それじゃ顔が影になっちゃうよ」と注意しても「わたくしはどうせ変わり者ですから、これでいいんですのよ」と言って聞かない。もっとも後ろのほうでやはり日傘をさしたまま写っていたのは私。イスラム風のすごくきれいな模様の日傘だったので、みせびらかしたかったのだ。

ブハラを上から見たとき、まず目につくのは、丸いお椀をたくさん伏せたような建物。タキと言って、昔交易所だった所だ。今ではあまりたくさんのお店は入ってなくて、さびれた感じ。そのうちの1軒が喫茶店になっていて、ここで休憩した。喫茶店と言ったって、泥で固めた穴蔵のような内部(でも広い)に簡易テーブルと椅子が置いてあって、冷蔵庫の中のコーラやビールを買って飲むだけだが。

私は別の店に探検に行って、アンティーク(というより古道具)の金属製のお盆を見つけた。700ルーブルというのだけれど、ルーブルをそんなに持っていないので、「ドルだといくら?」と聞くと、10ドルだと言う。そんな馬鹿な! 急いでさっちゃんを呼びにいき、お金を借りてルーブルで買った。

タキの中の店は、道より1段高くなっていて、「よいしょ」と登って入るようになっている。本で読んだところによると、これはラクダや馬、ロバなどが地面を汚しても清潔に保つためと、この段に人々が腰を降ろすためなのだそうだ。


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