WALKING IN RUSSIA


PART 14

っている間、バスに寄ってくる子どもたちをからかう猫間さんたち。どうも猫間さんがかぶってるゴルフキャップが欲しいらしい。しきりと帽子を指差しておねだりをする。

「砂漠の旅が待ってるのに、こいつをあげるわけにゃあいかないよぉ。こっちが焼け死んじゃう」と猫間さんもがんばる。

すると今度は、タバコを買ってきてあげると言っている(らしい)。試しにとお金を渡したら、ちゃ〜んと買ってきてくれた。しかも、お礼にと猫間さんが1本さしだしても、子どもだからいらないと断るの。いい子ねえ。←当たり前か(^_^)

結局、ものが欲しいというより、学校が休みで退屈してるのよね。だから、珍しい外国人を見かけると、寄ってきて遊んでるわけ。(私たちはサーカスの動物みたいなもんだ)なんてったって食べるものは豊富にあるんだもの。「そこがインドとは大違いだね」と猫間さん感心。

さて、ようやく山羊田さんが狐川さんに連れられて帰ってきた。どうやらご無事らしい。ふつう、こういうときって平謝りよねえ。ところが、なんと

「わたくし、バザールの中で、集合時間より前からず〜っと待っておりましたのよ」

??! 待ち合わせ場所は入口の外だっていうのに。う〜む、今回の困ったちゃんはこのおばあさんかな?

次にアフラシャブの丘の麓にあるシャーヒ・ジンダ廟に行った。ここは、イスラム教徒の墓地なんだそうだが、見たところは古い街といっ た感じ。両側を石壁にはさまれた石段を登っていくと、日干しレンガで作られた廃墟に迷い込んだよう。ポンペイの遺跡を思い出してしまう。 両側にいくつもの廟が並び、そのそれぞれが青タイルで思い思いに飾られていて、見あきることがない。というより、見あきるほどの時間がもらえないのだ。日本人がアクセクしてるなんて嘘だ! ターニャの口癖は「時間がギリギリです」なんだもの。ここはもう少しゆっくり見たかったなあ。

アフラシャブの丘は、モンゴルに破壊された旧サマルカンドの都で、今でも発掘作業が続いているはずだが、ここにも行けなかった。

さて、後ろ髪を引かれながらも、バスでブハラに向かう。約4時間の旅だ。途中でトイレストップがあり、ガソリンスタンドのようなところに止まった。奥の小屋がトイレだというのでめざして行ったら、先に入った牛本さん(さっちゃんのおじさん)がすぐに回れ右して出てきて、 「見ないほうがいいと思うよ」と言う。

げげげげげ。私なんか、そう聞いただけで出るものも出なくなった、猫間さんの奥さんや蛇本さんの奥さんは行ってしまった。すごい勇気! それとも、それほど我慢ができなかったのかしらん?

のどが乾いてきたので、コーラでも売っていないかと、店らしき建物のほうへ行ってみた。が、どうもそこは売店ではないらしい。私たちが覗き込んでいると、中から親切そうなおじさんが顔を出した。水を飲む真似をして「ウォーター?」と聞くと、にこにこして「ダー」とうなずき、奥に入って行った。くっついて入ると、奥が台所になっていて、置いてあった丼のような茶碗に汲みおきの水をすくって、「はい」とさしだしてくれた。

(;・_・)(・_・;)(;・_・)(・_・;)(;・_・)(・_・;)

ごめん、おじさん。やっぱり飲めない。これからの旅を思うと、ここで下痢なんかしたら、とてもじゃないけどツアーについて行けなくなってしまう。ほんとうに失礼で申しわけないと思いながらも「ニエット、ニエット、ミネラル、ノー?」とボトルの形を示しながら聞いてしまった。「ミネラル?ノー」おじさんはすまなそうに言った。「スパシーボ」私たちはできる限りの笑顔を作って辞去した。

戻ってきた猫間さんと蛇本さんの奥さんに「汚くありませんでした?」とおそるおそる聞くと、「あ〜ら、始めからトイレに入る気なんかないわよ。その裏の原っぱよ」と言われてしまった。た、た、たくましい。


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