
朝早く起きて、ホテルのチェックアウトをすませ、荷物を預ってもらって出かけました。
ホテルの近くに古本や古道具の市が立っていたので、昔の人が使っていたノートなんて買ってしまいました。手書きのくずした字だから、何が書いてあるのかはわかりません。紙はすっかり黄ばんでシミだらけだけど、なんとなくいい雰囲気。しかし、これを書いた人は、自分のノートが何十年もたってから、日本人に買われるなんて考えもしなかったでしょうね。
1軒ずつ冷やかしていたら、すっかり冷えきってしまった。こちらに来てからいちばんくらいの冷え込みじゃないかな。ウールのズボンの下にタイツとスキーソックス、シャツにセーター2枚にコート、手袋、ショールという重装備でも、足の先の感覚がなくなってしまいます。気温は完全に零下まで下がっていたと思う。
常設市場で、紫色の豆やリモージュのコピーの白い皿を買い、さらにここまで来たのだからと名物のマスタードを3瓶も買ってしまい、荷物は増える一方。
もちろん、きのう目をつけていた骨董屋さんにも行きました。雑然とした店の中全体が私にとっては宝の箱みたいなもの。1時間くらいもウロウロしたあげく、手描きの花模様がついている調味料入れのセットと、カットがきれいなシェリーグラスを買いました。これはもう、なにがなんでも割らずに持って帰らなくちゃ。
失敗したのは美術館関係が火曜日で休みだったこと。しかたがないので予定より早く帰ることにして、昼食のため、レストランリストにあった、わりと有名らしいレストランに入りました。古いワインセラーかなにかを利用した大きな店で、店内は洞窟のような造り。でも、食べ物はいまいちだったなあ。しつこく頼んだエスカルゴはまあまあだったけど、よくわからないままに指さして頼んだものは、私のほうが魚のすり身を腸詰めにしたようなものだったし、Wのほうにいたっては牛の内臓を腸詰めにしたもので、なんだか臭い。もっとも、朝の冷え込みで風邪をひいてしまい、そろそろ具合が悪くなりかけていたから、過剰に反応したのかもしれません。
食事の後、もう少し街をぶらぶらするというWと別れ、私は一目散に駅に。ところが駅には待合室がない! でも、こうなったら人目なんか気にしちゃいられない。気分が悪いったら悪いんだから。駅の切符を買うところの端っこの床に座ってWを待つ私の姿は、限りなくみっともなかっただろうなあ。帰りの電車は2人がけの席だったので、もうひたすら寝ました。
パリに着いても、少しも回復していない。いつも元気なWは、「晩ごはん、どうする?」と聞くが、「食べたくない」
うう、ごはんと聞いただけで気持ちが悪い。
「じゃあ、テイクアウトのものでも買ってくるから、先にホテルに行ってて」と言われ、トボトボと歩いていったのはいいのですが、ホテルのおじさんはな〜んも覚えていなかった。
だいたいが私は「鍵をください」と「部屋は何階ですか」くらいならフランス語で言えるが、それ以上の事態に至った場合、相手が何を言ってるかもわからないんだから。
気分は悪いし、「部屋はない」と言われて茫然として、なすすべもなく突っ立っているところにWがやってきた。彼女は英語のバイリンだから、その他の国の言葉でもすぐにそこそこしゃべれてしまうという、恵まれた資質を持っている。彼女の話すフランス語は、私が聞いてもかなりブロークンだと思うのだが、不思議と通じてしまうのね、これが。で、結局押し問答のすえに、おじいさんは私たちの予約を完全に忘れていて、シャワー付きツインを頼んでおいたのにそこはもう先客あり。ダブルベッドひとつ、シャワーなしの部屋しか空いていないという。 元気なら怒って、ほかのホテルを探しに行くところだけれど、とてもじゃないが倒れる寸前の私にはそんな根性はありません。おとといよりさらにボロくて、しかも今度は屋根裏じゃないから雰囲気もないという部屋に入りました。
「大晦日だからワインでも買ってくるわ」とWは出かけ、私は薬を飲んでベッドに倒れ込み、こんこんと寝てしまいました。
が、夜中になにやらドタバタと気配がする。熱に浮かされながらも目をさますと、窓の外からものすごいクラクションの音が飛び込んでくる。 どうやら12時になったらしく、街じゅうの車がいっせいにクラクションを鳴らしているのだ! おまけに酔っ払いがそこらじゅうでワアワア喚いている。思わず窓を開けて「うるさ〜い!」と叫んでしまった私です。むだだったけど。
なんて悲惨なニューイヤーズ・イブだろうか。