
通りにはそれぞれの顔がある。ニューヨークっ子は、どの通りはどんな雰囲気か知っていて、危険なところは賢く避けて歩いているみたい。
居候してた家の近くのオーチャード通りは、東京で言えば浅草みたいな所で、町並みが『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』の世界。実際にあの辺でロケしたという話も聞いた。私が見た中ではいちばんアメリカを感じた場所だった。
キャナル通りは、日曜日に出るフリーマーケットがすごくいい。『ナインハーフ』でミッキー・ロークがキム・ベイシンガーにストールを買ってあげてた所だ。 当時はまだ、この映画はできていなかったが。このマーケットで買ったアンティックのブローチ3ドルと、テーブルナイフ3本50セントは、今でも私の宝物だ。
当時の日本には消費税なんかなかったから、何を買っても8パーセントもの州税がとられるなんて、ものすごいショックだった。だから、税金のかからないフリーマーケットがやたらとうれしかった。ニューヨークに住んでいる人でも、必需品をわざわざよそのもっと税金が安い、あるいはかからない州まで買いに行く人がいると聞いたが、当然よね。
通りの名前を忘れちゃったんだけど、電気製品の店がたくさん並んでいる通りにも行った。ニューヨークの秋葉原といったところかも。Wが電気スタンドを買いたいとずうっと言っていて、軒並のぞいて歩いたのだけど、なかなか気に入るものがみつからない。「もういい加減にしてよ」と思い始めた頃にようやく、真鍮製のシャープなデザインのものが見つかった。
「日本まで持って帰るのでしっかり包んでください」とWが言っても、相手はまったく信じてなかったようだ。だって、高さが1メートルくらいもあるような電気スタンドを、わざわざニューヨークの下町で買って、日本まで持ち帰る人がいる?
結局、そのあと歩いているうちに包装がぐずぐずにほどけてきた。アパートに戻ってから、段ボールをもらって包み直し、なんとか空港まで持って行ける形にしようと奮闘したWの根性はすごい。
このとき、知らずに通ってしまったバワリー通りは怖かった。その名の通り、酔っ払いが朝っぱらからふらふらと歩いていたり、門口で眠りこけていたりする。
「ちょっと、ここ、危ない雰囲気よ」
「うん、次の曲がり角で曲がろう」
でも、次の曲がり角をのぞくと、そっちはもっと人通りが少ない。「やばい。次にしよう」と歩いた距離の長かったこと。あとで聞くと、バワリー通りのこのあたりは、みんな避けて歩く所のようだった。
これは、マンハッタンの南のほうだからというわけでもなくて、自然史博物館の帰りに、ジョン・レノンが住んでいたダコタ・アパートを見たのだけれど、このあたりは高級住宅街。ただし、その先をコロンバス街、ブロードウェイへと歩いて行くと、いきなり家の扉に落書きがされているようになり、身なりの怪しげな人が道路にたむろしていたりする所に出たりする。ほんの50メートルくらい歩けば、またふつうの通りに出るのだけれど、とにかく歩いてみないと初心者には見当もつかないのよね。まあ、でも実際に襲われたり、襲われそうになったりもしなかったのだから、ほんとうに危ないのかどうかはわからない。