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  HEAVEN 

 ハ

 

 

 忘れ物なんか、なかった。ただ、アスカみたいに割り  
きることができなくて、いたたまれなくなっただけ…。
「僕って、何なんだろう」
 声に出してみた。そして心の中で、
『……父さんにとって』
 と、つけ加える。
 自分よりも『自分の』父に近い綾波に嫉妬してる----
認めたくはないけれど、事実だ。母さんが死んで、僕は
伯父さんの家に預けられ、父さんはその間ずっと綾波を
傍においていたらしい。彼女が『1st・childr
en』以上の存在なのは確かなんだろう……だって、父
さんは、価値のない存在を決して認めないはずだから。
 足を引きずりながら、先刻の丘まで戻ってきた。ミサ
トさんや、アスカ----賑やかな生活にも慣れたけれど、
たまには『独り』になりたくなる。咄嗟についた嘘は自
分でも呆れるほど下手クソだったけど……。
「……碇くん」
「え?」
 丘の上に、レイが立っていた。アスカがいないところ
を見ると、怒って帰ったものらしい。
「綾波…?帰ったんじゃ、ないの?」
 レイはわずかに首を振った。そして、いつもは遠くを
見ている瞳が、彼に焦点を結ぶ。まっすぐにシンジを見
つめて、彼女は言った。
「絆、だから----」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜になった。草むらの中で、虫が鳴いている。涼しい 
夜風が丘の上を抜けていく。
 シンジもレイも黙りこくったまま、草の上に座ってい
る----丘の遥か下には、日没と共に現れる『迎撃要塞都
市』の灯がまたたいている。
「綾波…帰らなくて、いいの?」
「…碇くんこそ、帰らなくて、いいの?……心配する人
が、いるんでしょ」
「----いいんだ。たまには、僕だって……」
 ほんの少し、二人の肩が触れ合うまでの、わずかな距
離。どちらからともなく身体をずらし、その距離が少し
ずつ縮まって行く。やがて肩が触れ合い、その瞬間、少
女も少年もぴくりと身体を震わせ----驚いたように瞳を
見つめ合う。
「ごっ、ごめん(汗)そんなつもりじゃ----」
「…ううん、気にしないで」
 肩先から伝わってくる少女の体温。
『ボクラハ、イキテイル……ボクラハ、イマ、イキテイ
ルンダ----』
 ふとそんな感慨が、シンジの胸を鋭く貫いた。
「…綾波……」
「何、碇くん…?」
「綾波、綾波、綾波----……」
「----!!」
 どさっ。気がつくと、シンジは隣に座るレイを抱きす
くめ、草の上に押し倒していた。
「いか、り、くん……」
「綾、波----」
 はあはあと息を荒げながら、見つめあう。レイはシン
ジの瞳の底に、光るものを見た。それが何なのかを理解
した時、レイは全身の力を抜いて眼を閉じた。微かにま
ぶたが震える----予感。
 鼓動が重なる。トクン、トクン、トクン……早くなる
一方なのに、同じリズムを刻み始める二つの心臓(ハート)。
「あやなみ……」
 声の中に謝罪の色がにじむ。何故、謝るの…? 重な
る身体の重み、触れる肌の温もり----不思議とそれは心
地よい。汗の匂い、草の匂い、土の匂い。不意に、その
全てをいとおしいと思った----今までそんな風に感じた
ことはなかったのに。
 ゆっくり、眼を開く。そこにはやっぱり、彼の瞳があ
る。彼女だけを見つめている。レイは静かに微笑んだ。
「いかり、くん……」
 そして再び、目を閉じる。何故か、とても倖せな気分
だ----唇が触れた瞬間、ふと、このまま死んでもいい。
今死んでしまいたい、倖なこの気持ちのまま……そう思
った。いつ死んだって構わないと思っていたのに。
 唇が離れようとした時、何故かレイは今度は自分から
唇を重ねていた。深く、深く重ね合わせる。たどたどし
く舌を絡め、求め合う----熱くて、震えている。
 気がつくと、いつの間にか彼女の両腕は彼の背中に回
されていた。そのしなやかな背中に、強靱さと逞しさが
備わっていることをレイは知った。
「……」
 固く抱きあったまま、二人は接吻(くちづけ)を続け
た。ようやく唇を離した時には二人とも息が切れ、あえ
でいた。
「…怒ってる? 僕が、こんなことしたの----」
 レイはかぶりを振った。汗がにじみ、髪が頬に貼りつ
いている。彼女はまた、彼の瞳をみつめた。
「…綾波……」
 彼女は確かに、彼が胸の中でつぶやいた言葉を聞いた
と思った。そしてその言葉は、彼の瞳の中に映し出され
ていた。同じ言葉が、彼にも伝わればいいのに----レイ
は心からそう願った。

 

 

 

 

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「碇くん……行こう」
 レイは立ち上がった。
「行くって、どこへ……?」
 シンジの答えを待たず、レイは歩きだす、シンジもす
ぐに立ち上がり、彼女を追って歩き出した。
 丘を下り、道路へ降りる。レイが向かっているのはシ
ンジの住むミサトのマンションの方角ではなかった。
「綾波、どこへいくんだよ、一体」
 ぴたっとレイが足を止めた。
「----あたしの部屋」
「…あたしの、って、え--っ!? ちょ、ちょっと(汗)」    
 彼女はまた歩き始める。ついてくるもこないもシンジ
の意志次第、でも、必ずついてくると確信した足取りだ
った。
 「おい綾波、待ってったら……」
 二つの影は、夜の中に飲み込まれた。
 

 

 

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