kuro963 on the way (1)

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前触れか?


日付 メモ 検査結果
2月上旬 1週間ほど風邪を引き喉が痛い。
2月中旬 突然、胃が痛む。胃は弱い方ではないが、年に1〜2回胃痛になることがある。周期的に襲うキリキリとした痛みはちょっとつらかった。サクロンを飲んでしのぐ。夕飯はおかゆにしてもらう。2日程で治った。
2月下旬 この頃、小便をするといやに泡立つことに気づく。糖尿かなあ、などと思う。また、歯を磨くと歯茎から血が出る。今度の成人病検査でわかるだろう。また、軽い喉の痛みがある。また風邪を引いたかなあ、という感じ。身体にちょっとダルサがある日々が続く。今思うと、この頃身体に何か兆候があったのではなかろうか。

発病!


病名の告知をされるまでは、もしかしたら白血病かも?家族を残してこのまま死んでしまうのか?とかなり不安な状態が続いた。Webサイトで検索して病気のことを調べまくったのもこの頃だ。個人の闘病期HPもたくさん見つかった。これは非常に心の支えになった。また、病院系のHPでは病気の事が「数字を元に淡々」と書かれているので、病気や治療に関する知識が少ないこの時期は不安であった。

日付 メモ 検査結果[/ul]
3月3日(火) 会社で成人病検査を受ける。採血、視聴覚検査、心電図、バリウム飲み。ちょっと風邪気味で喉がいがらっぽいが他はなんともない。
 
3月6日(金) 会社の診療所から「白血球の数が多かったので再検査してください」と呼び出しを受ける。3日の血液検査の結果では2万を超えていた。通常は3千から8千だそうである。風邪気味であることを告げるが、風邪ではこんなに増えないそうだ。その他には自覚症状は全く無い、と思っていたが熱を測ると37度あった。内臓のどこかでも悪いんじゃないかと自分では疑っていた。
WBC 20,000
3月9日(月) 診療所から電話があり「午後1時に来い」と言われる。外出の予定があったので明日にならないかと言うと、「じゃああなたの上司にかけあうから電話を代われ」と言う。ずいぶんな看護婦さんだ。外出はキャンセルした。
指定された時間に診療所へ。6日の検査でさらに白血球が3万を超えていることがわかった。先生が大学病院の紹介状を書いてくれて、検査を受けることを薦められる。
Web検索ページで「白血球」で検索すると、白血病のHPが見つかる。いろいろ見ていると「慢性骨髄性白血病」というのが自分の症状によく似ている(自覚症状は無く、集団検診などで発見されることが多いとの事)のでドキリとする。「死」を意識してしまい、子供たちの顔が目に浮かぶ。
WBC 30,000
3月11日(水) 会社には寄らず直接、西新宿の東京医大へ向かう。2Fの外来受付で待つこと30分。予診室で、病状や家族構成や病歴を聞かれる。その後、名前を呼ばれて診察室に入るとすぐに採血してくるように言われ、4Fの中央検査室というところで採血。採血後2Fの診察室に戻り、担当医の説明を聞く。白血球の数は4万を超えていたようだ。結局、入院が必要だとの事。ただ、今はベッドの空きが無いので申し込みの手続きをしておいて欲しいとの事。9000円/日の差額ベッドなら空いているらしい。しかし30日入院したらこれだけで27万円ではないか! さらにもう一度採血をするように言われ、再び中央検査室に向かう。また血を抜かれ、1Fの入退院窓口で入院申し込み手続きを済ませて、診察室に戻る。カルテに「CML....?」と書かれてあるのがチラリと見えた。会社に戻りWebで調べてみたら「慢性骨髄性白血病移行期?」ということのようだ。やはりそうか。
入院期間は30日程度となっている。帰る道すがら友人に、週末の14日の飲み会には行けないかもしれないと電話をする。残念。生まれて初めての入院に、しばらく会社に行かなくていいのか、という怠け心と不安が半分半分。
入院している間は暇なんだろうなぁ、と思い秋葉原電気街でラジオ付きカセットテレコ(3500円)を購入して会社に戻った。
夜になって自宅に友人から「ベッドが無くて入院できないのなら、病院を紹介してあげるぞ」と電話あり。有り難いことだ。入院の手続きはしてあることを告げる。
WBC 40,000
3月13日頃 自宅から会社に電話があり、16日(月)から入院してください。と病院から連絡があったとの事。  
3月14日(土)
〜15日(金)
入院の準備をする。パジャマは貸与してくれるので、新しい下着を揃えておく。ちょっとした出張のようである。普段聞けないカセットテープ(JAZZ系)もカバンに詰め込む。しばらく子供の顔が見られなくなるのが寂しい。
 


さあ入院だ


入院してからは、インターフェロンの注射のせいで身体がだるかったり、食事がおいしくなくなったりしたが、病名の告知を受けたり、治療方針を聞いたりして精神的にはだんだんと落ち着いてきた。この病気は3〜4年後には急性転化を起こし、薬が効かなくなる。インターフェロン注射だけで白血病細胞が減り、骨髄移植を受けなくても良いというケースもあるようだが、果たしてどうなることやら。

日付
メモ
検査結果[/ul]
3月16日(月)
いきなりマルクの洗礼
9時30分までに受け付けを済ませろ、ということなので、家を8時前に出る。週の初めは、入院する人が多いのだろうか。受付はほぼいっぱいである。10時になると、係りの女性が名前を呼び、それぞれの病棟に連れて行ってくれる。
病棟は18階であった。病室はナースステーションのすぐ目前、ベッドは6人部屋のいちばん廊下側。早速、同室の人たちに挨拶を済ませておく。隣のベッドの人は寝たきりで起き上がれないようだ。みんな年上で50歳以上。看護婦さんに、オリエンテーションしてもらう。特定の宗教に属しているか等をヒアリングもされる。小水は捨てずに溜めるのだそうだ。これを畜尿ということは退院した後で知った。
3人の先生がチームで面倒を見てくれることになるようで、骨髄穿刺(マルク)をさせてくださいと3人の先生方が現れる。「引くときに気持ちが悪いので患者さんはみなさん嫌がるのですが...。」と言われる。まだ入院してベッドに入って1時間しか経っていないのだが...。検査のためなら仕方が無い。上半身裸になり、ベッドに横になる。胸のみぞおちのあたりに麻酔を打たれ、感覚が無くなると、いよいよ骨髄穿刺である。針を刺されると胸の骨のあたりがぐいぐい押される感じ。0.5mmくらい(?)骨に穴を開けるらしいが、痛くは無い。が次の瞬間、肋骨をまとめてぎゅっと握られるような痛みが一瞬走る。痛みは予想していなかったので「いてっ」と身体をよじってしまう、先生は「動かないで!」と焦っている。二回目の引きには、慣れた(?)せいか、身体も動かなかった。胸に大きなバンソウコウを貼られ、その上に小さな枕のような重りを乗せる。このまま30分くらい安静にしていろ、との事。
昼食は生まれて初めての病院食、おかずは焼き魚(タラかな?)、うまくはないが、そんなにまずくもない。これならやっていけそう(とこの時点では思っていた)。
午後いちでレントゲン撮影をした後、夕方に超音波診断で内臓を調べる。脾臓が腫れているようだ。(ますますCMLである可能性が高まる)
TVを借りようと思ったが1ヶ月で1万2千円もかかるのでやめた。9時30分に消灯して寝る。
WBC 60,000
3月17日(火)
6時に起こされて体温を測る。何と、新聞売りのお兄さんが病院内を回ってきてくれる。朝日新聞を買う(110円)。これは嬉しい、入院中は新聞が読めないかと思っていた。
10時ころ先生が訪れ、現段階では「骨髄増殖性疾患」だとの事。両親は広島か長崎の出身ではありませんかと聞かれるが、両方とも東京の出身である。あと、兄弟の数も聞かれる。
風呂に入りたいが、男性は月、水、金曜日のみである。夜、向かいのベッドの人の鼾がひどいので、売店で耳栓を購入。今日は長女の卒園式だ。
 
3月18日(水)
毎週水曜の午前中は、教授回診。一体何をされるのだろう。9時頃から辺りがなんだか騒がしい。同室の他の患者さんのところに婦長さんや若いインターンを連れた一群が訪れる。ベッドの上で座って待っていると、廊下で先生同士の立ち話が聞こえる。「早くインターフェロン入れたいですね」などと話している。数分後、教授の一群が現れる。お腹を触ったり、聴診器をあてられたりした後、若いインターンが腹部を触らせてくれと、練習をしていった。
午後3時ころシャワーを浴びる。 夕方に別室で病名の告知。「慢性骨髄性白血病」であるとの事。(やっぱりそうか)家族にも病名を告げたいとの事、20日に来てもらうことにする。現在は慢性期だが、3〜5年後に移行期、急性転化期を向かえ死亡する。慢性期に骨髄移植を受ければ治癒できる、との事。
明日からインターフェロンの注射を始めることになった。最初の2〜3日は副作用で高熱が出るらしいが、これは身体の防御反応で普通のことであるらしい。この注射が自分で出来るようになれば退院できる、と説明される。インターフェロンはこの病気の治療時にはファーストチョイスであるらしい。保険が効くとの事。でもいくらかな?
 
3月19日(木)
インターフェロン投与開始、座薬と格闘
午前9時30分ころ解熱用の座薬を入れる。初めてなので勝手がわからず、入れ方が甘かったようで尻の穴からすぐ出てきてしまう。ティッシュペーパーをお尻にあてておいた。
来週末には退院できるらしいので、早速1週間の契約でTVを借りる。これで暇が解消された。週末は外泊しても良いらしい。午前11時ころ看護婦さんがインターフェロンの注射をしてくれる。午後2時過ぎころから寒気がしてくる。熱を測ると37.7度。布団をかぶって丸くなる。夜にかけて38.8度も熱が出る。看護婦さんに氷枕を貰って寝る。寝汗がひどい。
 
3月20日(金)
起床して検温すると、37.5度まで下がっている。寒気は無い。9時過ぎにまた座薬を入れる。今日は思い切って奥まで差し込む。午前11時にまた注射。まだ看護婦さんが注射してくれる。
注射の練習が始まる。注射器(2.5Mlのシリンジ)と針が2種類(1本はやたら太い!)、そしてタオルをガムテープで巻いたものを用意してくれる。これに注射を差して練習。シリンジに注射液(中身は水)を入れるために、針を交換するやり方を教えてくれるが、針が恐い。でも看護婦さんには「うまいですねぇ」と誉められる。 太い方の針は身体に注すのでは無く、アンプル(注射液の瓶)から液を吸うためのものだった。ほっとした。

午後、家族が病名告知を受けるために来院した。先に家内だけが別室の呼ばれ、その後に両親にも話をあったようだ。

週末に外泊しようかとも思ったが、まだ自分で注射をうてないのであきらめる。シャワーを浴びた。昨晩の発熱で寝汗をかいたのでさっぱりした。
 
3月21日(土)
誕生日に初めて自分で注射
午前11時、初めて自分で注射をうつ。腹に針を刺すときのチクリとする痛みと、液を入れ始めるときに注射器を強く押すと痛みがある。看護婦さんに「お上手ですね。もしかして医療関係にお勤めですか?」などと言われる。不器用な患者さんは退院が延びるらしい。
週末なので、午後になるとお見舞いが多い。病院内は静かである。今日は3*回目の誕生日である。
 
3月22日(日)
熱は37度を上下している。午前中に体重測定。ヘルスメータに乗り、体重をそばのノートに記入する。62.5Kgだった、2Kg弱減ったみたい。
風呂に入れないので、タオルで身体拭きをしてもらう。タオルが熱々で、思っていたよりもさっぱりするのでびっくり。今日も午後から見舞い客が多い。売店も休み。終日TV。
 
3月23日(月)
入院して1週間が過ぎた。薬の副作用で煙草を吸っても味を感じない。食事もまずい。畜尿はもうしなくても良いようで、自分用の袋が無くなっていた。便所に行くのが面倒で無くなった。こうなると病院ですることと言ったら、1日一回注射をするだけなのである。 おかずを見ると腹が立ってくる。違うものが食べたい!
午後シャワー。まだ熱は37度近辺。午前中は36度台である。座薬はやめた。退院は26日に決まる。白血球の数は4万ちょっと。入院時には6万近くまであったらしい。
 
3月24日(火)
めしがまずいよ。味噌汁を飯にかけて食うが、味噌汁の味が薄い。コーヒーも飲みたい。パン食がいいなあ。10日間の入院で2回しかパン食が無かった。
 
3月25日(水)
明日は退院だ嬉しいな。でも飯がマズイ、なんとかしてくれ。煙草は単なるケムリに感じる。
午後シャワーでさっぱり。明日の退院に備えて荷物を少し片付けておく。
 
3月26日(木)
退院!
朝食は最後の病院食。食事後、荷物をまとめる。病院パジャマを脱ぎ、入院した時の服に着替える。病院に着て来たコートはもういらない。
看護婦さんから2週間分の注射セットを受け取り、10時前に病室から出る。待ち合いスペースでかみさんと待ち合わせ。 1Fの入退院窓口で清算、10日間の入院で約23万円。注射の値段が高かったようだ。新宿駅の階段で足がふらつく。ベッドで寝ている時間が長かったからなあ。本八幡に着き、京樽で寿司を買い、タクシー。もう春だ、暖かい。
 
 

自宅療養&通院が続くのであった


10日間の入院後、インターフェロンの自己注射を続けた。当初はスミフェロン600を連日投与していた。白血球は順調に減ったものの、血小板が減りすぎたため、その後スミフェロン300に変更された。スミフェロン600投与時がもっとも身体がだるく、食欲も減ってしまった。毎日出社しても午後3〜4時には自宅に帰る日々。2〜3ヶ月後には注射にも身体が慣れてきたが、今度は頭部を中心に湿疹が出たり、髪の毛が抜け始めた。洗髪時にごそごそ髪が抜けてしまうので随分あせったが、1ヶ月ほどして抜け毛は止まった。その後、下痢をしたり、右手の関節が痛んだりした。インターフェロンの副作用ではないだろうか。

日付
メモ
検査結果[/ul]
3月27日(金)
〜4月2日(木)
人参責め
自宅療養(スミフェロン600自己注射を毎日)。注射は風呂から上がった後にする。身体がだるい。食欲も少ない。毎日家の中でごろごろ。
28日(土)午前中に病院から電話がある。何事かと思うと、退院時にアロシトールを日数分渡し忘れたとの事。郵送で送って貰うことにした。尿中の尿酸を減らす飲み薬なので治療には大した影響は無いらしい。2日ほど薬があいてしまった。
母親が人参ジュースを飲めと薦める。だが、もともと野菜ジュースなど飲む習慣が無かったのと、注射による食欲不振で口をつける気もしない。スティックに切ってもらい、マヨネーズを付けて食べるが、人参一本食い切れるものではない(後で下痢をした)。市販の人参ジュースを飲んでみるが人参臭くて喉を通らない。果実と人参混合のジュースが売られているのを見つけ、まずは缶で購入して飲んでみると飲み易かったので、これを飲んでいる(伊藤園の充実野菜、カゴメの野菜生活など)。身体には良さそうだが、果たして病気に効果はあるのか?
 
4月3日(金)
会社へ行かなくちゃ
外来で病院へ行くので、午前中だけ会社に出る。電車で立ちっぱなしなので会社に着いたら少々疲れた。溜まったメールを読むだけで時間が経っていく。
昼食後病院へ向かう。採血して白血球が3万。徐々に減ってきている。1万以下に下がったら、HLAのタイピングをしましょう、と主治医の先生。2週間後にまた来てください、と2週間分の注射セット。清算したら約8万円。注射一本が5,000円強の計算だ(組合健康保険の本人負担2割で計算)。
WBC 30,000
4月4日(土)
〜16日(木)
7日から会社に出社し始める。しかし身体のだるさは如何ともし難く午後3時から4時くらいには退社する生活。7日は長女の入学式、10日は彩夏の入園式で会社を休む。  
4月17日(金)
今日は会社を休んでしまって、午後から病院へ。採血すると、白血球数が1万台に落ちているが、血小板も3.8万まで減ってしまう。血圧も低いようだ。スミフェロン600からスミフェロン300に変更する。1週間分の注射セット。清算したら1万8千円。注射1本あたり2,000円ちょっと。経済的には楽になった。
WBC 10,000
PLT 38,000
4月18日(土)
〜23日(木)
スミフェロン300は薬効が緩やかなのか、身体のだるさは以前ほどではない。が、最近時々立ち眩みがする。朝起きるとなんとなく調子が悪く、22日(水)は会社を休み。  
4月24日(金)
午前中は出社、午後から病院へ。採血と同時にHLAのタイピング検査をする、結果は次回の来院時にわかるであろう。いつもは番号で呼ばれるのだが、今回は名前も確認された。採血後に「血が止まりにくいですか?」といつもと違うバンソウコウを貼ってくれる。
白血球は6,800まで減、血小板は10万に復活。「弱気な先生はここでやめてしまうんだけど、4,000を目標にしましょう」と先生。以降は注射は隔日に。清算して1万8千円、前回と同じだ。
WBC 6,800
PLT 100,000
4月25日(土)
〜5月7日(木)
スミフェロン300の注射が隔日になったら、身体の調子も良くなってきた。ごはんもお代りするようになった。ビールもうまいぞ。煙草を吸うとちゃんと煙草の味がする。注射をした翌日と、翌々日とではやはり調子が違うようだ。注射翌日は若干身体にダルサを感じる。でも退院直後ほどのダルサではない。徐々に会社にいる時間を長くしてみる。
気のせいかなんとなく、脱毛が多くなっているような気がする。シャンプーすると手にからみついた抜けた毛が気になる。外見ではわからないがちょっと気になる。
 
5月8日(金)
午後から病院。いつものようにまず採血。白血球が6000、血小板が16.8万。目標の白血球4000、血小板10万に届かず、明日からスミフェロン300を毎日投与に変更。その代わり食後のアロシトールは不要になった。
4/24のHLAのタイピングの検査結果はまだ出ていなかった。注射セット14日分で3万8千円。夜7時から退院祝いで久々に深酒し、帰宅したのが0時過ぎ。布団にバタンキューで、今日は注射はパスしてしまった。
WBC 6,000
PLT 168,000
5月9日(土)
〜5月21日(木)
退院直後のスミフェロン600の連日投与時に比べると楽だが、スミフェロン300でも毎日の投与だといくぶん身体のダルサを感じる。GW中は隔日投与でだるさも無くて調子良かったが、今のこのだるさも薬が効いているのだと思うと何だか安心したりする今日この頃である。
 
5月22日(金)
午後から病院。採血後、血が止まりにくい。椅子に座って診察を待っていたらシャツの袖に赤いシミを発見。腕をまくったらガーゼが血で真っ赤っか。あわてて検査室に戻り、ガーゼを取り替えてもらった。 白血球 5800、血小板 15.8万。順調に推移との事。今後もスミフェロン300の連日投与。
今日はちょっとショックなことがあった。 4/24に自分のHLAタイピング検査を、いつもの採血の際にしたはずなのだが、外部の検査会社に出されていないことがわかった。先生が、中央検査室に問い合わせるが無いらしい。「あってはならぬこと」と先生も恐縮。次回 6/5に再度検査をすることに。
WBC 5,800
PLT 158,000
6月2日(火)
毛が抜ける抜ける!
前日から身体がどうにもだるく、今日は会社を休んだ。風呂でシャンプーしたら髪がごっそり抜けた。手のひらにからむ髪の量にビックリ。髪が濡れている状態だと、頭の地膚がよく見える。そんなこんなで今日は注射もパスしてしまった。
 
6月5日(金)
午後から病院。採血の結果は白血球5900、血小板14万。順調にコントロールできているようだ。以前多かった中性脂肪も減っているようだ。
今日はHLAのタイピング検査をした。保険がきかないので2万円支払う。注射セットとあわせて5万8千円なり。
WBC 5,900
PLT 140,000
6月6日(土)
〜6月18日(木)
今回からインターフェロンの注射器が変更された。薬瓶からプラスチック製のシリンジに吸入していたのだが、薬が既にシリンジに入っていて、針を付けるだけで使えるもの。薬を注入する際にもスムーズで良い。今までのシリンジは注入するときに抵抗があって力の加減が難しかった。
あいかわらず髪が抜ける。額が広くなった感じ。
 
6月19日(金)
骨髄バンク登録
午後から病院。白血球4900、血小板11.9万。HLAタイピングの結果、残念ながら弟とは不一致。骨髄バンクに登録してドナーを探すことになる。注射セット2週間分で3万5千円なり。
WBC 4,900
PLT 119,000
6月20日(土)
〜7月2日(金)
髪の抜ける量はやや減ってきた。日によってとてもダルイ。
 
7月3日(金)
午後から病院。白血球4900、血小板12万。しばらくはスミフェロン300を続けるが、そのうち、スミフェロン600と交互にうつことになるかもしれないとの事。注射セット2週間分で3万8千円なり。
WBC 4,900
PLT 120,000
7月4日(土)
〜7月16日(木)
髪の抜ける量は治まってきたようだが、濡れた状態だと頭皮が見えて悲しい状態である。身体のだるさもそれほどでない。と言うか、ダルイ状態が普通なのか。
 
7月17日(金)
午後から病院。白血球5200、血小板12万。数値が安定しているので、このまま注射を続けるが、通院の間隔は3週間にしましょう、との事。が、3週間後は夏休みのため4週間後にしてもらった。
今日は何故か、薬は院外処方になった。病院前の薬局で待たされること45分。待ちくたびれたー。4週間分の注射セット6万8千円なり。病院の検査料は780円。
WBC 5,200
PLT 120,000
7月18日(土)
〜8月13日(木)
夏休み旅行中(女神湖、小諸、軽井沢)は注射セットを持参。まったくうっとしいことである。
 
8月14日(金)
コーディネイト開始
午後から病院。白血球5100、血小板12.6万。骨髄バンクから5名のドナー候補者が見つかったとの通知あり。コーディネイト開始の同意書に署名捺印(拇印)する。やるとしても移植手術は来年になるらしい。ドナーの3次検査やらなんやらで随分時間がかかるようだ。
3週間分の注射セット(自宅に7本余っているので4本減らしてもらった)やらで4万8千円なり。前回は院外処方であったが、これはミスだったらしい。今回は院内処方で、10分くらいの待ち時間で済んだ。
WBC 5,100
PLT 126,000
8月15日(土)
〜9月3日(木)
下痢をすることが多い。薬の副作用か?
 
9月4日(金)
朝から下痢ぎみ。あと、胃も痛み、微熱がある。午後から病院。白血球8800、血小板12万。白血球が増えているのは、胃痛か微熱のせい。抗生物質と整腸剤を出してもらう。いつものように注射セット(21-4=17日分)で4万8千円なり。1週間に1回程度注射をさぼっているので薬が余ってしまっているので減らしてもらった。
中央検査室での血液検査の際、隣にいた中年男性が手の甲から血液を取っていた。とても痛そうである。 8月14日にコーディネイト開始の同意書にサインしたが、家族のサインも必要とのことで書類が送り返されるらしい。
WBC 8,800
PLT 120,000
9月5日(土)
〜9月24日(木)
4日間抗生物質と整腸剤(ビオフェルミンR)を飲み続けたら下痢の症状はすっかり良くなった。
16日にコーディネイト開始の書類が自宅に届いた。家族のサインと捺印をし、速達で病院に返送する。1ヶ月のロスだ。ミスは仕方ないが、ここらへんのやりとりはもっと迅速にできないものか?
 
9月25日(木)
通院日。白血球が5400、血小板が12.3万。コーディネイトが順調に進んだ場合、慶応大学病院あるいは都立駒込病院を紹介してくれるとの事。注射セット(21-3=18日分)で4万4千円なり。
WBC 5,400
PLT 123,000
9月26日(土)
〜10月15日(木)
風邪をひいたようで喉が痛い。痰のからんだ咳がでる。
 
10月16日(金)
通院日。白血球7800、血小板12.8万。白血球が多いのは風邪をひいているせい。喉の炎症を抑える薬を貰う。
バンクから請求書が届いた。登録料3万円、コーディ ネイト料10万円。お決まりの注射セット(18本)で4万8千円。
WBC 7,800
PLT 128,000
10月17日(土)
〜11月5日(木)
喉の炎症を抑える薬はものすごく眠くなる。通常は1週間ほどで治るのだが、今回の咳はしつこい。
10月末に病院から電話があり、コーディネイトは3次検査まで進んでいるとの事。次回通院日はDNAタイピングをやるようだ。来年1月にはマルクをする予定との事。右手の甲、手首がしびれている。毎日の注射時にシリンジを持つ手に無意識に力が入っているせいか? パソコンに向かってマウスを持っている時間が長いせいか?
 
11月6日(金)
3次検査実施
ドナーとの3次検査のためDNAタイピング検査をした。中央検査室での採血ではなく、直接主治医の先生が採血してくれた。自分の血が入った容器を自分で中央検査室まで持っていった。血ってこんなに暖かいものなんだなぁ。結果は3週間後なので、次回の通院日にはわかるかな?うまく行きますように。
白血球は6200、血小板は11.1万。右手の痛みは、インターフェロンの副作用?かもしれないが、しばらく様子見ということで、湿布薬とロキソニンという錠剤の鎮痛剤を出して貰う。注射セット(18本)とあわせて4万8千円。
WBC 6,200
PLT 111,000
11月7日(土)
〜11月26日(木)
リウマチかな?
相変わらず右手の痛みは無くならない。ロキソニンもあまり効き目が無い。唯一、風呂の中で暖めると痛みが収まる。また、午後になると熱ぽくて身体もだるい。なんだろうな?箸やペンを持つのもツライ。リウマチについてWeb検索し、調べると症状がよく似ているではないの。おいおいリウマチかい?
注射部位を右足にもトライ。やりにくいが、腹部が固くなってきてしまっているので仕方がない。思ったほど痛くないので今後は足にうつことにしよう。しかし、左足にうつのは無理な体勢になるのでダメダ。残念。
 
11月27日(金)
3次検査の結果は出ていなかった。右手関節の痛みについては「とうとうきましたか」ということであった。前回通院日から、痛みはひどくなっていないが、良くもなっていない。座薬の痛み止め(ロキソニン飲み薬が効かないため)を出してくれた。
初めて同病の方と顔見知りになった。Sさんという50歳くらいの男性で、イントロン300を3本毎日うっているらしい。これは大変そうだ。
注射セット(18本)で、4万5千円。
WBC 7,800
PLT 132,000
11月28日(土)
〜12月17日(木)
相変わらず右手指関節の痛みに悩まされている。左足首もちと痛くなってきた。歩く時に違和感あり。
喉の痛みは収まったが、時折痰がからむし、鼻も詰まる。治りが遅く、なんともうっとしい。原因はほんとに風邪なのだろうか? 二ヶ月前から耳栓をして寝ているせい? てなわけで、タバコを吸ってもとてもマズイ、それに12/1から値上げもされたので、禁煙宣言する!
発熱のため16,17日は会社を休む。17日夜から腰が痛くなる。
 
12月18日(金)
救急車が来たっ
朝起きると腰がさらに痛い。午後病院へ行かなければならないが、昼前にあまりの痛さに起きあがれなくなる。主治医の先生に電話連絡すると、「救急車で来い」。市川から新宿まで搬送された。
 


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