2001/7/27
遠く空は晴れても


 すっかり五時起床が習慣になっており、その時間丁度に目が覚める。普段の生活では考えられないことだが、ツーリングに出ると必ずそうなる。そしてそれは早い時間に寝てしまうからに他ならず、健康的なことこの上ない。
 とはいえ、ぐっすりと眠り込んで一向に起きる気配すらないぶんちゃんをその時間に起こすのは、大魔人の逆鱗に触れるごとき愚行であるからして、俺はひとり寂しくメイルを打ったり地図を眺めたりして過ごしていたという訳だ。
 七時丁度にぶんちゃんが勝手に目覚める。おお、奇跡だ。奇跡が起こった。な訳はなく、ただ単に荷物を片付ける音が五月蠅かっただけのようだ。
 炒めたベーコンとキャベツのスープとパンで朝食。部屋の中に干しておいた着衣はだいぶ乾いている。荷物をまとめ、バイクに積み込む。外は曇り空。だが、雨はあがった。

 出発前に煙草を吸っているところへ昨夜のおっちゃんがやってきて、少しだけ立ち話をする。旅の安全を言い交わし、別れを告げる。五人ほどで隣のバンガローに泊まっていた連中と同時に出発し、彼等は南へ、俺達は北へ進路を取る。風が冷たい。
 標津から国道二四四号線に入った途端に濃霧が押し寄せてきて、一気に気温が下がる。後ろを走るぶんちゃんのバイクのヘッドライトだけが、ぼんやりとミラーに映る。根北峠を越えると霧が晴れ薄日が射してきたが、斜里の町まで降りてくる間にまた、空は雲に覆われてしまった。
 出発前にきちんとメンテナンスはしてきていたが、降り続いた雨のせいでチェーンがガチャつく。国道沿いの大きなディスカウント・ストアでチェーン・オイルを探すが見つからず、少し離れたところにぶんちゃんがバイク屋を見つけ、そこでチェーンオイルを買い、塗布する。ぶんちゃんのバイクにも同様にしてやる。
 と、ディスカウント・ストアの駐車場でコーヒーを飲んでいると、見覚えのあるビートが停まっている。その横にはやはり見覚えのあるジェベル。日勝峠のドライブインで出会った、車とバイクで釣りをしながら道内を巡っているというおっちゃんらだった。なにやらビートにトラブルが発生した模様で、忙しく作業をしていたので声はかけなかったが、こんなところで再び巡り会うとはね。

 網走方面へ向けて走っていると、サイドカーを含む十台ほどのバイクの集団に追い抜かれる。信号が赤に変わり、その集団が右折車線まで使って横一杯に広がって信号待ちの最前列で停まる。う〜む。こうゆうヤツらがいるからバイク乗りが誤解されるんだ。囲まれている車のドライバーは怯えているだろうな。やってることは暴走族の連中と変わらん。というか暴走族そのものだ。アタマ悪いんだろーなー。
 小清水の原生花園を横目に見ながら、オホーツク海沿いの道を気持ちよく走る。ところが、網走に近づくにつれ、やたらとパトカーの姿が目に付く。町に入ると車の数も増えてきて、自然とスピードも落ちてくる。
 ラーメン屋で昼食を摂り、網走湖、能取湖を経てサロマ湖畔まで走り、道の駅で休憩。地鶏の串焼きを食う。塩加減が丁度良く、かなり美味い。ホタテ焼きなど、他の焼き物も美味そうだ。今日の夕食の食材をそれらで賄ってしまおうと冗談で言ったら、ぶんちゃんが真面目な顔をして「良いっすねー」と、かなり本気にしている。俺、今夜はカレーが食いたいんですけど。
 オホーツク沿岸をさらに北上し、紋別で買い物を済ませ、十年前と較べ格段に発展していた興部、雄武を経て、乙忠部の辺りで海沿いを離れ、歌登方面へ左折。峠を一つ越えると、それまでの曇り空が嘘のように晴れ渡り、山間に快適なワインディング・ロードが現れた。
 鬱憤を晴らすようにペースを上げると、深緑に抱かれた静かな牧畜と畑作の中をエキゾースト・ノートが響きわたる。手が届きそうで届かない微妙な距離を保ちながら、地平線がなだらかなカーブを描き、不意に現れる道ばたの木立によって突然断ち切られたかと思うとすぐにまた現れて、大地と大空との境界線をなぞり始める。ヘルメットのシールドを開けてスピードを落とすと、風の匂いがした。

 今夜の宿泊地である「うたのぼり健康回復村」に到着する。案内板に従って村内の道路を進むと、コテージ、動物公園、テニスコート、スキーロッジ、ホテルと小綺麗な施設が順に立ち並んでいる。ホテル前の案内板でキャンプ・サイトの位置を確認すると、専用道路を一・五キロほど走った先にあるらしい。ホテルのすぐ先に日帰り入浴が可能な温泉宿があるのを確認し、車がやっとすれ違えるくらいの細い山道を進む。途中の斜面にラベンダー畑があって、数人が作業を行っていた。しばらくするとキャンプ・サイトが見えてきて、センターハウスと書かれたログハウス横の駐車場にバイクを停める。そして、そこから見下ろす景色のあまりの美しさに息を呑む。こ、ここは天国か?
 センターハウスに入ると、明らかにキャンパーだと思われるおっさんらが数人、テーブルで書き物をしたり酒を飲んでいたりしていて、受付はどうしたら良いのかと尋ねると、据付のノートに住所と名前を記入したら後は自由にやって良いことになっていると教えてくれた。料金は取られないらしい。小綺麗な施設と整備された道路を見ながら、一体いくらくらい取られるのか心配していた俺達は拍子抜けしてしまって、すっかり呆けてしまった。心配性なぶんちゃんは、きっと何か裏があるに違いないなどと、未だに信じられないでいるようだった。都市生活に毒されているなぁ。

 荷物を下ろしてテントを張り、ホテル前の温泉宿に風呂を借りに行く。風呂からあがり、ビールを買って、暮れようとしている夕日を浴びながらノーヘルでテントまで戻る。最高に気持ち良い。
 戻ってくると、同じようにバイクでやってきたキャンパーが二人、どうやら仲間では無いようだが、俺達が張ったテントから少し離れた場所に荷物を下ろしていた。その他にテントを張っていたのは車で来ていた老夫婦が一組と、やはり車で来ていた女性が一人。この女性、小型のセダンにキャンプ道具を積んで来ていたようなのだが、炊事場横の木のテーブル一杯に食器類を広げて一人で食事をしている姿がどうにも板についていないというか、浮ついた印象で、妙な違和感を醸し出していた。地元の人なのだろうか。ともかく、女性が一人きりでいるのは、あまり好きじゃない。
 いつものように飯ごうで飯を炊き、レトルトのカレーとハンバーグを温めている間にビールで乾杯する。ぶんちゃんはお茶だが。一人だけビールというのは寂しいので、彼には一刻も早くビールの美味さが解るようになって欲しい。と、言い続けて早十年。いや、もっとか。いい加減大人になれよなー、ぶんちゃん。
 今夜もまた虫の襲撃を受けて、ぶんちゃんは泣きそうになっている。霧が出て寒くなってきたこともあって、片付けをした後早々にテントへ引き上げる。風が強くなって、山がざわめいていた。


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